【ゆっくり解説】貧乏すぎた... 旗本の食事がやばい..,
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- เผยแพร่เมื่อ 4 ก.ค. 2024
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
農村でも普通にオカズ食べてたでしょう
むしろ農村の方がオカズの種類も量も多いですよ
野菜もあるし夏場なんかイナゴを取らなきゃイネがやられますし、野草もありますし
米の消費を減らす為にオカズはそれなりに食べてましたよ
今のような保存技術がないため、収穫できる時期以外は漬物などしかなくなります。
また関東平野のような都市に近い場所では現金収入を得るため野菜などもほとんど売却していて、それによって都市の食糧事情が支えられていました。保存がきかない以上自家消費のためにキープできる量も限られますからね。
いくら「昔より今の方が幸せ」と言っても、こんな世の中で悪い事して贅沢してるやつには不満、文句を言っても、許さないと怒ってもいいんだぜ!。
白米が流通する代わりに江戸患いと言う病気が増えた訳で…
なので田舎に転地療法して麦飯や大根飯を食うと改善したこともあり、明治維新後の帝国陸軍の軍医達が細菌説に固執する原因になっていたとか
江戸時代、マグロは下魚中の下魚。
だから貧乏旗本の三男坊はめ組で飯食ってるのか。
ワロタ
江戸時代も後期になると物流の発達で食材が豊かになり、醤油、食用油、砂糖といった贅沢だった調味料すら庶民でも使えるようになり、庶民の食文化は百花繚乱になっていますね。でも下級武士はそうした世間の豊かさと切り離されていたわけで、お目見え以下の御家人となったら…。
大名の食生活を解説するところで、夜になったら豪華なおかずとともにお酒が出てきたとあるけど、将軍や大名とかは確かにお酒を飲みたいと思えば飲めたようだけど、晩飯どきに出されたわけじゃないらしい。晩酌しながらご飯を食べたというより、晩ご飯を食べ終わった後に、それでもお酒を飲みたいとなった場合に供されたと何かで見たか読んだかしたことある
AI が描いたとおぼしき考証むちゃくちゃな絵はないほうがよいかと
この動画がきっかけで皇室の食事が気になって調べてみました。
予算がないのに形式だけは整えないといけないから腐った食べ物を捨て値で買ってきて、「腐っているから食うな」と印をしていたとか泣けますね…
明治期に入ると明治天皇の教育役だった西郷隆盛の影響で牛乳やパンが出るようになったものの質素倹約を旨とする食事になったようですね