【BS11】偉人・敗北からの教訓「第50回 徳川秀忠・関ヶ原遅参と大坂の陣」2024年6月29日放送分見逃し配信
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- เผยแพร่เมื่อ 28 มิ.ย. 2024
- 江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の敗北から現代に通じる教訓を探る。徳川家康の三男として生まれながら嫡男となった秀忠は、父・家康から多大な期待を寄せられていた。豊臣秀吉の死後、家康が天下取りへの野望を露わにすると、秀忠は信州・上田で真田氏との合戦に臨み、あと一歩のところまで追い込む。そんな中、家康から上洛命令が届き、秀忠は急いで中山道を西へ進むが、関ヶ原の戦いに間に合わず、勝負は秀忠抜きで決してしまう。
1603年、征夷大将軍に就任した家康はわずか2年で将軍職を秀忠に譲り、自らは大御所として実権を握る。そして、1614年、徳川政権を脅かす豊臣家との決戦を決意する。家康は駿府を出陣し、西へ向かうと、江戸にいる秀吉にも出陣を命じる。ところが、秀忠は大坂の陣に向かう際、大軍を急行させ、疲弊させてしまい、家康に強く叱責されてしまう。秀忠はなぜ、無理な行軍をさせたのか?
大坂の陣で豊臣家が滅び、翌1616年、家康がこの世を去ると、秀忠は武家諸法度などの法を整備し、それに背いた諸大名を容赦なく処罰するなど、将軍としての主導力を発揮する。父・家康が目指した路線を継承し、徳川幕府の基盤を固めたのは秀忠の最大の功績であり、その結果、史上最長の武家政権が維持されたと言える。もし、家康が秀忠の将軍就任直後に亡くなっていたら、歴史はどう動いていたのか?
(2024年6月29日放送の期間限定見逃し配信です。)
#BS11 #徳川秀忠 #徳川家康 #関ヶ原の戦い #関ヶ原合戦 #室町時代 #安土桃山時代 #江戸時代 #平安時代 #明治時代 #戦国時代 #歴史 #日本史 #偉人 #伊東潤 #中西悠理
【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)
【配信期間】
2024年6月29日~7月22日まで
📌BS11の「歴史」関連動画をチェック!
• 歴史「偉人・敗北からの教訓」ほか
【番組情報】
全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
📺毎週土曜日 よる9時00分~9時55分放送
※4月から放送時間が変更になりました。
番組公式HP:www.bs11.jp/entertainment/iji...
<番組詳細>
「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。
【BS11+ 公式Instagram】
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今回も知らない事が多くあった、勉強になりました。間に挟む中西さんの発言もとても深く鋭いものになってきたなぁと感じています。次回も楽しみにしております。今回の中西さんの髪飾り素敵だなぁ😍😍😍👍
大河ドラマで秀忠は西田敏行のイメージが強い。
向井理とは対称的です。
24年経ってて、それ以降も多くの人が演じててもそうなんだね。
西田敏行本人より松村邦洋のモノマネの方をよく見ている気が…
16:45心境グチャグチャだったろうな
このポーズホンマ好きw
今回の教訓の「権力に酔ってはならない」は、会社、家庭や地域社会で上手く付き合うためには、とっても必要な心構えだなぁと思います。
徳をもった人物になるため日々努力しなければならないと思いました。
関ヶ原に間に合わなかったこと
2度の大坂の陣
秀忠にはいい刺激になったでしょう。真田親子に勝ち、関ヶ原本戦でも手柄を立てるようなことをしていたら、天狗になって暴走した政治家になっていたんじゃないかな。
俺は秀忠ファンですけど
伊東さんの秀忠に対する厳しい評価に聞いててスカッとしました。
幕末に秀忠の改易ラッシュの恨みは引き継がれていきます
悠理ちゃんと相性いい将軍は徳川綱吉❤
中西さん、着物👘の似合う上品な感じの美人❤ 進行も すごく上手い👏
概要欄江戸にいる秀吉にも出陣命令は草
江戸に取り憑く秀吉
豊臣家との決戦に秀吉に出陣要請はシュールすぎる。
😊
戦国大名は奥さんがたくさん居て子どもも山ほど居たし乳母も居たから今現代の親子関係とは全然違うものでしょうねー
個人的には秀忠が豊臣家つぶしにこだわったのは、あくまでも将軍ゆえの責務からくる判断もあったんじゃないかな〜
秀忠は幼少期豊臣家で過ごした事もあり、その時に高台院に手厚くもてなされた事もあって、秀忠と高台院って凄く仲が良くて上洛するたびに顔を見せるほどに。(平姓杉原氏御系図附言纂)
また秀忠も秀吉から貰った"秀"の字を豊臣家を潰した後でさえ生涯通じて名乗ってるし
べつの動画で小和田先生も言っていたが、秀忠個人としてはある程度、豊臣家には思いというか情というものがあったのではないかな〜
偉大な父家康のプレッシャーで、何をやっても良くて当然、失敗すれば跡継ぎらしくないと断罪されてしまう辛い立場です。関ヶ原の戦いでの遅参は、天候不良と家康との連絡の不手際、経験不足と理由は多く、初陣では無理もないのかもしれませんが、家康の跡継ぎとなると余計にその失態を責められたのでしょう。大坂の陣では今度こそ汚名返上を!とはりきったのでしょうが、状況が関ヶ原の戦いと違う点を見極められず、大軍を急がせ疲弊させてしまい家康をまたも激怒させる、悪い人ではないのにちょっとタイミングの悪さを感じてしまいます。彼自身自分が平均的人間であり、カリスマ性や才気ある者ではないと自覚していたと思われます。豊臣家滅亡を強く主張したのも、目障りとなる可能性の高い家を父の存命中に今滅ぼす必要性を感じてのことでしょう。そのためには、娘の夫、妻の姉を犠牲にできる必然性を彼は抱いていたのだと思います。だからこそ、父家康の死後は将軍の権威を高め徳川家の永続性を第一に、独自性も加味しながら進めて行ったのだと思います。乳母の遺言の”情で掟を曲げるな。父の教えを守れ。”をいわばそのまま踏襲し、福島ら旧忠臣や側近をも改易し、大きな勢力を持ち過ぎた大名の力を削ぐことにより幕府の体制を整えて行ったと感じます。貞観政要の”創業は易く、守成は難し”は確かに正しいですが、私にはどこか恩義や家臣との繋がりに薄い人物に見えてしまいます。
人の上に立つ者は、心に一匹の鬼を飼わねばならん。
事と次第によっては、妻や子を捨てねばならん。
真に頼むべくは身内にあらず。
忠義の家臣と心得よ。
市井の根本は理非曲直に非ず。
裁判などどうでもよい。
勝たせたい方を勝たせればよい。
徳川家の役に立つ方を残せ。
「葵・徳川三代」で家康(津川雅彦)が秀忠(西田敏行)に述べた上に立つ者の心得?です。
「やりすぎた武断政治が300年の徳川の世を作りあげたが、明治維新で多くの大名が離反した」という見解はいたく納得です。
『徳』という観点、、薩長土肥、多くの諸大名を臣従させていても心服はさせていなかった・・と、
『徳川を倒すのはまだでございますかっ!!』 という長州藩の年始の行事、 歴史の妙を感じます
文治政治に変わってるけどね
家康として出来の良すぎる息子より、つっこみどころがあってかわいかったのかも
できのいい長男が反乱起しかけたのも見てるし
そもそも 家康が真田攻略に攻略に行っても失敗してる可能性がかなり高いのに初陣の秀忠に向かわせせるのは家康のミス か
秀忠ミス前提で最初から作戦立ててると考えるのが普通
家康は真田はスルーしろって秀忠に言ったのよ
なのに秀忠は挑発に乗ってしまった
そう最初から信濃平定は家康の指示だったからね。それをいきなり関ヶ原に急行せよは無茶苦茶😮
モジャ夫が色々やらかしてるから脳科学者って聞くと笑っちゃうんだよなw
秀忠からすると「ハラホロヒレハレ」ってな感じて関ヶ原、大坂冬の陣の2回ともテンパってたのでしょうね😅
二つとも敗北には当たらないと思うけどなあ。
特に2回目は…
福島正則や最上家を取り潰した一方
甥の松平忠直や弟の忠輝には温情を示してる
やっぱり身内は可愛かったのかな…?
もしかすると、大阪の陣で秀忠が家康を暗殺してたのかも。
この人ってお父さんの家康よりお父さんと戦った三成の方に性格似てますよね。俺はそう思います。
御先祖様は秀忠の与力で真田と戦い息子は大阪城冬、夏陣で功績をあげ大名各になってますね。
家康が長生きでよかったのかな
天下が定まらないうちは秀忠だときびしいか
上田城「中には誰もいませんよ?」
秀忠『やってもうたー‼』
兵的優位があるとはいえ、20歳そこそこの戦初心者が百戦錬磨の真田正幸相手はしんどかったね。
家康もそうだけど、もうこの時の老将は何十年と戦国の世を生き抜いた化け物しかおらんでしょ。
どちらも失態といえば失態だが、関ヶ原の件はともかく大阪の陣の件は番組で取り上げられるほどの失態と言えるかは疑問
秀忠の軍監として従軍してた榊原康政の失態でもある
なんか親近感を感じる人物ですね!(笑)
概要欄ミスってるぞ
修正してください
中西さんの秀忠が若いころの戦績が華々しかったら、という指摘は納得しました。それこそ秀康ではなく秀忠が選ばれた要因だと思います。
伊東さんおっしゃられた武断政治に対する評価もその通りですね。その後の由井正雪の乱などの要因にもなっています。
先生の秀忠への評価辛口だけど愛情を感じます。
あなたが愛情深く優しいからだとおもいます
信長の野望結構政治数値高い野望も高いが関ヶ原遅延豊臣家断絶嫁の姉見殺しやはりだいぶきつそう
まさか秀忠の隠し子が優秀になるとはなぁ。
これは現代社会にも言えるよな。二代目は周りの幹部が先代とやってきた人でそれの上に立つ訳だから経験も年齢も上。なぜ上に立つかというと息子だからという理由だけ。言わないにしても息子やからって思われてるだろうし
にしごうりのツボネでないの?
西郡局は北条氏直、池田輝政の妻になった娘を1人しか産んでない。
秀忠家康o型だから
ひ、で、ただ~
大河の葵の場面を思い出しました。
津川さんの「顔も見とうないわ❗」(関ヶ原後)と「阿呆❗…。」(大坂の陣前)
教訓は、いつも的を射てますね。
自分も安心して胡座をかきやすいので気を付けます。😅
最近は長年、過小評価を受けてきた武将の再評価が盛んですが伊東さんの秀忠評が厳しいのが意外でした。
武田勝頼、今川義元、松永久秀などは正当に評価されてこなかった反動で、逆に過大評価をしている人を見かけます。
伊東さんが近頃の風潮に便乗せずに冷静に分析されていたのが良かったです。
親子関係は強かった。だから人質として子息を送る外交も成立していた。
中西さんがかわいい🩷
生後、すぐに嫡子を意味する竹千代と名付けられている。信康事件は、秀忠(新・竹千代)を嫡子にするためのものだったと思いますね。
千鳥ノブみたいな顔やな
秀忠は改易が厳しいというが秀忠時代に復権した者も多い。
伊藤さんの「ぎすぎすした江戸時代」というのは古い通説観であるが、一方で統治の役割を担う武家に緊張感があるのは家康からすれば当然。緊張感がなくなると現在の自民党のようになってしまう。
また秀忠・家光時代から文治政治への移行もすでに始まっている。
ただ、改易された家中の旧臣たちに関して、家康時代は幕府が加増大名へ旧臣たちの召し抱えを命じて再就職ができたのに対して秀忠・家光時代になると太平の世の道筋が見えてきたので大名たちが召し抱えを渋り、幕府も召し抱えや帰農を強要できなかった。
そのため浪人があふれ由井正雪の乱につながり、家綱時代になると保科正之の意見に松平伊豆守も折れて末子養子を認め改易が減った。それをもって後世に文治政治への転換と言ってるだけ。
やってることは金正恩と大差ないな
一度あることは二度あるってことわざがあるから、努力と知識で乗り越える為にやってきても結果が報われないとどんな人間でも精神が病む。
酒はアルコール中毒になるから必要なのかなって思っていたけど、こんな世の中には必要不可欠な存在だったのかな?
あのぼんやりはあかんな
改易やり過ぎだと思う
デビュー戦の相手が真田だもんな。相手が悪すぎた。
家康が偉大か?凡庸だろう。ただ長生きしただけでチャンスを得たにすぎない。
解説してる人、西郷隆盛やん
言われてみたら確かにそうだ!