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いい動画でした。歴史の授業もこういう軽快な授業をしてくれたらもっと歴史好きも増えるだろうに
今までいろいろな動画で見た官位、官職でしたがいつも結局よく理解できなかったので、この動画が一番はっきり説明されていてよく分かりました。こんなに込み入った事象なのに、現在の役職や地位で解説下さるとはっきり頭に入って来ます。具体的な例示や都度都度出る図式化が、理解を深めてくれます。三位の説明では、韓国語の例から古代の発音まで説明されていて、納得の思いです。
左右の話ですが、天皇は南を向いて座るため、天皇から見て左手にいる左大臣は東、右大臣は西になります。東は日の出の方角、西は日の入りの方角なので、東のほうが格上、したがって左大臣が格上なんですね。大相撲の番付でも東西では東が格上なのも、同じ理由です。ところが、降格されることを「左遷」と言いますよね?これは、天皇と相対して北を向いている臣下の側から見た場合、降格されると東側から西側に移る、つまり右から左に移動する、「左遷」なんです。
なぜ、左遷だけ見る方向が変わるんだろうか、その疑問が残る昔の中国は右の方が格上で左遷はその頃にできた言葉だから、の方がまだスッキリする
京都市も地図で見ると、左が右京区で右が左京区。通常地図は北が上だけど、天皇と同じく南面してみると右が右京、左が左京になる。天子は南面し、臣下は北面す。左右の貴賤は中国でも時代によってころころ変わってるので、左を卑しんでいた時期に左遷という言葉ができたというだけ。
なるほど、納得
項羽が劉邦を漢中に厄介払いするときに『左遷』って故事成語になったとか。しらんけど
福岡県民です。現在の「太宰府」と古の「大宰府」の漢字の違いは、歴史好きなら当然知っている事····なんだけど、知らない人も居ますね。しかし、知れば知る程大宰府政庁って、都から遠いのに大変な勢力だったのですね〜。そういえば、太宰府天満宮に祀られている菅原道真公も、太宰権帥として左遷されて来ましたね。それにしても、高校時代に習ったが、忘れてしまっている言葉が次々と出て来て、物凄く勉強になりました。
太宰府権帥は防衛のトップです左遷は表向きで民度の低い外国と付き合う必要がないので菅原道真は遣唐使を廃止しました
治部と聞くと石田三成、刑部と聞くと大谷吉継がどうしても思い浮かんでしまいます😅
わかりやすく、しかもテンポと活舌が良く、教科書だけでは知りえない内容、光る君へを観ていてなるほど納得しています。
とてもわかりやすくて、一層「光る君へ」や源氏物語が楽しめるすばらしい動画でした。次の動画も楽しみにしています。
還暦すぎて、改めてこちらで日本史を楽しく学ばせていただいてます。ありがとうございます。
面白かったですちょいちょい挟まれるトリビアも含めて楽しめました半沢直樹に出てくる「出向と言えば聞こえは良いが実質的には左遷」みたいなことが当時にもあったんですねぇ
いやあ~一気痛快❗️でした。わかりやすい動画ありがとうございます
序列を知った上で古典文学を読むと、理解が深まります。テンポ良く分かり易い解説、ありがとうございます。
今、藤原尊氏を題材とした小説を読んでおり、位の雰囲気が分かりづらく理解できない所がありました。この動画でかなりすっきりしました。
中納言といえば関西の活伊勢海老料理屋の名前として昭和末期にTVCMに上がっていました関西で50代以上の方でしたら記憶があるかとおもいます
わー 懐かしい✨ 夫との初デートが中納言でした。❤
話変わりますが、初期の水戸黄門って、先の中納言、水戸光圀公にあらされるぞ。」って言ってましたよね。
解説を分かりやすくするための工夫が施されていますね。お見事👏👏👏
復習できた部分と初めて知った部分がありとても為になりました
難しかった、意味不明だったことが理解できました。ありがとうございました。
大変勉強になりました、面白く拝見ありがとう御座います!
わかりやすい、この手の話は、とにかく、わかりやすく、やるのが、よい!
中世日本社会を垣間見たようで非常に参考になりました!これ等を参考に紫式部の描いた光る君への階級制度を見ながら面白さも深まりますね!感謝。
こう言う教育的TH-camチャンネルでテキストがあったらさらに勉強になりますね。
ためになりました
涙が出るほどわかりやすかったです!ありがとうございます!
セピアさんこんにちは!光る君とても面白いですよね!源氏物語に平安の文化、装束等々大好きですが歴史上の人物はメジャーな人しかわからず、セピアさんの平安時代関連の動画で勉強しています!今回の官位もおもしろいですね。源氏物語では皇子でありながら臣下となった光源氏でしたが息子の夕霧にはさらに官位を低く就職させています。私としては位の高い父の子は位が高いのは当たり前(武士などはそういうパターンが多いですね)に思っていましたがちゃんと䕃位の制という制度があったことに驚きです。息子には薔薇の道を歩ませ逞しく育ってほしいという光源氏の親心なのでしょうが当人はたまったものでは無いでしょうね。余談ですが九州にとても珍しい苗字の方がいてとてもお金持ちなのですが、動画で国司の官位名と同じ苗字だと知り大変驚きました。そりゃお金持ちですね。長くなりましたがとても面白かったです!次の動画も楽しみにしていますね!
明解な解説でよく理解できました。ありがとうございます。チャンネル登録させていただきました。
今回も楽しく勉強させて頂きました😄聞いてみないと思っていた事と違ったりしてました次回も楽しみにしています♪
今でこそ飾る場がなくなり少なくなった雛飾りの謎が解けた私がいますw私たちの世代は7段飾り以上が普通の田舎民だったので、右大臣、左大臣とか色々の役職の雛人形がありました。人形の置き場所は当たり前にあったので順番とか気になってたのもありました。今度、この話を雛人形の雑学として職場で使ってみたりして…😊
とても勉強になります。歴史をもっと知りたくなるし、現代への繋がりの気付きにもなります。
子供の頃から夢中になって読んできた歴史漫画の中の知らなかったことが全部ここに!凄い楽しくて夢中で観てしまった😆
楽しい講義をありがとうございます。なるほど、令外の官は久し振りに聞きました。現在の日本では、さしずめ自衛隊ですね。基本法に臨機応変加えて行けば何とか格好がつくもんですね。不比等が採用しなかった科挙制度も納得ゆきます。実力採用主義を許さない体質も。藩閥政治や二世議員の横行はその名残りですね。😂
面白かったです!当たり前のように歴史物に出てくる役職名なんとなく分かってるつもりでしたが勉強になりました😆後の時代に出てくる官職も元々あったものと思うと壮大な伏線みたいに思えます
左右で気になるのは「左遷」。左が下位のとき?初期の水戸黄門のドラマでは「前の中納言」と言ってたな。いつの間にか「前の副将軍」と「えっ?何それ、幕府にないよね。」になってたな。
左遷は中国の故事に基づくらしいんだけど史記が出典だとかいや違うといったり様々な説があるそうな一応史記だとしたら当時は前漢で右に出る者がいないと同じ右優位で左下
@@SGPlo確か劉邦が漢中へ移された事が由来で有ったような感陽から見ると左になるから
大河ドラマで、出てくる貴族の官職が、良くわかりました。 令外官のことも解らなかったので良くわかりました。
歴史を学べるいいチャンネル見つけたー!と、楽しく勉強できました。ありがとうございました。表情の使い方が瀬戸弘司さんに似てて、それも魅力的でした。
中学生の頃 国語便覧で覚えたなぁ五衛府も近衛府が令外官ですよね元々六衛府で左右兵衛府と左右衛門府と左右衛士府だったはずこういう揃ったのが好きだったなぁ
江戸時代で言えば、江戸徳川宗家(将軍家)が征夷大将軍と左大臣か右大臣を兼務。尾張徳川家は大納言、水戸黄門でお馴染みの徳川光圀は権中納言などで覚えてます。解説の内容が面白かったのでチャンネル登録させていただきました。
大納言は「大いに言を納める者」。つまり「天下のご意見番」みたいなもの。だから武士政権では親戚が案ることが多いような・・ヒデヨシの大納言は弟の秀長、家光の大納言は駿河大納言w 吉宗の大納言は尾張。
学生時代にセピアさんの丁寧なゼルダの実況が好きで(特に風のタクトとムジュラの仮面)拝見していました。あれから7,8年経ち、今回の大河ドラマが気になって検索したら、こちらのチャンネルに行き着きました。こんな形でまたセピアさんを拝見することになり感動しています!相変わらず分かりやすくて丁寧で、本当尊敬です。大宰府は点をつけてしまいました〜笑次の動画も楽しみにしてます!
風タクの終了後ラジオめっちゃ好きだったなー
今日もおもしろく、勉強させていただきました。ありがとう♪セピア
大宝律令のルーツはもっと前の時代からありましたよね。7世紀に天智天皇が年号を「大化」の名前で初めて制定し、律令制度を目指し、大化の改新の内乱から天武天皇がさらに律令制度を進め、持統天皇へと受け継がれた。その結果、大宝律令というとても大きな制度が集大成として出来上がったのです。その間に、官位も推古天皇の12階位から途中48まで増え大宝律令では30階へ。律令制度は今の日本のシステムのベースにあります。7世紀から21世紀まで本当に長い歴史だと感じます。
日本という国・国民は、制度が実態に合わなくなって7割が賛成して変更しようとしても、3割の変更すると損をする層・組織が猛烈に反対して変更できない。 そこで、例外を設ける(解釈を変える)=令外の官。 現代では「 憲法9条 戦力を持たない 」で、令外の官として「 自衛隊 」を創設した。 自衛だから「 戦力(=積極的な攻撃 )」ではない・・ということで。
ご所見、興味深いと思います。ただ個人的な意見で、日本の保守性に対するご所見には中立ですが、憲法9条の例は違うのでは?少なくとも、「国民」には該当しないと思います。9条に軍隊を明記したい派=大多数、明記に反対派=少数派で成り立つ論理の例示ですが、現状割合は逆に思います。しかも、国民投票では7割近くが賛成すれば、必ず改正は通ります。つまり、国民という分母では、少数派の反対で変更が通らないわけではなく、そもそも多数派の意見がまだ賛成に至ってないように思えます。議会の発議は多数派が少数の反対派に配慮している構造なので該当するかもしれませんね。ただ本質は結果、まだ国民投票で賛成多数を得られないから発議してないと思うので、構造が違うかなという印象です。
長々と失礼しました笑一応言っておきますが、私は改正反対ではないので、この主張に一切の政治的な意図は含みません。ただ例示が正しいのか、気になったので意見したまでです。
右、左と考えずに上と下で考える事も大事です。
面白い!中学の時の日本史の先生に話し方がそっくり!
すごく面白いです!
面白かったです。なるほど、なるほど。
めっちゃ分かりやすい
大宰府、思いっきり「太いっていう字に〜」と答えました(笑)
朝議=重役会議天皇=創業家関白=相談役太政大臣=会長左大臣=社長右大臣=上席副社長内大臣=副社長大納言=専務中納言=常務参議=役員みたいな感じかと
時代劇を観てると大膳や掃部とか出てくるけど、文字からすると食事や掃除の責任者みたいな感じですかね
戦国時代の武士につけられていた官位についてイメージがつきやすくなった。これで信長の野望の内政もはかどるね。
八省、言えるのすごいですね記憶力、いつも感心しています
大宰府。間違えたw右大臣って明治の最初まであったんだよなあ。すげえわ。勉強になりました!
律令制度時代にはなく後に新設された役職をあらわす令外官は歴史用語なのかそれとも当時からそう言われていたのか。法的にはあくまで暫定的な役職扱いだったとかはありそうではある。
日本の歴史って結局どの時代であっても古代の律令を理解してないと本質がわからないことがたくさんある
詳しくない人にも分かりやすい解説で面白かったです『科挙』制度は日本の『分相応』を良しとする風潮に合っていたのでしょう成り上りを許すと下剋上を容認する事になりますから
そんなの後付けでは、最初に科挙があったら考えも変わっていたのでは。既得権を守りたい藤原氏の考えが透けて見える。分相応は上に立つ者にとっては下剋上がでてくるまで都合よかった。天下太平(江戸時代)になるともとの分相応。しかし江戸時代識字率が高かったのは驚異的。日本人真面目だな。
分かりやすかったです。ありがとうございます。ところで先週の大河ドラマで岸谷五朗さんに対し「そちを式部の蔵人頭にしてやってもいいぞ」という台詞があり「???」でしたが、あれは何だったのでしょうか。
なぜ出先機関として大宰府が設置されたのか?それは、七道の中で西海道だけが畿内に接していないので出先機関として大宰府が設置されました。という解説も入れて欲しかった。
おすすめに出てきて初めて拝見しました。板書はご自身で書かれているのでしょうか。字が上手すぎて目が離せなかったです。惚れ惚れする字ですね。
貴族(下級)の職務は現代で言うブラック企業だったと聞いた事があるのですが、この辺りも動画にして欲しいです。22:00藤原不比等の読み方も「ぷぢぃぱらのぷぴちょ」だったかもしれないと言語学系の動画で言っていました。
ありがとうございます。登録しました。
司馬遷の「右に出るものなし」は、次席の右側に並び立つもの、競争者がいない=左にいるものの独走、と習いました
私は江戸時代の頃の朝廷にあった省庁(大蔵省や中務省等)はどう言う仕事をしていたのかが気になっています。(禁中並びに武家諸法度で実権が取り上げられていたので)また明治の頃の文武両官の位階と役職の対応が知りたいです。従五位で武官なら陸海軍少将、文官で道府県知事とか。それと明治政府にも科挙がありました。その頃は「科挙」と言わず「高等文官試験」と言っていました。
源氏物語の世界は、その時代のホンのひとつまみの人達のお話なんですね。
左の方が格上となる理由だが、内裏は京の北辺にあって帝は南を向いて御着座されるので(天帝は北辰に座して南面す)このとき、帝から見て日の昇る東側となるのは左側であるが故に左の方が格が高いとされたんじゃなかろうか?
荘園について教えていただきたいです
「大納言」小豆の名は、煮ても皮が破れにくく、いわゆる「腹切れ」しない特徴があることから、切腹の習慣がない公卿の役職:大納言に由来するとか。
大変面白く、勉強になりました(ᵔᴥᵔ)
太政官、太政大臣の呼び方は、江戸期までのものは“だいじょう”と読み、明治維新以降のものを“だじょう”と呼称する。と、山川出版の教科書か参考書で読んだ記憶があります。ふたつは別物、と言うことなのかもしれません。
有難うございました。左>右もやはり自分の感覚としては不思議です。また、大>中>小ではなく、大>中>少であること、これもなんとなく違和感が残ります。漢字の本家の中国では? とすぐに気になってしまいます。
官職の話はおもしろい。セピアイズムで源氏長者をネタに動画作ってほしいです。
三位から思い出しました。新橋駅の表示は「SHIMBASHI」と書かれていて「SHINBASHI」では無いと見た事があります。やはりつながりがあるのでしょうかね。
ここに自称の東百官が入ってくるからまためんどくさいし面白い
追記。確かに組織図ですと左右はあまり気にしないようですね。失礼致しました。
韓流歴史ドラマを見ますが左議制とか右議制とかが表示されますが左大臣、右大臣の様な感じの高官なのかな。韓流では高官はテガンとかヨンガンってよんでますが、日本での高官の呼び方は有りますか。
ミスター武士道の方も見たけど、こっちの方がずっと分かりやすいし面白い。
こう、動画序盤を見てたときは遣唐使が「海外はこういう施政してたからこれを参考にするべ!」って言っても当時の位が高い人なんかは絶対に首を縦に振らなかったんだろうなあ。どうやって丸め込んだんだろうなあと思っていたけど。動画後半の解説聞いて納得しました。
紫式部のお父さんは式部丞?でもそのお父さんお爺さんと遡れば中納言?とかでもあったはず。要するに代を経るごとに子孫は増えライバルも増え出世争い世渡りに負け徐々に落ちぶれていった、という認識でよろしいでしょうか。
凄く詳しくよく分かります。ただ、図面のことでつまらないことを言ってすみませんが、左大臣と右大臣ですが左右は天皇がこちらに正面を向いて座った状態での左手側が左大臣、右手側が右大臣です。ですので、官職の図面はこちらから見て右側に左大臣、左側に右大臣と書いて頂いた方が良いと思います。
面白い,年少の頃に少しでも、聖徳太子や卑弥呼や年代記(まんが)みてたら、はあく出来るので最高です。ゼロからの歴史塾♡ セピアだった最高w
書物が冊子式ではなく巻物だった時代人事を記載するときは当然上位の者から名が書かれる。つまり左に書かれるほど役職が下がる。「右に出る」「左遷」(左に遷す)が理解できると思う。一方、役職、役職は誰のためにあるか?左大臣、右大臣などは天皇に仕える。よって天皇から見て右、左なのである。ちなみに「天子南面す」であるので天皇は南向きに政務を行う。だから京都の場合東が左京区、西が右京区となる。
右に出る者はいないについてですが、天皇から見て左大臣の右に出る者はいないの意味かなと思っていました。官職の意味づけを勉強するの楽しいですね。
大宰権帥は左遷された者や流罪になった者が任命される官職とは限りません。少なくとも藤原隆家は自ら望んで赴任しました。むしろ、上流下位〜中流貴族にとっては魅力のある官職でした。
蔭位の制を聞いて、SAMSUNGなどの財閥系企業の社員の子弟がほぼ無条件に財閥系企業に就職できることを思い出しました。
爵位も元は天子が所有していた召使いの役職だったらしい。時代が下って世襲されるようになったとか
そういや、徳川幕府の時代に紀州家と尾張家が大納言で水戸家が中納言ってどゆこと?ってずっと思ってた。
紀州と尾張からは将軍をたてられけど、水戸からは将軍をたてられないから御三家の中でも水戸は格下。その代わり、参勤交代を免除されたりという特権が水戸にはあった。慶喜は優秀だけど水戸家の出なので、そのまま水戸家からは将軍にはなれないので、御三卿である一橋家の養子となって将軍になった。
戦車ではないかと・・・戦車の左後方に主人、右後方が「右」と呼ばれる戦士。だから「右に出る者がいない」戦士として現「右」が最強、でも位は主人たる左のほうが上だと・・
戦国大名にも治部とか刑部とかいて設置された平安時代とは全く変質してるかもしれないけど発端はそこだったんですね。さらに、発端の征夷大将軍が田村麻呂で蝦夷制するためにというのもあって鎌倉以降は武士のトップという変質もあってこんなにも歴史の繋がりを感じる回は初めて聞きました😊
織田上総「介」信長もでてきますね。上総「守」じゃなかったのは上総は親王任国といって守には皇族しかつけなかったから自称でもだめだったんですね織田弾正忠信秀の弾正忠も令外官で従五位下の自称(織田弾正忠家の家称?)で、信長が弾正忠としてその後に正式に叙任もされてたはず
NHKの時代劇「雲霧仁左衛門」で座敷の上座に京都所司代が座り、大納言が下座にすわっていて強い違和感を感じた😂。NHKの時代考証担当者が間違えるとは思えず、ワシが浅学なのかな?
公家や朝廷を扱ったドラマがわかりづらいのはこの官職名の読み方、その役職の仕事内容。身分をあらわす従一位(じゅいちい)だの正三位(しょうさんみ)それに役職がスライドするという仕組みがなお一層わかりづらくしている気がします。例えば正三位なら大納言という役職がついてくるとか。これがわからないとどちらが上なのかがわからなくなる。そして、その官職名が実名になっていたりするからややこしい。また、その官職を引退した人を中国名の呼び方をするし、豊臣秀吉が関白となり、引退してからは唐名の太閤を名乗って太閤豊臣秀吉。太閤と言えば、秀吉のことだと思っている人も多いですが、関白を引退した人の呼び名ですから一杯他にもいます。あとおなじみの徳川光圀のことを黄門というのは、従三位中納言を引退した人を唐名で黄門というのです。日本史用語集の官職編を見ながら、ドラマをエンジョイしてみるのもいいですね。
もったいないもっと細分化して、深掘りした方が、再生回数も伸びるだろうたぶん、一気に詰め込みすぎこういうのが面白い側からするとものすごくおもしろかったありがとう
左大臣、右大臣は元々天皇視点の呼び方。右が上という考え方は、明治以降に西洋から入ってきたもので、それ以前は左が上だった。その理由は、南面している天皇からみて、太陽が昇ってくる東が左で、沈む西が右だからといわれている。右に出るものがいないという言葉は、昔の軍隊から生まれた言葉で、兵士は右手に槍や矛などの武器、左手に盾を持って戦うため、隊列を組んだとき、右から二列目以降は、自分の右側を味方の盾が守ってくれるが、一番右側の一列だけは、右側を守る盾がないため、軍の中でも選り抜きの精鋭が務めるのが常だったことから、右に出ものがいない→一番右側→最も優れたものという意味になった、という話をどこかで読んだ気がする
当時は今みたいにネットとかないし世襲の方がノウハウとか伝えやすいから仕方ないが今は…
蔭位の制か。確かに特に三位以上の人間の子供に生まれればまあ勝ち組ですが天然痘やインフルエンザとかに罹ればまずあの世行きの時代ですからそんな時代には生まれたくないですねえ。
「財務省」より「大蔵省」のほうが重みがあって好きです。財務省に変更された時はガッカリしました。「蔵人」は音的に好きです。
今からでも大蔵省に戻して欲しいですね。
大納言は、高級なあんこ のことでしょ。
大政官かっこいい🫶👍内大臣
客席から見た時の左右と、ステージ側からの左右の違いなんじゃないかな? 「右に出る」は帝から発する風景ではないよね。それに対して「左大臣」は帝から見てにしないと当然「不敬」なので、帝から見て左大臣は、下々から見て右に出るもの という言葉になるんじゃない?
その考え方は感覚的に凄く腑に落ちます毎年お雛様を飾る時に「右大臣左大臣はお内裏様から見てだからお爺ちゃんの左大臣が向かって右」とブツブツ言っているのでそれで左近桜右近橘でももう一回同じことをしてしまうのです
通常帝や将軍は南向きに座り、左側から重臣を右側と交互に配置します。そのため左=東になり、相撲でも東の横綱が最上位です。
@@ktojs.4895 新しい知見に感謝しかない。
@@dataunited7796 京都市の左京区は旧平安京より南を向いた時の左側です。つまり東側ですね。余談ですがこのような左右の関係上、相棒の杉下右京を東大卒の育ちの良い天才のキャラクターとするならば、『杉下左京』の方が良かったかもですね笑
中国でも時代によって変わるって動画で言ってましたよね。
紫式部が官職についてたのかと思ってました😂ほんとに大昔は女性の扱いがいいかげんですね!
前漢も左大臣の方が上なんじゃね?劉邦亡き後の呂氏のゴタゴタ時に左大臣の方が上みたいな扱いされてたような
省に置かれた四等官は、すべてその省に置かれたものです。その省の局長や部長になるのではありません。省の被官である寮や司にも各々四等官が任命されています。
左大臣が実質トップというのは藤原道長・頼通父子が太政大臣より左大臣の時期の方が長かったことからも証明できるのう!
わかりやすかったです😊ありがとうございます!一台五衛府も確認してみました!清少納言の小納言、吉良上野介の大石内蔵助が最期に言う「吉良少将の少将でございますな」の少将の意味、武田信玄の家臣の鬼美濃や高坂弾正の美濃や弾正の意味、あれ?上杉謙信も弾正?徳川家康は令外の官の征夷大将軍で内大臣?とか、大石内蔵助もそうですが位が低そうでも◯◯玄蕃とか◯◯内匠とか◯◯●●右衛門とか◯◯●●兵衛とか、なんか、そのあたりの意味も教えてほしいですm(__)m昔じいちゃんと時代劇観ていたときのことを思い出していました笑
これ、現代日本の政治家世襲構造に似ていますよねぇ。それを律する国民が権利を行使しない結果ですかぁ。
いい動画でした。
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天子は南面し、臣下は北面す。
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現在の「太宰府」と古の「大宰府」の漢字の違いは、歴史好きなら当然知っている事····
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今度、この話を雛人形の雑学として職場で使ってみたりして…😊
とても勉強になります。歴史をもっと知りたくなるし、現代への繋がりの気付きにもなります。
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面白かったです!
当たり前のように歴史物に出てくる役職名なんとなく分かってるつもりでしたが勉強になりました😆
後の時代に出てくる官職も元々あったものと思うと壮大な伏線みたいに思えます
左右で気になるのは「左遷」。左が下位のとき?
初期の水戸黄門のドラマでは「前の中納言」と言ってたな。いつの間にか「前の副将軍」と「えっ?何それ、幕府にないよね。」になってたな。
左遷は中国の故事に基づくらしいんだけど史記が出典だとかいや違うといったり様々な説があるそうな
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大河ドラマで、出てくる貴族の官職が、良くわかりました。
令外官のことも解らなかったので良くわかりました。
歴史を学べるいいチャンネル見つけたー!と、楽しく勉強できました。
ありがとうございました。
表情の使い方が瀬戸弘司さんに似てて、それも魅力的でした。
中学生の頃 国語便覧で覚えたなぁ
五衛府も近衛府が令外官ですよね
元々六衛府で左右兵衛府と左右衛門府と左右衛士府だったはず
こういう揃ったのが好きだったなぁ
江戸時代で言えば、江戸徳川宗家(将軍家)が征夷大将軍と左大臣か右大臣を兼務。
尾張徳川家は大納言、水戸黄門でお馴染みの徳川光圀は権中納言などで覚えてます。
解説の内容が面白かったのでチャンネル登録させていただきました。
大納言は「大いに言を納める者」。つまり「天下のご意見番」みたいなもの。
だから武士政権では親戚が案ることが多いような・・ヒデヨシの大納言は弟の秀長、家光の大納言は駿河大納言w 吉宗の大納言は尾張。
学生時代にセピアさんの丁寧なゼルダの実況が好きで(特に風のタクトとムジュラの仮面)拝見していました。あれから7,8年経ち、今回の大河ドラマが気になって検索したら、こちらのチャンネルに行き着きました。こんな形でまたセピアさんを拝見することになり感動しています!相変わらず分かりやすくて丁寧で、本当尊敬です。
大宰府は点をつけてしまいました〜笑
次の動画も楽しみにしてます!
風タクの終了後ラジオめっちゃ好きだったなー
今日もおもしろく、勉強させていただきました。ありがとう♪セピア
大宝律令のルーツはもっと前の時代からありましたよね。7世紀に天智天皇が年号を「大化」の名前で初めて制定し、律令制度を目指し、大化の改新の内乱から天武天皇がさらに律令制度を進め、持統天皇へと受け継がれた。
その結果、大宝律令というとても大きな制度が集大成として出来上がったのです。
その間に、官位も推古天皇の12階位から途中48まで増え大宝律令では30階へ。律令制度は今の日本のシステムのベースにあります。7世紀から21世紀まで本当に長い歴史だと感じます。
日本という国・国民は、制度が実態に合わなくなって7割が賛成して変更しようとしても、3割の変更すると損をする層・組織が猛烈に反対して変更できない。 そこで、例外を設ける(解釈を変える)=令外の官。 現代では「 憲法9条 戦力を持たない 」で、令外の官として「 自衛隊 」を創設した。 自衛だから「 戦力(=積極的な攻撃 )」ではない・・ということで。
ご所見、興味深いと思います。
ただ個人的な意見で、日本の保守性に対するご所見には中立ですが、憲法9条の例は違うのでは?少なくとも、「国民」には該当しないと思います。
9条に軍隊を明記したい派=大多数、明記に反対派=少数派で成り立つ論理の例示ですが、現状割合は逆に思います。しかも、国民投票では7割近くが賛成すれば、必ず改正は通ります。つまり、国民という分母では、少数派の反対で変更が通らないわけではなく、そもそも多数派の意見がまだ賛成に至ってないように思えます。
議会の発議は多数派が少数の反対派に配慮している構造なので該当するかもしれませんね。ただ本質は結果、まだ国民投票で賛成多数を得られないから発議してないと思うので、構造が違うかなという印象です。
長々と失礼しました笑
一応言っておきますが、私は改正反対ではないので、この主張に一切の政治的な意図は含みません。ただ例示が正しいのか、気になったので意見したまでです。
右、左と考えずに上と下で考える事も大事です。
面白い!中学の時の日本史の先生に話し方がそっくり!
すごく面白いです!
面白かったです。なるほど、なるほど。
めっちゃ分かりやすい
大宰府、思いっきり「太いっていう字に〜」と答えました(笑)
朝議=重役会議
天皇=創業家
関白=相談役
太政大臣=会長
左大臣=社長
右大臣=上席副社長
内大臣=副社長
大納言=専務
中納言=常務
参議=役員
みたいな感じかと
時代劇を観てると大膳や掃部とか出てくるけど、文字からすると食事や掃除の責任者みたいな感じですかね
戦国時代の武士につけられていた官位についてイメージがつきやすくなった。これで信長の野望の内政もはかどるね。
八省、言えるのすごいですね
記憶力、いつも感心しています
大宰府。間違えたw
右大臣って明治の最初まであったんだよなあ。すげえわ。
勉強になりました!
律令制度時代にはなく後に新設された役職をあらわす令外官は
歴史用語なのかそれとも当時からそう言われていたのか。
法的にはあくまで暫定的な役職扱いだったとかはありそうではある。
日本の歴史って結局どの時代であっても古代の律令を理解してないと本質がわからないことがたくさんある
詳しくない人にも分かりやすい解説で面白かったです
『科挙』制度は日本の『分相応』を良しとする風潮に合っていたのでしょう
成り上りを許すと下剋上を容認する事になりますから
そんなの後付けでは、最初に科挙があったら考えも変わっていたのでは。既得権を守りたい藤原氏の考えが透けて見える。分相応は上に立つ者にとっては下剋上がでてくるまで都合よかった。天下太平(江戸時代)になるともとの分相応。しかし江戸時代識字率が高かったのは驚異的。日本人真面目だな。
分かりやすかったです。ありがとうございます。
ところで先週の大河ドラマで岸谷五朗さんに対し「そちを式部の蔵人頭にしてやってもいいぞ」という台詞があり「???」でしたが、あれは何だったのでしょうか。
なぜ出先機関として大宰府が設置されたのか?
それは、七道の中で西海道だけが畿内に接していないので出先機関として大宰府が設置されました。
という解説も入れて欲しかった。
おすすめに出てきて初めて拝見しました。板書はご自身で書かれているのでしょうか。字が上手すぎて目が離せなかったです。惚れ惚れする字ですね。
貴族(下級)の職務は現代で言うブラック企業だったと聞いた事があるのですが、この辺りも動画にして欲しいです。
22:00
藤原不比等の読み方も「ぷぢぃぱらのぷぴちょ」だったかもしれないと言語学系の動画で言っていました。
ありがとうございます。登録しました。
司馬遷の「右に出るものなし」は、次席の右側に並び立つもの、競争者がいない=左にいるものの独走、と習いました
私は江戸時代の頃の朝廷にあった省庁(大蔵省や中務省等)はどう言う仕事をしていたのかが気になっています。(禁中並びに武家諸法度で実権が取り上げられていたので)また明治の頃の文武両官の位階と役職の対応が知りたいです。従五位で武官なら陸海軍少将、文官で道府県知事とか。それと明治政府にも科挙がありました。その頃は「科挙」と言わず「高等文官試験」と言っていました。
源氏物語の世界は、その時代のホンのひとつまみの人達のお話なんですね。
左の方が格上となる理由だが、内裏は京の北辺にあって帝は南を向いて御着座されるので(天帝は北辰に座して南面す)
このとき、帝から見て日の昇る東側となるのは左側であるが故に左の方が格が高いとされたんじゃなかろうか?
荘園について教えていただきたいです
「大納言」小豆の名は、煮ても皮が破れにくく、いわゆる「腹切れ」しない特徴があることから、切腹の習慣がない公卿の役職:大納言に由来するとか。
大変面白く、勉強になりました(ᵔᴥᵔ)
太政官、太政大臣の呼び方は、江戸期までのものは“だいじょう”と読み、明治維新以降のものを“だじょう”と呼称する。と、山川出版の教科書か参考書で読んだ記憶があります。ふたつは別物、と言うことなのかもしれません。
有難うございました。
左>右もやはり自分の感覚としては不思議です。
また、大>中>小ではなく、大>中>少であること、これもなんとなく違和感が残ります。
漢字の本家の中国では? とすぐに気になってしまいます。
官職の話はおもしろい。セピアイズムで源氏長者をネタに動画作ってほしいです。
三位から思い出しました。新橋駅の表示は「SHIMBASHI」と書かれていて「SHINBASHI」では無いと
見た事があります。やはりつながりがあるのでしょうかね。
ここに自称の東百官が入ってくるからまためんどくさいし面白い
追記。
確かに組織図ですと左右はあまり気にしないようですね。失礼致しました。
韓流歴史ドラマを見ますが左議制とか右議制とかが表示されますが左大臣、右大臣の様な感じの高官なのかな。韓流では高官はテガンとかヨンガンってよんでますが、日本での高官の呼び方は有りますか。
ミスター武士道の方も見たけど、こっちの方がずっと分かりやすいし面白い。
こう、動画序盤を見てたときは遣唐使が「海外はこういう施政してたからこれを参考にするべ!」って言っても当時の位が高い人なんかは絶対に首を縦に振らなかったんだろうなあ。どうやって丸め込んだんだろうなあと思っていたけど。動画後半の解説聞いて納得しました。
紫式部のお父さんは式部丞?でもそのお父さんお爺さんと遡れば中納言?とかでもあったはず。
要するに代を経るごとに子孫は増えライバルも増え出世争い世渡りに負け徐々に
落ちぶれていった、という認識でよろしいでしょうか。
凄く詳しくよく分かります。
ただ、図面のことでつまらないことを言ってすみませんが、左大臣と右大臣ですが左右は天皇がこちらに正面を向いて座った状態での左手側が左大臣、右手側が右大臣です。
ですので、官職の図面はこちらから見て右側に左大臣、左側に右大臣と書いて頂いた方が良いと思います。
面白い,年少の頃に少しでも、聖徳太子や卑弥呼や年代記(まんが)みてたら、はあく出来るので最高です。ゼロからの歴史塾♡ セピアだった最高w
書物が冊子式ではなく巻物だった時代
人事を記載するときは当然上位の者から名が書かれる。
つまり左に書かれるほど役職が下がる。
「右に出る」
「左遷」(左に遷す)
が理解できると思う。
一方、役職、役職は誰のためにあるか?
左大臣、右大臣などは天皇に仕える。
よって天皇から見て右、左なのである。
ちなみに「天子南面す」であるので天皇は南向きに政務を行う。
だから京都の場合東が左京区、西が右京区となる。
右に出る者はいないについてですが、天皇から見て左大臣の右に出る者はいないの意味かなと思っていました。
官職の意味づけを勉強するの楽しいですね。
大宰権帥は左遷された者や流罪になった者が任命される官職とは限りません。少なくとも藤原隆家は自ら望んで赴任しました。むしろ、上流下位〜中流貴族にとっては魅力のある官職でした。
蔭位の制を聞いて、SAMSUNGなどの財閥系企業の社員の子弟がほぼ無条件に財閥系企業に就職できることを思い出しました。
爵位も元は天子が所有していた召使いの役職だったらしい。時代が下って世襲されるようになったとか
そういや、徳川幕府の時代に紀州家と尾張家が大納言で水戸家が中納言ってどゆこと?
ってずっと思ってた。
紀州と尾張からは将軍をたてられけど、水戸からは将軍をたてられないから御三家の中でも水戸は格下。
その代わり、参勤交代を免除されたりという特権が水戸にはあった。
慶喜は優秀だけど水戸家の出なので、そのまま水戸家からは将軍にはなれないので、
御三卿である一橋家の養子となって将軍になった。
戦車ではないかと・・・戦車の左後方に主人、右後方が「右」と呼ばれる戦士。
だから「右に出る者がいない」戦士として現「右」が最強、でも位は主人たる左のほうが上だと・・
戦国大名にも治部とか刑部とかいて設置された平安時代とは全く変質してるかもしれないけど発端はそこだったんですね。さらに、発端の征夷大将軍が田村麻呂で蝦夷制するためにというのもあって鎌倉以降は武士のトップという変質もあってこんなにも歴史の繋がりを感じる回は初めて聞きました😊
織田上総「介」信長もでてきますね。上総「守」じゃなかったのは上総は親王任国といって守には皇族しかつけなかったから自称でもだめだったんですね
織田弾正忠信秀の弾正忠も令外官で従五位下の自称(織田弾正忠家の家称?)で、信長が弾正忠としてその後に正式に叙任もされてたはず
NHKの時代劇「雲霧仁左衛門」で座敷の上座に京都所司代が座り、大納言が下座にすわっていて強い違和感を感じた😂。NHKの時代考証担当者が間違えるとは思えず、ワシが浅学なのかな?
公家や朝廷を扱ったドラマがわかりづらいのはこの官職名の読み方、その役職の仕事内容。身分をあらわす従一位(じゅいちい)だの正三位(しょうさんみ)それに役職がスライドするという仕組みがなお一層わかりづらくしている気がします。例えば正三位なら大納言という役職がついてくるとか。これがわからないとどちらが上なのかがわからなくなる。そして、その官職名が実名になっていたりするからややこしい。また、その官職を引退した人を中国名の呼び方をするし、豊臣秀吉が関白となり、引退してからは唐名の太閤を名乗って太閤豊臣秀吉。太閤と言えば、秀吉のことだと思っている人も多いですが、関白を引退した人の呼び名ですから一杯他にもいます。あとおなじみの徳川光圀のことを黄門というのは、従三位中納言を引退した人を唐名で黄門というのです。日本史用語集の官職編を見ながら、ドラマをエンジョイしてみるのもいいですね。
もったいない
もっと細分化して、深掘りした方が、再生回数も伸びるだろう
たぶん、一気に詰め込みすぎ
こういうのが面白い側からするとものすごくおもしろかった
ありがとう
左大臣、右大臣は元々天皇視点の呼び方。右が上という考え方は、明治以降に西洋から入ってきたもので、それ以前は左が上だった。その理由は、南面している天皇からみて、太陽が昇ってくる東が左で、沈む西が右だからといわれている。
右に出るものがいないという言葉は、昔の軍隊から生まれた言葉で、兵士は右手に槍や矛などの武器、左手に盾を持って戦うため、隊列を組んだとき、右から二列目以降は、自分の右側を味方の盾が守ってくれるが、一番右側の一列だけは、右側を守る盾がないため、軍の中でも選り抜きの精鋭が務めるのが常だったことから、右に出ものがいない→一番右側→最も優れたものという意味になった、という話をどこかで読んだ気がする
当時は今みたいにネットとかないし世襲の方がノウハウとか伝えやすいから仕方ないが今は…
蔭位の制か。確かに特に三位以上の人間の子供に生まれればまあ勝ち組ですが天然痘やインフルエンザとかに罹ればまずあの世行きの時代ですからそんな時代には生まれたくないですねえ。
「財務省」より「大蔵省」のほうが重みがあって好きです。財務省に変更された時はガッカリしました。
「蔵人」は音的に好きです。
今からでも大蔵省に戻して欲しいですね。
大納言は、高級な
あんこ のことでしょ。
大政官かっこいい🫶👍内大臣
客席から見た時の左右と、ステージ側からの左右の違いなんじゃないかな? 「右に出る」は帝から発する風景ではないよね。それに対して「左大臣」は帝から見てにしないと当然「不敬」なので、帝から見て左大臣は、下々から見て右に出るもの という言葉になるんじゃない?
その考え方は感覚的に凄く腑に落ちます
毎年お雛様を飾る時に「右大臣左大臣はお内裏様から見てだからお爺ちゃんの左大臣が向かって右」とブツブツ言っているので
それで左近桜右近橘でももう一回同じことをしてしまうのです
通常帝や将軍は南向きに座り、左側から重臣を右側と交互に配置します。そのため左=東になり、相撲でも東の横綱が最上位です。
@@ktojs.4895 新しい知見に感謝しかない。
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京都市の左京区は旧平安京より南を向いた時の左側です。つまり東側ですね。余談ですがこのような左右の関係上、相棒の杉下右京を東大卒の育ちの良い天才のキャラクターとするならば、『杉下左京』の方が良かったかもですね笑
中国でも時代によって変わるって動画で言ってましたよね。
紫式部が官職についてたのかと思ってました😂ほんとに大昔は女性の扱いがいいかげんですね!
前漢も左大臣の方が上なんじゃね?
劉邦亡き後の呂氏のゴタゴタ時に
左大臣の方が上みたいな扱いされてたような
省に置かれた四等官は、すべてその省に置かれたものです。
その省の局長や部長になるのではありません。
省の被官である寮や司にも各々四等官が任命されています。
左大臣が実質トップというのは藤原道長・頼通父子が太政大臣より左大臣の時期の方が長かったことからも証明できるのう!
わかりやすかったです😊ありがとうございます!一台五衛府も確認してみました!清少納言の小納言、吉良上野介の大石内蔵助が最期に言う「吉良少将の少将でございますな」の少将の意味、武田信玄の家臣の鬼美濃や高坂弾正の美濃や弾正の意味、あれ?上杉謙信も弾正?徳川家康は令外の官の征夷大将軍で内大臣?とか、大石内蔵助もそうですが位が低そうでも◯◯玄蕃とか◯◯内匠とか◯◯●●右衛門とか◯◯●●兵衛とか、なんか、そのあたりの意味も教えてほしいですm(__)m昔じいちゃんと時代劇観ていたときのことを思い出していました笑
これ、現代日本の政治家世襲構造に似ていますよねぇ。それを律する国民が権利を行使しない結果ですかぁ。