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表を使っての解説、分かりやすかったです。幼い天皇を補佐するのに、知らないおじさんだと子供が怯えてしまったりするので、身内の人(祖父やおじ)が接しやすく用いられたという説明、とても腑に落ちました。律令制の枠から飛び出た初の摂政職が兼家だったのは、太政大臣(藤原頼忠)や左大臣(源雅信)が既にそれぞれの地位に就いていて定年のない当時は、それを飛び越す役職として創設されたということですね。なるほど!です。武士道さんも動画内でも言われていましたが、別当という名は、本業とも言うべき役目がある人が兼務するから、別当!これも、新知識でした。源氏物語でお馴染みの頭中将は、近衛中将と蔵人頭の、これまた兼務なのですね。今まで漠然としていた言葉にちゃんと本来の意味や由来があることを知れて、勉強になりました。一昨年この大河ドラマが決定した時、頭を抱えて困っていらした武士道さんでしたが、大変勉強されていろいろ新情報を解説下さり、素晴らしいと思っています。得意な時代、好みの時代ではないでしょうが、これからも頑張って欲しいと思っています。深夜投稿、ありがとうございます
中学校の古典の時にこの動画を観ていれば古典が好きになっていたと返す返す悔やまれます。とても良い内容でした。
こういう授業があれば歴史をもっと好きになれたのに〜。おかげさまで40代から楽しく学び直ししております!
歴史好きとしてはこれは完全保存版ですね。武士道さんらしいチョット笑いを誘うくだけた例えも理解の一助になります。ありがとうございます。
信長の野望で出てきても読み方すらわかってなかったので勉強になります!ライブ後半で熱くなっちゃう癖すみません。
今回も勉強させて貰いました。チャンネル登録者数18万人🎉いつの間にか超えていますねNHKの威力でしょうか?
表や簡単な文章まで使って解説を行いまして、本当にありがとうございます。大変分かりやすい内容でした!これらの官職は、戦国時代や江戸時代までも、多く残っておりましたので、大河ドラマだけでなく、時代劇でも結構登場しておりましたが、その官職はどういう仕事を司っていたのか、よく分からなかったことが長く続いておりました。本当にありがとうございます!
今まで官職の図みたいなのしか見た事なくて分からないことばかりだったけどこの動画ありがとうございます!
官職のご説明ありがとうございます!これからドラマや書籍の中で言葉が出てきても、ある程度の雰囲気が掴めるのは有難いです❤
「メイド喫茶みたいなことだったんですかねーオムライスにハート描いてくれるみたいなー」って解説に吹き出しました🤣歴史チャンネルでこんなおふざけ解説が許される(?)武士道さんのキャラが最高です笑
最近やってるゲーム実況では、武士道さんの素をみられて、さらに親近感が湧きました。たまーに口が悪かったり毒を吐くのって面白いですね。
いつも面白くて分かりやすい動画ありがとうございます。明治以降にも制度が復活したり似たような官職も出たりしたそうですね。なお太政官は内閣制度が出来て廃止、神祇官は内務省の中の宗教局にランクダウンなど、予算や役割によって無くなってたり世知辛いなぁとは思います。
詳しい解説、お勉強みたいです。わかりやすいし、速さもいいですね、はっきり聞こえます。
官位官職・位階って歴史物読んでたりするとなんとなく憬れるけど似たようなの有るな・・なんで?少しややこしいな・・って思ってたので大変分かりやすい解説でした。似たようなの有るな?何が違うん?って後から付け足し出来てきたんですね。蔵人設立もなるほどと。官職って一応ネットで調べたりした事あるけど、今回の武士道さんの解説が一番わかりやすかったです。今後の歴史物見るのもっと楽しめます。サンキューやで
やさしく解説して下さりありがとうございます❤
とてもわかりやすいです。将、佐、尉、曹といった軍隊の階級もここからきてますね。准大臣や参議についても触れて欲しいです。
官職自体が複雑な上に令外官も数多く生まれ、また官職の上下と実際の権力が必ずしも一致しないこともある。さらに動画にある「頭中将」のような略称とか、唐風の美称(右府内府とか)が使われることもあってかなり難解ですね。しかも中世以降の武家社会では、有名無実となった官職名を家格アップのために利用したり、ひどい場合は(織田信長の生家のように)朝廷の許可も得ず勝手に官職名を自称したり...こうなるともうただの勲章みたいなもんですかね。
まじで知りたかったです。ありがとうございます。
わかりやすい解説、ありがとうございました。ざっくりと理解することができました。忘れてしまったら、繰り返し見たいと思います。「こういうことが知りたいということはコメント欄へ」とおっしゃって頂けたので、リクエストさせて頂きます。着物について教えて頂けますか。男性は、子どもが着る水干、大人になると狩衣、直衣、衣冠、束帯など。女性の着物は十二単くらいしか知りません。身分やTPOに合わせて使い分けていたようです。ドラマでは衣装も華やかで、とても重要なアイテムとして用いられています。お忙しいと思いますので、お時間のあるときで構いません。宜しくお願いします。
これ、『官位編』とか『地方行政・国守編』とかもやってほしい…
また保存版の動画が増えました。俯瞰したい時に役立ちます!
ありがたすぎる動画
古代日本の政治体制は唐や隋などの枠組みを輸入して始めたのですけど、科挙(官僚を在野から登用)制度だけは踏襲しなかったんですよねー。なので、良いか悪いか藤原家の一強状態がずーっと続くんです。自分には判断できないけれども、良くも悪くもこれで日本的な政体が出来たんだとおもう。
ややこしすぎて、薄ぼんやりと「右大臣より左大臣の方が偉い」程度しか判らなかったんですが、こうして声と図で教えて頂けてかなり理解できました!覚えるのは大変そうなので、こちらの動画をしょっちゅう見返すことにします。
石田三成は、八省の治部省の官職を担当したので、「じぶ」と言われていたのですね。
あくまで、名前のみですね桃山時代には実態はないですね🙂
石田治部少の親友と言われる大谷吉継は刑部ですね😊
太閤と言えば秀吉治部と言えば三成
@@正木茂雄毛利元就や吉川元春、北条氏政とかその辺の大物も名乗ってたけどね
すごく面白かったです
ブラボー武士道先生 応援📣 素晴らしい歴史講義👌
講談社学術文庫の「官職要解」がおすすめ。って書いたら参考文献に出てたw
唐名も出ているのでよいですね。中国版の解説動画もほしいところです。
名前だけは概ね聞いたことがありましたが、大まかにその具体的な仕事内容まで知れて、大変勉強になりました。平安時代を扱ったドラマでその内容が何となく分かりにくかったのは、役職の中身が分からなかったことがその一因かもしれません。今後は、平安時代のドラマの理解が進むかもしれないと思いました。それと面白いと思ったのは、令外官の出来たきっかけについての解説です。それぞれに然るべき原因と理由があったことが分かりました。興味深いことは、令外官ができたとき、それは必要があったからできたわけですが、日本では、なぜか不要になった官職を律令から廃止し、それを律令に加えるという作業が日本ではなぜか行われず、不要になった官職がそのまま律令に名前のみになっても残り、反対に、令外官は、律令に規定されていないがゆえに、歯止めなく権限が拡大していったようであることです。これは現代の自衛隊の在り様にも似ていると思いました。自衛隊は令外官の現代版です。本当に歴史学ぶなら、自衛隊を憲法外に置いたままにしておくのではなく、正面から憲法に規定して、その上でしかるべく規律し、政治がコントロールできるようにしておくことこそ、歴史の教訓に学ぶことであると思いました。
位階について説明した本を読んで具体的な仕事内容も知りたかったところなのでとても参考になります。
二官八省 は 隋唐 の 三省六部 を日本流に変えたものと習った事があります。北京に「六部口」という地名があり、長安街と府右街の交差点にあたります。この辺に六部があったのかなぁと。想像するとタノシイです。
動画を拝見しました。「官位、官職」の話勉強になりました。日本を語る上にてややこしい考えが多そうですが、身分が高くて素晴らしい話だと思います。自分のご先祖様が、「平安時代」どれくらいの「官位」を持っていたのか気になります!
昔は国税庁と財務省は分離されていたんですね。今よりもいいかもしれません
本当に分かりやすい説明です❗️学校で歴史習ってた頃とは全く違う。本当に歴史が好きな人が、素人にも理解出来るように噛み砕いて解説してくれてるので、毎回楽しく拝見させて貰ってます😆
雛人形の白髭の爺さんが左大臣、若い男性が右大臣、向かって右(お内裏様から見て左)に左大臣、左(お内裏様から見て右)に右大臣が正しい配置だと祖母から教わりました。
あれ実は大臣じゃないんすよ大臣クラスだと武官束帯は着ないんですよお内裏様と同じような文官束帯なのでもう少し位の低い方のようです
@@ゆきえる-135p 今調べました。本当ですね。あれ、左大臣、右大臣ではなく左近衛少将、右近衛少将(正五位下相当)だったみたいです。正五位下とか、紫式部の親父レベルやん…て思いましたわ。
そうなんすよちなみに人形にもよるけど老人のほうが黒若いほうが緋を着ているので近衛大将は武官だけど三位の公卿なので文官束帯右側の老人のほうが黒で武官束帯なので四位の左近衛中将左側の若者の緋色は五位しか着ないので右近衛少将みたいです童謡のお雛様だけど赤いお顔の右大臣少し白酒召されたか赤いお顔の老人は右でもないし大臣でもない間違いすぎな😂
@@ゆきえる-135pさまそうなのですね。今の雛人形、お公家さんの家では飾ることはあつたのかどうかわかりませんけども、並び方や装束が実態と掛け離れていてはまずいですね。京都の大町人でも不都合ですね。昔は並べ方が違っていたり、大臣クラスの棚もあつたのかも、と思ったりします。(ミカドを、擬したお人形を並べるなどという「だいそれたこと」、一体、いつから始まったか、とも思いました)
太政官を「だじようかん」か『ダイジョウカン」か、また、太政大臣を「だじようだいじん」か「ダイジョウダイジン」の使い分けが知りたいと思いました。明治以降とで使い分けるなんて話もありますけども。
恐ろしく勉強になりました
官職の話楽しみにしていました!また戦国時代におけるさえもんのすけや〇〇守なども解説して欲しいです!
宮内庁職員になったら、今でも侍従、内舎人や内記があるらしいので、平安気分になりながら働けそうですね!
知りたかった情報の解説助かります
出身三重県なんですか私もです。采女町は四日市市ですね。チャンネル登録しました。
すごくわかりやすい。早口なところは(やむを得ないのだろうが)、70過ぎの頭ではついていくのが大変です。もともと歴史好きで、断片的な知識がつながり、改めて歴史は面白いと感じています。youyubeで何度でも再生できるところもすごく、いい時代になったものです。
動画の再生速度を変更できるので、早口なところは、動画再生速度を遅くして再生すのおススメです
解説ありがとうございます。どこから学ぶべきか解りづらく思っていましたので、自分で学ぶきっかけになります。後半部分に指摘があります。蔵人所・・・くろうどどころ蔵人頭・・・くろうどのとう表記、お話共に交錯されているようです。次回以降も楽しみにしております。
豊臣政権時、凄かったですね。豊臣家臣のほとんどが官職あったんですね。ってことは公家の仕事を武士がしてたってことなんでしょうか?😊
職場で歴史クイズみたいなのがあってQ.以下の3つの中から現在も存在する役職はどれ?1.摂政2.関白3.征夷大将軍というモノで、3と答えた人が多数いたのが驚きでした
秀吉が征夷大将軍になりたかったけど出自の問題でしかたなく関白になった、という過去の間違った通説が流布した結果でしょうね。
こんばんは~嬉しい一番乗り❤主様の、ラブコメ要素に悶えるのが大好きです❤。毎週それを見るために光る君にを見てるようなものです。😅
出だしの空気感が最高に面白いです笑
ご視聴ありがとうございます。誤表記・誤変換などのご指摘がございましたらこちらへ返信お願い致します。
ご自身で付いて来て下さいと言っていましたが分かりやすくない。(これで分かる人はそこそこ最初から知っている人ですよ)例えば今でいう首相、国会の議員だとか財務省だとかを当てはめて下さればもう少し分かりやすいと感じました。
誤解が無いように追記しますが。題名に「分かりやすく紹介します」と書いているから言っているだけです。内容批判ではないですよ
後宮も是非。藤原氏が無理やり作った中宮や、女官。内侍司は女官だったのが、秘書的役割をしてるうちに実質天皇の愛人的官職になったり。尚侍(ないしのかみ)、典侍(ないしのすけ)など、なんで女官の役職は妙に略されてるのか知りたい。
@@fushichoupeter完結で分かりやすかったですよ?これ以上シンプルにしたら視聴者層からは物足りなくなっちゃうかと。
@@terryy1982 個人の感想まで否定するつもりはありません。わかりにくいと思ったのでそう言ったまでです。ちなみにシンプル=分かりやすいとは限りませんよ。内容を充実させた上でわかり易くすればいいだけですよ。物足りないかどうかは、わかり易いのとは関係ありません。
采女は古墳とか造ってた時代には地方豪族が美人さんを大王に奉るものだったと記憶。当初は大王のオンナ扱いで。お手がついて王子王女の母になった者もいた。あの鎌足でさえ天智天皇の許しがなければ采女を妻に出来なかった高級女官だったのでした。
天智天皇の息子の弘文天皇の母は采女だったが、弘文天皇は「卑腹」扱いされた。采女の地位の微妙さを物語るもの。采女は大宝令にも記載されるが次第にただの女官へと地位を落としていく。学生時代に論文読んだのだけど細かいことは忘れてしまったなぁ(苦笑)
分かりやすい動画、ありがとうございました。
あと「一上(いちのかみ)」の解説があると良かったかな。あと四等官の解説も。
摂政関白が併任でなく独立したことで、太政大臣、左右大臣と権力を持つ人が増え、あくまで家臣内での権力闘争が過激化して、トップの天皇を廃そうとする動きが抑制されたことも天皇家が長く続いた一因なのかなと思いました。いつも興味深い動画ありがとうございます!これからも頑張ってください!
官職前は変わったがん、現代に於ける公務員(官僚機構)の原型が平安時代には確率され始めたんだなと思います。官僚機構の善し悪しは有るけれど、家(一門)が代々同じ業務を取り仕切る弊害(現代でも政治家には多い)が出たのが貴族社会かなと思います。文書作成や式典業務なんかは、教育機関・機会がほとんど無かった時代にはメリットが有ったでしょうが、後の時代には格差社会の代表的産物になった感が有ります。
うっかり画面を見ずに「うどねり」という音を聞いてたらうどんが食べたくなりました(^◇^;)ちゃんと漢字を見れば理解できるんですけどね
検非違使の次官は佐(スケ)なので義経のついた少尉は判官(ジョウ)ですのでその次ですね。判官贔屓はここからきてますね🙂
最近よく視聴していましたがまさかの采女町近辺の方とは!ご近所さんじゃないですかチャンネル登録しますw
これは凄い!日本史Bの授業で大宝律令の説明で使った方がいい
左大臣=総理大臣右大臣=副総理大納言=官房長官
太政大臣は特別顧問か、名誉総裁かな?
左大臣=東正横綱、右大臣=西正横綱、内大臣=東張出横綱と考えると分かりやすい。
官位いわゆる官職と位階については、いろいろな書籍が出ているが和田英松「官職要解 (講談社学術文庫) 」講談社がわかりやすいと思う。また、宮中の女官に特化したものとしては浅井虎夫「女官通解 (講談社学術文庫) 」講談社がある。何れも文庫化されたので入手がより可能となった。
官職が形骸化して、代わりに似た役職の令外官をつくって…というのを千年続けて、ひたすらややこしくなるイメージ。
京都の同志社の近くに、相国寺があるが、相国寺は、足利義満が太政大臣(漢名は相国)についていたことに由来する。
応天の門にハマっているから参考になるー
勉強になりました!
采女町ですか。うちの地元なんか、時の帝にお手付きなって皇女出産した采女の名前が地名の由来ですよ。28:55
見方忘れたけど左が上職、右が下職と覚えてて西洋と逆なので改革で西洋式になったとか摂政は推古天皇の時にできてた記憶ありますが変わったのかな?よく分から無い政教分離が昔からできてたね今は政教混合物誕生した政治体制昔が優れてる気になる段々体力の様に悪化してる気になるね日本人は
こういうのありがたい!
非常に面白かったです質問ですが、内舎人と近衛府の仕事って何が違うんですか?
こういう基礎知識は大事。短時間でよくまとめられていますね。時代による変化(公家の定員内で武家に官職を与える時代から定員外で与える様になったとか)に特化した続編を期待します。こういう基礎知識なしに勝手な妄想を垂れ流す動画を作っている人にも観てもらいたい。江戸時代の講談や現代のドラマで基礎知識に矛盾する描写の影響力は強いですが、せめて歴史好きは基礎知識を勉強しないとね。基礎知識がないTH-camrの垂れ流しも新たな罪w
日本の世襲・伝統を重んじてきた事が官職からも垣間見れて大変面白いです。平安時代から江戸時代まで、役職も時代によって形骸化しているものもあったと思うのですが、江戸期の摂関家の影響力ってどのくらいあったのかも気になります。
平安貴族というと毎日毎日宴とか歌会とか儀式ばかりしてるパリピというイメージだったのですが、ちゃんと日常業務もあったんですね。そりゃそうだ。
出家するというのは、死ぬのと同義ですからね。 僧名っていわば戒名ですからね。 だとすれば、官職は空けないとダメですよねw相撲の張出大関が権大納言を説明するのにいいと思うんですけどねw摂政を独立させた藤原兼家さん、若いころ少納言やってますねwところで、「参議」が出てませんよ?(小野篁が有名かも)
権官はどちらかというと国司によくつけられたイメージがあります
よお、Mr.武士道
藤原冬嗣の『蔵人頭』の就任が藤原氏繁栄の足がかりと言われています。
参考文献の官職要解、有職故実は、高校と大学の時に先生から進められて買い求め、それから30年時々読み返しています。
東百官を次回お願いします
明治以降が太政大臣(だじょうだいじん)ですね。
花山天皇の女御たちを解説して欲しい。よしこはともかく、どれが誰の妹で〜姉で〜娘で〜って全部藤原だからドラマとのすり合わせが難しく混乱する!😂
唐名をまとめた動画も見たいです。
太政大臣は最高位だけど名誉職、左大臣が事実上の最高位なのはわかります。道長や頼通だと左大臣でさえ通過点だけど、実際は内大臣にはなれなくても大納言まで行けば大したものだったのだろう。兼家や足利義満みたいに官職を辞して自由な立場で誰も逆らえないポジションまで行った人物もいましたね。あ、頼通に譲ってからの道長もそうでしたね。昔の官職を今に無理やり当てはめると、左大臣が総理大臣で右大臣が官房長官でしょうか?内大臣が国務大臣で副大臣が大納言?
雛人形🎎七段飾りにその説明が入っておりました。
官職がこんなに多くあるのは知りませんでした‼️天皇や側近が100人近く居たりのちのち蔵人が出来 今の大河ドラマのの実資や行成くんがやっている職種なんだと当てはまるとなるほどと思いました最後の検非違使は警察 検察 裁判までやってしまう職種なんですね 怖いですね😅
大河ドラマ、光る君へを観させて頂いています、平安時代に生きた人々の暮らしや朝廷の仕組みや序列など現代にも通じるものもあるなと思う、日本人の感性や精神性は連綿と培われ和歌などはその最たるものだ。最近どこかの白人の学者が日本を何処にも属さない固有の文明で3大文明から4大文明にするべき、という発言をしている。興味ある発言だ。❤❤❤
少納言は総務部秘書課でなく社長室秘書課だったんだねえ、太政官は王国でいう王族にあたり、ラインというよりスタッフで取締役会の事務局を兼ねていたわけだ、なるほど
大膳とか、今も部署名として残ってるのがあるのもおもしろい。
多さに😂😂😂😅すごー
戦国時代は大名が勝手に官職名乗ってたので、私も勝手に図書頭名乗っていいですか?
ダジョウダイジンと読むのは、明治以降だけ鹿児島弁では、今でも大根をデコンと発音する。なので、太政大臣をダジョウダイジンと発音した。周囲の人間も、薩摩出身者の発音を真似した。
聞いたことないけど、根拠あるんですか?出典は何?
太政大臣、左大臣、右大臣の名前かっこいいよなあ。なんか復活してほしい。
江戸時代の官職を知りたいです。
神祇官の「神」の読みは「しん」ではなく「じん」と濁り、太政官の「太」も どちらの読みでもOKなのではなく、この時期は「だ」ではなく「だい」と読むのが “通説” だとされています。
根拠となる出典を教えていただけますと幸いです。
「通説だとされている」って日本語もおかしいけどねw
まさかの同郷!
これでも難しい
先生! 徳川家康は朝廷では「源家康」と聞きました。すると15代徳川慶喜も「源慶喜」なのでしょうか? そうならば、源氏等氏は伊豆罪人の身でも頼朝が「源頼朝」だったことからも朝廷や政治体制とは無縁で成立しますよね。そうしますと明治維新後の世でも徳川慶喜は「源慶喜」なのでしょうか? それが成立すると令和の世にも「源氏」が存在するという夢が生まれるのですが
明治の壬申戸籍以降、法律上の氏は苗字と同義になりましたが、伝統的には源氏という氏が用いられることがあるようです。
@@R.H.victoria.echigo. 返信ありがとうございます。壬申戸籍の登録箇所には「徳川」となるのは判るのですが、そもそもより天皇集権となる明治に、天皇から戴いた氏「源」は、家名の概念的にどう処理されたのだろう? 「藤原」毛利は明治に正一位までいったはずですし、徳川における源、毛利における藤原など、勿論「先祖は」という概念は生きるのは当然ですが、一歩踏み込んで、「戸籍に記載欄こそないが、現代でも氏の名は家名として継続されてる概念」なのか? 気になってます。
大谷「刑部」吉継とか石田「治部」三成とか結構高い位だったんだなぁ
大蔵省って律令の頃からある由緒ある名前なのに何で財務省に名前変えちゃったんやろ…
旧大蔵省は、官僚の中の官僚と言われて絶大な権限がゆえの不祥事や弊害があったので、行政の効率化をはかる目的も兼ねて金融と財務の業務を分けることに伴い、財務省と金融庁に分離させた。
@@kojinjigyonushi475ラベルを張り替えただけで中身は変わっていない
@@マヤ平前のコメントにあるとおり、財政と金融の両方を持つ事の弊害が起きた(バブルやバブル崩壊、さらに不祥事の数々)ので、金融部門を分離した。だから機能所掌が異なり、単純な看板の架替えではない。
ちなみに、行政改革でいの一番に改革の対象になり金融部門の分離に伴う省名変更が検討された際、旧大蔵省は奈良時代からある由緒正しい省名だとの理由を盾に変更に抵抗した。時の首相橋本龍太郎は怒り「だったら検非違使にでもしてやろうか(復活させるか、どちらか詳細不明)」と言ったという逸話がある。
プライドが無くなった
役職だけでなく位階、というか律令にある位(従一位から従九位下まで、正一位は平安期以上事実上不在)との相関も説明したほうがよいんちゃう?そうしないと参議・中納言・大納言・左右大臣三位以上を公卿と呼ぶとかもたぶん分からないし、国司が大国で5位相当とかみれば現在の国の大臣以下の官職と地方の知事以下との地位相当性とかに繋がっていることも。参議および三位以上が今の国会議員に相当するとか、中納言大納言は普通の大臣、左右大臣は主要閣僚相当とか、お役所ではあくまで建前として、今も知事に相当する霞が関の立場が大臣でも次官でもなく局長なのは、律令での位階の関係性(知事は国司、国司は5位相当で今でいう参議の下のクラスで今でいう局長相当)がベースになっていることとか、そういう見方を示したほうが分かりやすい。
大納言=あずき、スイーツみたいなイメージ が多い?
検非違使の尉は、「3番目」ではないの?トップが名誉職で、実質 副リーダーだったということ?
神祇伯は光る君への時代以降花山天皇の子孫が世襲するのでもう少し詳しく取り上げて欲しかった。まあ、ネタが少ないのは確かだけど。
官職は、プロボクシングのチャンピオンみたいで数が乱発されていて興味深いです。
表を使っての解説、分かりやすかったです。幼い天皇を補佐するのに、知らないおじさんだと子供が怯えてしまったりするので、身内の人(祖父やおじ)が接しやすく用いられたという説明、とても腑に落ちました。律令制の枠から飛び出た初の摂政職が兼家だったのは、太政大臣(藤原頼忠)や左大臣(源雅信)が既にそれぞれの地位に就いていて定年のない当時は、それを飛び越す役職として創設されたということですね。なるほど!です。武士道さんも動画内でも言われていましたが、別当という名は、本業とも言うべき役目がある人が兼務するから、別当!これも、新知識でした。源氏物語でお馴染みの頭中将は、近衛中将と蔵人頭の、これまた兼務なのですね。今まで漠然としていた言葉にちゃんと本来の意味や由来があることを知れて、勉強になりました。一昨年この大河ドラマが決定した時、頭を抱えて困っていらした武士道さんでしたが、大変勉強されていろいろ新情報を解説下さり、素晴らしいと思っています。得意な時代、好みの時代ではないでしょうが、これからも頑張って欲しいと思っています。深夜投稿、ありがとうございます
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こういう授業があれば歴史をもっと好きになれたのに〜。
おかげさまで40代から楽しく学び直ししております!
歴史好きとしてはこれは完全保存版ですね。武士道さんらしいチョット笑いを誘うくだけた例えも理解の一助になります。ありがとうございます。
信長の野望で出てきても読み方すらわかってなかったので勉強になります!ライブ後半で熱くなっちゃう癖すみません。
今回も勉強させて貰いました。
チャンネル登録者数18万人🎉いつの間にか超えていますねNHKの威力でしょうか?
表や簡単な文章まで使って解説を行いまして、本当にありがとうございます。大変分かりやすい内容でした!
これらの官職は、戦国時代や江戸時代までも、多く残っておりましたので、大河ドラマだけでなく、時代劇でも結構登場しておりましたが、その官職はどういう仕事を司っていたのか、よく分からなかったことが長く続いておりました。本当にありがとうございます!
今まで官職の図みたいなのしか見た事なくて分からないことばかりだったけどこの動画ありがとうございます!
官職のご説明ありがとうございます!これからドラマや書籍の中で言葉が出てきても、ある程度の雰囲気が掴めるのは有難いです❤
「メイド喫茶みたいなことだったんですかねーオムライスにハート描いてくれるみたいなー」って解説に吹き出しました🤣
歴史チャンネルでこんなおふざけ解説が許される(?)武士道さんのキャラが最高です笑
最近やってるゲーム実況では、武士道さんの素をみられて、さらに親近感が湧きました。たまーに口が悪かったり毒を吐くのって面白いですね。
いつも面白くて分かりやすい動画ありがとうございます。
明治以降にも制度が復活したり似たような官職も出たりしたそうですね。
なお太政官は内閣制度が出来て廃止、神祇官は内務省の中の宗教局にランクダウンなど、予算や役割によって無くなってたり世知辛いなぁとは思います。
詳しい解説、お勉強みたいです。わかりやすいし、速さもいいですね、はっきり聞こえます。
官位官職・位階って歴史物読んでたりするとなんとなく憬れるけど似たようなの有るな・・なんで?少しややこしいな・・って思ってたので大変分かりやすい解説でした。
似たようなの有るな?何が違うん?って後から付け足し出来てきたんですね。蔵人設立もなるほどと。
官職って一応ネットで調べたりした事あるけど、今回の武士道さんの解説が一番わかりやすかったです。今後の歴史物見るのもっと楽しめます。サンキューやで
やさしく解説して下さりありがとうございます❤
とてもわかりやすいです。将、佐、尉、曹といった軍隊の階級もここからきてますね。准大臣や参議についても触れて欲しいです。
官職自体が複雑な上に令外官も数多く生まれ、また官職の上下と実際の権力が必ずしも一致しないこともある。さらに動画にある「頭中将」のような略称とか、唐風の美称(右府内府とか)が使われることもあってかなり難解ですね。しかも中世以降の武家社会では、有名無実となった官職名を家格アップのために利用したり、ひどい場合は(織田信長の生家のように)朝廷の許可も得ず勝手に官職名を自称したり...こうなるともうただの勲章みたいなもんですかね。
まじで知りたかったです。ありがとうございます。
わかりやすい解説、ありがとうございました。ざっくりと理解することができました。忘れてしまったら、繰り返し見たいと思います。「こういうことが知りたいということはコメント欄へ」とおっしゃって頂けたので、リクエストさせて頂きます。着物について教えて頂けますか。男性は、子どもが着る水干、大人になると狩衣、直衣、衣冠、束帯など。女性の着物は十二単くらいしか知りません。身分やTPOに合わせて使い分けていたようです。ドラマでは衣装も華やかで、とても重要なアイテムとして用いられています。お忙しいと思いますので、お時間のあるときで構いません。宜しくお願いします。
これ、『官位編』とか『地方行政・国守編』とかもやってほしい…
また保存版の動画が増えました。俯瞰したい時に役立ちます!
ありがたすぎる動画
古代日本の政治体制は唐や隋などの枠組みを輸入して始めたのですけど、
科挙(官僚を在野から登用)制度だけは踏襲しなかったんですよねー。
なので、良いか悪いか藤原家の一強状態がずーっと続くんです。
自分には判断できないけれども、良くも悪くもこれで日本的な政体が出来たんだとおもう。
ややこしすぎて、薄ぼんやりと「右大臣より左大臣の方が偉い」程度しか判らなかったんですが、こうして声と図で教えて頂けてかなり理解できました!
覚えるのは大変そうなので、こちらの動画をしょっちゅう見返すことにします。
石田三成は、八省の治部省の官職を担当したので、「じぶ」と言われていたのですね。
あくまで、名前のみですね
桃山時代には実態はないですね🙂
石田治部少の親友と言われる大谷吉継は刑部ですね😊
太閤と言えば秀吉
治部と言えば三成
@@正木茂雄毛利元就や吉川元春、北条氏政とかその辺の大物も名乗ってたけどね
すごく面白かったです
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素晴らしい歴史講義👌
講談社学術文庫の「官職要解」がおすすめ。
って書いたら参考文献に出てたw
唐名も出ているのでよいですね。
中国版の解説動画もほしいところです。
名前だけは概ね聞いたことがありましたが、大まかにその具体的な仕事内容まで知れて、大変勉強になりました。平安時代を扱ったドラマでその内容が何となく分かりにくかったのは、役職の中身が分からなかったことがその一因かもしれません。今後は、平安時代のドラマの理解が進むかもしれないと思いました。それと面白いと思ったのは、令外官の出来たきっかけについての解説です。それぞれに然るべき原因と理由があったことが分かりました。興味深いことは、令外官ができたとき、それは必要があったからできたわけですが、日本では、なぜか不要になった官職を律令から廃止し、それを律令に加えるという作業が日本ではなぜか行われず、不要になった官職がそのまま律令に名前のみになっても残り、反対に、令外官は、律令に規定されていないがゆえに、歯止めなく権限が拡大していったようであることです。これは現代の自衛隊の在り様にも似ていると思いました。自衛隊は令外官の現代版です。本当に歴史学ぶなら、自衛隊を憲法外に置いたままにしておくのではなく、正面から憲法に規定して、その上でしかるべく規律し、政治がコントロールできるようにしておくことこそ、歴史の教訓に学ぶことであると思いました。
位階について説明した本を読んで具体的な仕事内容も知りたかったところなのでとても参考になります。
二官八省 は 隋唐 の 三省六部 を日本流に変えたものと習った事があります。
北京に「六部口」という地名があり、長安街と府右街の交差点にあたります。この辺に六部があったのかなぁと。想像するとタノシイです。
動画を拝見しました。
「官位、官職」の話勉強になりました。
日本を語る上にてややこしい考えが多そうですが、身分が高くて素晴らしい話だと思います。
自分のご先祖様が、「平安時代」どれくらいの「官位」を持っていたのか気になります!
昔は国税庁と財務省は分離されていたんですね。
今よりもいいかもしれません
本当に分かりやすい説明です❗️学校で歴史習ってた頃とは全く違う。本当に歴史が好きな人が、素人にも理解出来るように噛み砕いて解説してくれてるので、毎回楽しく拝見させて貰ってます😆
雛人形の白髭の爺さんが左大臣、若い男性が右大臣、向かって右(お内裏様から見て左)に左大臣、左(お内裏様から見て右)に右大臣が正しい配置だと祖母から教わりました。
あれ実は大臣じゃないんすよ
大臣クラスだと武官束帯は着ないんですよ
お内裏様と同じような文官束帯なので
もう少し位の低い方のようです
@@ゆきえる-135p 今調べました。本当ですね。あれ、左大臣、右大臣ではなく左近衛少将、右近衛少将(正五位下相当)だったみたいです。正五位下とか、紫式部の親父レベルやん…て思いましたわ。
そうなんすよ
ちなみに人形にもよるけど老人のほうが黒
若いほうが緋を着ているので
近衛大将は武官だけど
三位の公卿なので文官束帯
右側の老人のほうが黒で武官束帯なので四位の左近衛中将
左側の若者の緋色は五位しか着ないので
右近衛少将みたいです
童謡のお雛様だけど
赤いお顔の右大臣
少し白酒召されたか
赤いお顔の老人は右でもないし
大臣でもない
間違いすぎな😂
@@ゆきえる-135pさま
そうなのですね。
今の雛人形、お公家さんの家では飾ることはあつたのかどうかわかりませんけども、並び方や装束が実態と掛け離れていてはまずいですね。京都の大町人でも不都合ですね。
昔は並べ方が違っていたり、大臣クラスの棚もあつたのかも、と思ったりします。
(ミカドを、擬したお人形を並べるなどという「だいそれたこと」、一体、いつから始まったか、とも思いました)
太政官を「だじようかん」か『ダイジョウカン」か、
また、太政大臣を「だじようだいじん」か「ダイジョウダイジン」の使い分けが知りたいと思いました。
明治以降とで使い分けるなんて話もありますけども。
恐ろしく勉強になりました
官職の話楽しみにしていました!
また戦国時代におけるさえもんのすけや〇〇守なども解説して欲しいです!
宮内庁職員になったら、今でも侍従、内舎人や内記があるらしいので、平安気分になりながら働けそうですね!
知りたかった情報の解説助かります
出身三重県なんですか私もです。采女町は四日市市ですね。チャンネル登録しました。
すごくわかりやすい。
早口なところは(やむを得ないのだろうが)、70過ぎの頭ではついていくのが大変です。
もともと歴史好きで、断片的な知識がつながり、改めて歴史は面白いと感じています。
youyubeで何度でも再生できるところもすごく、いい時代になったものです。
動画の再生速度を変更できるので、早口なところは、動画再生速度を遅くして再生すのおススメです
解説ありがとうございます。
どこから学ぶべきか解りづらく思っていましたので、
自分で学ぶきっかけになります。
後半部分に指摘があります。
蔵人所・・・くろうどどころ
蔵人頭・・・くろうどのとう
表記、お話共に交錯されているようです。
次回以降も楽しみにしております。
豊臣政権時、凄かったですね。
豊臣家臣のほとんどが官職あったんですね。
ってことは公家の仕事を武士がしてたってことなんでしょうか?😊
職場で歴史クイズみたいなのがあって
Q.以下の3つの中から現在も存在する役職はどれ?
1.摂政
2.関白
3.征夷大将軍
というモノで、3と答えた人が多数いたのが驚きでした
秀吉が征夷大将軍になりたかったけど出自の問題でしかたなく関白になった、という過去の間違った通説が流布した結果でしょうね。
こんばんは~嬉しい一番乗り❤主様の、ラブコメ要素に悶えるのが大好きです❤。毎週それを見るために光る君にを見てるようなものです。😅
出だしの空気感が最高に面白いです笑
ご視聴ありがとうございます。誤表記・誤変換などのご指摘がございましたらこちらへ返信お願い致します。
ご自身で付いて来て下さいと言っていましたが
分かりやすくない。(これで分かる人はそこそこ最初から知っている人ですよ)例えば今でいう首相、国会の議員だとか財務省だとかを当てはめて下さればもう少し分かりやすいと感じました。
誤解が無いように追記しますが。題名に「分かりやすく紹介します」と書いているから言っているだけです。内容批判ではないですよ
後宮も是非。
藤原氏が無理やり作った中宮や、女官。
内侍司は女官だったのが、秘書的役割をしてるうちに実質天皇の愛人的官職になったり。
尚侍(ないしのかみ)、典侍(ないしのすけ)など、なんで女官の役職は妙に略されてるのか知りたい。
@@fushichoupeter
完結で分かりやすかったですよ?これ以上シンプルにしたら視聴者層からは物足りなくなっちゃうかと。
@@terryy1982 個人の感想まで否定するつもりはありません。
わかりにくいと思ったのでそう言ったまでです。
ちなみにシンプル=分かりやすい
とは限りませんよ。内容を充実させた上でわかり易くすればいいだけですよ。
物足りないかどうかは、わかり易いのとは関係ありません。
采女は古墳とか造ってた時代には地方豪族が美人さんを大王に奉るものだったと記憶。当初は大王のオンナ扱いで。お手がついて王子王女の母になった者もいた。あの鎌足でさえ天智天皇の許しがなければ采女を妻に出来なかった高級女官だったのでした。
天智天皇の息子の弘文天皇の母は采女だったが、弘文天皇は「卑腹」扱いされた。采女の地位の微妙さを物語るもの。采女は大宝令にも記載されるが次第にただの女官へと地位を落としていく。学生時代に論文読んだのだけど細かいことは忘れてしまったなぁ(苦笑)
分かりやすい動画、ありがとうございました。
あと「一上(いちのかみ)」の解説があると良かったかな。あと四等官の解説も。
摂政関白が併任でなく独立したことで、太政大臣、左右大臣と権力を持つ人が増え、あくまで家臣内での権力闘争が過激化して、トップの天皇を廃そうとする動きが抑制されたことも天皇家が長く続いた一因なのかなと思いました。
いつも興味深い動画ありがとうございます!これからも頑張ってください!
官職前は変わったがん、現代に於ける公務員(官僚機構)の原型が平安時代には確率され始めたんだなと思います。官僚機構の善し悪しは有るけれど、家(一門)が代々同じ業務を取り仕切る弊害(現代でも政治家には多い)が出たのが貴族社会かなと思います。文書作成や式典業務なんかは、教育機関・機会がほとんど無かった時代にはメリットが有ったでしょうが、後の時代には格差社会の代表的産物になった感が有ります。
うっかり画面を見ずに「うどねり」という音を聞いてたらうどんが食べたくなりました(^◇^;)
ちゃんと漢字を見れば理解できるんですけどね
検非違使の次官は佐(スケ)なので
義経のついた少尉は判官(ジョウ)ですのでその次ですね。
判官贔屓はここからきてますね🙂
最近よく視聴していましたがまさかの采女町近辺の方とは!ご近所さんじゃないですかチャンネル登録しますw
これは凄い!日本史Bの授業で大宝律令の説明で使った方がいい
左大臣=総理大臣
右大臣=副総理
大納言=官房長官
太政大臣は特別顧問か、名誉総裁かな?
左大臣=東正横綱、右大臣=西正横綱、内大臣=東張出横綱と考えると分かりやすい。
官位いわゆる官職と位階については、いろいろな書籍が出ているが
和田英松「官職要解 (講談社学術文庫) 」講談社がわかりやすいと思う。
また、宮中の女官に特化したものとしては
浅井虎夫「女官通解 (講談社学術文庫) 」講談社がある。
何れも文庫化されたので入手がより可能となった。
官職が形骸化して、代わりに似た役職の令外官をつくって…というのを千年続けて、ひたすらややこしくなるイメージ。
京都の同志社の近くに、相国寺があるが、相国寺は、足利義満が太政大臣(漢名は相国)についていたことに由来する。
応天の門にハマっているから参考になるー
勉強になりました!
采女町ですか。うちの地元なんか、時の帝にお手付きなって皇女出産した采女の名前が地名の由来ですよ。28:55
見方忘れたけど左が上職、右が下職
と覚えてて西洋と逆なので改革で西洋式になったとか
摂政は推古天皇の時にできてた記憶ありますが変わったのかな?よく分から無い
政教分離が昔からできてたね
今は政教混合物誕生した政治体制
昔が優れてる気になる段々体力の様に悪化してる気になるね日本人は
こういうのありがたい!
非常に面白かったです
質問ですが、内舎人と近衛府の仕事って何が違うんですか?
こういう基礎知識は大事。
短時間でよくまとめられていますね。
時代による変化(公家の定員内で武家に官職を与える時代から定員外で与える様になったとか)に特化した続編を期待します。
こういう基礎知識なしに勝手な妄想を垂れ流す動画を作っている人にも観てもらいたい。
江戸時代の講談や現代のドラマで基礎知識に矛盾する描写の影響力は強いですが、せめて歴史好きは基礎知識を勉強しないとね。
基礎知識がないTH-camrの垂れ流しも新たな罪w
日本の世襲・伝統を重んじてきた事が官職からも垣間見れて大変面白いです。平安時代から江戸時代まで、役職も時代によって形骸化しているものもあったと思うのですが、江戸期の摂関家の影響力ってどのくらいあったのかも気になります。
平安貴族というと毎日毎日宴とか歌会とか儀式ばかりしてるパリピというイメージだったのですが、ちゃんと日常業務もあったんですね。そりゃそうだ。
出家するというのは、死ぬのと同義ですからね。 僧名っていわば戒名ですからね。 だとすれば、官職は空けないとダメですよねw
相撲の張出大関が権大納言を説明するのにいいと思うんですけどねw
摂政を独立させた藤原兼家さん、若いころ少納言やってますねw
ところで、「参議」が出てませんよ?(小野篁が有名かも)
権官はどちらかというと国司によくつけられたイメージがあります
よお、Mr.武士道
藤原冬嗣の『蔵人頭』の就任が藤原氏繁栄の足がかりと言われています。
参考文献の官職要解、有職故実は、高校と大学の時に先生から進められて買い求め、それから30年時々読み返しています。
東百官を次回お願いします
明治以降が太政大臣(だじょうだいじん)ですね。
花山天皇の女御たちを解説して欲しい。
よしこはともかく、どれが誰の妹で〜姉で〜娘で〜って全部藤原だからドラマとのすり合わせが難しく混乱する!😂
唐名をまとめた動画も見たいです。
太政大臣は最高位だけど名誉職、左大臣が事実上の最高位なのはわかります。道長や頼通だと左大臣でさえ通過点だけど、実際は内大臣にはなれなくても大納言まで行けば大したものだったのだろう。
兼家や足利義満みたいに官職を辞して自由な立場で誰も逆らえないポジションまで行った人物もいましたね。あ、頼通に譲ってからの道長もそうでしたね。
昔の官職を今に無理やり当てはめると、左大臣が総理大臣で右大臣が官房長官でしょうか?内大臣が国務大臣で副大臣が大納言?
雛人形🎎七段飾りにその説明が入っておりました。
官職がこんなに多くあるのは知りませんでした‼️
天皇や側近が100人近く居たりのちのち蔵人が出来 今の大河ドラマのの実資や行成くんがやっている職種なんだと当てはまるとなるほどと思いました
最後の検非違使は警察 検察 裁判までやってしまう職種なんですね 怖いですね😅
大河ドラマ、光る君へを観させて頂いています、平安時代に生きた人々の暮らしや朝廷の仕組みや序列など現代にも通じるものもあるなと思う、日本人の感性や精神性は連綿と培われ和歌などはその最たるものだ。最近どこかの白人の学者が日本を何処にも属さない固有の文明で3大文明から4大文明にするべき、という発言をしている。興味ある発言だ。❤❤❤
少納言は総務部秘書課でなく社長室秘書課だったんだねえ、太政官は王国でいう王族にあたり、ラインというよりスタッフで取締役会の事務局を兼ねていたわけだ、なるほど
大膳とか、今も部署名として残ってるのがあるのもおもしろい。
多さに😂😂😂😅すごー
戦国時代は大名が勝手に官職名乗ってたので、私も勝手に図書頭名乗っていいですか?
ダジョウダイジンと読むのは、明治以降だけ
鹿児島弁では、今でも大根をデコンと発音する。
なので、太政大臣をダジョウダイジンと発音した。
周囲の人間も、薩摩出身者の発音を真似した。
聞いたことないけど、根拠あるんですか?出典は何?
太政大臣、左大臣、右大臣の名前かっこいいよなあ。なんか復活してほしい。
江戸時代の官職を知りたいです。
神祇官の「神」の読みは「しん」ではなく「じん」と濁り、
太政官の「太」も どちらの読みでもOKなのではなく、この時期は「だ」ではなく「だい」と読むのが “通説” だとされています。
根拠となる出典を教えていただけますと幸いです。
「通説だとされている」って日本語もおかしいけどねw
まさかの同郷!
これでも難しい
先生! 徳川家康は朝廷では「源家康」と聞きました。すると15代徳川慶喜も「源慶喜」なのでしょうか? そうならば、源氏等氏は伊豆罪人の身でも頼朝が「源頼朝」だったことからも朝廷や政治体制とは無縁で成立しますよね。そうしますと明治維新後の世でも徳川慶喜は「源慶喜」なのでしょうか? それが成立すると令和の世にも「源氏」が存在するという夢が生まれるのですが
明治の壬申戸籍以降、法律上の氏は苗字と同義になりましたが、伝統的には源氏という氏が用いられることがあるようです。
@@R.H.victoria.echigo. 返信ありがとうございます。壬申戸籍の登録箇所には「徳川」となるのは判るのですが、そもそもより天皇集権となる明治に、天皇から戴いた氏「源」は、家名の概念的にどう処理されたのだろう? 「藤原」毛利は明治に正一位までいったはずですし、徳川における源、毛利における藤原など、勿論「先祖は」という概念は生きるのは当然ですが、一歩踏み込んで、「戸籍に記載欄こそないが、現代でも氏の名は家名として継続されてる概念」なのか? 気になってます。
大谷「刑部」吉継とか石田「治部」三成とか結構高い位だったんだなぁ
大蔵省って律令の頃からある由緒ある名前なのに何で財務省に名前変えちゃったんやろ…
旧大蔵省は、官僚の中の官僚と言われて絶大な権限がゆえの不祥事や弊害があったので、行政の効率化をはかる目的も兼ねて金融と財務の業務を分けることに伴い、財務省と金融庁に分離させた。
@@kojinjigyonushi475ラベルを張り替えただけで中身は変わっていない
@@マヤ平前のコメントにあるとおり、財政と金融の両方を持つ事の弊害が起きた(バブルやバブル崩壊、さらに不祥事の数々)ので、金融部門を分離した。だから機能所掌が異なり、単純な看板の架替えではない。
ちなみに、行政改革でいの一番に改革の対象になり金融部門の分離に伴う省名変更が検討された際、旧大蔵省は奈良時代からある由緒正しい省名だとの理由を盾に変更に抵抗した。時の首相橋本龍太郎は怒り「だったら検非違使にでもしてやろうか(復活させるか、どちらか詳細不明)」と言ったという逸話がある。
プライドが無くなった
役職だけでなく位階、というか律令にある位(従一位から従九位下まで、正一位は平安期以上事実上不在)との相関も説明したほうがよいんちゃう?そうしないと参議・中納言・大納言・左右大臣三位以上を公卿と呼ぶとかもたぶん分からないし、国司が大国で5位相当とかみれば現在の国の大臣以下の官職と地方の知事以下との地位相当性とかに繋がっていることも。参議および三位以上が今の国会議員に相当するとか、中納言大納言は普通の大臣、左右大臣は主要閣僚相当とか、お役所ではあくまで建前として、今も知事に相当する霞が関の立場が大臣でも次官でもなく局長なのは、律令での位階の関係性(知事は国司、国司は5位相当で今でいう参議の下のクラスで今でいう局長相当)がベースになっていることとか、そういう見方を示したほうが分かりやすい。
大納言=あずき、スイーツみたいなイメージ が多い?
検非違使の尉は、「3番目」ではないの?
トップが名誉職で、実質 副リーダーだったということ?
神祇伯は光る君への時代以降花山天皇の子孫が世襲するのでもう少し詳しく取り上げて欲しかった。まあ、ネタが少ないのは確かだけど。
官職は、プロボクシングのチャンピオンみたいで数が乱発されていて興味深いです。