ミハエル「最悪の車」→立て直して王者獲得の最強マシンが凄すぎる【F1解説】【ベネトンB195】
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- เผยแพร่เมื่อ 23 ก.พ. 2023
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今回は、ミハエル・シューマッハとジョニー・ハーバートのドライブで1995年のF1でダブルタイトルを獲得したベネトンB195について解説していきます。
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ジョニーの走行データはミハエルに提供されたけど、その逆は無く、さらにはミハエル専用にセットアップされたマシンの「予備」にジョニーは乗ることになる。ミハエル中心に構築されたチームマネジメントの勝利であり、ジョニーもその状況で2勝出来たことも凄い。だからこそ、ミハエルとジョニーが居なくなってガタガタになったわけだけど。
ジョニーではなく片山右京がレギュラーとなっていたらどうなっていたと思いますか?^^
そういう不利な立場に立たされてなお、シーズン2勝を挙げたハーバートって本当に凄いんだなと思う。現役中は右足首の自由が効かないと言うハンデまで背負っていたのだから。
ハーバートはミハエルが96年残らないのは95年初めから予想されていたことだから96年残留していたら評価上げるチャンスもあった。
96年の不振だった理由を尋ねられたブリアトーレは「シューマッハだ!」とその一言が全てを物語っていた。 ベネトンでやり尽くしたシューマッハを残留させる術は無かったに等しいし。
それでも96年のホッケンハイムで優勝一歩手前まで行ったベルガーはやっぱり凄いわ。
95年に関してはウィリアムズの失態とヒルの低パフォーマンスの印象が強いですね。
レースをリードしてもピットストップで必ずと言っても良いほど逆転されましたし、ヒルもミスが多過ぎた。
マシンとしてはFW17の方が遥かに優れていたと思います。
この後ブリアトーレはずっとルノーエンジンを長く所有、後にルノーワークスになったのも縁を感じる。
最初は変更したばかりのルノーエンジンとシャシーのバランスが、煮詰め切れてなくて結構苦労してたイメージ 改良が完了してからは強くて、最終戦またずに岡山でチャンピオン決定 前年とは違う誰にも文句を言わせない素晴らしい終幕でしたね
95年のベネトンB195はウィリアムズのFW17と比較すると劣っていたマシンでした。
それでもミハエルのドライビングテクニックとチーム戦略がズバリとキマって保守的な戦略を取り続けるウィリアムズを圧倒しました。
惜しまれるのは片山右京がこのマシンに乗れていたかもしれないということ・・・
スポンサーのことなんか気にしないでベネトンに移籍していたら、日本人初にして今現在でも唯一のF1優勝経験者になれていたのかもしれないのですから。
94の右京は白のティレルを駆って上位マシンともバトルを展開してましたからねー。亜久里さんもベネトンからオファー受けたこともあったし、違約金払ってでも移籍してたらどうなった事か…
ベルガーは移籍後シューマッハのセッティングで走りたい!とB195をシューマッハのセッティングでドライブ。
そうしたらとても真っ直ぐも走れない!というコメントを残しましたね。
B195はシューマッハ専用マシンと思われがちだが、マシン自体は特別な物を使っている訳ではなく、シューマッハのセッティング能力とドライビングで勝利したマシン。
ジョニー・ハーバート初優勝の祝賀会はベネトンでなく、ジョーダンでやったのがミソですね。
マジで?
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はい。それだけ勝つためにミハエルからの仕打ちを受けてたんですね
@@user-qe6py8tk3k シューマッハとは仲が悪かったのは知ってたけど
チーム内でも疎外感あったんでしょうかね
ブリアトーレの、優勝するためのむちゃなオーダーをこなせるミハエルがほんと凄いわ。
ミハエルは勝つ事に貪欲でその行為が行き過ぎて嫌われてる側面もありますが、名門を復活させヒルやハッキネンと数々のドラマを我々に見せてくれてセナ亡きあとのF1を盛り上げてくれた功労者だと思います
アレジはテスト走行中、シューマッハスペシャルのB195に乗ったものの、マシン自体
ひねくれ者だったにもかかわらず
結構気に入ったらしい。
アレジがミハエルと同じでオーバーステア好きだったからですかね?
シューマッハと入れ代わりでベネトン入りしたベルガーとアレジが「こんな乗り難いマシンで、シューマッハはよくチャンピオン採れたな…」と言っていたらしいですね。
まぁ…マシン以前に『チーム・シューマッハ』が抜けきれなかった事も低迷した原因だったのでしょうね。
その入れ替わりにフェラーリ入りしたシューマッハは、フェラーリのマシンに乗って「これで勝てなかったの?」というようなコメントを残したとかなんとか・・・
有る意味❗、シューマッハは⁉ マシーンを捩じ伏せる走り方が好みなので?⤴。 超オーバー・ステアのセッティングだったので当時のチーム・メイトのジョニー・ハーバートはシューマッハのマシーンに乗るのが嫌だったらしかったですね😣😎🙅👎。 因みに,悪しからず🚗💨🏁🙌🗽❕❕
@@user-bm6ql2wt7u 運転してみたら外から見てるよりもずっとマシだったとコメントはしてましたね
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そのマシンで上がこけたら勝てる位置にいたハーバートをσ( ̄▽ ̄ )は評価したい。
2回とも棚ぼたとはいえ、言い換えればナンバー1がリタイアしたら確実に勝てる位置にハーバートがいたわけだから、間違いなくいいマシンだよね。ナンバー1をはっきりと決めるチームのマシンとしては、むしろ理想的ですらある。
ハーバートの技術があったのは確かだがマクラーレンとフェラーリよりは良かったかな。
ジョニーはこのチーム体制とマシンで苦戦したと思います。それでも、チームにとって大切なイギリスとイタリアで勝った事は、評価されて良いと思います。
同じチームのミハエルばかりが勝ち続けるレースが多かった95年、イギリスでジョニーが勝った後、ゲスト解説をしていた津川哲夫さんの「もう最高です。本当に最高です!」というコメントが印象的でした。
スペインといえばハーバートがジャッキをつけたままピットアウトしてそのジャッキが「世界最速のジャッキ」とか言われてましたよね。
ジャッキ・スチュワート(小声
シューマッハの凄いところはマシンを滑らせてるのにスピードを殺さないこと。オバステの良いところだけを抽出して走ってる感じ。
速さを追い求めるとオーバーステアが究極系となるんですかね 近年でいえばマックスの後半戦RB18みたいな
シューマッハSPLのマシンで2度優勝したハーバートの力は凄い…
スチュワートに優勝をプレゼントしてるのも凄いよね。
リアが出たマシンはアクセルを適度に踏めば安定させる事ができるので…うまく使えばライバルよりも早く車の向きを変えれて、早いタイミングでアクセルを踏めます。ただ、この調整が難しい(ーー;
先んじて投稿されたB194の特集と合わせて楽しく見させていただきました。
B194が後になって相当疑惑のあったマシンであることは承知していますが、当時幼稚園の年少くらいだった自分にとってはB194が「生まれて初めて見たF1マシン」であり、続くB195が本当に子どもの頃の全てだったといっていいほど印象に残っているマシンです。
右京さんが乗っていたらなぁと、いつも思ってしまいます…。
チーム力に技術力さらに資金力、そして何よりもミハエル・シュ-マッハの実力と
これだけ揃えばもう鬼に金棒ですね、あとジョニー・ハ-バ-トの実力も大きかった事も忘れてはいけませんね。
シューがいたベネトンで唯一勝てたのがハーバート。ジョニーはデビューの時から好きでした。
モンツァでの優勝は持ってる者って思ったわ。
勉強になりました、ありがごうございます。
シューマッハって
フレディ・スペンサーみたいなドライバーだったんすね🇯🇵
いま思えばこの年はミハエルはやって当たり前のマシン
ジョニーファンってのもあるけど、
この年のベネトンコンストラクターズタイトルの立役者はナンバー2としてのやるべき仕事を把握し、見事やり遂げたジョニーハーバートだと思いますね(^▽^)
もし、片山右京さんがベネトンで契約してたら、コレに乗ってたんでしょうね。優勝は難しくても表彰台には数回はイケたと、思われます。
片山右京には行って欲しかったな。ベネトン行ってたらどういうレース人生になったんだろう。
嘘かまことか、B195をドライブしたアレジとベルガーが、「こんなのに乗れるか!」と文句を言ったらメカニックは「は?でもミハエルはそれに乗ってたけど?」って返答しただけだったとか…、
このマシン、ミハエルには乗りやすいクルマだったかも知れないですが、他のドライバーにはとんでもなく乗りづらいクルマだったそうです。
チームメイトだったジョニーはミハエルに勝てず、ミハエルが去った後入団したアレジ、ベルガーに至ってはテストでクラッシュを繰り返して「運転不能」と言われる始末でした。
ミハエルにしか御せないが正しいかな(・∇・;
ベネトンB195は非常に空力に敏感なマシンでハーバートも扱うのが難しいと、言わせた1台ですね💦
現に開幕のブラジルのフリー走行とサンマリノの本選で、シューマッハは大クラッシュしてました😅
それでも、スペインGPにニュースペックマシンを投入すると速さと同時に安定感の向上もプラスになって他チームは歯が立たなかったですね😊
フラビオとロスブラウンの集大成マシンだったのを覚えてます。
オンボードカメラ搭載位置もベネトン位ですけど、とんでもない位置も特徴的でした😅
マイルドセブンのロゴが美しいマシンですね
このカラーリング好き
ヨス.フェルスタッペンは1994年のベネトン在籍時にミハエルのドライビングスタイルとマシンセッティングの利点を見て当時の自分には出来なかったことを息子には幼少時から英才教育したんだろう。今レッドブルでマックスはアンダーの車で速いマシンは存在しないと言ってるくらいだから。
もし右京がベネトン(現・アルピーヌ)に移籍でミハエルのチームメイトだったら…。日本人初優勝の可能性があったかも知れませんね…。
右京とミハエルが仲良しというのは、当然ブリアトーレらベネトン首脳陣は知っているので、気持ち良くミハエルと右京に仕事して貰う為に、クセのある「シューマッハ・スペシャル」B195を右京でも扱えるように、それなりに修正されていたと思いますね。
たぶん優勝2回はしていたと思います。
優勝は無理でもシーズン複数回の表彰台は確実だったなぁ
もったいなかった
@@user-ix4hb6ft4n 逆に未勝利で相手はチャンピオン、相方は未勝利で評価を下げた可能性もありそう。
中嶋ですね。
シューミが移籍して下り坂になっていったベネトン ですが、ベルガーが優勝するのです。やはりベルガーはカッコいい!😆
ハーバートのセッティング能力がかなり反映されてるはず
95年のベネトン・ルノー、どっちかと言えば失敗作のマシンだったと思います。
説明にあったように、マシンが軽い(燃料搭載量が少ない)際に挙動が敏感でミハエルもジョニーも手を焼いてました。
そのため、予選はそこそこの結果(2~3番手でもOK)で、レースセッティングをしっかりと詰めて勝利する方針になりましたね。
これに加えて、このシーズンは最強マシンのウィリアムズに乗るヒルが自滅に近い形でリタイアするレースが多かったため、終盤はかなり余裕を持って戦っていた印象が強いです。
チャンピオンドライバーってオーバーステアのクルマが好きだよね。
頑張って曲げるのではなく、取り敢えずノーズが入ってしまえば後はウデでコントロールする!みたいな。
ユーキもそのタイプなんで今年は是非ポディウムの徹底……………期待してます!
懐かしいですね‼️
ルノーエンジン黄金期を築いた名車👍👍👍👍👍👌
カラーリングはB194やB197の方が好きですが、ホイールの白の具合はこちらの年の方がいい感じに思う👍
シューマッハスペシャルのマシンでしたからね。
シューマッハはやっぱ凄い!
ミハエルは極度なオーバーステアが好みだったんですねw初めて知りました
極端な
オーバーだったか
アンダーステアだったか
でしたよね?
アレジ&ベルガーのコンビになった翌シーズンに、両者がB195をテストしたと動画にもありますが、オーバーステアの傾向が強かったと聞いたことがあります。
オーバーステアを好むアレジは195の進化版B196にも早めに順応出来たようで、且つコンスタントに入賞も果たしていますが、ベルガーはドライビングスタイルが合わなくて手こずっていたようで、そのせいかリタイヤが多かったです。
本来親会社の広告宣伝を参戦目的にし、コーポレートカラーの緑を主体に赤と水色を加えたアバンギャルドなカラーリングとタコみたいなマークが特徴だったベネトンのF1マシンですが、大口スポンサーのキャメル、続いてJTからの資金が入り、逆に親会社からの持ち出しが減少した90年代から独自性を失いました、B195では緑が完全に失われ、マークもロゴタイプのみになり、リアのブラシ塗装にベネトンらしさが残りました。
B195のカラーリングめっちゃ好きやった(・∇・;
シューマッハのB194 とB195のノーズの先端が赤色なのは、チームメイトのマシンとの誤認を避けるためだったらしい。すなわちあの赤色には、さっさとどけよ!オレがお前と同じ周回のワケねーだろ!!という意味である、とネタにした漫画がありましたね。
ブリアトーレの経歴ググると面白かった
ナオミ😂
チャンピオンになるためにはオーバーステアの車を乗りこなせてナンボらしい。並のF1ドライバーはアウトインアウトをトレース。レートブレーキでインに飛び込んでも曲がる車でないとオーバーテイクできない。
最初の頃はハーバードは遜色ないタイムで走っていたのに、いつの間にか、ね
B195 青く塗ったら リジェJS41。
リジェJS41はフランク・ダーニーがデザインを担当したとなっているけど「(失敗作だらけの)彼の能力でこんなクルマが造れるハズがない」と瞬時に思いました。あるジャーナリストが新車完成後ダーニーに「あなたがデザインしたそうですが本当ですか~?」と質問に対しての逆ギレには笑ってしまいました。
11:40 シューマッハスペシャルというか各ドライバーのマシンセッティングやドライビングの癖については掘り下げて聞いてみたい気もする。本当にシューマッハSPのそのままの状態だったのだろうかはたまた秘伝のタレを漏らさないために再調整したのだろうか?
への字のリアウイングフラップって90年代にしかなかったけど
これって空力的にいまいちだったのか、それとも効果あったがレギュで禁止になったのか、わかる方いますか?
恐らく、フラットボトム→ステップボトム(併せてディフューザーの縮小)が影響してると思います。
元々この『への字』ロアウイングってウィリアムズが先に使い始めたんですけど、この年のFW17から採用をやめましたよね。
95年シーズンはベネトンが強いだけでなく、ウイリアムズが弱過ぎた様な気がします。レース中、ウイリアムズが先行するも、ヒットストップ戦略でほぼ逆転出来、ヒル氏とクルサード氏のミスが多過ぎて・・・。ウイリアムズが自滅の印象です。
強引であっても金&政治が物を言う時代
リジェのルノーエンジン使用権を強奪した訳だけど、リジェに供給されてたルノーV10ってワークス仕様だったの?
シューマッハも若い頃はかなりのハンジャラケでしたからね。無理もありません。
片山がベネトンへ行っても勝利は不可能
F1の世界で90年代でドラフターは使われていました?
シューの好みや走りから一番外れたマシンでした
ノーマルステアでコーナリングスピード重視のショートホイールベースなマシンは断トツ最強エンジンでは選択しづらい
ストレート重視の弱オーバーなロングホイールベースにした方が速くなってしまう
与えられたパッケージで速いマシンが良いマシンそれを活かす走りが良い走り
でもなんだかんだ最後までバランスの悪いマシンではありました
前から気になっている事。どうしてV8(ぶいはち)V10(ぶいてん)V12(ぶいじゅうに)と10だけ英語なの?(ぶいじゅう)はだめ?
字数とか言いやすいとかテンポが良いとかそういう理由でしょうね。
@@user-ft6ow8yn5l 確かに「ろく」「はち」「てん」は2文字で読みやすい。でも気になって仕方がありません(笑)。
ソニーマガジンズのグラトクを毎月読んでいた。
1995年2月号?の表紙はこいつだったけど、見た目かなりとんがったマシンで、ピーキーナーバスマシン、下手するとセナの16の再来になるかと不安だった。案の定最初はスピンしたりクラッシュしたりとシューマッハ自身も手を焼いていた。
初夏辺りから落ち着いてチャンピオンマシンに。
右京移籍の話があったけど、シューと同様手を焼いただろう。イギリスとスパ、モンツァ、鈴鹿では表彰台に?
95年のティレルはがっかり。
ドニントンではノリックのヤマハYZR500にゼロヨンで勝ったな。最初はノリックが出たけど右京が引き離した。
誰かに開発を特化したマシンを誰彼スペシャルとよく言うが、バリ伝の群とホンダNSRのフレディ・スペンサー、シューマッハみたいなキレ走りする野郎によく似合う称号だな。
あと、1989年にヤマハからホンダにいきなり移籍してびっくりさせたカネモトホンダのローソンも毎回フレーム補強、重戦車NSRにしてチャンピオンマシンに。移籍先でチャンピオンだからカッコ良すぎる。1989年、ホンダはバイクもF1も熱かったな。
もしベネトン・B195に右京君やクルサード等が乗っていたら…どうなっていたのかは謎…。右京君だったら、日本人ドライバー初の優勝を果たす事が出来た可能性もあるし、クルサードの方はシューマッハのNo.2として活躍できた可能性も有ったかも…?
クルサードではミハエルの脅威にはならなかっただろう。マクラーレンの全盛期の2001年ごろでさえミハエルには敵はハッキネンのみといわれたくらいだし
このシーズンに片山右京がティレルからベネトンへ移籍しこのマシンを上手く乗りこなせばそれこそ同じルノーV10ユニットを搭載する宿敵ウィリアムズに打ち勝ち自身ランキング二位、翌96年は日本人初のF1チャンピオンに輝いていたと思いませんか?✨^^y
シューマッハはなあ。。好きな人おるんか?
勝つためには300k走行するマシンに平気で幅寄せ
何でもアリのドライバだった印象が強い
引退した後のアクシデントは神の裁きなのかもな
セナも
ごめんなさい。
僕、1996~2006年の「赤い皇帝」時代のみ、めっちゃ好きでした。
要はフェラーリが好きなだけ。
95年って青嶋よりうるさい実況がいたよね( ̄Д ̄;
実況じゃなくて絶叫してましたね。
名前は忘れたけど…
鈴木アナウンサーですか?97年ハンガリーグランプリのスタート直後の実況ではアーバンテサンバイン(アーバイン3番手)という言い間違いをしてました😅
ミハイル被害者の会 会長 JJレート
副会長 リカルド・パトレーゼ
右京乗ってよかったとはおそらく開幕までだったろうマシーン。どうせブリアトーレにいじめられる。スポンサーに義理立てて良かったとも言える。
片山右京は当時、ミハエルに「ベネトンに来い」って言われたらしいが・・・、行かなかった。
ソレでツキが逃げて、F1キャリアも堕ちてったんだろうよ・・・。(😓しらんけど。)
ダメだこりゃて当時思ったわ。下手なプライドが邪魔でもしたんかね?
セカンドドライバー?ナンバー2?そうなったとしても、細かい事ヌキで、行けば良かったのに・・・。😇😓
ハーバードは勝ったけど右京でも、勝ってたということにはならない。マシンがよくても、レースは長い。レースをまとめるスキルがないと勝てない。ハーバードは一発の速さより、レースをまとめていくタイプ。だからこそ、ナンバー2が務まる。右京は一発の速さはあったかもしれないけどそれも稀。右京はヨーロッパでやるなら、下位カテゴリーのいわゆるスプリント周回レースまでが限界。たまたま日本のF3000でいいタイミングでシリーズチャンピオンになれたからF1にいけただけ。第1メンタルが鬼弱。
やはり天才?は違う?のかもね 極度のオーバーステアを好む?
シューとマックス 非常に似ている これでRBのアルボンやガスリーは
苦しんだが マックスはそれを良しとしてシュー共々勝って行った
マシンでは無くやはり天才は天才が持つ天性?が違うのさ
一般とて車はアンダーまたは弱アンダーステアと60年前から普通?に
言われている そうな乗用車とて6/70年代ホンダクーペ7/9がオーバーステア
でこれを嫌う一般人 アホな評論家は多くいた?(100%か?)
B195もマシンでは無くシューミの天性あってこそのマシンだったのさ