黄金期の名車は実は駄作?セナプロが酷評したMP4/5の真実【F1解説】【マクラーレン MP4/5】
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- เผยแพร่เมื่อ 3 ต.ค. 2024
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今回は1989年にアイルトン・セナ、アラン・プロストがドライブし、ホンダエンジンを搭載したマクラーレン MP4/5について解説していきます。
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89年開幕まもない頃格下のブラバムマシン見て後藤さんが一言「あのマシンにうちのエンジン積めばどれだけ早いんだろぅ⁇…」ってインタビュー記事思い出しました。
まあティレルみたいになるだろな。
それでも何だかんだでチャンピオンを獲得するわけですから、ドライバーも含めいかに当時のマクラーレン・ホンダの総合力が高かったかが伺えますね。逆を言えば、他チームがそれほどのパフォーマンスを発揮できずにいたから勝てていたという見方も出来ますが‥‥
90年はフェラーリ、91年はウィリアムズにあと一歩のところまで追い込まれてるから、もうエンジンパワーとドライバーの技量に頼るだけのマクラーレンのマシンコンセプトは時代遅れになっても仕方ないでしょうね。
ハッキリ言ってこのクルマはホンダエンジンに助けられてチャンピオンを獲得出来たと今宮純さんが仰るくらいの駄作でしたね。
余談ですが、鈴鹿でのセナプロがシケインで接触した際に実況を担当していた古舘伊知郎さんの「形容する言葉が無い!!」と同時に画面に映った後藤治ホンダ総監督の何とも言えない表情が印象的でした。
パワーが1番で空力が2番でもまだ戦えた最後の時代ですね。このあとウイリアムズがFW14を出し、F1はいよいよ空力第一の時代になっていくんですよね。マクラーレンは良くも悪くも保守的な設計思想をとるチームで、1990年代中盤にその問題が顕著化し、ニューウェイを迎え入れることになるんですが
90年91年セナは「more power」と言っていて シャーシの低さをエンジンパワーでねじ伏せる意思を見せたセナ。
明らかにフェラーリ、ウィリアムズ、ベネトンに後れを取っていたシャーシは素人でも分かりやすい構図でした。
セナは、サイン色紙一枚で一馬力ね❤って、ホンダの担当に言ってたそうですね〜
MP4/4は無敵と言っても支障が無いほどの名車…ホンダエンジンの恩恵のおかげでMP4/5は悪い意味でMP4/4を引き継いでしまったのが…
それでもセナとプロストが結果を出してしまった事で以降のマクラーレンのマシン作りが決定してしまいましたね。
ホンダエンジンにおんぶに抱っこになってしまい他チームに比べて旧態然としたシャーシ…92年にツケを払うまで先延ばししたチーム体制に問題がありましたね
保守的なのが悪い訳では無いけど、次の一手を打つのが遅すぎた。
トップドライバーの二人。
強力なエンジン。
現場スタッフのチューニングとセッティング対応。
その苦労が誤魔化してもしまった。
周りが不甲斐ないとは言え、シャシーの性能不足を補うホンダエンジンとアイルトン・セナの腕は凄いな
昔のマクラーレンはテディ・メイヤーの頃から成功体験を維持しがちなチームで良くも悪くも保守的。まあ技術屋チームと呼ばれ革新技術を輩出しながら次々と人材が流出して今やテールエンダーになってしまったウイリアムズを思うとどうすれば正解だったのかは何とも…
1989年のマクラーレンのマシンMP4/5は、ぶっちゃけ前年のMP4/4のコンセプトをそのままに
ターボエンジンからNAエンジンに変わった事で、NAエンジンを搭載させる為だけに改良したにとどまった
マシンで、マクラーレンチームとしては前年のMP4/4で前人未踏の16戦15勝という偉業を打ち立てて
しまった為、マシンのシャシーの空力面を大幅に変える事をおそれてしまった為、その後、数年にわたって
ホンダエンジンのパワーとアイルトン・セナのドライビングに頼らざるをえないマシンになって
しまいましたね。(>_
90年シーズンに時代遅れとなっていたMP4/5Bに乗ってチャンピオンになったセナはすごいですよね
テストカーのMP4/4Bの方が、ハンドリングが良かったと、聞きました。
V8 ぶいはち
V10 ぶいてん
V12 ぶいじゅうに
なんで「ぶいとう」って言わないの?
なんでV10だけ英語なの?
ここら辺がダサい日本
あ、違うとこに書いちゃった😂😂
この時からマクラーレンのシャシーは時代遅れになりつつありましたが、ホンダエンジンのパワーに救われてましたね。しかし、セナとプロストの確執やトラブルに加えてピットクルーも足を引っ張る時もしばしば…危ない足音が迫りつつあったもののライバルのフェラーリがセミオートマのトラブルに苦しんだこともあってマクラーレンの王者は揺るぎませんでした。
勝てればよかろうもん…王者のチームはどこもその姿勢でいるものだから連覇が止まった次の年から暗黒期に陥るものです。新しいコンセプトを早く生み出していればマクラーレンにセナが抜けてからの長い暗黒期はなかったのではないでしょうか?
ただマクラーレンというチームはホンダが撤退してセナが抜けた後のあの長い低迷期がなければ、ニューウェイを迎えてマシンが革新的に変わることはなかった気がします。でもニューウェイを獲得できたのも彼がウイリアムズでヒル解雇を巡ってフランクと喧嘩別れしていなければどうなっていたのか…
@@maakyuunnjapaanerr4352 様
セナがマクラーレンから卒業した?後に、ハッキネンと言う新しいマクラーレンのNo.1エースドライバーを確保出来たのも良かったですね‼️🤗
ラウダ→プロスト→セナ→ハッキネンへと世代交代が上手く続いた。
13:09シーズン後半には、ひとつのチームの中にふたつのチームがあるような状態になってしまい、フェラーリ行きを決めてからプロストはチームに対して投げやりな態度となり、イタリアグランプリではチームの持ち物であるトロフィー🏆を表彰台から観客に簡単に渡してしまい、ロン・デニスの怒りを買った(のちにレプリカで弁償して返したけれども)。
あれをやったのはプロスト以外いない気がする。プロスト凄いメンタルだ。
後年中嶋さんがイベントで乗った時、全ての面でティレル車よりレベルが上と言ってましたね。
ホンダとマクラーレンが組んでいた時期って、「ひどい車」とまでは言われなかったのはMP4/4・・・それとて16戦15勝したからそうなのかも知れなくて、4/5Bはバットマン・ディフューザー位しか印象がなくてフェラーリ641/2に追い回されたし、MP4/6もウイリアムズ・ルノーのFW14よりマシン性能は劣っていたし、MP4/6BやMP4/7は高速コーナーで絶望的に遅かった。どんなコースでも大きなリアウイングを立ててむりやりダウンフォースをつけるしかない車で、フィリップモリスが「いつもロゴが目立つ」と皮肉った(喜んだ?)という話も仄聞したことがある。
でも、それでも「ひどいエンジンだ」とホンダエンジンが酷評されることはなかったし、ホンダエンジンじゃなかったらこういう成績にはなっていなかったのは確かなんだろう。
@harumichael2351 ま~、91年のマクラーレンMP4/6と92年のマクラーレンMP4/7は
大きく重いV12エンジン仕様で、直線でのスピードはホンダエンジンのパワーで
速かったけど、タイトなコーナーではマシンバランスが悪く曲がりずらい。
よってトータルバランスに優れたウイリアムズFW14&FW14Bにコーナーで煽られまくる
シーンが多かったですね。
ホンダのV12エンジンはパワーがあったので、ウイリアムズに苦戦しながらも
そこそこ戦えたのに対し、同じV12エンジンを搭載するフェラーリはV12のわりには
エンジンパワーがホンダやルノーに比べて、非力だったので、マクラーレンやウイリアムズに
太刀打ちするどころか、ベネトンやロータスのマシンにまで、ケツをつっつかれる始末で
「むごい」ものでしたね。(>_
ロータスやブラバム同様にプルロッド式でもあれだけ早いのも驚き
リアウィングも90年の
B型に比べたら遅れてる感がありましたが。
エンジンがもちろん強力なのと
なんだかんだ文句を言われつつもチャンピオンを取ろうと凄腕ドライバー二人が凌ぎを削る激化したセナプロ合戦を演出するマシンでもある最高で最強の
駄作?名マシンですね👍
ホンダのV10エンジンを積んでも微妙な
91年のティレルも考えればなかなか💦👍
プルロッドがプッシュロッドより性能が劣るということはないですよ。
MP4/4で低重心コンセプトからプルロッドを採用したに過ぎません。
最新のF1でもレッドブルRB19のフロントサスはプルロッドです。
ティレルが積んだホンダV10は先行カスタマー仕様なので事情が少し違う。マクラーレンが積んだエンジンより二桁重かった。
@@thanksforgiving そうなんですよね💦まさか近代になってまた採用され、しかも問題のなさも証明してますしね👍
いかにマシンパッケージも重要なのはこのマクラーレンもそうなのかもですね。
それプラス空力ですかね💦
@@堀越一男-d5z まぁそうなんですけどけどね💦
こちらもドライバーから
は特に中嶋氏からは微妙なマシンだったらしく💦
それでもSモデナ氏が頑張って表彰台に登ったので
カスタマー系としては
バランス取れたマシンだったのかもですね💦👍
ホンダV10ティレルは期待していたがシャーシとのマッチングの悪さとピレリタイヤがホンダパワーに負けており今宮淳さんもインタビューで1+1が2にならないマシンって言っていたのが印象的でした。
プラモ作ると MP4/6まで 変わんねーなー がわかります これでトップをキープしたセナのすごさがもわかる
ドライバーとエンジンで勝っていただけ。他のマシンがポンコツ過ぎたのも要因の一つだろう。
実際ドライバーの確執ばかりが目立って、クルマがどんなだったか殆ど印象に残ってない。
少なくとも'89以降は、シャシーの設計自体はお粗末なものでしたが品質は最高級だったので、トップチームでもリタイヤの多かった当時のF1においてシャシー・エンジン共に抜群の信頼性を誇っていたことは見逃せない事実です。
そんな保守的で時代遅れなマシンを駆ってチャンピオンになったセナやプロストの腕がマイナスを打ち消してましたね。
まあ、91年までで以降は苦戦するのですが。
MP4/5はタイヤ交換のミスでタイム大幅ロスのイメージ。
マニアックですが開幕戦のプロストが、ミッショントラブルを抱えながら、ボロボロタイヤで2位に入ったのは凄い。
開幕戦のプロストさんはミッションではなくクラッチトラブルです。
シフトアップはドグミッションなのでクラッチを切らなくても変速出来ましたがシフトダウンはヒール&トゥでクラッチを使いブレーキングしながらブリッピングをしてたのですがクラッチトラブルの為シフトダウンでもクラッチを使えませんでした。
クラッチが使えないため、タイヤ交換が出来ないからそのままのタイヤ交換で走り切りました。
フォルムからしてMP4/4にインダクションポッド付けてNA対応しただけの付焼刃的なマシンにしか見えないもんね。
なので基本的にV6ターボ搭載前提の設計なので、V10NAを積んだらバランスは滅茶苦茶なんだろうね。
取り合えずNAになってもホンダエンジンのパワーに助けられたみたいな。
1989年のFI総集編(VHS)で解説をした今宮純氏と森脇基恭氏が「はっきり言ってこのMP4/5、ホンダエンジンがなければチャンピオンマシーンにはなれなかった」と厳しいコメントを発していたのを思い出しました
翌年のMP4/5Bは移籍してきたゲルハルト・ベルガーはマシンが合わなかったようでしかもコックピットが狭くて開幕戦はブレーキ踏むときアクセルとブレーキを同時に踏んでそれでミスしてコーナーでスピンしてマシンにダメージを与えてリタイア、その後チームもベルガー用にマシンを改良したようだけどそれでもベルガーにしたら扱いしにくいマシンだったらしいね。
小柄(といっても174cmあるが)のセナに対し、ベルガーは185cm。
セナに合わせて作られたため、体格差のあるベルガーにはキツかった模様。
変わる規定に対して強かったチームほど保守的になりすぎて衰退していくという傾向はありますよね
2026年のRedbullも同じようになるのだろうか
MP4/5Bのウイングをそのまま上にあげたクロコダイルノーズのテスト写真を見たときに、「ああ、これはダメだな」と中学生ながらも思いました。
実際、マシンをテストドライブしたアイルトン・セナからも「これじゃ、縁石が見えなくて
ドライブしにくいよ!!」・・・とクレームが出てたそうですからね。(^-^;
91年のベネトンやティレルのような「ウイング吊り下げ式ハイノーズ」だったら結果は違って
いたかもしれなかったですね。(^-^;
ホンダV10エンジンと二人のチャンピオンドライバーのお陰でしょうね。
セナはカーナンバー1より"12"か"27"のイメージ🏎️
マクラーレンはオス型成形モノコックのままで既に空力面で不利でしたね。
92年にやっとメス型を採用した頃には時代遅れで剛性確保が出来ず。
ただ、セナに高額な契約金を支払うためにマシン開発が遅れた側面もあり、一概にチームの責任とも言えないな〜。
ミッショントラブルが多かったですね。シルバーストーンではセナがギヤボックストラブルでスピンしたし、ホッケンハイムではプロストがギヤボックストラブルでセナに抜かれたし。
ホンダエンジンと二人の突出したドライバーのおかげで10勝はしたけど、保守的過ぎて翌年からは苦戦のシーズンが続くんだよね。91年まではどうにか王座守ったけど、92年に目を覆うばかりの惨状に…。
当時見た感じでは1988年に続いて1989年も圧倒的に強かったマクラーレン・ホンダですが既にこの年の時点でかなりの問題を抱えていたんですね…
1990年になるとMP4/5Bは明らかにライバルのフェラーリよりもマシンの総合力で見劣りしていましたしセナのドライビングとここぞのホンダパワーで
何とかドライバーズ・コンスラクターズ両方のタイトルを獲れた感じです。
この年は新たにチームに移籍したベルガーの成績がマシンパフォーマンスに相応しい結果だったのかもしれません。
88年が素晴らしいパフォーマンスを発揮したことにより、決して捕まえることの出来ない、亡霊を追いかけてしまったんですよね
マクラーレンもレイトンハウスも
モ-タ-スポーツの世界では、あるある、なんですけど
むしろドライバーの確執があった事によりいち早く亡霊に気付けたのかも知れないですね。
エンジンは後年のV12よりよかったはずだけど、三角のフロント翼端板、カクカクのボディ…
ひどいよね🤔
明らかに時代遅れのシャーシでしたが、エンジンとドライバーに助けられた印象がありますね。ライバルの他のトップチームがやっぱり時代遅れだったり逆に新機軸すぎて信頼性を欠いていたり、マーチやティレルのようにハイノーズを取り入れるなど先見性のあるチームもありましたがトータルパッケージでは力およばずだったりと、そういうNA元年での他チームの熟成不足に助けられた感もあります。90年は熟成が進んだフェラーリに苦しめられ、91年は先進的なウィリアムズに苦しめられながらもエンジンとセナでなんとかなりましたが、ホンダを失なった92年以降はしばらくドン底にハマる羽目になったのが、89年ぐらいからのシャーシ開発の怠慢に原因があったかなとおもいます。
なまじ成功作なのでコンサバ呼ばわりされたデザインコンセプトに翌年もこだわり、ティレル019見て「我々がコレ(空力コンセプト)をモノにするには少なくとも二年はかかる」と驚愕したロン・デニス。
クロコダイルマシンをテストしてましたね😂
@@tascatasorte787無理矢理ハイノーズにしたゲテモノ感満載のマシンでしたね(笑)
本来は88年からノンターボ車を投入するつもりでデザイナーのマレーもノンターボ車の設計をするつもりだったみたいですね
しかし88にロータスにもターボエンジンを供給していたホンダが2種類のエンジンを投入することを嫌いマクラーレンも88年はターボ車となったようです
困ったのはマレーで急遽ターボ車を設計するように言われても今からでは新設計は無理ということで自身が設計したブラバムBT55そっくりなマシンを作り実戦投入しました
その間にオートレイ、ニコルズらほかのデザイナーがNAマシンの設計を行うはずでしたがMP4/4の大成功によってNA車の開発は中止しMP4/4のコンセプトを引き継ぐという判断になりました
一方フェラーリはターボ車であったF187の後継機の投入は早々に中止しその間にデザイナーのバーナードに全く新しいNA車の制作を任せるという全く反対の決断をしていました
結果どちらの判断が正しかったのかわかりかねますがどちらのチームも大成功したマシンデザインはなかなか変えることができないという同じような苦悩をあじわうことになりました
まぁ4戦連続リタイヤもあったし前年と比べたらねぇ、観てる方はフェラーリまさかの優勝とか面白かったけど。
マクラーレンはF1業界で最も早くカーボンファイバー製モノコックを導入したけれどもジョン・バーナードがMP4で取り入れたのはオス型成形にセパレートカウルカバーを別に被せる古典的手法でした。
それがMP4/5でも変わらず、やっとメス型成形に変更切り替えたのは1992年MP4/7Aからでした。
ホンダエンジンに頼り過ぎて依存症になった副作用が車体シャーシの設計古さですね。
プロストが1989年を最後にマクラーレンと別れてフェラーリに移籍したのもMP4シリーズに限界を感じていたからかも知れないですね。
まあ移籍したフェラーリもオス型成形とセミAT化したとはいえ陳腐化した2軸デフ後の縦置きギアボックスだったけどな
段絞りノーズとごく僅かなハイノーズ化したモノコック下面縦長エアトンネル化したサイドポンツーンは新しかったけど
@@crankyfranky9801 様
雑誌GPカーストーリーで、フェラーリF640(試作モデルF639がスタート)を設計デザインしたバーナードの談によるとマクラーレンMP4シリーズとは少し違い
モノコックにオス型成形部分とメス型成形部分の両方取り入れてモナカのように張り合わせてドッキングさせたとのコメントが興味深くて面白いでしたね‼️🤗
それより何よりもフェラーリF640の目玉商品的な技術テクノロジーと言えば、
やはりセミオートマチックトランスミッションの導入ですね‼️🤗
プロスストがフェラーリに移籍してドライブした後継モデルF641(F641/2)には、ギヤ段数を飛ばして早くシフトダウン出来るフルオートマチックに近い?モノも用意された(パドル操作では無くボタンを押すことで作動)
あとサスペンション(フロントにだけですが)に従来のコイルスプリングでは無く捻り棒を利用したトーションバースプリングを使ったのも画期的でした。
バーナードがマクラーレンを去った後のMP4シリーズは古い設計のままでした。
セナはタイムを出すために、エンジンの高回転域をよく使うドライビングで、ホンダはパワーを出す為に高回転域にパワーバンドを持って来るやり方でパワーを出していたため、ホンダはセナとの相性は良かった。対してプロストは、エンジンを壊さない為の癖で、中回転域をよく使っていた為、パワーバンドから外れてパワーが出ていないという感想を抱いていた。それがホンダはセナと違うエンジンを渡している、というプロストの言い分に繋がる。実際は全く同じエンジンなのだが、要はエンジンの使い方の問題だった訳だ。ホンダはプロストにも、もっとエンジンを回してくれ、というアドバイスをしていたという証言が有る。
V10を載せた4/4Bを走らせた時点でピロはマシンバランスが悪いと訴えていたね。
89年は他チームも色々と苦しみマクラーレンの問題が顕著にならなかったけど、90年以降はセナの腕だけで勝ったようなだけだったから。
MP4/4は…マーレイがBT55で上手く行かなかった事をマクラーレンで昇華させた車ですね……。しかもターボ時代の最後で2.5バールに抑えられたし…86年は青天井でしたから…。MP4/5は…見た目が既にコンサバティブ過ぎる………。エンジンとシャシーとエアロダイナミクス…を投入したチームとの差が出来上がった車を見ると激しかったですね、下位チームでも攻めた…やったな…っていう…チームありましたよね??ペンシルノーズに低いサイドポンツーン……ノーズから外側に反り立っていったフロントウイング…しかもワイヤーで吊って…………。車の見た目が楽しかった中で、マクラーレンの普通…………みたいな………エンジンとドライバーが良くて胡座かいちゃったかな…………???って感じですね。しかし89年の鈴鹿の予選………セナのラップは素晴らしいですね!!!ポールポジションを獲りにいったレーサーの渾身のラップ…………。シケインの突っ込みが全て…………。片手でシフトダウン、片手でステアリング操作、両足はヒールアンドトゥ……。あの車載映像が忘れられませんね……。誰よりも1周を速く走る…………レーサーの誇り…と私は思いますね。
紳士協定の時だ😅やっぱり、シャーシの問題だったんだ😅
マクラーレンのニールオートレーはホンダエンジンのパワーはあっても重量や熱容量のマイナス面が大きくて車体側でかなりの妥協を強いられたとか。
空力に優れたメス型成型モノコックの採用が遅れたのが92年の不振に繋がる。
セナの高額な契約金もマシン開発を遅らせる要因になった訳で…。
ホンダエンジンとセナの組み合わせは長い目で見れば後の低迷の要因になってしまいましたね。
良く言えば「枯れた技術を限界まで使い切った」んでしょうけど・・・・
89年はマクラーレンよりも勝利数は少ないが、ウイリアムズとフェラーリとベネトンの方が革新的に思えた。
ウィリアムズはシーズンの殆どを前年型をモディファイしたFW12Cで保たせて、シーズン終盤にようやく投入したFW13も、パトリック・ヘッド毎度お馴染みなオーソドックスマシンだったけどな。
@@5red90 様
この時代のF1は、前年度に使用したマシンの車体モノコックを改造して使い回しするのは普通で常套手段でしたね(ニューマシンがデビューするまでの間に合わせ処置)
ウィリアムズFW12CもジャッドV8エンジン用だったFW12にルノーV10エンジンを搭載出来るように改造(熱交換器ラジエーターのサイズが大きくなったので左右サイドポッドも拡大された)された。
マクラーレンもMP4/5を翌1990年にMP4/5Bとして使い続けたのですが、セナとプロストの体格に合わせて造られたモノコックだったのでフェラーリから移籍してきた新加入ベルガーの体格(長身だった)には合わなかったですね。
@@中村佳己-t4rさん
ウィリアムズはFW11・14も、どちらもアクティブサスを搭載したが外見的にはあまり変わらないBで、高いポテンシャル発揮してましたね、
マクラーレンはMP4/2をCまで3シーズン使用し、三連覇しました。
MP4/5は10勝を挙げたものの、ホンダパワーにおんぶ抱っこ状態なのに慢心して、バーナードの640の脅威を軽視したデニスとオートレイは、いかにも彼ららしい判断だと思いました。
ベルガーはセナより10センチ以上身長高いので、脚を切らなきゃならないと嘆いてましたね。
@@5red90 様
1984年MP4/2→1985年MP4/2B→1986年MP4/2Cまでの3年連続タイトル獲得(1986年だけコンストラクタータイトルはウィリアムズに奪われましたけれども)見事ですね‼️🤗
MP4/2を設計デザインしたバーナードが言うには「設計が優れていれば最低でも3シーズンは同じモノコックで戦える」との事。
フェラーリでも1989年F640→1990年F641(F641/2)→1991年F642まで基本設計変えずに使い続けた?
3年連続で同一モノコックを使い続けた例は、
1991年ティレル020(→1992年020B→1993年020C)や1992年ロータス107(→1993年107B→1994年107C)も有りましたね‼️🤗
1980年代中期(1984年頃)から1990年代前半(1993年まで)にかけて、ほとんどマクラーレンとウィリアムズの2チームがタイトルを分け有っていた構図でしたね(部分的にフェラーリもタイトル争いに絡む場面シーンも有りましたが長続きしなかった)
1988年ホンダターボエンジンをウィリアムズから奪い取ったマクラーレンが1991年までの4年間ドライバー&コンストラクター両タイトルを獲得し続けましたが、1992年から一気に流れが変わってウィリアムズに両タイトルを持って行かれてしまいましたね‼️🤗
ウィリアムズの1991年FW14(パッシブサスペンション)を1992年FW14B(アクティブサスペンション)にアップデートしてから形勢逆転したって感じでしたね‼️🤗
@@5red90 様
1989年から全チームマシンともターボエンジン禁止して自然吸気エンジン使用のレギュレーションに全面変更した事で、特定チーム(マクラーレン)だけが勝ち続ける?状況を変えて勢力が分散(複数のチーム同士で優勝争う)する形にしたFIAの思惑狙いは、いちよ当たりました。
しかしレギュレーション改定して2年3年と経過していくうちに、再び元の状況に戻ってしまいましたね‼️🤗
ベルガーがセナやプロストと比べて極端に身長体格が大きいのが災いとなってしまった。泣
もしベルガーがセナとプロストの、どちらか似た体格であれば少しは楽になっていたかも知れないですね‼️🤗
WWIIで、後継機の開発が思うように進まず、徐々に優位性を失っていったゼロ戦が思い浮かんだ
ふとバルサンしばらく見てないので過去にバルサンしたエンジン取り上げてもらいたいです
89年シーズンはmp4/5より
フェラーリ640のほうがシャシー
優れていたように感じました
ジョン・バーナードの基本設計を踏襲し陳腐化が否めなかったMP4/5とそのバーナードが手掛けた新型640では。
MP4/5も、MP4/5Bも
ストレートスピードが速かった
ホンダのハイパワーV10エンジンで巨大リヤウイングによるダウンフォースを得たマクラーレンMP4/5であっても、アンダーパネル後方部分のディヒューザーも使いたいからギヤボックスを縦置きから横置きに変更しましたね‼️🤗
翌1990年MP4/5Bで有名な「バットマンディフューザー」を取り入れた時には、本当にビックリさせられてしまいました。
でも横置きギヤボックスに変更した事で困った点としては、エンジン始動させる作業に手間が掛かってしまう?
外部スターターをギヤボックスに差し込む場所が横方向になるので大変。
長年マクラーレンMP4シリーズを熟知してセットアップに関しても抜群の腕前を誇るプロストであっても、さすがにMP4/5のセットアップに関しては手を焼いて苦労していましたね‼️🤗
プロストがドライブするMP4/5のカーボンモノコック一部が剥離してサスペンションのアーム取り付け部分の強度が落ちるトラブルも発生した事があるそうです?
レースの無い期間にセナがブラジルに里帰りしてバカンスを楽しんでいる最中であっても、プロストはMP4/5をテストして最適なセットアップを見つけ出す作業を担当していました。
セットアップ作業を任せっきりにするセナに対してプロストが一言「仕事しろ!」とコメントしていたのがGPカーストーリーに書かれていたのが興味深いでした(セナは、プロストがセットアップするマシンが速い事を承知していましたから)
プロストが去った後の1990年は、セナと新しくマクラーレンに加入したベルガーの2人でMP4/5Bの改善改良しないといけなくなったのでセットアップ作業が大変だったと思います。
ベルガーはプロストに比べると車の調整も走り方も雑。
@@specialconcorde 様
フェラーリに移籍したプロストと入れ替わる形でマクラーレン入りしたベルガーですが、セナとプロストの体格に合わせたモノコックは窮屈でシートポジションがキツイためドライビングのハンディを背負っていたでしょうね。
長身のベルガーに合わせたモノコックが用意されたのは1992年MP4/7Aからだと言われていましたね。
それでも新加入1年目の開幕戦米国フェニックスでポールポジション獲得したのがベルガーらしいですね。
世界王者を獲得出来なかったでしたがセナをサポートしてマクラーレンのコンストラクタータイトル獲得にも貢献した。
1990年~1992年の3年間マクラーレンに所属してセナのチームメイトを努めてきたのは決して無駄では無かったと思います。
1993年に再びフェラーリに戻って来たのもベルガーならではと言えますね‼️🤗
フラットボトム時代になって
から、ゴードンマーレーのクルマは相対的に他のクルマよりすべてディフューザーのサイズが小さかった。mp4/4からじゃないんだよね。mp4/4の基本コンセプト自体が当てにし辛いフロア下面のダウンフォースを保守的なデザインにしたままでボディ上面での空力効果を最大限にするコンセプトだからね。車高が高くてもフロア依存してないのでダウンフォース量は他車に比べて大して減らないし、
高い車高は相対的に柔軟な足回り設定が可能になるのでドライバーフレンドリーな性格のクルマになるしと必ずしも悪いことをばかりではないわけで、フロアダウンフォースが安定的にそして強大となるアクティブサスの時代が来るまでマクラーレン・ホンダがシーズンタイトルに絡めたのはそういうことだね。ファンカーやらジャッキシステムで飛び道具の印象が強いマーレーだけど実はカーボンモノコックの採用が最後だったり、前述の空力コンセプトだったりと発想の基本は保守的なデザイナーでまさにトーラナックの後を継いだブラバムらしいデザイナーだったんだよね。
F1で早くにカーボンファイバー製モノコック取り入れたマクラーレン(1番目)やロータス(2番目)に対してブラバムやウィリアムズ、それにフェラーリもカーボンファイバー製モノコック導入が遅かった後発組。
特にブラバムは、アルミニウム合金モノコックに補強する意味でカーボンファイバーをチョコっと取り入れたくらい?
ウィリアムズはカーボンファイバー製モノコック導入が遅れましたが、その代わりに最初からメス型成形の本格的なモノを出した。
それが実はマレーはBT55の長いホイールベースのおかげであの小さなディフューザーでも大きなダウンフォースを生むことに気付いたらしいんだ
今日に至るフロア下面の面積増大の原点だね
MP4/4は実車も見たけど直後に旧式化するデフ後配置とはいえ3軸化したギアボックスでかなり理想的なディフューザーの形状をしていた
なぜ退化したのかが分からなくてMP4/5後期型で横置きギアボックス化以降も迷走し漸くMP4/7Aから改善したように見えるな
とはいえただの頑固者というわけではなく、飛び道具専門でもなく、最初期にリアウイング周りにカーボンを導入したのはヘスケスやマーレーだし、カーボンブレーキも彼。プルロッドしかり、フロントバルクヘッド一体式のダンパーステアリングユニットの合理性、はてはグラウンドエフェクト時代の遥か前にブラバムの床下にV字型にブラシを取り付けて空気を追い出しダウンフォースを付け足したのも彼なんだよね。開発熟成と革新を同時にやれたのはしっかりとした基礎が
あったからなんだろうね。 それとギアボックスだけど彼はワイスマンで一度
失敗してるんだね。ミニマムサイズの横置きでウイングカーの効率が上がるはずが極めて神経質な操縦性になって事実上お蔵になったBT49bだね。
セナプロが操る名車というイメージだったが違っていたのか?少しショックだなぁ
セナ・プロの力で勝ったというのは
すでに1989年に言われてましたし
翌年
ベルガーが乗って
残念なかまら判明されてしまいましたね。。
マシンよりドライバ-の腕が試された最後の時代、だったかもしれない。
マシン以外の内容になりますが、1989年からプロストは今まで愛用してきた米国BELL(ベル)製ヘルメットから日本のアライ製ヘルメットに変更しましたね‼️🤗セナは米国BELL製ヘルメットのまま変更せずでした。
当時F1ドライバーの大半がアライ製ヘルメットを使用して圧倒的シェアを誇っていましたね‼️🤗
今のF1でアライ製ヘルメットを使っているのはアルファタウリの角田選手だけですね。
昨年引退したベッテルもアライ製品使っていましたし、最近アルファタウリで現役復帰したリカルドもアライ製ユーザーでしたがドイツのシューベルト製ヘルメットに変更しましたね。
@@457op661 様
セナとベルガー共に、ホンダ系列純正ヘルメットのレオス製品を1990年と1991年に使っていた。そしてホンダとの最後のシーズンでSHOEI製ヘルメット(X-four)をセナとベルガーが使いましたね(セナは1993年も引き続きSHOEI製ヘルメット使用)
1991年頃から鈴木亜久里選手を中心にフェラーリのプロストやアレジがSHOEI製ヘルメットを使ってきって一気にシェア拡大しましたs。
1994年ウィリアムズに移籍した時に再びBELl製ヘルメットの新型を使いましたね‼️🤗
この時点で風洞がしっかりして居たら、MP4/5がMP4/5Bだったらねぇ。
MP4/5は名車MP4/4をNA仕様にしたクルマなのでバランスが悪くなったのは当然ですね。
ホンダエンジンはハイパワーで信頼性は高かったが重かった。
ウィングの大きさでダウンフォースを得るという空力的にはすでに時代遅れのマシンでした。
各サーキットのポールタイムをMP4/4と比較すると、圧倒的にMP4/5の方が速い。
コースによって差は異なるが、大きい所では2秒以上違ってたりする。
いかにNA元年のマシンがコーナリングスピード重視の設計思想に変わったかということですね。
これはピレリの復帰によって、グッドイヤーも予選用タイヤを作るようになったってのが一番デカいっす。
縁石の使い方とか明らかに前年までよりアグレッシブになってましたよね!
そんな車なのに、MP4/5Bで90年も戦うマクラーレン💦
プロの中のプロたる人は、なかなか自分の道具をこれが最高とは言わない。
確かに、ルノー+ウイリアムズの組み合わせには全く及ばない出来でした。
Turbo時代よりもコーナースピードが上がってタイムも良くなっているにも関わらず、それでもダメ出しするドライバーの技量が物凄い❤
データがスタンダードになった現代では…それはソレで凄いんだけど
@@457op661 当時、ストロークも無くてガチガチに見えましたね
ノンアシストのステアリングはキックバックが酷くて、しかもほとんどはHパターンのマニュアルシフト
暴れまくる感じだったのに、セッティングが…とかドライバーはホントに凄いですね
テレメントリーシステムを持ち込んだのは、ホンダが最初。
@@神木大地 その時代を切り開いたホンダでさえ休止している間に競走は激化していて復活までの道のりは長かったですね
出る杭は打たれる
強いチームはルールで弱体化される
マシンバランスと空力、ハイテクデバイスが重要になるはずだったシーズンで最終的にウイング立ててダウンフォースをかせぎエンジンパワーで力推しのターボ末期のコンセプトのマシンがチャンピオンだからねぇ、ドライバーの腕が良かったとは言え結局は高性能エンジンを単独使用出来て次々と開発とテストが出来る資金力が物を言うって事ですかね、悪い言い方をすればチャンピオンを金で買ったみたいな物なのかもね。
MP4/5は個人的にはマクラーレン・ホンダでいちばん好きだった☺️💖
一般的にはあまり良い印象は無いんと思うんだけど😅
89年の鈴鹿のセナのオンボードカメラの映像が、当時観てて頭から離れなかった☺️💖
マールボロ・マクラーレンはカーナンバー「1」が似合うと思うからかな🤭?
昔からマクラーレンはエンジンに頼った車しか作れなかったのですね
ホンダエンジンを失ってからメルセデスエンジンを得るまでの低迷、
ここ10年の低迷はマクラーレンのあるべき姿
そんなチームがトップで居られたのも、エンジンとドライバーが良かったのですね。
こう見ていくとアイルトンが満足した車って4/4だけなんじゃないのかな。
しかも、アイルトン・セナが初めてF1でワールドチャンピオンに輝いた時のマシンが
1988年のマクラーレンMP4/4でしたからね。(*^^)v
当時のマクラーレンは古過ぎた?よね 他チームからも言われていた プルロッドサス
他は皆?プッシュロッドに変わっていたが マクラーレンは他もすべて古過ぎていた
後に来たアクティブサスとてプルロッドでも可能だがロータス99Tタイプが限界
プルロッドでは底着きいやすく限界も浅い それらを永く使い続けたのも問題さ
モノコック言うまでも無く 開発?を止めてはダメ と言うことですわ
当時のマクラーレンは 古過ぎました とさ
このシーズン、ウィリアムズは何故かFW12のフロントサスをプルロッドにしたな。
当時からパトリック・ヘッドの考えがイミフだった。
いつもMP4/5の話でコメントしてるんだが
なぜリアディフューザーがあんなにチャチくなってしまったのか?と疑問に思う
MP4/4はベネトンB188やマーチ881ウィリアムズFW12に次ぐレベルにあったのに
ホンダエンジン時代のマクラーレンって、雄型、プルロッド、H型シフトの平べったい車体で時代遅れ感満載で好きではなかったです
それでも10勝したし、カナダ、日本、オーストラリアはほぼセナが独走してたので、当時はやはり早いという印象でした。
イタリア・オーストラリアGPも。
シャーシのカッコよさはピカイチだと思う
この年、セナプロの確執が決定的になって翌90年も、タイトル争いが日本GPまでもつれ込んで、スタート早々に接触、今度はセナがワールドチャンピオンとなったんだけど、当時子供だった僕は、両ドライバーを応援していただけに、すごくショックだったのを覚えています。
子供だったのに片方に肩入れしないで両方応援してたのはすごい、やはり意見は両方から聞かないと駄目だな勝手な思い込みは危険。
ウイリアムズとマクラーレンが合体すれば凄いチームに、、ならないか😅
エンジンのパワーだけって感じだったな、セッティング気にしないプロストとウダウダ細かい癖にレースでは速いセナだから勝てたんよな
ぶっちゃけ、野暮ったいよね
デザインが
今私が思うのはチーム代表ロン・デニスの無能さですね。教訓として多くのものを彼から学びました。
技術開発に他チームから遅れをとると取り戻すのが大変になります。そうなっているのを知りつつ何の手も打たず現状維持を続けるのは無能な経営者の特徴です。この頃彼は本業のレース活動をかまけて市販スーパーカーマクラーレンF1GTRの開発に力を注いでいたのです。
また結果だけを見て満足し状況を分析出来ないのもこれまた無能な経営者の特徴です。シャシー性能の低さをホンダエンジンのパワーと全体的な信頼性の高さとドライバー特にセナの能力の高さで補ったようなもので他チームの信頼性やエンジンパワーが上がれば追いつかれるのは時間の問題でした。我々のような素人でも分かったそんな事すら読めなかった彼はもはやチーム責任者として不適でしたね。今日のマクラーレンチームの凋落は既にこの時から始まっていたのです。
効果があったか疑問でしたけどMP4/5Bのバットマンディフューザーはカッコよかったですね。
ただ、バッドマンディフューザーは当時、マクラーレンチームのエアロ担当だった
「マイク・ガスコン」さんが前年のマウリッシオ・グージェルミンの「マーチ」のマシンの
ディフューザーの形状を見て、真似してポン付けした代物で、当時のマクラーレンMP4/5Bは
まだ、マシンのダウンフォースをフロントとリアのウイングで稼ぐシャシー設計だったので
フロントノーズからの空気の流れの制御をし、グランドエフェクト効果を引き出すマシンじゃなかったので、バットマンディフューザーの効果は、はっきり言ってゼロに等しかったそうです。(>_
あれは見掛け倒しで終わった感じですね。実際にはあまり空力性能良くなかったとか。
シーズン進むと廃止されてごく一般的な、直線的なデザインのディフューザーに変更されてます。
暫定マシンMP4/4Bに、試作テスト用エンジンを載せた時のホンダV10はカム駆動にVベルトを使っていましたね‼️🤗
ところが実戦本番前でVベルト耐久性に問題有って結局はギヤドライブによる駆動に変更余儀なくされてしまいました。
同じV10エンジンを採用したルノーV10はVベルトでカム駆動のエンジンを実戦本番でも使っていました(後にホンダと同じギヤによるカム駆動に変更しましたが)
本田宗一郎が試作V10のベルト部を見て
これで大丈夫なのか?と言われていた話がありますね
@@村上晋-b6g 様
ホンダのエンジンスタッフも、本田宗一郎から直々にVベルトの問題点を指摘されたのは雑誌にも紹介されていましたね‼️🤗
スタッフにしてもVベルトで実戦使用したかったけれども、万が一トラブル発生してセナやマクラーレンに迷惑掛けてしまう事を恐れて安全策(ギヤドライブ)を取ったのでしょうね。
これは文献からの受け売りですが。
結局、初めはベルトでいけるだろう。でスタートしたけど当初からエギゾーストからの熱害は言われていて、1発目な試作機でのテスト走行でもすでにベルトの許容温度超えていて、現場レベルの簡易対策(導風、遮熱板)しても期待するほどの効果が無かったみたいです。
ただ、事前に保険的にギヤトレーンの設計をしていたからなんとか間に合ったのが実際のようですね。
もちろん突貫な設計で一発本番と記載あったので、理想的までやり切れていたか?は担当者にしか分からない部分ですが。
@@SS線 様
マクラーレンのテストドライバーであるエマニエル・ピロがピットインしてガレージで整備を受けている暫定マシンMP4/4Bに搭載されているホンダV10エンジンの画像を見るとVベルトがエンジン後方側(ギヤトランスミッション取り付け部)にレイアウトされているのが分かりましたね‼️🤗
ここだと排気エキゾーストパイプから発せられる高温の輻射熱にゴム製のVベルトが直接さらされるので影響受けそうですね(熱対策は充分にされているかと思いますが?)
ルノーV10のVベルト設置は、エンジン前方(モノコックとの接合部)だったのでエキゾースト熱の影響が受け難い場所だと思いますが?
ヒートガード(熱遮断)がバッチリとは言えF1エンジン搭載の周辺は過酷と言えますね‼️🤗
特に電装部品であるオルタネーターも熱害によってトラブル受けるケースが多いので設置レイアウトや冷却には注意が必要ですね。
オルタネーターをクランクケースの横よりもVバンク間(広いバンク角度)に設置するケースが多いのは、そのためですね。
@@中村佳己-t4r さま
結局ホンダでF1は走る実験室だったし、この時は86年8月の時点でまだ試作1号機でしたから、軽量化が第一だったようです。
これは推測ですが、重量配分的に本体を前方に配置したくてベルトを後方に置いたのではないですかね?って誰にも分かる話しで恐縮ですが。
熱害対策は開発当初の部分にはそこまで記載無かったですね。見通しは持っている、くらいの言葉でした。結局、あの当時ですから作らないと分からない部分多かったですからね。
確かにギヤだったりベルトにしても、前方配置が安全策です。 ただ、試作なら先ずは理想を追求しても良いのではないですかね?
簡易計算ではいけそうで、試作で試して、上手く行ったらラッキー。ダメだったらこうしよう。的な考えって、昔はどんな職種の設計者も持っていたかと思います。(私も畑違いな機械設計者デス、恥ずかしながら)
もちろん今はコンピュータが昔と桁違いに進歩してますから、こんな時間とお金かけるような事はしないでしょうけど。文献にもそんな言葉は書いてありました。
やっぱり1989年から1992年までホンダエンジンを搭載したマシンには今のF1マシンと比べて見てもデザイン的にその時のマシンのデザインがよくて、未だに大好きですが、今のF1マシンはデザイン的にカッコイイとは言えませんね‼️