【荘子】中国思想解説#14【道家】【胡蝶の夢】

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  • เผยแพร่เมื่อ 7 ธ.ค. 2020
  • ※関連した過去動画
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    ※書籍
    荘子 第一冊 内篇
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    動画の書き起こし版です。
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    荘子(荘周)は、生涯だれにも仕えずにその人生を終えたといいます。
    その生き方は『尾を泥中に曳く』という古事成語に表されています。
    当時弱小国であった宋の国で暮らしていた荘子の噂を聞きつけた楚の威王が
    ぜひ荘子を国に迎え入れたいと大きな報酬を持って役人を向かわせました。
    しかし、荘子はこれを断ります。彼曰く
    「楚の国には占いのために3000年もの間大切に保管されている亀の甲羅があるそうですね。」
    「本来、その亀は泥の中で尾を引きずりながら生きていたかったはずです」
    士官して自由を束縛されるよりも、
    貧しくとも気ままに暮らす方が良い。
    無為自然を体現したような言葉です。
    荘子(荘周)が残した言葉と、その弟子の言葉をまとめたものが『荘子』33篇です。
    老荘思想と言われるぐらいですから、
    老子と荘子の思想には類似点が多く見られます。
    一方で、老子が道を『言語化不能なもの』として過度な説明をしなかったのに対し
    荘子は多彩な例え話を用いて、道の理解を促します。
    『老子道徳経』がわずか5千字程度なのに対して
    『荘子』が6万文字を超えることからもその違いが伺えます。
    また、老子は【小国寡民】として国のあり方についても言及しましたが
    荘子は徹底して個人の精神の自由について語ります。
    荘子によると【道】とは『善悪・美醜・優劣などの人為的な区別がない場所』だとされます。
    これを【万物斉同】と表現します。
    本来万物は区別のない1つのものであらゆる区別は人間が作り出したものである。
    そのような人が作り出した区別に左右されることなく、
    自由気ままに生きるのが良いよね。と言う考え方ですね。
    【天倪】という言葉も用いています。
    宇宙の高さから我々の世界を見たら、議論される善とか悪なんてちっぽけなもので
    そこに差異なんてないことがわかる。
    荘子は、このようにして無為自然を様々な角度から解釈します。
    彼の卓越した例え話の中でも一番有名なのが【胡蝶の夢】でしょう。
    ある日、男が蝶になってひらひらと楽しく飛び回っていた。
    ふと目が覚めると男は男であり、蝶などではなかった。
    私たちも同じような経験をしたことがあるはずです。
    このとき、蝶であった自分が夢なのか、男である自分が夢なのか、
    判断することはできるでしょうか?
    普通に考えると
    「いやいや、感覚的にそれはわかるでしょう」
    と蝶の世界を夢と断定しそうなものですが、
    荘子は『どちらが夢か証明する根拠がない』と考えます。
    確かに言われてみるとそんな気もしてきます。
    我々が現実世界だと思っている『今』が夢でないとは
    証明することができないことも理論的に正しいです。
    そういえば、デカルトなどはここについて徹底的に考えました。
    全てを疑う過程で、目の前にあるもの、正しいと思われている理論。
    それら全てが『夢』である可能性を否定できなかったのです。
    そして彼は最終的に『我思うゆえに我あり(Cogito ergo sum)』に辿り着きます。
    しかし、荘子はこれについてそこまで突き詰めません。
    ここに西洋哲学と東洋思想の大きな違いが見られます。
    彼は「どちらが夢か分からないなら、じゃあどっちでも良いよね」と結論を放棄します。
    その上で「どっちでも良いなら、自分が何者であるかは関係ない。そんなことを気にせず今を楽めばそれでよし」
    と結論を保留したまま結論を出します。
    この思考のプロセスに【道】の片鱗が隠されているのです。
    荘子は真の自由を手に入れるためには【真人】になる必要があるといいます。
    真人とは【道】と一体化した人間のことです。
    まず【心斎坐忘】という修養法にて心を空っぽにし全てを忘れ去ります。
    全てを忘れ去った状態を、全く波(区別)がない水の状態に例えて【明鏡止水】と表現します。
    明鏡止水の境地では、人間が人為的に作った様々な区別から解放されています。
    つまり、この状態こそ道と一体化しているその瞬間であり、
    そこに至った人間を【真人】と呼ぶのです。
    こう考えると【道】とは仏教における【空】であり【縁起】でもあると考えられますし
    道と一体化することは悟りであると言えますし
    それを生きているうちに達成する可能性は、空海の説いた【即身成仏】とも非常に似通っています。
    荘子が目指したのは精神の自由でした。
    『荘子』が逍遙遊篇から始まることからもわかるとおり、
    『遊ぶように生きる』ことを標榜していたのは間違いありません。
    しかしそれは、外的世界を遊ぶように生きるという意味ではなく、
    道を自得し、現実世界の幸不幸から逃れることで
    内的な精神世界において遊ぶように生きることを目指したものでした。
    老子と荘子の思想は、老荘思想として後世に語り継がれ、
    その思想を吸収し変化させる形で道教が生まれます。
    そして、12世紀ごろになると朱熹によって儒教が再解釈され、
    道教を吸収することで朱子学が生まれるのです。
    朱子学は江戸幕府に大きな影響を与えます。
    我々の生活を形作る思想の片鱗には
    間違いなく老荘思想が眠っていると言えるでしょう。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    #荘子
    #胡蝶の夢
    #逍遙遊

ความคิดเห็น • 24

  • @saematsumura45
    @saematsumura45 2 ปีที่แล้ว +8

    5分程度でまとめてあるのが最高です!

  • @kazukikojiguchi4745
    @kazukikojiguchi4745 2 หลายเดือนก่อน +2

    我思うゆえに我ありとはいうが、その思う我が我であることを何が保証してくれるのか。どうしてそれが我であると言い切れるのか。デカルトの考えは到底納得できないが、荘子を読むとすっと腑に落ちてくる。我そのものが道なんだと。

  • @user-lz3vh1pe2l
    @user-lz3vh1pe2l 3 ปีที่แล้ว +3

    初めて来ました!面白かったです。
    チャンネル登録しました!
    これからも勉強させて頂きます!
    ありがとうございます💖

  • @oraora314
    @oraora314 2 หลายเดือนก่อน +1

    最新の量子力学で最近良く耳にするのが「この世は仮想現実である」と云う言葉ですがこれを見聞きする度に(南華真人)荘周の書き残した「胡蝶の夢」を思い出します。

  • @Happysongkla
    @Happysongkla ปีที่แล้ว +2

    ありがとうございます!

  • @user-me4ng8px1q
    @user-me4ng8px1q 3 ปีที่แล้ว +6

    自らを亀甲に譬えるのは易経の素養を感じさせます。 道は一種の自然理解と考えられるでしょうか。
    思想的に仏教と類似点が多いというのも興味深いですね。 一方で朱子学に影響を与えているとか。
    儒教に自然科学的合理性を加味したとかならありそうですが、万物斉同はなじまないようにも思えます。

  • @user-w1fd2mkq8na2fgn
    @user-w1fd2mkq8na2fgn 2 ปีที่แล้ว +2

    楽に自然にあるがまま生きている木や風のように自由でありたい。

  • @user-xg9dn7kx3s
    @user-xg9dn7kx3s 3 ปีที่แล้ว +7

    胡蝶の夢
    名前は聞いたことあったけど知らなかったです!

  • @user-bj9qy7cf7n
    @user-bj9qy7cf7n 2 ปีที่แล้ว +4

    たとえば「真人」とはニーチェの語る「超人」に似ているような気もしますね。

  • @user-gb6st5wj4l
    @user-gb6st5wj4l 4 หลายเดือนก่อน +1

    少年少女文学全集で小学校の時、読みました。中国故事ナントカ集の巻は面白かったです。ケチな梨商人の梨の木刈り取り仙人の話とか。

  • @suigin_sub
    @suigin_sub 5 หลายเดือนก่อน +1

    ありがとう

  • @user-oy1hd2le9i
    @user-oy1hd2le9i 2 ปีที่แล้ว +3

    短時間の動画でとても助かりました

  • @_2season_
    @_2season_ 3 ปีที่แล้ว +7

    女神転生のセーブする石に流れてる漢文は胡蝶の夢らしいですねー

  • @tamatama4456
    @tamatama4456 ปีที่แล้ว +2

    最後に黒猫で終わるとろ”タマ”んねーby野良猫たま

  • @user-pb1fg1us1j
    @user-pb1fg1us1j ปีที่แล้ว +2

    真人、、、無為転変、、、

  • @chip855
    @chip855 4 หลายเดือนก่อน +1

    荘子はどうも大言壮語癖があったようだ。なんでも大げさに例えてしまう。 寝ている間の夢ならまだしも起きても夢を見ているように 誇張の夢。

  • @user-fh6my6kf8n
    @user-fh6my6kf8n 3 หลายเดือนก่อน +1

    最近「道教」番組をよく見かけるのですが・・・。
    気楽に行こうよ、とかSDGs流れでとか・・・。
    あのね、老荘っていうのはそういうんじゃなくてね。
    「そう考えてしまうんだから仕方ないやん」とか、いまの自分と周囲の全肯定の怖さというか。
    「自由からの逃走」する自由だから、それなりに苦労もあるわけ笑。職場で理解もされずウイてしまうとか、収入がなくなるとか、異性に持て名くんルとか。自殺考えるようになるとか。なんでもだけど階段の下のほうはたいへんなわけ。でもでも、そこをなんとか自分をだましつつ越えてくると、見晴らしが急に良くなったりする。心地よい風が頬をなで始めるというか。醍醐味までいく覚悟があるなら、きっと老荘はきみに応えてくれる。兼好の「つれづれ」長明さんの「方丈記」・・・最近の本でおすすめは「樹木たちの知らざる生活ー著ペーターヴォールレーベン」文庫であるよ。

  • @arttrashuberalles7223
    @arttrashuberalles7223 2 ปีที่แล้ว +5

    君や蝶
    我や荘子が
    夢心
    -松尾芭蕉

  • @user-ch6rg1bt3v
    @user-ch6rg1bt3v 8 หลายเดือนก่อน +1

    まあ孔子はこうしたらいい言うたけど荘子はそうした方がいいゆわはったんやわそれ道(どう)なん

  • @cerberus_dad
    @cerberus_dad 2 หลายเดือนก่อน +1

    空手道って始める前と終わる前に必ず黙想します。心斎坐忘による明鏡止水にならないといけませんよって事が元になっている気がしてきました。
    文民による暴力行為に近いスポーツですものね。「道」でないといけないのかもしれません。