ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
はじめまして!✨国鉄時代の列車が大好きで、当時を懐かしく思い出しました。私は福岡県の者ですが、当時は「にちりん」「有明」「みどり・かもめ」等、ホントに楽しい列車が沢山、走っていました。寝台急行「かいもん」「日南」普通寝台「ながさき」って列車もありましたね!ホントに懐かしいです😆貨物列車もホントにたのしかったな!素晴らしい、動画でした!👍👍👍
九州は、私はほとんど行く事がなくあまりよく知らない土地なのですが、当時は東京大阪から九州へ行く列車が多く走っていましたね。今は、新幹線の時代ですね。やはり、日本の鉄道は標準軌にしておくべきだったのかな?
いつも貴重な映像に粋なコメントをありがとうございます。JNR銘鈑が輝く485系ボンネットいいですね。北陸本線は数回に分けて全線完乗しました。最も思い出深いのは、旧型客車の普通列車で米原~富山を完乗した時です。十分に堪能できました。余談ですが、この旅の経路は京都-(113系普通)-米原米原-(旧型客車普通)-富山富山-(夜行DC急行のりくら)-岐阜岐阜-(165系普通)-名古屋名古屋-(165系急行つがいけ)-南小谷でした。ダイヤ改正により廃止となった急行つがいけの最終列車でした。
なるほど、乗り鉄楽しんでいますね。私は、ほとんど乗り鉄をしたことが無いのです。学生時代に、東北に行った時くらいかな、乗り鉄と撮り鉄をしたのは。当然、その時の映像は写真でしか残っていませんが、走行音も少し録音しました。しれも、モノラルのラジカセですね。このような写真もスライドショーでアップしようかと思っているのですが、なかなか忙しくてできません。
いつも貴重な映像をありがとうございます。雷鳥にボンネット車が走っていた頃ですね。白鳥がまだ、サシがきちんと付いていました。この頃だと雷鳥は向日町ですね。向日町の車はロザが2両あったと思います。白鳥は青森の車だったのですかね?出入口が反対だったら青森ですね。やっぱり国鉄色の485系って何処で見ても良いです。12系客車はお座敷列車ですね。最初12系を改造したのが多かったですね。12系の思い出と言えば、昭和49年の夏休みに乗った臨時特急しおじ51号がEF58牽引で12系の12両編成が来て唖然とした思い出があります。大阪から広島まで乗りました。これが特急かと思ったのを覚えています。完全に遜色特急です。宮原の車でした。帰りはこれなら嫌って言って485系の日向に変えてもらった事を思い出しました。12系・14系って何処でも走ってました。懐かしいです。
chibita32 さん メッセージありがとうございます。12系のしおじですか?かわいそうに。でも100円安かったのでは?高校時代に、山形に行った時に、12系の臨時のつばさがEF71が牽引していました。私も、これが特急か!っと思いながら写真を撮影していました。多分、白鳥は青森の車両だと思います。ドアーの向きが逆でしたね。13両の時代もありました。
2015年6月27・28日の二日間、金沢にいきました。周りの風景も一変していました。10年くらい前はほくほく線を利用しましたが今回は新幹線です。昔の特急には食堂車が付いていたのですね。軽妙な説明のため最後まで楽しく拝見しました。
yokohamakeita さん メッセージありがとうございます。昔は、特急には、食堂車、急行にはビュッフェが連結されていました。利用者は、便利だったのかは別として、食堂車や、ビュッフェが窓配置が大きく他の車両と異なり、これらの車両を連結した列車は、いかにも長距離の特急、急行 ってな雰囲気がありました。
ご丁寧に返信ありがとうございます。板谷峠と神岡鉄道の方にはコメントできなかったのでこちらにコメントします。今の所AndroidとiPhoneでは上記2つ以外は正常に再生出来ております。早速北陸の動画楽しく拝見いたしました。
メッセージありがとうございます。この動画は、見ることができたのですか?おかしいね、何が違うのか・・・・・映っている映像が違うくらいなんだけど・・・・
+国鉄時代の鉄道ファン 下り列車が来るとき音が鳴っていますがあれは、何ですか?
メッセージありがとうございます。あれは、踏切などが無く、保線の人など線路に入って仕事をしている人に列車の接近を知らせるための警報だと思います。上り列車と下り列車では、警報の音色が違います。
1983年は私が中学二年の頃でしたが、この当時、加越を除いた特急の殆どに食堂車が付いており、グリーン車も2両付いていました。貨物も当時は有蓋車、無蓋車、タンク車、家畜車など、バラエティに富んでいましたが、JR以降はコンテナのみに縮小されています。私も国鉄時代を知る世代として、これらのレア映像には唯々、感激させられるばかりです。
メッセージありがとうございますそうなんです。加越が当時7両で雷鳥、しらさぎ、白鳥、北越などは、みな食堂車が付いていましたね。グリーン車も2両だったのです。白鳥は13両で、小松を通過する時代がありました。また、富山から直江津までノンストップで走っていた時代がありました。貨物に関しては、コンテナなんですが、色んな荷物が乗っていますね。車社会になった今日、フォークリフトでトラックに乗せて、荷主先まで運べるというのが、今の貨物輸送のようです。
北陸線の当時の国鉄時代の列車、本当にユーモアで賑やかでした。しかし、現在は、一部の区間で第三セクターに変わってしまって、料金もややこしくなり、貨物以外の列車も、薄れてしまって、寂しくなりました。元国鉄時代の特急車両が快速に使って走ればいいと思います。懐かしい映像ありがとうございました。
そうなんですよね。この快速とか、都会の無料急行と言う考えが、北陸には全く無いのですね。だから、不便なんですよ。
北陸線で14系座席を使用した多客臨には「雷鳥51号」や「日本海51号」がありました。動画冒頭のものは、時間がわかりませんが臨時の雷鳥の可能性がありますね。他にも、平成の時代まで14系座席車を使用した「加賀」という臨時急行が大阪~金沢間に運転されていたようです。
メッセージありがとうございます加賀 って急行に乗ったことがありますが、私が乗った当時は学生時代で12系でした。それも、すっごく遅い急行なんですね。立山も乗ったことがあるのですが、立山もすっごく遅い印象があります。昼行の立山ね。
deathdoragerion928 さるるふ
4:22~ 「貨物列車」懐かしいです・・・牛とか、、「家畜」なんかも運ばれていた覚えがある。最後尾の「車掌車」も懐かしいです^^。
メッセージありがとうございます貨物列車ですが、今はコンテナーが主ですね。
特急「白鳥」は一般周遊券が終了する頃に乗りました。この辺もだいぶ、様変わりしていますね。普通列車って3両編成くらいですね。旧北陸本線の頃とかも見たくなりますが、かなり前ですよね……。
旧北陸本線って今は廃止になっている所かな?敦賀と今庄間は自動車の走れる道として残されています。これは、名勝にもなっています。糸魚川から直江津の方は、自転車道として残っています。
1983(昭和58)年…翌1984(昭和59)年02月改正では貨物輸送に大ナタが振るわれヤード継走形式の貨物列車が無くなると同時に黒屋根貨車(ワム90000・ワラ1・ワム60000・ワム70000等)が全廃されましたから、貴動画に出て来る貨物列車に混ざっているワム60000・ワム90000・ワラ1などは貴重な記録ですね。白鳥4号の編成、雷鳥や北越などとは編成の向きが逆ですね。若しかしたらこれだけは青森のクルマだったのでしょうか?(もっとも…大ムコや金サワの編成だったとしても大阪では北方貨物線経由で簡単に編成の向きは変えられますね)急行運用の無くなった475系がかなり普通列車に進出していますね。もう数年、1985(昭和60)年03月改正までは客車鈍行も残っていたのですがこのころは勢力を減らしていたのでしょうか?自動ドアで冷房付きの元急行電車が普通列車に入って来たことは沿線利用者には福音だった事でしょう。倶利伽羅トンネルの富山側はそういうロケーションだったのですね。金沢側はトンネル出口近くに北陸本線をオーバークロスする橋があってその上から撮影した事はありますが富山側は行きそびれましたorzそう言えば…北陸新幹線工事を見越して掘り始めたものの後にルートが変更になり工事費がパーになった倶利伽羅トンネル(未完成)は今はどうなっているのでしたっけ?
メッセージありがとうございます。ダイヤ改正に伴う歴史歴な背景を良くご存知ですね。私は、あまり気にしないままただ時刻表は、時々買って残していたのですが、この時期は、貨物にとってはそう言う時代だったのですね。 白鳥4号なんですが、昔は、白鳥が1往復でたぶん青森の車両だったと思います。一時期は13両編成で走っていた時代もあって、今1976年の時刻表には13両の編成が載っています。その当時、食堂車とグリーン車が離れていて食堂車は6号車グリーン車は11,12号車でした。また、当時の時刻表の運賃は、大阪青森間が、乗車券4110円特急券が1600円でした。白鳥は北陸本線を走るときは、乗降ドアーが大阪寄りになっていました。白鳥以外は、雷鳥もしらさぎも加越も乗降ドアは新潟寄りだったのです。 倶利伽羅トンネルの富山側は、よく鉄ちゃんがくる場所で鉄道月刊誌にも良く出ているところです。今回の私のアングルは、その有名な場所からのアングルと少し違いますが今は、マナーの悪い鉄ちゃんが多くなったみたいで、その有名な撮影場所には入れなくなってしまったと、友達から聞きました。 工事費がパーになった倶利伽羅トンネルってあるのですか?それは知らなかったです。場所わかりますか?場所がはっきりわかれば取材に行ってきます。
初めまして石動駅は母親の実家がありまして幼少の頃から利用していましたさて映像に映っていた12系お座敷列車ですが金沢鉄道管理局所属のお座敷列車だと思いますトワイライトの食堂車は白山で使用していた車両を使用していたと思います雷鳥の食堂車はお座敷グリーン車に改造後JR時代にスーパー雷鳥の売店兼禁煙グリーン車に改造されていました地元の鉄ヲタです
+高野拓也 さん メッセージありがとうございます。さすが、詳しいですね。トワイライトの食堂車は、電車の481系の改造だと言うことくらいは、形を見ると分かりますが、白山で使用していた489系かどうかまでは知りませんでした。 ところで、石動付近も新幹線が完成して少し静かになったように思ったのですが、今日たまたま駅の裏を走ると、駅を改築しているようですね。また国鉄時代の駅が消えっていくみたいですね。
Tachiki urbannetwork さん メッセージありがとうございます。そうですね、説明文と言うのは、ナレーションの事ですね。私も、今一度聞いてみると確かに過去形ですね。まあ、ここにアップした映像は、すべて過去の映像なのと、テレビの番組は、放送する時が、決まっているのですが、YouTubeの場合は、撮影した映像はどんどん過去になっていき、この番組を見てくれる人が、何年も経ってからずっと未来に見ていただいた時に、過去の映像として、見ていただけたらと思い、過去形での説明をしているつもりです。
けいせんさん メッセージありがとうございます。そう言われてみると、コンテナーの種類が増えていますね。輸送形態の進化なのかもしれませんね。トラックに乗せ替えして、すぐに目的地まで運べるような、物流の進歩かもしれません。昔は、鉄道の線路が大きな工場内まで入っていたけど、今は少なくなったのではないでしょうか。
***** さん メッセージありがとうございます。はい!私の地元でも寺井付近に工場につながっている線路があるのですが、今は使われてなく、そして撤去もされないまま残っています。
1982年に特急増発で急行がくずりゅう1往復だけになると、電車急行は客車列車を置き換えていきましたよね。客車鈍行は存続するものの、乗り入れは直江津以西まで、長距離は減りました。富山〜直江津の方が本数多め。米原発は夕方が始発という。米原着の折り返しだから、そんな時間帯になりますが。
そうですね、客車鈍行が減り始めた時代だったのかな?
北陸本線の 特急は向日町運転所 ( 大ムコ )・ 金沢運転所( 金サワ )2種類の 運転所 所属の車両が 走ってましたけど… 雷鳥って どちらの運転所 所属だったんでしょうか?。。
私も、詳しい事は知りませんが、両方あったのではないでしょうか。末期になって、雨樋の赤いラインがクリーム色になった車輛がありましたが、それが、どちらかの所属だったように思います。もしかして金サワだったような。
こんばんわ、初めまして。動画見させていただきました!こういう動画が記録になりますので、貴重だと思います。自分はこの当時、乳児~幼児という時期なので、乗った、撮影したという明確な記憶は無いのですが、確か親戚筋の行事で当時住んでいた愛知県から金沢に行ったことがあり、そこで初めて「赤い機関車」を見て興味を覚えたのを記憶しています。さて、ひとつこれがあると良いな!と思ったことがありまして。近年の列車しか知らない人のために「貨物列車」、「荷物列車」の違いをもう少し説明があったらよりよかったかなと思います。それでは、これからも頑張ってください。
メッセージありがとうございます。なるほど、愛知だと青い機関車なんですね。まあ、違う土地に行って、そこにしかない車両を見ると、興奮するものです。私も、東北に行ってED78や、EF71を見て興奮し、さらに、日本海側に出てEF81をみて、さらに興奮してました。
西村京太郎原作の「寝台特急「北陸」殺人事件」で亀井刑事が富山へ行く際に特急「雷鳥13号」に乗って富山へ行ったことは覚えています、その小説にも出ていました
雷鳥13号ですか?私は、忙しくて、小説を読む時間が無いのですが、若い時に「動脈列島」と言う小説を読んだ事があります。小説は、この1つだけですね。後に映画化されましたが、小説と食い違っている所がありました。
5:50 パンタの間隔を開けるのは、架線への負担を考慮してのことではないでしょうか?
メッセージありがとうございます。これは、EF70とEF81の違いなのです。普通は、交流区間は、1パンタで走るのですが、普通は、後ろのパンタを使うのです。理由は、もし前パンタを使って走っていて、架線の故障なんかで前パンタが破損し、その部品がパンタの後ろの屋根上に落下すると、屋根上の交流機器が破損する可能性が有るので、普通は後ろパンタを使うのです。そんな訳で、EF81は後ろのパンタを使用しています。 ところが、EF70は、古い機関車なので、パンタを進行方向で帰る際、電源を一度切ると、再びすべての機器の始動に手間がかかるそうなので、糸魚川寄りのパンタを進行方向に関係なしに使っているらしいです。 EF81は、新しい機関車なので、電源を切っても、再始動に手間がかからない仕組みになっているのだと思います。
@@HobbyVideos さん元国鉄大阪車掌区車掌の坂本衛(さかもと・まもる)氏の著書に依ると、よく『きたぐに』の機関車は、糸魚川付近でトラブルが多く、それはEF70(交流専用機)が原因だったのか?
1983年には北陸本線の名列車?である、419系は走っていなかったのですか?それにしても、475系を使用した普通列車が多く、乗り得だなあと思ってしまいました。
419系は、旧型客車がなくなってから出てきたようで、この当時はまだなかったようです。419が初めて見た時は、特急が加賀笠間駅に停車している????って思いました。また、475系は、今でも北陸本線を走っています。1編成は、この映像に出てくる色で。ただ、裾にクリームの細い線があります。
419系はまさに旧型客車が廃止になった1985年3月のダイヤ改正で登場しています。ちなみに同じく581,583系改造の715系が九州へ投入されるのが1984年なので、この映像当時はどちらもまだ計画段階だと思われます。
昭和58年の特急「雷鳥13号」と特急「北越3号」と特急「雷鳥15号」と特急「白鳥2号」の時刻を教えて下さい
485系の 先頭車は バラエティーに富んでいたと いいますか・・・様々ですね。。 1500番台は たしか北海道の特急 当時は いしかり でしたか運用していたかと 思いますが・・・この 1500番台が 北陸でも使用されていたのは ちょっと オドロキました!
いや~この1500番台は、ある鉄道月刊誌で読んだのですが、北海道の交流専用の特急の開発に時間がかかると言う事で、とりあえず、交流専用の特急電車が完成するまで、北海道で使い、その後は、日本海縦貫線の白鳥に使う予定だったと言う記事を見ました。もし、そうだとしたら、最終的には、北陸本線の白鳥用の電車に落ち着いたと言う事かも知れません。
荷物列車と貨物列車てどうちがうんですか?
メッセージありがとうございます。うわ~!これ以前にも質問されたよ~!えーと、まず貨車なのか、客車の荷物車なのかで違ってくると思います。貨車は、ワムとかレムとかで、客車の荷物車は、オニとかマニ、カニなどの車両。これで区分けしているのだと思います。
ざっくりですが、荷物が小包みのように手運び、または手押し台車で取り扱える程度の大きさの物は荷物列車、それを超えるような大きな物は貨物列車での扱いになると言えるのではないでしょうか?重さでのくくりではないと思います。たとえ軽いものであっても、物理的に荷物車の広い扉でも入らないものは取り扱えませんし。
特急・白鳥について調べました 昭和57年に2往復で運転大阪から青森に加え福井から青森が増発された 大阪から青森は2・3号 福井から青森は1・4号 なお白鳥2・3号の食堂車は昭和59年に営業休止していたことが判明しました また調べてみて下さい
メッセージありがとうございます。わざわざ、調べて頂いてありがとうございます。昭和59年と言うと、私がビデオを買ったのが56年ですから、本当に撮影出来たのは3年間だったのですね。
特急白鳥3号ということは当時は2往復あったのですか?
そうですね。1往復は、福井発着だったと思います。
福井発着だったんですね
はい
雷鳥や白鳥、食堂車の旅は楽しそうだな 車内販売も楽しそうですな 利用したことはありますか その思い出教えて下さい
+タツヒトミナミ さん メッセージありがとうございます。食堂車は、初めて乗った特急がくろしおでキシ80でお昼を食べました。私は小学校5年で亀山から天王寺まで、家族で乗り鉄の旅でした。とにかくこの時が特急に乗るのが初めてで、しかもキハ82。そして食堂車に行くのも初めてだったのです。尾鷲付近で食堂車でお昼を食べていたのですが、父親がビールを注文したのですが、列車の揺れで、テーブルの上にコップを置いたままビールを注ごうとしたため、列車の揺れで、ほとんどがテーブルの上にこぼれていて、家族みんなで大笑いした記憶があります。また、真冬、オホーツクに乗った時は、冬場はバネに雪が詰まって、ジャンプするような上下に大揺れに揺れたのを覚えています。雷鳥に乗った時は、夜に食堂車で食事をしていると、交直セクション通過で予備灯になり、雰囲気満点でした。車内販売は、あまり利用したことが無いのです。気分的に値段が高そうな気がして(笑)
+国鉄時代の鉄道ファン メッセージありがとうございます 雷鳥の食堂車のことは見ましたそれから583系雷鳥は昭和57年に2往復体制で金沢止まりになりました食堂車は利用したことがあると聞きましたが 雷鳥以外でしらさぎや白鳥や北越は乗りましたか?(食堂車も含む)あなたは食堂車で何を注文しましたか教えて下さい
+タツヒトミナミ さん メッセージありがとうございます。後は白鳥くらいですね。お金が無いので、ポタージュスープとハンバーグにライスくらいだったかな?オホーツクでは、北海弁当を食べました。
北海弁当って何ですか どこの駅弁ですか 何本線? オホーツクはキハ183系ですか 後 西村京太郎のドラマ日本一周旅号殺人事件で特急・白鳥3号が確認したと報告します
メッセージありがとうございます。北海弁当は、駅弁ではなく食堂車で食べました。メニューの名前が弁当ってなってたのです。線は石北本線ですね。車両は、キシ80でした。私の乗った当時は、オホーツクはキハ80系82型とキハ183系が走っていました。ドラマ日本一周旅号殺人事件は、見た事がないのですが、白鳥3号が写っていたのですね。私は、鉄道の写っているドラマでは、「約束」って言うドラマと「家族」って言うドラマを見た事があります。
当時から思っていましたが、北陸本線は私が知っている東海道本線よりも貨車のバリエーションが豊富。茶と黒の編成中にコキが混じっているなんて・・・。しかもコキ50000ではなく、コキ5500ですね。この時代の貨物列車は楽しかったなぁ・・日替わり弁当みたいで。.
メッセージありがとうございます。東海道本線よりも、貨車のバリエーションが豊富ですか?私は、貨物列車に関してはあまり詳しくないのですが、当時の画質の悪い映像で形式まで見分けるとは、通ですね。
東海道筋と北陸筋では、取り扱っているというか通過して行く貨物の種類が多少違っていたということは考えられますね。そしてコキの件ですが、まずコキ50000系は最高時速が95km/h、コキ5500は85km/hという違いがあります。コキ50000系はコンテナ専用高速貨物運用に優先的に充当され、停貨や専貨は最高時速が85km/h以下なので、コキ5500が主に使われていたんですね。ただ、旅客車両や専用貨車と比べると貨車の運用は自由度が高かったようなので、運用の都合でコキ50000がたまに紛れ込んでいたこともあったかもしれません。ちなみに私の地元、中央西線ではコンテナ専用貨物列車が1往復だけ(1651,1650レ)ありましたが、最高時速が85km/hの『高速貨C』だったのでコキ5500オンリーでした。
@@toshihorrich8405 詳しくないのですが、当時の北陸本線は小中規模の専用線が多くあったと記憶しています。停貨運用によって様々な場所で貨車が増減し、バリエーション豊かな編成になったんでしょうね。中央西線でもコキ5500オンリーの編成があったとは知りませんでした。貴重な情報をありがとうございます。
なんで説明文が過去形なんですか
過去だからです
急行加賀ですね。
14系の客車の事ですね。
EF 510の旧北斗星指定機ですね
メッセージありがとうございます。最初のカットですね。そうです。ついこの前私ではないのですが、EF510の銀色のカシオペア色を見たと言ってました。「さっき銀色のやつ行ったよ!」って言われて、私も線路の方を見たのですが、夜だったのでコンテナーしか見えませんでした。う~~~~残念!
富山機関区にいるみたいですよ
メッセージありがとうございます。やはり、ほんとだったんだ。ま、そのうち私も見ると思います。
カシオペア機と北斗星機が富山配置という話は聞いたことがあります
メッセージありがとうございます。では、もう北陸本線の貨物用になってしまったのですね。貨物は、機関車の色を統一するって事はしないのかな?EF81は、もういないのかな?松任駅から金沢総合車両所に2両ほど見えるのですが・・・・
石動駅じゃないような気がするんですけど😅
メッセージありがとうございます。駅の少し金沢よりの所です。
はじめまして!✨
国鉄時代の列車が大好きで、当時を懐かしく思い出しました。
私は福岡県の者ですが、当時は「にちりん」「有明」「みどり・かもめ」等、ホントに楽しい列車が沢山、走っていました。
寝台急行「かいもん」「日南」
普通寝台「ながさき」って列車もありましたね!
ホントに懐かしいです😆
貨物列車もホントにたのしかったな!
素晴らしい、動画でした!👍👍👍
九州は、私はほとんど行く事がなくあまりよく知らない土地なのですが、当時は東京大阪から九州へ行く列車が多く走っていましたね。
今は、新幹線の時代ですね。やはり、日本の鉄道は標準軌にしておくべきだったのかな?
いつも貴重な映像に粋なコメントをありがとうございます。
JNR銘鈑が輝く485系ボンネットいいですね。
北陸本線は数回に分けて全線完乗しました。
最も思い出深いのは、旧型客車の普通列車で米原~富山を完乗した時です。十分に堪能できました。
余談ですが、この旅の経路は
京都-(113系普通)-米原
米原-(旧型客車普通)-富山
富山-(夜行DC急行のりくら)-岐阜
岐阜-(165系普通)-名古屋
名古屋-(165系急行つがいけ)-南小谷
でした。
ダイヤ改正により廃止となった急行つがいけの最終列車でした。
なるほど、乗り鉄楽しんでいますね。
私は、ほとんど乗り鉄をしたことが無いのです。
学生時代に、東北に行った時くらいかな、乗り鉄と撮り鉄をしたのは。
当然、その時の映像は写真でしか残っていませんが、走行音も少し録音しました。
しれも、モノラルのラジカセですね。
このような写真もスライドショーでアップしようかと思っているのですが、なかなか忙しくてできません。
いつも貴重な映像をありがとうございます。雷鳥にボンネット車が走っていた頃ですね。白鳥がまだ、サシがきちんと付いていました。この頃だと雷鳥は向日町ですね。向日町の車はロザが2両あったと思います。白鳥は青森の車だったのですかね?出入口が反対だったら青森ですね。やっぱり国鉄色の485系って何処で見ても良いです。12系客車はお座敷列車ですね。最初12系を改造したのが多かったですね。12系の思い出と言えば、昭和49年の夏休みに乗った臨時特急しおじ51号がEF58牽引で12系の12両編成が来て唖然とした思い出があります。大阪から広島まで乗りました。これが特急かと思ったのを覚えています。完全に遜色特急です。宮原の車でした。帰りはこれなら嫌って言って485系の日向に変えてもらった事を思い出しました。12系・14系って何処でも走ってました。懐かしいです。
chibita32 さん メッセージありがとうございます。
12系のしおじですか?かわいそうに。でも100円安かったのでは?
高校時代に、山形に行った時に、12系の臨時のつばさがEF71が牽引していました。私も、これが特急か!っと思いながら写真を撮影していました。
多分、白鳥は青森の車両だと思います。ドアーの向きが逆でしたね。13両の時代もありました。
2015年6月27・28日の二日間、金沢にいきました。周りの風景も一変していました。10年くらい前はほくほく線を利用しましたが今回は新幹線です。昔の特急には食堂車が付いていたのですね。軽妙な説明のため最後まで楽しく拝見しました。
yokohamakeita さん メッセージありがとうございます。
昔は、特急には、食堂車、急行にはビュッフェが連結されていました。
利用者は、便利だったのかは別として、食堂車や、ビュッフェが窓配置が大きく他の車両と異なり、これらの車両を連結した列車は、いかにも長距離の特急、急行 ってな雰囲気がありました。
ご丁寧に返信ありがとうございます。
板谷峠と神岡鉄道の方にはコメントできなかったのでこちらにコメントします。
今の所AndroidとiPhoneでは上記2つ以外は正常に再生出来ております。
早速北陸の動画楽しく拝見いたしました。
メッセージありがとうございます。
この動画は、見ることができたのですか?
おかしいね、何が違うのか・・・・・映っている映像が違うくらいなんだけど・・・・
+国鉄時代の鉄道ファン
下り列車が来るとき音が鳴っていますが
あれは、何ですか?
メッセージありがとうございます。
あれは、踏切などが無く、保線の人など線路に入って仕事をしている人に列車の接近を知らせるための警報だと思います。
上り列車と下り列車では、警報の音色が違います。
1983年は私が中学二年の頃でしたが、この当時、加越を除いた特急の殆どに食堂車が付いており、グリーン車も2両付いていました。
貨物も当時は有蓋車、無蓋車、タンク車、家畜車など、バラエティに富んでいましたが、JR以降はコンテナのみに縮小されています。
私も国鉄時代を知る世代として、これらのレア映像には唯々、感激させられるばかりです。
メッセージありがとうございます
そうなんです。
加越が当時7両で雷鳥、しらさぎ、白鳥、北越などは、みな食堂車が付いていましたね。
グリーン車も2両だったのです。白鳥は13両で、小松を通過する時代がありました。また、富山から直江津までノンストップで走っていた時代がありました。
貨物に関しては、コンテナなんですが、色んな荷物が乗っていますね。
車社会になった今日、フォークリフトでトラックに乗せて、荷主先まで運べるというのが、今の貨物輸送のようです。
北陸線の当時の国鉄時代の列車、本当にユーモアで賑やかでした。しかし、現在は、一部の区間で第三セクターに変わってしまって、料金もややこしくなり、貨物以外の列車も、薄れてしまって、寂しくなりました。元国鉄時代の特急車両が快速に使って走ればいいと思います。懐かしい映像ありがとうございました。
そうなんですよね。
この快速とか、都会の無料急行と言う考えが、北陸には全く無いのですね。
だから、不便なんですよ。
北陸線で14系座席を使用した多客臨には「雷鳥51号」や「日本海51号」がありました。動画冒頭のものは、時間がわかりませんが臨時の雷鳥の可能性がありますね。
他にも、平成の時代まで14系座席車を使用した「加賀」という臨時急行が大阪~金沢間に運転されていたようです。
メッセージありがとうございます
加賀 って急行に乗ったことがありますが、私が乗った当時は学生時代で12系でした。
それも、すっごく遅い急行なんですね。
立山も乗ったことがあるのですが、立山もすっごく遅い印象があります。昼行の立山ね。
deathdoragerion928 さるるふ
4:22~ 「貨物列車」懐かしいです・・・牛とか、、「家畜」なんかも運ばれていた覚えがある。
最後尾の「車掌車」も懐かしいです^^。
メッセージありがとうございます
貨物列車ですが、今はコンテナーが主ですね。
特急「白鳥」は一般周遊券が終了する頃に乗りました。この辺もだいぶ、様変わりしていますね。普通列車って3両編成くらいですね。
旧北陸本線の頃とかも見たくなりますが、かなり前ですよね……。
旧北陸本線って今は廃止になっている所かな?
敦賀と今庄間は自動車の走れる道として残されています。これは、名勝にもなっています。
糸魚川から直江津の方は、自転車道として残っています。
1983(昭和58)年…翌1984(昭和59)年02月改正では貨物輸送に大ナタが振るわれヤード継走形式の貨物列車が無くなると同時に黒屋根貨車(ワム90000・ワラ1・ワム60000・ワム70000等)が全廃されましたから、貴動画に出て来る貨物列車に混ざっているワム60000・ワム90000・ワラ1などは貴重な記録ですね。
白鳥4号の編成、雷鳥や北越などとは編成の向きが逆ですね。若しかしたらこれだけは青森のクルマだったのでしょうか?
(もっとも…大ムコや金サワの編成だったとしても大阪では北方貨物線経由で簡単に編成の向きは変えられますね)
急行運用の無くなった475系がかなり普通列車に進出していますね。もう数年、1985(昭和60)年03月改正までは客車鈍行も残っていたのですがこのころは勢力を減らしていたのでしょうか?自動ドアで冷房付きの元急行電車が普通列車に入って来たことは沿線利用者には福音だった事でしょう。
倶利伽羅トンネルの富山側はそういうロケーションだったのですね。金沢側はトンネル出口近くに北陸本線をオーバークロスする橋があってその上から撮影した事はありますが富山側は行きそびれましたorz
そう言えば…北陸新幹線工事を見越して掘り始めたものの後にルートが変更になり工事費がパーになった倶利伽羅トンネル(未完成)は今はどうなっているのでしたっけ?
メッセージありがとうございます。
ダイヤ改正に伴う歴史歴な背景を良くご存知ですね。私は、あまり気にしないままただ時刻表は、時々買って残していたのですが、この時期は、貨物にとってはそう言う時代だったのですね。
白鳥4号なんですが、昔は、白鳥が1往復でたぶん青森の車両だったと思います。
一時期は13両編成で走っていた時代もあって、今1976年の時刻表には13両の編成が載っています。その当時、食堂車とグリーン車が離れていて食堂車は6号車グリーン車は11,12号車でした。また、当時の時刻表の運賃は、大阪青森間が、乗車券4110円特急券が1600円でした。白鳥は北陸本線を走るときは、乗降ドアーが大阪寄りになっていました。
白鳥以外は、雷鳥もしらさぎも加越も乗降ドアは新潟寄りだったのです。
倶利伽羅トンネルの富山側は、よく鉄ちゃんがくる場所で鉄道月刊誌にも良く出ているところです。今回の私のアングルは、その有名な場所からのアングルと少し違いますが今は、マナーの悪い鉄ちゃんが多くなったみたいで、その有名な撮影場所には入れなくなってしまったと、友達から聞きました。
工事費がパーになった倶利伽羅トンネルってあるのですか?
それは知らなかったです。場所わかりますか?
場所がはっきりわかれば取材に行ってきます。
初めまして
石動駅は母親の実家
がありまして幼少の頃から利用していました
さて映像に映っていた12系お座敷列車ですが金沢鉄道管理局
所属のお座敷列車だと思います
トワイライトの食堂車は白山で使用していた車両を使用していたと思います
雷鳥の食堂車はお座敷グリーン車に改造後JR時代にスーパー雷鳥の売店兼禁煙グリーン車に改造されていました
地元の鉄ヲタです
+高野拓也 さん メッセージありがとうございます。
さすが、詳しいですね。
トワイライトの食堂車は、電車の481系の改造だと言うことくらいは、形を見ると分かりますが、白山で使用していた489系かどうかまでは知りませんでした。
ところで、石動付近も新幹線が完成して少し静かになったように思ったのですが、今日たまたま駅の裏を走ると、駅を改築しているようですね。
また国鉄時代の駅が消えっていくみたいですね。
Tachiki urbannetwork さん メッセージありがとうございます。
そうですね、説明文と言うのは、ナレーションの事ですね。
私も、今一度聞いてみると確かに過去形ですね。
まあ、ここにアップした映像は、すべて過去の映像なのと、テレビの番組は、放送する時が、決まっているのですが、YouTubeの場合は、撮影した映像はどんどん過去になっていき、この番組を見てくれる人が、何年も経ってからずっと未来に見ていただいた時に、過去の映像として、見ていただけたらと思い、過去形での説明をしているつもりです。
けいせんさん メッセージありがとうございます。
そう言われてみると、コンテナーの種類が増えていますね。
輸送形態の進化なのかもしれませんね。
トラックに乗せ替えして、すぐに目的地まで運べるような、物流の進歩かもしれません。
昔は、鉄道の線路が大きな工場内まで入っていたけど、今は少なくなったのではないでしょうか。
***** さん メッセージありがとうございます。
はい!私の地元でも寺井付近に工場につながっている線路があるのですが、今は使われてなく、そして撤去もされないまま残っています。
1982年に特急増発で急行がくずりゅう1往復だけになると、電車急行は客車列車を置き換えていきましたよね。客車鈍行は存続するものの、乗り入れは直江津以西まで、長距離は減りました。富山〜直江津の方が本数多め。米原発は夕方が始発という。米原着の折り返しだから、そんな時間帯になりますが。
そうですね、客車鈍行が減り始めた時代だったのかな?
北陸本線の 特急は
向日町運転所 ( 大ムコ )・ 金沢運転所( 金サワ )
2種類の 運転所 所属の車両が 走ってました
けど… 雷鳥って どちらの運転所 所属
だったんでしょうか?。。
私も、詳しい事は知りませんが、両方あったのではないでしょうか。
末期になって、雨樋の赤いラインがクリーム色になった車輛がありましたが、それが、どちらかの所属だったように思います。もしかして金サワだったような。
こんばんわ、初めまして。動画見させていただきました!こういう動画が記録になりますので、貴重だと思います。自分はこの当時、乳児~幼児という時期なので、乗った、撮影したという明確な記憶は無いのですが、確か親戚筋の行事で当時住んでいた愛知県から金沢に行ったことがあり、そこで初めて「赤い機関車」を見て興味を覚えたのを記憶しています。さて、ひとつこれがあると良いな!と思ったことがありまして。近年の列車しか知らない人のために「貨物列車」、「荷物列車」の違いをもう少し説明があったらよりよかったかなと思います。それでは、これからも頑張ってください。
メッセージありがとうございます。
なるほど、愛知だと青い機関車なんですね。
まあ、違う土地に行って、そこにしかない車両を見ると、興奮するものです。
私も、東北に行ってED78や、EF71を見て興奮し、さらに、日本海側に出てEF81をみて、さらに興奮してました。
西村京太郎原作の「寝台特急「北陸」殺人事件」で亀井刑事が富山へ行く際に特急「雷鳥13号」に乗って富山へ行ったことは覚えています、その小説にも出ていました
雷鳥13号ですか?私は、忙しくて、小説を読む時間が無いのですが、若い時に「動脈列島」と言う小説を読んだ事があります。小説は、この1つだけですね。後に映画化されましたが、小説と食い違っている所がありました。
5:50 パンタの間隔を開けるのは、架線への負担を考慮してのことではないでしょうか?
メッセージありがとうございます。
これは、EF70とEF81の違いなのです。
普通は、交流区間は、1パンタで走るのですが、普通は、後ろのパンタを使うのです。
理由は、もし前パンタを使って走っていて、架線の故障なんかで前パンタが破損し、その部品がパンタの後ろの屋根上に落下すると、屋根上の交流機器が破損する可能性が有るので、普通は後ろパンタを使うのです。
そんな訳で、EF81は後ろのパンタを使用しています。
ところが、EF70は、古い機関車なので、パンタを進行方向で帰る際、電源を一度切ると、再びすべての機器の始動に手間がかかるそうなので、糸魚川寄りのパンタを進行方向に関係なしに使っているらしいです。
EF81は、新しい機関車なので、電源を切っても、再始動に手間がかからない仕組みになっているのだと思います。
@@HobbyVideos さん
元国鉄大阪車掌区車掌の坂本衛(さかもと・まもる)氏の著書に依ると、よく『きたぐに』の機関車は、糸魚川付近でトラブルが多く、それはEF70(交流専用機)が原因だったのか?
1983年には北陸本線の名列車?である、419系は走っていなかったのですか?
それにしても、475系を使用した普通列車が多く、乗り得だなあと思ってしまいました。
419系は、旧型客車がなくなってから出てきたようで、この当時はまだなかったようです。
419が初めて見た時は、特急が加賀笠間駅に停車している????
って思いました。
また、475系は、今でも北陸本線を走っています。
1編成は、この映像に出てくる色で。
ただ、裾にクリームの細い線があります。
419系はまさに旧型客車が廃止になった1985年3月のダイヤ改正で登場しています。
ちなみに同じく581,583系改造の715系が九州へ投入されるのが1984年なので、この映像当時はどちらもまだ計画段階だと思われます。
昭和58年の特急「雷鳥13号」と特急「北越3号」と特急「雷鳥15号」と特急「白鳥2号」の時刻を教えて下さい
485系の 先頭車は バラエティーに
富んでいたと いいますか・・・
様々ですね。。 1500番台は たしか
北海道の特急 当時は いしかり でしたか
運用していたかと 思いますが・・・
この 1500番台が 北陸でも使用されて
いたのは ちょっと オドロキました!
いや~この1500番台は、ある鉄道月刊誌で読んだのですが、北海道の交流専用の特急の開発に時間がかかると言う事で、とりあえず、交流専用の特急電車が完成するまで、北海道で使い、その後は、日本海縦貫線の白鳥に使う予定だったと言う記事を見ました。
もし、そうだとしたら、最終的には、北陸本線の白鳥用の電車に落ち着いたと言う事かも知れません。
荷物列車と貨物列車てどうちがうんですか?
メッセージありがとうございます。
うわ~!これ以前にも質問されたよ~!
えーと、まず貨車なのか、客車の荷物車なのかで違ってくると思います。
貨車は、ワムとかレムとかで、
客車の荷物車は、オニとかマニ、カニなどの車両。
これで区分けしているのだと思います。
ざっくりですが、荷物が小包みのように手運び、または手押し台車で取り扱える程度の大きさの物は荷物列車、それを超えるような大きな物は貨物列車での扱いになると言えるのではないでしょうか?
重さでのくくりではないと思います。
たとえ軽いものであっても、物理的に荷物車の広い扉でも入らないものは取り扱えませんし。
特急・白鳥について調べました 昭和57年に2往復で運転大阪から青森に加え福井から青森が増発された 大阪から青森は2・3号 福井から青森は1・4号 なお白鳥2・3号の食堂車は昭和59年に営業休止していたことが判明しました また調べてみて下さい
メッセージありがとうございます。
わざわざ、調べて頂いてありがとうございます。
昭和59年と言うと、私がビデオを買ったのが56年ですから、本当に撮影出来たのは3年間だったのですね。
特急白鳥3号ということは当時は2往復あったのですか?
そうですね。1往復は、福井発着だったと思います。
福井発着だったんですね
はい
雷鳥や白鳥、食堂車の旅は楽しそうだな 車内販売も楽しそうですな 利用したことはありますか その思い出教えて下さい
+タツヒトミナミ さん メッセージありがとうございます。
食堂車は、初めて乗った特急がくろしおでキシ80でお昼を食べました。
私は小学校5年で亀山から天王寺まで、家族で乗り鉄の旅でした。
とにかくこの時が特急に乗るのが初めてで、しかもキハ82。そして食堂車に行くのも初めてだったのです。
尾鷲付近で食堂車でお昼を食べていたのですが、父親がビールを注文したのですが、列車の揺れで、テーブルの上にコップを置いたままビールを注ごうとしたため、列車の揺れで、ほとんどがテーブルの上にこぼれていて、家族みんなで大笑いした記憶があります。また、真冬、オホーツクに乗った時は、冬場はバネに雪が詰まって、ジャンプするような上下に大揺れに揺れたのを覚えています。
雷鳥に乗った時は、夜に食堂車で食事をしていると、交直セクション通過で予備灯になり、雰囲気満点でした。
車内販売は、あまり利用したことが無いのです。気分的に値段が高そうな気がして(笑)
+国鉄時代の鉄道ファン メッセージありがとうございます 雷鳥の食堂車のことは見ましたそれから583系雷鳥は昭和57年に2往復体制で金沢止まりになりました食堂車は利用したことがあると聞きましたが 雷鳥以外でしらさぎや白鳥や北越は乗りましたか?(食堂車も含む)あなたは食堂車で何を注文しましたか教えて下さい
+タツヒトミナミ さん メッセージありがとうございます。
後は白鳥くらいですね。
お金が無いので、ポタージュスープとハンバーグにライスくらいだったかな?
オホーツクでは、北海弁当を食べました。
北海弁当って何ですか どこの駅弁ですか 何本線? オホーツクはキハ183系ですか 後 西村京太郎のドラマ日本一周旅号殺人事件で特急・白鳥3号が確認したと報告します
メッセージありがとうございます。
北海弁当は、駅弁ではなく食堂車で食べました。
メニューの名前が弁当ってなってたのです。
線は石北本線ですね。
車両は、キシ80でした。
私の乗った当時は、オホーツクはキハ80系82型とキハ183系が走っていました。
ドラマ日本一周旅号殺人事件は、見た事がないのですが、白鳥3号が写っていたのですね。
私は、鉄道の写っているドラマでは、「約束」って言うドラマと「家族」って言うドラマを見た事があります。
当時から思っていましたが、北陸本線は私が知っている東海道本線よりも貨車のバリエーションが豊富。茶と黒の編成中にコキが混じっているなんて・・・。しかもコキ50000ではなく、コキ5500ですね。この時代の貨物列車は楽しかったなぁ・・日替わり弁当みたいで。
.
メッセージありがとうございます。
東海道本線よりも、貨車のバリエーションが豊富ですか?
私は、貨物列車に関してはあまり詳しくないのですが、当時の画質の悪い映像で形式まで見分けるとは、通ですね。
東海道筋と北陸筋では、取り扱っているというか通過して行く貨物の種類が多少違っていたということは考えられますね。
そしてコキの件ですが、まずコキ50000系は最高時速が95km/h、コキ5500は85km/hという違いがあります。
コキ50000系はコンテナ専用高速貨物運用に優先的に充当され、停貨や専貨は最高時速が85km/h以下なので、コキ5500が主に使われていたんですね。
ただ、旅客車両や専用貨車と比べると貨車の運用は自由度が高かったようなので、運用の都合でコキ50000がたまに紛れ込んでいたこともあったかもしれません。
ちなみに私の地元、中央西線ではコンテナ専用貨物列車が1往復だけ(1651,1650レ)ありましたが、最高時速が85km/hの『高速貨C』だったのでコキ5500オンリーでした。
@@toshihorrich8405
詳しくないのですが、当時の北陸本線は小中規模の専用線が多くあったと記憶しています。停貨運用によって様々な場所で貨車が増減し、バリエーション豊かな編成になったんでしょうね。
中央西線でもコキ5500オンリーの編成があったとは知りませんでした。
貴重な情報をありがとうございます。
なんで説明文が過去形なんですか
過去だからです
急行加賀ですね。
14系の客車の事ですね。
EF 510の旧北斗星指定機ですね
メッセージありがとうございます。
最初のカットですね。
そうです。
ついこの前私ではないのですが、EF510の銀色のカシオペア色を見たと言ってました。
「さっき銀色のやつ行ったよ!」
って言われて、私も線路の方を見たのですが、夜だったのでコンテナーしか見えませんでした。う~~~~残念!
富山機関区にいるみたいですよ
メッセージありがとうございます。
やはり、ほんとだったんだ。
ま、そのうち私も見ると思います。
カシオペア機と北斗星機が富山配置という話は聞いたことがあります
メッセージありがとうございます。
では、もう北陸本線の貨物用になってしまったのですね。
貨物は、機関車の色を統一するって事はしないのかな?
EF81は、もういないのかな?
松任駅から金沢総合車両所に2両ほど見えるのですが・・・・
石動駅じゃないような気がするんですけど😅
メッセージありがとうございます。
駅の少し金沢よりの所です。