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飛騨も金沢から出てたんすね、貴重な映像ありがとうございます😊
金沢名古屋間のひだは1日1往復でした。
@@HobbyVideos さん、新幹線が出来て便利になるのは遠方からの客だけで、沿線の人は不便になります。北陸新幹線が敦賀まで開通すると、サンダーバードや、しらさぎが敦賀止まりになり大阪や、名古屋から金沢、富山へ行くのが面倒になるし、在来線特急が廃止されるのも寂しいです。
森本駅の津端寄りの森本中学の桜並木の跨線橋を越えたところにある踏切の近くに叔母の家があったので、踏切に立って電車を眺めるのが好きでした。本当色々な列車がやってきました。急行越前、能登。どちらも福井に関わった夜行急行で乗りました。旧型車両で乗り心地は最悪でしたが、今となっても青春の思い出です。津端と言えば、今は浜辺美波ちゃんが大活躍ですね。応援しています。
そうですね、昔は七尾線も気動車でしたし、東京からの旧型客車の急行、名古屋行の気動車の特急も走っていましたね。当然、北陸本線の特急などなど、色んな列車が走っていました。
北陸新幹線も後半年ほどで開通ですね。 いつも楽しい動画見ています。国鉄時代ってかっこいいな
メッセージありがとうございます。そうですね、国鉄時代って・・・・どういえば良いのかな?私鉄から見ると、特急は、特急券を取って指定席でちょっと高嶺の花って感じでした。また、駅とかを見ても、広い土地を使っていて、すごいなって思いました。それに比べて、私鉄なんかは、駅はホームぎりぎりまで電車が止まって、狭い土地で最小限の駅って感じですね。でも、言い方を変えると無駄が多かったようで、田舎の駅は、無人駅になって引き込み線は撤去されてどんどん無駄が取り除かれて、現在に至っているようです。でも、まだなお国鉄時代の風習が残っていますね。新幹線ができて、第3セクターになると、また変わるのかな?
国鉄色の475系もなくなるとは寂しいです
レンコン畑沿いを視てると何か茨城県(土浦~神立間)と錯覚します。
茨木県にも、蓮根畑があるのですね。
急行越前、最後尾がスハフ42では無くオハフ45になっているのはやはり碓氷峠経由に伴う牽引定数確保の狙いがあったのでしょうね(他の座席車もきっとスハ43では無くオハ46やオハ47なのでしょう)。北陸は最後まで14系でした(登場時は20系でしたが…天の川の20系化後と短期間被っていた様な…?)。七尾線のキハ58系長編成は若しかしたら折返し急行になる編成の送りこみ?サロ2両+サシの485系はやはり「雷鳥」でしょうか?金サワ車または同所駐泊の大ムコ車?サワ~トヤ間での特急編成の回送は結構ありましたが中には朝の輸送力列車としてサロもハザ開放の列車があってサロが乗り得だったものもありました。転勤で富山に暮らしたのは平成一桁時代、彼の地を離れてもう20年近い年月が経ちました。何時の日か再訪したいものですが金銭的にも時間的にも余裕がないのが実情です。
メッセージありがとうございます。ずいぶん詳しいですね。当時スハ43は、めっきり見なくなりましたね。ほとんどがオハ47で、なるほど碓氷峠の牽引定数確保ですか、そこまで考えていませんでした。私は、個人的には、スハ43のあの乗り心地がとっても好きなのです。朝の輸送力列車でサロに乗れたのですか?普通は乗れないように思うのです。そう言えば、もう6年ほど前なのですが、早朝の七尾行き普通列車に683系か681系が使われていました。今でも走っているのなら一度乗ってみたいです。485系のサロ2両+サシの編成は、雷鳥もしくはしらさぎだと思います。100番代が雷鳥に多く使われ、300番代がしらさぎに多かったように思います。今年は、北越、はくたか、トワイライトエクスプレス、そして、富山と直江津間の455系413系などの最後の年になりそうです。なんとか、頑張って撮影に来てください。
けいせんさん メッセージありがとうございます。そうなんです。松任駅の横でも何回か見ました。来年の3月からは、当たり前のように走るのですよね。今は、もうはくたか、北越、トワイライトエクスプレスのお別れの日が、だんだん近づく中、鉄ちゃんが一杯来ています。中央線に、国鉄色の183系を連休に運転するのは、北陸本線に鉄ちゃんが集中するのを防止する対策だったりして(笑)・・・・・583も。これは、冗談。
如月キリトさん メッセージありがとうございます。国鉄色どころか、北陸本線に475系が見られなくなる日もそう遠くはないのではないでしょうか?北陸新幹線が開業して、第三セクターになったら、どうなるのか、心配です。
津幡の字が津端になってますよ。最初らへん
急行越前、旧型客車なので走行中にドアが開けられたんですよね?(今、思うと危険極まりない・・・・。)
メッセージありがとうございます。そうなんです。だから、飛び乗り、飛び降りもできました。でも、けがをしたら、当然自己責任です。今は、飛び乗り飛び降りが出来る車両にしていた鉄道会社にも過失を追及されるらしいです。まあ、危険極まりないと言えば危険極まりないのですが、デッキに立っていても、列車の揺れで外に転落する人は、あまりいないと思います。転落する人は、ふざけていたとか、まあ普通に乗っていなかった人でしょうね。それに、危険と思う人は、ドアーを閉めたでしょうし、ドアーを開けて、デッキに立っていた人は、それなりの危険を承知で自己責任で立っていたのではないかと思います。
それが原因で昔、盲目の尺八奏者が列車から転落して亡くなったの思い出しましたよ。
@@Ohmi-Elichika さんそれは、尺八では無くて「春の海」の作曲家でもある箏曲家(和琴奏者)の宮城道雄ですよ。
飛騨も金沢から出てたんすね、貴重な映像ありがとうございます😊
金沢名古屋間のひだは1日1往復でした。
@@HobbyVideos さん、新幹線が出来て便利になるのは遠方からの客だけで、沿線の人は不便になります。北陸新幹線が敦賀まで開通すると、サンダーバードや、しらさぎが敦賀止まりになり大阪や、名古屋から金沢、富山へ行くのが面倒になるし、在来線特急が廃止されるのも寂しいです。
森本駅の津端寄りの森本中学の桜並木の跨線橋を越えたところにある踏切の近くに叔母の家があったので、踏切に立って電車を眺めるのが好きでした。本当色々な列車がやってきました。
急行越前、能登。どちらも福井に関わった夜行急行で乗りました。旧型車両で乗り心地は最悪でしたが、今となっても青春の思い出です。
津端と言えば、今は浜辺美波ちゃんが大活躍ですね。応援しています。
そうですね、昔は七尾線も気動車でしたし、東京からの旧型客車の急行、名古屋行の気動車の特急も走っていましたね。
当然、北陸本線の特急などなど、色んな列車が走っていました。
北陸新幹線も後半年ほどで開通ですね。 いつも楽しい動画見ています。
国鉄時代ってかっこいいな
メッセージありがとうございます。
そうですね、国鉄時代って・・・・どういえば良いのかな?
私鉄から見ると、特急は、特急券を取って指定席でちょっと高嶺の花って感じでした。
また、駅とかを見ても、広い土地を使っていて、すごいなって思いました。
それに比べて、私鉄なんかは、駅はホームぎりぎりまで電車が止まって、狭い土地で最小限の駅って感じですね。でも、言い方を変えると無駄が多かったようで、田舎の駅は、無人駅になって引き込み線は撤去されてどんどん無駄が取り除かれて、現在に至っているようです。
でも、まだなお国鉄時代の風習が残っていますね。
新幹線ができて、第3セクターになると、また変わるのかな?
国鉄色の475系もなくなるとは寂しいです
レンコン畑沿いを視てると何か茨城県(土浦~神立間)と錯覚します。
茨木県にも、蓮根畑があるのですね。
急行越前、最後尾がスハフ42では無くオハフ45になっているのはやはり碓氷峠経由に伴う牽引定数確保の狙いがあったのでしょうね(他の座席車もきっとスハ43では無くオハ46やオハ47なのでしょう)。北陸は最後まで14系でした(登場時は20系でしたが…天の川の20系化後と短期間被っていた様な…?)。七尾線のキハ58系長編成は若しかしたら折返し急行になる編成の送りこみ?サロ2両+サシの485系はやはり「雷鳥」でしょうか?金サワ車または同所駐泊の大ムコ車?サワ~トヤ間での特急編成の回送は結構ありましたが中には朝の輸送力列車としてサロもハザ開放の列車があってサロが乗り得だったものもありました。
転勤で富山に暮らしたのは平成一桁時代、彼の地を離れてもう20年近い年月が経ちました。何時の日か再訪したいものですが金銭的にも時間的にも余裕がないのが実情です。
メッセージありがとうございます。
ずいぶん詳しいですね。
当時スハ43は、めっきり見なくなりましたね。ほとんどがオハ47で、なるほど碓氷峠の牽引定数確保ですか、そこまで考えていませんでした。
私は、個人的には、スハ43のあの乗り心地がとっても好きなのです。
朝の輸送力列車でサロに乗れたのですか?普通は乗れないように思うのです。
そう言えば、もう6年ほど前なのですが、早朝の七尾行き普通列車に683系か681系が使われていました。
今でも走っているのなら一度乗ってみたいです。
485系のサロ2両+サシの編成は、雷鳥もしくはしらさぎだと思います。
100番代が雷鳥に多く使われ、300番代がしらさぎに多かったように思います。
今年は、北越、はくたか、トワイライトエクスプレス、そして、富山と直江津間の455系413系などの最後の年になりそうです。
なんとか、頑張って撮影に来てください。
けいせんさん メッセージありがとうございます。
そうなんです。松任駅の横でも何回か見ました。
来年の3月からは、当たり前のように走るのですよね。
今は、もうはくたか、北越、トワイライトエクスプレスのお別れの日が、だんだん近づく中、鉄ちゃんが一杯来ています。
中央線に、国鉄色の183系を連休に運転するのは、北陸本線に鉄ちゃんが集中するのを防止する対策だったりして(笑)・・・・・583も。これは、冗談。
如月キリトさん メッセージありがとうございます。
国鉄色どころか、北陸本線に475系が見られなくなる日もそう遠くはないのではないでしょうか?
北陸新幹線が開業して、第三セクターになったら、どうなるのか、心配です。
津幡の字が津端になってますよ。最初らへん
急行越前、旧型客車なので走行中にドアが開けられたんですよね?
(今、思うと危険極まりない・・・・。)
メッセージありがとうございます。
そうなんです。
だから、飛び乗り、飛び降りもできました。でも、けがをしたら、当然自己責任です。
今は、飛び乗り飛び降りが出来る車両にしていた鉄道会社にも過失を追及されるらしいです。
まあ、危険極まりないと言えば危険極まりないのですが、デッキに立っていても、列車の揺れで外に転落する人は、あまりいないと思います。
転落する人は、ふざけていたとか、まあ普通に乗っていなかった人でしょうね。
それに、危険と思う人は、ドアーを閉めたでしょうし、ドアーを開けて、デッキに立っていた人は、それなりの危険を承知で自己責任で立っていたのではないかと思います。
それが原因で昔、盲目の尺八奏者が列車から転落して亡くなったの思い出しましたよ。
@@Ohmi-Elichika さん
それは、尺八では無くて「春の海」の作曲家でもある箏曲家(和琴奏者)の宮城道雄ですよ。