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ありがとうございます!
ありがとうございます!!ご厚意感謝いたします……!!
清廉潔白で真面目一徹、この人の下で働けばたとえ死すとも悔いは無い!
19:10 衛青にあって霍去病にないところ。だからわたしは霍去病より衛青が好き
Thanks!
ご支援ありがとうございます!!励みになりますゥ!!
わあい ビジュアル資料いっぱぁい 肖像画 大好きぃ
あの蒙恬も退かせるのがやっとだったのを追撃して、長城以北、果ては西域の確保まで成したことが凄い。この500年後にフン族のアッティラ大王がローマに攻めるが、北匈奴がモンゴル高原に残れなかった理由も、この衛青&霍去病が討伐したからだろう。
プラスしてこの後、光武帝、班超にと、さらにぼろぼろに…。
ただし、光武帝と同時期に呼都而尸道皋若鞮単于という冒頓単于に匹敵するカリスマが出現している(な、長い・・・)
@@日常ポロネーズ その状況で、まともに戦わせてももらえず、解体されてますからね。光武帝お得意の以逸待労とは言え。そら逃げたくなりますよ。
本日の動画を見終えて『衛青の配下にはなりたいけれど劉徹の臣下は御免被る』過去動画でも触れていましたが武帝は人材の使い捨てが酷いと改めて感じました。
衛青好きになった
武帝の姉の平陽公主の使用人だったのが、出世後は匈奴戦で手柄を挙げまくり、かつての主人の再婚相手にも。実話とは思えない驚きの逆転劇だ。武帝に関係した人間はろくな最後を迎えない場合が多いが、衛青はうまく天寿を全うしていますね。
あとは公孫弘とか桑公羊あたりは武帝が生きている間は高官として仕えることができた人たちですかね。
姉が皇帝の姫となったから取り入れられたというのは漢ではままあるもののその後の実績では群を抜いてる
@@土屋真一-r1p 桑弘羊
武人の鏡と言っていい衛青。常に慎み深く謙虚な姿勢は上司にするならこういう上司、部下にするならこういう部下がほしいと誰もが思わせる。きっと、どの時代に生まれていても同じ様に活躍出来ていたことだろう。苦労は買ってでもしろというが本当だなあ。
日本人には好まれそうな英雄像ではないかと思います。
フィクションですが、北方謙三の史記を読んだ身としては感慨深いものがあります
まさか……リクエストに応えてくださったのか……!?ありがとうございます‼️
色んなゆっくり解説を毎日見てるゆっくり中毒者だけど鳥人間さんのチャンネルが一番好き
雰囲気が落ち着いてて、なおかつ分かりやすいのでとても見やすいですよね
このコメントを閲覧した者です。【天ぷらの民】さんが「雰囲気が落ち着いてて、なおかつ分かりやすいのでとても見やすいですよね」と仰られる様に、動画を見ながら、ウンウンと頷いています。とても勉強になります。
なんか分からんけどいいですよね😊どハマり中
いつも落ち着いてるけどたまにある暴君回の発狂ぶりも愛おしい。
対匈奴決戦将軍っていいフレーズですね
衛青、かなり好きな人物ですね。衛青と霍去病の対比で、武帝からの大量の贈り物を衛青は部下に分け与え、霍去病は腐らせたて話を読んだことありますね。衛青は地味、霍去病は貴公子然としていた。だから霍去病は人気があったんでしょうね。地味で仕事ができる人と派手で仕事ができる人どっちが人気があるか、その辺り考えたら今も昔も変わらんなぁと思いますね。もしワタクシが、どちらの部下になるかと言われたら迷いなく衛青を選びますね。
鳥人間さんの動画の言葉遣いからいつも教養が滲み出ていて尊敬です
教養か。史記には刺客列伝もあるが
多大な功績を挙げた家臣が最初はそれに見合った褒美を与えられるけど、後半になってくると色んな理由で不遇な人生を歩むこと多いよね
18:38の肖像は光武帝です
thx!!
政治に興味が無いのではなくて、ただ宮廷闘争に徹底的に巻き込まれない様に自分を律していたから天寿を全う出来た霍去病は巻き込まれる前に世を去った両者共に幸せな人生だと思う
劉邦の軍師、張良も同様。
うぼつです。「来た、見た、勝った」はガイウス・ユリウス・カエサルの有名な言葉ですね。
中華史での建国や救国の英雄は必ず人相見から「ビッグになる。」と啓示を受ける説。
衛青や霍去病がいなくなった後の前漢は宣帝期まで匈奴に負け続けるんだよ。観相人から「君は出世する」と言われても、衛青本人は「鞭で打たれないような身分になれば充分」というくらい謙虚な人。
この辺の話を聞くと北方謙三の史記武帝記を思い出すなぁ小説ならではのエピソードと思っていたこと(例えば李広の子に恨まれて斬りつけられる→庇う→霍去病が射殺)が実際の史記に記されてるということを最近知って驚いた
李広の先祖はキングダムの李信\(^o^)/
とある三国志ドラマで曹彰が手本にするのは衛青と霍去病と言ってましたが曹彰も衛青も霍去病も辺境で異民族討伐に従事してたからの発言だったんでしょうね。
霊夢「衛青ヤバいわね!」魔理沙「ヤバいわよ!」
リョコウですらブチキレて開戦には至らなかった匈奴こええええ文帝が軍馬育成してやっと武帝の時代まで耐えたのね
「よく戦う者の勝や、智名もなく、勇功もなし。善戦者之勝也、無智名、無勇功。」という孫子の言葉を思い出しました。戦いが巧みな者は、目立つ勝ち方をしないので、智謀や勇気を褒め称えられないが、実は凄いという話しですが衛青将軍もそういった風格の持ち主だった気がします。動画面白かったです。
孫子の兵法の本質は実戦に至ってしまうまでを重視しますからね。戦いそのものを重視しないから結局地味になりがちなんですが、だからこそ究極の話、戦いに至らず政治目的を達成することこそ最上であるともしているわけですしね。ドリフターズでも「合戦そのものはそれまで積んだ事の帰結よ。合戦に至るまで何をするかが俺は戦だと思っとる。」なんて信長が言ってましたけどこれ孫子の思想そのものなんですね。
@@ravilsan1987 様、丁寧な返信ありがとうございます。全くおっしゃる通りだと思います。ドリフターズの話しはすみません知りませんが、政治的目的が達成出来れば地味な勝利でかまわない、戦う必要がなければ戦わない、凄い合理的ですよね。凡人の私にはなかなか実践は無理ですが、(笑)中国の思想家の話しは面白いですね。
@@qoamb410 というか戦争そのものが政治の一部だという戦争の本質を見抜いたのは大きいですね。西洋のクラウゼヴィッツだと戦いそのものに勝つ方法ばかりクローズアップしてますが戦いの前の段階を重視しているのは独特ですね。逆に言えば戦前の旧日本軍は孫子の兵法から見たら真逆のことばかりやってるので比較してみると非常に面白いですね。
カッコいい格言ですね。初めて知りました。本編だけじゃなく、コメント欄でも勉強になるとは。視聴者さんの知的レベルの高さもスゴい。
あと、孫子には『誰もが見えるものを見ることを目が良いとは言わず、誰にも聞こえる音を聞くことを耳が良いとは言わない。名将は誰が気づく前に敗戦の原因を取り除き、誰もが気づく前に勝利の為の手を打つので誰にも気付かれず当たり前に勝利する』と言った現場での名将の資質も記していたと思います。
はるか30年くらい前、陳舜臣さんの中国の歴史全8巻(だったかな)を愛読していた時があり、やはり伝奇に満ちた古代や、生々しい近世に比べ、春秋戦国から前後漢のあたり、特に武帝期の、衛青、霍去病の活躍はワクワクするところでした(その後の霍光の話は少しいやらしい)特に、苦労人の衛青の話はその人柄も相まっていい感じでした。この、最下層からの逆転ホームランな感じが、文帝(というより薄姫ですね)や、のちの宣帝のような感じが夢があります。霍去病はどっちかというと、項羽的ですよね。項羽も項燕が章邯やられずに王朝建てていたら霍去病並みに敬われたかもしれないですね
待ってましたぁ!
ユーチューバーをBANするくらいの手軽さで臣下を死罪にする武帝・・・
そうなんです。古代・中世の中国史は遊牧民との抗争の歴史でもあります。これが中国史を理解するキーポイントです。ちなみに武帝は匈奴撃破という輝かしい業績をあげますが、これが漢王朝の財政難のきっかけとなり王朝が衰退する原因になったのは歴史の皮肉でもあります。
北方謙三の史記を読んでいたら衛青と霍去病は好きになりますね
衛青来たああああああ!北方謙三の小説読んでずっと好きだった人や!!
身を全う出来る名将は案外少ないのでホッとします
一兵卒と苦労をともにし、李広の子の襲撃も「気持ちはわかる」とスルーした衛青よりも戦場でも贅沢な暮らしをして、叔父への無礼を許さなかった霍去病のほうが同時代人の人気があったというのはちょっと不思議
派手でネアカで感情のありどころが分かりやすい人物が好まれる文化なんでしょうね。水滸伝で人気のあるのが黒旋風の李逵だったりするし。
軍隊って基本的に武闘派の集団ですから、上司には穏やかな人よりも、我の強さがある親分的な人を求めるんじゃないですかね
三国志演義の張飛が人気なように豪放磊落な英雄像が好まれるんでしょうね
賢后衛子夫を見てましたので楽しく見れましたいつもありがとうございます
中華史を調べると周辺の異民族の歴史に興味が移ってそっちを重点的に調べてしまうのはあるあるだと思う。
当時の遊牧民は現在でいうと、空母を本拠として戦闘機を乗りこなし、一撃離脱を得意とした精鋭略奪集団。戦闘に勝っても本拠が動くからかなり厄介。
バケモンじゃねえか...
@@shiso_tempura 今でいうと子供の時からラプター乗って遊んでた奴ら、正直バケモンだと思う。
さらに、当時でいうと馬は自動車に該当するほど高価なものでしたが、遊牧民は下級兵に至るまで5~6頭は馬を保有していたらしいですね。まあ、これはモンゴル兵のお話かもしれませんがw
@@豊臣亨 そんな相手に衛青、霍去病、曹操はよくやったと思うけど…その後は…皮肉にも「漢」の滅亡後、その匈奴が「漢」を名乗って…
宮城谷昌光先生の作品で読んだな。ワクワクした。
霍去病より大活躍したはずの衛青の方が恩賞が少なかったのって、本人がその謙虚な性格ゆえに、「そんなにいりません!」って言ったからじゃないかな…。あと、あまり出世したりすると嫉妬心に駆られて足を引っ張るやつが必ず出てくるから、そういうやつの出現を警戒した可能性もありそう…。
衛青はこの時、大将軍だからこれ以上出世しようが無い。霍去病の大司馬も階級的には、大将軍と同じだし。これ以上は、霍去病の弟の霍光が作った大司馬大将軍しか無い。
冒頓単于の手紙は、本邦の伊邪那岐伊邪那美のやり取りに、活用されてますね。
人柄に惹かれました。武帝ってどこかの球団のオーナーみたい…
衛青と来れば次は霍去病もやりそうですね!
衛青の一生ははまるで男版シンデレラですね。
呂布の出身地五原は衛青が匈奴を追い払って手に入れた地だったんですね。
今月の「龍師の翼」はタイミングよく韓王姫信の活躍?回でしたね霍去病も長生きしていたらいずれ衛青のように冷遇された気がして仕方ない
韓王信も結局高祖に睨まれて、匈奴行きだしな。
まあ、武帝からすれば衛青は義弟にあたるわけだし、十分引き立てているのは間違いない。それでも兵士が飢えていても豪華な幕舎の下で宴会を開くような事をしていた霍去病が、当の兵士たちからの人気も上だったというのは……
衛青人格者にして有能優しい謙虚と理想の上司そのままやんけ
衛青、素晴らしい。この様な人傑は、今日一層鮮い。
最初の画像は衛子夫のドラマのやつかな?
たぶん「賢后衛士夫」です。Amazon prime で見れますよ。
@@cokura5273 昔見ました
霍去病、「病が去る」でなくて「病で去る」だったんですね……
奴隷の身から大出世、苦労人だから下々の気持ちがわかる。身分が高くなっても奢ることなく慎み深い、それでいていて超戦上手!なのに武帝ときたら…武帝ェ…(文帝と武帝を書き間違えていました、めっちゃ恥ずかしいです)
文帝期には衛青はいませんよ。武帝ですな。
@@土屋真一-r1p きゃー間違っちゃった!訂正します。
これだけの功績をあげて、位人臣を極めても、あの武帝の時代に天寿を全うできた事も立派だと感じます!悲惨な境遇から立身出世を果たして歴史に名を残す功績をあげるなんて、カッコいいです!
ただし息子は謀反の嫌疑をかけられて悲惨な末路を辿るは前漢期のほのぼの日常
自分のために戦わなかった、珍しい英雄かなと。
賢后 衛子夫ってドラマだと武帝の姉の平陽公主が夫に不倫されたりととにかく男運がなくあれやこれやと最終的に衛青にベタボレになり後に結婚でラブラブとかいう話になるんだよな
あの匈奴相手に騎兵で戦いを挑み、勝てるというのが普通に凄い。晩年も悲劇的な最後はなかったので良かったです(息子さんはそうではなかったようですが)。位が上がっても政治に関わらないようにしたところが、彼の処世術と思います。
謙虚な生き方で人生を全うされたのですね。
高校の世界史で学びました。本当に凄い人だと思います。☺️
あの漢武帝の治世下で活躍し、身を全うしたのは稀有な例ではないでしょうか。
衛青の出世の凄さを知るほど、後の衛一族の辛さが身に染みます。しかし霍去病ほど夭折の天才の言葉が合う武将は中々いませんね😢
オーストラリアハミルトン島 ハー鳥ーフ人間で草ぁ!
歴史書に「卑屈ともいえるほど謙虚な衛青より、霍去病の方が当時人気があった」って書かれてるけど、ほんま謙虚だし慎重いや、慎重なだけの人に歴戦の名将でもやれんかった北方騎馬民族を騎兵で屠るなんつうバグがやれるわけないんだけど。なんというか、戦歴に隙がなく完璧すぎるせいで屈指の武勲なのに確かに地味だなと中華の中で戦ってればもう少し諸将クラスの名前も挙がってどんな戦いだったみたいな記録が喧伝されてたろう、と思いつつ武功としては前漢トップ5クラスなのにどうしても地味なのが泣ける
Q:騎馬民族ってどれだけ強かったの?A:人間の搭乗に耐えうる、かつ戦場で使える体力を持つ馬は火器登場以前の時代においては国力をも左右しうる戦略兵器でありそれらを恒常的に、しかも他国に売るほど大量保有し、国民のほぼ全てが幼少期からその馬を使って日常的に騎馬の訓練を積んでいる事実上の国民皆兵国家。しかもその本拠地は食料の現地調達が出来ないので農耕民族の国家が完全に叩くことが出来ない。
訓練もまともに受けたことない農民たちが精鋭戦車部隊と戦う感じですね
@@hyugaassassin192 戦車登場前は機動戦といえば馬ですからね。紀元前から電撃戦やってるような民族に太刀打ちできませんね。赤いナポレオンことトゥハチェフスキー元帥も電撃戦の原型となる戦術は騎兵で試験運用してましたし。
ちなみに遊牧民が使う合成弓の射程は初期ライフル並みで、威力は鉄をも貫く。湿気に弱いがステップ気候では関係ないので、どちらかと言うと装甲の薄い戦車みたいなもの。だから勝つには李靖みたいに、突然敵の眼前まで奇襲できないと難しいね。
衛青の動画、ありがとうございます。歴史書に記載のない10年間、どんな過ごし方をしたのか興味がありますね。慎み深い衛青のことだから仕事をしながら姉の衛子夫と武帝の役に立つために兵法などの学問をして過ごしたのではないかと想像していますが。武帝の霍去病への寵愛は後の霍光の権勢へつながりますね。もし、霍光の権勢と宣帝の即位、宣帝と霍光の権力争いを衛青が見ていたらなんと言うか、衛青に聞けるものなら聞いてみたいものです。
大体一緒に紹介されがちな衛青と霍去病を単独とは珍しい
衛青はともかく、霍去病は最初から外戚にして連戦連勝の将軍だったから物語的に作りにくいと思いますね。
霍去病の後には李陵お願いします
北方健三の歴史小説の史記はエイセイは格好よかった。
高校の時に読んだ、北方謙三の史記で初めて好きになった中国史の人物。今でも一番好きなまである。
私は本持っていますが、4巻くらいまでは衛青や霍去病による攻勢期でしたね。
北方謙三の武帝紀を読もう!
匈奴の弓って遊牧民特有の合成弓もそうだけど、当時の鎧の技術じゃ防ぐのが厳しい凄い手の込んだ、矢尻の形をした矢が強力だったらしい。
匈奴「なんか南下が難化したんだが」
冒頓単于『拝啓呂雉様 先ごろ弟(冒頓単于から見て劉邦の事)が〇んだそうでさぞお力落としの事と思います。某も何かお力になれることがあればとお手紙したためました。さて我々(匈奴)の社会では兄弟が〇んだ場合残された妻はその兄弟が生活の面倒を見ることとなっております。早い話呂雉様さえよければ某の嫁になっていただいても当方一向にかまいませんので、もし呂雉様にそのつもりがあればその時は御遠慮なくお声がけくださいませ('ω')ノ』 匈奴兵A「さすが単于!夫を亡くされたばかりで困ってる漢の呂后にさりげなく気遣いの手紙を出されるとは」冒頓単于「ワシわりかしそういうとこ気遣いできる男やからな。呂后もワシの器のデカさのあまりに本気で惚れてまうかもしれんな😘」匈奴兵B「報告!単于の手紙を読んだ呂后は烈火のごとく怒っているそうです」冒頓単于・匈奴兵A「は?なんで?」 ↑誰だったか忘れたけど小説家で冒頓単于の手紙の意図としてはこういう事(上文はちょっと誇張ですがw)だったんじゃないかと推察しておられる方がいましたね(^_^;)
呂太后返答「私は老いているから、あんたの相手なんぞできんわ」
霍去病って衛青の親戚だったのかよ……
このコメントを閲覧した者です。私も初めて知りました。
@@山内寛志-o8y なんだかとても翻訳された文言みたいなコメントですね意外ですよね
@@周作町田 返信ありがとうございます。丁寧なコメントだと、お互いに良しと思ったものですから、コメントには気を付けているだけです。歴史は小学校から姉弟で勉強しており、テレビや映画で歴史ネタが出ようものなら、家族で議論して楽しんでました。今は個人で、どの媒体でも歴史を勉強しております。
@@山内寛志-o8yそうですね初対面ですから当然の配慮ですよね。あなたの礼儀正しさに、私は軽率なことを言ったと恥じ入ります。私も歴史がとても好きなので仲間ですね。
ちなみに関白の語源である霍光は、霍去病の腹違いの弟です。
衛青があんまりにも謙虚で武帝としても報償を与えづらかったのかもしれない権力欲でぶっ壊れる人も少なくないけど、衛青は彼なりの人生を全うした傑物だと思います
彼の性格によるところが1番大きいのだろうけど韓信の末路も念頭にあったと思う。
皇帝にとっては王ぜん位の人が一番扱いやすいのかもね
衛青と霍去病、キャラができすぎなくらい対照的で処世について色々考えさせられるこの二人自体はどういう関係性だったんだろ
鳥人間様の上げられた霍去病の動画で、衛青を親の怨みと切り付けた人を衛青は許したのに対して、霍去病は「叔父貴を切りつけやがって」と武帝の狩の場で殺しました。
がきd、、、武帝「死刑!」上善は水のごとし。万物を癒やし他者を栄えさせるが、しかして自分は常に低い位置にいる。衛青は老荘思想を身に着けていたのかな?
イマイチ地味な名将衛青を取り上げてくれてありがとう。嫁さんが自身が仕えた平陽公主というのがまたドラマであり、それも政治への口出しを避けた理由になったのではないかと思います。張騫もちょろっと登場して嬉しい。李広も李陵もドラマがあって、匈奴絡みは外れがありませんな。武帝辺りは私が最も勉強した時代なので見ていてとても楽しいです。
衛青は不遇に見えて本人の希望だろ
騎兵3万てスゴ。結構、空前絶後じゃね?
頑張ってたのに、若いのに負ける衛青が、悲しい😢。
休みだ!ビールだ!中国史だ!!!毎回言っているが最高の時間だ!!!
出た!!中国史一(当社比)ドラマチックな英雄!!!
「あしやドーマン」出版。国会図書館、三重県立、石川県立図書館等に蔵書。
いわゆるイシキタカイ系のイキるタイプの方が武帝は好みだったのね。
と言うより武帝は男色のけがあり、霍去病は美形だったらしい。
鳥人にハズレなし 毎回面白い
オルドス「北方の争いだと何時も地名に自分が居る」
匈奴側の記録があったらどうだっただろう?衛青が強かったのはきっと間違いないだろうけど、隠れた真実があったと思う。もちろん記録を残した司馬遷・班固が偉いんだけど、遺跡から出てきたりしないかなぁ?
匈奴の軍事力はそれほど大したことなかったよ軍事的に強かったら中国全土征服してた部隊の戦闘力は低くても機動力が高かったので略奪しては逃げ回る戦法に農耕民族はどうにも出来なかった下手に野戦に打って出ると行軍で疲れ切ったところを襲われて壊滅させられたから城塞に引き籠るしか術がなかった武帝の時代に騎兵を大量に育成して匈奴を壊滅に追い込んだのはいいけどそのせいで漢も経済的に破綻してこれが後の滅亡の要因となった
「匈奴の軍事力はそれほど大したことなかったよ 軍事的に強かったら中国全土征服してた」出だしの部分は面白いテーマになるので遡りつつ深く掘ってみるのが良いと思います。中国全土を支配できた元と清はそれまでの異民族の王朝とどう違ったのか。自身の発祥の北地を維持したまま中華に進出、支配を維持できた遼・金はそれまでの異民族の王朝とどう違ったのか。五胡十六国や北魏などの中華の地で国を建てた異民族の王朝は先述の二つのグループの王朝とどう違ったのか。どうして匈奴は劉邦の時代に、漢に勝ったのに中華の地を取らず、貢納・略奪で満足したのか。それは本当に軍事的な理由からなのか。そういった観点で見てみると面白いと思いますよ!
@@c-history 元はクビライが軍制を漢化して、水軍と攻城部隊を育成して、税制など整えて生産拠点を作り戦争を維持出来る体制を作ったからアリクブケとの対決も主力はほとんど非モンゴル人部隊頼りだったクビライの曽孫であるカイシャンが中央アジア勢との決戦に勝利してカイドゥを死においやった時も軍の主力は非モンゴル人だったクビライはモンゴル帝国のカーンとしては簒奪者扱いで正当性がないので、中華帝国の皇帝としての正当性を持って元帝国を作り上げたモンゴルのカーンだと自分で後継者を指定できないので(部族の有力者どもの選挙となるため)、カーンよりも皇帝のほうがはるかに都合がよかった遼と金が進出出来たのは、宋の軍人不信任による文治主義で軍隊の統制がうまくいかず、皇帝が軍人を信用しないので有能な将軍は例外なく大きな功績を建てた後は引退するか粛清されるかの運命北宋は宦官とか文官が軍事にちょっかい出しまくったせいで将軍が兵士を統制出来ず、遠征になるとほとんど大敗した南宋は金に対抗するため将軍に対する締め付けが多少緩んだけどそれでも大功を建てた岳飛の粛清や、孟珙への猜疑などでやはり本質的に北宋と大して変わらなかったそして遼も金もいずれかなり漢化して遊牧民族としての騎兵戦力が弱体化した清は単に秀吉の侵攻で財政破綻した明が農民反乱でトドメを指されたところを美味しく拾っただけ、明が強盛の頃なら満州族なんて大人しくしてるしかなかった
自分の感覚では衛青の仁に惹かれるけども、当時の軍人としては霍去病の威に憧れるのかな。匈奴好きとしては7単于乱立の時代が興味深いですが、取りあげたりされますかね・・・?
武帝に辛辣な人多いけど、ありもしない理想の周王朝に夢見て徳だの孝だの喪に服すだのと生ぬるい事をやり続けた国が全く価値観の違う戦闘民族に立ち向かう以上は、これくらいケツを叩く人が居ないと好き勝手やるのが当時の常識だったのかもなァ……とか擁護?してみたり。実際全力で事に当たれる人が現れて、やり方覚えてからはちゃんと王朝防衛出来てるしね。
歴史にifはないと言いますが、劉邦が匈奴の包囲から脱出できなければ、呂雉の怒りが収まらずに匈奴に出兵していたら、衛青と霍去病が抜擢されなければ、中華の歴史は変わっていたのでしょうか。ところで秦の将軍蒙恬はどの程度匈奴を押さえつけていたんですかね?
ifがあるなら韓信と匈奴の対決をみてみたい
衛青キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!衛青徐達(明)と李文忠羽柴秀長は名門出身の名将ではなく、生まれながらの名将だと思われ。徐達も取り上げて欲しいです霍去病の一族 霍光も見たいです。うーん、本当に中国史は面白い
ほんと、昔の中国は北方民族との争いだよね。南方も西方もか・・・・
春秋時代までは東方にも強敵がいたけど、斉の晏子のお父さんが滅ぼすんだよね。
この動画を閲覧した者です。 今回は【衛青】ですか。 苦労した人生であったからか、軍人として活躍するも、他人には優しく、生活は慎ましかったんですね。 今回も大いに勉強になりました。 今後は【霍去病】を取り上げるとのことですが、同じ時期に活躍した【張騫】をリクエストしたいと思います。 あと、投稿者さんは北宋の時代にも興味がありますか? 【王安石】を取り上げたので、多分興味があると思いますが、【水滸伝】関連はどうでしょうか? 物語と実際は違いますが、物語は日本に影響を与え、小説では【南総里見八犬伝】、北方謙三版【水滸伝】、ゲームでは【幻想水滸伝シリーズ】が世に出ました。 どうでしょうか? 我儘なリクエストですが、お願いします。 次回の動画、楽しみに待っております。 話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
人心を集め功績を上げ過ぎると政敵と思われ嫌われる。上に立つ者の運命だな。英雄は、生きるのも大変だな。朝廷も英雄を失えば利敵行為になるから切れば王朝崩壊。安禄山の様になっても困るし岳 飛の様になっても困る。
西極馬&天馬の時代到来ですか。
あれ、途中の武帝の肖像が某王朝を再興した駄洒落製造おじさんに見える…前wikipedia見てたら唐の睿宗と憲宗の肖像が全く同じやつになってたけど、伝源頼朝像(足利直義像)みたいに諸説あるんかね?
衛青が来て郭去病が別動画ならその次は李広だやったー!後に呂布も称される飛将軍の元祖で詩仙李白のご先祖で水滸伝の花栄の二つ名小李広の元ネタ李広だやったー!(圧)
この動画と「史記」の「衛将驃騎列伝」を見た限りでは、衛青は計算高さでなく謙虚を貫いた生涯であったようだ。だからこそ処罰が苛烈な武帝の元で無事に生涯を終えられたのだろう。それはさておき、奴婢同然の彼がどうやって兵法を修めたのか。前漢の七不思議の一つとするのは大袈裟か。
前漢期が匈奴という外患より武帝という内憂の方が深刻な件(´д`|||)でも、対照的な二人の名将が登場するのは大変興味深い。
ありがとうございます!
ありがとうございます!!
ご厚意感謝いたします……!!
清廉潔白で真面目一徹、この人の下で働けばたとえ死すとも悔いは無い!
19:10 衛青にあって霍去病にないところ。だからわたしは霍去病より衛青が好き
Thanks!
ご支援ありがとうございます!!
励みになりますゥ!!
わあい ビジュアル資料いっぱぁい 肖像画 大好きぃ
あの蒙恬も退かせるのがやっとだったのを追撃して、長城以北、果ては西域の確保まで成したことが凄い。この500年後にフン族のアッティラ大王がローマに攻めるが、北匈奴がモンゴル高原に残れなかった理由も、この衛青&霍去病が討伐したからだろう。
プラスしてこの後、光武帝、班超にと、さらにぼろぼろに…。
ただし、光武帝と同時期に呼都而尸道皋若鞮単于という冒頓単于に匹敵するカリスマが出現している(な、長い・・・)
@@日常ポロネーズ
その状況で、まともに戦わせてももらえず、解体されてますからね。
光武帝お得意の以逸待労とは言え。
そら逃げたくなりますよ。
本日の動画を見終えて
『衛青の配下にはなりたいけれど劉徹の臣下は御免被る』
過去動画でも触れていましたが武帝は人材の使い捨てが酷いと改めて感じました。
衛青好きになった
武帝の姉の平陽公主の使用人だったのが、出世後は匈奴戦で手柄を挙げまくり、かつての主人の再婚相手にも。実話とは思えない驚きの逆転劇だ。武帝に関係した人間はろくな最後を迎えない場合が多いが、衛青はうまく天寿を全うしていますね。
あとは公孫弘とか桑公羊あたりは武帝が生きている間は高官として仕えることができた人たちですかね。
姉が皇帝の姫となったから取り入れられた
というのは漢ではままあるものの
その後の実績では群を抜いてる
@@土屋真一-r1p 桑弘羊
武人の鏡と言っていい衛青。常に慎み深く謙虚な姿勢は上司にするならこういう上司、部下にするならこういう部下がほしいと誰もが思わせる。
きっと、どの時代に生まれていても同じ様に活躍出来ていたことだろう。苦労は買ってでもしろというが本当だなあ。
日本人には好まれそうな英雄像ではないかと思います。
フィクションですが、北方謙三の史記を読んだ身としては感慨深いものがあります
まさか……リクエストに応えてくださったのか……!?
ありがとうございます‼️
色んなゆっくり解説を毎日見てるゆっくり中毒者だけど鳥人間さんのチャンネルが一番好き
雰囲気が落ち着いてて、なおかつ分かりやすいのでとても見やすいですよね
このコメントを閲覧した者です。【天ぷらの民】さんが「雰囲気が落ち着いてて、なおかつ分かりやすいのでとても見やすいですよね」と仰られる様に、動画を見ながら、ウンウンと頷いています。とても勉強になります。
なんか分からんけどいいですよね😊
どハマり中
いつも落ち着いてるけどたまにある暴君回の発狂ぶりも愛おしい。
対匈奴決戦将軍っていいフレーズですね
衛青、かなり好きな人物ですね。
衛青と霍去病の対比で、武帝からの大量の贈り物を衛青は部下に分け与え、霍去病は腐らせたて話を読んだことありますね。
衛青は地味、霍去病は貴公子然としていた。
だから霍去病は人気があったんでしょうね。
地味で仕事ができる人と派手で仕事ができる人どっちが人気があるか、
その辺り考えたら今も昔も変わらんなぁと思いますね。
もしワタクシが、どちらの部下になるかと言われたら迷いなく衛青を選びますね。
鳥人間さんの動画の言葉遣いからいつも教養が滲み出ていて尊敬です
教養か。史記には刺客列伝もあるが
多大な功績を挙げた家臣が最初はそれに見合った褒美を与えられるけど、後半になってくると色んな理由で不遇な人生を歩むこと多いよね
18:38の肖像は光武帝です
thx!!
政治に興味が無いのではなくて、ただ宮廷闘争に徹底的に巻き込まれない様に自分を律していたから天寿を全う出来た
霍去病は巻き込まれる前に世を去った
両者共に幸せな人生だと思う
劉邦の軍師、張良も同様。
うぼつです。「来た、見た、勝った」はガイウス・ユリウス・カエサルの有名な言葉ですね。
中華史での建国や救国の英雄は必ず人相見から「ビッグになる。」と啓示を受ける説。
衛青や霍去病がいなくなった後の前漢は宣帝期まで匈奴に負け続けるんだよ。
観相人から「君は出世する」と言われても、衛青本人は「鞭で打たれないような身分になれば充分」というくらい謙虚な人。
この辺の話を聞くと北方謙三の史記武帝記を思い出すなぁ
小説ならではのエピソードと思っていたこと(例えば李広の子に恨まれて斬りつけられる→庇う→霍去病が射殺)が実際の史記に記されてるということを最近知って驚いた
李広の先祖はキングダムの李信
\(^o^)/
とある三国志ドラマで曹彰が手本にするのは衛青と霍去病と言ってましたが曹彰も衛青も霍去病も辺境で異民族討伐に従事してたからの発言だったんでしょうね。
霊夢「衛青ヤバいわね!」
魔理沙「ヤバいわよ!」
リョコウですら
ブチキレて開戦には至らなかった
匈奴
こええええ
文帝が軍馬育成してやっと
武帝の時代まで耐えたのね
「よく戦う者の勝や、智名もなく、勇功もなし。善戦者之勝也、無智名、無勇功。」という孫子の言葉を思い出しました。戦いが巧みな者は、目立つ勝ち方をしないので、智謀や勇気を褒め称えられないが、実は凄いという話しですが衛青将軍もそういった風格の持ち主だった気がします。動画面白かったです。
孫子の兵法の本質は実戦に至ってしまうまでを重視しますからね。戦いそのものを重視しないから結局地味になりがちなんですが、だからこそ究極の話、戦いに至らず政治目的を達成することこそ最上であるともしているわけですしね。ドリフターズでも「合戦そのものはそれまで積んだ事の帰結よ。合戦に至るまで何をするかが俺は戦だと思っとる。」なんて信長が言ってましたけどこれ孫子の思想そのものなんですね。
@@ravilsan1987 様、丁寧な返信ありがとうございます。全くおっしゃる通りだと思います。ドリフターズの話しはすみません知りませんが、政治的目的が達成出来れば地味な勝利でかまわない、戦う必要がなければ戦わない、凄い合理的ですよね。凡人の私にはなかなか実践は無理ですが、(笑)中国の思想家の話しは面白いですね。
@@qoamb410 というか戦争そのものが政治の一部だという戦争の本質を見抜いたのは大きいですね。西洋のクラウゼヴィッツだと戦いそのものに勝つ方法ばかりクローズアップしてますが戦いの前の段階を重視しているのは独特ですね。逆に言えば戦前の旧日本軍は孫子の兵法から見たら真逆のことばかりやってるので比較してみると非常に面白いですね。
カッコいい格言ですね。初めて知りました。本編だけじゃなく、コメント欄でも勉強になるとは。視聴者さんの知的レベルの高さもスゴい。
あと、孫子には『誰もが見えるものを見ることを目が良いとは言わず、誰にも聞こえる音を聞くことを耳が良いとは言わない。名将は誰が気づく前に敗戦の原因を取り除き、誰もが気づく前に勝利の為の手を打つので誰にも気付かれず当たり前に勝利する』と言った現場での名将の資質も記していたと思います。
はるか30年くらい前、陳舜臣さんの中国の歴史全8巻(だったかな)を愛読していた時があり、やはり伝奇に満ちた古代や、生々しい近世に比べ、春秋戦国から前後漢のあたり、特に武帝期の、衛青、霍去病の活躍はワクワクするところでした(その後の霍光の話は少しいやらしい)特に、苦労人の衛青の話はその人柄も相まっていい感じでした。
この、最下層からの逆転ホームランな感じが、文帝(というより薄姫ですね)や、のちの宣帝のような感じが夢があります。
霍去病はどっちかというと、項羽的ですよね。項羽も項燕が章邯やられずに王朝建てていたら霍去病並みに敬われたかもしれないですね
待ってましたぁ!
ユーチューバーをBANするくらいの手軽さで
臣下を死罪にする武帝・・・
そうなんです。古代・中世の中国史は遊牧民との抗争の歴史でもあります。これが中国史を理解するキーポイントです。ちなみに武帝は匈奴撃破という輝かしい業績をあげますが、これが漢王朝の財政難のきっかけとなり王朝が衰退する原因になったのは歴史の皮肉でもあります。
北方謙三の史記を読んでいたら衛青と霍去病は好きになりますね
衛青来たああああああ!北方謙三の小説読んでずっと好きだった人や!!
身を全う出来る名将は案外少ないのでホッとします
一兵卒と苦労をともにし、李広の子の襲撃も「気持ちはわかる」とスルーした衛青よりも
戦場でも贅沢な暮らしをして、叔父への無礼を許さなかった霍去病のほうが同時代人の人気があったというのはちょっと不思議
派手でネアカで感情のありどころが分かりやすい人物が好まれる文化なんでしょうね。
水滸伝で人気のあるのが黒旋風の李逵だったりするし。
軍隊って基本的に武闘派の集団ですから、上司には穏やかな人よりも、我の強さがある親分的な人を求めるんじゃないですかね
三国志演義の張飛が人気なように豪放磊落な英雄像が好まれるんでしょうね
賢后衛子夫を見てましたので楽しく見れました
いつもありがとうございます
中華史を調べると周辺の異民族の歴史に興味が移って
そっちを重点的に調べてしまうのはあるあるだと思う。
当時の遊牧民は現在でいうと、
空母を本拠として戦闘機を乗りこなし、一撃離脱を得意とした精鋭略奪集団。
戦闘に勝っても本拠が動くからかなり厄介。
バケモンじゃねえか...
@@shiso_tempura
今でいうと子供の時からラプター乗って遊んでた奴ら、正直バケモンだと思う。
さらに、当時でいうと馬は自動車に該当するほど高価なものでしたが、遊牧民は下級兵に至るまで5~6頭は馬を保有していたらしいですね。まあ、これはモンゴル兵のお話かもしれませんがw
@@豊臣亨
そんな相手に衛青、霍去病、曹操はよくやったと思うけど…
その後は…皮肉にも「漢」の滅亡後、その匈奴が「漢」を名乗って…
宮城谷昌光先生の作品で読んだな。ワクワクした。
霍去病より大活躍したはずの衛青の方が恩賞が少なかったのって、本人がその謙虚な性格ゆえに、「そんなにいりません!」って言ったからじゃないかな…。あと、あまり出世したりすると嫉妬心に駆られて足を引っ張るやつが必ず出てくるから、そういうやつの出現を警戒した可能性もありそう…。
衛青はこの時、大将軍だからこれ以上出世しようが無い。霍去病の大司馬も階級的には、大将軍と同じだし。
これ以上は、霍去病の弟の霍光が作った大司馬大将軍しか無い。
冒頓単于の手紙は、本邦の伊邪那岐伊邪那美のやり取りに、活用されてますね。
人柄に惹かれました。武帝ってどこかの球団のオーナーみたい…
衛青と来れば次は霍去病もやりそうですね!
衛青の一生ははまるで男版シンデレラですね。
呂布の出身地五原は衛青が匈奴を追い払って手に入れた地だったんですね。
今月の「龍師の翼」はタイミングよく韓王姫信の活躍?回でしたね
霍去病も長生きしていたらいずれ衛青のように冷遇された気がして仕方ない
韓王信も結局高祖に睨まれて、匈奴行きだしな。
まあ、武帝からすれば衛青は義弟にあたるわけだし、十分引き立てているのは間違いない。
それでも兵士が飢えていても豪華な幕舎の下で宴会を開くような事をしていた霍去病が、当の兵士たちからの人気も上だったというのは……
衛青人格者にして有能優しい謙虚と理想の上司そのままやんけ
衛青、素晴らしい。この様な人傑は、今日一層鮮い。
最初の画像は衛子夫のドラマのやつかな?
たぶん「賢后衛士夫」です。
Amazon prime で見れますよ。
@@cokura5273
昔見ました
霍去病、「病が去る」でなくて「病で去る」だったんですね……
奴隷の身から大出世、苦労人だから下々の気持ちがわかる。身分が高くなっても奢ることなく慎み深い、それでいていて超戦上手!なのに武帝ときたら…武帝ェ…
(文帝と武帝を書き間違えていました、めっちゃ恥ずかしいです)
文帝期には衛青はいませんよ。武帝ですな。
@@土屋真一-r1p きゃー間違っちゃった!訂正します。
これだけの功績をあげて、位人臣を極めても、あの武帝の時代に天寿を全うできた事も立派だと感じます!
悲惨な境遇から立身出世を果たして歴史に名を残す功績をあげるなんて、カッコいいです!
ただし息子は謀反の嫌疑をかけられて悲惨な末路を辿るは前漢期のほのぼの日常
自分のために戦わなかった、珍しい英雄かなと。
賢后 衛子夫ってドラマだと武帝の姉の平陽公主が夫に不倫されたりととにかく男運がなく
あれやこれやと最終的に衛青にベタボレになり後に結婚でラブラブとかいう話になるんだよな
あの匈奴相手に騎兵で戦いを挑み、勝てるというのが普通に凄い。晩年も悲劇的な最後はなかったので良かったです(息子さんはそうではなかったようですが)。位が上がっても政治に関わらないようにしたところが、彼の処世術と思います。
謙虚な生き方で人生を全うされたのですね。
高校の世界史で学びました。
本当に凄い人だと思います。☺️
あの漢武帝の治世下で活躍し、身を全うしたのは稀有な例ではないでしょうか。
衛青の出世の凄さを知るほど、後の衛一族の辛さが身に染みます。しかし霍去病ほど夭折の天才の言葉が合う武将は中々いませんね😢
オーストラリアハミルトン島 ハー鳥ーフ人間で草ぁ!
歴史書に「卑屈ともいえるほど謙虚な衛青より、霍去病の方が当時人気があった」って書かれてるけど、ほんま謙虚だし慎重
いや、慎重なだけの人に歴戦の名将でもやれんかった北方騎馬民族を騎兵で屠るなんつうバグがやれるわけないんだけど。
なんというか、戦歴に隙がなく完璧すぎるせいで屈指の武勲なのに確かに地味だなと
中華の中で戦ってればもう少し諸将クラスの名前も挙がってどんな戦いだったみたいな記録が喧伝されてたろう、と思いつつ
武功としては前漢トップ5クラスなのにどうしても地味なのが泣ける
Q:騎馬民族ってどれだけ強かったの?
A:人間の搭乗に耐えうる、かつ戦場で使える体力を持つ馬は火器登場以前の時代においては国力をも左右しうる戦略兵器でありそれらを恒常的に、しかも他国に売るほど大量保有し、国民のほぼ全てが幼少期からその馬を使って日常的に騎馬の訓練を積んでいる事実上の国民皆兵国家。しかもその本拠地は食料の現地調達が出来ないので農耕民族の国家が完全に叩くことが出来ない。
訓練もまともに受けたことない農民たちが精鋭戦車部隊と戦う感じですね
@@hyugaassassin192 戦車登場前は機動戦といえば馬ですからね。紀元前から電撃戦やってるような民族に太刀打ちできませんね。赤いナポレオンことトゥハチェフスキー元帥も電撃戦の原型となる戦術は騎兵で試験運用してましたし。
ちなみに遊牧民が使う合成弓の射程は初期ライフル並みで、威力は鉄をも貫く。
湿気に弱いがステップ気候では関係ないので、どちらかと言うと装甲の薄い戦車みたいなもの。
だから勝つには李靖みたいに、突然敵の眼前まで奇襲できないと難しいね。
衛青の動画、ありがとうございます。
歴史書に記載のない10年間、どんな過ごし方をしたのか興味がありますね。
慎み深い衛青のことだから仕事をしながら姉の衛子夫と武帝の役に立つために兵法などの学問をして過ごしたのではないかと想像していますが。
武帝の霍去病への寵愛は後の霍光の権勢へつながりますね。
もし、霍光の権勢と宣帝の即位、宣帝と霍光の権力争いを衛青が見ていたらなんと言うか、衛青に聞けるものなら聞いてみたいものです。
大体一緒に紹介されがちな衛青と霍去病を単独とは珍しい
衛青はともかく、霍去病は最初から外戚にして連戦連勝の将軍だったから物語的に作りにくいと思いますね。
霍去病の後には李陵お願いします
北方健三の歴史小説の史記はエイセイは格好よかった。
高校の時に読んだ、北方謙三の史記で初めて好きになった中国史の人物。今でも一番好きなまである。
私は本持っていますが、4巻くらいまでは衛青や霍去病による攻勢期でしたね。
北方謙三の武帝紀を読もう!
匈奴の弓って遊牧民特有の合成弓もそうだけど、当時の鎧の技術じゃ
防ぐのが厳しい凄い手の込んだ、矢尻の形をした矢が強力だったらしい。
匈奴「なんか南下が難化したんだが」
冒頓単于『拝啓呂雉様
先ごろ弟(冒頓単于から見て劉邦の事)が〇んだそうでさぞお力落としの事と思います。某も何かお力になれることがあればとお手紙したためました。さて我々(匈奴)の社会では兄弟が〇んだ場合残された妻はその兄弟が生活の面倒を見ることとなっております。早い話呂雉様さえよければ某の嫁になっていただいても当方一向にかまいませんので、もし呂雉様にそのつもりがあればその時は御遠慮なくお声がけくださいませ('ω')ノ』
匈奴兵A「さすが単于!夫を亡くされたばかりで困ってる漢の呂后にさりげなく気遣いの手紙を出されるとは」
冒頓単于「ワシわりかしそういうとこ気遣いできる男やからな。呂后もワシの器のデカさのあまりに本気で惚れてまうかもしれんな😘」
匈奴兵B「報告!単于の手紙を読んだ呂后は烈火のごとく怒っているそうです」
冒頓単于・匈奴兵A「は?なんで?」
↑誰だったか忘れたけど小説家で冒頓単于の手紙の意図としてはこういう事(上文はちょっと誇張ですがw)だったんじゃないかと推察しておられる方がいましたね(^_^;)
呂太后返答「私は老いているから、あんたの相手なんぞできんわ」
霍去病って衛青の親戚だったのかよ……
このコメントを閲覧した者です。私も初めて知りました。
@@山内寛志-o8y
なんだかとても翻訳された文言みたいなコメントですね
意外ですよね
@@周作町田 返信ありがとうございます。丁寧なコメントだと、お互いに良しと思ったものですから、コメントには気を付けているだけです。
歴史は小学校から姉弟で勉強しており、テレビや映画で歴史ネタが出ようものなら、家族で議論して楽しんでました。
今は個人で、どの媒体でも歴史を勉強しております。
@@山内寛志-o8y
そうですね初対面ですから当然の配慮ですよね。あなたの礼儀正しさに、私は軽率なことを言ったと恥じ入ります。
私も歴史がとても好きなので仲間ですね。
ちなみに関白の語源である霍光は、霍去病の腹違いの弟です。
衛青があんまりにも謙虚で武帝としても報償を与えづらかったのかもしれない
権力欲でぶっ壊れる人も少なくないけど、衛青は彼なりの人生を全うした傑物だと思います
彼の性格によるところが1番大きいのだろうけど韓信の末路も念頭にあったと思う。
皇帝にとっては王ぜん位の人が一番扱いやすいのかもね
衛青と霍去病、キャラができすぎなくらい対照的で処世について色々考えさせられる
この二人自体はどういう関係性だったんだろ
鳥人間様の上げられた霍去病の動画で、衛青を親の怨みと切り付けた人を衛青は許したのに対して、霍去病は「叔父貴を切りつけやがって」と武帝の狩の場で殺しました。
がきd、、、武帝「死刑!」
上善は水のごとし。万物を癒やし他者を栄えさせるが、しかして自分は常に低い位置にいる。衛青は老荘思想を身に着けていたのかな?
イマイチ地味な名将衛青を取り上げてくれてありがとう。嫁さんが自身が仕えた平陽公主というのがまたドラマであり、それも政治への口出しを避けた理由になったのではないかと思います。張騫もちょろっと登場して嬉しい。李広も李陵もドラマがあって、匈奴絡みは外れがありませんな。武帝辺りは私が最も勉強した時代なので見ていてとても楽しいです。
衛青は不遇に見えて本人の希望だろ
騎兵3万てスゴ。
結構、空前絶後じゃね?
頑張ってたのに、若いのに負ける衛青が、悲しい😢。
休みだ!ビールだ!中国史だ!!!
毎回言っているが最高の時間だ!!!
出た!!中国史一(当社比)ドラマチックな英雄!!!
「あしやドーマン」出版。国会図書館、三重県立、石川県立図書館等に蔵書。
いわゆるイシキタカイ系のイキるタイプの方が武帝は好みだったのね。
と言うより武帝は男色のけがあり、霍去病は美形だったらしい。
鳥人にハズレなし 毎回面白い
オルドス「北方の争いだと何時も地名に自分が居る」
匈奴側の記録があったらどうだっただろう?
衛青が強かったのはきっと間違いないだろうけど、隠れた真実があったと思う。
もちろん記録を残した司馬遷・班固が偉いんだけど、遺跡から出てきたりしないかなぁ?
匈奴の軍事力はそれほど大したことなかったよ
軍事的に強かったら中国全土征服してた
部隊の戦闘力は低くても機動力が高かったので略奪しては逃げ回る戦法に農耕民族はどうにも出来なかった
下手に野戦に打って出ると行軍で疲れ切ったところを襲われて壊滅させられたから城塞に引き籠るしか術がなかった
武帝の時代に騎兵を大量に育成して匈奴を壊滅に追い込んだのはいいけど
そのせいで漢も経済的に破綻してこれが後の滅亡の要因となった
「匈奴の軍事力はそれほど大したことなかったよ
軍事的に強かったら中国全土征服してた」
出だしの部分は面白いテーマになるので遡りつつ深く掘ってみるのが良いと思います。
中国全土を支配できた元と清はそれまでの異民族の王朝とどう違ったのか。
自身の発祥の北地を維持したまま中華に進出、支配を維持できた遼・金はそれまでの異民族の王朝とどう違ったのか。
五胡十六国や北魏などの中華の地で国を建てた異民族の王朝は先述の二つのグループの王朝とどう違ったのか。
どうして匈奴は劉邦の時代に、漢に勝ったのに中華の地を取らず、貢納・略奪で満足したのか。それは本当に軍事的な理由からなのか。
そういった観点で見てみると面白いと思いますよ!
@@c-history
元はクビライが軍制を漢化して、水軍と攻城部隊を育成して、税制など整えて生産拠点を作り戦争を維持出来る体制を作ったから
アリクブケとの対決も主力はほとんど非モンゴル人部隊頼りだった
クビライの曽孫であるカイシャンが中央アジア勢との決戦に勝利してカイドゥを死においやった時も軍の主力は非モンゴル人だった
クビライはモンゴル帝国のカーンとしては簒奪者扱いで正当性がないので、中華帝国の皇帝としての正当性を持って元帝国を作り上げた
モンゴルのカーンだと自分で後継者を指定できないので(部族の有力者どもの選挙となるため)、カーンよりも皇帝のほうがはるかに都合がよかった
遼と金が進出出来たのは、宋の軍人不信任による文治主義で軍隊の統制がうまくいかず、皇帝が軍人を信用しないので有能な将軍は例外なく大きな功績を建てた後は引退するか粛清されるかの運命
北宋は宦官とか文官が軍事にちょっかい出しまくったせいで将軍が兵士を統制出来ず、遠征になるとほとんど大敗した
南宋は金に対抗するため将軍に対する締め付けが多少緩んだけどそれでも大功を建てた岳飛の粛清や、孟珙への猜疑などでやはり本質的に北宋と大して変わらなかった
そして遼も金もいずれかなり漢化して遊牧民族としての騎兵戦力が弱体化した
清は単に秀吉の侵攻で財政破綻した明が農民反乱でトドメを指されたところを美味しく拾っただけ、明が強盛の頃なら満州族なんて大人しくしてるしかなかった
自分の感覚では衛青の仁に惹かれるけども、当時の軍人としては霍去病の威に憧れるのかな。匈奴好きとしては7単于乱立の時代が興味深いですが、取りあげたりされますかね・・・?
武帝に辛辣な人多いけど、ありもしない理想の周王朝に夢見て徳だの孝だの喪に服すだのと生ぬるい事をやり続けた国が全く価値観の違う戦闘民族に立ち向かう以上は、これくらいケツを叩く人が居ないと好き勝手やるのが当時の常識だったのかもなァ……とか擁護?してみたり。実際全力で事に当たれる人が現れて、やり方覚えてからはちゃんと王朝防衛出来てるしね。
歴史にifはないと言いますが、劉邦が匈奴の包囲から脱出できなければ、呂雉の怒りが収まらずに匈奴に出兵していたら、衛青と霍去病が抜擢されなければ、中華の歴史は変わっていたのでしょうか。
ところで秦の将軍蒙恬はどの程度匈奴を押さえつけていたんですかね?
ifがあるなら韓信と匈奴の対決をみてみたい
衛青キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
衛青
徐達(明)と李文忠
羽柴秀長
は名門出身の名将ではなく、生まれながらの名将だと思われ。
徐達も取り上げて欲しいです
霍去病の一族 霍光も見たいです。
うーん、本当に中国史は面白い
ほんと、昔の中国は北方民族との争いだよね。南方も西方もか・・・・
春秋時代までは東方にも強敵がいたけど、斉の晏子のお父さんが滅ぼすんだよね。
この動画を閲覧した者です。
今回は【衛青】ですか。
苦労した人生であったからか、軍人として活躍するも、他人には優しく、生活は慎ましかったんですね。
今回も大いに勉強になりました。
今後は【霍去病】を取り上げるとのことですが、同じ時期に活躍した【張騫】をリクエストしたいと思います。
あと、投稿者さんは北宋の時代にも興味がありますか?
【王安石】を取り上げたので、多分興味があると思いますが、【水滸伝】関連はどうでしょうか?
物語と実際は違いますが、物語は日本に影響を与え、小説では【南総里見八犬伝】、北方謙三版【水滸伝】、ゲームでは【幻想水滸伝シリーズ】が世に出ました。
どうでしょうか?
我儘なリクエストですが、お願いします。
次回の動画、楽しみに待っております。
話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
人心を集め功績を上げ過ぎると政敵と思われ嫌われる。上に立つ者の運命だな。
英雄は、生きるのも大変だな。朝廷も英雄を失えば利敵行為になるから切れば王朝崩壊。
安禄山の様になっても困るし岳 飛の様になっても困る。
西極馬&天馬の時代到来ですか。
あれ、途中の武帝の肖像が某王朝を再興した駄洒落製造おじさんに見える…
前wikipedia見てたら唐の睿宗と憲宗の肖像が全く同じやつになってたけど、伝源頼朝像(足利直義像)みたいに諸説あるんかね?
thx!!
衛青が来て郭去病が別動画ならその次は李広だやったー!
後に呂布も称される飛将軍の元祖で詩仙李白のご先祖で水滸伝の花栄の二つ名小李広の元ネタ李広だやったー!(圧)
この動画と「史記」の「衛将驃騎列伝」を見た限りでは、衛青は計算高さでなく謙虚を貫いた生涯であったようだ。だからこそ処罰が苛烈な武帝の元で無事に生涯を終えられたのだろう。それはさておき、奴婢同然の彼がどうやって兵法を修めたのか。前漢の七不思議の一つとするのは大袈裟か。
前漢期が匈奴という外患より武帝という内憂の方が深刻な件(´д`|||)
でも、対照的な二人の名将が登場するのは大変興味深い。