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ストコフスキーのリハーサル部分も好きで結構再生してます。親交のあったグールドと皇帝ではなくバッハで共演したらどうだったでしょう?私はコントロールされた完成度の高い演奏が好きですしバッハは色彩豊かな音には抑制された演奏が、ドライな音色にはロマンチックな解釈がバランスが取れて良いのではないかと思います。あとブゾーニのピアノ編曲で低音をフォルテで鳴らすのは苦手です。
日本では一度崇敬の対象になってしまうと、それを傷つける事実や逸話は過剰な拒否反応を招く、というのには本当に共感します。芸術分野以外にも見られる日本人の悪弊だと思います。信じたいこと以外は信じない、という態度は頑なです。健全な興味の追求や史実の分析を阻害している、と思いますが、専門家でもない限り、信仰に障る厳しい真実より、耳障りの良い嘘に揺蕩っているほうが居心地が良いのでしょう。でも個人的には大指揮者たちの嫉妬や大作曲家たちの迷走の話は興味深いです。そういう偉大な人たちでも私たちと同じような人間的欠陥に苦しんだんだなあ、という事実は、音楽の知らなかった一面を見る思いです。これまでジャズばかり聴いていたのですが、病気を機にここ数年クラシックも聴くようになって、徳岡さんのチャンネルを観るようになりました。これからも楽しい配信、期待しております。
どうもありがとうございます。かつてカルーソーの声に酔い、客席からヤンヤの喝采を送ったのはあくまで一般市民・庶民だったのですが、日本のこの音楽ファンの傾向は明治期以降のクラシック音楽文化の導入法にもあったのではなかったかと思います。教養としての洋楽導入で、かつ洋楽に接する重要な手段であったレコードの価格が異常に高かったなど、いろいろな要素が重なっていると感じています。土曜日の夜九時にはナマ配信もしておりますので、どうぞお越しください。
@@atm-naokimusic なるほど、下手な先入観とか中途半端な知識がない人たちの方が却って本質に共鳴出来るのかも知れませんね。以前小澤征爾さんが日本の田舎のお寺や神社の境内で演奏して廻るプロジェクトをされていた時に、そんなことを仰っているのを聞きました。中村紘子さんの”ピアニストという蛮族がいる”で、日本の西洋音楽導入期の混乱や間違いを読んで、酷いモノだなあ、と思っていましたが、その悪影響は今だに尾を引いてるのでしょうか。
なるほど、下手な先入観や予備知識がないほうが本質がダイレクトに伝わるのかも知れませんね。以前小澤征爾さんが日本の田舎の神社仏閣の境内のような所を演奏して廻るプロジェクトをやられていた時に、そんな事を仰っていました。中村紘子さんの「ピアニストという蛮族がいる」で明治の日本への西洋音楽導入期の混乱と失敗を読んで、酷いモノだなあ、と思っていましたが、未だにその悪影響は尾を引いているのでしょうか。土曜日、是非伺います。ありがとうございます。
動画拝見しました。ストコフスキーファンの贔屓目かもしれませんがブゾーニ編曲のシャコンヌは好きになれません。そもそもストコフスキー版シャコンヌは他の編曲とアプローチが違う様に感じます。私論ですが、バッハはオルガン曲で音楽の大宇宙を創造しましたが、それは濁った響きを含んだ平均律の世界だった事にバッハは満足しなかったのではないでしょうか?バッハが独奏ヴァイオリンの為に作曲を思い立ったのは純粋な響きの世界でオルガン曲の様な音楽の大宇宙を創造する野心があったからだと思います。このように考えるとシャコンヌは独奏ヴァイオリンの為の曲と考えるより、バッハの脳内で作曲された仮想のオルガン曲(あるいは合奏曲)を独奏ヴァイオリンに編曲したと考えることができます。ストコフスキー版の編曲アプローチは一旦仮想のオルガン曲に復元してからオーケストレーションしたように感じます。斉藤秀雄編曲の冒頭は原曲に比べ響きが軽く感じます。独奏ヴァイオリンには「差音」の響きが含まれており、ストコフスキー版は「差音」を意識したオーケストレーションの音域設定をしていると思います。またブゾーニ編曲のシャコンヌが好きになれない理由は解説にありました旋律を重ねている部分です。この部分は後に続くベートーヴェンの運命の動機に似た旋律に繋がる導入部分(Aパート)と考えています。Aパートでは隠れていた動機がBパートでは旋律の中に動機があらわれ。Cパートで動機が独立分離する構成ではないでしょうか?ストコフスキーは「運命の動機」が浮かび上がっていく様をABCのパートで表現しているのではないでしょうか。いずれにしてもブゾーニ編の旋律を重ねた部分はバッハらしくなく余分な感じがします。確かにストコフスキー版シャコンヌは凝った作りではないと思います。それは原曲を聴いて欲しいというストコフスキーの願いが込められている様に感じます。だからストコフスキー版シャコンヌは、まるで原曲の解説書のように聴くことができます。コーダの付け足しは余韻の部分でバッハの原曲の世界に引き戻すためのものだと思います。
まず徳岡さんに感謝しなければならないのは、これまであまり重要視してこなかった「パッサカリアとフーガ」に改めて関心を持たせてくれて、ここ10年では最もハマった曲になった事です。その上で申し上げますと、私は原曲のオルガンの方が好きです。オーケストラアレンジは、何か元の銅版画を油彩画に描き直したようで、モノトーンの厳粛な味わいがやや後退してるように思えてしまうんです。今はもっぱらリヒターの1978年の演奏を聴いてます。
リヒターも正式な録音だけで2種類ありますね。後どこかでのライブもあったかな… 自分もオルガン演奏ではリヒターをよく聴きます。
ヴァイオリン パルティータ二番の協奏曲風板。なかなか刺激的な編曲?(笑)th-cam.com/video/4oy9jI17TVE/w-d-xo.htmlsi=FuCyhnIWTPGrUP_S
ストコフスキーを採り上げていただきましてありがとうございます。ストコフスキー特集もっとしていただけたらと思います。
モントゥーがボストン響を指揮したBoxCD(品番:WHRA6034)の中に、レスピーギ編のパッサカリアとフーガが収録されています(1959年のライヴ)ご参考まで。
はい、ありがとうございます。モントゥ一はRCA にレコード録音も残していますし、ボストン交響楽団のライブは2種類あります。ひとつは未CD化音源です!
宇宿、ヴィエールのG線上のアリアの紹介も機会があればお願いします。実演での感動が今だに忘れられません。
ありがとうございます。メンバーシップの方のみですが、お嬢様からお送りいただいた映像を公開しています。th-cam.com/video/dWjd6caOauQ/w-d-xo.html
こんばんは。>6:30以降バッハの無伴奏ヴァイオリンにメンデルスゾーンとシューマンそれぞれが独自に伴奏を付けた版、CDは持っている(ヴァイオリンとフォルテピアノによる演奏。2019年6月録音。ALM RECORDS またはコジマ録音)のに未開封・未聴だったので慌てて聴きました。①メンデルスゾーンとシューマン。共に音楽史に名を残している程の大作曲家がピアノ伴奏を付けただけあって、サマになっていると思われる。②桐山建志のヴァイオリン演奏と小倉貴久子のフォルテピアノ演奏が見事。③ヴァイオリンとフォルテピアノの音量バランスを含めて録音が良い。以上3つの理由から、僕はゴキゲンに聴けました。それと。ストコフスキーに対するトスカニーニの嫉妬の原因のひとつは、ストコフスキーの人気(ディズニーのアニメ映画で、シルエットでしたがミッキーマウスと握手までした程の人気)だったと僕は思います。でもストコフスキーはストコフスキーで、「指揮界そして音楽界の中心に、なりたいのになれない」という忸怩たる思いが内心あったのでは、という気はしてます。ズービン・メータがニューヨーク・フィルの音楽監督に就任した際に、「ニューヨークこそが世界の中心だから」と言ったそうなんですが、図らずもストコフスキーの思いを代弁した?
ストコフスキーのリハーサル部分も好きで結構再生してます。親交のあったグールドと皇帝ではなくバッハで共演したらどうだったでしょう?私はコントロールされた完成度の高い演奏が好きですし
バッハは色彩豊かな音には抑制された演奏が、ドライな音色にはロマンチックな解釈がバランスが取れて良いのではないかと思います。あとブゾーニのピアノ編曲で低音をフォルテで鳴らすのは苦手です。
日本では一度崇敬の対象になってしまうと、それを傷つける事実や逸話は過剰な拒否反応を招く、というのには本当に共感します。
芸術分野以外にも見られる日本人の悪弊だと思います。
信じたいこと以外は信じない、という態度は頑なです。
健全な興味の追求や史実の分析を阻害している、と思いますが、専門家でもない限り、信仰に障る厳しい真実より、耳障りの良い嘘に揺蕩っているほうが居心地が良いのでしょう。
でも個人的には大指揮者たちの嫉妬や大作曲家たちの迷走の話は興味深いです。
そういう偉大な人たちでも私たちと同じような人間的欠陥に苦しんだんだなあ、という事実は、音楽の知らなかった一面を見る思いです。
これまでジャズばかり聴いていたのですが、病気を機にここ数年クラシックも聴くようになって、徳岡さんのチャンネルを観るようになりました。
これからも楽しい配信、期待しております。
どうもありがとうございます。かつてカルーソーの声に酔い、客席からヤンヤの喝采を送ったのはあくまで一般市民・庶民だったのですが、日本のこの音楽ファンの傾向は明治期以降のクラシック音楽文化の導入法にもあったのではなかったかと思います。教養としての洋楽導入で、かつ洋楽に接する重要な手段であったレコードの価格が異常に高かったなど、いろいろな要素が重なっていると感じています。土曜日の夜九時にはナマ配信もしておりますので、どうぞお越しください。
@@atm-naokimusic なるほど、下手な先入観とか中途半端な知識がない人たちの方が却って本質に共鳴出来るのかも知れませんね。以前小澤征爾さんが日本の田舎のお寺や神社の境内で演奏して廻るプロジェクトをされていた時に、そんなことを仰っているのを聞きました。
中村紘子さんの”ピアニストという蛮族がいる”で、日本の西洋音楽導入期の混乱や間違いを読んで、酷いモノだなあ、と思っていましたが、その悪影響は今だに尾を引いてるのでしょうか。
なるほど、下手な先入観や予備知識がないほうが本質がダイレクトに伝わるのかも知れませんね。
以前小澤征爾さんが日本の田舎の神社仏閣の境内のような所を演奏して廻るプロジェクトをやられていた時に、そんな事を仰っていました。
中村紘子さんの「ピアニストという蛮族がいる」で明治の日本への西洋音楽導入期の混乱と失敗を読んで、酷いモノだなあ、と思っていましたが、未だにその悪影響は尾を引いているのでしょうか。
土曜日、是非伺います。
ありがとうございます。
動画拝見しました。ストコフスキーファンの贔屓目かもしれませんがブゾーニ編曲のシャコンヌは好きになれません。
そもそもストコフスキー版シャコンヌは他の編曲とアプローチが違う様に感じます。私論ですが、バッハはオルガン曲で音楽の大宇宙を創造しましたが、それは濁った響きを含んだ平均律の世界だった事にバッハは満足しなかったのではないでしょうか?バッハが独奏ヴァイオリンの為に作曲を思い立ったのは純粋な響きの世界でオルガン曲の様な音楽の大宇宙を創造する野心があったからだと思います。このように考えるとシャコンヌは独奏ヴァイオリンの為の曲と考えるより、バッハの脳内で作曲された仮想のオルガン曲(あるいは合奏曲)を独奏ヴァイオリンに編曲したと考えることができます。ストコフスキー版の編曲アプローチは一旦仮想のオルガン曲に復元してからオーケストレーションしたように感じます。
斉藤秀雄編曲の冒頭は原曲に比べ響きが軽く感じます。独奏ヴァイオリンには「差音」の響きが含まれており、ストコフスキー版は「差音」を意識したオーケストレーションの音域設定をしていると思います。またブゾーニ編曲のシャコンヌが好きになれない理由は解説にありました旋律を重ねている部分です。この部分は後に続くベートーヴェンの運命の動機に似た旋律に繋がる導入部分(Aパート)と考えています。Aパートでは隠れていた動機がBパートでは旋律の中に動機があらわれ。Cパートで動機が独立分離する構成ではないでしょうか?ストコフスキーは「運命の動機」が浮かび上がっていく様をABCのパートで表現しているのではないでしょうか。いずれにしてもブゾーニ編の旋律を重ねた部分はバッハらしくなく余分な感じがします。
確かにストコフスキー版シャコンヌは凝った作りではないと思います。それは原曲を聴いて欲しいというストコフスキーの願いが込められている様に感じます。だからストコフスキー版シャコンヌは、まるで原曲の解説書のように聴くことができます。コーダの付け足しは余韻の部分でバッハの原曲の世界に引き戻すためのものだと思います。
まず徳岡さんに感謝しなければならないのは、これまであまり重要視してこなかった「パッサカリアとフーガ」に改めて関心を持たせてくれて、ここ10年では最もハマった曲になった事です。その上で申し上げますと、私は原曲のオルガンの方が好きです。オーケストラアレンジは、何か元の銅版画を油彩画に描き直したようで、モノトーンの厳粛な味わいがやや後退してるように思えてしまうんです。今はもっぱらリヒターの1978年の演奏を聴いてます。
リヒターも正式な録音だけで2種類ありますね。後どこかでのライブもあったかな… 自分もオルガン演奏ではリヒターをよく聴きます。
ヴァイオリン パルティータ二番の協奏曲風板。
なかなか刺激的な編曲?(笑)
th-cam.com/video/4oy9jI17TVE/w-d-xo.htmlsi=FuCyhnIWTPGrUP_S
ストコフスキーを採り上げていただきましてありがとうございます。ストコフスキー特集もっとしていただけたらと思います。
モントゥーがボストン響を指揮したBoxCD(品番:WHRA6034)の中に、レスピーギ編のパッサカリアとフーガが収録されています(1959年のライヴ)
ご参考まで。
はい、ありがとうございます。モントゥ一はRCA にレコード録音も残していますし、ボストン交響楽団のライブは2種類あります。ひとつは未CD化音源です!
宇宿、ヴィエールのG線上のアリアの紹介も機会があればお願いします。実演での感動が今だに忘れられません。
ありがとうございます。メンバーシップの方のみですが、お嬢様からお送りいただいた映像を公開しています。th-cam.com/video/dWjd6caOauQ/w-d-xo.html
こんばんは。
>6:30以降
バッハの無伴奏ヴァイオリンにメンデルスゾーンとシューマンそれぞれが独自に伴奏を付けた版、CDは持っている(ヴァイオリンとフォルテピアノによる演奏。2019年6月録音。ALM RECORDS またはコジマ録音)のに未開封・未聴だったので慌てて聴きました。
①メンデルスゾーンとシューマン。共に音楽史に名を残している程の大作曲家がピアノ伴奏を付けただけあって、サマになっていると思われる。
②桐山建志のヴァイオリン演奏と小倉貴久子のフォルテピアノ演奏が見事。
③ヴァイオリンとフォルテピアノの音量バランスを含めて録音が良い。
以上3つの理由から、僕はゴキゲンに聴けました。
それと。
ストコフスキーに対するトスカニーニの嫉妬の原因のひとつは、ストコフスキーの人気(ディズニーのアニメ映画で、シルエットでしたがミッキーマウスと握手までした程の人気)だったと僕は思います。でもストコフスキーはストコフスキーで、「指揮界そして音楽界の中心に、なりたいのになれない」という忸怩たる思いが内心あったのでは、という気はしてます。ズービン・メータがニューヨーク・フィルの音楽監督に就任した際に、「ニューヨークこそが世界の中心だから」と言ったそうなんですが、図らずもストコフスキーの思いを代弁した?