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ウォーキング・テット Walking Tetto 逗子、葉山、鎌倉、西湘、三浦半島方面の徒歩散策動画
Japan
เข้าร่วมเมื่อ 19 ม.ค. 2022
ウォーキング・テット Walking Tetto (ウォーキングデッドのパロディです)
高齢者による逗子市の逗子、葉山、鎌倉、西湘、三浦半島方面の散策動画です。宅建士初心者、一級建築士ベテランなので、建物や土地、自然環境等の余計なコメントが多いです。(ご迷惑をお掛けします)
宇宙に強い興味を持っていますので、そっち方面のコメントも多いです。(ご迷惑おかけして申し訳ありません(^^)/)
撮影は素人で初心者ですので観にくい場面も多いかと思いますが、ご辛抱願います。
GoProは値段が高いので、中華製のAKASOのBrave7で撮影しています。多少、手振れの多い感じです。
高齢者による逗子市の逗子、葉山、鎌倉、西湘、三浦半島方面の散策動画です。宅建士初心者、一級建築士ベテランなので、建物や土地、自然環境等の余計なコメントが多いです。(ご迷惑をお掛けします)
宇宙に強い興味を持っていますので、そっち方面のコメントも多いです。(ご迷惑おかけして申し訳ありません(^^)/)
撮影は素人で初心者ですので観にくい場面も多いかと思いますが、ご辛抱願います。
GoProは値段が高いので、中華製のAKASOのBrave7で撮影しています。多少、手振れの多い感じです。
松竹映画「砂の器」(1974)ロケ地探索 島根県編
松竹映画「砂の器」(1974)ロケ地探索 島根県編
訂正 今西巡査部長(原作) → 今西警部補(映画)
本浦親子が故郷を離れ、遍路旅、流浪の旅を続ける回想シーンは、島根県の木次線沿線の地で終わりを迎えます。今回、車中泊覚悟で5月の連休中に島根県のロケ地探索に出かけました。
50年前に撮影されたロケ地は、いつものように雑草が茂り、ロケカメラと同じ位置から撮影しようとする試みが何か所かで達成できませんでした。
最初の鉄道の場面は米子市の日野川です。鉄道の知識はゼロに近いですが、ロケ地を訪れると数人の撮り鉄らしき人々がカメラをセットしていました。記念すべき瞬間が訪れるということでしたので、にわか撮り鉄となり、幸運にも記念すべき鉄道車両を撮影できました。背景に大山が映っています。仕事で地元に帰省していた方に鉄道のお話をお伺いできました。映画に出てくる車両の写真を見て、車両の型式や名称を一発で当てたときは、本当に驚きましたね。撮り鉄はすごいです。
宍道駅から木次線に沿って移動しながら、木次駅、天野館へと進みました。天野館の社長さんに偶然にお会いでき、この歴史ある旅館と「砂の器」撮影クルーの話をお聞かせいただきました。ご本人は若いので親の代からいろいろ聞いていたとのこと。予約が入っているのでお部屋の見学は出来ませんでしたが、次回は予約を入れて絶対に宿泊するぞ、と心に決めてロケ地探索を先に進みました。「砂の器」博物館といった感じのようです。緒形拳ら俳優陣が近所の居酒屋「美園」に毎日のように通っていたとのこと。撮影当時は賑やかで華やかだったんでしょうね。
駐在所や、少年が砂の器を河原で作るシーンは、木次線の久野駅周辺で撮影されています。5月といえども、とにかく雑草が生い茂っているので、ロケカメラの撮影と同じ目線で写真撮影に挑戦したのですが、なかなか困難を極めました。駐在所の近所にお住まいの方とお話しでき、ロケ当時の逸話話をたくさんお聞かせいただきました。
神社のシーンの湯野神社では、境内を撮影していると、ご老人が近づいてこれら、いろいろ説明を始められたので、ご近所にお住まいの方かと思ったのですが、本殿まで案内され、続いてご祈祷までしていただき、おそらく湯野神社の宮司ではないかと思いますが、聞きそびれてしまいました。ありがとうございました。
亀嵩駅には蕎麦屋があって大変おいしかったです。この駅のロケ撮影は、別の「砂の器」映画で撮影されており、記念撮影される旅行者も多くおられました。元々はこの駅を撮影場所にする予定だったそうですが、駅が道路際に位置していること、道路の反対側が田んぼで地盤が低いことなどから、カメラ設置位置に適さないということで、別の駅「八川駅」に変更して撮影されたそうです。
桐原老人宅の撮影では、本来このお宅の茶室で笠智衆演ずる桐原老人と今西巡査部長との会話のシーンが撮影される予定でしたが、茶室の屋根が瓦葺ではないため映画のイメージとはことなり、採用されなかったとのこと。映画では松竹撮影所のセットで会話シーンが撮影されているとのことです。偶然にも、桐原老人宅の外観に使用された住宅の家主とお話しでき、秘話的なこともお聞かせいただきました。家主の方が関東のほうにお住いの時代に住まわれていた住宅が偶然にもご近所だったことを知り、驚きました。奇遇なことがあるものですね。この地域は山に囲まれた谷間に位置し、本当に美しい温和な環境でしたが、映画「ロード・オブ・ザ・リング」に出てくるホビットの村を思い出してしまいました。春の温和な空気、田植えに向けた草刈りの匂い、鳥の声、穏やかな太陽。住みたいぐらいです。山菜取りで有名らしいです。
出雲三成駅は完ぺきに近代化されており、昔の面影はほぼゼロです。ただし、昔のプラットフォームにある待合室的な小さな建物が今も残っています。三成駅のロケ時代の画像が以下のURLで見ることができます。
blog.livedoor.jp/massi1-houmu/archives/52287613.html
kisuki-line.jp/know/history/photo
廃線が噂される木次線。建設時代の記録を見ると本当に困難極まる工事だったようですが、中国山脈の村や町を一本の糸でつなぐように横断する木次線は、いつまでも残ってほしいと願わざるを得ません。次回は木次線に乗って旅をしたいと思っている次第です。
訂正 今西巡査部長(原作) → 今西警部補(映画)
本浦親子が故郷を離れ、遍路旅、流浪の旅を続ける回想シーンは、島根県の木次線沿線の地で終わりを迎えます。今回、車中泊覚悟で5月の連休中に島根県のロケ地探索に出かけました。
50年前に撮影されたロケ地は、いつものように雑草が茂り、ロケカメラと同じ位置から撮影しようとする試みが何か所かで達成できませんでした。
最初の鉄道の場面は米子市の日野川です。鉄道の知識はゼロに近いですが、ロケ地を訪れると数人の撮り鉄らしき人々がカメラをセットしていました。記念すべき瞬間が訪れるということでしたので、にわか撮り鉄となり、幸運にも記念すべき鉄道車両を撮影できました。背景に大山が映っています。仕事で地元に帰省していた方に鉄道のお話をお伺いできました。映画に出てくる車両の写真を見て、車両の型式や名称を一発で当てたときは、本当に驚きましたね。撮り鉄はすごいです。
宍道駅から木次線に沿って移動しながら、木次駅、天野館へと進みました。天野館の社長さんに偶然にお会いでき、この歴史ある旅館と「砂の器」撮影クルーの話をお聞かせいただきました。ご本人は若いので親の代からいろいろ聞いていたとのこと。予約が入っているのでお部屋の見学は出来ませんでしたが、次回は予約を入れて絶対に宿泊するぞ、と心に決めてロケ地探索を先に進みました。「砂の器」博物館といった感じのようです。緒形拳ら俳優陣が近所の居酒屋「美園」に毎日のように通っていたとのこと。撮影当時は賑やかで華やかだったんでしょうね。
駐在所や、少年が砂の器を河原で作るシーンは、木次線の久野駅周辺で撮影されています。5月といえども、とにかく雑草が生い茂っているので、ロケカメラの撮影と同じ目線で写真撮影に挑戦したのですが、なかなか困難を極めました。駐在所の近所にお住まいの方とお話しでき、ロケ当時の逸話話をたくさんお聞かせいただきました。
神社のシーンの湯野神社では、境内を撮影していると、ご老人が近づいてこれら、いろいろ説明を始められたので、ご近所にお住まいの方かと思ったのですが、本殿まで案内され、続いてご祈祷までしていただき、おそらく湯野神社の宮司ではないかと思いますが、聞きそびれてしまいました。ありがとうございました。
亀嵩駅には蕎麦屋があって大変おいしかったです。この駅のロケ撮影は、別の「砂の器」映画で撮影されており、記念撮影される旅行者も多くおられました。元々はこの駅を撮影場所にする予定だったそうですが、駅が道路際に位置していること、道路の反対側が田んぼで地盤が低いことなどから、カメラ設置位置に適さないということで、別の駅「八川駅」に変更して撮影されたそうです。
桐原老人宅の撮影では、本来このお宅の茶室で笠智衆演ずる桐原老人と今西巡査部長との会話のシーンが撮影される予定でしたが、茶室の屋根が瓦葺ではないため映画のイメージとはことなり、採用されなかったとのこと。映画では松竹撮影所のセットで会話シーンが撮影されているとのことです。偶然にも、桐原老人宅の外観に使用された住宅の家主とお話しでき、秘話的なこともお聞かせいただきました。家主の方が関東のほうにお住いの時代に住まわれていた住宅が偶然にもご近所だったことを知り、驚きました。奇遇なことがあるものですね。この地域は山に囲まれた谷間に位置し、本当に美しい温和な環境でしたが、映画「ロード・オブ・ザ・リング」に出てくるホビットの村を思い出してしまいました。春の温和な空気、田植えに向けた草刈りの匂い、鳥の声、穏やかな太陽。住みたいぐらいです。山菜取りで有名らしいです。
出雲三成駅は完ぺきに近代化されており、昔の面影はほぼゼロです。ただし、昔のプラットフォームにある待合室的な小さな建物が今も残っています。三成駅のロケ時代の画像が以下のURLで見ることができます。
blog.livedoor.jp/massi1-houmu/archives/52287613.html
kisuki-line.jp/know/history/photo
廃線が噂される木次線。建設時代の記録を見ると本当に困難極まる工事だったようですが、中国山脈の村や町を一本の糸でつなぐように横断する木次線は、いつまでも残ってほしいと願わざるを得ません。次回は木次線に乗って旅をしたいと思っている次第です。
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วีดีโอ
松竹映画「砂の器」(1974)ロケ地探索 伊勢志摩の二見浦と大阪の通天閣
มุมมอง 11Kหลายเดือนก่อน
松竹映画「砂の器」(1974)ロケ地探索 伊勢志摩の二見浦と大阪の通天閣 この映画のロケ地は北海道から島根まで広範囲に及んでいるため、すべて訪問するには相当の忍耐力と時間と費用が必要と思われます。そのような中、たまたま訪れることができた場所からロケ地探索と撮影を始めました。 今回は伊勢志摩の二見浦と大阪の通天閣を探索してみました。 今西巡査部長(丹波哲郎)が三木謙一巡査と和賀英良の足取りを辿っていくシーンです。二見浦の駅は完全に建て替えられていましたが、そのデザインは夫婦岩をモチーフにした意図は理解できますが、個人的には風情が全く感じませんでした。旅館の「扇屋」は現在は人気のレストランとなっていますが、昔の風貌をほぼ完全に保存されており、旅館時代の懐かしさが残る風情のある建物とお店になっています。 映画館「ひかり座」は伊勢市駅の近くですが、完璧に住宅地になっていてロケ当時の雰囲気は全...
松竹株式会社映画「砂の器」(1974)ロケ地探索 茨城県編
มุมมอง 3Kหลายเดือนก่อน
松竹株式会社映画「砂の器」(1974)ロケ地探索 茨城県編 この映画のロケ地は北海道から島根まで広範囲に及んでいるため、すべて訪問するには相当の忍耐力と時間と費用が必要と思われます。そのような中、たまたま訪れることができた場所からロケ地探索と撮影を始めました。 今回は栃木県の山あいの村落周辺ロケ地を探索してみました。 本浦 千代吉と息子の秀夫が村を出て放浪の旅を続けながら立ち寄った場所のシーンの一つです。秀夫少年が小学校の運動場を遠目に眺めるシーンのロケ地、山間の部落で野菜を手に入れた親子が地元の巡査に追い返されるシーンのロケ地を探索してみました。 いつものことながら、ロケ撮影の時代から50年近く経っているので、樹木が生い茂っており、映画の場面と合致するように写真撮影することがかなり困難な状況でした。 映画開始から1時間47分過ぎ当たりの場面です。
神奈川県横須賀市横須賀公園 砲台跡探訪
มุมมอง 2484 หลายเดือนก่อน
神奈川県の三浦半島に散在する砲台跡。江戸時代から明治時代にかけて東京湾を守るために建設された榴弾砲(りゅうだんぽう)の跡がたくさん残っています。観音崎灯台周辺は横須賀公園として整備されていますが、砲台跡が多く残っています。公園内の砲台を探訪すると約2時間の散歩コースとなります。適度に上り下りもあり、灯台もあり、海を眺めながらお弁当を楽しむのもよし。天気が良ければ気持ちのよい半日を過ごせるでしょう。
映画「砂の器」(1974年 松竹)とハンセン病療養所
มุมมอง 6K4 หลายเดือนก่อน
映画「砂の器」(1974年 松竹)とハンセン病療養所 誤字 収用 → 収容 映画「砂の器」(1974年 松竹)に誘発され、映画の主題の一つでもあるハンセン病、映画に登場するハンセン病療養施設に興味をもったことが切っ掛けとなり、映画の中で登場する岡山県ハンセン病療養施設「慈光園」の舞台となったと思われる岡山県ハンセン病療養施設「長島愛生園」を探訪しました。松竹株式会社の動画使用に関する許可を取っておりませんので問題発生の場合はこの動画を削除します。 映画に登場する本浦千代吉がハンセン病に感染したことから、すべての悲劇が始まるこの映画。この長島愛生園を訪問して現実を目のあたりにすることで、ハンセン病に対する差別がいかほどのものだったのか、そのすさまじさを実感できたような気がします。その結果、映画の内容や背景をより深く感じることができるようになった気がしました。 この映画は素晴らしいし、サ...
岡山県 熊山遺跡(くまやまいせき)全国唯一の石積遺構
มุมมอง 9185 หลายเดือนก่อน
今年の正月に訪問しました。 初めてこの遺跡に遭遇すると、一般的には目にしない光景に驚きます。 まるで日本版ミニピラミッドといった印象を受けました。 岡山県南部の最高峰「熊山」一帯の山塊には、33ヵ所に及ぶ石積遺構が所在します。その中でも最大の石積遺構1ヵ所を国指定史跡「熊山遺跡」と呼んでいます。ピラミッドを思わせる、特殊な三段方形の石積遺構です。 岩盤上に基壇(きだん)を築き、その上に三段の石積を構築していますが、二段目には四方に龕(がん・仏像などを納めた場所)がみられ、三段目の頂部中央には方形の竪穴が設けられています。 www.city.akaiwa.lg.jp/bunkazai/ichiran/cyuumoku/2277.html ja.wikipedia.org/wiki/熊山遺跡
天皇を守った和気清麻呂生誕地にある和気神社(岡山県)探訪
มุมมอง 765 หลายเดือนก่อน
和気清麻呂生誕地にある和気神社(岡山県) wake-jinjya.com/ 日本の古代史の中で、奈良時代から平安時代の転換期に活躍した人物。天平5年(733)備前国藤野郡(現和気町)に生まれた。桓武天皇の信 を得て近畿地方の河川改修や開削を行って治水に努め、数多くの土木工事をなした。美作・備前国造として郡民の負担軽減を図るなど民生の安定と発展に努めた。常に誠実に業務をこなし摂津大夫、民部大輔、中宮大夫、民部卿を歴 した。特に至誠を貫いた道鏡事件、及び平安遷都は彼の立案であったことなどは史上有名。 和気広虫 和気清麻呂の3歳年上の姉。地方の郡司の娘のならいで采女として都に上がり孝謙上皇に仕え、勅を伝宣する女官を務めた。その人柄は「貞純で節操に欠けるところがない」と評価された。天平宝字8年(764)、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の逆徒の助命を嘆願して死刑を流刑に改めさせた。乱で生じた孤...
(画質改善のために動画の入れ替えのための再投稿)神奈川県鎌倉市 天園ハイキンコースの紅葉
มุมมอง 275 หลายเดือนก่อน
2023年12月10日の3時ごろから、地元では有名なハイキングコースの紅葉を撮影しました。紅葉は、ハイキンコースにある茶屋(別荘)のオーナーが大正時代に山道に沿って植樹されたものだとか。 樹木の高さが高いので、撮影するとなるとなるすべて上に向けて撮影するとになり、逆光になってしまうので、素人の撮影では、なかなかきれいな紅葉の撮影になりませんでした。 夕方の方が赤みが強く出るだろうと考えたのですが、良かったのか悪かったのかよく分かりません。でも気持ちのいい一日でした。
ラスト・サムライ「瀧善三郎(たきぜんざぶろう)」義烈碑が建つ七曲神社訪問
มุมมอง 1056 หลายเดือนก่อน
岡山県岡山市北区御津金川602番地の七曲神社訪問と、この神社を有名にしている「ラスト・サムライ」と呼ばれる「瀧善三郎」にまつわる情報を加えました。ちょっと趣味が講じて動画に色付けをしてみました。 「武士の正しい姿」の部分は、ネット情報のコピペです。 以下、文章は七曲神社ホームページより。及び、ネットで書かれている内容を拾い集めました。 天保8年(1837年)御津金川の地に生まれ「神戸事件」で世界に名が知られている岡山が誇るラストサムライ瀧善三郎の「瀧善三郎正信君義烈碑」が建てられました。 慶応四年(明治元年・1868年)明治維新直後に起きたこの事件は、明治最初の外交問題として歴史上大きな意味を持っています。この国際問題を切腹で収めたのが瀧善三郎でした。 瀧善三郎は、天保八年(一八三七年)金川に生まれました。明治維新直後の慶応四年(一八六八年)まだ世の中が不安定な時期 瀧善三郎が属する...
東逗子駅から逗子海岸周辺まで田越川沿い遊歩道散策--ウォーキング・テットの散策動画
มุมมอง 807 หลายเดือนก่อน
東逗子駅から逗子海岸周辺まで田越川沿い遊歩道散策--ウォーキング・テットの散策動画 逗子市を流れる田超川沿いに遊歩道がありますが、東逗子駅から逗子海岸まで散策です。 逗子海岸での夕日に間に合うように夕方歩いていますので、画面が少し暗いです。 歩行距離は約4km。高低差はほぼゼロ。毎日気軽に散歩できるコースです。 最後に昭和30年ごろの逗子駅の画像を入れました。 #逗子海岸 #田越川 #東逗子駅 #逗子駅 #夕日 #遊歩道
神奈川県鎌倉市の鎌倉湖(散在ケ池)散策
มุมมอง 617 หลายเดือนก่อน
神奈川県鎌倉市の建長寺裏山にある小さな湖というか大きな池というのか、鎌倉の裏山に残る静かな散策スポットです。ゴルフ場の隣になります。 住宅地開発が活発だった1960年代に、この場所が残されたということは奇跡に近いですね。 少し画面が揺れてますがご容赦ください。足元が危ない歩道だったので撮影時の縦揺れが大きかったようです。画像処理の段階で手ブレ補正を行っても振動は消えませんでした。やはり、GoProにすればよかったかな。
神奈川県熱海市の來宮神宮巡り
มุมมอง 458 หลายเดือนก่อน
熱海ではよく知られている來宮神宮。他の神社と大きく異なるのが、デーマパークのように、あちらこちらにカフェがあり、境内のあちこちにモダンな椅子とテーブルがあり、甘味と抹茶を楽しめます。 樹齢2000年と言われている楠がインスタ映えする撮影スポットになっています。スマホのホルダーも設置されており、自撮りも可能となっています。にくい演出です。 #來宮神宮 #楠 #
鎌倉市(神奈川県)天園ハイキングコース探訪 見どころ集
มุมมอง 11210 หลายเดือนก่อน
鎌倉市(神奈川県)天園ハイキングコースの見どころをまとめました。間違いがあるかもしれませんがご容赦ください。 ハイキンコース全体の動画は以下をご視聴ください th-cam.com/video/LdS-aP5gZ6k/w-d-xo.html 北条首やぐら 00:00 端泉寺裏山やぐら群 02:32 お塔の窪やぐら 09:58 胡桃山 13:32 大亀石 14:13 貝吹地蔵 15:24 天台山(のような気がします) 16:26 休憩所(茶屋) 18:12 紅葉群生 20:01 獅子岩 22:19 今泉台4丁目登り口 24:06 十王岩 26:13 朱垂木やぐら群 27:53 百八やぐら群 37:21 巨岩 45:33
鎌倉市(神奈川県)天園ハイキングコース探訪
มุมมอง 16110 หลายเดือนก่อน
鎌倉の八幡宮裏手にある山林を縦断する天園ハイキングコースです。登り口は沢山あります。昔は本当の山歩きの雰囲気でしたが、昭和の開発ブームのおかげで多くの山林が住宅地に変貌してしまいました。 主な見どころは「やぐら」が多数残っており、メインのコースから外れた林の中に隠れるように「やぐら群」を見ることが出来ます。ただし雑草が生い茂っているので夏場は入ることは難しいでしょう。 コース全体は比較的歩きやすい歩道で、整備もされています。春秋の休日には多くのハイカーが訪れます。 やぐら群、獅子岩、モミジ群生などは後日個別に集中的に撮影しました。以下の別の動画にまとめましたのでご視聴ください。 th-cam.com/video/_HJls7ooPkM/w-d-xo.html #鎌倉 #天園ハイキングコース #やぐら群
映画「八つ墓村」(1977)ロケ地探索 Part 2
มุมมอง 44Kปีที่แล้ว
前回の動画と同じく、映画「「八つ墓村」(1977)の撮影ロケ地をいくつか訪問しました。前回よりもちょっとしつこいというか細かなシーンにこだわり過ぎる感じがします。改めて感じるのが、ロケ場所の選択に相当神経を使っていると感じますね。細い山道からの撮影ではGoogleMapといったデジタル地図が無い時代に、よくもこんなに細い道を見つけたものだと本当に感心してしまいます。鉄道沿線風景のシーンでは、シナリオと撮影場所の順序が合致しており、訪問しながら映画のシーンが目に浮かんできました。 誤字 田治見→多治見、辰也→辰弥 前回の動画 Part1 は以下のアドレス th-cam.com/video/egiaQwN-ZhE/w-d-xo.html #八つ墓村 #1977 #多治見家 #ロケ地 #岡山 #松竹 #高梁 00:39 落武者が滝を登るシーン 01:46 落武者が丘の上から部落を眺めるシー...
逗子市の名所スポットまんだら堂やぐら群と大切岸散策―ウォーキング・テットの散策動画
มุมมอง 622 ปีที่แล้ว
逗子市の名所スポットまんだら堂やぐら群と大切岸散策―ウォーキング・テットの散策動画
三木巡査の奥さん役「今井和子さん」の切ない涙する演技が忘れられない
清張ファンにとっては、たまらない動画です。よくぞここまで検証されました。本当にお疲れ様でした。感謝申し上げます。ありがとうございました。
凄く大好きな映画です。親子の絆、切なさが表現されていて、最後の方で刑事役の丹波哲郎さんが彼は今父親と会っていると言っていた言葉が印象に残っています。ロケ地を拝見させて頂きとても感動しました、良かったです👍
すばらしくて映画とダブり涙がでそうです。名俳優さん達の力演が目に浮かびます。
地元の警官役で、加藤健一さんが出ています。大ファンなのですが忘れていました。ジープの運転をしています。
タイガー田中が二見に来ていたのは感慨深い
今西刑事は映画版は警部補に昇進してます。 原作は巡査部長で40歳奥さん持ち息子持ち(小学四年生)。
コロナといい、人間はこうゆうことの繰り返し
ラスト悲しく、、 ピアノのが回想シーンが忘れられない。こんな事差別です。😢😢
亀嵩駅行きました。松本清張氏の小説は舞台となる土地に凄い魅力があります。
水前寺清子(チーター)です。 監督に聞きました。
やっぱり。そうですよね。
監督と脚本の橋本忍さんの両方から本作と『八つ墓村』『八甲田山』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』の関係と島田陽子さんの件を訊きました。
通天閣のタバコ屋は、今も成業されております。 過日、こちらの看板娘(ご息女様)が店番をしていましたので映画のことを問いますと、知らないとのことでしたが…? 情景は今も当時とさほど変わっておりません。
感慨深いとはまさにこのこと。頭が下がります。見るほうは気楽に見れますけど、取材する方は気力、体力が要りますね。
上手な編集で丹波さんら俳優のみなさんが現代に蘇ったかのような錯覚を覚えます
素晴らしい!! この労力に脱帽します。高校生時代に観た映画。夏の景色と空気感。・・僕が映画好きになった原点の映画。
ほんと、白いバンなんでこんなとこに止めとんや!
加藤健一が、笑ってる。
ようここまで調べあげはるなあ。感心しますわ。わがえいりょうが通天閣の近くで戸籍取得してたとは。
このシーン 何処だろうと思っていました。茨城県だったとは。勉強になりました。😊
ちょっと…今まで見たこれ系で最高級の編集じゃないですか。昔と今を重ねるって…恐れ入りました
やはり地方の歴史のある場所はまだ面影が残っていて良いですね~☺️
当時木次線ってキハ53一般色だったんだな その後名物52-128が東北からやって来るんだが
すばらしい
殿山泰司大好き。江戸の人だけどなぜこれほどまで浪速区の地に溶け込んでるのか不思議。キャスティングの妙。
まさしく同感!
素晴らしいです。
撮影現場、全部知ってる場所です。当時高校生で友人2人と撮影を見に行きました。実際の亀嵩地区は山と山の間が少し離れていて山深い雰囲気が欲しい監督さんのイメージに合わなかったので、隣町の大東町久野地区を撮影場所に選ばれたとか。久野地区に住む友人に案内してもらって見に行き、撮影の合間に白い制服姿の緒形拳さんと写真を撮っていただきサインもいただきました。当時の大東町文化センターで行われたプレミア公開には丹波哲郎さんが挨拶に見えました。
素晴らしい映像をありがとうございました。ちなみに村上旅館にも泊まりました。画像見てここがあそこだとわかる自分が怖いです😂
大学生の時代に、新宿の映画館で見たから、一つ一つのシーンが懐かしいです。
ウォーキング・テット様へ。 最後の事件解説の場面を聖地巡礼で動画にしてTH-camに上げられている方がいます。 【こたつ/旅・鉄道・ロケ地巡り】さんて方です。
バス停のセットは向かいの商店に無償譲渡されています。
こりゃ凄いロケ地巡り動画だ! 合成のための撮影も準備から相当時間がかかってるでしょうねえ 関係者の方にお話を聞く行動力も凄い! これからも期待してます
学生の時に、東京都清瀬市にあるハンセン病療養所に社会見学をしたのを思い出しました。現在は治る感染症ですが、当時の患者さんの事を思うと、心が痛みます。
今西刑事は警視庁捜査一課の警部補です。
55年くらい前、中学の保健体育の授業で、先生が施設に見学に行く話があったけど、ハンセン病の事は、潜伏期間が10年以上ということぐらいしか知らなくて、結局、感染が怖かったので行かなかったと話してくれました。本当に知らないという事は恐ろしいことです。
毎回ありがとうございます。「ロケ地探索」関係ありませんが、、封切り観に行きました今西さんの肩書き警部補と記憶してます関係ない事すいません。
wikipediaを見て、そう思ってしまいました。映画では違ってたかも。 「原作における設定を中心に記述。 今西 栄太郎(いまにし えいたろう) 警視庁捜査一課の巡査部長」
当時、ロケを見学されていた方が記者の本領を発揮して、当時の地元関係者に取材されて書籍化したのを購入して読みました。
大変な取材お疲れ様でした。駅舎や駅構内はともかく、村内の道路や川を見つけるのは大変だったでしょうね。
木次線の亀嵩駅 今のうちに出掛けて亀嵩そばを食べておこう
ミステリファンにとっても、鉄道ファンに撮っても貴重な道が、力作ですね、ありがとうございます。 当時の備後落合駅なんて、懐かしすぎて泣きそうなのと、男はつらいよシリーズもそうですが、当時の駅舎や鉄道の様子がとても貴重に感じます。😊わたしは緒形拳演じる三木巡査がホント好きでした。
丹鉄、撮り鉄のKINGDOM、霊界にもあかるい!実はまだ生きている!?
「砂の器」「飢餓海峡」「復讐するは我にあり」日本映画が蝋燭の火が消える前に放った原作を超える傑作
主さんとロケ地住人の方に触れ合いもいいですね。皆さん良い方ばかりで
これは素晴らしい力作ですね。アップありがとうございます。
大変良かったです。 校庭の大木・・・大事にしてほしいです。 製作ありがとうございました。
ひかり座は大ファンの渥美さんのシーンなので嬉しいです。 まさか実在の映画館使用してたとは驚き!! 二見浦の駅は設計者さんの気持ちはわかるが、名作に登場した駅舎という事は忘れて欲しくなかった・・多分知らなかったのでは? 製作、大変ありがとうございました。メチャクチャ良かったです!!
素晴らしかったです・・この手の動画は比較画面を何度も繰り返す必要が多いが、丁度良いテンポとわかりやすさに配慮してあるので大変良かったです。
「砂の器」はサントラ盤やポスター所有する程好きなんですが、「あれは映画だから」と言われればそれまでですが以下の2点がどうしても納得できず(ストーリーに無理がある)未だしっくり¨消化¨できてません。どなたか良い「解釈の方法」をご教示願います。 ①ピアニストとしてあれだけ成功したなら、真っ先に父親を捜して報告し、そして面倒みたはず。 ②(正体を絶対に知られたくないにしても)あれ程までに親身になってくれた三木巡査を顔がわからないようにまで残虐に殺すなんてできないはず。 (個人的にはそれ程までに差別や貧困、過酷な流浪の旅で心が荒んだ、と今は解釈してますが・・) 宜しくお願い致します。
入所したら、お骨すら故郷に帰れなかった患者達、安らかに眠ってください。
木次線が好きになった理由が、この映画から。 何度訪問しても乗車しても飽きない奥出雲の風景と巡り合う人々
丹波哲郎と森田健作がカッコ良いんですよね。 学生時代に「砂の器」と「点と線」を観ていたら、自分はきっと刑事を志望したに違いないと思うほど。
別れのシ-ンは忘れなれない 出雲八代駅ホ-ムに立つと思い出します