映画「砂の器」(1974年 松竹)とハンセン病療養所
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- เผยแพร่เมื่อ 13 ต.ค. 2024
- 映画「砂の器」(1974年 松竹)とハンセン病療養所
誤字 収用 → 収容
映画「砂の器」(1974年 松竹)に誘発され、映画の主題の一つでもあるハンセン病、映画に登場するハンセン病療養施設に興味をもったことが切っ掛けとなり、映画の中で登場する岡山県ハンセン病療養施設「慈光園」の舞台となったと思われる岡山県ハンセン病療養施設「長島愛生園」を探訪しました。松竹株式会社の動画使用に関する許可を取っておりませんので問題発生の場合はこの動画を削除します。
映画に登場する本浦千代吉がハンセン病に感染したことから、すべての悲劇が始まるこの映画。この長島愛生園を訪問して現実を目のあたりにすることで、ハンセン病に対する差別がいかほどのものだったのか、そのすさまじさを実感できたような気がします。その結果、映画の内容や背景をより深く感じることができるようになった気がしました。
この映画は素晴らしいし、サスペンスの要素も楽しめる娯楽映画ではあるのですが、個人的にはこの映画はあまり好きではないのです。なぜなら、内容があまりにも切なくて悲しくて胸が締め付けられるような想いが体中を突き抜けるからです。それでも俳優陣、脚本、カメラワーク、ロケ地の選定等の映画のすばらしさに魅了されて何度も見てしまうのです。
ロケ地は全国にまたがるため、とりあえずは東京、埼玉、茨木、長野の関東版、島根と岡山の中国版、さらに青森と秋田の東北版と、三回に分けてロケ地探訪動画作成に挑戦したいと思います。
長島愛生園で幼少期から収容されていた方が収容当時の体験を語る動画がTH-camに公開されています。
収用桟橋
• 患者収容桟橋
収容所
• 収容所(回春寮)
恵の鐘
• 恵の鐘
監房
• 監房
高等学校
• 新良田(にいらだ)教室
十坪住宅
• 十坪(とつぼ)住宅
少年舎
• 少年舎跡
愛生学園
• 愛生学園跡
学生の時に、東京都清瀬市にあるハンセン病療養所に社会見学をしたのを思い出しました。現在は治る感染症ですが、当時の患者さんの事を思うと、心が痛みます。
ありがとうございます。
撮影と編集は大変だったでしょう。
長島愛生園を訪れ、入居者を偲びます。
音楽きいたら色々思い出して泣けるんよ……
入所したら、お骨すら故郷に帰れなかった患者達、安らかに眠ってください。
映画「砂の器」に負けずとも劣らぬ渾身のリポートでしたね!
来年、出雲の旅を計画中です
55年くらい前、中学の保健体育の授業で、先生が施設に見学に行く話があったけど、ハンセン病の事は、潜伏期間が10年以上ということぐらいしか知らなくて、結局、感染が怖かったので行かなかったと話してくれました。本当に知らないという事は恐ろしいことです。
見てて悲しくなります
無知であることの恐ろしさを感じる😢
1:49 瀬戸内の風景ですが、恐らく岡山県倉敷市下津井からの撮影だと思います。左中央に見える砂浜のあるのが長島です。療養所がある島の名前と同じなのは偶然なのか意図してなのか分かりません。
情報、ありがとうございます! いやあああ、おっしゃる通り、確かに下津井から長島を見た風景ですね。当時の撮影隊の長島間違いなのか、意図的に風景的に監督のイメージに合っていたからなのか不明ですが、Googlemapで確認できました。もやもやしていたのがすっきりしました。方角から見て恐らく鷲羽山ハイランドの高い台から撮影したのかもしれませんね。あの公園、1971年開園となっているので、ちょうど砂の器を撮影していた時期と重なります。機会があったら訪問してみます!
コロナといい、人間はこうゆうことの繰り返し
色々な面で、未だに偏見は、無くならない!
心の狭さなのだろうか?
現代のコロナ騒動、進化してるのかなぁ?
罪深いのは、収容を決めた時点で伝染の可能性がないことが医学的にわかっていたことです。
初代所長はそれを承知で国民の不安を利用して収容を先頭に立って進めたのです。
砂の器はそれらを明らかして公開するべきでうやむやにして改変すべきではありません。