C62 3号機は誰のもの?~To whom C62-3 should belong?
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- เผยแพร่เมื่อ 6 ก.พ. 2025
- 1年ほど前C62-3復活から瓦解に至る動画を作成しました。多くのご意見、ご指摘、ご批判を頂きました。皆さんが3号機復活をどれほど心待ちにしているか認識を新たにしました。今回は前回のようなフィクションでの批判動画ではなく、苗穂に保存されて20年経って皆さんの関心が薄れていく中で、3号機の北海道での活躍や特徴を解説し、もっともっと好きになっていただくように構成しました。
一方で3号機は重連では本務機が多く、写真が揃わないという事態になったり、C62ニセコでは他の皆さんのカットと似たものになってしまうなぁと思い何とか苦労して構成に変化を付けました。
JR北には唯一無二の存在であり、北の鉄道魂のよりどころなのですね。どんなことがあっても手放すことはないだろうと言うのが、この一年間で感じたことです。
本当は3号機とは全く関係のないのですが、JR東が引き取って、上野~尾久の間で良いので客車を牽いてゆっくり走ってくれたらと言うところなんですが。
前編の京都弁は間違っているかもしれませんがその点ご容赦を。
蒸気機関車C62 PARTⅡ 急行ニセコ 昭和46年 • Video
蒸気機関車C62_1/3 急行ニセコ 昭和46年 • Video
ある機関助士 • ある機関助士
#蒸気機関車 #C62 #小樽築港 #函館本線 #山線 #急行ニセコ #C62ニセコ #C62-3 #大沼 #羊蹄山 #駒ヶ岳 #重連 - ยานยนต์และพาหนะ
C62 3号機復活したとき、自分の持ってたカメラとレンズをほぼ全部持って行った。その中にはC62 3 号機がまだ東海道本線を走ってた時代のカメラとレンズまで持って行った。
フィルムも進化していて、8×10に伸ばした写真で米粒より小さいナンバープレートも写っていた。自分が産まれていない時代のカメラ。
まさかこの山の中で、私と同じカメラを持っていた人がいてビックリ。
栄田さん、ご視聴頂きありがとうございます。フィルムネガやポジの潜在力はかなりのもので、今の時代に当時見えなかったものが見えてきます。ニコンのレンズはレンジファインダーの時代でもかなりのものでした。
本当はそのまま九州へ渡って鹿児島本線で“特急つばめ”を牽引してほしかった💧
C62-2型蒸気機関車🚂
川上さん、ご視聴ありがとうございました。九州のつばめとは787系のことでしょうか?
@Yukkuri-Lab 東海道本線で使用してきた客車もそのまま使えた。
煙室庫に装着したエプロン。北海道型の田舎臭さを象徴してますが、晩年の蒸気らしい郷愁も。また東海道時代から晩年の北海道まで一台の蒸気機関車が同じ姿ではない証左ですね。
HMS HOODさん、ご視聴頂きありがとうございます。晩年まで活躍した証ですね。各地で活躍していた姿が目に浮かびます。
復活して欲しいが予算的に難しい‼️JR東日本と共同運行とかならないと無理ですよね‼️C61が復活したからそれも無理ですよね‼️😅
海宝さん、ご視聴頂きありがとうございました。
北海道のC623は、いつでも復活できる状態にあると思わされ続けて30年。もう皆んな諦め、仕方ないと思う事態になりました。あまり口を出すとまずいと言われてらので、あまり口に出さないようにしてます。
@@Yukkuri-Lab C62-3復活は、JR東日本と共同運行に、かかってますね‼️函館駅はJR東日本なので函館からの連絡列車が有れば乗りやすくなります‼️JR北海道とJR東日本の協力しての運行ですね‼️本州から函館まで新幹線、函館から連絡列車、SLと長くなりますが‼️鉄道好きなら問題無いはず、実現には厳しいですが‼️宝の持ち腐れにならない‼️そうなって欲しい‼️
本当にそうですね。
C62ー3号機は、昭和62年4月7日の復元・完全改修のために苗穂に入場した際、ボイラーは新製されたので現状国鉄のカマとしては一番新しいはず。SL銀河のカマとしてJR東日本も候補にあげたがJR北海道は譲らなかった。保存状態も良いので20年以上経過した現在でも不安材料の軸受けを改修してボイラー試験さえ通れば生きてるカマになるはず。北海道新幹線開業に伴う並行在来線廃止の前に山線最後の復活運転を期待したい。
総帥悪代官さん、ご視聴ありがとうございます。
3号機はボイラー含め、かなり傷んでいるそうです。修復にはJR北では背負えないぐらいの金額みたいです。圧縮空気稼働させると今度は二度とオリジナルの状態には戻せないとか。
それとこれまであれこれかかわった関係の方々のあれこれがあるとか。
中々裏が深い機関車になっているようです。全て聞いた話ですが。
静態保存とはいえ、正直きれいな状態で保存されているだけでもありがたい話だも思いますね。
たとえ火を落としたとしても、その威厳や貫禄は決して失われない。
松本隆史 さん、ご視聴いただきありがとうございます。JR北に余裕があればC62-3も動かし、地域の活性化に供することもできるでしょう。でも現状これで精一杯ですね。そこでJR北が意地を張っているような気もしますし、現地のさまざまな力関係があって微妙にバランスとって苗穂に保存されているようなので、今後この件はあまり取り上げないようにしようと思ってます。
あの頃はバブルでイケイケの時代だったの思い出しますな
現在は物価は上がるは景気は落ち込むわで、明るい話題が少なくなっています
SLも来年春まで運行終了するところも多くなりますしな
3号機が走らなくなって寂しい気持ちもありますが、解体されないだけましという言い方も
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。いやはや本当に情けない国になり果てました。あの頃は世界を席巻し、海外物は何でも安かった。
でも日本を信じ、JR北の復活を信じてC62-3の復活を夢見ている次第です。
運行経費をスポンサー料と個人の寄附金で賄って行こうと言うのは画期的でしたが、スポンサー料も協賛企業の撤退や個人寄附金の先細りで運行日数も減り、組織の内部対立で崩壊してしまいました。立ち上げる情熱や勢いは凄かったが…JR北海道も小回りの利くC11で自ら運行しますが厳しい状況ですね。
最近何でもクラウドファンディングでの風潮がありますが、けっこう後先考えてない事が多くて、悪い事ではないが冷めた目で見てしまう。
c62c631さん、ご視聴頂きありがとうございます。
あの時代は金余りでしたから。うまく乗っかれたということですね。
カシオペアを企画する旅行社がC62を運転する仕組みができれば良いかなと思います。英国はそうやっていますね。
国鉄最後の日、あの映像を観て数年ぶりに「鉄」に戻った知人を数人知っています。それだけの衝撃映像でしたね。
小関さん、ご視聴頂きありがとうございました。国鉄最後の日のイベントで何日か前から汐留にC56が来ていて、ビルから煙が上っているのを見ていました。近くに寄れずに結局テレビで見ました。あの頃はまだ鉄道はすごく活気があったと思いますし、労働者の力みたいなものを見せつけてくれていました。
次にC62 3号機を復活させる時はちゃんと後先のことを考えてほしいものです。
バブルの時代は何でもかんでもやっちまえみたいな考えが多く、それ故にC62 3はあまり走れなかったですし。
でも、まだ3号機は死んだ訳では無いので、九州の58654号機もそうですが、また別の機会を楽しみに私はしています。
幽釜 🦋🌈さん、ご視聴頂きありがとうございます。前回の3号機動画をアップした後様々なご意見を頂きました。勉強も、仕事も、会社も、環境もサステイナブルでないとだめですよね。保存運転も同じです。収益をリスクもマネージメントして後先考えないと同じですね。
築港機関区にいたじいちゃんに聞いたが、ストーカー改造は満鉄引き上げの技術者がやったそう。
3号機の現役最後は雪まつりの小樽札幌臨時便で、2号のつばめマークに対抗して斜めの星印をつけていた。
C62は番号によって調子がいい悪いなんてなくて、どれもよく走ったよと言ってた。
Fujixさん、ご視聴頂きありがとうございます。満鉄のストーカーをつけたということになっていますね。でも技術者も満鉄とは知りませんでした。教えて頂きありがとうございます。
2号機は調子悪かったと言う話をよく聞きました。でも貴殿の仰るようにそうではないと言う話も聞きます。2号機は最後の全般検査を受けてから好調になったのは事実のようで、しばしば昭和46年の最後の年は函館までの運用に入っていました。
@@Yukkuri-Lab
返信ありがとうございます。
亡くなる前にかつて運転した3号を見に苗穂に連れて行き来ました。あちこち触りながら久しぶりだなと話しかけてました。
小樽駅に戻ると汗と煤を溢れ管からお湯を出して頭からかぶって洗ったとか思い出を話してくれたのを思い出します。
「ニセコ」は1、2号車は荷物車、郵便車だったので客車デッキからテンダーを見る事は出来なかったけどカーブでは窓から2、3の重連を見た事を思い出します。
(ニセコ蒸機牽引最終日は三重連だったなぁ~。)
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。当時私はニセコ1号は荷物車・郵便車が連結され貧乏くさいのでニセコ3号のほうが好きでした。
小沢Sカーブで父と2人カメラを構え、カーブを抜けて来たC62-3の速さに圧倒される私、現役時代を知ってる父は、「な、速いだろ」と余裕顔でした😅
再び走って欲しい気持ちは山々ですが…現実的では無いでしょうね…
デカミツさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。新幹線開業、山線廃止のイベントのタイミングで最後に3号機を復活させて走らせるかもしれないなぁ。とおもってます。でも客車がそろわない?
C62ニセコ、運転取り止めって聞いて名古屋から北海道に乗りに行ったな~。あの勇姿をもう一度って思って止みません。
東海さん、リニア鉄道博物館の17号機整備して高山線辺りで走らせてくれないかな~。
ミヤカワさん、ご視聴頂きありがとうございます。私はC62ニセコは飛行機でいきました。長い時間かけて夜行で北海道に行くこともなく、お手軽に写真を撮れるようになったわけですが、反対になんか惰性だったかもと思ってしまう次第です。
JR東がC6120を復活させる際に、当初はC623を譲渡してもらって復活させたかったと言いますからね。このオファーを蹴った時点で、C623の運命はもう決まってしまったのでしょう。本線運転できるような整備が受けられることは二度とないでしょうね。
コロナ禍によって、JR北海道より経営体力がある西、東、九州ですらそれぞれSL列車を運行終了するほどのご時世、廃線ラッシュのJR北海道には、SL復活に掛ける金は1円も残っていないでしょうから。(C11すら2両維持できずに東武へ譲ったくらいだし)
@STEAMLOCOMOTIVEFANさん、ご視聴頂きありがとうございます。
仰る通りですね。昔日のJRの復活蒸気の盛り上がりは一体どこへ行ったのでしょうか。高崎も6月は一度も動かさなかったですし。重連も無くサプライズも無くなりました。
C623は北海道に来て試運転の結果がよかったので 準急や急行の補機に本務機を勤めたけど
動力近代化の流れには逆らえず廃車になり 手宮にある小樽総合博物館に置いたが
JR になる前に旧手宮線の線路を使い 小樽築港機関区に運び
そこで実際に修繕をやっていたの方々を呼んで ある程度の修理をやったそうです
なおこの修繕の様子をたしかSTVで 撮影していました
あと五能線ですが今月の23日から 一部区間のみ徐行運転することで全線運転再開することになりました
高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。手宮から築港は線路が繋がっていて、再開発で線路が取り除かれる直前に予算がついて引っぱり出せたそうです。そうでないとバラバラに分解しないと3号機は運び出すことが物理的に無理だったそうで、この点もラッキーだったのですね。幸運が様々もたらされてきた3号機なので、もう一度奇跡が起こることでしょう。
C62形蒸気機関車3号機は、『北海道の至宝』であると思います。
「さようなら国鉄、こんにちはJR」の日に、仮復旧状態で参加して汽笛を鳴らしたC62 3。
引退後の静態保存の後に仮復旧できたことについて、関係者の方々の
「我々がやってきた事に、間違いはなかった」が印象に残っています。
(札幌テレビ放送(株)『スイッチバック北の鉄道SL編「C62物語」』より)
経営コンサルタントの主張する「さっさと売れ」に同意して小金を得ても、
それ以上の「何か」を、北海道(JR北海道にあらず)は何か失う気がします。
北海道を、函館本線を駆け回ったC62形蒸気機関車。
機関士、機関助士、駅員、保線係、検査係、運行管理者....全ての人の苦労が、今や伝説。
D51やC57より遅い制限速度を課される急曲線の多い線路でも、
C62だからこその速達性を求められた優等列車運行。
「信号だけでなく景色で路線を覚え、無駄な減速は一切しない」峠の走り屋も真っ青。
seijiro@FTO.DE2A さん、ご視聴頂きありがとうございます。
前回の3号機の動画の後様々なご意見をお聞きしたり、C62の別動画で皆さんの意見を伺って、私はJR北と北海道の皆さんが3号機に寄せる思いの強さを感じています。
ですから、本当ならば別の会社が引き取って動態にしてもらいたいのですが、北が手放すことは無いだろうなと思っています。
JR北は経営状態は悪いのですが、在来線の整理、新幹線延伸で財務状況が健全化に向けた指標でも出れば3号機の復活に乗り出してくれるだろうと期待しています。
おつかれさまでございます♬
良いお写真では無いですか✨
さて、築港仕様になりました事由など資料は手元にございますものの、なかなかまとめて動画にする手間が今はないものでして...
そろそろ整理してお伝えしておきませんと、鉄文協含めて「わからない」ものになりますね...
ちなみに2点だけ...
①煙室扉前のナンバープレート位置は、視認性向上試験として前照灯増設の際に下げられたもので、ファンの間でも賛否があったそうですが...低い位置の方が磨きが楽だよと言う現場の声もございました(笑)
②除煙板掻き取りは労災事故が発生した事から切り抜いたもので、被災した検修技師さんはその後退職され不遇の人生を...その仇討ちの心情で全機くり抜いたそうです...
さて、話題の空圧動作ですが、考案した小日向元機関士さんとも面談して協議した事がございますが、現状方式では気筒に穴を開けますので「2度と」現用機に戻れない工作です。
労働局もグレーな判断ですし、将来的な「復活」を考慮するならばNGと言うのが私達の結論でした...
これからもどうか、ご自愛賜りつつ動画を繰り出して下さいませ!!!
トレインタイムス様、ご視聴頂きありがとうございます。コメントいただきまして恐縮です。
ナンバープレートの件ですが、3号機と同じ位置に置いた一群のC62があり、これは東海道時代から変えていないと思います。
デフのくりぬきはある年から大型機中心に一斉に全国的に行われましたね。労災と組合の両方が絡んでいたはずです。勝手なことを言えば梅小路のC57に見られたように開閉式の扉にしてくれればオリジナルの形状を保てたのに...と思っちゃいます。もっとも切り取りしているのがオリジナルと思われている方のほうが、多いかもしれませんから今更仕方ないです。
圧縮空気の件、そういうことは知りませんでした。JR北が新幹線と在来線の整理で財務的な健全性を見通すことができれば、きっと3号機の動態化に向かってくれると信じてます。
C62ニセコ時代ですが、客車のスハフ44の車輪が最初はスポーク車輪だったのが92年(?)の全検後辺りに車輪が一体型の車輪になったのを思い出しました。
Homareさん、ご視聴頂きありがとうございます。そうですか車輪が違うとは全然注意してみていませんでした。
ンぅ~!
498号機の復活だと思うのですが!
蒸気機関車の汽笛がこの日本の北陸方面によみがえった俊寛の完成がたぶんすごかったと思います!
498号機や徳島県で見た無惨なC11 66号機に心を打たれて鉄道が好きになったり動いていない生体保存されている機関車の今をしり募金活動などをしようと思ったりまた蒸気機関車の魅力や現役時代の活躍などなど群馬県ですでに鉄道少年だった僕がまた徳島県で見た66号機たちのおかげで今の僕が蒸気機関車への向き合いかたや保存のしかたを次第に考えるようになった理由を作ったのは徳島県の鳴門市民ですがすべての始まりは今を走る蒸気機関車たちがきっかけになってきます!
和鉄さん、ご視聴頂きありがとうございます。鉄道遺産の保存をふくめた法整備って必要ですね。蒸気好きの国会議員も多いので超党派で何とか出来るのでしょうか?
@@Yukkuri-Lab さんなんとかなって欲しいです!
昔父と一緒に見た梅小路蒸気機関車館で見たc62のスチーム号は凄かった
ティバゴンさん、はじめまして。ご視聴頂きありがとうございます。
今でも2号機は梅小路で現役ですから、走るとき是非再訪ください。
@@Yukkuri-Lab 実は、リニューアルしてから1度も行ったことがないので行きたいんですよね
リニューアル後2回行きました。火が入っているのが一輌しかなくて、なんだよぉと思いましたね。
昭和31年11月の東海道本線全線電化開業後、C622号機とC623号機は、他のC62形蒸気機関車と共に、津軽海峡を青函連絡船で渡り、小樽築港機関区に転属された。
当時の北海道は、国鉄路線図が網の目に張ってあった。
そんな中で、函館本線小樽ー長万部間の山線区間での急行列車重連運用が始まった。
全盛時代には、ていね、大雪、ニセコの急行列車を牽引したが、昭和46年9月15日にさよならC622号機急行ニセコ三重連運行を最後に引退。
C622号機は京都鉄道博物館に動態保存。C623号機は小樽鉄道記念館に静態保存されるが、1988年動態復元されたが、1996年資金難により運行終了。
現在JR北海道苗穂工場で静態保存されてしまった。
大坂さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。コメントありがとうございます。
@@Yukkuri-Lab 様、どうもいたしまして。さて、その函館本線小樽ー長万部間は、一時小樽ー余市間を第三セクター鉄道としての存続を要望したが、線路の維持費などで巨額の資金が必要なことが分かり、バス転換に同意せざるを得なかったという。
私は北海道は在来線は釧路、網走までの2本で後はすべてなくなるとみています。道民も期待していないですし、それが日本のJRの将来の姿なのかも。
@@Yukkuri-Lab 様、札幌市を中心とする小樽ー札幌間と千歳線と新千歳空港駅間と苫小牧、室蘭間の室蘭本線、
札幌ー旭川間の函館本線のみしか存在しなくなりそう。
しかし。JR貨物が函館本線の函館ー長万部間の第三セクター鉄道移行に反対しており、先行きが不透明になりつつある。
鉄道の凋落ってすごいですね。北海道だけじゃなくて。大量輸送ができないところは鉄道は走らせられなくなったのですね。
イベント列車で運転されている時期に出掛けなかった事が今でも悔やまれます。
現役時代は常に脇役的に見られていましたが、北海道では検査期限の巡り合せで最後まで残れなかった32号機に次いで好調で評判が良かった事は良く知られています。
再度の復活は難しいと思いますが、腐らせたりしないで欲しいですね。
特急日本海さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
イベント列車は過去の撮り方でできなかったようなスタイルとか場所で撮影できますね。でもその当時の高まりは味わえないです。
私は今から45年前にc622.c623.c6215.c6216番を模型で制作しています。そしてコンクールですべて入選していて、鉄道模型模型趣味に乗りました、今さら誰のものでもいいです、すべて廃車になるのがいいですよ。
五十嵐さん、ご視聴頂きありがとうございます。
ご自身が制作した蒸気機関車が入賞したことで、鉄道模型の趣味にはまり、その模型たちはもはや役目を終え、誰のものでもいいし、廃車になってしまっても構わないということでしょうか?
@@Yukkuri-Lab はいその通りです、みんな蒸気機関車がなくなるとき保存していた、機関車が今ではみなぼろぼろになり、誰も記憶が薄れメンテナンスする人もういなくなり、また飾っておくのも金がかかり、今では金がかかります、あなたか金を出すというなら、保存してください。
0:43 うp主の声ワロタwww生声ですか?
C62 3号機復活してほしいですね…
正直言って今のJR北海道では復活させる気力もないと思っています…まず資金源がないので…
将来私がC62 3号機を空気機関車として復活させたいです…
asechanさん、ご視聴頂きありがとうございます。そうです。いつも一声入れるようにしています。そうでないとTH-camのAIに自動で作成しているとか思われるので。
JR北はまた奇跡を起こしてくれることを期待しているのです。
@@Yukkuri-Lab なるほどです。
奇跡…今後のJR北海道に訪れてほしいですね…
今回は考えさせられる動画でしたね。個人的には2号機より3号機の方が好きだったりするので、復活を望みたい所です。山線で無くても、蒸気で動くなら良いですね。函館から大沼間なら新幹線駅にも停まるし風光明媚だし転車台も函館にはあるし、札幌からの観光にもなると思うのですが…
梅小路の2号機が動くようになった様なので、スチーム号に乗って少しでも溜飲を下げてきます。c6120を比較的簡単に見られるうぷ主さんが羨ましいです。
@832buuchanさん、私はどっちと言われれば2>3です。ニセコの重連の先頭は2号機じゃないとちょっと残念ですからね。3号機が復活したらですけど、もうどこでもいいなと思います。常磐線に貸し出しもして欲しいです。
@@Yukkuri-Lab 室蘭本線の追分〜沼ノ端間はどうでしょう?
C62 2、C62 3は北海道の宝。
そうですね。特に3号機にはかなり思い入れがあるのは存じてます。
C62の記憶は常磐線(平機関区を含めて)で見た時しかありません。四ツ倉駅辺りは勾配も無く、煙を吐く光景は残念ながら見れませんでした。車番で言えば、10,22,23,37,38,39,47,48,49号機の走行中を見ていました。
藤村さん、ご視聴頂きありがとうございます。私も身近な分常磐線のC62は大好きですね。近いし。当時の北海道は外国行くような感覚でした。常磐線のC62は時々出しているのですが、一度平機関区でまとめたいと企画はしています。
@@Yukkuri-Labさん 期待しています。拙作では有りますが、必要であれば当時の写真提供も致します。
藤村さん、とてもうれしいお申し出を頂きありがとうございます!
是非お願いいたします。必要な時はお知らせしますのでよろしくお願いいたします。
C62 3号機は同じ日本海を見渡す山陰本線で走らせてほしい。眠らせておくのはもったいない。
akioさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。山陰線っていうのは私は良いと思いますよ。山口線では可哀想。でも北は絶対に手放さないとも思っています。
@@Yukkuri-Lab さん そうですね。中国地方は3号機にとっては故郷ともいえる土地ですが、虎の子になった3号機は手放さないでしょうね?走らせないままで朽ち果てるのは忍び難いです。
akioさん、JR北は在来線を主要大幹線を除き整理し、新幹線延伸で利益を出せる会社になると思いますので、その時に復活することを期待しています。
うちでは模型ですけどC62 3が活躍してます。
C62 2とC62 17も在籍しています。
JR北海道って、今でも蒸気機関車の免許持ってる運転士いるのかな?
そちらも心配です。
鉄道模型大好きおじさん、ご視聴頂きありがとうございます。
冬の湿原号のC11の乗務員さんたち若かったですので、ちゃんと免許を取得しているのですね。
すみません、間違えて低評価をクリックしてしまいました。改めて高評価させていただきチャンネル登録もさせていただきました。
ほかの動画も何度も見返しております。これからも蒸気の動画を楽しみにしています。
ぶん太郎さん、はじめまして。ご視聴頂きありがとうございます。
C62をはじめハドソン、C59が好きなのでそちらに偏っているのですが、網羅させるようにしています。中国やると一気に見ていただけないので、残念ですね。
C62形蒸気機関車、カッコ良いですね……。
そういえば、C62形蒸気機関車は一部のファンからは「怪物」や、「化け物」って呼ばれているみたいです!!!
クロミちゃんの巾着袋の動画をあげたのだけど、コメントがOFFになっているので尾道のD51 422号蒸気機関車か、ハローキティ新幹線か、ハローキティ新幹線のプラレールの動画にコメントをしていってくださいね……。
🙏お願いします。🙏
呉線でC62はご覧になりましたか?綺麗な形しているC62が呉線走っていました。
今回の動画とは直接関係ないのですが…
イギリスでは蒸気機関車を新製して160キロで走らせている。アメリカではUPがFEF-3どころかbig boyまで動態復活させている。それなのに日本の現状はどんどん動態保存機は火を落として行っている。この違いの原因は何なんでしょうか?単に景気の問題?日本の「失われた20年」のせい?ボランティアが出来ないほど働かされている日本人?保安基準やボイラーの安全基準など法律が多過ぎる?
海外の保存鉄道に詳しい主さんのご意見を聞きたいです。
832buuchanさん、ご視聴頂きありがとうございます。
ご質問の件ですが、日本のボイラーの検査基準や運用基準が恐ろしく厳しいこと、鉄道敷地に侵入するものへの責任の所在が明確であること、走らせる土地が少なくしかも土地代が高い事。でしょうね。蒸気機関車への一般市民の尊敬とか理解とかがけた外れに高い事でしょう。英国の保存鉄道に行くと狭い庫の中でボイラーを修理しているのをよく見かけます。勿論本線を走るにはそれなりのボイラー検査が必要で車検制度もありますね。それと基本構造や強度が日本の蒸気より優っていると思います。
なるほど。思っても見なかった要因を教えて下さりありがとうございました。日本では蒸気機関車は煙を吐く厄介者でしたものね。皆の尊敬ですか…貧乏な日本は蒸気機関車もスモールエンジンポリシーで余裕がなかったですものね。鉄の質も悪かったかも。
旧車でもイタリア車と日本車は腐るけど、アメ車は鉄が厚くて大丈夫と言われますよね。
私も旧車のスカイラインや二輪のZ-1では錆に大分泣かされました。
北海道へ渡り雪国用の重装備に身を包んだ3号機カッコいい✨
このまま腐らせるなら西日本へ譲り渡して🆕山口号辺りで復活運転で活躍差せて欲しい不調で休んで居るC57の替わりにD51と重連運転を
塚越さん、ご視聴頂きありがとうございます。そうですね、西は縁が無いわけではないから西日本仕様に戻して呉線とか走らせると楽しいですね。でも北は絶対に手放さないと思います。精神的支柱になっているようですね。
C622号機とC623号機が活躍した函館本線小樽ー長万部間は、北海道新幹線札幌開業と引き換えに、廃止されて、バス転換されることが決まってしまった。🚄😭🚃⤵️
嘗ての栄光の函館本線も縮小されて、小樽ー旭川間と長万部ー函館間に分断されてしまう。
廃止前の小樽ー長万部間はH100形ハイブリッドディーゼル車のローカル列車しか運行されなくなっていた。
大坂さん、結局21世紀になってから山線には行っていないことになるわけですが、木々も伸びていて昔日の面影をたどるのは難しいのかなと思ってます。C11がちょっと走ったのですが、もちろん行きませんでした。
@@Yukkuri-Lab 様、そのC11207号機牽引のSLニセコ号も、客車の老朽化を理由に廃止されて、なんと東武鉄道鬼怒川線のSL大樹に貸与されることになった。
ちなみに客車は、東武博物館所有でJR北海道やJR四国から譲渡されたもの。さらには、C11325号機を舞岡鉄道か譲渡し、C11123号機を動態復元したことで有名になった。
C62 3号機の再復活、何から始めたら…とまた考え込んでしまいました。
手始めは圧搾空気で苗穂構内を走らせてみて(そこまでは資金も確保できないこともないでしょうし)、反響が良ければ尾久や梅小路へ貸し出し展示、というところでしょうか。
ところで、東海道・山陽本線時代は1、2号機ほどの注目を浴びず、北海道では本務機としての活躍が却って仇となり?正面を捉えたショットが比較的少なく、でも今日まで(眠りながらも)生き続けているのだから、何が幸いするのかわかりませんし、再び幸いが訪れてほしいものです。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。3号機ですが、さっさと空気でも良いので動かしてほしいのは我々ファンの希望ですが、北としてはこれまで守ってきた自負もありますでしょうし、圧縮空気は考えないでしょうね。新幹線が通り在来線の整理のめどが付き財務的な改善が見通せば、意地でも動態復活に舵を切るでしょう。
やっぱり2号機と3号機を見比べると2号機は顔が小さく感じますね、
僕の中ではどんなに太いボイラーでも、
円室扉やエプロンで小顔効果になってボイラーが太く感じないように見えますw
作さん、ご視聴頂きありがとうございます。2号機が小さく見えるのはナンバープレートが3号より上にあるからです。
@@Yukkuri-Lab なるほど、言われてみれば確かにナンバープレートの位置が違いますね
3号機は、故三浦洋一、故宇津井建、高木美保、植草克秀主演「さすらい刑事旅情編」のOPで爆音汽笛で出てきた蒸機だったはず。です。
開けた窓が落っこちて来るて....
木製窓枠で寸法狂いで窓錠が引っ掛かからなかったからかな?
いあさん、ご視聴頂きありがとうございます。私は明かない、明けづらいのは、数多く経験あります。何もせずに上から落ちてきたのを見て、旧型客車は怖くて一段しか開けませんでした。
めちゃくちゃカッコイイなぁ〜、やはり優等列車にマッチするよね〜
0721さん、ご視聴頂きありがとうございます。かっこいいと思っていただきありがとうございます。
C623は車籍無いのでしょうか。定かではないのですが西のC622号機の同型種として補充の場合は車籍復活可能云々と聞いた事があります。現在の保安基準に合致した復活は難しいかと思います。
KWさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。台車の亀裂があるとかネガティブな話が舞い込んでいます。北は手放すことは無いでしょうから、札幌延伸で業況が良くなることが復活の一手でしょう。
呉線で走らせてくれないかねぇ…
ND201さん、ご視聴頂きありがとうございます。糸崎にも居たので呉線というのは全然ありですよね。軸重軽減タイプだし。すんなりいけそうです。でも北は手放さないでしょうね。
重油燃焼が余計だったね。
重油タンクは錆びないし、東海道でも付けていたC62あったはずなので気にしないです。
梅小路のC62-2がある日突然取り外したのはとても解せなかったです。
@@Yukkuri-Lab さん なんの必要があって重油を炊くのか?です。石炭をうまく燃やせば火床は真っ白になるくらい燃えます。トルネードなんかは標準軌の大きな窯を手炊きでやっています。
私は、石炭の燃焼カロリーの向上による出力アップと低質炭をカバーするために重油併燃を必要としたと思います。山線の一番きつい峠で使ったとはずです。C62はストーカがあるので、助手の労力低減になっているのですが、山線で急行では手炊きで加勢しても追っつかないのでしょう。C62ニセコが重油を炊いていたのかは謎ですが、おそらく石炭だけか、もしくは普通の石炭に重油を炊いていたのかもしれません。
C62重連急行の場合はこれだけは特別なハイカロリーの豆炭を使っていたので、これ以上は重油の力が必要なのでしょう。復活C62ニセコは良く上り坂で止まってしまいましたよね。急行ニセコは余程の雪とかでない限り、あまり止まったりしていないと思います。
@@Yukkuri-Lab さん 英国のトルネードは広い火床をもつボイラですが、手炊きです。比べてはるかに小さなC62が手炊きできないはずがありません。しかし、難点はありました。炊口の高さのバランスが悪い。なぜかスコップが馬鹿でかい、等々です。上り坂で止まる原因はいろいろあります。炊き方がまずくてクリンカーをつくってしまい、火力が上がらなかったのかもしれません?これはよくあることです。頭脳的な機関助士であればそんなことにはならないと思いますが、意外にそのようなことはしょっちゅう起きるのです。重油を炊くのは邪道だと思います。石炭をうまく燃やせば火床は真っ白な炎になります。
英国の石炭は質がそれほど高いわけではないですが、火室の設計が優れているのでしょうね。