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日本史大好きです。さおりさんの解説楽しみだし、官位ネタも気になっていたので楽しかったです😊
さおりさんこんばんは官位は詳しくないから今回も勉強になります
藤堂高虎は徳川家康から石高加増の際に欲しい領地を問われ「和泉」を所望したが、断られ「和泉守」の官位をもらったそうです
いつも楽しく拝見させていただいております。今回は特に気になっていた官位のことを紹介して下さっていたので、いつもにも増して興味深く観させてもらいました。さて、官位とは、さおりさんもご存じのとおり、官職と位階を合わせ呼んだものでありますが、そのうち位階はともかく官職名のほうは戦国時代においては、多くの武将が僭称した事実があります。織田信長が初期に名乗った上総介(上総国は親王任国なので親王以外は長官の守にはなれないのに信長自身、最初間違えて上総守を名乗る始末)や尾張守も僭称でした。安土桃山、江戸時代と時代が下るにつれ、官職名の僭称は少なくなり、やがて無くなっていくのですが、戦国時代においては朝廷に断りなく、各々の武将が勝手に官職名を名前に付け足して、箔付けを行っていたのです。特に大名よりも、その家臣において、下級官吏の官職僭称は枚挙に暇がないほどでありました。その僭称が、主君の許可を得て行われていたのか、はたまた、個人の勝手気ままに行われていたのか・・・。(当然ながら家中において身分下位の武将が、主君や宿老など、上位武将より偉そうな官職を名乗るのはさすがに有り得なかったでしょうが・・・。)そこら辺のところも詳しく知りたいなと思った次第です。近い将来、主な戦国大名家それぞれの官職僭称事情についても解説してくだされば嬉しいです。
何て素敵なお声ーー。顔は化粧やその日の体調や気分や運気で変わる。声は魂が素敵な証。歯並びもですが。
しかも棒読みでなく話し方,読み上げ方も素敵。皆,発音や,誤った読み方に辟易しながらTH-cam見ざるを得ぬ。コンピュータが読んでるのでしょうと。
わが国は、権力と権威が別れているといわれております。いくら権力があるからといって尊敬されることはなくて、尊敬されるには権威を持つ必要があります。権威=官位ということとなり、その延長線上に大政委任があります。
平和な江戸時代に、家格の序列づけに、官位は、便利😉👍️✨
陪臣で従五位下の階位と山城守の官職を授けられた直江兼続は別格だったのでしょうね。優秀故に秀吉に越後から呼び出されこき使われましたが。
いくらでもいますが?有力大名の家臣なら正式に官位受けたのなんてかなりいますけど?
上杉謙信が関東管領に拘ったり、最上義守が大金を積んででも羽州探題に就任したりと、支配地域の事情も色々あったのでしょうね。変わった官位の話だと、亀井茲矩が将来的に琉球を統治したいと、律令制にはない”琉球守”を欲した、というのがありますね。琉球の実効支配に取り組んでいた島津の横槍で就任できなかったようですが、その時には代わりに”台州守”を要求したというのも。
管領や探題は朝廷の官位じゃなくて幕府の役
内府は内大臣の事で、大納言より上ですね。
大内義隆はあの時代にあれを正式に任官してるの凄いわよね
日本の官位はまだ分かりやすいけど、三國志の官位はさっぱり分からん。
時代によってころころ変わるしなあれはw
日本も時代で官位は変わってるけどね 戦国時代だと幕府の守護、守護代、管領、探題も出てくるからこれはこれで。
@@戸次伯耆 守護、守護代、管領、探題は幕府内の役職であって朝廷の律令で定められた官職とはまた別物
@@ittousaiBL だから、幕府のって書いてるんだよ 誰も官位とは言ってない
恥ずかしながら従二位とかを「じゅうにい」と読んでました😅
具体的な例えを出して欲しいわからない
もう一つ徳川家康ですが、関ヶ原の戦いの前に内府になっております。関ヶ原の勝利してから征夷大将軍に就任しますが、内大臣よりかなり格下の官位です。日本の歴史を知らない外国人がここだけ聞いたら徳川家康が関ヶ原で負けてペナルティで降格したと誤解するかも知れないですね。実際徳川家康が欲しかったのは征夷大将軍と一緒に就任した源氏長者の方だったと言う説を聞いたことがありますが。
開府できるから
征夷大将軍は令外官でもありますし、源頼朝以来将軍職に就いた人物は概ね従一位から正二位に叙されていますから特に格下という訳でもありません。
征夷大将軍には官位相当がないが、通常、本官ともいうべき官職に任ぜられている。その本官の官職が征夷大将軍の地位でもある。例えば、本官が大納言ならば、征夷大将軍は大納言相当の地位になる。
さおりさん、今回も、美人だよ!!戦国時代、天皇家、公家も、疲弊しきっていたので、戦国大名からの官位を得るための献金は、有り難かった!!
さすがにここまで来るとどう突っ込んだらいいのかわからない。戦国時代の官位は平安時代の延喜式で定められたものからほぼ変わってない。変わったとしたら実態がほぼなくなったぐらい。実態がないから、宮中の掃除係が井伊の赤鬼だったり、音楽担当が海老掬いを踊らない方の酒井殿だったりするわけで。あと、正式な官位を発給できるのは朝廷だけなので、基本官位を得るには朝廷に献金するしかない。なので武功は直接は関係ない。間接的には戦国大名が武功ある家臣に斡旋するという形で関係するけど、それはあくまで家中の話。
多分、ろくに調べもせずに思い込みで作ってる可能性これはちょっとどうかと思われる
戦国時代じゃないけど、水戸黄門の一条三位(従三位)がぱっと思いついたwところで職製との関係はどうなんでしょう?戦国時代では、自称〇〇守とかあったみたいだけど、官位まで自称してた武将っていたのかな?
一条三位ってそんなに位高くないよね。
@@ba-ir6oiんなことはない
@@matukawatositane 摂家である「一条」としてはちと低いかも。まあ、他の公家や武家にとってはかなり高い位だけど。
正五位ん大根
光秀は明智惟任日向守光秀織田家家臣の中では特に位を信長様から頂いており信長様が信頼してた証
具体例が無さすぎる。
いつも拝見しております。とても勉強になりました。 質問なのですが上杉景勝や毛利輝元の様に関ヶ原の戦いで大減封を受けた大名は減封後も大領を持っていた時と同じ官位でいられたのでしょうか?
あくまでも私見ですが、そのままだったと思いますまた、もし退官したとしても当日の官位は名誉のみっぽかったので織田信長が右大臣を退官しても前(さき)右府様のように名誉は残ると思われます
罷免権はあくまでも朝廷だから解任されなければそのまま 引退や譲渡はあるけど。 ちなみに足利義昭は追放されても死ぬまで将軍のままだった
官位を有する事について、「責任の覚悟」を要するわけですな。女子が政治家を目指すにも、「責任の覚悟」というものを意識すべきですな。
官位といってもピンキリでしょうが、戦国大名の配下に○○守を名乗る方が多々いらっしゃるようです。時代劇に出てくる名町奉行の大岡様が越前を支配していなくとも越前守と言うように多くは○○を支配していないようですが、○○守は比較的取得が容易だったのでしょうか。
日本は66国しかないので○○守は66しかないので貴重それに朝廷は官位を与える引き換えに資金稼ぎしてるので簡単には貰えない基本は大名クラスじゃないと無理 大岡越前は恐らく自称 本来の官位持ちは必ず越前守まで言う 国司は階級を表す守、介、掾、目があるので、越前守、越前介なのかも分からないし。
@@戸次伯耆 江戸時代、武家の官位(武家官位)は公家の官位とは切り離されたから貴族とダブっても問題ない大岡越前も自称ではない
@@ittousaiBL 江戸時代はね 戦国時代はそういう仕組みになってないというだけ
さおりさんの官位なんすかね
正五位左少将のような気がする⁉️のですが。
大納言と内府ってどっちが上?
内府(内大臣)じゃないですか。
内大臣の方が上です。
内府=内大臣で、仮にも大臣だから。内大臣>大納言ですね。太政官では、太政大臣>左大臣>右大臣>内大臣ですが、太政大臣と内大臣は臨時の官職で、確か通常は空席のはず。
日本人は昔から賄賂が好きだなぁ😂
こんばんは。
コメントがただ抽象的で退屈です。
さおりさん相変わらず美人ですね
ちょっと何言っているかわからない。位階と官職の違いも理解していないのでは?
あのーすいません、以前にも別動画でも言ったのですが語り部がわざわざ映る意味って何ですか?ほんとにやめてください。せっかくこういった内容がいい動画を挙げてくださっているのに本当に悲しいです画面に映らず解説をしていただくことはできないのでしょうか?本当にお願いします、やめてください
日本史大好きです。
さおりさんの解説楽しみだし、官位ネタも気になっていたので楽しかったです😊
さおりさんこんばんは
官位は詳しくないから今回も勉強になります
藤堂高虎は徳川家康から石高加増の際に欲しい領地を問われ「和泉」を所望したが、断られ「和泉守」の官位をもらったそうです
いつも楽しく拝見させていただいております。
今回は特に気になっていた官位のことを紹介して下さっていたので、いつもにも増して興味深く観させてもらいました。
さて、官位とは、さおりさんもご存じのとおり、官職と位階を合わせ呼んだものでありますが、そのうち位階はともかく官職名のほうは戦国時代においては、多くの武将が僭称した事実があります。
織田信長が初期に名乗った上総介(上総国は親王任国なので親王以外は長官の守にはなれないのに信長自身、最初間違えて上総守を名乗る始末)や尾張守も僭称でした。
安土桃山、江戸時代と時代が下るにつれ、官職名の僭称は少なくなり、やがて無くなっていくのですが、戦国時代においては朝廷に断りなく、各々の武将が勝手に官職名を名前に付け足して、箔付けを行っていたのです。
特に大名よりも、その家臣において、下級官吏の官職僭称は枚挙に暇がないほどでありました。
その僭称が、主君の許可を得て行われていたのか、はたまた、個人の勝手気ままに行われていたのか・・・。
(当然ながら家中において身分下位の武将が、主君や宿老など、上位武将より偉そうな官職を名乗るのはさすがに有り得なかったでしょうが・・・。)
そこら辺のところも詳しく知りたいなと思った次第です。
近い将来、主な戦国大名家それぞれの官職僭称事情についても解説してくだされば嬉しいです。
何て素敵なお声ーー。顔は化粧やその日の体調や気分や運気で変わる。声は魂が素敵な証。歯並びもですが。
しかも棒読みでなく話し方,読み上げ方も素敵。皆,発音や,誤った読み方に辟易しながらTH-cam見ざるを得ぬ。コンピュータが読んでるのでしょうと。
わが国は、権力と権威が別れているといわれております。
いくら権力があるからといって尊敬されることはなくて、尊敬されるには権威を持つ必要があります。
権威=官位ということとなり、その延長線上に大政委任があります。
平和な江戸時代に、家格の序列づけに、官位は、便利😉👍️✨
陪臣で従五位下の階位と山城守の官職を授けられた直江兼続は別格だったのでしょうね。優秀故に秀吉に越後から呼び出されこき使われましたが。
いくらでもいますが?
有力大名の家臣なら正式に官位受けたのなんてかなりいますけど?
上杉謙信が関東管領に拘ったり、最上義守が大金を積んででも羽州探題に就任したりと、支配地域の事情も色々あったのでしょうね。
変わった官位の話だと、亀井茲矩が将来的に琉球を統治したいと、律令制にはない”琉球守”を欲した、というのがありますね。
琉球の実効支配に取り組んでいた島津の横槍で就任できなかったようですが、その時には代わりに”台州守”を要求したというのも。
管領や探題は朝廷の官位じゃなくて幕府の役
内府は内大臣の事で、大納言より上ですね。
大内義隆はあの時代にあれを正式に任官してるの凄いわよね
日本の官位はまだ分かりやすいけど、三國志の官位はさっぱり分からん。
時代によってころころ変わるしなあれはw
日本も時代で官位は変わってるけどね 戦国時代だと幕府の守護、守護代、管領、探題も出てくるからこれはこれで。
@@戸次伯耆 守護、守護代、管領、探題は幕府内の役職であって朝廷の律令で定められた官職とはまた別物
@@ittousaiBL だから、幕府のって書いてるんだよ 誰も官位とは言ってない
恥ずかしながら従二位とかを「じゅうにい」と読んでました😅
具体的な例えを出して欲しい
わからない
もう一つ徳川家康ですが、関ヶ原の戦いの前に内府になっております。関ヶ原の勝利してから征夷大将軍に就任しますが、内大臣よりかなり格下の官位です。日本の歴史を知らない外国人がここだけ聞いたら徳川家康が関ヶ原で負けてペナルティで降格したと誤解するかも知れないですね。実際徳川家康が欲しかったのは征夷大将軍と一緒に就任した源氏長者の方だったと言う説を聞いたことがありますが。
開府できるから
征夷大将軍は令外官でもありますし、
源頼朝以来将軍職に就いた人物は
概ね従一位から正二位に叙されて
いますから
特に格下という訳でもありません。
征夷大将軍には官位相当がないが、通常、本官ともいうべき官職に任ぜられている。
その本官の官職が征夷大将軍の地位でもある。
例えば、本官が大納言ならば、征夷大将軍は大納言相当の地位になる。
さおりさん、今回も、美人だよ!!
戦国時代、天皇家、公家も、疲弊しきっていたので、戦国大名からの官位を得るための献金は、有り難かった!!
さすがにここまで来るとどう突っ込んだらいいのかわからない。戦国時代の官位は平安時代の延喜式で定められたものからほぼ変わってない。変わったとしたら実態がほぼなくなったぐらい。実態がないから、宮中の掃除係が井伊の赤鬼だったり、音楽担当が海老掬いを踊らない方の酒井殿だったりするわけで。
あと、正式な官位を発給できるのは朝廷だけなので、基本官位を得るには朝廷に献金するしかない。なので武功は直接は関係ない。間接的には戦国大名が武功ある家臣に斡旋するという形で関係するけど、それはあくまで家中の話。
多分、ろくに調べもせずに思い込みで作ってる可能性
これはちょっとどうかと思われる
戦国時代じゃないけど、水戸黄門の一条三位(従三位)がぱっと思いついたw
ところで職製との関係はどうなんでしょう?
戦国時代では、自称〇〇守とかあったみたいだけど、
官位まで自称してた武将っていたのかな?
一条三位ってそんなに位高くないよね。
@@ba-ir6oiんなことはない
@@matukawatositane 摂家である「一条」としてはちと低いかも。まあ、他の公家や武家にとってはかなり高い位だけど。
正五位ん大根
光秀は
明智惟任日向守光秀
織田家家臣の中では特に位を信長様から頂いており信長様が信頼してた証
具体例が無さすぎる。
いつも拝見しております。とても勉強になりました。 質問なのですが
上杉景勝や毛利輝元の様に関ヶ原の戦いで大減封を受けた大名は減封後も大領を持っていた時と同じ官位でいられたのでしょうか?
あくまでも私見ですが、そのままだったと思います
また、もし退官したとしても当日の官位は名誉のみっぽかったので織田信長が右大臣を退官しても前(さき)右府様のように名誉は残ると思われます
罷免権はあくまでも朝廷だから解任されなければそのまま 引退や譲渡はあるけど。
ちなみに足利義昭は追放されても死ぬまで将軍のままだった
官位を有する事について、「責任の覚悟」を要するわけですな。
女子が政治家を目指すにも、「責任の覚悟」というものを意識すべきですな。
官位といってもピンキリでしょうが、戦国大名の配下に○○守を名乗る方が多々いらっしゃるようです。時代劇に出てくる名町奉行の大岡様が越前を支配していなくとも越前守と言うように多くは○○を支配していないようですが、○○守は比較的取得が容易だったのでしょうか。
日本は66国しかないので○○守は66しかないので貴重
それに朝廷は官位を与える引き換えに資金稼ぎしてるので簡単には貰えない
基本は大名クラスじゃないと無理
大岡越前は恐らく自称 本来の官位持ちは必ず越前守まで言う
国司は階級を表す守、介、掾、目があるので、越前守、越前介なのかも分からないし。
@@戸次伯耆
江戸時代、武家の官位(武家官位)は公家の官位とは切り離されたから貴族とダブっても問題ない
大岡越前も自称ではない
@@ittousaiBL 江戸時代はね 戦国時代はそういう仕組みになってないというだけ
さおりさんの官位なんすかね
正五位左少将のような気がする⁉️のですが。
大納言と内府ってどっちが上?
内府(内大臣)じゃないですか。
内大臣の方が上です。
内府=内大臣で、仮にも大臣だから。内大臣>大納言ですね。
太政官では、太政大臣>左大臣>右大臣>内大臣ですが、太政大臣と内大臣は臨時の官職で、確か通常は空席のはず。
日本人は昔から賄賂が好きだなぁ😂
こんばんは。
コメントがただ抽象的で退屈です。
さおりさん相変わらず美人ですね
ちょっと何言っているかわからない。位階と官職の違いも理解していないのでは?
あのーすいません、以前にも別動画でも言ったのですが語り部がわざわざ映る意味って何ですか?ほんとにやめてください。
せっかくこういった内容がいい動画を挙げてくださっているのに本当に悲しいです
画面に映らず解説をしていただくことはできないのでしょうか?
本当にお願いします、やめてください