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改易したくても出来ない家、しなくても勝手に自滅する家、運命か天から何かしらの任務の為か! 不思議です!(信長が居なければあの時代を変化する事は出来ないと信じています。 そして役目を終えると謀反に会い殺される!)
島津や毛利を残したからこそ、明治維新があり弱肉強食の帝国主義の時代に、日本は生き残れたとも言える
家康が危険を感じていたのは佐竹でしょうね。北条滅亡後は家康に次いで関東ナンバー2の勢力を誇っていて、兵力も1万5千から2万程度は動員できたと思われます。実際に家康が上杉征伐を行おうとしていた時、佐竹義宣は上杉を助けようと家康を挟撃しようと狙っていました。関ヶ原後は、父である義重が西軍参戦を大反対したお陰で佐竹家の取り潰しを回避し秋田へ転封だけで済みました。個人的には、家康が佐竹を潰さなかった理由として関ヶ原の直後では、それなりの軍事力がある佐竹を排除するのは骨が折れるのと、無理に戦うと仲が良い上杉が佐竹側につく恐れもあって戦乱が長引くのを避けたのではないかと思っています。実際に島津や毛利など敵対した大名が他にも残っていたのにも拘らず薩摩や長州征伐をしなかったところを見ると、完全平定することより日本各地で戦が起きていない状態にすることを優先したのだと思われます。スペインなどの植民地国家の存在もありましたしね。ただしその選択が後に幕末で仇となってくるわけですが。
暴れん坊将軍でも、尾張と島津が共謀して将軍転落をもくろみ、吉宗がそれを懲らしめたあとウヤムヤになるわけだが、「尾張はともかく島津はこの機会に潰しとけ!」とみんな突っ込むわけです
素人的には潰すとか考えるけど、実際は代わりに据える力量をもった大名が居なかったが正解です。日本全国古代からその地域を開拓した一族やまとめ上げた氏族が居て表には名前があまり出ないけど縁もゆかりも無い氏族を入れ替えたら反乱の火種になるし秀吉(醍醐源氏)でさえ直ぐに泣きついて来た事を知らない人が多いと思いますが、七本槍(石田三成三浦党平氏を省く)人材は明智方から輩出してるしねw加藤清正なんか明智城の守備を任されていた明智の分家だしw 伊予の加藤もそうだったw国替えの調整は非常にデリケートで手間が掛かる問題なんですよwby 河内源氏棟梁家分家でした。
おそらく上杉や毛利や吉川なども警戒していただろうな
面白いお話、家康の小物ぶりが証明されて興味深い。
毛利家も消したかったのでは?石高こそ大幅削減されたものの毛利一門で見ると血縁の吉川広家、血縁はないが東軍に寝返った豊臣からの養子である小早川秀秋、毛利方外交僧で関ヶ原の戦い後処刑された安国寺恵瓊を含めれば実は島津や前田よりでかい。吉川が毛利家存続に動かなかったらかなりヤバかったと見る。
さおりさんの回しか見なくなった😅
むかーしむかし、「歴史への招待」(NHK)で徳川が島津攻めを計画し諸大名に動員まで行っていたと放送してましたっけ。島津がひたすら詫びを入れて難を逃れたとか。ちなみに、島津攻め中止の理由が「寒いから」というものだったとか。
島津は、心残りだったと思う!!
もし、忠勝などの重臣による説得を無視して(家康の独断で)真田昌幸を処刑していたなら、忠勝らが離反してしまい、徳川家が短命的に崩壊してしまっていたかもしれないでしょうね。重臣を怒らせると、マジで怖いで。
思い通りに行かなかった事や失敗をフォローしながら歴史は進むものです。現代でも未来に禍根を残さないように潰してしまいたい国々もあります。
えーと北の果ての東西に長い国とか何か日本の北西にある足の形みたいな出っ張り??他にその出っ張りの西にある色々と汚ない国?
人間はしょせん「動物」にすぎないと、つくづく思った😔
池田輝政は北条氏直の妻(家康の娘)を娶り一門で播磨を中心に100万石近い大名となり西国将軍と呼ばれたが、池田家は江戸初期因幡藩と備前藩に分割された。前田家も徳川と縁戚関係を深めたが分割はされず100万石を維持明治まで維持出来たのは奇跡かも。
豊臣家恩顧の福島、加藤の両家は潰されて、伊達家、黒田家は元々は豊臣家からしても外様だったし、もし伊達家や黒田家を潰そうとしたら火種は残るから幕府で抱えたんでしょう。それに東北の睨みとして伊達家と九州の睨みとして黒田家を残す事で幕府からしたら必要だったと思う。
共通してるのが政宗も如水もなにしでかすか分からない、喰えない人というイメージ
さおりさんこんばんは今回も動画ありがとうございます
島津に手出し出来なかった事は無念だったかもしれないが、無理に島津討伐を強行すると外様大名が反発して戦国時代に戻りかねなかったと思う。
九州の外れのど田舎、だけど結構金持ち、それなりの名門島津家、微妙な立ち位置やな
島津は最南端の大名だけど琉球を手に入れて密貿易が盛んだったね‼️
不穏ですもんね暴宗とか度々南蛮渡来のご禁制で謀反の何とかで出て来ますねと言うか薩摩の登場イコール謀反の企てあとは尾張も大体は乗っ取り絡み
驚異は全部取り除きたいは本音は、真田、前田、島津、毛利、伊達等まあ、でも残してくれたので歴史的には良かった‼️
何故に毛利が入っていないのか最大の疑問
毛利も消したかったと思う。島津残したのは痛恨の極み。
潰せるものなら潰したいけど征伐しにいくのは、あまり利がない
国防の事を考えたら島津を潰さなくて良かったと思うけど?少なくても斉彬までは幕府に忠誠誓っていたわけやし
@@石塚大吾-s2g 本当にそう思う。木曽川の治水工事でもヘイト溜まったと思うけど
琉球と明とのパイプ考えたら島津は潰せないね。
結局、幕末はその島津と毛利に潰されたからな~。
徳川家には島津は大きいな家康は予想してたかわからないけども
島津は関ヶ原の突破…宇喜多秀家親子を匿い…更に戦後交渉ではのらりくらりと…厄介な存在だったに違いありません。真田は上田攻防戦…昔の三方ヶ原の戦いでの遺恨が残っていたでしょう…。
伊達政宗存命中は江戸幕府も仙台藩には手を出せなかったが政宗亡き後仙台藩を潰せる機会があった。伊達騒動が一歩違っていたら仙台藩は改易されていた。最上家取り潰しの前例あったがよく残ったものだ。
最上は日本海航路で西国勢力と結びつく可能性があったけど、伊達は東国勢力≒徳川同盟軍だから、寛大な処遇だったのかも。政宗は「副将軍」と自称するのを許されていたし。
家康が潰したかった相手などいませんよ。格下を恐れることなど決してない家康にとって、格上なんて関ヶ原地点でいますかね。あえてあげるとするなら、豊臣家くらいのものでしょう。
地付きの大大名を潰してしまえば反発が凄い…。
現代まで言い伝えられている家康個人の性格としては、関ヶ原で媚びてきた豊臣恩顧の大名らがその後お家断絶などの悲劇に遭っていることから徳川を裏切る油断ならぬ存在とも考えてたように思います。逆に潰したいけどその実力は認めざるを得ず繋ぎとめて置いたのが島津・伊達。それを考えると改易後本多忠勝に身を寄せた立花宗茂を再び大名に取り立てたのはセコイ謀略に乗せられず信義を貫いたので徳川家に入れても信用できる存在だったと。
秀康は幼少期から家康から嫌われてたとか、信康にとりなしで対面したときも嫌われてたエピソードがあった。しかし、関ヶ原の戦いでは対上杉のために江戸に残したのだから、信用されていたのでは?
真田を潰したかったのでしょうか、家康の死後、幸村の兄信之は潰される寸前も忠輝の改易で空きになった松代に移りました。
前田利常ではなく前田利長だと思います。
九州の端に居る島津にどこへ行けと?
上杉は上手く無力化できたなあ
結城秀康が意外でした。江戸から遠い越前への移封ですから、そういう面はあつたかもしれないですね。しかも、大坂への備えという名目もある。有難う御座いました。秀康が秀忠の弟という関係であれば、もつと違っていたかもしれないですね。秀康は、大変に武将として有能であり、大坂への備えという意味もありますが、大坂落城後は不要ですね。忠直卿などは、とくに有能でもなく、難敵の消滅した元和偃武のなか、兄の系統を吹かしかねない忠直卿系は邪魔でしかないですね。さつさと弟系に挿げ替えるべきです。
島津は幕末の薩英戦争くらいまでは江戸幕府に忠義を尽くしたはず秀吉の朝鮮出兵でも忠義を尽くしており最終的に倒幕側になったのも幕府側の責任が大きいと思う
政宗のところ、「血縁」ではなく「姻戚」ではないでしょうか。
やっぱり豊臣家じゃないかな?一大名家に成り下がったとは言え豊臣家が諸大名に与える影響は前田や伊達などの大身の大名よりはるかに大きかったし
島津家を潰していたら未だ江戸時代が続いていたかも?なことは無いか、まぁ若干、遅れて文明開化、極論だが他国で飛行機が飛んで📲してんのに未だ日本はちょん髷して二本差しをしてる侍が居るw誰を潰して誰を生かすかで歴史はだいぶ変わるみたいですね。本当この動画、面白くて好き。
徳川家康が伊達政宗が一番怖いです。🎵毛利や島津等も怖いです。🎵
政宗に関してはその後、実質 家光の後見人のような立場にもなっているし、滅ぼさずにおいて結果オーライのような感じがします。まだ幕府も三代で歴史が浅い それを外様とはいえ大大名の伊達家がバックアップするというのは家光にとっても心強かったのではないでしょうか。
真田家をあのタイミングで潰すと、忠勝を失うし、徳川家重臣や部下からの信頼失って内部分裂の危機もあったろうし、そうなると豊臣家は大喜びさせることになるだけ
普通に兄が来たんだからそいつに継がせて存続が妥当。
「大阪の陣で 豊臣秀頼を生かすことができなかったのが最大の誤算」だと思います豊臣秀頼を 生存させることができればもう少し大名を潰し放題だったと思います😄豊臣秀頼を 生存 させて 秀吉との約束を「 律儀に守る」ことで 大名の感心を集めその上で 大名の領土を削りに行きたかったと思います豊臣秀頼を生存させることができれば大名に恩賞として与える領地は安く済み潰したい大名は潰し放題になる結局これは 三代将軍徳川家光が行いましたが…家康の心に大きくあったのは、「国家経営問題」で元寇 で滅亡した鎌倉幕府 恩賞で与える 土地 不足豊臣秀頼を 生存させることができれば 恩賞で与える土地を安く済ますことができるただ 豊臣秀頼は死んでしまってるので領地を、大盤振る舞いする羽目になってしまった😱徳川家康が一番悔やんだところは豊臣秀頼を 生存させることに失敗して領地を 大盤振る舞い せざるを得なくなったところだと思います😄
秀頼に限らず秀吉の血縁生かしといたら徳川に不満ある浪人とかがそいつを大将に担いで反乱起こしかねないじゃん
西日本の大名は大概潰したかった。結局、豊臣恩顧の武将の力がないと勝てなかったから、西日本は諦めた形になってる。
家康公は、柳生に命じて里隠れや隠密を送らなかったのかな??家康公が亡くなった後から柳生が力を持ち諸国に密偵を送り、かなりの大名が取り潰しになってるけどね。江戸市中には、鳥潰された大名家の家臣が浪人としてかなり入り込んでいた。その何年か後に由比正雪見たいなのが出て幕府転覆を図ったが失敗!!ガードが固くて失敗したんだよ。一説に依れば、由比正雪は豊臣恩顧の大名だったらしい。島津は南方の大名だから幕府も取り潰しは難しかった。のでは??豊臣方ヘ味方をした大名は、尽く潰されてる。しかし、徳川方に味方をした大名にもお取り潰しになった藩も無いとは言えないけど。表面的には、徳川!!裏では豊臣方!!今の時代も似た現象が起きてますやろ。
由比小雪の乱が失敗したのはガードが堅かったんじゃなくて参加者が密告して決起前にバレたんじゃなかったっけ?
真田幸村様かもしれませんね・・・・。
時はキリシタン追放、島原の乱があり戦上手は必要不可欠では?
政宗が葛西大崎一揆でやったことって家康が信濃甲州でやったことってと同じ。家康は政宗が怖かったというより「クソガキ」ぐらいにしか思ってなかったんじゃないかな。
毛利は260年逆恨みしてましたからね
ある逸話で、毛利家の年賀の挨拶で家老が毛利の殿様に··殿、徳川討伐の準備相整いましたが··と言うと歴代の毛利の殿様は··今年は中止に致そう··と応えていたとか?!
@@kireinayukichandaisu チョット違うようです。 家老…徳川討伐の義は如何致しましょう? 殿様…今年は未だ早い、先ずは明年まで 待つと致そう。ってな感じだったと聞いたことがあります。
@@中村昌之-i5v 返信有り難うございますそうですよねやり取りをすぐ横で見ておられた様な内容、勉強になりました(◠‿◕)こんなことを学校の授業で教えていたら、もっと歴史好きの方が増えそうな····
まあ、薩摩はもともと、東軍なのに来るなと言われてしぶしぶ、戦ったんだから無理だろ。
豊臣秀頼でしょうねぇ…徳川家康が、秀頼と会見した時、織田信長の気持ちを理解したのでしょうか?…「ワシの息子より 出来が良い…」亡き信康の事を、想い出したのかもしれませんね。
結城秀康さんが意外かなーって思いました('ω')。たしかに広大な領土(兵力)を与えてしまうと謀反の可能性がゼロではないため(例:本能寺の変)、気持ちは分かりますが、息子さんでも信用できないのが戦国時代なのでしょうか('ω')
家康は秀康の事を生まれた瞬間から嫌ってたらしいですからね秀康は双子で生まれたから尚更…
加藤や福島の様な大名を潰したかったんじゃない?
あいつらは豊臣の血縁だから豊臣が滅びたら用無し。
家康が豊臣を潰すつもりなかった説はありだとおもう、もちろん統治の楔大名は大事だとおもうけど国防で有力な家臣団を生かすには秀頼が生きていたほうがあるのかな。淀殿が国替えに応じる考えだったのは意外で知りませんでした。
福島正則も潰したかった?ってか、実際に潰されましたね。
相変わらず浅っさい
伊達と秀康はそうでもなさげかな?
伊達は加増するのを破る。結城はまあ、60万石あげたから体裁を保てた。
黒田も消したかったかもしれません。息子の長政が活躍した以上、消すに消せなかったのでしょうが。
関ヶ原後ではまだ豊臣家が、健在なので本音通りには、難しいですね。腹を括って大坂城に籠って反徳川連合の旗を上げられたらヤバいですからね。
伊達政宗は家康が取り潰したい大名の一人と考えていた説は、大河ドラマ「葵・徳川三代」のネタになっていましたね。大阪の陣が終わって忠輝を勘当した時に、秀忠が家康に「大阪の次は奥州を攻めるつもりか」と指摘したシーンがあって。それだなと思いました。
実際難癖付けて潰そうと思えばいくらでも潰せたのに家康がそれをしなかったのはやっぱり伊達は必要だと思ったからだと思う
さおりん、可愛い、嫁にしたい!
でも大軍でやれば島津潰せたけどね・・・・ただ大損害になるかもだけど
九州の大名と毛利が大連合を組んで更にそれに乗じて上杉と伊達が東から謀反を起こして家康は四面楚歌で返り討ちだと思う
その場合は上杉・伊達は 佐竹・最上・南部あたりに任せて毛利と島津を全力で潰すこれしかない
近衛家から取りなしがあるので無視できないのはある
@@もふもふ-x4p その場合上杉と伊達は足並みが揃うかどうか。上杉を仕切ってた直江兼続が伊達政宗の事を毛嫌いしてたからなぁ
あくまで空想ですが、関ヶ原の戦いがもう少し遅れて始まったり長引いていたら…と思います。九州では、島津vs黒田の決戦が行われたのかもしれません。しかし、東北では、上杉が伊達と最上を倒していたかもしれませんね。
毛利は秋田辺りに移して吉川と領地を離しておくべきでしたね佐竹は周防で下関は天領にすれば良かったです島津は黒田に滅ぼしてもらえば良かったですね
秀康は庶子だし秀吉の養子だから、家督相続権はなかったんだよ。そのためか家康と秀康は親子仲は悪くなかった。
秀康の死因は梅毒だと言われている。
秀忠も秀康の顔を立てるしね
梅毒は事実でしょうが、秀康ほどの男が感染するってのが疑問です。
@@countneo 武将クラスでも大流行時代なんじゃなかった?
秀康は梅毒なのにあれだけやりまくってた父の家康が梅毒にならなかったのも不思議だな
八重歯可愛い
改易したくても出来ない家、しなくても勝手に自滅する家、運命か天から何かしらの任務の為か! 不思議です!
(信長が居なければあの時代を変化する事は出来ないと信じています。 そして役目を終えると謀反に会い殺される!)
島津や毛利を残したからこそ、明治維新があり弱肉強食の帝国主義の時代に、日本は生き残れたとも言える
家康が危険を感じていたのは佐竹でしょうね。
北条滅亡後は家康に次いで関東ナンバー2の勢力を誇っていて、兵力も1万5千から2万程度は動員できたと思われます。
実際に家康が上杉征伐を行おうとしていた時、佐竹義宣は上杉を助けようと家康を挟撃しようと狙っていました。
関ヶ原後は、父である義重が西軍参戦を大反対したお陰で佐竹家の取り潰しを回避し秋田へ転封だけで済みました。
個人的には、家康が佐竹を潰さなかった理由として
関ヶ原の直後では、それなりの軍事力がある佐竹を排除するのは骨が折れるのと、
無理に戦うと仲が良い上杉が佐竹側につく恐れもあって戦乱が長引くのを避けたのではないかと思っています。
実際に島津や毛利など敵対した大名が他にも残っていたのにも拘らず薩摩や長州征伐をしなかったところを見ると、
完全平定することより日本各地で戦が起きていない状態にすることを優先したのだと思われます。
スペインなどの植民地国家の存在もありましたしね。ただしその選択が後に幕末で仇となってくるわけですが。
暴れん坊将軍でも、尾張と島津が共謀して将軍転落をもくろみ、吉宗がそれを懲らしめたあとウヤムヤになるわけだが、
「尾張はともかく島津はこの機会に潰しとけ!」とみんな突っ込むわけです
素人的には潰すとか考えるけど、実際は代わりに据える力量をもった大名が居なかったが正解です。
日本全国古代からその地域を開拓した一族やまとめ上げた氏族が居て表には名前があまり出ないけど
縁もゆかりも無い氏族を入れ替えたら反乱の火種になるし秀吉(醍醐源氏)でさえ直ぐに泣きついて来た事を知らない
人が多いと思いますが、七本槍(石田三成三浦党平氏を省く)人材は明智方から輩出してるしねw
加藤清正なんか明智城の守備を任されていた明智の分家だしw 伊予の加藤もそうだったw
国替えの調整は非常にデリケートで手間が掛かる問題なんですよw
by 河内源氏棟梁家分家でした。
おそらく上杉や毛利や吉川なども警戒していただろうな
面白いお話、家康の小物ぶりが証明されて興味深い。
毛利家も消したかったのでは?
石高こそ大幅削減されたものの毛利一門で見ると血縁の吉川広家、血縁はないが東軍に寝返った豊臣からの養子である小早川秀秋、毛利方外交僧で関ヶ原の戦い後処刑された安国寺恵瓊を含めれば実は島津や前田よりでかい。吉川が毛利家存続に動かなかったらかなりヤバかったと見る。
さおりさんの回しか見なくなった😅
むかーしむかし、「歴史への招待」(NHK)で徳川が島津攻めを計画し諸大名に動員まで行っていたと放送してましたっけ。
島津がひたすら詫びを入れて難を逃れたとか。ちなみに、島津攻め中止の理由が「寒いから」というものだったとか。
島津は、心残りだったと思う!!
もし、忠勝などの重臣による説得を無視して(家康の独断で)真田昌幸を処刑していたなら、忠勝らが離反してしまい、徳川家が短命的に崩壊してしまっていたかもしれないでしょうね。重臣を怒らせると、マジで怖いで。
思い通りに行かなかった事や失敗をフォローしながら歴史は進むものです。
現代でも未来に禍根を残さないように潰してしまいたい国々もあります。
えーと
北の果ての東西に長い国とか
何か日本の北西にある足の形みたいな出っ張り??
他にその出っ張りの西にある
色々と汚ない国?
人間はしょせん「動物」にすぎないと、つくづく思った😔
池田輝政は北条氏直の妻(家康の娘)を娶り一門で播磨を中心に100万石近い大名となり西国将軍と呼ばれたが、池田家は江戸初期因幡藩と備前藩に分割された。前田家も徳川と縁戚関係を深めたが分割はされず100万石を維持明治まで維持出来たのは奇跡かも。
豊臣家恩顧の福島、加藤の両家は潰されて、伊達家、黒田家は元々は豊臣家からしても外様だったし、もし伊達家や黒田家を潰そうとしたら火種は残るから幕府で抱えたんでしょう。それに東北の睨みとして伊達家と九州の睨みとして黒田家を残す事で幕府からしたら必要だったと思う。
共通してるのが政宗も如水もなにしでかすか分からない、喰えない人というイメージ
さおりさんこんばんは
今回も動画ありがとうございます
島津に手出し出来なかった事は無念だったかもしれないが、無理に島津討伐を強行すると外様大名が反発して戦国時代に戻りかねなかったと思う。
九州の外れのど田舎、だけど結構金持ち、それなりの名門島津家、微妙な立ち位置やな
島津は最南端の大名だけど琉球を手に入れて密貿易が盛んだったね‼️
不穏ですもんね
暴宗とか度々南蛮渡来のご禁制で
謀反の何とかで出て来ますね
と言うか薩摩の登場イコール謀反の企て
あとは尾張も大体は乗っ取り絡み
驚異は全部取り除きたいは本音は、真田、前田、島津、毛利、伊達等まあ、でも残してくれたので歴史的には良かった‼️
何故に毛利が入っていないのか最大の疑問
毛利も消したかったと思う。島津残したのは痛恨の極み。
潰せるものなら
潰したいけど
征伐しにいくのは、
あまり利がない
国防の事を考えたら島津を潰さなくて良かったと思うけど?少なくても斉彬までは幕府に忠誠誓っていたわけやし
@@石塚大吾-s2g
本当にそう思う。木曽川の治水工事でもヘイト溜まったと思うけど
琉球と明とのパイプ考えたら島津は潰せないね。
結局、幕末はその島津と毛利に潰されたからな~。
徳川家には島津は大きいな
家康は予想してたかわからないけども
島津は関ヶ原の突破…宇喜多秀家親子を匿い…更に戦後交渉ではのらりくらりと…厄介な存在だったに違いありません。真田は上田攻防戦…昔の三方ヶ原の戦いでの遺恨が残っていたでしょう…。
伊達政宗存命中は江戸幕府も仙台藩には手を出せなかったが政宗亡き後仙台藩を潰せる機会があった。伊達騒動が一歩違っていたら仙台藩は改易されていた。最上家取り潰しの前例あったがよく残ったものだ。
最上は日本海航路で西国勢力と結びつく可能性があったけど、伊達は東国勢力≒徳川同盟軍だから、寛大な処遇だったのかも。政宗は「副将軍」と自称するのを許されていたし。
家康が潰したかった相手などいませんよ。格下を恐れることなど決してない家康にとって、格上なんて関ヶ原地点でいますかね。
あえてあげるとするなら、豊臣家くらいのものでしょう。
地付きの大大名を潰してしまえば反発が凄い…。
現代まで言い伝えられている家康個人の性格としては、関ヶ原で媚びてきた豊臣恩顧の大名らがその後お家断絶などの悲劇に遭っていることから徳川を裏切る油断ならぬ存在とも考えてたように思います。逆に潰したいけどその実力は認めざるを得ず繋ぎとめて置いたのが島津・伊達。それを考えると改易後本多忠勝に身を寄せた立花宗茂を再び大名に取り立てたのはセコイ謀略に乗せられず信義を貫いたので徳川家に入れても信用できる存在だったと。
秀康は幼少期から家康から嫌われてたとか、信康にとりなしで対面したときも嫌われてたエピソードがあった。しかし、関ヶ原の戦いでは対上杉のために江戸に残したのだから、信用されていたのでは?
真田を潰したかったのでしょうか、家康の死後、幸村の兄信之は潰される寸前も忠輝の改易で空きになった松代に移りました。
前田利常ではなく前田利長だと思います。
九州の端に居る島津にどこへ行けと?
上杉は上手く無力化できたなあ
結城秀康が意外でした。江戸から遠い越前への移封ですから、そういう面はあつたかもしれないですね。しかも、大坂への備えという名目もある。
有難う御座いました。
秀康が秀忠の弟という関係であれば、もつと違っていたかもしれないですね。
秀康は、大変に武将として有能であり、大坂への備えという意味もありますが、大坂落城後は不要ですね。忠直卿などは、とくに有能でもなく、難敵の消滅した元和偃武のなか、兄の系統を吹かしかねない忠直卿系は邪魔でしかないですね。さつさと弟系に挿げ替えるべきです。
島津は幕末の薩英戦争くらいまでは江戸幕府に忠義を尽くしたはず
秀吉の朝鮮出兵でも忠義を尽くしており
最終的に倒幕側になったのも幕府側の責任が大きいと思う
政宗のところ、「血縁」ではなく「姻戚」ではないでしょうか。
やっぱり豊臣家じゃないかな?
一大名家に成り下がったとは言え
豊臣家が諸大名に与える影響は
前田や伊達などの大身の大名よりはるかに大きかったし
島津家を潰していたら未だ江戸時代が続いていたかも?なことは無いか、まぁ若干、遅れて文明開化、極論だが他国で飛行機が飛んで📲してんのに未だ日本はちょん髷して二本差しをしてる侍が居るw誰を潰して誰を生かすかで歴史はだいぶ変わるみたいですね。本当この動画、面白くて好き。
徳川家康が伊達政宗が一番怖いです。🎵毛利や島津等も怖いです。🎵
政宗に関してはその後、実質 家光の後見人のような立場にもなっているし、滅ぼさずにおいて結果オーライのような感じがします。
まだ幕府も三代で歴史が浅い それを外様とはいえ大大名の伊達家がバックアップするというのは家光にとっても心強かったのではないでしょうか。
真田家をあのタイミングで潰すと、忠勝を失うし、徳川家重臣や部下からの信頼失って内部分裂の危機もあったろうし、そうなると豊臣家は大喜びさせることになるだけ
普通に兄が来たんだからそいつに継がせて存続が妥当。
「大阪の陣で 豊臣秀頼を生かすことができなかったのが最大の誤算」だと思います
豊臣秀頼を 生存させることができればもう少し大名を潰し放題だったと思います😄
豊臣秀頼を 生存 させて 秀吉との約束を「 律儀に守る」ことで 大名の感心を集め
その上で 大名の領土を削りに行きたかったと思います
豊臣秀頼を生存させることができれば
大名に恩賞として与える領地は安く済み
潰したい大名は潰し放題になる
結局これは 三代将軍徳川家光が行いましたが…
家康の心に大きくあったのは、「国家経営問題」で
元寇 で滅亡した鎌倉幕府
恩賞で与える 土地 不足
豊臣秀頼を 生存させることができれば 恩賞で与える土地を安く済ますことができる
ただ 豊臣秀頼は死んでしまってるので
領地を、大盤振る舞いする羽目になってしまった😱
徳川家康が一番悔やんだところは
豊臣秀頼を 生存させることに失敗して
領地を 大盤振る舞い せざるを得なくなったところだと思います😄
秀頼に限らず秀吉の血縁生かしといたら徳川に不満ある浪人とかがそいつを大将に担いで反乱起こしかねないじゃん
西日本の大名は大概潰したかった。
結局、豊臣恩顧の武将の力がないと勝てなかったから、西日本は諦めた形になってる。
家康公は、柳生に命じて里隠れや隠密を送らなかったのかな??家康公が亡くなった後から柳生が力を持ち諸国に密偵を送り、かなりの大名が取り潰しになってるけどね。江戸市中には、鳥潰された大名家の家臣が浪人としてかなり入り込んでいた。その何年か後に由比正雪見たいなのが出て幕府転覆を図ったが失敗!!ガードが固くて失敗したんだよ。一説に依れば、由比正雪は豊臣恩顧の大名だったらしい。島津は南方の大名だから幕府も取り潰しは難しかった。のでは??豊臣方ヘ味方をした大名は、尽く潰されてる。しかし、徳川方に味方をした大名にもお取り潰しになった藩も無いとは言えないけど。表面的には、徳川!!裏では豊臣方!!今の時代も似た現象が起きてますやろ。
由比小雪の乱が失敗したのはガードが堅かったんじゃなくて参加者が密告して決起前にバレたんじゃなかったっけ?
真田幸村様かもしれませんね・・・・。
時はキリシタン追放、島原の乱があり戦上手は必要不可欠では?
政宗が葛西大崎一揆でやったことって家康が信濃甲州でやったことってと同じ。
家康は政宗が怖かったというより「クソガキ」ぐらいにしか思ってなかったんじゃないかな。
毛利は260年逆恨みしてましたからね
ある逸話で、毛利家の年賀の挨拶で家老が毛利の殿様に
··殿、徳川討伐の準備相整いましたが··
と言うと歴代の毛利の殿様は
··今年は中止に致そう··
と応えていたとか?!
@@kireinayukichandaisu チョット違うようです。
家老…徳川討伐の義は如何致しましょう?
殿様…今年は未だ早い、先ずは明年まで
待つと致そう。
ってな感じだったと聞いたことがあります。
@@中村昌之-i5v 返信有り難うございます
そうですよね
やり取りをすぐ横で見ておられた様な内容、勉強になりました(◠‿◕)
こんなことを学校の授業で教えていたら、もっと歴史好きの方が増えそうな····
まあ、薩摩はもともと、東軍なのに来るなと言われてしぶしぶ、戦ったんだから無理だろ。
豊臣秀頼でしょうねぇ…
徳川家康が、秀頼と会見した時、
織田信長の気持ちを理解したのでしょうか?…
「ワシの息子より 出来が良い…」
亡き信康の事を、想い出したのかもしれませんね。
結城秀康さんが意外かなーって思いました('ω')。たしかに広大な領土(兵力)を与えてしまうと
謀反の可能性がゼロではないため(例:本能寺の変)、気持ちは分かりますが、
息子さんでも信用できないのが戦国時代なのでしょうか('ω')
家康は秀康の事を生まれた瞬間から嫌ってたらしいですからね
秀康は双子で生まれたから尚更…
加藤や福島の様な大名を潰したかったんじゃない?
あいつらは豊臣の血縁だから豊臣が滅びたら用無し。
家康が豊臣を潰すつもりなかった説はありだとおもう、もちろん統治の楔大名は大事だとおもうけど国防で有力な家臣団を生かすには秀頼が生きていたほうがあるのかな。
淀殿が国替えに応じる考えだったのは意外で知りませんでした。
福島正則も潰したかった?ってか、実際に潰されましたね。
相変わらず浅っさい
伊達と秀康はそうでもなさげかな?
伊達は加増するのを破る。結城はまあ、60万石あげたから体裁を保てた。
黒田も消したかったかもしれません。息子の長政が活躍した以上、消すに消せなかったのでしょうが。
関ヶ原後ではまだ豊臣家が、
健在なので本音通りには、
難しいですね。
腹を括って大坂城に籠って
反徳川連合の旗を上げられたら
ヤバいですからね。
伊達政宗は家康が取り潰したい大名の一人と考えていた説は、大河ドラマ「葵・徳川三代」のネタになっていましたね。
大阪の陣が終わって忠輝を勘当した時に、秀忠が家康に「大阪の次は奥州を攻めるつもりか」と指摘したシーンがあって。それだなと思いました。
実際難癖付けて潰そうと思えばいくらでも潰せたのに
家康がそれをしなかったのはやっぱり伊達は必要だと思ったからだと思う
さおりん、可愛い、嫁にしたい!
でも大軍でやれば島津潰せたけどね・・・・
ただ大損害になるかもだけど
九州の大名と毛利が大連合を組んで
更にそれに乗じて上杉と伊達が東から謀反を起こして
家康は四面楚歌で返り討ちだと思う
その場合は
上杉・伊達は
佐竹・最上・南部あたりに任せて
毛利と島津を全力で潰すこれしかない
近衛家から取りなしがあるので無視できないのはある
@@もふもふ-x4p その場合上杉と伊達は足並みが揃うかどうか。上杉を仕切ってた直江兼続が伊達政宗の事を毛嫌いしてたからなぁ
あくまで空想ですが、関ヶ原の戦いがもう少し遅れて始まったり長引いていたら…と思います。九州では、島津vs黒田の決戦が行われたのかもしれません。
しかし、東北では、上杉が伊達と最上を倒していたかもしれませんね。
毛利は秋田辺りに移して吉川と領地を離しておくべきでしたね
佐竹は周防で下関は天領にすれば良かったです
島津は黒田に滅ぼしてもらえば良かったですね
秀康は庶子だし秀吉の養子だから、家督相続権はなかったんだよ。
そのためか家康と秀康は親子仲は悪くなかった。
秀康の死因は梅毒だと言われている。
秀忠も秀康の顔を立てるしね
梅毒は事実でしょうが、秀康ほどの男が感染するってのが疑問です。
@@countneo 武将クラスでも大流行時代なんじゃなかった?
秀康は梅毒なのに
あれだけやりまくってた父の家康が梅毒にならなかったのも不思議だな
八重歯可愛い
家康が潰したかった相手などいませんよ。格下を恐れることなど決してない家康にとって、格上なんて関ヶ原地点でいますかね。
あえてあげるとするなら、豊臣家くらいのものでしょう。