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ありがとうございます。志布志駅が移設されていたとは知りませんでした。かつては志布志線、大隅線の要衝だったのですが。かつての志布志駅の、三方面の列車案内板が懐かしいです。話は異なりますが、都城駅高架化の際に、志布志線の分岐部分も作られましたが、それらは使用しないまま廃線となったようです。大隅線、志布志線、これまた廃線に思いを馳せるロマンがあります。
移設前の志布志駅構内の跡地は商業施設などが整備されていて面影はなくなっていますね。ちなみに志布志線の一部高架化された区間はわずかですが7年ほど使用していたようでした。
道路は税金でガンガン投資されるのに鉄道は全て自腹であまつさえ固定資産税まで取られるのだから、競争にならない公平な競争の上で非合理的なら廃止も仕方がないが本当にそうなのか?と思う
災害によって寸断された鉄道は近年復帰が困難になる事が多いですね💦鉄道ファンとしては悲しい現実です😥
災害の規模が馬鹿でかいのか予算でないのか
見ていて懐かしさが蘇りました、大隅線は国分から志布志迄の片道に一度だけ乗りました、志布志線は新婚旅行で西都城から鵜戸神宮へ行くのに乗った記憶が蘇りました。
大隅線を乗り通されたことがあるのですね。羨ましい限りです。海外旅行がメジャーになる以前の宮崎は、新婚旅行などで人気観光地だったようですね。
南九州や北海道、鉄道路線はだいぶ寂しくなりましたね……。
国鉄末期にローカル線がかなり整理されましたね。
日南線は沿線の道路が大渋滞することもあり、宮崎市付近では大きな役割を果たしていると思いますが、全線で見ると厳しいですね。大隅線や志布志線は需要がありそうですが、残っているバスの本数を見ると仕方がないかなと思ってしまいます。特に志布志線代替バスは恐ろしい勢いで本数が減っていきました。大隅線沿線はそこそこ住宅も立ち並んでいるようで廃止はちょっともったいなかったと思いますが、遠回りなので競争力が低かったのでしょう。
どの路線も存廃の基準の一つとして沿線の道路の充実があげられますね。大隅、志布志線ではやはり大隅線の方が需要はあったのでしょうが、ルートからしても都市間連絡の需要は拾えないですね。
志布志線の沿線は歴史的には同一経済圏で、曽於市から都城市に通勤する人は今でも普通にいますし、志布志港から曽於市都城市に大量の飼料が運搬されていたりします。でも、同じ台地上にある都城市と曽於市の間に県境があって学区が分断されるんで、通学需要が極めて稀薄なんですよねえ。大人ならば・貨物ならば、鉄道や高速バスだったらとにかく、長距離の路線バスにはほぼ乗らないですし。
桜島フェリーも深夜便がある理由が、鹿児島市内の病院への緊急搬送対応が目的なようで、国分垂水間はあからさまな遠回りだったようですね。
鹿児島市内へ最も短距離で行けるフェリーに対して鉄道は最初から勝ち目はなかったですね。
航空地図で志布志駅周辺を国鉄時代と現在を見比べると驚く程縮小していることが分かる。国鉄の部署があった時代は社宅があったというので、地域経済が潤ったはず。
駅構内も広くその分相当な職員数だったことでしょうし、駅周辺は賑わいをみせていたのでしょうね。
国分じゃなくて、垂水港で連絡したらよかったのに。鉄道連絡船として有能だと思う。
垂水で船へリレーするのがベストでしたね。
賛成
3路線だったのが1路線で1面1線とは、なかなか無い縮小レベルですよね。逆パターンとして、1面1線から在来線2面2線と、新幹線2路線の2面4線へと驚異と言える成長を遂げた新青森駅があります。
駅の歴史を追ってみると、とんでもない進化や衰退を知ることができて趣味の楽しさも広がりますね。
それでも急行が「大隅」「佐多」「錦江」と設定されていたんですよね。3本とも複雑怪奇な経路、編成の急行だったみたいだし。
複雑怪奇な経路やローカル線でも優等列車を維持しているところなど国鉄らしさですね。
おつかれさまです今回はサムネで志布志駅ぽかったので日南線かな?と思いきや大隅線でしたか…。日南線は特急「海幸山幸」に友人が乗りたいというのでそれに付き合うかたちで乗り通したことがあり、その際に鉄道公園も行かせてもらいました。今に至るまで大隅線の知識は皆無であり恥ずかしながらあの鉄道公園もそのような経緯で設置されていたんだなぁと今更ながら知りました。大変勉強になりました。大隅線は都市間移動の需要が無くて維持しきれず短命に終わったようですが今だったら海幸山幸のような観光列車を鹿児島中央から宮崎まで走らせるようなやり方も出来たかもしれませんね。JR九州の観光列車も苦肉の策ではあるのですが…また他の書き込みにもあったように垂水から国分ではなく桜島の方に抜けていた方がフェリー連絡需要で存続できていたかもしれませんね。
風光明媚な車窓の大隅線には観光列車はうってつけだったことでしょうね。大隅線が存続するためには、やはりフェリー連絡の役割を果たすしかなかったのかもしれないですね。
以前大隅線と志布志線の跡をたどったことがある。大変だった。桜島と錦江湾に沿って走っていたあたりは高台に線路跡があり、さぞかし車窓は良かっただろうと思いを馳せた記憶がある。ちょうど夕日の沈む美しい時間だった。懐かしい。
大隅線沿線が地元です。国分〜垂水は国分への通勤や通学需要が割化しあったと聞いています。また垂水〜鹿屋〜志布志はバスもラッシュ時は混み合う路線で乗客は割化し拾えたのではないかと思います。どちらにしろフェリーへの接続が悪かったこと本数と需要のバランスが悪すぎたことこのふたつも個人的には廃止の要因ではないかと考えています。
フェリーへの接続や通学時間帯などに合わせて柔軟なダイヤが組めていたら、もう少し違う未来があったのかもしれないですね。
海潟からの延伸は国分にではなく桜島港にしておけば、まだマシだった気がしました。
どうしても延伸するならまだそちらの方が採算性があったのかもしれないですね。国分延伸はもはや強行ですね。
桜島の旧島内の地形を考えると無理やろ。
さすがに鹿屋から鹿児島で鉄道を使おうという人はあの地形、線形では少なかったでしょうね…
鉄路だともう遠回りどころではないですね。
高校生だった1972年8月に九州旅行のついでにロケットの打ち上げを観に行くため志布志線と古江線の都城〜志布志〜高山(こうやま)の区間を乗りました。当時の古江線には気動車のほか1往復だけSL列車がありそれにも乗りました。
風光明媚な大隅線を走るSLはとても魅力的だったのでしょうね。SL現役時代の大隅線を体験できて羨ましい限りです。
ずっと残してもらいたい鉄道風景
旧志布志町出身者です。大隅線は数える程しか乗った記憶が無い。国道220号線が志布志市中心部を通っていることもあって、鹿屋市方面に行くにはバスを使ったほうが遥かに利便性が高いという事情もあったのでしょうねえ。
地元の方でも利用回数は多くなかったのですね。ルート的にもバスや自動車の方が便利ですね。
日豊本線都城に近めの志布志線が消えて、ひょろ長い日南線が全部残るとは正直意外な展開でした。鉄道利用者の動線は対宮崎方面だけなんでしょうか…。
残った日南線も相当厳しい現状ではあると思いますが、とりあえず全線復旧の見込みが立っただけでも一安心ですね。
大隅線は、82年春に志布志から直通しました。優等車格下げの気動車は、オンボロだけど乗り心地はよく、夕映えの桜島を見ながら、ゆったりと過ごしました。ただ、キハ26の2輌編成の客は、大丈夫なのかと思うほどでしたね。
国鉄型気動車に揺られ綺麗な車窓を眺めるのも良いですね。ただ2両編成でも輸送力が過剰なほど厳しい利用状況だったのですね。
瀬戸山三男議員と岩切章太郎の功罪と言う表現が正しいのかなと思う。
二階堂も
廃線路の経路をいつもグーグルマップで追いかけながら動画を観ます。大隅線のほとんどは道路に転用されていて分かりやすいですし、そのまま放置された橋台や橋梁、トンネルが残っていたり駅跡には記念公園か記念碑が建つ程度ですが往時の面影は分かりますね。志布志線は西都城から自転車専用道や一般道になって分かりやすいんふだけど、山間部に入ると痕跡が分からなくなりました。
大隅線は比較的、廃線探索をやりやすい路線なのですね。鉄道施設などが残っていると往時を想像する楽しさもありますね。
日南線がそんな事になってたなんて知らなかったな😮
志布志や鹿屋に鉄道は難しいでしょうね。鹿屋ならばフェリーの方が理に適ってますし、確かに志布志港への足は必須ですが、何もそれは鉄道である必要は無いと。然も日南線沿いならば遠回りに過ぎると思います。都城との繋がりもありますので志布志線は残しても良かったのでは?とも思いますが、ここに高規格道路を作る以上鉄道は難しいと。🤔 何にせよ志布志は交通の要所である事には間違いはなく、しかして鉄道は御役御免になったと言えましょうね。🤔
地形的にも鉄道が不利な地域で、自動車交通の発達とともにその役目を完全に終えたのですね。
@@K_zo さん志布志は交通の要所。そして鉄道の要所であった事は間違いありませんが、高規格道路というものが実現した以上、輸送手段がそれに切り替わったという事でしょうね。(志布志線を廃線にして高規格道路に付け替えるという意味) 都城との繋がりが強い地域なのに日南線は残って志布志線が廃線になる事がその証左というものでしょう。そういう意味で衰退というよりもより利便性が高い手段に切り替わったと言うべき事です。新幹線が出来て在来線特急が勇退したのと同じ事です。
・日南線や志布志線に沿って高規格道路が建設中という現実...現地は鉄道なくても活気があると言う現実...シンボルじゃ鉄道は残せない。・大隅線はフェリーと連携していれば結構化けたかも...・3セクで残す話もあったけど鹿児島県が拒否ったんだっけ?(鹿児島県は肥薩おれんじ鉄道も拒否ろうとして、熊本が単独ででも残すって言ったそうな)・日南線も南郷~志布志あたりは1日の利用者がキハ40で2両分...志布志駅の利用者は1日15人とかだっけ?今被災している日南線末端をよく復旧させるなと思うわ
大隅線を延伸したころには鉄道の役割はほとんど終えていて、県としても三セク化してまで鉄道を残すという判断はしなかったのですね。日南線も今回は復旧しますが安泰とは言えない状況ですね。
20代前半に九州には良く旅に行ってました最に,大隅線志布志線日南線には九州に行くと良く乗っていた路線でした。日南海岸周辺や鹿屋垂水鹿児島列車と船を使って,のんびりと車窓を見るのが又町中をも見るのが好きでした。その頃に収集した硬券を時々持って見直すと走馬灯のように蘇ります。
福岡に8年いて九州各地営業で周りましたが、大隅半島だけ未踏でした。商圏として都城の代理店で賄えわざわざメーカーが出向くほどの案件も無かったですが一度行ってみたかったです。大変お世話になった方が鹿屋出身で栄えていた頃の話は聞きましたが廃線までの経緯を知らなかったので勉強になりました。
大隅線は短命でしたが半島の歴史の中でも重要な部分の一つですね。
志布志-鹿屋-垂水を結ぶ大隅線が何故廃止になるのか不思議で仕方なかった。今思えば垂水-国分の建設は全く不要で、鹿児島(垂水)-鹿屋-宮崎の都市間連絡に徹すれば良かったんじゃないか?
全線開通は無理矢理な感じがありますし、国分まで延伸するならもう少し早い時期にしておいた方がよかったですね。
2年ほど前の鹿児島出張のとき、帰りを宮崎空港発に変更して、鹿児島港からフェリーとバスを2本乗り継いで志布志まで行き、日南線で宮崎まで移動しました。日豊線なら2時間ちょっとですが、6時間掛かったかな。国道沿いから旧大隈線の橋梁跡とか今も確認できましたね。確かにバスは学生さんしか乗ってなかった。日南線も車窓が美しく、いい思い出です。
大隅半島を経由すると遠回りですが景色や廃線跡など見どころも多いですね。
志布志市志布志町志布志って地名最強!まるで数列。
国分ー志布志ー鹿屋ー垂水ー鹿児島の線形が悪すぎて、時間だけかかり、利用する気にならない。72年に全線開業って、ちょうどモータリーゼーションが爆発的に増えた頃です。完全に二重投資です。色褪せたDCを見るのも忍びないね。
自動車をはじめ他の交通が発達していた中、随分と大回りする鉄道は都市間連絡の需要を拾うことは難しいですね。
鹿児島アクアラインがあれば😂
陸の孤島と呼ばれがちな鹿屋とのアクセスも便利になりそうです。
その前に桜島が頻度に噴火するから不可能です。その都度、出来たとしても不通になりかねません。フェリーが出てるようですが、これも運休したりするのでは?
もう4、50年もしたら全住民を鹿児島市に強制移住させた上で人工物を全て撤去して元の原木生い茂る自然にかえす、なんてことが行われるようになるのかもしれません。
このような地域では鉄道は廃止されても高規格道路がどんどん整備されているのでインフラ整備は続いています。そもそも強制移住自体日本では財産権の保障と居住の自由が憲法で保障されているために、災害時の避難指示でもない限りありえないことです。もし強行しようものなら裁判で国がほぼ確実に負けます。道路鉄道整備等の強制執行もハードルがかなり高い最後の切り札ですし、財産権はそれほど強いのです。
鹿屋市から鹿児島行きの高速バスもフェリーに乗るんですよね。
近くまで行ったので乗ってみたかったですがまた今度ですね。
高速バスやない。一般の市がやってるコミバス。エアメモリアルがあった頃は毎年いってました。市の中心部の位置も変わりましたね。
あの悪名高き鉄建公団・・・・・愛知では小田井と勝川(ずっと仮駅)城北線。存続15年というのは奇しくも桃花台線とおなじです。
大隅線建設の際の需要予測の甘さに関しては、城北線や桃花台線と重なりますね。
残った日南線も怪しい
今回はなんとか全線復旧となりましたが不安は尽きませんね。
この声、凄く聞き取り易い!!
昔、鹿屋に住んでいました。小学校のクラブ活動で日南線のとある駅に行く予定だったのですが、引率の先生が志布志駅で乗り換えの際、乗る列車を間違えて志布志線の列車に乗ってしまった。次の駅で降りたが、帰りの列車が無く一駅分歩くことになりました…(帰りの道もなく線路を歩いて帰ったことは内緒)むろん、志布志駅についても既に予定が過ぎているため、そのまま帰ることになりました。いい思い出です。
珍道中だったようですが、今や消えてしまった鉄路を歩いたことも貴重な体験でしたね。
昨日、鹿児島鴨池からフェリー~垂水より鹿屋経由のバス~日南線のルートで移動したところです。他の方がコメントしているように、大隅線ルートのバスは短区間で細かな乗降があり、日曜日中にも関わらず常に10人程が乗車していました。日南線代行タクシーの乗客は私のみでしたが、志布志線ルートのバス本数を鑑みると、これが最低限の交通インフラなのかなぁ…と思いました。沿線住民の高齢化が今後より進むことを踏まえると、例えば日南線南郷以南のバス転換は致し方ないにせよ、それ以上は現状が維持されるのを願うばかりです。
大隅線ルートは都市間連絡というよりは地元の方の短距離需要の方があるのですね。鉄道、バスの維持が課題となっていきそうですね。
民営化直前の廃止、これは北海道のローカル線に限った話ではなかったのか。
九州でも多くローカル線を抱えていて、廃線もやむを得ないと半ば諦めムードのところも多かったようです。
志布志の人口が10万「も」居る事に驚き!せめて志布志線だけでも残してやれば良かったのに…
沿線人口が多い分、自動車交通の発達も早かったのか全線廃止に至ってしまいましたね。
志布志は33000ほどしか居ないよ。ちゃんと調べてからにしなよ。
@@akina5683 令和2年で3万人割ってますね。
鹿屋市でしょ。本編観ましょ。🙂
@@user-rk8oo3be1v大隅半島の人の住んでないとこなので、人口はどんどん減っていきますよね。しかも船しか交通のいいのがないし。
院外責任不問の原則が有力議員のやりたい放題になった感覚
志布志懐かしい。合併前後に親が住んでた。志布志市役所が志布志市所になる頃w。動画の通り駅前がやたらとだだっ広いんですよね。列車で行くには宗太郎越が必要なので、18きっぷとムーンライト九州を使って油壷までで力尽きて迎えに来てもらうか、急行で超えるかムーンライト復活してほしいけど、指定席券だけ購入はNGにして乗車券とのセット購入を必須にしないと・・・て復活しないか
列車で行くにはなかなか大変なところですが、旅の面白さでもありますね。
日程さえ合えばフェリーもあるし、ケツの耐久一般道ドライブとかいろんなルートで道程を楽しんでましたw
鹿児島交通のバスは元関東バスですかね。まさかの3扉車
年季の入ったバスだと思っていましたが、元関東バスだったのですね。
3扉車。懐かしいね。
高校生の頃、大隅線で大崎駅から志布志駅まで通学してました。実家から大隅線が走る姿が見れてました。今は神奈川県在住で…懐かしいです。
北海道なら廃線になりそうな災害ですね。復旧希望
「日本万歳」判りました、私が考えて見ましょう~鉄道線路の両側に住居が無ければ鉄道可能です、むろん自治体の償却資産税免除は必須ですが。方法は在るけど地元民の協力や賛同を得られかでしょうね。
志布志は東京から名古屋、沖縄への50時間の最長航路のフェリーもかつては有った南九州の玄関口ですね。
鉄道よりもフェリーのイメージが強い地域ですね。
素晴らしい動画ですね
小学五年の時に買った、コロタン文庫には、路線図が記載されて、一番、長い国鉄時代の路線だったのかなと懐かしむ今。しかし、ほとんどが無人駅。
志布志市と言えば志布志事件 本当に日本の現代で起きた事件なのかと思ってしまう
鉄道は地域のシンボル…ではあるが採算性と云う現実😓
その狭間で様々なローカル線が苦境に立たされていますね。
鹿屋と志布志の間は残してほしかったな
50年近く前に大阪から列車で行きました。懐かしいな。
日南線は串間までは乗ったんですが…(^_^;)
国鉄分割民営化のためですかね。
タラレバで話をすることをお詫びします。もし日南線大隅線をななつ星in九州が走っていたら、桜島からの夕日を眺めることができる、車窓が絶景だったと思います。
せっかく鉄路を作ったのだから需要があるのであれば第三セクターでもいいから継承してほしかったですね。
大隅線沿線も鉄道を保存している箇所が多く、鉄道に全く未練がないという感じではなさそうですね。
需要がないんだから、廃止が当然。趣味的願望で鉄道は残せない。なんたってバスの10倍経費がかかるのだから。今やその転換バスも危ないほどのレベル。日南線、志布志線、大隅線とも、廃止前に乗ったけど、朝の志布志線都城発志布志行は満員だったなぁ。1~2両だったからかもしれないけど。午後の志布志発国分行は、ガラガラだった。3年くらい前に志布志線転換バスで都城から志布志まで乗ったら、まだ15時頃だというのに直通がなく、通しの乗客は私だけ。途中駅が記念館的に残されていたから、惜しい気もしたけど、これじゃねぇ。
なぜ日南線と大隅線を一本の路線にまとめなかったのでしょうかね?
志布志市志布志町大字志布志👍️✨福岡だと、若松とか田川辺りかなあ。門司港も観光無かったら危うかった。
石川県の"のと鉄道"輪島駅も輪島市なのに鉄道が廃止されて寂しいですよ
国鉄から第三セクターのと鉄道へ転換したものの、時代と共に厳しさが増していったのですね。
志布志には大阪からフェリーさんふらわあがやってきます私もさんふらわあで志布志に上陸して積んできたバイクでツーリングしたり、別の時には日南線を北上したりしました
港町とあって遠方とのアクセスはフェリーが便利ですね。
寂しい
日南線には需要そこそこありました志布志、大隅線はダメだった志布志線は施設改修が必要だった
志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所ね🎵その看板は???折角、志布志行ったら映さんとね🎵🎵🎵残念❗wwwちょっと、お硬い系???ユーモアも必要よ🎵🎵🎵
大隅線、短命でしたね。一度乗りつぶしできました。日南線が青島という観光地を持っているのに対し、大隅線は観光地なかったですね。宮崎は、新婚旅行客目当てのご利用がほとんどです。ハワイにお客を奪われました。大隅線はロケットの発射基地があるだけでしたね。
鹿屋市は海軍→海上自衛隊の大基地ですね。
観光名所があるからいいとか、ないからダメということはない。観光目当てだけでは季節による利用者の波動は大きいし、長続きしない。日南線も大隅線も、沿線に目立った都市があり固定客が見込まれたから建設されたのであり必ずしも観光客を当てにしたわけではない。ただその後には自動車交通の台頭、道路事情の改善、それに沿線人口の減少過疎化もあり路線は斜陽化していく。志布志市は大隅半島における重要な海上交通の拠点でもあり大きな港湾がある。鉄道路線として日南線だけが残されているのは、大隅半島側の拠点と宮崎県との間での輸送需要が比較的あったためと、途中に日南市という港もある都市の存在が大きいのではと思う。
大隅線の車窓は風光明媚な部分も多かったようで、存続していたら観光列車が走っていたかもしれないですね。
@@K_zo さん最近の物価高の現状をみると、国鉄末期の80年代での情勢と似ている気がするのは私だけ?観光列車が運転されても、今の時代に気軽に乗りに来る客はいるのか疑問です。理由は運賃・料金の負担に対する拒否反応。安くなければ乗りません。80年代まで健在だった地方鉄道が廃れていったのには自動車交通の台頭もありますが、国鉄末期に毎年のように運賃値上げが実施され「国鉄は高い」という印象を消費者へ与えてしまったのも大きいです。
@@jamesjacobsen7824 いや、国鉄高いって、それ大都市圏なら言えますが、地方で電車使う方言いませんよ、鹿児島何か鹿児島交通無くなってから私鉄無いし。他府県がワーワー言った影響もろかぶりしたからでしょ?国鉄高いって。それこそ他の県民の方々の気持ち考えんやり方ですよね。
このまま廃止かな…
バァちゃんの家付近走ってたなぁ~残念。
夕張と勘違いした
BGMがノイジーかと。
僅か15年で廃止お金の無駄使いです、これたからJRになって当たりまえです。
この状況を喜んでいるような楽しそうなBGMですね
ありがとうございます。
志布志駅が移設されていたとは知りませんでした。かつては志布志線、大隅線の要衝だったのですが。かつての志布志駅の、三方面の列車案内板が懐かしいです。
話は異なりますが、都城駅高架化の際に、志布志線の分岐部分も作られましたが、それらは使用しないまま廃線となったようです。
大隅線、志布志線、これまた廃線に思いを馳せるロマンがあります。
移設前の志布志駅構内の跡地は商業施設などが整備されていて面影はなくなっていますね。
ちなみに志布志線の一部高架化された区間はわずかですが7年ほど使用していたようでした。
道路は税金でガンガン投資されるのに鉄道は全て自腹であまつさえ固定資産税まで取られるのだから、競争にならない
公平な競争の上で非合理的なら廃止も仕方がないが本当にそうなのか?と思う
災害によって寸断された鉄道は近年復帰が困難になる事が多いですね💦
鉄道ファンとしては悲しい現実です😥
災害の規模が馬鹿でかいのか予算でないのか
見ていて懐かしさが蘇りました、大隅線は国分から志布志迄の片道に一度だけ乗りました、志布志線は新婚旅行で西都城から鵜戸神宮へ行くのに乗った記憶が蘇りました。
大隅線を乗り通されたことがあるのですね。羨ましい限りです。
海外旅行がメジャーになる以前の宮崎は、新婚旅行などで人気観光地だったようですね。
南九州や北海道、鉄道路線はだいぶ寂しくなりましたね……。
国鉄末期にローカル線がかなり整理されましたね。
日南線は沿線の道路が大渋滞することもあり、宮崎市付近では大きな役割を果たしていると思いますが、全線で見ると厳しいですね。大隅線や志布志線は需要がありそうですが、残っているバスの本数を見ると仕方がないかなと思ってしまいます。特に志布志線代替バスは恐ろしい勢いで本数が減っていきました。大隅線沿線はそこそこ住宅も立ち並んでいるようで廃止はちょっともったいなかったと思いますが、遠回りなので競争力が低かったのでしょう。
どの路線も存廃の基準の一つとして沿線の道路の充実があげられますね。
大隅、志布志線ではやはり大隅線の方が需要はあったのでしょうが、ルートからしても都市間連絡の需要は拾えないですね。
志布志線の沿線は歴史的には同一経済圏で、曽於市から都城市に通勤する人は今でも普通にいますし、志布志港から曽於市都城市に大量の飼料が運搬されていたりします。でも、同じ台地上にある都城市と曽於市の間に県境があって学区が分断されるんで、通学需要が極めて稀薄なんですよねえ。大人ならば・貨物ならば、鉄道や高速バスだったらとにかく、長距離の路線バスにはほぼ乗らないですし。
桜島フェリーも深夜便がある理由が、鹿児島市内の病院への緊急搬送対応が目的なようで、国分垂水間はあからさまな遠回りだったようですね。
鹿児島市内へ最も短距離で行けるフェリーに対して鉄道は最初から勝ち目はなかったですね。
航空地図で志布志駅周辺を国鉄時代と現在を見比べると驚く程縮小していることが分かる。国鉄の部署があった時代は社宅があったというので、地域経済が潤ったはず。
駅構内も広くその分相当な職員数だったことでしょうし、駅周辺は賑わいをみせていたのでしょうね。
国分じゃなくて、垂水港で連絡したらよかったのに。鉄道連絡船として有能だと思う。
垂水で船へリレーするのがベストでしたね。
賛成
3路線だったのが1路線で1面1線とは、なかなか無い縮小レベルですよね。
逆パターンとして、1面1線から在来線2面2線と、新幹線2路線の2面4線へと驚異と言える成長を遂げた新青森駅があります。
駅の歴史を追ってみると、とんでもない進化や衰退を知ることができて趣味の楽しさも広がりますね。
それでも急行が「大隅」「佐多」「錦江」と設定されていたんですよね。
3本とも複雑怪奇な経路、編成の急行だったみたいだし。
複雑怪奇な経路やローカル線でも優等列車を維持しているところなど国鉄らしさですね。
おつかれさまです
今回はサムネで志布志駅ぽかったので日南線かな?と思いきや
大隅線でしたか…。日南線は特急「海幸山幸」に友人が乗りたいというのでそれに付き合うかたちで乗り通したことがあり、その際に鉄道公園も行かせてもらいました。今に至るまで大隅線の知識は皆無であり恥ずかしながらあの鉄道公園もそのような経緯で設置されていたんだなぁと今更ながら知りました。大変勉強になりました。
大隅線は都市間移動の需要が無くて維持しきれず短命に終わったようですが
今だったら海幸山幸のような観光列車を鹿児島中央から宮崎まで走らせるようなやり方も出来たかもしれませんね。JR九州の観光列車も苦肉の策ではあるのですが…
また他の書き込みにもあったように垂水から国分ではなく桜島の方に抜けていた方がフェリー連絡需要で存続できていたかもしれませんね。
風光明媚な車窓の大隅線には観光列車はうってつけだったことでしょうね。
大隅線が存続するためには、やはりフェリー連絡の役割を果たすしかなかったのかもしれないですね。
以前大隅線と志布志線の跡をたどったことがある。大変だった。
桜島と錦江湾に沿って走っていたあたりは高台に線路跡があり、
さぞかし車窓は良かっただろうと思いを馳せた記憶がある。
ちょうど夕日の沈む美しい時間だった。懐かしい。
大隅線沿線が地元です。
国分〜垂水は国分への通勤や通学需要が割化しあったと聞いています。
また垂水〜鹿屋〜志布志はバスもラッシュ時は混み合う路線で乗客は割化し拾えたのではないかと思います。
どちらにしろフェリーへの接続が悪かったこと
本数と需要のバランスが悪すぎたこと
このふたつも個人的には廃止の要因ではないかと考えています。
フェリーへの接続や通学時間帯などに合わせて柔軟なダイヤが組めていたら、もう少し違う未来があったのかもしれないですね。
海潟からの延伸は国分にではなく桜島港にしておけば、まだマシだった気がしました。
どうしても延伸するならまだそちらの方が採算性があったのかもしれないですね。
国分延伸はもはや強行ですね。
桜島の旧島内の地形を考えると無理やろ。
さすがに鹿屋から鹿児島で鉄道を使おうという人はあの地形、線形では少なかったでしょうね…
鉄路だともう遠回りどころではないですね。
高校生だった1972年8月に九州旅行のついでにロケットの打ち上げを観に行くため志布志線と古江線の都城〜志布志〜高山(こうやま)の区間を乗りました。当時の古江線には気動車のほか1往復だけSL列車がありそれにも乗りました。
風光明媚な大隅線を走るSLはとても魅力的だったのでしょうね。
SL現役時代の大隅線を体験できて羨ましい限りです。
ずっと残してもらいたい鉄道風景
旧志布志町出身者です。
大隅線は数える程しか乗った記憶が無い。
国道220号線が志布志市中心部を通っていることもあって、鹿屋市方面に行くにはバスを使ったほうが遥かに利便性が高いという事情もあったのでしょうねえ。
地元の方でも利用回数は多くなかったのですね。
ルート的にもバスや自動車の方が便利ですね。
日豊本線都城に近めの志布志線が消えて、ひょろ長い日南線が全部残るとは正直意外な展開でした。
鉄道利用者の動線は対宮崎方面だけなんでしょうか…。
残った日南線も相当厳しい現状ではあると思いますが、とりあえず全線復旧の見込みが立っただけでも一安心ですね。
大隅線は、82年春に志布志から直通しました。優等車格下げの気動車は、オンボロだけど乗り心地はよく、夕映えの桜島を見ながら、ゆったりと過ごしました。ただ、キハ26の2輌編成の客は、大丈夫なのかと思うほどでしたね。
国鉄型気動車に揺られ綺麗な車窓を眺めるのも良いですね。
ただ2両編成でも輸送力が過剰なほど厳しい利用状況だったのですね。
瀬戸山三男議員と岩切章太郎の功罪と言う表現が正しいのかなと思う。
二階堂も
廃線路の経路をいつもグーグルマップで追いかけながら動画を観ます。大隅線のほとんどは道路に転用されていて分かりやすいですし、そのまま放置された橋台や橋梁、トンネルが残っていたり駅跡には記念公園か記念碑が建つ程度ですが往時の面影は分かりますね。
志布志線は西都城から自転車専用道や一般道になって分かりやすいんふだけど、山間部に入ると痕跡が分からなくなりました。
大隅線は比較的、廃線探索をやりやすい路線なのですね。
鉄道施設などが残っていると往時を想像する楽しさもありますね。
日南線がそんな事になってたなんて知らなかったな😮
志布志や鹿屋に鉄道は難しいでしょうね。鹿屋ならばフェリーの方が理に適ってますし、確かに志布志港への足は必須ですが、何もそれは鉄道である必要は無いと。然も日南線沿いならば遠回りに過ぎると思います。都城との繋がりもありますので志布志線は残しても良かったのでは?とも思いますが、ここに高規格道路を作る以上鉄道は難しいと。🤔 何にせよ志布志は交通の要所である事には間違いはなく、しかして鉄道は御役御免になったと言えましょうね。🤔
地形的にも鉄道が不利な地域で、自動車交通の発達とともにその役目を完全に終えたのですね。
@@K_zo さん
志布志は交通の要所。そして鉄道の要所であった事は間違いありませんが、高規格道路というものが実現した以上、輸送手段がそれに切り替わったという事でしょうね。(志布志線を廃線にして高規格道路に付け替えるという意味) 都城との繋がりが強い地域なのに日南線は残って志布志線が廃線になる事がその証左というものでしょう。そういう意味で衰退というよりもより利便性が高い手段に切り替わったと言うべき事です。新幹線が出来て在来線特急が勇退したのと同じ事です。
・日南線や志布志線に沿って高規格道路が建設中という現実...現地は鉄道なくても活気があると言う現実...シンボルじゃ鉄道は残せない。
・大隅線はフェリーと連携していれば結構化けたかも...
・3セクで残す話もあったけど鹿児島県が拒否ったんだっけ?(鹿児島県は肥薩おれんじ鉄道も拒否ろうとして、熊本が単独ででも残すって言ったそうな)
・日南線も南郷~志布志あたりは1日の利用者がキハ40で2両分...志布志駅の利用者は1日15人とかだっけ?今被災している日南線末端をよく復旧させるなと思うわ
大隅線を延伸したころには鉄道の役割はほとんど終えていて、県としても三セク化してまで鉄道を残すという判断はしなかったのですね。
日南線も今回は復旧しますが安泰とは言えない状況ですね。
20代前半に九州には良く旅に行ってました最に,大隅線志布志線日南線には九州に行くと良く乗っていた路線でした。
日南海岸周辺や鹿屋垂水鹿児島列車と船を使って,のんびりと車窓を見るのが又町中をも見るのが好きでした。
その頃に収集した硬券を時々持って見直すと走馬灯のように蘇ります。
福岡に8年いて九州各地営業で周りましたが、大隅半島だけ未踏でした。商圏として都城の代理店で賄えわざわざメーカーが出向くほどの案件も無かったですが一度行ってみたかったです。大変お世話になった方が鹿屋出身で栄えていた頃の話は聞きましたが廃線までの経緯を知らなかったので勉強になりました。
大隅線は短命でしたが半島の歴史の中でも重要な部分の一つですね。
志布志-鹿屋-垂水を結ぶ大隅線が何故廃止になるのか不思議で仕方なかった。今思えば垂水-国分の建設は全く不要で、鹿児島(垂水)-鹿屋-宮崎の都市間連絡に徹すれば良かったんじゃないか?
全線開通は無理矢理な感じがありますし、国分まで延伸するならもう少し早い時期にしておいた方がよかったですね。
2年ほど前の鹿児島出張のとき、帰りを宮崎空港発に変更して、
鹿児島港からフェリーとバスを2本乗り継いで志布志まで行き、日南線で宮崎まで移動しました。
日豊線なら2時間ちょっとですが、6時間掛かったかな。
国道沿いから旧大隈線の橋梁跡とか今も確認できましたね。確かにバスは学生さんしか乗ってなかった。
日南線も車窓が美しく、いい思い出です。
大隅半島を経由すると遠回りですが景色や廃線跡など見どころも多いですね。
志布志市志布志町志布志って地名最強!まるで数列。
国分ー志布志ー鹿屋ー垂水ー鹿児島の線形が悪すぎて、時間だけかかり、利用する気にならない。72年に全線開業って、ちょうどモータリーゼーションが爆発的に増えた頃です。完全に二重投資です。色褪せたDCを見るのも忍びないね。
自動車をはじめ他の交通が発達していた中、随分と大回りする鉄道は都市間連絡の需要を拾うことは難しいですね。
鹿児島アクアラインがあれば😂
陸の孤島と呼ばれがちな鹿屋とのアクセスも便利になりそうです。
その前に桜島が頻度に噴火するから不可能です。その都度、出来たとしても不通になりかねません。
フェリーが出てるようですが、これも運休したりするのでは?
もう4、50年もしたら全住民を鹿児島市に強制移住させた上で人工物を全て撤去して元の原木生い茂る自然にかえす、なんてことが行われるようになるのかもしれません。
このような地域では鉄道は廃止されても高規格道路がどんどん整備されているのでインフラ整備は続いています。
そもそも強制移住自体日本では財産権の保障と居住の自由が憲法で保障されているために、災害時の避難指示でもない限りありえないことです。
もし強行しようものなら裁判で国がほぼ確実に負けます。道路鉄道整備等の強制執行もハードルがかなり高い最後の切り札ですし、財産権はそれほど強いのです。
鹿屋市から鹿児島行きの高速バスもフェリーに乗るんですよね。
近くまで行ったので乗ってみたかったですがまた今度ですね。
高速バスやない。一般の市がやってるコミバス。
エアメモリアルがあった頃は毎年いってました。市の中心部の位置も変わりましたね。
あの悪名高き鉄建公団・・・・・愛知では小田井と勝川(ずっと仮駅)城北線。
存続15年というのは奇しくも桃花台線とおなじです。
大隅線建設の際の需要予測の甘さに関しては、城北線や桃花台線と重なりますね。
残った日南線も怪しい
今回はなんとか全線復旧となりましたが不安は尽きませんね。
この声、凄く聞き取り易い!!
昔、鹿屋に住んでいました。
小学校のクラブ活動で日南線のとある駅に行く予定だったのですが、
引率の先生が志布志駅で乗り換えの際、乗る列車を間違えて志布志線の列車に乗ってしまった。
次の駅で降りたが、帰りの列車が無く一駅分歩くことになりました…
(帰りの道もなく線路を歩いて帰ったことは内緒)
むろん、志布志駅についても既に予定が過ぎているため、そのまま帰ることになりました。
いい思い出です。
珍道中だったようですが、今や消えてしまった鉄路を歩いたことも貴重な体験でしたね。
昨日、鹿児島鴨池からフェリー~垂水より鹿屋経由のバス~日南線のルートで移動したところです。
他の方がコメントしているように、大隅線ルートのバスは短区間で細かな乗降があり、日曜日中にも関わらず常に10人程が乗車していました。日南線代行タクシーの乗客は私のみでしたが、志布志線ルートのバス本数を鑑みると、これが最低限の交通インフラなのかなぁ…と思いました。
沿線住民の高齢化が今後より進むことを踏まえると、例えば日南線南郷以南のバス転換は致し方ないにせよ、それ以上は現状が維持されるのを願うばかりです。
大隅線ルートは都市間連絡というよりは地元の方の短距離需要の方があるのですね。
鉄道、バスの維持が課題となっていきそうですね。
民営化直前の廃止、これは北海道のローカル線に限った話ではなかったのか。
九州でも多くローカル線を抱えていて、廃線もやむを得ないと半ば諦めムードのところも多かったようです。
志布志の人口が10万「も」居る事に驚き!
せめて志布志線だけでも残してやれば良かったのに…
沿線人口が多い分、自動車交通の発達も早かったのか全線廃止に至ってしまいましたね。
志布志は33000ほどしか居ないよ。
ちゃんと調べてからにしなよ。
@@akina5683 令和2年で3万人割ってますね。
鹿屋市でしょ。本編観ましょ。🙂
@@user-rk8oo3be1v
大隅半島の人の住んでないとこなので、人口はどんどん減っていきますよね。
しかも船しか交通のいいのがないし。
院外責任不問の原則が有力議員のやりたい放題になった感覚
志布志懐かしい。合併前後に親が住んでた。志布志市役所が志布志市所になる頃w。動画の通り駅前がやたらとだだっ広いんですよね。
列車で行くには宗太郎越が必要なので、18きっぷとムーンライト九州を使って油壷までで力尽きて迎えに来てもらうか、急行で超えるか
ムーンライト復活してほしいけど、指定席券だけ購入はNGにして乗車券とのセット購入を必須にしないと・・・て復活しないか
列車で行くにはなかなか大変なところですが、旅の面白さでもありますね。
日程さえ合えばフェリーもあるし、
ケツの耐久一般道ドライブとか
いろんなルートで道程を楽しんでましたw
鹿児島交通のバスは元関東バスですかね。まさかの3扉車
年季の入ったバスだと思っていましたが、元関東バスだったのですね。
3扉車。懐かしいね。
高校生の頃、大隅線で大崎駅から志布志駅まで通学してました。実家から大隅線が走る姿が見れてました。今は神奈川県在住で…懐かしいです。
北海道なら廃線になりそうな災害ですね。復旧希望
「日本万歳」
判りました、私が考えて見ましょう~
鉄道線路の両側に住居が無ければ鉄道可能です、
むろん自治体の償却資産税免除は必須ですが。
方法は在るけど地元民の協力や賛同を得られかでしょうね。
志布志は東京から名古屋、沖縄への50時間の最長航路のフェリーもかつては有った南九州の玄関口ですね。
鉄道よりもフェリーのイメージが強い地域ですね。
素晴らしい動画ですね
小学五年の時に買った、コロタン文庫には、路線図が記載されて、
一番、長い国鉄時代の路線だったのかなと懐かしむ今。
しかし、ほとんどが無人駅。
志布志市と言えば志布志事件 本当に日本の現代で起きた事件なのかと思ってしまう
鉄道は地域のシンボル…ではあるが採算性と云う現実😓
その狭間で様々なローカル線が苦境に立たされていますね。
鹿屋と志布志の間は残してほしかったな
50年近く前に大阪から列車で行きました。懐かしいな。
日南線は串間までは乗ったんですが…(^_^;)
国鉄分割民営化のためですかね。
タラレバで話をすることをお詫びします。もし日南線大隅線をななつ星in九州が走っていたら、桜島からの夕日を眺めることができる、車窓が絶景だったと思います。
せっかく鉄路を作ったのだから需要があるのであれば第三セクターでもいいから継承してほしかったですね。
大隅線沿線も鉄道を保存している箇所が多く、鉄道に全く未練がないという感じではなさそうですね。
需要がないんだから、廃止が当然。趣味的願望で鉄道は残せない。なんたってバスの10倍経費がかかるのだから。今やその転換バスも危ないほどのレベル。
日南線、志布志線、大隅線とも、廃止前に乗ったけど、朝の志布志線都城発志布志行は満員だったなぁ。1~2両だったからかもしれないけど。午後の志布志発国分行は、ガラガラだった。
3年くらい前に志布志線転換バスで都城から志布志まで乗ったら、まだ15時頃だというのに直通がなく、通しの乗客は私だけ。途中駅が記念館的に残されていたから、惜しい気もしたけど、これじゃねぇ。
なぜ日南線と大隅線を一本の路線にまとめなかったのでしょうかね?
志布志市志布志町大字志布志👍️✨
福岡だと、若松とか田川辺りかなあ。門司港も観光無かったら危うかった。
石川県の"のと鉄道"輪島駅も輪島市なのに鉄道が廃止されて寂しいですよ
国鉄から第三セクターのと鉄道へ転換したものの、時代と共に厳しさが増していったのですね。
志布志には大阪からフェリーさんふらわあがやってきます
私もさんふらわあで志布志に上陸して積んできたバイクでツーリングしたり、別の時には日南線を北上したりしました
港町とあって遠方とのアクセスはフェリーが便利ですね。
寂しい
日南線には需要そこそこありました
志布志、大隅線はダメだった
志布志線は施設改修が必要だった
志布志市志布志町志布志の
志布志市役所志布志支所ね🎵
その看板は???
折角、志布志行ったら
映さんとね🎵🎵🎵
残念❗www
ちょっと、お硬い系???
ユーモアも必要よ🎵🎵🎵
大隅線、短命でしたね。
一度乗りつぶしできました。
日南線が青島という観光地を持っているのに対し、大隅線は観光地なかったですね。
宮崎は、新婚旅行客目当てのご利用がほとんどです。ハワイにお客を奪われました。
大隅線はロケットの発射基地があるだけでしたね。
鹿屋市は海軍→海上自衛隊の大基地ですね。
観光名所があるからいいとか、ないからダメということはない。観光目当てだけでは季節による利用者の波動は大きいし、長続きしない。日南線も大隅線も、沿線に目立った都市があり固定客が見込まれたから建設されたのであり必ずしも観光客を当てにしたわけではない。
ただその後には自動車交通の台頭、道路事情の改善、それに沿線人口の減少過疎化もあり路線は斜陽化していく。
志布志市は大隅半島における重要な海上交通の拠点でもあり大きな港湾がある。鉄道路線として日南線だけが残されているのは、大隅半島側の拠点と宮崎県との間での輸送需要が比較的あったためと、途中に日南市という港もある都市の存在が大きいのではと思う。
大隅線の車窓は風光明媚な部分も多かったようで、存続していたら観光列車が走っていたかもしれないですね。
@@K_zo さん
最近の物価高の現状をみると、国鉄末期の80年代での情勢と似ている気がするのは私だけ?
観光列車が運転されても、今の時代に気軽に乗りに来る客はいるのか疑問です。理由は運賃・料金の負担に対する拒否反応。安くなければ乗りません。
80年代まで健在だった地方鉄道が廃れていったのには自動車交通の台頭もありますが、国鉄末期に毎年のように運賃値上げが実施され「国鉄は高い」という印象を消費者へ与えてしまったのも大きいです。
@@jamesjacobsen7824 いや、国鉄高いって、それ大都市圏なら言えますが、地方で電車使う方言いませんよ、鹿児島何か鹿児島交通無くなってから私鉄無いし。
他府県がワーワー言った影響もろかぶりしたからでしょ?
国鉄高いって。それこそ他の県民の方々の気持ち考えんやり方ですよね。
このまま廃止かな…
バァちゃんの家付近走ってたなぁ~残念。
夕張と勘違いした
BGMがノイジーかと。
僅か15年で廃止お金の無駄使いです、これたからJRになって当たりまえです。
この状況を喜んでいるような楽しそうなBGMですね