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小学生の頃、長大編成のキハ58夜行急行出羽で山形から上野まで乗りましたが、ボックス席は満席で通路に寝る人も居た始末。おまけに煙草OKだったので、煙たなびく室内でずっと窓は解放、ディーゼルの排気で顔はベトベトになり、上野駅に着いて乗客達が真っ先に駅の洗面台で顔を洗ってました。懐かしいw
失礼とは思いますが、今となっては「ちょっとした思い出」でしょう。当時まだあったのですね、洗面所が、…
もっと古い時代は、SL列車だったので、駅には蛇口が必ずありました。特に大きい駅には、蛇口がたくさん並んでいました。上野駅の蛇口の大行列は、壮観ですらありました。
800番台は少し黄色がかった車体(晩年は一般色)でしたね。九州の門カタに配備されてました。デッキとの仕切戸の客室側の上にスピードメーターがありました。
上野駅を発着するディーゼルの夜行列車は、臨時(夏季や年末年始など)では、みやぎのや蔵王やつばさなどで存在したようです。
急行出羽は昼間の急行ざおう・磐越西線経由で上野と新潟を結ぶ急行いいでとも共通運用を組んでいた。急行ざおうは季節列車だったから、ざおうが運休の時はいいでの編成以外は郡山で解連結していた。ひょっとしたら只見線を運転していた急行奥只見の運用も絡んでいたかも知れない。
急行出羽の運用を知りたかったですね。複雑な運用だったように思います。あくまで時刻表上からの推察になりますが、酒田到着後は折り返し急行月山で山形へ戻っていたようです。同様に上りの出羽も山形から急行月山で送り込みされていたようです。
ヨンサントウなら「優等列車編成順序表」から運用が判ります。新潟/酒田行キロ込み3両が新潟3、若松/山形切り落としハ3両が郡山1、山形/新庄切り落としキロ込み6両が山形51~54となってます。
昭和57年、山形から上野まで乗りましたが、線形の良い東北本線の架線下DCとして、キハ58のDML17エンジンが爆音を響かせて快走する出羽号に思い入れがあります。 北海道ワイド周遊券で北海道の旅を終えて帰りに乗った時です。
南東北ワイド周遊券での旅。行きは鈍行123列車、帰りは山形から急行「出羽」がもっぱらでした。山形から3両(たしか)増結するのですが、これ左沢線の運用車両がそのまま該当。いつもキハ28の修学旅行用800番台が連結されてて、運が良ければ簡易ベッドのボックスシートをゲットできたものです。乗るのはいつも土曜日の晩、山形駅の待合室ではNHK総合TVで「刑事コロンボ」観てからの乗車w 番組終了のタイミングで改札案内が始まるところ、山形駅員さんも意識してたのでしょうww大宮を出て少しすると気動車チャイムと共に長い案内放送。いま考えるととっても贅沢な旅だったと、思います。
当時は出稼ぎで東京方面に来ていた人たちの上京や帰省にもよく利用されていたのでしょうね。
東北方面行きの急行が遅くまで残ったのは、出稼ぎ労働者の料金負担を軽減するためだと聞いたことがあります。私が最後に夜行急行に乗ったのはちょうど30年前の夏。ワイド周遊券を利用して関西からわざわざ東京を経由して北海道旅行をしたのですが、その時上野から乗った急行八甲田の臨時便がボックスシートの12系客車で旅情感がありました。
急行出羽と聞くだけで寝付けない、朝方気だるい、昼間も寝不足の想い出。さすがはキハ58、客車急行津軽の方が天国。
そういえば特急「白鳥」青森行に乗っていて酒田到着時に反対のホームに停まっていたのを思い出しました。今はKatoの急行「いいで」「ざおう」セットを弄りながら思いを致す日々を送っております...
気動車の夜行急行は珍しいですね。1982年11月の東北新幹線開業によるダイヤ改正で急行出羽は廃止されるも2代目の出羽が急行鳥海を格上げする形で上野~秋田間を上越線、羽越本線経由の寝台特急とし11年運転され鳥海の愛称は改正前の上野~青森間の特急いなほを引き継ぐ形で特急列車となっています。
朝、酒田到着後直ぐに急行月山になり県庁の山形市へ行くビジネス急行になった。キハ58系は戦後のモーレツ社員と同じ様に働いた。その当時赤塚不二夫のモーレツア太郎というマンガもあったぐらいだ。
庄内地方の人たちは急行鳥海(セレブは特急あけぼのと同じ20系使用の寝台急行天の川)を使ってたらしいです
昔、快速海峡からの乗り継ぎで函館からミッドナイトに乗った事がありますが、夜行で騒音と振動はキツイですね。客車の有り難さをヒシと感じました。
その昔、出羽の昼間運用の「いいで」で上野から父の実家のある会津若松まで乗ったことがあります。中学鉄道研究部の合宿で自由席は夏なのに非冷房で、窓全開でした!
名古屋発の高山本線夜行・急行『のりくら 9号』を乗り通した事があります。美濃太田までで多くの乗客は降りてしまい、4人掛け 1ボックス占有出来ました。長岡夜行 115系の、新清水トンネル通過時の爆音に慣れていると、キハ58のエンジン音なんてカワイイものです。山形新幹線の酒田延伸?あり得ませんね。その昔、新潟駅 19:17発・東京駅 20:51着の『スーパーあさひ 6号』が存在した頃、鶴岡駅 16:30頃発の『いなほ』に乗ると、新潟駅での乗り換え時間が約 40分あり、駅周辺で買い物も可能でした。それに対抗出来ますかね~。😏
板谷峠は補機無しで走っていたんですかねぇ。夜行だし、時間をかければ登り降り出来たって事? キハ181系が単独で走ったらオーバーヒートした話は割りと有名だから色々考えてしまいました?
昭和57年11月改正前までは、上野発着の東北線の東北方面、磐越西線方面への気動車急行(「いいで」「ざおう」「出羽」「おが」:いずれも58系気動車)などを見ることもできました。この3年後の昭和60年3月改正で、定期気動車急行列車の上野乗り入れは、常磐線、水郡線の急行「ときわ」「奥久慈」併結列車(主にキハ28の編成)を最後に、東京23区内乗り入れの気動車列車は皆無になりました(毎年恒例の臨時夏季海水浴気動車急行列車「おおあらい」「あじがうら」併結列車(主にキハ28の編成)は昭和60年8月まで。同臨時夏季海水浴気動車「快速」列車「おおあらい」「あじがうら」併結列車(同編成)は昭和62年8月まで(単発の臨時気動車列車を除く。)。)。なお、これらの改正は、東北新幹線の1982(昭和57)年6月23日の大宮⇔盛岡間の開業、そして、1985(昭和60)年3月14日の東北新幹線、上野延伸開業と期を一にしています。
当時の国鉄の運転士さんはディーゼルも電車(電気機関車)両方の免許持っていた人も多かったから上野へディーゼル車が乗り入れできたようです
急行出羽号よく利用してました。懐かしいですね。長大編成の出羽号は当時圧巻でした。また懐かしの出羽号で復活運転して欲しいですね。酒田から上野まで。当時の気動車で。
気動車の夜行で乗ったことがあるのは「ちどり」と「紀州」乗ったことはありませんが、他に「きのくに」もありましたね
北海道で快速「ミッドナイト」に乗りましたし、他にキハ183系夜行にも乗ったことがあります。気動車でしたがそれほど音は気になりませんでしたね。「ミッドナイト」のカーペット車は床下のエンジン振動がむしろ心地よかった思い出も。
エンジン騒音も「鉄」にとっては子守唄、ってかぁ!
そういえば北海道は急行型でも二重窓なんですよね。エンジン音には強い構造だったかも。
気動車夜行急行というと「のりくら」を思い出します。「のりくら」は高山本線の急行でしたが、名古屋ー高山ー金沢間に夜行が1往復設定されておりました。今の感覚じゃ考えられないような運用です。昭和50年代には廃止されてしまったので今の若い人は知らないでしょうね。
多分最後の気動車夜行急行ってエーデル北近畿/鳥取車を使用した「だいせん」じゃなかったでしたかね?
夜行「のりくら」の下り便(名古屋発)だけ、年の半分くらい、金沢から七尾・能登線経由で珠洲まで延長されてたな(実際の急行区間は穴水まで・以遠は定期普通列車にチェンジ)。
米沢在住時、津軽が取れなかった時には出羽に乗った。学生で寝台を取れる身分ではなかったからどっちでも大した違いはなかった。
急行出羽。中学を卒業し高校入学までの春休みに、親に内緒で東京へ日帰り旅行した時に乗りました。ボックスシートに友人と二人、酷い体勢で寝た事を思い出しました。
寝台特急出羽号は上越新幹線大宮暫定開業と共に誕生し、青森「いなほ」は「鳥海」と名称変更され系統としてそのまま残ったのです。
ディーゼル夜行急行といえば大阪長野間のちくま号もありました。この列車はヨンハチナナダイヤ改正の時点で全線電化されていて架線化ディーゼル急行である。。間合い運用で急行越後・ゆのくにに使われていたけど、ディーゼル急行で運転する理由見当たらずゴツサントウ白紙ダイヤ改正では20系+12系の客車列車に置き換えられた。いっぽう越後は特急雷鳥に格上げされて、消滅した。この越後はヨンサントウ白紙ダイヤ改正までは、きたぐにの愛称だった。きたぐにの愛称はそれまでの急行日本海を改称して大阪青森間の愛称になった。その他の気動車急行だとのりくらやうわじまもあった。また繁忙期には特急しなのやつばさも181系で夜行運転された。かなり酷使されていて現場の整備は大変だっと思う。
気動車夜行と聞くと臨時列車ですが岩国〜鳥取を結んだ夜行 ちどりを思い出す私。父親が広島大学に当時、居たので帰省で良く利用していたのだとか。
気動車ではありませんが、489系(?)の夜行急行能登号に乗って石川県に旅行行った事があります。特急型車両でしたけど座席車両であまりリクライニングを倒せずなかなか寝付けませんでしたね。
「通」はあえて座席を選択せず、ラウンジで横になってたらしい。→横見浩彦氏がそうしてたらしいヨ。
急行能登は眠れなかったですよね!特に碓氷峠の振動がきつかったです。
懐かしいですね。カセットテープを何巻もとっかえひっかえして走行音を全部録音したのが残ってます
夜行気動車って独特の雰囲気がありますね。なんだろう、目をつむれば、油の匂いと振動が...S38生です。
夜行のDC列車というと、客車からキハ65改エーデルに変わった急行「だいせん」や、函館~札幌の快速「ミッドナイト」がありましたっけ。
末期の急行だいせんを大阪駅で見たことがありますが、仰るように改造気動車でしたがたったの2両で、惨めでしたね。
急行はまなすの自由席は発電機付きだったのでうるさくて眠りにくかったが、気動車だとさらにうるさかったんだろうな…
深夜の函館駅で停車中のDC快速ミッドナイトの増結した自由席に座ってみたものの、アイドリングでもとてもうるさくて寝れそうにないので、後続のはまなすに乗った覚えがありますな。(ヽ´ω`)
国鉄時代、道内の大雪 、利尻、マリモ??寝台急行14系の緩急車は常時8割のスロットルみたいで唸り、58系よりうるさい感じがしました。
30年前に上野と三沢の間を乗った急行の八甲田の禁煙車の指定席がスハフ14で、床下にディーゼルの発電機を搭載していましたが、眠るのに差し支えはなかったと思います。
若い頃、昭和50年か51年前後、サイクリング(輪行)目的で上野から酒田まで全区間乗りましたよ。 酒田に着いたらすぐに自転車組み立てて走り始めるので、動画の説明にあるように、津軽の寝台車で新庄までも考えましたが、グリーン車を奮発しました。 朝の8時台に着くので、輪行するにはもう少し早くついたほうが良かったけれど、途中で乗り替えるよりは一本で終着駅まで行けるのは便利でしたよね。 充分には寝れなかったけれど、真っ暗な板谷峠をフル編成で下る姿は、窓から見ても壮観だったのを覚えています。 当時私は勤めていましたが、同じグリーン車には全国大会?の試合の帰りとおぼしき運動部の高校生達がのっていて、贅沢だなあ・・と思った記憶がありました。そして酒田の駅前にはその高校生達を迎えるたくさんの人達が集まっていましたね。 その横で私は自転車を組み立てて、陸羽西線~陸羽東線沿いに古川まで一日コースでサイクリングしてきました。 当時東京に住んでいたので、各地に輪行サイクリングに出かけるのに、夜行がたくさんあったのはとても便利でした。 その後昭和53年に宮城県にUターンしたら、仙台から遊びに行ける夜行列車が殆どななくて、がっかりした記憶もありましたね。 出羽は、途中で何回か切り離され、酒田に着く頃はかなり短くなっていたのを覚えています。 コメント欄に「エンジン音がうるさい」とかありましたが、当時は「そんなもの」でしたよね。 まぁ客車のグリーン車や寝台車にも床下に冷房用の発電エンジン積んでて、ホーム上で葉気動車と同じくらいうるさかったですよ。
懐かしいというと歳バレますが、新庄まで何回か乗ったことがあります。確か上野駅は22時くらいに出発した記憶が。今考えると、よく硬い座席で眠れたもんです
私の夜行気動車の思い出は快速ミッドナイト。繁忙期に増結されたボックスシートの自由席に乗りました。
エンジン騒音に直角座席、寝苦しそ…
ミッドナイト自由席は私も乗りました。冷房なし、うるさい、揺れる、という三重苦でしたが周遊券旅のありがたい友でした。現地で知り合って同じ列車の冷房リクライニングシートに乗っていた友達が羨ましかったです。
気動車急行の夜行、ほぼ半世紀前、下関から浜田まで『さんべ』の臨時に乗ったことが思い出として残ってます。全車指定席だったけどいっぱい乗ってたなぁ。
冬のスキーシーズンでは山陰銀嶺号として運転してた。山陰本線益田−幡生間は今では赤字ローカル線に転落。
東北方面は‘70年代初頭には、支線区をはじめ、多くのDC急行が残ってたようですね。ワシはと云うと、当時「みちのく」方面には全くといって縁がなく、そういった車両といえば「弓張」「西九州」「出島」しか覚えがありません。件の「さんべ」に関しましては、20年以上前に下関から小倉までの履歴があります。但し「青春18」のみの携行(合法)です。→同区間は普通列車扱いでした。但し「」
弓張、西九州、出島は、かもめやみどりが485系で走っていても、気動車で運行されていて、1980年10月にかもめやみどりに統合されたと思います。
懐かしいですね。思い出されるのは急行「ちどり」の夜行です。一度乗ってみたかったですね。ほかには深夜に高松を発車する「うわじま」がありました。またレアケースとしては急行「おきのしま」というのもありました。この列車は「だいせん」を補完していたようです。
急行出羽、何度も乗った(オカンの実家が新庄なので)かなりやかましかったけどむりやり寝た(笑)新庄で増解結していたので乗りやすかった🙆
自分も母親の実家が新庄なので乗った事あります。小6の夏休みにお祭りに合わせて行くのに選んだ列車が急行出羽でした。23時04分発と遅い時間なので上野駅まで母親に送ってもらいました。普通の人にはうるさく感じるエンジンの音も快いBGMです。後日母親と合流してお祭りを楽しみ、帰りは電化前のディーゼルのつばさで帰京した良い思い出です。蛇足ですが、多客期には新庄行きの臨時出羽が旧型座席車で運行された事がありました
臨時の「ばんだい・あづま」が夜行気動車だったはず。日中線に乗りにミニ周遊券で移動した記憶が。
1971年頃、陸羽西線狩川から上野まで、「出羽」キロ28グリーン車の車中の人となった。確か狩川乗車時は4両。上野に着いた時は12両になっていた。割とよく眠れた記憶がある。往路に乗った上越、羽越経由の「鳥海」ナハネ10よりもよく眠れたかも知れない。
気動車による夜行急行列車は山岳路線ではチラホラ存在した。四国中国中部地方では比較的遅くまで残っていた。SLの煤煙に苦しんできた区間だから床下から騒音が聞こえるくらいは赦された。尤も上級国民は機関車牽引の寝台列車で移動した。
キハ58系大好き♪😆👍️
個人的に電車・客車夜行なら過去にいくつか乗ったが、ディーゼル夜行は臨時の快速ミッドナイト(183系)だけだったか。90年代辺りまではいくつかあったのですね。
臨時では、特急つばさ53号があったと思う。
ボックス席で寝づらい状況…。当時はきつかったが今となればいい思い出なんだよなぁ😅
我が家には1978年10月の復刻版時刻表がありますが、急行出羽、昼間走る急行いいでと共通運用だったと思われます。どちらも切り離しが複雑で旅慣れない方は困惑したでしょうね。
「津軽」は懐かしい。中学時代に、宿節約目的で仙台で市電撮影ののち秋田五能線に向かうのに「津軽」で。ひどい混雑で、シート間の廊下に直座りだった。また、ディーゼル夜行では、名古屋で名鉄撮影ののち金沢行きに「しろがね」で、車中泊。金沢からの帰りは「はくたか」を奢っちゃったけど。。。。
サムネの写真が「出羽」でないな、と思ったらやはり富山ローカルに入っていたキハ28 3001でしたか。東北にもパノラミックのキハ58 1500番台がいましたが原型で冷房化された車両はほとんどいませんでした。耐寒装備の関係かキハ65が入らず、38‰勾配のある奥羽本線福米越えに補助機関車を繋がず喘ぐように黒煙を上げていました。当時の国鉄では「東北北部と北海道は暑くないので急行普通車は冷房不要」という東京目線のお役所的考えがあって、東北の電車急行は冷房化されましたが気動車急行には非冷房車が多く残っていました。
後にJR化してから、このキハ65系改造の団臨が陸西線経由で1回だけ山形駅に来たことがありました
@@埠頭半田 様、それは知りませんでした。情報ありがとうございます。
寝台特急北陸と夜行急行能登でも同様の棲み分けがされていた。東京庄内間は今後山形新幹線の延伸と羽越新幹線の開通のどちらになるだろうか?
首都圏から気動車が居なくなったのはけっこう早いから、夜行で上野口に残っていたのは珍しかったのでしょう。でも気動車が消えた後も上野の夜はやかましかった。寝台列車も客車急行もみな発電ディーゼルを唸らせていましたから。どういうわけか一様に電源車を東京方に向けていた東北ブルトレはホームに向かうなり臭いうるさいw気動車の夜行はついぞ乗る機会が無かったなぁ?…と思い返したら、忘れもしない夜行急行礼文は気動車だった。いろいろ眠れ無かった大変な思い出の夜行だった。
山形新幹線特急[出羽]酒田行き…中々夢のあるお話😆
夜行列車の気動車急行「うわじま」「きのくに」しか乗ったことが無いですが、他にキハ27改造の快速「ミッドナイト」キハ183系0番台の特急「オホーツク」にも乗りましたがそんなに気になりませんでした、客車のスハフ12形や14形の床下の電源エンジンの方が結構うるさかったと思います。
東北地方各県への夜行列車の設定が細かいのはビジネス(現場作業を含めて)の需要が多かったのだろう。気動車夜行はのりくらで経験。登山客御用達かと思いきや富山や金沢の着時間を考慮したためか、登山客は少なかった印象。
「やまばと」は1985年の東北新幹線上野開業で廃止されましたねえ。
寝台特急あかつき、なは、明星彗星、きたぐに、北陸、夜行立山、急行銀河、急行日南、ムーンライト高知、トワイライトexp、あけぼのなどに乗車した58歳のおじさんです。
値上げなうえに座席車がなくなったのがきついよね。同区間を走る急行「天の川」も全車寝台だったし
急行出羽は非電化路線の陸羽西線を経由するから気動車でしたね。
そんなに珍しいかなぁ?私は高松でなら見た事あるし、隣にいた普通列車だが夜行気動車なら乗った事あるし…😉7:16 「あけぼの」の「鳥海」への変更は2往復中1往復のみ。残る1往復は陸羽東線経由に変更されたが「あけぼの」のまま存続(乗った事あるオッサン)😉
上野へ乗り込んでくるのが晩年は珍しかったという事かと。首都圏から気動車いなくなったの早かったですから。
山形新幹線の酒田への延伸は難しいでしょうね。庄内空港✈️がありそちらに担えば良いですからね。
きのくににも夜行があったよ
【あけぼの】【鳥海】【出羽】の変遷の歴史で動画1本できる。
ディーゼル夜行急行のエンジン音のうるささは、そのまま夜行高速バスのそれに受け継がれる……?
12系以前の夜行急行はスハ44だった....。「すずらん」はD51牽引(懐😢)
山陰本線の夜行さんべの指定席車にも使われてたらしい(山陽新幹線博多開業のダイヤ改正まで)。
ムーンライトながらとかムーンライト九州とか「夜行列車」には乗った事があるけど「寝台列車」には乗った事ないなあ。
急行出羽はお手頃価格だったので、親父が東京出張の時によく使っていたようだった。俺も一度だけ、小学生の頃に酒田から郡山まで利用したことがある。その時、山形駅で若い人たちが乗り込んで来て(おそらく山形大の学生?)、布団らしきものを持ち込んでいる人もいたな。指定席のグリーン車も連結されていたが、俺が大学生になる前に廃止されてしまった。そのまま存続されていたら、利用したかもしれないのにな…。
夜行気動車と言えば快速「ミッドナイト」を思い浮かべますね。
「鳥海」と「出羽」の名前の推移があまりに謎(ギリギリ書籍などでブルトレの出羽号を知る世代)だったので、少し整理できたかなと。一方の「鳥海」も既出なら申し訳ないんですが、紹介していただけると勉強になります。それにしても、上越・羽越系統の夜行の特急への出世って結構遅かったんですね。なんでだろう?
上越・羽越線系統には最強?の寝台急行「天の川」がいたからね。東京⇄大阪の「銀河」と同種の急行で全編成が寝台車で更にA寝台も連結していた。
@@レールスターひかり さん東北本線には仙台までの寝台急行「新星」が走っていて、仙台で高速急行「くりこま」に乗り換えられ、青森まで行けたと思います。
@@レールスターひかり さま。どっちも「ギャラクシー」‼
つばさの「酒田延伸」?ないない。吉村のおばちゃんが「フル規格化を先駆け先に考えんなね!」って延伸派さカミナリ落とした、て酒田の人が言ってだがらまずない。況して加藤紘一の娘さ、力ある訳ねぇべし
ときわ も一部ディーゼルじゃなかったっけ?
奥久慈と併結運転だったのはDCでした。
水郡線直通の奥久慈を併結した関係でディーゼルでした
急行きたぐにはもうやりましたかね?
急行おがって大宮止まらなかった気がする
12系14系「呼んだ?」(笑)
エキスポこだまやって欲しい
でも、14系とか12系の電源付きオハフとかもうるさいよね😂
電源付きは重たいので、スハフやスハネフですな。(*´ω`*)
@@クモハ165 スでしたかすいません
普通列車用に改造された12系緩急車の中には、発電用エンジンを外したことで(電気機関車からのサービス電源供給に切り替え)スハフからオハフになったものもありましたね。
はい。上野駅で見ました。どうして上野駅に気動車があるのかと思ってました。
気動車夜行は「ちくま」に乗ったことあるけどやっぱり快適ではなかった
自分がちくまに乗った時は381系でしたが、速度はあまり出ていなかったのでしょうが、寝ていても振り子でフワリフワリと揺すられて奇妙な感覚でしたな。(・ε・` )
@@クモハ165 さま。いや、初耳です。381「ちくま」は振り子無作動と聞きましたが、私の錯覚でしたか?
@@雅夫大場 さんそれまでにも14系や165系、115系などの座席の夜行は乗ったことがありましたが、ちくまでは他にはない乗り心地であったのは間違いないと思います。(・ε・` )?
皆様が羨ましいです。私が乗った『ちくま』は、同時期の高山本線の『のりくら 9号』はディーゼル急行型車両だったのに、客車でした。
追記2サンライズ、富士も
国鉄時代に高松初の731Dに乗ってみたり…|ω・`)…
狙い目は、あの車。座席は良いが、駅に近づくたびにアナウンスだとか…?種村直樹氏がのたまってました。
追記きたぐにも急行です。
気動車夜行列車、別に問題無いのでは!?言うて夜行バスも、うるさいし揺れるから。
この間名古屋から北九州まで夜行バスロイヤルエクスプレスで帰還いたしましたが、美東SAで休憩時に今まで高速バスで酔ったことないのに酔ってしまった。空腹だったので嘔吐にはならなかった。前日のカラオケパーティーでサワーだのジントニック、ジンフィズ飲んだので二日酔みたいなのかも?
@@Kotchan66 さん空腹と酒が原因でしょう。乗り物酔いの大敵であります。
@@小野寺和俊 空腹も乗り物酔いしやすいのですね。今思えば車中で時折ポカリかアクエリアス飲むべきだったかもしれません。
@@Kotchan66 夜行バスは新宿バスタから大阪を往復した事があります。一言で言うと…→寝付けにくい!高速道路の繋ぎ目がケツに響く。そのクセ、夜行列車は何故か平気。レールのジョイントも全く気にならぬ。そんな私は変人か?
列車で眠りにつきながら、排気ガスを夜間の街に撒き散らしつつ走行ってなんかすっごい体験だな…
しかも板谷峠対策もあって大半は二つエンジンのキハ58なのでほとんどの車両は廃止まで冷房なし。今ほど暑くはなかったと思いますがそれでも窓を開けたままだったのでしょう。
山形新幹線が酒田に延伸するの!無理
延伸どころか廃止の危機に瀕していますからね。
津軽の12系が最新なわけないだろ12系は70年代だぞ旧型10・40系客車の淘汰で余ってた12系を持ち出してきただけだろ
小学生の頃、長大編成のキハ58夜行急行出羽で山形から上野まで乗りましたが、ボックス席は満席で通路に寝る人も居た始末。
おまけに煙草OKだったので、煙たなびく室内でずっと窓は解放、ディーゼルの排気で顔はベトベトになり、上野駅に着いて乗客達が真っ先に駅の洗面台で顔を洗ってました。
懐かしいw
失礼とは思いますが、今となっては「ちょっとした思い出」でしょう。
当時まだあったのですね、洗面所が、…
もっと古い時代は、SL列車だったので、駅には蛇口が必ずありました。特に大きい駅には、蛇口がたくさん並んでいました。上野駅の蛇口の大行列は、壮観ですらありました。
800番台は少し黄色がかった車体(晩年は一般色)でしたね。九州の門カタに配備されてました。デッキとの仕切戸の客室側の上にスピードメーターがありました。
上野駅を発着するディーゼルの夜行列車は、臨時(夏季や年末年始など)では、みやぎのや蔵王やつばさなどで存在したようです。
急行出羽は昼間の急行ざおう・磐越西線経由で上野と新潟を結ぶ急行いいでとも共通運用を組んでいた。急行ざおうは季節列車だったから、ざおうが運休の時はいいでの編成以外は郡山で解連結していた。ひょっとしたら只見線を運転していた急行奥只見の運用も絡んでいたかも知れない。
急行出羽の運用を知りたかったですね。複雑な運用だったように思います。あくまで時刻表上からの推察になりますが、酒田到着後は折り返し急行月山で山形へ戻っていたようです。同様に上りの出羽も山形から急行月山で送り込みされていたようです。
ヨンサントウなら「優等列車編成順序表」から運用が判ります。
新潟/酒田行キロ込み3両が新潟3、若松/山形切り落としハ3両が郡山1、山形/新庄切り落としキロ込み6両が山形51~54となってます。
昭和57年、山形から上野まで乗りましたが、線形の良い東北本線の架線下DCとして、キハ58のDML17エンジンが爆音を響かせて快走する出羽号に思い入れがあります。 北海道ワイド周遊券で北海道の旅を終えて帰りに乗った時です。
南東北ワイド周遊券での旅。行きは鈍行123列車、帰りは山形から急行「出羽」がもっぱらでした。
山形から3両(たしか)増結するのですが、これ左沢線の運用車両がそのまま該当。いつもキハ28の修学旅行用800番台が連結されてて、運が良ければ簡易ベッドのボックスシートをゲットできたものです。
乗るのはいつも土曜日の晩、山形駅の待合室ではNHK総合TVで「刑事コロンボ」観てからの乗車w 番組終了のタイミングで改札案内が始まるところ、山形駅員さんも意識してたのでしょうww
大宮を出て少しすると気動車チャイムと共に長い案内放送。いま考えるととっても贅沢な旅だったと、思います。
当時は出稼ぎで東京方面に来ていた人たちの上京や帰省にもよく利用されていたのでしょうね。
東北方面行きの急行が遅くまで残ったのは、出稼ぎ労働者の料金負担を軽減するためだと聞いたことがあります。私が最後に夜行急行に乗ったのはちょうど30年前の夏。ワイド周遊券を利用して関西からわざわざ東京を経由して北海道旅行をしたのですが、その時上野から乗った急行八甲田の臨時便がボックスシートの12系客車で旅情感がありました。
急行出羽と聞くだけで寝付けない、朝方気だるい、昼間も寝不足の想い出。さすがはキハ58、客車急行津軽の方が天国。
そういえば特急「白鳥」青森行に乗っていて酒田到着時に反対のホームに停まっていたのを思い出しました。今はKatoの急行「いいで」「ざおう」セットを弄りながら思いを致す日々を送っております...
気動車の夜行急行は珍しいですね。1982年11月の東北新幹線開業によるダイヤ改正で急行出羽は廃止されるも2代目の出羽が急行鳥海を格上げする形で上野~秋田間を上越線、羽越本線経由の寝台特急とし11年運転され鳥海の愛称は改正前の上野~青森間の特急いなほを引き継ぐ形で特急列車となっています。
朝、酒田到着後直ぐに急行月山になり県庁の山形市へ行くビジネス急行になった。
キハ58系は戦後のモーレツ社員と同じ様に働いた。
その当時赤塚不二夫のモーレツア太郎というマンガもあったぐらいだ。
庄内地方の人たちは急行鳥海(セレブは特急あけぼのと同じ20系使用の寝台急行天の川)を使ってたらしいです
昔、快速海峡からの乗り継ぎで函館からミッドナイトに乗った事がありますが、夜行で騒音と振動はキツイですね。客車の有り難さをヒシと感じました。
その昔、出羽の昼間運用の「いいで」で上野から父の実家のある会津若松まで乗ったことがあります。中学鉄道研究部の合宿で自由席は夏なのに非冷房で、窓全開でした!
名古屋発の高山本線夜行・急行『のりくら 9号』を乗り通した事があります。
美濃太田までで多くの乗客は降りてしまい、4人掛け 1ボックス占有出来ました。
長岡夜行 115系の、新清水トンネル通過時の爆音に慣れていると、キハ58のエンジン音なんてカワイイものです。
山形新幹線の酒田延伸?
あり得ませんね。
その昔、新潟駅 19:17発・東京駅 20:51着の『スーパーあさひ 6号』が存在した頃、鶴岡駅 16:30頃発の『いなほ』に乗ると、新潟駅での乗り換え時間が約 40分あり、駅周辺で買い物も可能でした。
それに対抗出来ますかね~。😏
板谷峠は補機無しで走っていたんですかねぇ。夜行だし、時間をかければ登り降り出来たって事? キハ181系が単独で走ったらオーバーヒートした話は割りと有名だから色々考えてしまいました?
昭和57年11月改正前までは、上野発着の東北線の東北方面、磐越西線方面への気動車急行(「いいで」「ざおう」「出羽」「おが」:いずれも58系気動車)などを見ることもできました。
この3年後の昭和60年3月改正で、定期気動車急行列車の上野乗り入れは、常磐線、水郡線の急行「ときわ」「奥久慈」併結列車(主にキハ28の編成)を最後に、東京23区内乗り入れの気動車列車は皆無になりました(毎年恒例の臨時夏季海水浴気動車急行列車「おおあらい」「あじがうら」併結列車(主にキハ28の編成)は昭和60年8月まで。同臨時夏季海水浴気動車「快速」列車「おおあらい」「あじがうら」併結列車(同編成)は昭和62年8月まで(単発の臨時気動車列車を除く。)。)。
なお、これらの改正は、東北新幹線の1982(昭和57)年6月23日の大宮⇔盛岡間の開業、そして、1985(昭和60)年3月14日の東北新幹線、上野延伸開業と期を一にしています。
当時の国鉄の運転士さんはディーゼルも電車(電気機関車)両方の免許持っていた人も多かったから上野へディーゼル車が乗り入れできたようです
急行出羽号よく利用してました。懐かしいですね。長大編成の出羽号は当時圧巻でした。また懐かしの出羽号で復活運転して欲しいですね。酒田から上野まで。当時の気動車で。
気動車の夜行で乗ったことがあるのは「ちどり」と「紀州」
乗ったことはありませんが、他に「きのくに」もありましたね
北海道で快速「ミッドナイト」に乗りましたし、他にキハ183系夜行にも乗ったことがあります。気動車でしたがそれほど音は気になりませんでしたね。「ミッドナイト」のカーペット車は床下のエンジン振動がむしろ心地よかった思い出も。
エンジン騒音も「鉄」にとっては子守唄、ってかぁ!
そういえば北海道は急行型でも二重窓なんですよね。エンジン音には強い構造だったかも。
気動車夜行急行というと「のりくら」を思い出します。「のりくら」は高山本線の急行でしたが、名古屋ー高山ー金沢間に夜行が1往復設定されておりました。今の感覚じゃ考えられないような運用です。昭和50年代には廃止されてしまったので今の若い人は知らないでしょうね。
多分最後の気動車夜行急行ってエーデル北近畿/鳥取車を使用した「だいせん」じゃなかったでしたかね?
夜行「のりくら」の下り便(名古屋発)だけ、年の半分くらい、金沢から七尾・能登線経由で珠洲まで延長されてたな(実際の急行区間は穴水まで・以遠は定期普通列車にチェンジ)。
米沢在住時、津軽が取れなかった時には出羽に乗った。学生で寝台を取れる身分ではなかったからどっちでも大した違いはなかった。
急行出羽。中学を卒業し高校入学までの春休みに、親に内緒で東京へ日帰り旅行した時に乗りました。ボックスシートに友人と二人、酷い体勢で寝た事を思い出しました。
寝台特急出羽号は上越新幹線大宮暫定開業と共に誕生し、青森「いなほ」は「鳥海」と名称変更され系統としてそのまま残ったのです。
ディーゼル夜行急行といえば大阪長野間のちくま号もありました。この列車はヨンハチナナダイヤ改正の時点で全線電化されていて架線化ディーゼル急行である。。間合い運用で急行越後・ゆのくにに使われていたけど、ディーゼル急行で運転する理由見当たらずゴツサントウ白紙ダイヤ改正では20系+12系の客車列車に置き換えられた。いっぽう越後は特急雷鳥に格上げされて、消滅した。この越後はヨンサントウ白紙ダイヤ改正までは、きたぐにの愛称だった。きたぐにの愛称はそれまでの急行日本海を改称して大阪青森間の愛称になった。その他の気動車急行だとのりくらやうわじまもあった。また繁忙期には特急しなのやつばさも181系で夜行運転された。かなり酷使されていて現場の整備は大変だっと思う。
気動車夜行と聞くと臨時列車ですが岩国〜鳥取を結んだ夜行 ちどりを思い出す私。父親が広島大学に当時、居たので帰省で良く利用していたのだとか。
気動車ではありませんが、489系(?)の夜行急行能登号に乗って石川県に旅行行った事があります。
特急型車両でしたけど座席車両であまりリクライニングを倒せずなかなか寝付けませんでしたね。
「通」はあえて座席を選択せず、ラウンジで横になってたらしい。
→横見浩彦氏がそうしてたらしいヨ。
急行能登は眠れなかったですよね!特に碓氷峠の振動がきつかったです。
懐かしいですね。
カセットテープを何巻もとっかえひっかえして
走行音を全部録音したのが残ってます
夜行気動車って独特の雰囲気がありますね。なんだろう、目をつむれば、油の匂いと振動が...S38生です。
夜行のDC列車というと、客車からキハ65改エーデルに変わった急行「だいせん」や、函館~札幌の快速「ミッドナイト」がありましたっけ。
末期の急行だいせんを大阪駅で見たことがありますが、仰るように改造気動車でしたがたったの2両で、惨めでしたね。
急行はまなすの自由席は発電機付きだったのでうるさくて眠りにくかったが、気動車だとさらにうるさかったんだろうな…
深夜の函館駅で停車中のDC快速ミッドナイトの増結した自由席に座ってみたものの、アイドリングでもとてもうるさくて寝れそうにないので、後続のはまなすに乗った覚えがありますな。(ヽ´ω`)
国鉄時代、道内の大雪 、利尻、マリモ??寝台急行14系の緩急車は常時8割のスロットルみたいで唸り、58系よりうるさい感じがしました。
30年前に上野と三沢の間を乗った急行の八甲田の禁煙車の指定席がスハフ14で、床下にディーゼルの発電機を搭載していましたが、眠るのに差し支えはなかったと思います。
若い頃、昭和50年か51年前後、サイクリング(輪行)目的で上野から酒田まで全区間乗りましたよ。
酒田に着いたらすぐに自転車組み立てて走り始めるので、動画の説明にあるように、津軽の寝台車で新庄までも考えましたが、グリーン車を奮発しました。
朝の8時台に着くので、輪行するにはもう少し早くついたほうが良かったけれど、途中で乗り替えるよりは一本で終着駅まで行けるのは便利でしたよね。
充分には寝れなかったけれど、真っ暗な板谷峠をフル編成で下る姿は、窓から見ても壮観だったのを覚えています。
当時私は勤めていましたが、同じグリーン車には全国大会?の試合の帰りとおぼしき運動部の高校生達がのっていて、贅沢だなあ・・と思った記憶がありました。そして酒田の駅前にはその高校生達を迎えるたくさんの人達が集まっていましたね。
その横で私は自転車を組み立てて、陸羽西線~陸羽東線沿いに古川まで一日コースでサイクリングしてきました。
当時東京に住んでいたので、各地に輪行サイクリングに出かけるのに、夜行がたくさんあったのはとても便利でした。
その後昭和53年に宮城県にUターンしたら、仙台から遊びに行ける夜行列車が殆どななくて、がっかりした記憶もありましたね。
出羽は、途中で何回か切り離され、酒田に着く頃はかなり短くなっていたのを覚えています。
コメント欄に「エンジン音がうるさい」とかありましたが、当時は「そんなもの」でしたよね。
まぁ客車のグリーン車や寝台車にも床下に冷房用の発電エンジン積んでて、ホーム上で葉気動車と同じくらいうるさかったですよ。
懐かしいというと歳バレますが、新庄まで何回か乗ったことがあります。
確か上野駅は22時くらいに出発した記憶が。
今考えると、よく硬い座席で眠れたもんです
私の夜行気動車の思い出は快速ミッドナイト。繁忙期に増結されたボックスシートの自由席に乗りました。
エンジン騒音に直角座席、寝苦しそ…
ミッドナイト自由席は私も乗りました。冷房なし、うるさい、揺れる、という三重苦でしたが周遊券旅のありがたい友でした。現地で知り合って同じ列車の冷房リクライニングシートに乗っていた友達が羨ましかったです。
気動車急行の夜行、ほぼ半世紀前、下関から浜田まで『さんべ』の臨時に乗ったことが思い出として残ってます。全車指定席だったけどいっぱい乗ってたなぁ。
冬のスキーシーズンでは山陰銀嶺号として運転してた。山陰本線益田−幡生間は今では赤字ローカル線に転落。
東北方面は‘70年代初頭には、支線区をはじめ、多くのDC急行が残ってたようですね。
ワシはと云うと、当時「みちのく」方面には全くといって縁がなく、そういった車両といえば「弓張」「西九州」「出島」しか覚えがありません。
件の「さんべ」に関しましては、20年以上前に下関から小倉までの履歴があります。但し「青春18」のみの携行(合法)です。
→同区間は普通列車扱いでした。
但し「」
弓張、西九州、出島は、かもめやみどりが485系で走っていても、気動車で運行されていて、1980年10月にかもめやみどりに統合されたと思います。
懐かしいですね。思い出されるのは急行「ちどり」の夜行です。一度乗ってみたかったですね。ほかには深夜に高松を発車する「うわじま」がありました。またレアケースとしては急行「おきのしま」というのもありました。この列車は「だいせん」を補完していたようです。
急行出羽、何度も乗った(オカンの実家が新庄なので)かなりやかましかったけどむりやり寝た(笑)
新庄で増解結していたので乗りやすかった🙆
自分も母親の実家が新庄なので乗った事あります。小6の夏休みにお祭りに合わせて行くのに選んだ列車が急行出羽でした。23時04分発と遅い時間なので上野駅まで母親に送ってもらいました。普通の人にはうるさく感じるエンジンの音も快いBGMです。後日母親と合流してお祭りを楽しみ、帰りは電化前のディーゼルのつばさで帰京した良い思い出です。蛇足ですが、多客期には新庄行きの臨時出羽が旧型座席車で運行された事がありました
臨時の「ばんだい・あづま」が夜行気動車だったはず。日中線に乗りにミニ周遊券で移動した記憶が。
1971年頃、陸羽西線狩川から上野まで、「出羽」キロ28グリーン車の車中の人となった。確か狩川乗車時は4両。上野に着いた時は12両になっていた。割とよく眠れた記憶がある。往路に乗った上越、羽越経由の「鳥海」ナハネ10よりもよく眠れたかも知れない。
気動車による夜行急行列車は山岳路線ではチラホラ存在した。
四国中国中部地方では比較的遅くまで残っていた。
SLの煤煙に苦しんできた区間だから床下から騒音が聞こえるくらいは赦された。
尤も上級国民は機関車牽引の寝台列車で移動した。
キハ58系大好き♪😆👍️
個人的に電車・客車夜行なら過去にいくつか乗ったが、ディーゼル夜行は臨時の快速ミッドナイト(183系)だけだったか。90年代辺りまではいくつかあったのですね。
臨時では、特急つばさ53号があったと思う。
ボックス席で寝づらい状況…。
当時はきつかったが今となればいい思い出なんだよなぁ😅
我が家には1978年10月の復刻版時刻表がありますが、急行出羽、昼間走る急行いいでと共通運用だったと思われます。どちらも切り離しが複雑で旅慣れない方は困惑したでしょうね。
「津軽」は懐かしい。中学時代に、宿節約目的で仙台で市電撮影ののち秋田五能線に向かうのに「津軽」で。ひどい混雑で、シート間の廊下に直座りだった。また、ディーゼル夜行では、名古屋で名鉄撮影ののち金沢行きに「しろがね」で、車中泊。金沢からの帰りは「はくたか」を奢っちゃったけど。。。。
サムネの写真が「出羽」でないな、と思ったらやはり富山ローカルに入っていたキハ28 3001でしたか。東北にもパノラミックのキハ58 1500番台がいましたが原型で冷房化された車両はほとんどいませんでした。耐寒装備の関係かキハ65が入らず、38‰勾配のある奥羽本線福米越えに補助機関車を繋がず喘ぐように黒煙を上げていました。当時の国鉄では「東北北部と北海道は暑くないので急行普通車は冷房不要」という東京目線のお役所的考えがあって、東北の電車急行は冷房化されましたが気動車急行には非冷房車が多く残っていました。
後にJR化してから、このキハ65系改造の団臨が陸西線経由で1回だけ山形駅に来たことがありました
@@埠頭半田 様、それは知りませんでした。情報ありがとうございます。
寝台特急北陸と夜行急行能登でも同様の棲み分けがされていた。
東京庄内間は今後山形新幹線の延伸と羽越新幹線の開通のどちらになるだろうか?
首都圏から気動車が居なくなったのはけっこう早いから、夜行で上野口に残っていたのは珍しかったのでしょう。
でも気動車が消えた後も上野の夜はやかましかった。寝台列車も客車急行もみな発電ディーゼルを唸らせていましたから。
どういうわけか一様に電源車を東京方に向けていた東北ブルトレはホームに向かうなり臭いうるさいw
気動車の夜行はついぞ乗る機会が無かったなぁ?…と思い返したら、忘れもしない夜行急行礼文は気動車だった。いろいろ眠れ無かった大変な思い出の夜行だった。
山形新幹線特急[出羽]酒田行き…中々夢のあるお話😆
夜行列車の気動車急行「うわじま」「きのくに」しか乗ったことが無いですが、他にキハ27改造の快速「ミッドナイト」キハ183系0番台の特急「オホーツク」にも乗りましたがそんなに気になりませんでした、客車のスハフ12形や14形の床下の電源エンジンの方が結構うるさかったと思います。
東北地方各県への夜行列車の設定が細かいのはビジネス(現場作業を含めて)の需要が多かったのだろう。
気動車夜行はのりくらで経験。
登山客御用達かと思いきや富山や金沢の着時間を考慮したためか、登山客は少なかった印象。
「やまばと」は1985年の東北新幹線上野開業で廃止されましたねえ。
寝台特急
あかつき、なは、明星
彗星、きたぐに、北陸、夜行立山、急行銀河、急行日南、ムーンライト高知、トワイライトexp、あけぼのなどに乗車した58歳のおじさんです。
値上げなうえに座席車がなくなったのがきついよね。同区間を走る急行「天の川」も全車寝台だったし
急行出羽は非電化路線の陸羽西線を経由するから気動車でしたね。
そんなに珍しいかなぁ?私は高松でなら見た事あるし、隣にいた普通列車だが夜行気動車なら乗った事あるし…😉
7:16 「あけぼの」の「鳥海」への変更は2往復中1往復のみ。残る1往復は陸羽東線経由に変更されたが「あけぼの」のまま存続(乗った事あるオッサン)😉
上野へ乗り込んでくるのが晩年は珍しかったという事かと。首都圏から気動車いなくなったの早かったですから。
山形新幹線の酒田への延伸は難しいでしょうね。庄内空港✈️がありそちらに担えば良いですからね。
きのくににも夜行があったよ
【あけぼの】【鳥海】【出羽】の変遷の歴史で動画1本できる。
ディーゼル夜行急行のエンジン音のうるささは、そのまま夜行高速バスのそれに受け継がれる……?
12系以前の夜行急行はスハ44だった....。
「すずらん」はD51牽引(懐😢)
山陰本線の夜行さんべの指定席車にも使われてたらしい(山陽新幹線博多開業のダイヤ改正まで)。
ムーンライトながらとかムーンライト九州とか「夜行列車」には乗った事があるけど「寝台列車」には乗った事ないなあ。
急行出羽はお手頃価格だったので、親父が東京出張の時によく使っていたようだった。
俺も一度だけ、小学生の頃に酒田から郡山まで利用したことがある。その時、山形駅で若い人たちが乗り込んで来て(おそらく山形大の学生?)、布団らしきものを持ち込んでいる人もいたな。
指定席のグリーン車も連結されていたが、俺が大学生になる前に廃止されてしまった。そのまま存続されていたら、利用したかもしれないのにな…。
夜行気動車と言えば快速「ミッドナイト」を思い浮かべますね。
「鳥海」と「出羽」の名前の推移があまりに謎(ギリギリ書籍などでブルトレの出羽号を知る世代)だったので、少し整理できたかなと。一方の「鳥海」も既出なら申し訳ないんですが、紹介していただけると勉強になります。
それにしても、上越・羽越系統の夜行の特急への出世って結構遅かったんですね。なんでだろう?
上越・羽越線系統には最強?の寝台急行「天の川」がいたからね。東京⇄大阪の「銀河」と同種の急行で全編成が寝台車で更にA寝台も連結していた。
@@レールスターひかり さん
東北本線には仙台までの寝台急行「新星」が走っていて、仙台で高速急行「くりこま」に乗り換えられ、
青森まで行けたと思います。
@@レールスターひかり さま。
どっちも「ギャラクシー」‼
つばさの「酒田延伸」?
ないない。吉村のおばちゃんが「フル規格化を先駆け先に考えんなね!」って延伸派さカミナリ落とした、て酒田の人が言ってだがらまずない。
況して加藤紘一の娘さ、力ある訳ねぇべし
ときわ も一部ディーゼルじゃなかったっけ?
奥久慈と併結運転だったのは
DCでした。
水郡線直通の奥久慈を併結した関係でディーゼルでした
急行きたぐにはもうやりましたかね?
急行おがって大宮止まらなかった気がする
12系14系「呼んだ?」(笑)
エキスポこだまやって欲しい
でも、14系とか12系の電源付きオハフとかもうるさいよね😂
電源付きは重たいので、スハフやスハネフですな。(*´ω`*)
@@クモハ165
スでしたか
すいません
普通列車用に改造された12系緩急車の中には、発電用エンジンを外したことで(電気機関車からのサービス電源供給に切り替え)スハフからオハフになったものもありましたね。
はい。上野駅で見ました。どうして上野駅に気動車があるのかと思ってました。
気動車夜行は「ちくま」に乗ったことあるけど
やっぱり快適ではなかった
自分がちくまに乗った時は381系でしたが、速度はあまり出ていなかったのでしょうが、寝ていても振り子でフワリフワリと揺すられて奇妙な感覚でしたな。(・ε・` )
@@クモハ165 さま。
いや、初耳です。
381「ちくま」は振り子無作動と聞きましたが、私の錯覚でしたか?
@@雅夫大場 さん
それまでにも14系や165系、115系などの座席の夜行は乗ったことがありましたが、ちくまでは他にはない乗り心地であったのは間違いないと思います。(・ε・` )?
皆様が羨ましいです。
私が乗った『ちくま』は、同時期の高山本線の『のりくら 9号』はディーゼル急行型車両だったのに、客車でした。
追記2
サンライズ、富士も
国鉄時代に高松初の731Dに乗ってみたり…|ω・`)…
狙い目は、あの車。座席は良いが、駅に近づくたびにアナウンスだとか…?種村直樹氏がのたまってました。
追記
きたぐにも急行です。
気動車夜行列車、別に問題無いのでは!?
言うて夜行バスも、うるさいし揺れるから。
この間名古屋から北九州まで夜行バスロイヤルエクスプレスで帰還いたしましたが、美東SAで休憩時に今まで高速バスで酔ったことないのに酔ってしまった。空腹だったので嘔吐にはならなかった。前日のカラオケパーティーでサワーだのジントニック、ジンフィズ飲んだので二日酔みたいなのかも?
@@Kotchan66 さん
空腹と酒が原因でしょう。
乗り物酔いの大敵であります。
@@小野寺和俊 空腹も乗り物酔いしやすいのですね。今思えば車中で時折ポカリかアクエリアス飲むべきだったかもしれません。
@@Kotchan66
夜行バスは新宿バスタから大阪を往復した事があります。
一言で言うと…
→寝付けにくい!高速道路の繋ぎ目がケツに響く。
そのクセ、夜行列車は何故か平気。レールのジョイントも全く気にならぬ。
そんな私は変人か?
列車で眠りにつきながら、排気ガスを夜間の街に撒き散らしつつ走行ってなんかすっごい体験だな…
しかも板谷峠対策もあって大半は二つエンジンのキハ58なのでほとんどの車両は廃止まで冷房なし。今ほど暑くはなかったと思いますがそれでも窓を開けたままだったのでしょう。
山形新幹線が酒田に延伸するの!無理
延伸どころか廃止の危機に瀕していますからね。
津軽の12系が最新なわけないだろ
12系は70年代だぞ
旧型10・40系客車の淘汰で
余ってた12系を持ち出してきただけだろ