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同じ水銀でも分野において呼び名が違うことを最初に断るところは丁寧だし、ヤマト王権が水銀朱を利用して作る鏡を配ることで権威付けしてたことを水銀朱による錬金術、という表現は巧くて説得力があると思った。
辰砂が取れる場所はフォッサマグナではなく中央構造線の近辺です。フォッサマグナ近辺は翡翠が有名ですね。
なぜ神社の鳥居や建物は朱色なのか?というのは外国人観光客が尋ねる鉄板ネタです。防腐剤、殺虫剤という役割以外にも東洋では赤は魔除けの効力を持つとされているから、と説明します。
大和王権がなぜ奈良盆地で成立したのか、説得力のある分析でした。
水銀朱が防腐剤として重宝されてたから「不老不死」の効果があると思われたのだろう。だから貴重だんだけれど、「猛毒」でしたというオチは悲しいよね。水銀朱は日本でも「中央構造線」の上で取れやすいから、そこを支配するってのが権力の源になり得るってのが面白いです。(米も鉄も重要なんですがね。)
方位と距離が出鱈目とは?決めつけて良いのかな?大分徳島奈良という地名が出てきて面白かったです。
兵馬俑に塗られた顔料は主に赤と黒だったそうです.黒は古代にスミ から取れたもの.今でも書道.水墨画.大工もよく使っています。 その兵馬俑に赤色が 一番 著しく 映る色です. その量も少なくないです. 出土当時まだ あざやかな赤色が見えましたが.空気と接触し酸化したせいで 赤い色が消えたそうです.大量の赤色顔料の需要に 日本産の朱砂が その役割を担っているかもね 。
スサノオは朱砂の王の訛りから来たのではないか?
麻の王の説もある。麻のことをスサというから。
楽しく拝見させて頂きました😚確かに私の地元、佐世保の相浦地区には昔、北海道と同じように良質な水銀が採れた鉱山があったと聞いたことがあります( ・ิω・ิ)
丹の聖地といえば丹生都姫神社のある紀伊半島ですよ。またここは縄文後期からの精製跡もあり、また伊勢松阪にある天白遺跡からは辰砂原石も確認されておりますよ。
丹生都比売神社 宮司 丹生廣良氏は『伊都国王のあと主流は畿内へ東遷し、紀伊の丹生氏となり一部は大分の丹生郷に進出し、九州第2の根拠地となした』と仰られています。丹生都比売神社のある かつらぎ町は『伊都郡』ですね。
@@spvol2mongen778 私の家もその和歌山の伊都郡に実家があります。ただしその丹生都比売神社も元々は吉野川上村にあったという話。
@@トミヤマサキオ 様 神武東征でも熊野上陸後 丹敷戸畔なる 女酋長と水銀中毒を思わせる毒気で気を失う描写が日本書紀にありますね。神武天皇には 何かと 辰砂が 結びつきます。
丹生一族は辰砂採掘加工のエキスパートだった。新しい採掘現場を見つけると、丹生神社を創建し、採掘加工の安全祈願をしていた。彼らは辰砂採掘加工には危険が伴う事を知っていたから。全国に50弱ある丹生神社、その中で創建が古い社は丹生一族の水銀中毒防止を一身に受け止めて今日に至ったのだろう。四国には丹生神社は1つ。九州には11。近畿には14。関東には10。それぞれ創建年代と各由緒は確認できていないが、意外にも関東に神社が多く驚いた。
0:53 のBGM、どことなくゼノブレのザトールっぽい
古事記にも大物主の化身として「丹塗りの矢」なんてのが出てくるから、成立した頃には「神聖な色」とされていたんだろうね。
丹後は名前の通りに水銀の産地だったのでは?弥生時代の丹後は、とてつもない王国だったと思います。
丹波国の由来は田庭(たには)がなまったもので辰砂とは関係ありません。
なんで邪馬台国の台は「たい」と読んで台与の台は「と」と読むんだろう。それがわかれば空白の4世紀も理解が進むかもしれない。
元々は三国志の時代の中国語の発音の通りヤマト国と言っていたけれど、江戸時代になって当時の中国語(明の時代)の発音でヤマタイ国と発音したのが現代まで続いているということが分かっていますので何も解明されないでしょう。
本気で びっくり しました。弘法大師も 水銀の鉱山を 求めて 高野山に 行った とか、そもそも 瀬戸内海の 商人の息子だ という 説も ありましたっけ?
そうなると、、、邪馬台国時代の魏志倭人伝に描かれている、辰砂・真珠・翡翠が取れる場所というのは、帯方郡・朝鮮半島に近く、その全てが取れる唯一の場所とも言えそうな、大村湾から虚空蔵山にかけての半径数キロメートルの地域の可能性が俄然高まりますね 😊
魏志倭人伝の記載は嘘ばっかりと言える内容ではないですよ。北九州説、畿内説に合わせたいがために、現代人の方が嘘を積み重ねているように思います。きちんと読めば、阿波にヤマト國があったと書いてありますよ。
きちんと読めば倭国に阿蘇ありとも書いてますね🎉
全国邪馬台国連絡協議会という団体があり、日本各地の市町村が邪馬台国はおらが村と主張しています。四国説はその程度のものでエビデンスはまったくありません。
@@やまぴぃ-z3uきちんと読んでもそれは書いていない。
同じ水銀でも分野において呼び名が違うことを最初に断るところは丁寧だし、
ヤマト王権が水銀朱を利用して作る鏡を配ることで権威付けしてたことを
水銀朱による錬金術、という表現は巧くて説得力があると思った。
辰砂が取れる場所はフォッサマグナではなく中央構造線の近辺です。フォッサマグナ近辺は翡翠が有名ですね。
なぜ神社の鳥居や建物は朱色なのか?というのは外国人観光客が尋ねる鉄板ネタです。
防腐剤、殺虫剤という役割以外にも東洋では赤は魔除けの効力を持つとされているから、と説明します。
大和王権がなぜ奈良盆地で成立したのか、説得力のある分析でした。
水銀朱が防腐剤として重宝されてたから「不老不死」の効果があると思われたのだろう。
だから貴重だんだけれど、「猛毒」でしたというオチは悲しいよね。
水銀朱は日本でも「中央構造線」の上で取れやすいから、そこを支配するってのが権力の源になり得るってのが面白いです。
(米も鉄も重要なんですがね。)
方位と距離が出鱈目とは?決めつけて良いのかな?大分徳島奈良という地名が出てきて面白かったです。
兵馬俑に塗られた顔料は主に赤と黒だったそうです.黒は古代にスミ から取れたもの.今でも書道.水墨画.大工もよく使っています。 その兵馬俑に赤色が 一番 著しく 映る色です. その量も少なくないです. 出土当時まだ あざやかな赤色が見えましたが.空気と接触し酸化したせいで 赤い色が消えたそうです.大量の赤色顔料の需要に 日本産の朱砂が その役割を担っているかもね 。
スサノオは朱砂の王の訛りから来たのではないか?
麻の王の説もある。
麻のことをスサというから。
楽しく拝見させて頂きました😚確かに私の地元、佐世保の相浦地区には昔、北海道と同じように良質な水銀が採れた鉱山があったと聞いたことがあります( ・ิω・ิ)
丹の聖地といえば丹生都姫神社のある紀伊半島ですよ。またここは縄文後期からの精製跡もあり、また伊勢松阪にある天白遺跡からは辰砂原石も確認されておりますよ。
丹生都比売神社 宮司 丹生廣良氏は
『伊都国王のあと主流は畿内へ東遷し、紀伊の丹生氏となり一部は大分の丹生郷に進出し、九州第2の根拠地となした』
と仰られています。
丹生都比売神社のある かつらぎ町は『伊都郡』ですね。
@@spvol2mongen778 私の家もその和歌山の伊都郡に実家があります。ただしその丹生都比売神社も元々は吉野川上村にあったという話。
@@トミヤマサキオ 様 神武東征でも熊野上陸後 丹敷戸畔なる 女酋長と水銀中毒を思わせる毒気で気を失う描写が日本書紀にありますね。
神武天皇には 何かと 辰砂が 結びつきます。
丹生一族は辰砂採掘加工のエキスパートだった。
新しい採掘現場を見つけると、丹生神社を創建し、採掘加工の安全祈願をしていた。
彼らは辰砂採掘加工には危険が伴う事を知っていたから。
全国に50弱ある丹生神社、その中で創建が古い社は丹生一族の水銀中毒防止を一身に受け止めて今日に至ったのだろう。
四国には丹生神社は1つ。
九州には11。
近畿には14。
関東には10。
それぞれ創建年代と各由緒は確認できていないが、意外にも関東に神社が多く驚いた。
0:53 のBGM、どことなくゼノブレのザトールっぽい
古事記にも大物主の化身として「丹塗りの矢」なんてのが出てくるから、
成立した頃には「神聖な色」とされていたんだろうね。
丹後は名前の通りに水銀の産地だったのでは?
弥生時代の丹後は、とてつもない王国だったと思います。
丹波国の由来は田庭(たには)がなまったもので辰砂とは関係ありません。
なんで邪馬台国の台は「たい」と読んで台与の台は「と」と読むんだろう。それがわかれば空白の4世紀も理解が進むかもしれない。
元々は三国志の時代の中国語の発音の通りヤマト国と言っていたけれど、江戸時代になって当時の中国語(明の時代)の発音でヤマタイ国と発音したのが現代まで続いているということが分かっていますので何も解明されないでしょう。
本気で びっくり しました。弘法大師も 水銀の鉱山を 求めて 高野山に 行った とか、そもそも 瀬戸内海の 商人の息子だ という 説も ありましたっけ?
そうなると、、、
邪馬台国時代の魏志倭人伝に描かれている、
辰砂・真珠・翡翠が取れる場所というのは、
帯方郡・朝鮮半島に近く、その全てが取れる唯一の場所とも言えそうな、
大村湾から虚空蔵山にかけての半径数キロメートルの地域の可能性が俄然高まりますね 😊
魏志倭人伝の記載は嘘ばっかりと言える内容ではないですよ。
北九州説、畿内説に合わせたいがために、現代人の方が嘘を積み重ねているように思います。
きちんと読めば、阿波にヤマト國があったと書いてありますよ。
きちんと読めば倭国に阿蘇ありとも書いてますね🎉
全国邪馬台国連絡協議会という団体があり、日本各地の市町村が邪馬台国はおらが村と主張しています。四国説はその程度のものでエビデンスはまったくありません。
@@やまぴぃ-z3u
きちんと読んでもそれは書いていない。