山郷紀行【日田は邪馬壹國の都】地名「ヒ」から読み取る古代史

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  • เผยแพร่เมื่อ 1 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 7

  • @高尾きいちゃんの成長麗子
    @高尾きいちゃんの成長麗子 9 หลายเดือนก่อน +3

    凄い発見ですねぇ🫶🙏 なんとなく、古代浪漫を感じます!🎉 この先になにかありそうですね!🙄👏👏🤗 解りやすくて、この先のアップを楽しみにしています🙇‍♀️🤝

  • @mari-od1ym
    @mari-od1ym 6 หลายเดือนก่อน +2

    これはいい動画ですねー🎉私も日田市辺りが卑弥呼がいたと思ってます😊

  • @sakaejumo6757
    @sakaejumo6757 6 วันที่ผ่านมา

    日田に邪馬台国の都があったとしたら筑紫平野を勢力圏とした邪馬台国の政治的な政都としての都ではなく祭祀的な神都としての都ではないかと考えています。
    地理的に筑紫平野を管理するのは不便なので普段の政治を司る機能は筑紫平野の何処(中央付近だと吉野ケ里あたり??)にあって重要な案件について卑弥呼を通じて神にお伺いをたてに行く場所が日田にあったというのが合理的かと考えています。
    *神にお伺いをたてる古代の人に合理的というのもなんですが・・・・

    • @unousa8974
      @unousa8974  5 วันที่ผ่านมา

      @@sakaejumo6757 貴重なご意見ありがとうございます

  • @安田一悟
    @安田一悟 21 วันที่ผ่านมา

    邪馬台国は、日田ではなく、みやまにありました。

  • @ともみひかりゆわた
    @ともみひかりゆわた 23 วันที่ผ่านมา

    南の国と戦っていたので、どんどん北に押し込まれたのかもですね。ということは大分を転々としていたのかもと。最後はうさ、妄想です。ありがとうございました!

    • @unousa8974
      @unousa8974  5 วันที่ผ่านมา

      @@ともみひかりゆわた そうですね宇佐神宮はトヨの墓かも!