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日豊本線の南宮崎駅~鹿児島駅間が交流電化したのが1979年(昭和54年)9月25日です。この交流電化に拠って日豊本線全線交流電化が完成しました。
大分以南でも堂々の11両編成で走ってた特急にちりんが懐かしい😊
@井上和貴昔のにちりん号は日豊本線の花形特急列車でした。今は一部のにちりん号はワンマン運行する特急列車になりましたね。
寅さんが出てきそうな映像ですね。古き良き日本で鉄道の旅が一番よかった時代じゃないかなぁ。テレビも旅番組も少なく高速道路もない時代、こんな列車に乗り食堂車でご飯食べたり冷凍ミカンに駅弁とあのお茶が懐かしい。見るとこ行く所は全て新鮮だったなー
特急富士(1978年当時)東京~下関 EF65-1000下関~門司 EF30門司~宮崎 ED76宮崎~西鹿児島 DF501980年10月改正で宮崎に短縮されてDF50は走行しなくなったDF50は富士(西鹿児島行き)と彗星(都城行き)のラストスパートに相応しい名ディーゼル機関車だった
この頃のブルトレ「富士」に東京~西鹿児島間全区間 乗車したい。
貫通扉開けぱなしで走ってる時代懐かしい。真夏なんか地獄、エアコン無しの扇風機☀️😵💦
懐かしい映像ありがとうございます。昔の人は急行桜島・霧島号の直角椅子に座って、24時間以上かけて東京から鹿児島や宮崎に行くのは当たり前のことでした。昭和45年当時は、学生団体割引で、1500円くらいで東京から九州まで行けたことを記憶しています。
直角椅子の拷問に平気で何十時間も耐えた当時の人。最近流行の、やたらとキレる人を量産する原因に、快適すぎることも無関係ではないかな。
平成産まれですが、タイムスリップして急行桜島、霧島に乗ってみたいです!
1:20USAの字がやけに巨大ですね
昔ブルートレイン富士は、西鹿児島(現鹿児島中央)まで1日以上かけて走っていました。しかしこの数年後に宮崎まで短縮され、さらにその後大分まで短縮されたのですね。
まだこの時は宮崎は新婚旅行のメッカだったよ
皇太子(現・上皇陛下)ご成婚の時ですよね?
見てるだけで羨ましい時代ですねぇ…時代の流れには抗えないのか()
サムネがなんか良いですよね。非電化区間の画像なんだろうけど線路と外部を隔てるものが何もなく、草むらの中を獣が這いつくばってるようなシンプルさ。
都城駅や竜ヶ水の風景が今とさほど変わってない事にビックリ。
DF50牽引の富士とか懐かし過ぎる。当時は西鹿児島まで結んでいたから東京から乗り通したら所要時間がまる一日掛かったんだよな。
中学生の頃に九州へ行ったら、食堂車はありませんでしたがまだこのボンネットのにちりん号が走っていました。国鉄つばめ号の気品と格式を持つ凛としたたたずまいでした。ただ座席も当時のまままったく倒れないものでしたので中学生だったのに生まれてはじめて腰が痛くなったのはご愛嬌でした
もういまから40年ほど前のこの頃から、リニアモーターカーの話が出ていたのですね✨
0:27の小倉駅も、今ではかなり立派な駅ビルに生まれ変わっており、モノレールも発着しています。
音楽のセンスがすごいですね。
昭和53年だったと思うが王選手を見に宮崎に行ったな。
DF50カッコイイ。「富士」と言えば20系が好きだった。
この当時、DF50は国鉄唯一の電気式ディーゼル機関車でしたね。
4:16のML500形は、大阪の弁天町にあった交通科学博物館に展示されていました。さらに4:25の特急と競争する姿もかっこいいぞ!
思い出した。日向市はリニアモーターカーを実験していたな。
この頃、日豊本線には急行も走っていたし、普通電車も走っていた。今では、急行なし。普通電車もあまり走ってない。
細かいことだけど、3:00くらいにある風景は、どうも臼杵市ではなくて津久見市の徳浦地区のような気がしますね。石仏は確かに臼杵にありますが、石灰石の産地は隣の津久見市ですもんね。どうも旧小野田セメント(現太平洋セメント)の津久見工場のような気がします。
2:59臼杵の付近…津久見です💦
DF50はシゴナナの代わりになるよう期待されていたようですが実際の運用ではシゴナナほどの働きは出来なかったようです。但し無煙化には一役買ったでしょうね。独特のエンジン音がいいですね。
5:28 ちょ、貫通扉オープン走行!東南アジア譲渡車のキハ52みたい
4:22にちりんが11両だったなんてすごい。
0:34 の発車標に「急行 くにさき」の文字が!👍 当時はオール14系座席車で、門司で「阿蘇」と切り離されて単独編成になって小倉に到着します。。。14系座席車、上品な感じで大好きでしたが、夜行列車はすでに寝台利用が主体で 座席利用は下火になっており、1980年10月の改正で「阿蘇」「雲仙」「西海」とともに廃止されてしまいました。
5:17 DF50牽引 急行 日南 くずれの各停、青井岳駅進入ですね。懐かしい…
この時代に生まれたかった。
寝台特急[富士]は、日豊本線経由で、東京から西鹿児島まで何と、所要時間が24時間26分。通しで乗る人は、ごく僅かの鉄道マニアしかいませんでしたね。確かに、宮崎から西鹿児島まではDF50のディーゼル機関車で7両の客車を牽引していましたね。あの当時の、じょんのび旅行は一体何処ヘ行ってしまったのだろうか。40年以上前の、あの頃に戻れるものなら、戻りたい。
ありがとうございます
DF50東北に走ってなかったので、子供のころ、興味深かったです。
こういう昔の映像、音が本物の音だったらどれだけいいことか。別録りの後付けだもんなあ。
鉄道環境は、今も変わらない様な…。高速バスは、当時と比べ充実してますがね。
1:11 キハ66+キハ67が。
日豊本線は鹿児島本線の東九州バージョンですね。
富士の食堂車がすでに基本編成側にない(大分止まりの付属編成側に移っている)
BGMが近未来的……😮
思わず485系のボンネットTYPEの屋根上がAU16?クーラーで揃っている。綺麗!
DF50は日豊本線が非電化だった時に活躍していたんですね。まさに国鉄ご自慢の戦後日本初の電気式ディーゼル機関車ではないでしょうか。
岡田裕志 キハE200系の謳い文句が「世界初のハイブリッド鉄道車両」だったがDF50の方が先だよな最初かどうかは分からんけど
1978年ですね。
別府今とあんまり変わってなくて草
昭和50年代、北九州市の人口減少や、産業斜陽化が始まった頃ですね。
昔、北九州市→100万人口都市でした。
@@畑野よしゆき さん昭和38年に5市合併で、北九州市が誕生した時の触れ込みが「九州初の政令指定都市」だった(福岡市が政令指定都市になったのは昭和47年)
3:55からBGMで流れてる「♪ラララランララ~」の曲名と歌手名を誰かご存知ですか?当時よくCMやTV番組で使われていたので、とても気になっています。
フランス産の業務用ライブラリからの音源で、The Johnny Montevideo Group 「Summer Lovers」という曲です。こちらで聴けます→ th-cam.com/video/UaUYx_V3pGQ/w-d-xo.html
落ち着く
この時の「富士」は、東京駅から日豊本線まわりで西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)へ行く所要時間1日を誇る日本一の長距離ランナーだったんですね。今思えば、所要時間1日は日帰り主義の僕にとってはちょっときつい旅ですね。
確か東京を18時ちょうど発で、西鹿児島18:03到着でしたね。3分だけ下り列車が2本運行されると言う。でも上りは24時間以内で行っていたと記憶しています。
@@pipiyumio1978年10月の国鉄ダイヤ改正時では、寝台特急『富士』は下りが東京18時発で西鹿児島着が18時24分の所要時間24時間24分、上りは西鹿児島9時41分発で東京着が10時10分の所要時間24時間29分でした。
私が鉄道にハマっていたのはもう少し後の1980年代前半でした。1978年当時はもっと時間が掛かっていたのですね、知らなかったので自分の80年代前半の記憶で書いてしまいました。申し訳ありません。
@@pipiyumio お気にされなくても結構ですよ。何せ約40年も昔の事ですから記憶が曖昧になってもおかしくないですからね。ちなみに『富士』は1980年10月のダイヤ改正で、終点が西鹿児島から宮崎に運行区間が短縮されたので、18時3分着は西鹿児島ではなく宮崎かもしれませんね。あいにく手元に1980年10月ダイヤ改正の資料が無いので、断定はできませんが。
@@pipiyumio その後 他の資料を見たところ、1979年9月25日に南宮崎~西鹿児島間の電化完成によって日豊本線が全線電化となり、同年10月1日より『富士』の時刻が改正されて最初に投稿されたとおり、下りが東京18時発で西鹿児島着が18時03分の所要時間24時間03分、上りは西鹿児島10時15分発で東京着が10時10分の所要時間23時間55分となりました。横槍を入れてしまって申し訳ありませんでした。また、記憶の確かさに敬服いたします。
知っている・見たはずのものばかりだが、本当に走っていたのかと思ってしまった。今じゃもう夜行にも特急にも乗れない・・・まあ必要ないんですが。追体験してみたかったなあ。
「富士」、「彗星」、ヘッドマークが無かったのは淋しい。
本田譲治さんこの当時、ブルトレの牽引機関車にヘッドマークが取り付けられていたのは、東京発の、東海道・山陽線区間を担当する、EF651000番代PFだけでしたよ。
DF50が電気式なの凄すぎる
まだモノレールの通ってない小倉駅かー
宮崎県都農町。リニア実験線格上げで日豊新幹線、鹿児島発小倉行。小倉からリニア山陰新幹線新大阪へ。
DF50牽引の富士はコレのことだっけんですね。貴重な映像で、この間ヤフオクで落札したBトレDF50の一般色とぶどう色が届き、今度はヤフオクでBトレ富士14系を落札して手に入れたいです。
日豊本線福岡県内の存在感の薄さといったら今も昔も変わりませんなw小倉は鹿児島本線だし…
日豊本宮崎日向線鹿児島本線
当時は南宮崎以南は非電化だったんだ…。😅
小倉工場のシーンコマ送りしてしまいました
サイケなBGM だなあ。
にちりん乗りました。
いかん寝落ちした
さすがのリニアもその時代から研究すんのかwおもろw
国鉄やなあ昭和やなあ日本やなあ
財部
U☆S☆A
富士が西鹿児島(いまの鹿児島中央)まで行く必要性はなかつた。西鹿児島までなら遠回りになる日豊本線を回る必要はないので鹿児島本線経由で行くであらう。要するに富士は最初から宮崎まででよかつたのだ。案外かういふところに無駄と非効率があつたかもしれない。
ちげ~よ!宮崎~西鹿児島とかのヒルネ需要だよ!😜
みやこんじょ 笑
日豊本線の南宮崎駅~鹿児島駅間が交流電化したのが1979年(昭和54年)9月25日です。この交流電化に拠って日豊本線全線交流電化が完成しました。
大分以南でも堂々の11両編成で走ってた特急にちりんが懐かしい😊
@井上和貴
昔のにちりん号は日豊本線の花形特急列車でした。今は一部の
にちりん号はワンマン運行する
特急列車になりましたね。
寅さんが出てきそうな映像ですね。古き良き日本で鉄道の旅が一番よかった時代じゃないかなぁ。テレビも旅番組も少なく高速道路もない時代、こんな列車に乗り食堂車でご飯食べたり冷凍ミカンに駅弁とあのお茶が懐かしい。見るとこ行く所は全て新鮮だったなー
特急富士(1978年当時)
東京~下関 EF65-1000
下関~門司 EF30
門司~宮崎 ED76
宮崎~西鹿児島 DF50
1980年10月改正で宮崎に短縮されてDF50は走行しなくなった
DF50は富士(西鹿児島行き)と彗星(都城行き)のラストスパートに相応しい名ディーゼル機関車だった
この頃のブルトレ「富士」に
東京~西鹿児島間全区間 乗車したい。
貫通扉開けぱなしで走ってる時代懐かしい。真夏なんか地獄、エアコン無しの扇風機☀️😵💦
懐かしい映像ありがとうございます。昔の人は急行桜島・霧島号の直角椅子に座って、24時間以上かけて東京から鹿児島や宮崎に行くのは当たり前のことでした。昭和45年当時は、学生団体割引で、1500円くらいで東京から九州まで行けたことを記憶しています。
直角椅子の拷問に平気で何十時間も耐えた当時の人。
最近流行の、やたらとキレる人を量産する原因に、快適すぎることも無関係ではないかな。
平成産まれですが、タイムスリップして急行桜島、霧島に乗ってみたいです!
1:20
USAの字がやけに巨大ですね
昔ブルートレイン富士は、西鹿児島(現鹿児島中央)まで1日以上かけて走っていました。しかしこの数年後に宮崎まで短縮され、さらにその後大分まで短縮されたのですね。
まだこの時は宮崎は新婚旅行のメッカだったよ
皇太子(現・上皇陛下)ご成婚の時ですよね?
見てるだけで羨ましい時代ですねぇ…
時代の流れには抗えないのか()
サムネがなんか良いですよね。
非電化区間の画像なんだろうけど線路と外部を隔てるものが何もなく、草むらの中を獣が這いつくばってるようなシンプルさ。
都城駅や竜ヶ水の風景が今とさほど変わってない事にビックリ。
DF50牽引の富士とか懐かし過ぎる。
当時は西鹿児島まで結んでいたから東京から乗り通したら所要時間がまる一日掛かったんだよな。
中学生の頃に九州へ行ったら、食堂車はありませんでしたがまだこのボンネットのにちりん号が走っていました。国鉄つばめ号の気品と格式を持つ凛としたたたずまいでした。ただ座席も当時のまままったく倒れないものでしたので中学生だったのに生まれてはじめて腰が痛くなったのはご愛嬌でした
もういまから40年ほど前のこの頃から、リニアモーターカーの話が出ていたのですね✨
0:27の小倉駅も、今ではかなり立派な駅ビルに生まれ変わっており、モノレールも発着しています。
音楽のセンスがすごいですね。
昭和53年だったと思うが王選手を見に宮崎に行ったな。
DF50カッコイイ。「富士」と言えば20系が好きだった。
この当時、DF50は国鉄唯一の電気式ディーゼル機関車でしたね。
4:16のML500形は、大阪の弁天町にあった交通科学博物館に展示されていました。さらに4:25の特急と競争する姿もかっこいいぞ!
思い出した。日向市はリニアモーターカーを実験していたな。
この頃、日豊本線には急行も走っていたし、普通電車も走っていた。
今では、急行なし。普通電車もあまり走ってない。
細かいことだけど、3:00くらいにある風景は、どうも臼杵市ではなくて津久見市の徳浦地区のような気がしますね。石仏は確かに臼杵にありますが、石灰石の産地は隣の津久見市ですもんね。どうも旧小野田セメント(現太平洋セメント)の津久見工場のような気がします。
2:59
臼杵の付近…津久見です💦
DF50はシゴナナの代わりになるよう期待されていたようですが実際の運用ではシゴナナほどの働きは出来なかったようです。
但し無煙化には一役買ったでしょうね。独特のエンジン音がいいですね。
5:28 ちょ、貫通扉オープン走行!東南アジア譲渡車のキハ52みたい
4:22
にちりんが11両だったなんてすごい。
0:34 の発車標に「急行 くにさき」の文字が!👍 当時はオール14系座席車で、門司で「阿蘇」と切り離されて単独編成になって小倉に到着します。。。14系座席車、上品な感じで大好きでしたが、夜行列車はすでに寝台利用が主体で 座席利用は下火になっており、1980年10月の改正で「阿蘇」「雲仙」「西海」とともに廃止されてしまいました。
5:17 DF50牽引 急行 日南 くずれの各停、青井岳駅進入ですね。懐かしい…
この時代に生まれたかった。
寝台特急[富士]は、日豊本線経由で、東京から西鹿児島まで何と、所要時間が24時間26分。通しで乗る人は、ごく僅かの鉄道マニアしかいませんでしたね。確かに、宮崎から西鹿児島まではDF50のディーゼル機関車で7両の客車を牽引していましたね。あの当時の、じょんのび旅行は一体何処ヘ行ってしまったのだろうか。40年以上前の、あの頃に戻れるものなら、戻りたい。
ありがとうございます
DF50東北に走ってなかったので、
子供のころ、興味深かったです。
こういう昔の映像、音が本物の音だったらどれだけいいことか。
別録りの後付けだもんなあ。
鉄道環境は、今も変わらない様な…。
高速バスは、当時と比べ充実してますがね。
1:11 キハ66+キハ67が。
日豊本線は鹿児島本線の東九州バージョンですね。
富士の食堂車がすでに基本編成側にない(大分止まりの付属編成側に移っている)
BGMが近未来的……😮
思わず485系のボンネットTYPEの屋根上がAU16?クーラーで揃っている。綺麗!
DF50は日豊本線が非電化だった時に活躍していたんですね。まさに国鉄ご自慢の戦後日本初の電気式ディーゼル機関車ではないでしょうか。
岡田裕志 キハE200系の謳い文句が「世界初のハイブリッド鉄道車両」だったがDF50の方が先だよな
最初かどうかは分からんけど
1978年ですね。
別府今とあんまり変わってなくて草
昭和50年代、北九州市の人口減少や、産業斜陽化が始まった頃ですね。
昔、北九州市→100万人口都市でした。
@@畑野よしゆき さん
昭和38年に5市合併で、北九州市が誕生した時の触れ込みが「九州初の政令指定都市」だった(福岡市が政令指定都市になったのは昭和47年)
3:55からBGMで流れてる「♪ラララランララ~」の曲名と歌手名を誰かご存知ですか?
当時よくCMやTV番組で使われていたので、とても気になっています。
フランス産の業務用ライブラリからの音源で、The Johnny Montevideo Group 「Summer Lovers」という曲です。こちらで聴けます→ th-cam.com/video/UaUYx_V3pGQ/w-d-xo.html
落ち着く
この時の「富士」は、東京駅から日豊本線まわりで西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)へ行く所要時間1日を誇る日本一の長距離ランナーだったんですね。今思えば、所要時間1日は日帰り主義の僕にとってはちょっときつい旅ですね。
確か東京を18時ちょうど発で、西鹿児島18:03到着でしたね。
3分だけ下り列車が2本運行されると言う。
でも上りは24時間以内で行っていたと記憶しています。
@@pipiyumio
1978年10月の国鉄ダイヤ改正時では、寝台特急『富士』は下りが東京18時発で西鹿児島着が
18時24分の所要時間24時間24分、上りは西鹿児島9時41分発で東京着が10時10分の所要時間
24時間29分でした。
私が鉄道にハマっていたのはもう少し後の1980年代前半でした。
1978年当時はもっと時間が掛かっていたのですね、知らなかったので自分の80年代前半の記憶で書いてしまいました。
申し訳ありません。
@@pipiyumio
お気にされなくても結構ですよ。
何せ約40年も昔の事ですから記憶が曖昧になってもおかしくないですからね。
ちなみに『富士』は1980年10月のダイヤ改正で、終点が西鹿児島から宮崎に運行区間が短縮
されたので、18時3分着は西鹿児島ではなく宮崎かもしれませんね。
あいにく手元に1980年10月ダイヤ改正の資料が無いので、断定はできませんが。
@@pipiyumio
その後 他の資料を見たところ、1979年9月25日に南宮崎~西鹿児島間の電化完成によって
日豊本線が全線電化となり、同年10月1日より『富士』の時刻が改正されて最初に投稿された
とおり、下りが東京18時発で西鹿児島着が
18時03分の所要時間24時間03分、上りは西鹿児島
10時15分発で東京着が10時10分の所要時間
23時間55分となりました。
横槍を入れてしまって申し訳ありませんでした。また、記憶の確かさに敬服いたします。
知っている・見たはずのものばかりだが、本当に走っていたのかと思ってしまった。今じゃもう夜行にも特急にも乗れない・・・まあ必要ないんですが。追体験してみたかったなあ。
「富士」、「彗星」、ヘッドマークが無かったのは淋しい。
本田譲治さん
この当時、ブルトレの牽引機関車にヘッドマークが取り付けられていたのは、東京発の、東海道・山陽線区間を担当する、EF651000番代PFだけでしたよ。
DF50が電気式なの凄すぎる
まだモノレールの通ってない小倉駅かー
宮崎県都農町。リニア実験線格上げで日豊新幹線、鹿児島発小倉行。小倉からリニア山陰新幹線新大阪へ。
DF50牽引の富士はコレのことだっけんですね。貴重な映像で、この間ヤフオクで落札したBトレDF50の一般色とぶどう色が届き、今度はヤフオクでBトレ富士14系を落札して手に入れたいです。
日豊本線福岡県内の存在感の薄さといったら今も昔も変わりませんなw小倉は鹿児島本線だし…
日豊本宮崎日向線鹿児島本線
当時は南宮崎以南は非電化だったんだ…。😅
小倉工場のシーンコマ送りしてしまいました
サイケなBGM だなあ。
にちりん乗りました。
いかん寝落ちした
さすがのリニアもその時代から研究すんのかw
おもろw
国鉄やなあ昭和やなあ日本やなあ
財部
U☆S☆A
富士が西鹿児島(いまの鹿児島中央)まで行く必要性はなかつた。西鹿児島までなら遠回りになる日豊本線を回る必要はないので鹿児島本線経由で行くであらう。要するに富士は最初から宮崎まででよかつたのだ。案外かういふところに無駄と非効率があつたかもしれない。
ちげ~よ!宮崎~西鹿児島とかのヒルネ需要だよ!😜
みやこんじょ 笑