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×厳しい環境で鍛えられた。○厳しい環境で弱い奴は全員死んだ。
確かに
スパルタかな?><
草
適者生存
あと甘い汁はなかったろうけど貴族はいた、強面だったんじゃないかな
今のモンゴルの武器はソ連やロシア製の物が多い
因みに紀元前から現代までの世界の戦争を種類別に纏めると、侵略目的の全面戦争はモンゴル帝国が勢力を伸ばした13世紀が一番恐ろしい数字になってる。日本の独立を守るためにこんな化け物大国と戦う事を決意した、当時18歳のリーダー北条時宗は本当に英雄。
なにせ示された選択肢が「服従か否か?」だけだったしね。なんにしろ感謝感謝・・・
服従していたらモンゴル軍にサムライの兵士が加わりさらに強くなるからやばい
回回とは回教徒の俗称
うぽつ動画面白かったです
蒙古の騎兵は、乗っている馬だけでなく、常に3頭から4頭の乗っていない馬を連れて、それまで乗っている馬が疲れたら休養をとった馬に乗り換えるという方針を取っていたため行軍のスピードが違うという利点があった。それと蒙古馬は牧草や穀物が必要でなく草原の草で済んだという利点があった。
てつはう「...俺の出番は?」毒矢「まぁ、待てって。」
元軍の強さで挙げられるのは命令系統の簡略化もある。「千戸制」とも呼ばれ、軍閥ごとに別の軍という当時の常識と比較するとむしろ近代軍に近かった。
大陸での戦闘でモンゴル軍はカタパルトランチャーを使用したり、クロスボウの原型らしき物と回転式ハンドル付きの自動装てん式の弓矢を用いている。騎兵は装甲騎兵にあたる騎兵もあったな。
「天高く馬肥ゆる秋」も本来の意味は「モンゴル来るから気を付けろ」だったみたいですね。
普段の食べ物=戦闘糧食“厳しい環境”にも程がある馬・弓矢・食糧を絶えず供給できたモンゴル帝国の兵站の凄まじさよ
最近ゴーストオブツシマやったから助かる助かる
戦術までは知らなかったですね。面白かったです!
モンゴル・ウルスの強さはそれまで勃興してきた遊牧民国家や集団以上に他国発祥の攻城兵器や火薬火器など優れた武器や統治に必要な諸制度や優れた人材を登用出来た柔軟さかな。奪い尽くすだけで賊徒同然の遊牧民集団ではここまで繁栄していない。
草原の武器は突厥の頃からあんまり変わっていないんですよね。回回砲は別として。攻城兵器は投入するために条件が厳しくなるので、戦略的な優位が決まっていないと簡単には投入できません。元の強さの半分は敵失じゃないのかなと思ったりしています。
そのように言ってる研究者の本を読んだことがあります。元が制服した国はどれも腐敗によって自壊寸前だったらしい
元々そういうところにバールをコジ入れて捏ねて分裂を決定的にしする諜報工作も得意だったからね。
お姉さん「ゆうちゃん!?そんな野蛮な戦い方しちゃダメよ!誉を大切にして!」
通りすがりのお侍様「誉れは浜で死にました!」
志村殿はちょっと黙ってて
あれはお侍様の戦いじゃねえ!><
鎌倉のBANZOKUズ「誉ってなんだぁ?」
ほまれのためならしねる(某イラスト)
弓って要するにバネ、板バネ式投射機だから素材の良さが矢飛びに直結するよね。ゴムの方のスリングショット(弾弓って言う)を矢が撃てるように改造した物もあるくらいだし。蒙古が使っているトルコ弓はロングボウと違ってW字にリカーブしてるから、弓の両端部分の狭い範囲のみが跳ねる構造になってる。和弓も薩摩弓は(リカーブしてるので)矢飛びが良いと高評価だったそう。あと、線端部分がポキッとくの字に折れてる03:28けど、アレは飾りじゃなくて弦は折れた部分に…ではなく当然だけど先端部分に結んである。アレは弓を引き切ると、弦が接触する箇所が折れた部分から先端に移る事により、弓の長さが擬似的に長くなる工夫。使わない時は短弓状で持ち運びやすく、引いた状態で保持するのが楽になり、引き絞ると擬似的に長弓の性能に……近付くんだとか。滑車のコンパウンドボウと大元の原理は一緒だね、アレも引き切ると急に楽になるから。
昔、ヘルツォークという戦争ゲームで 生産できる兵器をスピード命のバイク兵に全振りしたら対策されるまではめっちゃ勝てた思い出
今回の動画は評価が難しいなぁ。モンゴル帝国が分裂して元になったのは動画の通りだけど、モンゴル帝国軍=元軍ではないらしいですね。旧モンゴル帝国軍を頂点に支配している漢民族を使って南宋を滅ぼしたと考えるのが妥当じゃないかなぁと思います。その場合、元軍というのは騎馬兵主体ではない可能性が高いんですね。騎馬民族は確かに強いけど、地形の影響を受けやすいので南軍するのは大変だったと思います。
元寇って、実は日本の方が優勢だったらしいですよね。 (武士がモンゴル兵の首をいっぱい自陣に持ち帰ってきてたのが、よくあったらしい)
苦戦したのは最初の1、2戦くらいで相手の攻撃パターンさえわかれば・・・・・・・だったというのが真相らしいですね。
そもそも文永の役は敵の司令官を和弓で負傷せてますしね。
@@rerepopo663 ストロークの長いあの大弓で負傷させるなんて、すごいなぁ
だったら3回目で本軍だしてやっても良かったんだぜ?家どこだよ亡き者にしてやろうか?
@@goriatera1 江南兵と高麗兵の生き残りかな?
一人当たり最低5頭の馬があり、交代で馬を乗り換えるので一日100キロ以上行軍できる。モンゴル軍に喧嘩売ったら最後、逃げても逃げても追いかけて皆殺しにされる。まさに恐怖だったでしょうね。でも世界的に領土を拡大しすぎた結果、その無敵の騎馬軍団をだんだん維持できなくなり衰退する
ソ連と同じような末路で悲しいなぁ…
領土を広げすぎるとどこも同じですか。
フビライは戦争面はダメダメだけど、内政は今の北京の大都を発展させて経済を爆発させたり決して無能なトップじゃないですね。フビライ漢文を一から勉強して読んだ孫子を絶賛したり、元寇後に日本を警戒しつつ日本の物作りとか資源を評価して交易は認めてたりこの辺の采配は素晴らしい。
もう1つの話があって、強いのは内陸の平原だったからであって、元は朝鮮半島を制圧後東南の越南(現ベトナム)や海を渡って日本に侵略、タクラマカン砂漠を渡ってヨーロッパ方面にも手を出したが。元々内陸育ちのモンゴル、中国人が航海技術や泳ぎ方も知らないのに無理やり海に出たり、まったく気候の違うジャングルの湿地帯に侵攻、砂漠をこえて行ったら鋼鉄の鎧に身を包むまったく違う文明に伸び切った補給線。連勝だった蒙古も連敗に続き、意地が出来ず内部崩壊したそうだ。
@@植木屋けやきチャンネル やっぱり馬から降りて戦わないといけない状態になると、騎兵中心の部隊は脆いんですね。
元の強さは短弓もそうだけど馬による情報伝達の速さだと思ってる
フビライが即位した時の元軍って、中華の文化に感銘を受けて装備を整備は大変だけど威力が凄いモンゴル式の弓から、整備は楽で戦略の幅も広いけどその分威力は下がる中華式に切り替えてたらしいですね。
一説では無線機もない時代に優れた伝令網を敷いて1000キロ離れた部隊とも連携することができたとか?
後、似たような感じで圧倒的な機動力ってのも聞いたことある。ヨーロッパ各国は傭兵とか集めて戦争準備してる間に水平線から砂ぼこりがあがって来てなすすべなく蹂躙されたとかw馬を何匹か連れて交代させながら乗り捨てていくと馬は勝手に自分の巣であるモンゴルに戻っていくとか...。恐ろしすぎw
蒙古の強さは諜報戦と、騎馬による驚異的な速度と長大なコンバットラジアルにあると思う。日本への来寇では、半島の酋長に唆されての侵攻決定であり、情報源も半島経由で、まして半島謹製の艦船。モンゴルの強みを全て置き去りにして情報源も艦船も半島恃みでは戦わずして敗北は必至。て言うか、人類史上あの国と関わって全うした国や勢力は存在しない。誇張貫に皆無。随もそうだし天智天皇も豊臣秀吉も、アメリカですらベトナムでは辛酸を舐めた。
@@ベオベオ 多分それのせいで、実際の兵力よりも大軍だと勘違いして降伏したところもあるんじゃないかな…。
偽装退却は匈奴の頃からの常套戦法ですな。劉邦もこれに引っかかった。戦場を鳥瞰出来る目が無い限り、偽装退却なり「囲師欠くべし」の一方のみ退路を開ける戦法にも、簡単にハマってしまう。シンプルながら効果的な戦法です。
後の世界大戦時の司令官も「先生」と言って尊敬する位、モンゴル軍の司令官スブタイは凄い名将。かの有名なハンガリーとポーランドを蹂躙したワールシュタットの戦いは、モンゴル軍欧州遠征時に部下から「どこまで行きますか?」言われたら「進む大地が無くなるまで進もう!」言ってその途中のお遣い感覚の戦い。この時もしも時のハーンの死去のトラブルが無かったら、間違いなく欧州全域もモンゴルに支配されてた。
後世で敬われる点で北条義時(勝海舟に絶賛された)を思い出しました。しかし鎌倉は恐ろしい時代だ...
レッドソルジャー
モンゴルの命令に使っていた弓の矢事も動画にしてください。色んな種類の角を使った矢が面白いです。
なお、南宋首都は無血開城
考えてみると、長距離競馬の強い馬も比較的小さい傾向があるので、長距離行軍する馬が小柄な方が良いのは必然的なのかも知れないですね…
戦略に戦術に優れて、過酷な環境で培った精神をもつ兵士強い訳
補給の問題を解決している事も大きいでしょうね。草原を移動する限り馬の餌は無尽蔵、食料であるたくさんの羊と全財産と共に移動するので、ナポレオンのロシア遠征のように移動するだけでみるみる兵士が減っていくなんて事もなかったはず。実際モンゴルは史上唯一ロシアの冬将軍に勝利しています。
チンギス飯にフビライ飯・・・糧食解説も始まるのだろうか?w
チャガタイ飯にオゴタイ飯
そういや、モンゴルも重騎兵あったんだね元も似たようなものなのかな?
ハングリー精神ってやつかな
南宋の名将呂文煥の守る襄陽城を攻略する際に使われたのが、支那における回回砲デビュー戦。
話によると、元寇の時はほぼモンゴル人じゃなかったのと、日本の陸地に上手く展開できなかったのが負けた原因らしい。もしかすると、ベトナムでの敗退も似たような話があったりするんだろうか?
陸続きだと補給、増兵も簡単だけど、上陸作戦だと全部手持ちの兵力でどうにかするしかないから、難しいね。上陸地点も限られるから、正面戦闘せざるをえないし。
別の戦史解説を聞きかじった知識になるけど、実際モンゴルは降伏した土地の軍隊を攻城戦とかに充てるから、本軍である騎馬部隊はあまり損耗させずに戦えたなんて話も…もっともそれを差し引いても野戦ではまず負けない、扱う弓の強さも現代のスポーツ用の弓の数倍強かったらしいから十分バケモノですがwあと馬乳や干し肉など保存食も大量に持ち込めて未踏不毛の地でも行軍できたとか、窒息性の煙を出す煙玉みたいな化学兵器じみたモノを使ったりとか…とある都市を攻めた際にはペストで死んだ自軍の兵士の遺骸を投石機でその城壁内部に放り込んだりしたらしくて、それが中世のペスト大流行の切欠になったとかならなかったいう笑うに笑えない話もありましたっけ…
…進撃の巨人の地ならしはモンゴル帝国の蹂躙ぶりをヒントにしているかもしれませんねェ…"(-""-;)"
まあ今回も元の首都に陣取るやつらから病気が感染者を送ることで広まったし
それが「督戦隊」の思想ですね。征服した民族を危険な最前線に送り、逃げようとする兵士を背後からモンゴル人が殺す。それを現在も受けついでいるのがロシアです。
蒙古との合戦は竹崎季長が絵巻物に書き残しています
あの絵巻は竹崎季長が自分の恥ずかしい失敗も隠さず全部正直に載せてるのも良いですねw
武装や兵の個人的な強さ以上に、集団戦の練度が比べ物にならなかったという見方がある当時のヨーロッパなんて騎兵は貴族がめいめい勝手に突撃し従者がそれに付いていく、歩兵と騎兵の連携も取れていない、とても集団戦の体をなしていなかったと基本的に全員が同じ騎乗と騎射のスキルを持ち、狩りを模した戦闘訓練を重ねて、統一された一つの生き物のように動くモンゴルとでは戦いにならなかった
蛮族が蛮族攻めたらうんこ投げられた元寇
「武器紹介!?えぐい厨二心をくすぐる内容だなぁ‼」っと思って見に来ましたが、コメント欄の皆さんが博識すぎて、武器沼はまだ自分には早いかもと思う今日この頃
擬装退却、釣り野伏と同じですな。
当時の日本の武士たちが当時のモンゴルからの侵略をよく止められたなと見るたびに思いますね…当時の日本側も負けずに恐ろしい戦略をとってたのもあるのか。当事者には辛すぎるだろうけど。
まぁ、実質的には朝鮮人との戦争だったからなぁ、あと上陸戦で騎兵の利点活かせないし
学校で元寇の時に習った、「てつはう」は紹介されなかったか。手榴弾みたいなやつだっけ?
チンギスはん「死体投げ~ どんだけ~」
「あぁ〜んじゃぁこっちは糞尿投げ〜」
BANZOKU「人質取ってやがる!?せや!ワイ達もやろ!」こうして鎌倉のBANZOKUズが勝ちました
欧州人「ぎゃあ~、ペストまき散らすなぁ!」
@@mannschnee8016 共産主義輸出するな
日本在来馬もDNAによればルーツは蒙古の馬なんよね日本列島に元々は馬いなかったからね
氷河期にいた馬が縄文早期までに半島へ渡り北方の種と合流する前に家畜化され5世紀にまた移入 なのではないかと思う。沖縄在来馬を含む日本馬と北方乾燥地帯の馬が同じルーツとは考えにくい。
おねえさんから騎兵や攻城兵器と聞くとガリアンが浮かんできました。。頭の中の「ガリアン・ワールド」が止まりません!次はロマン武器ジャバラブレードをリクエストします!
…シルバーのメタリック塗装加工がしてあるプラモデルを作った思い出話…(-.-;)y-~~~フウ…
@@ひよこミキサーピエン ウィンガル・ジーですね!ストーリーに沿った意味あるメタリック加工でいい出来でしたよね~。百式のゴールドメッキと同じくらいww
強力な騎兵強力な装備異国から手に入れた攻城兵器そんなものは強さの本質ではなく強い理由は指揮官が強かったからと
いつも思うのだが、モンゴル軍は馬を複数頭連れてて馬を乗り換えるて戦い方だけど、馬は帰還能力があるから馬が尽きる事は無い的な話しを聞くが。遊牧民なんだからあちこち移動するのに馬はちゃんと集落に帰れるのか?それにその馬達にとっての帰還したがる住処って何処なんだろ?
…優しい飼い主さんの所じゃないかなァ…スーホの白い馬みたいな…"(-""-;)"
チンギス・ハン「ここか、珍妙なる武器を売る店とは?」家来「はい、古今東西様々な珍妙なる武器の手には入る謎多き店です。なんでも店主は見目麗しい乙女とか」チンギス・ハン「ははは、ならば店ごと店主も征服してくれようぞ!!御免!!」フラン「はい?」チンギス・ハン「❤😍儂と結婚して下さい!!💐」
一夫多妻じゃなかったかなチンギスハン
儂のオルドに入らないか?
あーあ こうしてさらに強くなる
超面白かった!&考えさせられました。孫子は、前人未踏の徹底した合理主義者ですよね。チンギス・ハーンと将軍、優れた人間が能力を出し切ると、こんなこと(世界制覇)も出来るんだなあ、って感慨深いです。蒙古馬の可愛さと、回回砲のデザインの良さに感心しましたww
???「あやつらの武器に誉れなど無いわ!!」
おねえさんはそう言ってるじゃん
お侍様の戦い方じゃない…
逃げたふり、バーサーカーは想定以上の勢いで追いかけてくる・・・退路に誘導、バーサーカーは逃げるとか考えていない・・・恐怖を与える戦術、バーサーカーには効かない・・・相手によって柔軟に戦術は変えないとダメですね。
馬や投石機じゃ海上戦闘や上陸作戦には使えないわな。日本攻略には別の手を考えないと。
陸を移動するのとは訳が違うからね。1番の問題は兵站の確保だ
モンゴルマンはさすがに解説なかったな。
モンゴル人、トルコ人、満州人、みんなモンゴル高原で生まれて、最強の騎馬民族国家を作りました…。
地続きの平地だったからこその機動力とパワーだったのがうかがえますね。逆に、途中に山岳地帯があったり、海で隔てられた所への攻撃は非常に苦手だったことが推察されます。元寇で日本が撃退できたのは地の利による部分が結構大きいようです。「われらの勝ちだ!ハーン! 地の利を得たぞ!!」
単に「平地」というより、馬が草を食める場所であることが重要です。ユーラシアステップは草原にとっては肥沃な大地で飼葉に支障をきたさなかったのです。それでも最適な牧草地の偵察・分析は斥候・偵察隊には重要な任務で、これに基づいてモンゴルは兵を動かしました。牧草地は戦力である馬の飼葉になり、補給品生産力である羊を伴う後方拠点にもなる。この「兵站が自然に点在する」これがモンゴルを大帝国にした理由のひとつかと。あと、西方でも、東欧で進撃が止まったのは馬が食む草の植生が違ってきたので進撃が困難になったからだとの説がありますね。
国家元首の一大事でやらかしがちな元さん
釣り野伏やん。転生して島津家になっただろ…この人たち
商人をスパイに使ったり早馬による伝令の速さや降伏させた国の兵士の徴用などもあって古参兵や将軍の維持をしつつ勝利するのも大きな要因だと思います。元寇は、宋人と高麗人で攻めて来たから元はそんなに痛くない。
でも、威信の失墜という意味では痛かったのではなかろうか?
勇者様の戦い方じゃない……
勇者じゃない、冥人さ!
騎馬の機動力は勿論の事としても、小隊に分けて奇襲攻撃とは、現代戦の走りですね。日本で此の戦法が使われるように成ったのは、幕末の長州藩の奇兵隊からでは無いでしょうか。この頃各藩で、西洋式の戦術を取り入れて行くのです。日本は元軍の本当の騎馬軍とは戦っていません。島国の地学的優位と十分な準備で相手を退け、この時の大損害が元の再攻撃を防ぐことになります。お姉さん、何時か元海軍編もよろしく頼むよ。
海軍編・元寇編もやる予定でおります。
@@buki8 お姉さん頑張っちゃいますね。
短弓 骨と筋だったか?
最強騎兵&最強指揮官来た、これで勝つる!(ランドパワー限定に限る)(ベトナムに大敗)
日本が島国じゃなかったら確実的に負けてた
戦闘力がヤバい鎌倉武士だし元寇時での戦いで日本刀と薙刀の威力は、元軍の動物の皮の鎧じゃ全く防げなかった。その証拠に元寇敗戦時の元側の敗戦分析の内容ガチでトラウマ感全開で見てると興味深い。「今まで私は世界中の国で色んな戦士と戦って来たけど、日本の武士程優秀な戦士は見た事無い」とか、「倭人は狼で死を恐れない。もしも一人が十人に会っても臆せず立ち向かう」とか、「今の倭人は私たちの知ってる白村江の戦いの倭人ではない、あの時よりも十倍強くて今や大陸の戦士の侵略を拒まんとする」とかどれもこれも大絶賛ばっかり。
日本厨は亡き者にしてやろうか?本軍出してやってもよかったんだぜ?家どこだよ
@@goriatera1 なおその前に家どころかモンゴル帝国が滅びた模様
馬は強いし、馬を活躍させる装備が更に軍を強くしていたと思うが、如何せん地の利がな…馬は海じゃ活躍できん
元兵「負けたのは敵が異常に強かったせいで俺の責任じゃないよ、実際これくらい強かったよ(少しくらい盛っても分からんやろ……」
@@goriatera1 満蒙工作で、日本軍に単于を復活させてもらった恩を忘れやがってw
モンゴリアンチョップは?武器じゃないか
日本への出兵を唆したのは高麗。船の建造も高麗。対馬を凌辱し、現代Kは対馬がK領と言う。
16歳から60歳まで男子全員戦闘要員?常時ドイツ国民突撃隊状態か!
蒙古馬って日本の木曾馬とたいして変わらない、ルーツが一諸かも知れない。
木曽馬、愛くるしいです
♪ウッ!ハッ~!ジンジンジンギスカ~ン!
なんという懐かしいネタをw因みに本場のモンゴル人が歌ったバージョンがありましたね。ジンギスカンではなくチンギスハーンに発音は近かったですが。
「てつはう」「毒」は解説されるでしょうね、きっと。「知恵」は武器に入るのでしょうか?
スブタイとジュベは後世の時代でも評価される名将ですね。
冥人たちが集うコメ欄・・・。
元(モンゴル帝国)は東洋…いや、世界一の巨大帝国だと思うのは、おかしい?おかしくない?
大航海時代に出現したスペイン、大英帝国はモンゴルを凌ぐ大帝国を築いた。スペインをは破った大英帝国は全地球をほぼ征服したので「日の沈まぬ帝国」になった。いまだにこれを凌ぐ帝国は出現していない。
モンゴル弓やベー。後、奴らの真の敵は野うさぎとかだったって。シモヘイヘが大量に迫ってくる感じかな?中国から他国、特に中国攻めてくる騎馬民族は悪く書くらしいから。みんな史記でみたことある戦法だし...。
ゆうちゃん、勇者って・・・勇ましそうに見えない・・・
回=回砲…
蒙古のあまりの強さに恐れおののいた西欧人は、人馬一体のケンタウロスを想像したそうです。射手座のモデルは蒙古なのでしょうね。
A「そういやA君何座だっけ?」B「僕北斗七星座ですね」A「エッ……?!」B「???」A「じ、じゃあC君何座だっけ…?」C「俺ですか?俺はーーー」C「蒙 古 座 で す」A「ヒッ…」ガクガクブルブル
ケンタウロスのモデルは蒙古じゃなくてスキタイ人では?というよりケンタウロスが描かれた時代なんか明らかに蒙古のヨーロッパ侵攻より遥かに前だろ
お姉さんに代わりまして俺が・・・元寇の原稿が現行犯すみませんでした
あまりの面白さに僕の瞳が減光
@@mirin1297 優しいかよw
モンゴル軍の戦術について別の動画での分析例で恐縮ですが(^^;チンギス・ハーンの有能な将軍たちは、幼い頃から子飼いとして近侍させ、徹底的に戦略思想を植えつけたそうです。そうすることで、広大な戦線においても、最低限の伝令で遠隔地で戦っている他の将軍達の戦術を「予測して」リアルタイムに行動して共同作戦を遂行し得たそうです。本当かどうかは定かではありませんが、伝説的なモンゴル軍の精強さを思えば、あながち嘘っぱちとも思えません@@
自慢の馬も、沢山は船で輸送は無理だから、日本へは歩兵が中心でしょ?それじゃぁ中々難しいし、馬があっても草原は少ないから、やっぱ制圧は無理だったと思う。
仮に京都をできても各地の領主が素直に従うとは思えないので泥沼になると思います。
西洋騎士「ハハハ、大柄な体を立派な金属鎧で覆った我ら誇り高き騎士が、あんな馬も人も武器も小さな奴等に負けるわけがない そら、逃げ出したぞ!追撃だ!……え?見せかけ作戦?卑怯な!……くっ、殺せ!」モンゴル兵「言われるまでもなく皆殺しだ!」
ぶっちゃけ中世はそんなでかくないヨーロッパ人
しかも当時の鎧はチェインメイル、プレートアーマーは百年戦争から。モンゴル帝国の通商路による世界経済の発展が西欧の製鉄技術を発達させたと思うのは考えすぎかな?
食生活が豊かとは思えないので、成人男性150㌢ぐらいだろうか?
騎士階級以上は肉をメインとした栄養価の高い食事をとっていたので身体が大きいですね、戦時中の話ですが英国兵は体の大きさでどの階級出身の人間か直ぐに分かったそうです。
@@ねおぞえ 失礼しました。「プレートアーマー」を「立派な金属鎧」に変更しました。やっぱりくっころと言いたいという欲望だけで、うろ覚えで書くもんじゃないですねw
フトンがふっとんだ(棒)おねえさん…アノ日ですか?w
ドーショー!ドーショー!
…映画なんかで地球を侵略して来る【宇宙人】達は、すべからくモンゴル帝国みたいな感じなんだよねェ…或いは、飛蝗害?みたいな…(-.-;)y-~~~フウ…
思うこと虚偽の撤退作戦に引っかかる人⋯⋯伯父上や政子殿。石川先生⋯⋯には無用の心配か。
モンゴル人の力士が強いのは、当然とも言えますね過酷な環境に耐えるタフさ、馬上で鍛え抜かれた体幹、それだけでも鬼のような強さなのに勝つためには敢えて、小狡いと批判を受ける決まり手も辞さない…神事の側面を理解していないのではなく、日本語も相撲の決まり手も深く学んでいる故の事だと思います情報を敏速に受け取り、理解する能力に長けていたモンゴル兵の強さをも受け継いでいるのかも?
も…元の武器?
黒曜石や鹿のツノの加工品にまで戻りますか♪
( ╹□╹ )←武器屋のお姉さん
まさか蒙古どもの弓がそんなに優秀だったとは・・・Ghost of Tsushima では日本の弓の方が優秀だったけど、現実は敵の方がよっぽど長距離を射抜くことが出来たのか!!??恐ろしい。
蒙古のコンポジットボウは強力無比な当時のオーパーツ兵器でしたが、製造が難しく量産には不向きだった為、元では中国式の弓に配備がシフトされており、直属の蒙古騎兵以外はほぼ中華式弓でした。また、日本の鎧兜は対弓防御に特化した物ですので、騎馬弓兵VS騎馬弓兵の戦いであった元寇においては重装騎兵を用意出来なかった元側が不利になるのも当然の結果と言えます。
まあ平地で勝負すれば相手にもならんだろうけども、遊牧民が遠距離航海からの上陸戦してるわけだし、むしろ負けたらどれだけ雑魚なん?って話でしょ。
×厳しい環境で鍛えられた。
○厳しい環境で弱い奴は全員死んだ。
確かに
スパルタかな?><
草
適者生存
あと甘い汁はなかったろうけど貴族はいた、強面だったんじゃないかな
今のモンゴルの武器はソ連やロシア製の物が多い
因みに紀元前から現代までの世界の戦争を種類別に纏めると、侵略目的の全面戦争はモンゴル帝国が勢力を伸ばした
13世紀が一番恐ろしい数字になってる。
日本の独立を守るためにこんな化け物大国と戦う事を決意した、当時18歳のリーダー北条時宗は本当に英雄。
なにせ示された選択肢が「服従か否か?」だけだったしね。なんにしろ感謝感謝・・・
服従していたらモンゴル軍にサムライの兵士が加わりさらに強くなるからやばい
回回とは回教徒の俗称
うぽつ
動画面白かったです
蒙古の騎兵は、乗っている馬だけでなく、常に3頭から4頭の乗っていない馬を連れて、それまで乗っている馬が疲れたら休養をとった馬に乗り換えるという方針を取っていたため行軍のスピードが違うという利点があった。それと蒙古馬は牧草や穀物が必要でなく草原の草で済んだという利点があった。
てつはう「...俺の出番は?」毒矢「まぁ、待てって。」
元軍の強さで挙げられるのは命令系統の簡略化もある。「千戸制」とも呼ばれ、軍閥ごとに別の軍という当時の常識と比較するとむしろ近代軍に近かった。
大陸での戦闘でモンゴル軍はカタパルトランチャーを使用したり、クロスボウの原型らしき物と回転式ハンドル付きの自動装てん式の弓矢を用いている。騎兵は装甲騎兵にあたる騎兵もあったな。
「天高く馬肥ゆる秋」も本来の意味は「モンゴル来るから気を付けろ」だったみたいですね。
普段の食べ物=戦闘糧食
“厳しい環境”にも程がある
馬・弓矢・食糧を絶えず供給できたモンゴル帝国の兵站の凄まじさよ
最近ゴーストオブツシマやったから助かる助かる
戦術までは知らなかったですね。面白かったです!
モンゴル・ウルスの強さはそれまで勃興してきた遊牧民国家や集団以上に他国発祥の攻城兵器や火薬火器など優れた武器や統治に必要な諸制度や優れた人材を登用出来た柔軟さかな。
奪い尽くすだけで賊徒同然の遊牧民集団ではここまで繁栄していない。
草原の武器は突厥の頃からあんまり変わっていないんですよね。回回砲は別として。
攻城兵器は投入するために条件が厳しくなるので、戦略的な優位が決まっていないと簡単には投入できません。
元の強さの半分は敵失じゃないのかなと思ったりしています。
そのように言ってる研究者の本を読んだことがあります。元が制服した国はどれも腐敗によって自壊寸前だったらしい
元々そういうところにバールをコジ入れて捏ねて分裂を決定的にしする諜報工作も得意だったからね。
お姉さん「ゆうちゃん!?そんな野蛮な戦い方しちゃダメよ!誉を大切にして!」
通りすがりのお侍様「誉れは浜で死にました!」
志村殿はちょっと黙ってて
あれはお侍様の戦いじゃねえ!><
鎌倉のBANZOKUズ「誉ってなんだぁ?」
ほまれのためならしねる(某イラスト)
弓って要するにバネ、板バネ式投射機だから素材の良さが矢飛びに直結するよね。
ゴムの方のスリングショット(弾弓って言う)を矢が撃てるように改造した物もあるくらいだし。
蒙古が使っているトルコ弓はロングボウと違ってW字にリカーブしてるから、弓の両端部分の狭い範囲のみが跳ねる構造になってる。
和弓も薩摩弓は(リカーブしてるので)矢飛びが良いと高評価だったそう。
あと、線端部分がポキッとくの字に折れてる03:28けど、アレは飾りじゃなくて弦は折れた部分に…ではなく当然だけど先端部分に結んである。
アレは弓を引き切ると、弦が接触する箇所が折れた部分から先端に移る事により、弓の長さが擬似的に長くなる工夫。
使わない時は短弓状で持ち運びやすく、引いた状態で保持するのが楽になり、引き絞ると擬似的に長弓の性能に……近付くんだとか。
滑車のコンパウンドボウと大元の原理は一緒だね、アレも引き切ると急に楽になるから。
昔、ヘルツォークという戦争ゲームで
生産できる兵器をスピード命のバイク兵に全振りしたら
対策されるまではめっちゃ勝てた思い出
今回の動画は評価が難しいなぁ。モンゴル帝国が分裂して元になったのは動画の通りだけど、モンゴル帝国軍=元軍ではないらしいですね。
旧モンゴル帝国軍を頂点に支配している漢民族を使って南宋を滅ぼしたと考えるのが妥当じゃないかなぁと思います。
その場合、元軍というのは騎馬兵主体ではない可能性が高いんですね。
騎馬民族は確かに強いけど、地形の影響を受けやすいので南軍するのは大変だったと思います。
元寇って、実は日本の方が優勢だったらしいですよね。 (武士がモンゴル兵の首をいっぱい自陣に持ち帰ってきてたのが、よくあったらしい)
苦戦したのは最初の1、2戦くらいで相手の攻撃パターンさえわかれば・・・・・・・だったというのが真相らしいですね。
そもそも文永の役は敵の司令官を和弓で負傷せてますしね。
@@rerepopo663 ストロークの長いあの大弓で負傷させるなんて、すごいなぁ
だったら3回目で本軍だしてやっても良かったんだぜ?
家どこだよ亡き者にしてやろうか?
@@goriatera1 江南兵と高麗兵の生き残りかな?
一人当たり最低5頭の馬があり、交代で馬を乗り換えるので一日100キロ以上行軍できる。モンゴル軍に喧嘩売ったら最後、逃げても逃げても追いかけて皆殺しにされる。まさに恐怖だったでしょうね。でも世界的に領土を拡大しすぎた結果、その無敵の騎馬軍団をだんだん維持できなくなり衰退する
ソ連と同じような末路で悲しいなぁ…
領土を広げすぎるとどこも同じですか。
フビライは戦争面はダメダメだけど、内政は今の北京の大都を発展させて経済を爆発させたり
決して無能なトップじゃないですね。
フビライ漢文を一から勉強して読んだ孫子を絶賛したり、元寇後に日本を警戒しつつ日本の物作りとか
資源を評価して交易は認めてたりこの辺の采配は素晴らしい。
もう1つの話があって、強いのは内陸の平原だったからであって、元は朝鮮半島を制圧後東南の越南(現ベトナム)や海を渡って日本に侵略、タクラマカン砂漠を渡ってヨーロッパ方面にも手を出したが。
元々内陸育ちのモンゴル、中国人が航海技術や泳ぎ方も知らないのに無理やり海に出たり、まったく気候の違うジャングルの湿地帯に侵攻、砂漠をこえて行ったら鋼鉄の鎧に身を包むまったく違う文明に伸び切った補給線。
連勝だった蒙古も連敗に続き、意地が出来ず内部崩壊したそうだ。
@@植木屋けやきチャンネル やっぱり馬から降りて戦わないといけない状態になると、騎兵中心の部隊は脆いんですね。
元の強さは短弓もそうだけど馬による情報伝達の速さだと思ってる
フビライが即位した時の元軍って、中華の文化に感銘を受けて装備を
整備は大変だけど威力が凄いモンゴル式の弓から、整備は楽で戦略の幅も広いけど
その分威力は下がる中華式に切り替えてたらしいですね。
一説では無線機もない時代に優れた伝令網を敷いて1000キロ離れた部隊とも連携することができたとか?
後、似たような感じで圧倒的な機動力ってのも聞いたことある。ヨーロッパ各国は傭兵とか集めて戦争準備してる間に水平線から砂ぼこりがあがって来てなすすべなく蹂躙されたとかw馬を何匹か連れて交代させながら乗り捨てていくと馬は勝手に自分の巣であるモンゴルに戻っていくとか...。恐ろしすぎw
蒙古の強さは諜報戦と、騎馬による驚異的な速度と長大なコンバットラジアルにあると思う。
日本への来寇では、半島の酋長に唆されての侵攻決定であり、情報源も半島経由で、まして半島謹製の艦船。モンゴルの強みを全て置き去りにして情報源も艦船も半島恃みでは戦わずして敗北は必至。
て言うか、人類史上あの国と関わって全うした国や勢力は存在しない。誇張貫に皆無。随もそうだし天智天皇も豊臣秀吉も、アメリカですらベトナムでは辛酸を舐めた。
@@ベオベオ
多分それのせいで、実際の兵力よりも大軍だと勘違いして降伏したところもあるんじゃないかな…。
偽装退却は匈奴の頃からの常套戦法ですな。
劉邦もこれに引っかかった。
戦場を鳥瞰出来る目が無い限り、偽装退却なり「囲師欠くべし」の一方のみ退路を開ける戦法にも、簡単にハマってしまう。
シンプルながら効果的な戦法です。
後の世界大戦時の司令官も「先生」と言って尊敬する位、モンゴル軍の司令官スブタイは凄い名将。
かの有名なハンガリーとポーランドを蹂躙したワールシュタットの戦いは、モンゴル軍欧州遠征時に部下から「どこまで行きますか?」言われたら「進む大地が無くなるまで進もう!」言ってその途中のお遣い感覚の戦い。
この時もしも時のハーンの死去のトラブルが無かったら、間違いなく欧州全域もモンゴルに支配されてた。
後世で敬われる点で北条義時(勝海舟に絶賛された)を思い出しました。
しかし鎌倉は恐ろしい時代だ...
レッドソルジャー
モンゴルの命令に使っていた弓の矢事も動画にしてください。色んな種類の角を使った矢が面白いです。
なお、南宋首都は無血開城
考えてみると、長距離競馬の強い馬も比較的小さい傾向があるので、長距離行軍する馬が小柄な方が良いのは必然的なのかも知れないですね…
戦略に戦術に優れて、過酷な環境で培った精神をもつ兵士
強い訳
補給の問題を解決している事も大きいでしょうね。草原を移動する限り馬の餌は無尽蔵、食料であるたくさんの羊と全財産と共に移動するので、ナポレオンのロシア遠征のように移動するだけでみるみる兵士が減っていくなんて事もなかったはず。実際モンゴルは史上唯一ロシアの冬将軍に勝利しています。
チンギス飯にフビライ飯・・・糧食解説も始まるのだろうか?w
チャガタイ飯にオゴタイ飯
そういや、モンゴルも重騎兵あったんだね
元も似たようなものなのかな?
ハングリー精神ってやつかな
南宋の名将呂文煥の守る襄陽城を攻略する際に使われたのが、支那における回回砲デビュー戦。
話によると、元寇の時はほぼモンゴル人じゃなかったのと、日本の陸地に上手く展開できなかったのが負けた原因らしい。
もしかすると、ベトナムでの敗退も似たような話があったりするんだろうか?
陸続きだと補給、増兵も簡単だけど、上陸作戦だと全部手持ちの兵力でどうにかするしかないから、難しいね。
上陸地点も限られるから、正面戦闘せざるをえないし。
別の戦史解説を聞きかじった知識になるけど、実際モンゴルは降伏した土地の軍隊を攻城戦とかに充てるから、本軍である騎馬部隊はあまり損耗させずに戦えたなんて話も…もっともそれを差し引いても野戦ではまず負けない、扱う弓の強さも現代のスポーツ用の弓の数倍強かったらしいから十分バケモノですがw
あと馬乳や干し肉など保存食も大量に持ち込めて未踏不毛の地でも行軍できたとか、窒息性の煙を出す煙玉みたいな化学兵器じみたモノを使ったりとか…とある都市を攻めた際にはペストで死んだ自軍の兵士の遺骸を投石機でその城壁内部に放り込んだりしたらしくて、それが中世のペスト大流行の切欠になったとかならなかったいう笑うに笑えない話もありましたっけ…
…進撃の巨人の地ならしは
モンゴル帝国の蹂躙ぶりを
ヒントにしているかもしれませんねェ…"(-""-;)"
まあ今回も元の首都に陣取るやつらから病気が感染者を送ることで広まったし
それが「督戦隊」の思想ですね。征服した民族を危険な最前線に送り、逃げようとする兵士を背後からモンゴル人が殺す。それを現在も受けついでいるのがロシアです。
蒙古との合戦は竹崎季長が絵巻物に書き残しています
あの絵巻は竹崎季長が自分の恥ずかしい失敗も隠さず全部
正直に載せてるのも良いですねw
武装や兵の個人的な強さ以上に、集団戦の練度が比べ物にならなかったという見方がある
当時のヨーロッパなんて騎兵は貴族がめいめい勝手に突撃し従者がそれに付いていく、歩兵と騎兵の連携も取れていない、とても集団戦の体をなしていなかったと
基本的に全員が同じ騎乗と騎射のスキルを持ち、狩りを模した戦闘訓練を重ねて、統一された一つの生き物のように動くモンゴルとでは戦いにならなかった
蛮族が蛮族攻めたらうんこ投げられた元寇
「武器紹介!?えぐい厨二心をくすぐる内容だなぁ‼」っと思って見に来ましたが、コメント欄の皆さんが博識すぎて、武器沼はまだ自分には早いかもと思う今日この頃
擬装退却、
釣り野伏と同じですな。
当時の日本の武士たちが当時のモンゴルからの侵略をよく止められたなと見るたびに思いますね…当時の日本側も負けずに恐ろしい戦略をとってたのもあるのか。当事者には辛すぎるだろうけど。
まぁ、実質的には朝鮮人との戦争だったからなぁ、あと上陸戦で騎兵の利点活かせないし
学校で元寇の時に習った、「てつはう」は紹介されなかったか。手榴弾みたいなやつだっけ?
チンギスはん「死体投げ~ どんだけ~」
「あぁ〜んじゃぁこっちは糞尿投げ〜」
BANZOKU「人質取ってやがる!?せや!ワイ達もやろ!」
こうして鎌倉のBANZOKUズが勝ちました
欧州人「ぎゃあ~、ペストまき散らすなぁ!」
@@mannschnee8016 共産主義輸出するな
日本在来馬もDNAによればルーツは蒙古の馬なんよね
日本列島に元々は馬いなかったからね
氷河期にいた馬が縄文早期までに半島へ渡り北方の種と合流する前に家畜化され
5世紀にまた移入 なのではないかと思う。
沖縄在来馬を含む日本馬と北方乾燥地帯の馬が同じルーツとは考えにくい。
おねえさんから騎兵や攻城兵器と聞くとガリアンが浮かんできました。。頭の中の「ガリアン・ワールド」が止まりません!次はロマン武器ジャバラブレードをリクエストします!
…シルバーのメタリック塗装加工が
してあるプラモデルを作った
思い出話…(-.-;)y-~~~フウ…
@@ひよこミキサーピエン ウィンガル・ジーですね!ストーリーに沿った意味あるメタリック加工でいい出来でしたよね~。百式のゴールドメッキと同じくらいww
強力な騎兵強力な装備異国から手に入れた攻城兵器そんなものは強さの本質ではなく強い理由は指揮官が強かったからと
いつも思うのだが、モンゴル軍は馬を複数頭連れてて馬を乗り換えるて戦い方だけど、馬は帰還能力があるから馬が尽きる事は無い的な話しを聞くが。
遊牧民なんだからあちこち移動するのに馬はちゃんと集落に帰れるのか?
それにその馬達にとっての帰還したがる住処って何処なんだろ?
…優しい飼い主さんの所じゃないかなァ…
スーホの白い馬みたいな…"(-""-;)"
チンギス・ハン「ここか、珍妙なる武器を売る店とは?」
家来「はい、古今東西様々な珍妙なる武器の手には入る謎多き店です。なんでも店主は見目麗しい乙女とか」
チンギス・ハン「ははは、ならば店ごと店主も征服してくれようぞ!!御免!!」
フラン「はい?」
チンギス・ハン「❤😍儂と結婚して下さい!!💐」
一夫多妻じゃなかったかなチンギスハン
儂のオルドに入らないか?
あーあ こうしてさらに強くなる
超面白かった!&考えさせられました。孫子は、前人未踏の徹底した合理主義者ですよね。チンギス・ハーンと将軍、優れた人間が能力を出し切ると、こんなこと(世界制覇)も出来るんだなあ、って感慨深いです。蒙古馬の可愛さと、回回砲のデザインの良さに感心しましたww
???「あやつらの武器に誉れなど無いわ!!」
おねえさんはそう言ってるじゃん
お侍様の戦い方じゃない…
逃げたふり、バーサーカーは想定以上の勢いで追いかけてくる・・・
退路に誘導、バーサーカーは逃げるとか考えていない・・・
恐怖を与える戦術、バーサーカーには効かない・・・
相手によって柔軟に戦術は変えないとダメですね。
馬や投石機じゃ海上戦闘や上陸作戦には使えないわな。
日本攻略には別の手を考えないと。
陸を移動するのとは訳が違うからね。1番の問題は兵站の確保だ
モンゴルマンはさすがに解説なかったな。
モンゴル人、トルコ人、満州人、みんなモンゴル高原で生まれて、最強の騎馬民族国家を作りました…。
地続きの平地だったからこその機動力とパワーだったのがうかがえますね。逆に、途中に山岳地帯があったり、海で隔てられた所への攻撃は非常に苦手だったことが推察されます。元寇で日本が撃退できたのは地の利による部分が結構大きいようです。
「われらの勝ちだ!ハーン! 地の利を得たぞ!!」
単に「平地」というより、馬が草を食める場所であることが重要です。
ユーラシアステップは草原にとっては肥沃な大地で飼葉に支障をきたさなかったのです。
それでも最適な牧草地の偵察・分析は斥候・偵察隊には重要な任務で、
これに基づいてモンゴルは兵を動かしました。
牧草地は戦力である馬の飼葉になり、補給品生産力である羊を伴う後方拠点にもなる。
この「兵站が自然に点在する」
これがモンゴルを大帝国にした理由のひとつかと。
あと、西方でも、東欧で進撃が止まったのは馬が食む草の植生が違ってきたので進撃が困難になったからだとの説がありますね。
国家元首の一大事でやらかしがちな元さん
釣り野伏やん。転生して島津家になっただろ…この人たち
商人をスパイに使ったり早馬による伝令の速さや降伏させた国の兵士の徴用などもあって古参兵や将軍の維持をしつつ勝利するのも大きな要因だと思います。
元寇は、宋人と高麗人で攻めて来たから元はそんなに痛くない。
でも、威信の失墜という意味では痛かったのではなかろうか?
勇者様の戦い方じゃない……
勇者じゃない、冥人さ!
騎馬の機動力は勿論の事としても、小隊に分けて奇襲攻撃とは、現代戦の走りですね。
日本で此の戦法が使われるように成ったのは、幕末の長州藩の奇兵隊からでは無いでしょうか。この頃各藩で、西洋式の戦術を取り入れて行くのです。
日本は元軍の本当の騎馬軍とは戦っていません。島国の地学的優位と十分な準備で相手を退け、この時の大損害が元の再攻撃を防ぐことになります。
お姉さん、何時か元海軍編もよろしく頼むよ。
海軍編・元寇編もやる予定でおります。
@@buki8 お姉さん頑張っちゃいますね。
短弓 骨と筋だったか?
最強騎兵&最強指揮官来た、これで勝つる!(ランドパワー限定に限る)(ベトナムに大敗)
日本が島国じゃなかったら確実的に負けてた
戦闘力がヤバい鎌倉武士だし元寇時での戦いで日本刀と薙刀の威力は、元軍の動物の皮の鎧じゃ全く防げなかった。
その証拠に元寇敗戦時の元側の敗戦分析の内容ガチでトラウマ感全開で見てると興味深い。
「今まで私は世界中の国で色んな戦士と戦って来たけど、日本の武士程優秀な戦士は見た事無い」とか、「倭人は狼で死を恐れない。もしも一人が十人に会っても臆せず立ち向かう」とか、「今の倭人は私たちの知ってる白村江の戦いの倭人ではない、あの時よりも十倍強くて今や大陸の戦士の侵略を拒まんとする」とかどれもこれも大絶賛ばっかり。
日本厨は亡き者にしてやろうか?本軍出してやってもよかったんだぜ?
家どこだよ
@@goriatera1 なおその前に家どころかモンゴル帝国が滅びた模様
馬は強いし、馬を活躍させる装備が更に軍を強くしていたと思うが、如何せん地の利がな…馬は海じゃ活躍できん
元兵「負けたのは敵が異常に強かったせいで俺の責任じゃないよ、実際これくらい強かったよ(少しくらい盛っても分からんやろ……」
@@goriatera1
満蒙工作で、
日本軍に単于を復活させてもらった恩を忘れやがってw
モンゴリアンチョップは?武器じゃないか
日本への出兵を唆したのは高麗。
船の建造も高麗。対馬を凌辱し、
現代Kは対馬がK領と言う。
16歳から60歳まで男子全員戦闘要員?
常時ドイツ国民突撃隊状態か!
蒙古馬って日本の木曾馬とたいして変わらない、ルーツが
一諸かも知れない。
木曽馬、愛くるしいです
♪ウッ!
ハッ~!
ジン
ジン
ジンギスカ~ン!
なんという懐かしいネタをw
因みに本場のモンゴル人が歌ったバージョンがありましたね。ジンギスカンではなくチンギスハーンに発音は近かったですが。
「てつはう」「毒」は解説されるでしょうね、きっと。「知恵」は武器に入るのでしょうか?
スブタイとジュベは後世の時代でも評価される名将ですね。
冥人たちが集うコメ欄・・・。
元(モンゴル帝国)は東洋…いや、世界一の巨大帝国だと思うのは、おかしい?おかしくない?
大航海時代に出現したスペイン、大英帝国はモンゴルを凌ぐ大帝国を築いた。スペインをは破った大英帝国は全地球をほぼ征服したので「日の沈まぬ帝国」になった。いまだにこれを凌ぐ帝国は出現していない。
モンゴル弓やベー。後、奴らの真の敵は野うさぎとかだったって。シモヘイヘが大量に迫ってくる感じかな?
中国から他国、特に中国攻めてくる騎馬民族は悪く書くらしいから。みんな史記でみたことある戦法だし...。
ゆうちゃん、勇者って・・・勇ましそうに見えない・・・
回=回砲…
蒙古のあまりの強さに恐れおののいた西欧人は、人馬一体のケンタウロスを想像したそうです。
射手座のモデルは蒙古なのでしょうね。
A「そういやA君何座だっけ?」
B「僕北斗七星座ですね」
A「エッ……?!」
B「???」
A「じ、じゃあC君何座だっけ…?」
C「俺ですか?俺はーーー」
C「蒙 古 座 で す」
A「ヒッ…」ガクガクブルブル
ケンタウロスのモデルは蒙古じゃなくてスキタイ人では?
というよりケンタウロスが描かれた時代なんか明らかに蒙古のヨーロッパ侵攻より遥かに前だろ
お姉さんに代わりまして俺が・・・元寇の原稿が現行犯
すみませんでした
あまりの面白さに僕の瞳が減光
@@mirin1297 優しいかよw
モンゴル軍の戦術について別の動画での分析例で恐縮ですが
(^^;
チンギス・ハーンの有能な将軍たちは、幼い頃から子飼いとして近侍させ、徹底的に戦略思想を植えつけたそうです。
そうすることで、広大な戦線においても、最低限の伝令で遠隔地で戦っている他の将軍達の戦術を「予測して」リアルタイムに行動して共同作戦を遂行し得たそうです。
本当かどうかは定かではありませんが、伝説的なモンゴル軍の精強さを思えば、あながち嘘っぱちとも思えません@@
自慢の馬も、沢山は船で輸送は無理だから、日本へは歩兵が中心でしょ?
それじゃぁ中々難しいし、馬があっても草原は少ないから、やっぱ制圧は無理だったと思う。
仮に京都をできても各地の領主が素直に従うとは思えないので泥沼になると思います。
西洋騎士「ハハハ、大柄な体を立派な金属鎧で覆った我ら誇り高き騎士が、あんな馬も人も武器も小さな奴等に負けるわけがない
そら、逃げ出したぞ!追撃だ!……え?見せかけ作戦?卑怯な!……くっ、殺せ!」
モンゴル兵「言われるまでもなく皆殺しだ!」
ぶっちゃけ中世はそんなでかくない
ヨーロッパ人
しかも当時の鎧はチェインメイル、プレートアーマーは百年戦争から。モンゴル帝国の通商路による世界経済の発展が西欧の製鉄技術を発達させたと思うのは考えすぎかな?
食生活が豊かとは思えないので、成人男性150㌢ぐらいだろうか?
騎士階級以上は肉をメインとした栄養価の高い食事をとっていたので身体が大きいですね、戦時中の話ですが英国兵は体の大きさでどの階級出身の人間か直ぐに分かったそうです。
@@ねおぞえ 失礼しました。「プレートアーマー」を「立派な金属鎧」に変更しました。
やっぱりくっころと言いたいという欲望だけで、うろ覚えで書くもんじゃないですねw
フトンがふっとんだ(棒)
おねえさん…アノ日ですか?w
ドーショー!ドーショー!
…映画なんかで地球を侵略して来る
【宇宙人】達は、すべからく
モンゴル帝国みたいな感じなんだ
よねェ…或いは、飛蝗害?みたいな…
(-.-;)y-~~~フウ…
思うこと
虚偽の撤退作戦に引っかかる人⋯⋯伯父上や政子殿。
石川先生⋯⋯には無用の心配か。
モンゴル人の力士が強いのは、当然とも言えますね
過酷な環境に耐えるタフさ、馬上で鍛え抜かれた体幹、それだけでも鬼のような強さなのに
勝つためには敢えて、小狡いと批判を受ける決まり手も辞さない…
神事の側面を理解していないのではなく、日本語も相撲の決まり手も深く学んでいる故の事だと思います
情報を敏速に受け取り、理解する能力に長けていたモンゴル兵の強さをも受け継いでいるのかも?
も…元の武器?
黒曜石や鹿のツノの加工品にまで戻りますか♪
( ╹□╹ )←武器屋のお姉さん
まさか蒙古どもの弓がそんなに優秀だったとは・・・
Ghost of Tsushima では日本の弓の方が優秀だったけど、現実は敵の方がよっぽど長距離を射抜くことが出来たのか!!??
恐ろしい。
蒙古のコンポジットボウは強力無比な当時のオーパーツ兵器でしたが、製造が難しく量産には不向きだった為、元では中国式の弓に配備がシフトされており、直属の蒙古騎兵以外はほぼ中華式弓でした。
また、日本の鎧兜は対弓防御に特化した物ですので、騎馬弓兵VS騎馬弓兵の戦いであった元寇においては重装騎兵を用意出来なかった元側が不利になるのも当然の結果と言えます。
まあ平地で勝負すれば相手にもならんだろうけども、遊牧民が遠距離航海からの上陸戦してるわけだし、むしろ負けたらどれだけ雑魚なん?って話でしょ。