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家族がナウシカ なら 虫を愛してくれた❤と思う
いわゆる後天的な障害だったり、老後のお世話だったりにも言えることだったりするのだろうか
コメントいただきありがとうございます。大変参考になります!
文学は言葉を扱うからいつも変身している事だろう、言葉の海ではな、言葉の本質は変化であると国語辞典作ってる人が言うくらいだし、何か悟って言葉にしてみてもそれは伝言ゲームのように変化していく事は作家であっても変わらないし、聞き手の数だけ解釈されるからな、これはそのもの文学を説いたものかも知れないな『普通が、変化して、広がって、落ち』この変化を強烈にすると広がりも大きくなりますよねっていう話し🌱 そう、だから変化なんだよ、言葉が変わったのではなく、体が変われば言葉も変わるんだよな、これは仏陀の禅、心を作るのは呼吸であり姿勢にある、心なんてものはなくそれは体が変わったんだと、そういう道筋を人は何処かで気付いてるから、容姿からガラッと変わった事で自分が変わったんだよ、それが周りへの影響として自分の影として現れて、見放されたりすると言う結果になった これは一見、周りの人の冷たさを書いてるようでいても、明らかにおかしな主人公の変身を書いたんかなと思う
変“心”とても納得しました。自分ではなかなか読み解けない部分が多かった為、ありがたいです
コメントありがとうございます。大変励みになります。これからも皆様に有益な情報を発信していけるように頑張ります。よろしくお願いいたします!
変身が、虫ではなく、猫だったら 愛されたのでは きっとメチャクチャ愛された❤
カフカの解説ありがとうございます。最近、京大のドイツ文学者、川島隆さん訳の「変身」を読みましたが、氏は本作を介護問題に直面した家族小説と捉えていました。カフカは現代社会の予見者だと。それについてはいかがでしょうか?
貴重なコメントありがとうございます。おっしゃる通り、現代社会で起きている問題に当てはめながら本作を読んでみると、「変身」という作品が予言の書のように感じてしまいますね。作者からこの作品のテーマを提示するのではなく、読者に考えさせるようになっているのも「変身」という作品の魅力かもしれません。
家族という狭いコミュニティにおける個人への大きな影響力を示している気もする。広い視点で見れば「人から虫に変わった謎の生物」として学術的な価値があることに気がつくし、現代ならではだけど「パン君みたいな言語を解する虫」として見せ物になれる。狭い視点でい続けることの危険性を訴えている、と私は解釈しました。面白い本ですね。読んでみます。
コメントありがとうございます。狭い視点でい続けることの危険性、確かにそうですね。そして狭い視点でしか物事を考えられなくなっているということに気がつかないという危険性も訴えているのかもしれませんね。これからも文学作品を中心にこのような解説形式の動画を配信していきますので、是非お楽しみください!
現在のような複雑な時代にはカフカの小説は必要
コメントいただきありがとうございます!
とても面白いな動画でした。ありがとうございます。
こちらこそコメントありがとうございます。これからも多くの人に楽しんでいただけるように動画編集頑張ります。
まあ、読む人がそれぞれの感想を持てばいいことだと思いますけど。私的には、カフカの他の小説もそうだけど、とても現実的な話に思えますね。こんなに現実を見据えた作家はいないんじゃないでしょうか。もちろん表面的には荒唐無稽で、ストーリーもないようなものですけど。寓意ですね。 主人公は突然、何の理由もなく虫に変身してしまいます。そういうことは、今でも結構あることです。だいぶ前になりますが、エイズ騒動を覚えている人もいるでしょう。日本にもエイズ患者が出て、大騒ぎになりました。当時は正確な知識がなく、触っただけで感染すると思われ、大変怖れられました。エイズの保菌者と分かると、誰も近寄らないし、その人が手を触れたものも忌避されました。食器とか。電車にも乗れず、会社にも行けない。話す人もいない。家に閉じこもるしかない。それは虫になった主人公と同じですよね。最近ではコロナも、初めのうちはそんな扱いでしたよね。誰も近寄らない。電車にも乗れない。病院でも嫌がられる。棒でつつかれそうでした。まあ、虫になるのと同じでしょう。 もちろん迫害を受けたユダヤ人も同じです。普通に会社員だったり、同僚だったり、ご近所だったりしていた人が、ユダヤ人だと認識されたとたん、虫に変身するわけです。仕事も失い、住まいも失い、差別される。その人が親切だったり、友達だったりしたことは忘れられる。その人の思いも伝わらない。 誰でも、思いもかけず虫になってしまうことがある。それは現実です。 普通の小説は、父親が権威の象徴だったり、母親が世間体だったり、主人公を世話する妹が神の愛を示していたりするわけです。でも、カフカはそんな抽象化はしません。父親は主人公を押さえつけますが、お金もないし、やっと小使いの職を得て、自慢にします。妹も初めは主人公の世話をしますが、仕事を得て自信をつけ、主人公を理解せず、いなくなることを望みます。主人公の気持ちは誰にも理解されないし、何の役にも立ちません。そして、主人公がいなくなると、みんなほっとしてピクニックに出かけるのです。大変現実的ですよね。ここまで現実を直視した小説はないと思います。その現実は、私たち自身のいる場所でもあるのです。 変身の主人公は、いつ私たち自身がそうなってもおかしくないものです。それが、いつまでも読む人を離さないカフカという作家の力だと思いますね。
「巨大な毒虫」は、カフカ自身が「イラストを描いたりしないでほしい」と言っているので、ゴキブリホイホイのような絵は出さないで欲しかった。本来芸術作品とは、見る人・聴く人の感性に任されているので自由な鑑賞、楽しみ方でよい。○○を表現しようとした、などとある場合でも、受け手に伝わらなかったらそれまでで、それに囚われることはなく飽くまでも自由でよい。鑑賞の良し悪しもない。読み解く必要もない。周りの思いと外れていく不安と恐怖・苦しさと、期待外れになった存在を許さず憎しみの対象としていくという周りの「変心」、個人のエゴを強く感じた。ある朝突如得体のしれないものに変身、というのは自分でも説明のつかない精神の崩壊を顕していると思う。
この作品は19〜20世紀の東欧のユダヤ人に対する”ポグロム”が題材になっているのかなと思います。
クレーゴルね❗
失礼しました・・・ご指摘いただきありがとうございます。
家族がナウシカ なら 虫を愛してくれた❤と思う
いわゆる後天的な障害だったり、老後のお世話だったりにも言えることだったりするのだろうか
コメントいただきありがとうございます。
大変参考になります!
文学は言葉を扱うからいつも変身している事だろう、言葉の海ではな、言葉の本質は変化であると国語辞典作ってる人が言うくらいだし、何か悟って言葉にしてみてもそれは伝言ゲームのように変化していく事は作家であっても変わらないし、聞き手の数だけ解釈されるからな、これはそのもの文学を説いたものかも知れないな『普通が、変化して、広がって、落ち』この変化を強烈にすると広がりも大きくなりますよねっていう話し🌱
そう、だから変化なんだよ、言葉が変わったのではなく、体が変われば言葉も変わるんだよな、これは仏陀の禅、心を作るのは呼吸であり姿勢にある、心なんてものはなくそれは体が変わったんだと、そういう道筋を人は何処かで気付いてるから、容姿からガラッと変わった事で自分が変わったんだよ、それが周りへの影響として自分の影として現れて、見放されたりすると言う結果になった
これは一見、周りの人の冷たさを書いてるようでいても、明らかにおかしな主人公の変身を書いたんかなと思う
変“心”
とても納得しました。
自分ではなかなか読み解けない部分が多かった為、ありがたいです
コメントありがとうございます。大変励みになります。
これからも皆様に有益な情報を発信していけるように頑張ります。
よろしくお願いいたします!
変身が、虫ではなく、
猫だったら 愛されたのでは きっとメチャクチャ愛された❤
カフカの解説ありがとうございます。最近、京大のドイツ文学者、川島隆さん訳の「変身」を読みましたが、氏は本作を介護問題に直面した家族小説と捉えていました。カフカは現代社会の予見者だと。それについてはいかがでしょうか?
貴重なコメントありがとうございます。
おっしゃる通り、現代社会で起きている問題に当てはめながら本作を読んでみると、「変身」という作品が予言の書のように感じてしまいますね。作者からこの作品のテーマを提示するのではなく、読者に考えさせるようになっているのも「変身」という作品の魅力かもしれません。
家族という狭いコミュニティにおける個人への大きな影響力を示している気もする。
広い視点で見れば「人から虫に変わった謎の生物」として学術的な価値があることに気がつくし、現代ならではだけど「パン君みたいな言語を解する虫」として見せ物になれる。
狭い視点でい続けることの危険性を訴えている、と私は解釈しました。
面白い本ですね。読んでみます。
コメントありがとうございます。
狭い視点でい続けることの危険性、確かにそうですね。
そして狭い視点でしか物事を考えられなくなっているということに気がつかないという危険性も訴えているのかもしれませんね。
これからも文学作品を中心にこのような解説形式の動画を配信していきますので、是非お楽しみください!
現在のような複雑な時代にはカフカの小説は必要
コメントいただきありがとうございます!
とても面白いな動画でした。
ありがとうございます。
こちらこそコメントありがとうございます。
これからも多くの人に楽しんでいただけるように動画編集頑張ります。
まあ、読む人がそれぞれの感想を持てばいいことだと思いますけど。私的には、カフカの他の小説もそうだけど、とても現実的な話に思えますね。こんなに現実を見据えた作家はいないんじゃないでしょうか。もちろん表面的には荒唐無稽で、ストーリーもないようなものですけど。寓意ですね。
主人公は突然、何の理由もなく虫に変身してしまいます。そういうことは、今でも結構あることです。だいぶ前になりますが、エイズ騒動を覚えている人もいるでしょう。日本にもエイズ患者が出て、大騒ぎになりました。当時は正確な知識がなく、触っただけで感染すると思われ、大変怖れられました。エイズの保菌者と分かると、誰も近寄らないし、その人が手を触れたものも忌避されました。食器とか。電車にも乗れず、会社にも行けない。話す人もいない。家に閉じこもるしかない。それは虫になった主人公と同じですよね。最近ではコロナも、初めのうちはそんな扱いでしたよね。誰も近寄らない。電車にも乗れない。病院でも嫌がられる。棒でつつかれそうでした。まあ、虫になるのと同じでしょう。
もちろん迫害を受けたユダヤ人も同じです。普通に会社員だったり、同僚だったり、ご近所だったりしていた人が、ユダヤ人だと認識されたとたん、虫に変身するわけです。仕事も失い、住まいも失い、差別される。その人が親切だったり、友達だったりしたことは忘れられる。その人の思いも伝わらない。
誰でも、思いもかけず虫になってしまうことがある。それは現実です。
普通の小説は、父親が権威の象徴だったり、母親が世間体だったり、主人公を世話する妹が神の愛を示していたりするわけです。でも、カフカはそんな抽象化はしません。父親は主人公を押さえつけますが、お金もないし、やっと小使いの職を得て、自慢にします。妹も初めは主人公の世話をしますが、仕事を得て自信をつけ、主人公を理解せず、いなくなることを望みます。主人公の気持ちは誰にも理解されないし、何の役にも立ちません。そして、主人公がいなくなると、みんなほっとしてピクニックに出かけるのです。大変現実的ですよね。ここまで現実を直視した小説はないと思います。その現実は、私たち自身のいる場所でもあるのです。
変身の主人公は、いつ私たち自身がそうなってもおかしくないものです。それが、いつまでも読む人を離さないカフカという作家の力だと思いますね。
「巨大な毒虫」は、カフカ自身が「イラストを描いたりしないでほしい」と言っているので、ゴキブリホイホイのような絵は出さないで欲しかった。
本来芸術作品とは、見る人・聴く人の感性に任されているので自由な鑑賞、楽しみ方でよい。○○を表現しようとした、などとある場合でも、受け手に伝わらなかったらそれまでで、それに囚われることはなく飽くまでも自由でよい。鑑賞の良し悪しもない。読み解く必要もない。
周りの思いと外れていく不安と恐怖・苦しさと、期待外れになった存在を許さず憎しみの対象としていくという周りの「変心」、個人のエゴを強く感じた。ある朝突如得体のしれないものに変身、というのは自分でも説明のつかない精神の崩壊を顕していると思う。
この作品は19〜20世紀の東欧のユダヤ人に対する”ポグロム”が題材になっているのかなと思います。
コメントいただきありがとうございます。
大変参考になります!
クレーゴルね❗
失礼しました・・・ご指摘いただきありがとうございます。