ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
千代の富士も小錦も漫画みたいな身体してて凄い!!記録にも記憶にも残る名力士同士!
小錦が引退して相撲には全く興味がなくなった。それぐらい小錦が好きだった。平成元年の九州場所で初優勝した時に、土俵上で流した涙は今でも忘れられない。
あの涙以降ファンになってしまいました😭相撲で唯一思わず貰い泣きしてしまいました😭
この初対決での完敗が千代の富士をあれほど強くした。
千代の富士、かっこよすぎやろ。体型がレスラーみたい。このころの相撲が一番面白いと思う。
確かこの声はNHKの杉山邦博さんでは。「どうにも止まらない小錦の驀進力!」は名実況ですね。
子供の頃の記憶では、青い締め込みの頃の千代の富士は、まだ並の横綱だったような。筋肉質でかっこよかったんだけど、絶対的な強さとなるのは黒い締め込みになってからだったと思います。
千代の富士が何も出来てない。小錦の突く時のパワーが相当強かったってことだね。横綱がこんな有様だったらいけないってことが後の千代の富士の躍進に繋がったんだな。
小錦❗横綱になって欲しいかった。
この頃の小錦は大きい上に機敏な動きだった。ただただ強く、何もなければ横綱になれた力士だった。この頃はまだ日本人力士びいきが大きかったからな。
いや、小錦以前の幕内外国人力士は高見山。彼は人気者だったが、その意味は彼特有の愛嬌が一番の要素だが、「横綱大関に上がるほど強くない」という安心感から来るものもあった。小錦は黒船襲来と恐れられた。日本人力士が全員潰されて彼が無双横綱になってしまんじゃないかという恐れ。まさに「侵略者」という見方だった。その証拠に小錦が衰えてからの彼に対する声援が凄くなったことがあげられる。
千代の富士が14日目で9勝4敗とか考えられない
当時の小錦の圧力は日本人力士にはあり得ないほどの破壊力があっただろう。千代の富士が30歳を過ぎてから黄金期を迎えたのは彼になすすべなく完敗した衝撃も大きかったはず。
この時の小錦に勝てる力士は古今東西いないんじゃないかと思わせる一番ですね。
この敗戦で千代の富士も一念発起して、徹底的に小錦対策をしたそうです。NHKの特集でやってました(ずいぶん前の話)。
konishiki!!! wow he's so enormous!!! my favourites are takanohana and mainoumi!!! i used to watch this channel when i was living in Peru.
Konisiki was a great sumo wrestler.he came from Hawaii.
この時の体重がベストだった!あと、関係ないが顔が意外とカッコいい!
千代の富士が目を覚ました一番ですね。
この取組、横綱の待ったがあったんですね。初めて知りました。過去に同取組を見ましたが、その時の仕切りは二回目のだったのですね。有り難う御座居ます。
当時千代の富士大ファンの小学生としてこの対戦よく覚えてるこんな奴どうしたらいいんだよって思った
86年の北尾戦で膝を負傷しなければ、間違いなく80年代の内に横綱になっていただろう。とにかくこの頃の小錦さんのパワー、強さは別格だった。
千代の富士の凄さは敗れた相手のところに出稽古に行き苦手を得意に変えてしまうところ。後全盛時の小錦は恐ろしく強かったひざの怪我さえなければと思う。
小錦がいたから後の曙、武蔵丸へ繋がる。先駆者というのは人知れず苦労するもの。出てきた当初の小錦は凄まじいほど強かった。
あの千代の富士が立ち合いで吹っ飛ばされる…😓
立会の踏み込みはそんなに悪いとは思えないのですが、それだけに千代の富士も衝撃を受けたと思います。翌場所は更に良い踏み込みでしたが、土俵際まで追い込まれ(しかし、この場所より踏み込みがあった分逆転の余地あり)かわして逆転勝ちした。
普段は冷静沈着な実況をする杉山邦博さんが、珍しく興奮していらっしゃるw
「多賀竜初優勝!」の実況も考えていたと思いますが、吹っ飛ぶほどの爆勝でした。何日か前に若嶋津に勝った際、インタビュー担当でしたね。
何度見てもたまらん。小錦パワーは最高だ!♪o(゜◇゜)d
小錦強すぎ千代の富士が全く歯が立たなかった
強すぎんだろ
千代の富士は11勝4敗でもショックだったの思えてる。12勝以上が普通。
メッチャいい動きしてるな小錦230キロとは思えない^^;
215kgです、それでも機敏ですねぇw
千代の富士もよくかえらずに真っ正面から立ち合うよね軽トラやグランドピアノが突っ込んでくるようなものなのに。
@@もんざえもん-q3q 相手が変化しても踏みとどまれる筋力も当時はありましたからね…
14日目終了時点で9勝5敗と、後の横綱の強さを知っている1ファンにとって、この場所、そして昭和59年の横綱千代の富士関は見ていて痛々しかったです。2度の休場、蔵前ラストのこの場所では千秋楽にやっと10勝目を挙げるなど、初場所の相星決戦(隆の里関に敗れる)以外は絶不調でした。ターニングポイントとなったのはこの蔵前ラスト場所。小錦関との初顔での完敗でした。ここから千代の富士関は目覚め、小錦関に8連勝、苦手だった朝潮関と北天佑関も克服し、得意の九州場所で1年ぶりの優勝を手にし、翌年、両国国技館の使用開始と共に、30歳にして全盛期を迎えるのです。
ホントに230キロあったのか?ってくらい動きが俊敏www
すっげーでぶなのにすっげー筋肉小錦すっげーーーーー
怪我がなかったら小錦は大横綱になってたかも
しかし偶然の怪我ではないですよ。残念ながら太り過ぎ。必然の怪我でしたね。
あとは協会ぐるみで小錦の昇進を阻止した感がある。あのとき、積極的に上げる雰囲気は無かった。
小錦、強い❗
膝を痛めなければ絶対横綱になってましたね
さば折りという技で膝を痛めました対北尾戦
安芸の島がいたらなれない
13-2 12-3 13-2で横綱になれなかったというけど、12-3は優勝次点ですら無かったのが痛かった。そして優勝のどちらかが14-1だったらなあ
hariusueki 優勝ゼロで横綱にその後優勝なしで廃業した双羽黒の影響をもろに被ったからな。貴乃花も大関時代双羽黒の影響もろに被って綱取りだいぶ足踏みしたからね。【貴乃花は14-1 11-4 15-0で昇進見送り】双羽黒以降2場所連続優勝が綱の基本条件とされてたからね
太田晴信 そうなんですよね。双羽黒の影響をもろに受けた格好です。
@太田晴信 これ厳しすぎるよね
土俵の内外で双羽黒に泣かされる結果になったが、双羽黒の悪口は一切言わない小錦は人格者だと思う。
全盛期の小錦は220kgの巨体をしていながら体脂肪率が20%しかなかったそうです。膝を負傷してからは殆ど稽古が出来ず、80年代後半には体脂肪率50%越えの体に変わり果ててしまいました。もったいなかったですね。
それ嘘だぞ遺伝的限界を超えまくってる
220キロで体脂肪率20%は物理的に無理。お相撲さんは軽量の力士でも体脂肪率30%は基本こえます。
@@貴博りんだ 妙義龍関は体重が150キロほどですが25%ですよ。
おそらく25%から30%ぐらいだったと思う。小錦は元々アメフトをやっていて、運動神経が抜群に良かった。
そんな小錦も「にほんごであそぼ」では、コニちゃん。
この頃って巨漢力士多いなそれに対して千代の富士みたいな筋肉隆々な力士も居て一番面白い時期やったかもな
もしかしてこの前の要望にお応えいただけたんですね!本当にありがとうございます!m(__)m
小錦は横綱になれなかった。というよりさせてくれなかった。が、正しいと思う。平成3~4年にかけて、13-2(優勝)、12-3、13-2(優勝)と連続記録したのに、横綱になれなかったのは、外国人を横綱にさせたくないという当時の圧力が働いた。モチベーションも崩れたか?これを境に以降、二ケタ勝ち星はほとんど取れなくなって、大関も陥落した。これを教訓に、外人も横綱差別をしなくなって、今にいたるまで横綱は外人のみになってしまったけど。。逆に、小錦が横綱になれなかったおかげで、大関陥落してもずっと、同じく大関陥落した霧島と切磋琢磨して土俵生活続けて観客を楽しませた点で、二人とも力士の鏡だと思う。
HONFUMI いや、差別について語ってるけど、そもそも外人って差別用語だよwww外国人なwww
ケガの影響じゃないですかねぇ
双羽黒の不祥事で横綱になる審査基準が厳しくなったのが原因ですよ。
13-2(優勝)、12-3、13-2(優勝)の12-3がダメでしょうね!優勝でも14-1、13-2の準優勝で上がれなければ差別でしょうけど
10-512-314-1で横綱になれる稀勢の里
小錦若い!初顔合わせの千代の富士の困惑がよくわかる。
ものすごいパワーを感じる
i love japan and hope to visit someday, sushi, saki and sumo, beautifull ;-)
車に例えたら千代の富士は軽トラで小錦はトレーラー
千代の富士はどちらかというとスポーツカーって表現をしたい
@@Chicago9335 そうですね
4:20
これは蔵前国技館最後の場所かな?突きがすごい!朝青龍、白鵬、逸ノ城の全盛期よりすごい!最近、千代の富士の出身地、北海道出身力士も小錦の出身地、ハワイ出身力士も見かけなくなったな…
千代の富士対若嶋津の一番を無くしてこの一番入れたのはビックリしました14日目に横綱対前頭6がやるとは
今では割崩しは当たり前ですが、この当時は異例の事態でした。千代の富士も後年「全く当たる地位では無かった」と回顧していましたから、場所前の稽古もやっていなかったのではないでしょうか。対戦圏内なら徹底的に稽古、研究していたでしょう。横綱・千代の富士に初顔で勝ったのは、小錦、起利錦、貴花田(後の貴乃花)3人しかいません。
バックステップで距離取ろうとしたところに1発張り手入って土俵外まで吹っ飛ばされたってことかバケモンやな
北尾のさば折りがなくても遅かれ早かれ膝は痛めていたでしょうねあの身体では
小錦が上位を次々となぎ倒して大騒ぎされた場所だね。
優勝3回した小錦だけどその3場所よりも個人的に一番印象に残るのはこの場所。とどまるところを知らなかったからな小錦旋風は。もし千秋楽琴風に勝って多賀竜との決定戦になっていたら勝っていたのではないかな?。惜しかったよなあ。
初対決は小錦圧勝ウルフを3発でKO巨漢からのど迫力の突っ張りは旋風を巻き起こした
昭和59年。。。有名な低迷の時期でしたね。。
この取り組み、中学の英語の教科書に紹介されていたw「Konishiki Wins.」なんて書いてあったかな
小錦旋風ここに極まれりの一番だが、このころの千代の富士は不調だったから、このように一方的に負けてもそれほど驚かなかった。むしろ12日目、当時横綱目前で大型力士を裁くうまさには定評のある若嶋津がまるで攻めあぐむかのように寄り切られた一番のほうが衝撃だった。
コニちゃんとウルフだーーーー!
出羽の花はスロースターターといわれていたので初日に勝つのは簡単ではありませんでした。
@megton551 出羽の花は千代の富士と同じ軽量で筋肉質の力士だったけど、初日、まだ波に乗る前の小錦を簡単に料理するくらいのことは簡単にやってのけるくらいの業師だったよ。
小錦の全盛期でしょうね。
小錦は、まるで大翔丸みたいでした。
千代の富士は、まるで千代丸みたいでした。
小錦対炎鵬が見てみたい
この頃の小錦なら千代の富士でさえこうだから一発でふっ飛ばしそう
この後小錦に対して、昭和の黒船来航と、世間ではかなり小錦をほめたたえました。逆に晩年は、体が大きくなりすぎて、膝のケガ。さらにスタミナ切れ。相手に中にもぐりこまれると以外と脆いなど。結果的に自分を苦しめることとなりました。
千代の富士はあえて力と力の真っ向勝負をした気がする
小錦、曙程のリーチがある突き押しはもう見れないのかな?
小錦はこの体重以下で鍛えなかった事が横綱に成れなかった原因
千代の富士の四股を踏む時の足上がるね〜
最後、逃げて出てしまったみたいになってる
この頃は小錦も強かったなあ
体重を維持して膝の怪我さえなければ、間違いなく横綱でしたよね。
konishki i think. early in the video.
勝負が決まったときの両者の距離の長さ
千代の富士ふっとばされすぎ笑笑
こういう動画は自称解説者みたいな人必ずいますね(-ω-;)
小錦の力289㎞
昭和59年秋場所14日目千代の富士対小錦🤼小錦勝ったよ😃強い😄大関
ここまでお互い強くても、ゴリラには勝てない辛さ。
この頃の小錦は、そんなに太ってなかったな😲
いいね
膝の怪我がなければ小錦は千代の富士に勝ち越しただろうな。
なんも気にせずににほんごであそぼを見てたけど(25歳)こんな過去があったんだ。
53連勝期間は、小錦が膝の影響で絶不調でした。小錦が好調なら20-9▶15-14くらいに縮まったと思います。
What is the name of the guy fighting Chiyonofuji?
look at the difference in the shiko, lol
4:05 oh ye, the yokozuna was pissed off
小錦の左手、付いてなかったのでは?
軽自動車とブルドーザーの対決見てるような
かわいそうなお相撲さん。小錦八十吉関。
めっちゃアナウンサー興奮しとるw
負けても横綱相撲 千代の富士
if konishiki stayed at this weight during his career he would have been a yokozuna but he got too big and too slow.
小錦つぇぇぇぇぇぇwww
ゲームだったら小錦ってチートみたいな体格してんな
重 戦 車
あの体で怪我しないわけがないでもあの体じゃないと勝てなかったどちらにせよ横綱にはなれない
小錦の手つき不十分だぞ!
この当時は、殆どの取り組みで 手つき不十分の時代。小錦が三役から大関に昇進しようかという頃から、必ず両手を突くように徹底された。協会の小錦対策だった印象が強かったなぁ。小錦しかり、大乃国とか、いわゆるアンコ型の力士には不利になるだろうといわれたが、それはそれで仕切る位置を変えるなどの工夫をして対応していったもんだ。
SUMO!
当時の春日野理事長(横綱栃錦)が現役の時は100kgそこそこ。小錦は2倍。スゴいのが上がってきたとビックリしたでしょうね。
後の10化神か…
小錦でなく特大錦やないか?しこ名に違和感有り過ぎ…
SAKI!!!! get drunk
konishki
I know, it was a joke... for the comment above
千代の富士も小錦も漫画みたいな身体してて凄い!!
記録にも記憶にも残る名力士同士!
小錦が引退して相撲には全く興味がなくなった。それぐらい小錦が好きだった。平成元年の九州場所で初優勝した時に、土俵上で流した涙は今でも忘れられない。
あの涙以降ファンになってしまいました😭
相撲で唯一思わず貰い泣きしてしまいました😭
この初対決での完敗が千代の富士をあれほど強くした。
千代の富士、かっこよすぎやろ。体型がレスラーみたい。このころの相撲が一番面白いと思う。
確かこの声はNHKの杉山邦博さんでは。
「どうにも止まらない小錦の驀進力!」は名実況ですね。
子供の頃の記憶では、
青い締め込みの頃の千代の富士は、まだ並の横綱だったような。
筋肉質でかっこよかったんだけど、絶対的な強さとなるのは
黒い締め込みになってからだったと思います。
千代の富士が何も出来てない。
小錦の突く時のパワーが相当強かったってことだね。
横綱がこんな有様だったらいけないってことが後の千代の富士の躍進に繋がったんだな。
小錦❗横綱になって欲しいかった。
この頃の小錦は大きい上に機敏な動きだった。
ただただ強く、何もなければ横綱になれた力士だった。
この頃はまだ日本人力士びいきが大きかったからな。
いや、小錦以前の幕内外国人力士は高見山。
彼は人気者だったが、その意味は彼特有の愛嬌が一番の要素だが、「横綱大関に上がるほど強くない」という安心感から来るものもあった。
小錦は黒船襲来と恐れられた。
日本人力士が全員潰されて彼が無双横綱になってしまんじゃないかという恐れ。
まさに「侵略者」という見方だった。
その証拠に小錦が衰えてからの彼に対する声援が凄くなったことがあげられる。
千代の富士が14日目で9勝4敗とか考えられない
当時の小錦の圧力は日本人力士にはあり得ないほどの破壊力があっただろう。
千代の富士が30歳を過ぎてから黄金期を迎えたのは
彼になすすべなく完敗した衝撃も大きかったはず。
この時の小錦に勝てる力士は古今東西いないんじゃないかと思わせる一番ですね。
この敗戦で千代の富士も一念発起して、徹底的に小錦対策をしたそうです。NHKの特集でやってました(ずいぶん前の話)。
konishiki!!! wow he's so enormous!!! my favourites are takanohana and mainoumi!!! i used to watch this channel when i was living in Peru.
Konisiki was a great sumo wrestler.he came from Hawaii.
この時の体重がベストだった!
あと、関係ないが顔が意外とカッコいい!
千代の富士が目を覚ました一番ですね。
この取組、横綱の待ったがあったんですね。
初めて知りました。
過去に同取組を見ましたが、その時の仕切りは二回目のだったのですね。
有り難う御座居ます。
当時千代の富士大ファンの小学生としてこの対戦よく覚えてる
こんな奴どうしたらいいんだよって思った
86年の北尾戦で膝を負傷しなければ、間違いなく80年代の内に横綱になっていただろう。
とにかくこの頃の小錦さんのパワー、強さは別格だった。
千代の富士の凄さは敗れた相手のところに出稽古に行き苦手を得意に変えてしまうところ。
後全盛時の小錦は恐ろしく強かった
ひざの怪我さえなければと思う。
小錦がいたから後の曙、武蔵丸へ繋がる。先駆者というのは人知れず苦労するもの。出てきた当初の小錦は凄まじいほど強かった。
あの千代の富士が立ち合いで吹っ飛ばされる…😓
立会の踏み込みはそんなに悪いとは思えないのですが、それだけに千代の富士も衝撃を受けたと思います。翌場所は更に良い踏み込みでしたが、土俵際まで追い込まれ(しかし、この場所より踏み込みがあった分逆転の余地あり)かわして逆転勝ちした。
普段は冷静沈着な実況をする杉山邦博さんが、珍しく興奮していらっしゃるw
「多賀竜初優勝!」の実況も考えていたと思いますが、吹っ飛ぶほどの爆勝でした。
何日か前に若嶋津に勝った際、インタビュー担当でしたね。
何度見てもたまらん。小錦パワーは最高だ!♪o(゜◇゜)d
小錦強すぎ
千代の富士が全く歯が立たなかった
強すぎんだろ
千代の富士は11勝4敗でもショックだったの思えてる。12勝以上が普通。
メッチャいい動きしてるな小錦
230キロとは思えない^^;
215kgです、それでも機敏ですねぇw
千代の富士もよくかえらずに真っ正面から立ち合うよね
軽トラやグランドピアノが突っ込んでくるようなものなのに。
@@もんざえもん-q3q 相手が変化しても踏みとどまれる筋力も当時はありましたからね…
14日目終了時点で9勝5敗と、後の横綱の強さを知っている1ファンにとって、この場所、そして昭和59年の横綱千代の富士関は見ていて痛々しかったです。2度の休場、蔵前ラストのこの場所では千秋楽にやっと10勝目を挙げるなど、初場所の相星決戦(隆の里関に敗れる)以外は絶不調でした。
ターニングポイントとなったのはこの蔵前ラスト場所。小錦関との初顔での完敗でした。ここから千代の富士関は目覚め、小錦関に8連勝、苦手だった朝潮関と北天佑関も克服し、得意の九州場所で1年ぶりの優勝を手にし、翌年、両国国技館の使用開始と共に、30歳にして全盛期を迎えるのです。
ホントに230キロあったのか?ってくらい動きが俊敏www
すっげーでぶなのにすっげー筋肉
小錦すっげーーーーー
怪我がなかったら小錦は大横綱になってたかも
しかし偶然の怪我ではないですよ。
残念ながら太り過ぎ。必然の怪我でしたね。
あとは協会ぐるみで小錦の昇進を阻止した感がある。
あのとき、積極的に上げる雰囲気は無かった。
小錦、強い❗
膝を痛めなければ絶対横綱になってましたね
さば折りという技で
膝を痛めました
対北尾戦
安芸の島がいたらなれない
13-2 12-3 13-2で横綱になれなかったというけど、12-3は優勝次点ですら無かったのが痛かった。そして優勝のどちらかが14-1だったらなあ
hariusueki 優勝ゼロで横綱にその後優勝なしで廃業した双羽黒の影響をもろに被ったからな。貴乃花も大関時代双羽黒の影響もろに被って綱取りだいぶ足踏みしたからね。【貴乃花は14-1 11-4 15-0で昇進見送り】双羽黒以降2場所連続優勝が綱の基本条件とされてたからね
太田晴信 そうなんですよね。双羽黒の影響をもろに受けた格好です。
@太田晴信 これ厳しすぎるよね
土俵の内外で双羽黒に泣かされる結果になったが、双羽黒の悪口は一切言わない小錦は人格者だと思う。
全盛期の小錦は220kgの巨体をしていながら体脂肪率が20%しかなかったそうです。
膝を負傷してからは殆ど稽古が出来ず、80年代後半には体脂肪率50%越えの体に変わり果ててしまいました。
もったいなかったですね。
それ嘘だぞ
遺伝的限界を超えまくってる
220キロで体脂肪率20%は物理的に無理。お相撲さんは軽量の力士でも体脂肪率30%は基本こえます。
@@貴博りんだ 妙義龍関は体重が150キロほどですが25%ですよ。
おそらく25%から30%ぐらいだったと思う。
小錦は元々アメフトをやっていて、
運動神経が抜群に良かった。
そんな小錦も「にほんごであそぼ」では、コニちゃん。
この頃って巨漢力士多いな
それに対して千代の富士みたいな筋肉隆々な力士も居て一番面白い時期やったかもな
もしかしてこの前の要望にお応えいただけたんですね!
本当にありがとうございます!
m(__)m
小錦は横綱になれなかった。というよりさせてくれなかった。が、正しいと思う。平成3~4年にかけて、13-2(優勝)、12-3、13-2(優勝)と連続記録したのに、横綱になれなかったのは、外国人を横綱にさせたくないという当時の圧力が働いた。モチベーションも崩れたか?これを境に以降、二ケタ勝ち星はほとんど取れなくなって、大関も陥落した。これを教訓に、外人も横綱差別をしなくなって、今にいたるまで横綱は外人のみになってしまったけど。。
逆に、小錦が横綱になれなかったおかげで、大関陥落してもずっと、同じく大関陥落した霧島と切磋琢磨して土俵生活続けて観客を楽しませた点で、二人とも力士の鏡だと思う。
HONFUMI いや、差別について語ってるけど、そもそも外人って差別用語だよwww
外国人なwww
ケガの影響じゃないですかねぇ
双羽黒の不祥事で横綱になる審査基準が厳しくなったのが原因ですよ。
13-2(優勝)、12-3、13-2(優勝)の12-3がダメでしょうね!
優勝でも14-1、13-2の準優勝で上がれなければ差別でしょうけど
10-5
12-3
14-1
で横綱になれる稀勢の里
小錦若い!
初顔合わせの千代の富士の困惑がよくわかる。
ものすごいパワーを感じる
i love japan and hope to visit someday, sushi, saki and sumo, beautifull ;-)
車に例えたら
千代の富士は軽トラで小錦はトレーラー
千代の富士はどちらかというとスポーツカーって表現をしたい
@@Chicago9335 そうですね
4:20
これは蔵前国技館最後の場所かな?突きがすごい!朝青龍、白鵬、逸ノ城の全盛期よりすごい!
最近、千代の富士の出身地、北海道出身力士も小錦の出身地、ハワイ出身力士も見かけなくなったな…
千代の富士対若嶋津の一番を無くしてこの一番入れたのはビックリしました
14日目に横綱対前頭6がやるとは
今では割崩しは当たり前ですが、この当時は異例の事態でした。
千代の富士も後年「全く当たる地位では無かった」と回顧していましたから、場所前の稽古もやっていなかったのではないでしょうか。
対戦圏内なら徹底的に稽古、研究していたでしょう。
横綱・千代の富士に初顔で勝ったのは、小錦、起利錦、貴花田(後の貴乃花)3人しかいません。
バックステップで距離取ろうとしたところに1発張り手入って土俵外まで吹っ飛ばされたってことか
バケモンやな
北尾のさば折りがなくても遅かれ早かれ膝は痛めていたでしょうねあの身体では
小錦が上位を次々となぎ倒して大騒ぎされた場所だね。
優勝3回した小錦だけどその3場所よりも個人的に一番印象に残るのはこの場所。
とどまるところを知らなかったからな小錦旋風は。
もし千秋楽琴風に勝って多賀竜との決定戦になっていたら勝っていたのではないかな?。惜しかったよなあ。
初対決は小錦圧勝
ウルフを3発でKO
巨漢からのど迫力の突っ張りは旋風を巻き起こした
昭和59年。。。有名な低迷の時期でしたね。。
この取り組み、中学の英語の教科書に紹介されていたw
「Konishiki Wins.」なんて書いてあったかな
小錦旋風ここに極まれりの一番だが、このころの千代の富士は不調だったから、このように一方的に負けてもそれほど驚かなかった。
むしろ12日目、当時横綱目前で大型力士を裁くうまさには定評のある若嶋津がまるで攻めあぐむかのように寄り切られた一番のほうが衝撃だった。
コニちゃんとウルフだーーーー!
出羽の花はスロースターターといわれていたので初日に勝つのは簡単ではありませんでした。
@megton551
出羽の花は千代の富士と同じ軽量で筋肉質の力士だったけど、
初日、まだ波に乗る前の小錦を簡単に料理するくらいのことは
簡単にやってのけるくらいの業師だったよ。
小錦の全盛期でしょうね。
小錦は、まるで大翔丸みたいでした。
千代の富士は、まるで千代丸みたいでした。
小錦対炎鵬が見てみたい
この頃の小錦なら千代の富士でさえこうだから一発でふっ飛ばしそう
この後小錦に対して、昭和の黒船来航と、世間ではかなり小錦をほめたたえました。逆に晩年は、体が大きくなりすぎて、膝のケガ。さらにスタミナ切れ。相手に中にもぐりこまれると以外と脆いなど。結果的に自分を苦しめることとなりました。
千代の富士はあえて力と力の真っ向勝負をした気がする
小錦、曙程のリーチがある突き押しはもう見れないのかな?
小錦はこの体重以下で鍛えなかった事が横綱に成れなかった原因
千代の富士の四股を踏む時の足上がるね〜
最後、逃げて出てしまったみたいになってる
この頃は小錦も強かったなあ
体重を維持して膝の怪我さえなければ、間違いなく横綱でしたよね。
konishki i think. early in the video.
勝負が決まったときの両者の距離の長さ
千代の富士ふっとばされすぎ笑笑
こういう動画は自称解説者みたいな人必ずいますね(-ω-;)
小錦の力289㎞
昭和59年秋場所14日目
千代の富士対小錦🤼
小錦勝ったよ😃
強い😄
大関
ここまでお互い強くても、ゴリラには勝てない辛さ。
この頃の小錦は、そんなに太ってなかったな😲
いいね
膝の怪我がなければ小錦は千代の富士に勝ち越しただろうな。
なんも気にせずににほんごであそぼを見てたけど(25歳)こんな過去があったんだ。
53連勝期間は、小錦が膝の影響で絶不調でした。小錦が好調なら20-9▶15-14くらいに縮まったと思います。
What is the name of the guy fighting Chiyonofuji?
look at the difference in the shiko, lol
4:05 oh ye, the yokozuna was pissed off
小錦の左手、付いてなかったのでは?
軽自動車とブルドーザーの対決見てるような
かわいそうなお相撲さん。小錦八十吉関。
めっちゃアナウンサー興奮しとるw
負けても横綱相撲 千代の富士
if konishiki stayed at this weight during his career he would have been a yokozuna but he got too big and too slow.
小錦つぇぇぇぇぇぇwww
ゲームだったら小錦ってチートみたいな体格してんな
重 戦 車
あの体で怪我しないわけがない
でもあの体じゃないと勝てなかった
どちらにせよ横綱にはなれない
小錦の手つき不十分だぞ!
この当時は、殆どの取り組みで 手つき不十分の時代。
小錦が三役から大関に昇進しようかという頃から、必ず両手を突くように徹底された。協会の小錦対策だった印象が強かったなぁ。
小錦しかり、大乃国とか、いわゆるアンコ型の力士には不利になるだろうといわれたが、それはそれで仕切る位置を変えるなどの工夫をして対応していったもんだ。
SUMO!
当時の春日野理事長(横綱栃錦)が現役の時は100kgそこそこ。小錦は2倍。スゴいのが上がってきたとビックリしたでしょうね。
後の10化神か…
小錦でなく特大錦やないか?しこ名に違和感有り過ぎ…
SAKI!!!! get drunk
konishki
I know, it was a joke... for the comment above