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8:40 ここに出る普通・青森発大阪行き502列車、当然9時間で行ける筈もないので2泊3日列車ですよね?
栄浜 → 🍂落合 → 🍚小沼 → 豊原 ⚡️→ 🍅大泊港 → 🎅稚内桟橋橋🚙→ 稚内 →🍊南稚内 → 幌延 → 🎵音威子府 → 名寄 → 士別 → ○和寒🥶→ 🌷蘭留 → 🍞旭川🌄→ 🦈深川 → 🐲滝川 → ⏳️砂川 → 🏥美唄🎵→ 👗岩見沢 → 江別 → 札幌🍺→ 🍊小樽🍷→ 小樽🍷→ 余市🍷→ 倶知安 → 長万部 → 🍯ハ雲 → 野田追🛐→ 🍑森🌲→ 大沼 → 🚚函館 → ( 青函連船🚢) → 青森 →🍞浅虫 → 野辺地 → 🍑尻内 → 一戸 → 🍑尻盛岡 → 🌷花巻 → 一ノ関 → 🐮小牛田 → 🎋仙台 → ⚡️原ノ町 → 平 → 🌄日立 → 🩳水戸 → 土浦 → 🗼上野 🇯🇵
戦渦前の長距離移動浪漫を感じますね。深夜3:24の花巻駅見てみたい。
2:55ご案内の欄、普通旭川行きの始発駅が旭川になってるのは多分間違い?
青森→上野より、稚内→函館の方が時間がかかっている所に、北海道がいかに広いかということを感じられますね。
営業キロでは明らかに青森~上野の方が長いので、おそらく北海道の方が線路状況があまり良くないのではないのでしょう。
旭川発釧路行(所要時間16時間)とかたまにとんでもない列車があるのが昔らしいあと、青森発大阪行き普通(502)ってこれ急行で大阪到着は7:37じゃなくて19:37じゃないかな
以前やった日本列島横断の戦前バージョンですね!。因みに豊原は現在のユジノサハリンスクですね。その他大泊はコルサコフ、落合はドリンスク、大泊港はポールトコルサコフ(貨物専用駅)とソ連になった後に改名されています。始発駅の栄浜駅には宮沢賢治が亡くなった妹さんの魂の交流を求め、当時日本最北端の栄浜に来た事があるようです(1995年に廃止になったそうです)。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。樺太鉄道の開通直後は、線路も車両も簡素なもので大変だったようですね。いただいたコメントをきっかけに、宮沢賢治の歴史を調べてみました。壮絶な一生を送っておられることに大変驚きました。
わたくしはルーツが樺太敷香なもので、樺太スタートはかなりグッときます当時、冬になって幌内川(樺太)が凍ると、対岸からイヌイットのような人たちが犬ぞりでやってきたそうです冬の夜、ソリの音がシャンシャンと響き渡ると住民はみんな飛び起きて、彼らの到着を待っていたようです目的は交易、いわゆる物々交換がメインだったようですが、わたくしの祖母はその頃得たトナカイかなにかの角?を終生宝物として扱っておりました
栄浜(南樺太)から札幌までで27時間もかかる旅なのですね。。。そして上野に着くまで丸2日半。これは長丁場ですね。ちなみに青函連絡船は戦前も戦後の廃止時もあまり所要時間は変わらなかったのですね。
北見線、天塩線、名雨線、幌加内線、橋場線、といった耳慣れない線名や、野田追(現在の野田生)が急行停車駅だった。新函館北斗の二代前の本郷駅。塩釜線の旅客扱い。などわりとサプライズでした。樺太からスタートしたのもなかなかいい演出ですね。後編もどんなサプライズが出てくるのか? 期待しております...
現在は普通しか停車しない駅に急行が停車するのは、以下のような場合もありました。·単線区間で列車交換をするため。当時の車両は手動ドアで、駅に停車すると乗降できるため、運転停車はありませんでした。·急勾配の区間で補機を連結解結するため。
現代の時刻表を見て、100年後の人も我々のように思いを馳せる時がくるのでしょうか。鉄道が末永く存続することを願うばかりです。
数年後にサハリンからの連絡船が運行されるようになっても、宗谷本線(稚内から名寄までの区間)は特急列車と普通バスしかなくなるかも知れません。
それ以前に道北人口0人になりそう
青森駅の乗換案内で。大阪行きの502レの大阪着は翌々日ですよね。「復刻版時刻表」を持ってないので、61年時刻表からの推測ですが。
だって、そのまま急行で上野へ行って12:00ですから。さすがに3日目ではないと思いたい。@Sougou-kan
乗換案内欄に目が釘付けになりました。北海道の鉄道充実っぷり、特に宗谷本線がいかに重要で利用価値の高い路線だったのか、あらためて考えさせられました。で、青森の案内がシンプルに普通「上野」と普通「大阪」だったのに噴き出してしまいました。
幻の「神路」駅が登場した。「神居古潭」「狩太(ニセコ)」「軍川(大沼)」「古間木(三沢)」「尻内(八戸)」「黒沢尻(北上)」時代を感じます。
そういえば、黒沢尻工って、昔よく甲子園に出場していましたね。今は花巻東が強くなってしまったので、出番はなさそうですが。
今回も長距離の普通列車が多数運転されてますね。今同じルートを鉄道で行けばもっと早く着くと思います。鉄道は高速化したことを実感しました。
札沼線ですが、新十津川あたりから北は、実は石狩川に橋が架かりバスが走れば、すぐに対岸の駅に行けてしまうことも廃止理由だったのではないかと思います。実際、滝川駅から新十津川駅のあった場所までの距離はわずか4~5㎞で、両者の間には頻繁にバスが運行されています。それに引き換え、深名線は代替交通手段がないとの理由でしばらく残っていましたが、残念です。
33年前にサハリンに行った時の帰りは、ユジノサハリンスク→コルサコフ(バス)・コルサコフ→稚内(フェリー。稚泊フェリー戦後復活第一便)・稚内→名寄(宗谷線普通)・名寄→旭川(快速なよろ)・旭川→札幌(急行宗谷)・札幌→上野(北斗星)でしたが、途中稚内と旭川で泊まったとはいえユジノサハリンスクから上野までかなり乗りでがありましたね。北斗星があるうちにもう一度このコースをやりたかったです。
この年の夏に僕の爺さん(当時5歳)が家族旅行で山形県の庄内地方から北海道(札幌とかその周辺)に行った時の写真があります。多分行った時に乗った列車は急行501・502列車(青森まで)→青函連絡船→急行1・2列車(函館から)だと思います。この後戦争が急激に激化していったと考えるとこの旅行を最後に終戦まで旅行はできなかったのかなと思い平和の大切さを感じられます。
戦前から上野ー土浦は無停車だったんですね
現在とは名前が異なる駅宇戸内→歌内(廃止)誉平→天塩中川軽川→手稲狩太→ニセコ野田追→野田生大沼→大沼公園軍川→大沼本郷→渡島大野→新函館北斗浅虫→浅虫温泉沼崎→上北町古間木→三沢尻内→八戸金田一→金田一温泉北福岡→二戸奥中山→奥中山高原沼宮内→いわて沼宮内二枚橋→花巻空港黒沢尻→北上陸前中田→南仙台増田→名取中村→相馬長塚→双葉平→いわき綴→内郷関本→大津港川尻→十王石神→東海佐貫→龍ケ崎市
これまた長編のアップありがとうございます。昭和15年と言う時代、後に大量廃止となる北海道のローカル線がこの時点で既に沢山あったのですね。ワスレナグサ2ループ終わってもやっと北海道脱出出来るかどうかぐらいという広さ(^^;)
動画お疲れ様です。おそらく旅行として移動が可能だった戦前の最終盤になりますね。1.2列車は戦前樺太方面(稚泊航路)への経路ゆえに北海道の最重要路線だった宗谷本線の栄光の足跡が見れます。
驚きです。稚泊航路だけで8時間も掛かるのか!?今は南樺太は(ソビエト)ロシア🇷🇺に不法占拠されてます。21世紀になり、過疎化の進行で宗谷本線も存続の危機。この当時、急行列車で寝台車を利用した人って、かなり裕福な階層の人でしょうね。母親が第二次世界大戦後に兵庫の但馬地方から、実兄を頼り愛知県に来た時は、山陰本線、京都乗換で東海道本線の普通列車乗継で名古屋迄利用したそうです。母は流石は複線の東海道本線の汽車は速い。単線の山陰本線とは大違いだと、しょっちゅう言ってました。
いつもありがとうございます。稚内から旭川まで8時間、さらに函館までは10時間。北海道の広さが良く分かります。気になるのは士別から和寒が1時間を要する(現在の特急では15分程度)ところですね。三浦綾子さまの小説で有名な塩狩峠を越えるところで、補助機関車の連結や解放が行われていたのでしょう。冬ともなると過酷で今と違って保線用の機械が少ないなか良くここまでメンテができたものと思います。アメリカなどの連合軍との全面戦争が近づくなかにあって長距離列車や乗り継ぎを介して全国をネットワークする輸送形態が組まれていたことは特筆に値するものですね。山手線を介して東京駅からの更なる旅に期待します。
原ノ町駅は南相馬市です。
そうですね。かつては原町市でした。たぶんどこかと合併したのでしょう。
原町市、小高町、鹿島町が合併しました。
栄浜 → 落合 →小沼 → 豊原→ 大泊港 → 稚内桟橋 → 稚内 → 南稚内 → 幌延 → 音威子府 → 名寄 → 士別 → 和寒 → 蘭留 → 旭川 → 深川 →瀧川 砂→ 砂川 →岩見沢 → 江別 → 札幌 → 南 →南小樽 → 小樽 → 余市 → 惧知安 → 長万部 → 八雲 → 野田造 → 森 → 大沼 → 函館 (青函連絡船) → 青森 (急行 上野行) → 浅虫 → 野辺地 → 尻内→ 一戸→ 盛岡 → 花巻 → 一ノ関 → 小牛田 → 仙台 → 原ノ町 → 平 → 日立 → 水戸 → 土浦 → 上野 😮
引き続きで申し訳ないですが、青森発502レは列車番号からして「急行」ではないでしょうか。
日本は狭いような広いような…。音威子府…。この当時から、「音威子府蕎麦」はあったのかな。先々月に、新宿で音威子府蕎麦を食べてきました。今では、音威子府駅での立食い蕎麦は無くなったと聞いています。北海道は廃線も多いですし、時代は変わるのですね。
音威子府駅の駅そばは店主の方が体力的な問題で店じまいしていまいました。
道内は全て蒸気機関車かな?壮大なスケールの超大作だ\(^o^)/今なら、稚内から優等列車不使用で枕崎までって事か・・・。
道内どころか東海道線の東京〜沼津以外、全部蒸気機関車牽引ですよ〜😅。
8:40 ここに出る普通・青森発大阪行き502列車、当然9時間で行ける筈もないので2泊3日列車ですよね?
栄浜 → 🍂落合 → 🍚小沼 → 豊原 ⚡️→ 🍅大泊港 → 🎅稚内桟橋橋🚙→ 稚内 →🍊南稚内 → 幌延 → 🎵音威子府 → 名寄 → 士別 → ○和寒🥶→ 🌷蘭留 → 🍞旭川🌄→ 🦈深川 → 🐲滝川 → ⏳️砂川 → 🏥美唄🎵→ 👗岩見沢 → 江別 → 札幌🍺→ 🍊小樽🍷→ 小樽🍷→ 余市🍷→ 倶知安 → 長万部 → 🍯ハ雲 → 野田追🛐→ 🍑森🌲→ 大沼 → 🚚函館 → ( 青函連船🚢) → 青森 →🍞浅虫 → 野辺地 → 🍑尻内 → 一戸 → 🍑尻盛岡 → 🌷花巻 → 一ノ関 → 🐮小牛田 → 🎋仙台 → ⚡️原ノ町 → 平 → 🌄日立 → 🩳水戸 → 土浦 → 🗼上野 🇯🇵
戦渦前の長距離移動浪漫を感じますね。深夜3:24の花巻駅見てみたい。
2:55
ご案内の欄、普通旭川行きの始発駅が旭川になってるのは多分間違い?
青森→上野より、稚内→函館の方が時間がかかっている所に、北海道がいかに広いかということを感じられますね。
営業キロでは明らかに青森~上野の方が長いので、おそらく北海道の方が線路状況があまり良くないのではないのでしょう。
旭川発釧路行(所要時間16時間)とかたまにとんでもない列車があるのが昔らしい
あと、青森発大阪行き普通(502)ってこれ急行で大阪到着は7:37じゃなくて19:37じゃないかな
以前やった日本列島横断の戦前バージョンですね!。因みに豊原は現在のユジノサハリンスクですね。その他大泊はコルサコフ、落合はドリンスク、大泊港はポールトコルサコフ(貨物専用駅)とソ連になった後に改名されています。始発駅の栄浜駅には宮沢賢治が亡くなった妹さんの魂の交流を求め、当時日本最北端の栄浜に来た事があるようです(1995年に廃止になったそうです)。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
樺太鉄道の開通直後は、線路も車両も簡素なもので大変だったようですね。
いただいたコメントをきっかけに、宮沢賢治の歴史を調べてみました。壮絶な一生を送っておられることに大変驚きました。
わたくしはルーツが樺太敷香なもので、樺太スタートはかなりグッときます
当時、冬になって幌内川(樺太)が凍ると、対岸からイヌイットのような人たちが犬ぞりでやってきたそうです
冬の夜、ソリの音がシャンシャンと響き渡ると住民はみんな飛び起きて、彼らの到着を待っていたようです
目的は交易、いわゆる物々交換がメインだったようですが、わたくしの祖母はその頃得たトナカイかなにかの角?を終生宝物として扱っておりました
栄浜(南樺太)から札幌までで27時間もかかる旅なのですね。。。
そして上野に着くまで丸2日半。これは長丁場ですね。ちなみに青函連絡船は戦前も戦後の廃止時もあまり所要時間は変わらなかったのですね。
北見線、天塩線、名雨線、幌加内線、橋場線、といった耳慣れない線名や、
野田追(現在の野田生)が急行停車駅だった。
新函館北斗の二代前の本郷駅。
塩釜線の旅客扱い。
などわりとサプライズでした。
樺太からスタートしたのもなかなかいい演出ですね。
後編もどんなサプライズが出てくるのか? 期待しております...
現在は普通しか停車しない駅に急行が停車するのは、以下のような場合もありました。
·単線区間で列車交換をするため。
当時の車両は手動ドアで、駅に停車すると乗降できるため、運転停車はありませんでした。
·急勾配の区間で補機を連結解結するため。
現代の時刻表を見て、100年後の人も我々のように思いを馳せる時がくるのでしょうか。
鉄道が末永く存続することを願うばかりです。
数年後にサハリンからの連絡船が運行されるようになっても、宗谷本線(稚内から名寄までの区間)は特急列車と普通バスしかなくなるかも知れません。
それ以前に道北人口0人になりそう
青森駅の乗換案内で。大阪行きの502レの大阪着は翌々日ですよね。「復刻版時刻表」を持ってないので、61年時刻表からの推測ですが。
だって、そのまま急行で上野へ行って12:00ですから。さすがに3日目ではないと思いたい。@Sougou-kan
乗換案内欄に目が釘付けになりました。北海道の鉄道充実っぷり、特に宗谷本線がいかに重要で利用価値の高い路線だったのか、あらためて考えさせられました。
で、青森の案内がシンプルに普通「上野」と普通「大阪」だったのに噴き出してしまいました。
幻の「神路」駅が登場した。
「神居古潭」「狩太(ニセコ)」「軍川(大沼)」「古間木(三沢)」「尻内(八戸)」「黒沢尻(北上)」時代を感じます。
そういえば、黒沢尻工って、昔よく甲子園に出場していましたね。今は花巻東が強くなってしまったので、出番はなさそうですが。
今回も長距離の普通列車が多数運転されてますね。
今同じルートを鉄道で行けばもっと早く着くと思います。鉄道は高速化したことを実感しました。
札沼線ですが、新十津川あたりから北は、実は石狩川に橋が架かりバスが走れば、すぐに対岸の駅に行けてしまうことも廃止理由だったのではないかと思います。実際、滝川駅から新十津川駅のあった場所までの距離はわずか4~5㎞で、両者の間には頻繁にバスが運行されています。
それに引き換え、深名線は代替交通手段がないとの理由でしばらく残っていましたが、残念です。
33年前にサハリンに行った時の帰りは、ユジノサハリンスク→コルサコフ(バス)・コルサコフ→稚内(フェリー。稚泊フェリー戦後復活第一便)・稚内→名寄(宗谷線普通)・名寄→旭川(快速なよろ)・旭川→札幌(急行宗谷)・札幌→上野(北斗星)でしたが、途中稚内と旭川で泊まったとはいえユジノサハリンスクから上野までかなり乗りでがありましたね。北斗星があるうちにもう一度このコースをやりたかったです。
この年の夏に僕の爺さん(当時5歳)が家族旅行で山形県の庄内地方から北海道(札幌とかその周辺)に行った時の写真があります。多分行った時に乗った列車は急行501・502列車(青森まで)→青函連絡船→急行1・2列車(函館から)だと思います。この後戦争が急激に激化していったと考えるとこの旅行を最後に終戦まで旅行はできなかったのかなと思い平和の大切さを感じられます。
戦前から上野ー土浦は無停車だったんですね
現在とは名前が異なる駅
宇戸内→歌内(廃止)
誉平→天塩中川
軽川→手稲
狩太→ニセコ
野田追→野田生
大沼→大沼公園
軍川→大沼
本郷→渡島大野→新函館北斗
浅虫→浅虫温泉
沼崎→上北町
古間木→三沢
尻内→八戸
金田一→金田一温泉
北福岡→二戸
奥中山→奥中山高原
沼宮内→いわて沼宮内
二枚橋→花巻空港
黒沢尻→北上
陸前中田→南仙台
増田→名取
中村→相馬
長塚→双葉
平→いわき
綴→内郷
関本→大津港
川尻→十王
石神→東海
佐貫→龍ケ崎市
これまた長編のアップありがとうございます。昭和15年と言う時代、後に大量廃止となる北海道のローカル線がこの時点で既に沢山あったのですね。
ワスレナグサ2ループ終わってもやっと北海道脱出出来るかどうかぐらいという広さ(^^;)
動画お疲れ様です。
おそらく旅行として移動が可能だった戦前の最終盤になりますね。
1.2列車は戦前樺太方面(稚泊航路)への経路ゆえに北海道の最重要路線だった宗谷本線の栄光の足跡が見れます。
驚きです。稚泊航路だけで8時間も掛かるのか!?
今は南樺太は(ソビエト)ロシア🇷🇺に不法占拠されてます。
21世紀になり、過疎化の進行で宗谷本線も存続の危機。
この当時、急行列車で寝台車を利用した人って、かなり裕福な階層の人でしょうね。
母親が第二次世界大戦後に兵庫の但馬地方から、実兄を頼り愛知県に来た時は、山陰本線、京都乗換で東海道本線の普通列車乗継で名古屋迄利用したそうです。
母は流石は複線の東海道本線の汽車は速い。単線の山陰本線とは大違いだと、しょっちゅう言ってました。
いつもありがとうございます。
稚内から旭川まで8時間、さらに函館までは10時間。北海道の広さが良く分かります。
気になるのは士別から和寒が1時間を要する(現在の特急では15分程度)ところですね。三浦綾子さまの小説で有名な塩狩峠を越えるところで、補助機関車の連結や解放が行われていたのでしょう。冬ともなると過酷で今と違って保線用の機械が少ないなか良くここまでメンテができたものと思います。
アメリカなどの連合軍との全面戦争が近づくなかにあって長距離列車や乗り継ぎを介して全国をネットワークする輸送形態が組まれていたことは特筆に値するものですね。
山手線を介して東京駅からの更なる旅に期待します。
原ノ町駅は南相馬市です。
そうですね。かつては原町市でした。たぶんどこかと合併したのでしょう。
原町市、小高町、鹿島町が合併しました。
栄浜 → 落合 →小沼 → 豊原→ 大泊港 → 稚内桟橋 → 稚内 → 南稚内 → 幌延 → 音威子府 → 名寄 → 士別 → 和寒 → 蘭留 → 旭川 → 深川 →瀧川 砂→ 砂川 →岩見沢 → 江別 → 札幌 → 南 →南小樽 → 小樽 → 余市 → 惧知安 → 長万部 → 八雲 → 野田造 → 森 → 大沼 → 函館 (青函連絡船) → 青森 (急行 上野行) → 浅虫 → 野辺地 → 尻内→ 一戸→ 盛岡 → 花巻 → 一ノ関 → 小牛田 → 仙台 → 原ノ町 → 平 → 日立 → 水戸 → 土浦 → 上野 😮
引き続きで申し訳ないですが、青森発502レは列車番号からして「急行」ではないでしょうか。
日本は狭いような広いような…。
音威子府…。
この当時から、「音威子府蕎麦」はあったのかな。
先々月に、新宿で音威子府蕎麦を食べてきました。
今では、音威子府駅での立食い蕎麦は無くなったと聞いています。
北海道は廃線も多いですし、時代は変わるのですね。
音威子府駅の駅そばは店主の方が体力的な問題で店じまいしていまいました。
道内は全て蒸気機関車かな?
壮大なスケールの超大作だ\(^o^)/
今なら、稚内から優等列車不使用で枕崎までって事か・・・。
道内どころか東海道線の東京〜沼津以外、全部蒸気機関車牽引ですよ〜😅。