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1971(昭和46)年製造(笑)の50代オッサンです。😅「57-11」ダイヤ改正以前にはそれこそ綺羅星の如く「迷列車」(笑)が存在していましたね。列車名が出て来るたびに懐かしさがこみ上げて来ました。🥲0:11 「大迂回」していた列車では他には東北本線・磐越西線経由で上野〜新潟間を結んだ急行「いいで」や東北本線・水戸線経由で茨城県を東西に横断していた急行「つくばね」も思い浮かびます。😊(「つくばね」は小山駅手前に存在した短絡線を経由して同駅はスルーしていた。結城以東は普通列車になって確か常磐線の勝田まで結んでいた筈。)逆にメインルートが遠廻りな為に敢えてショートカットするローカル線を経由する急行列車もありました。思い付くところでは「ひめかわ」(新潟〜青海、越後線経由)や「野沢」(長野〜長岡、飯山線経由)辺りでしょうか…。🤔0:41 鉄オタでも知る人ぞ知る駅が終着駅という列車といえば、中央東線の急行「アルプス」に大糸線の信濃森上発着の列車が設定されていた記憶があります。1:51 「しらゆき」とその併結相手だった「白馬」は乗車経験があるだけに思い入れの深い列車です。😊この当時の全区間架線下DC急行といえば上野〜秋田間の「おが」や名古屋〜新潟間の「赤倉」等もありましたね。「57-11」改正では「しらゆき」は福井発着の特急「白鳥1・4号」(通称「福井白鳥」)に格上げ、「おが」は夜行の客車列車が季節列車として存続、「赤倉」は165系電車化されて「60-3」改正まで存続しました。3:00 客車の夜行急行で途中から普通列車となる列車としては他には「日南」(博多〜宮崎〜西鹿児島、日豊本線経由、12系+20系)や「だいせん」(大阪〜出雲市〜大社、福知山線・山陰本線経由、20系)、「きそ7号」(名古屋→長野→直江津、旧型客車)等が思い浮かびますが、A寝台車も連結していたのが地元を走っていた「妙高9・10号」のみだったとは目からウロコでした。😮この当時の信越本線は関山・二本木とスイッチバック駅が連続していただけに車掌さんの携行品の無線機が活躍していたのでは?と想像されます…。「妙高」のうち、昼間の列車(169系電車を使用)の中には上野〜長野間の「信州」と共に長野電鉄に直通して湯田中まで運用されていた「志賀」を上野〜屋代間で併結していた列車もありました。3:37 舞鶴線・宮津線経由の「あさしお」は確か西村京太郎のトラベルミステリーのネタにもなっていた記憶が…。🤔本編で紹介された列車以外で迷要素が含まれた列車を個人的に挙げるとすれば以下の列車もありました。1.電車急行では唯一の?3層建て列車だった「きそ1号・天竜3号」「天竜8号」(長野〜上諏訪・天竜峡・中津川)2.同じ車輌が列車番号を変えながら直通する「段落とし」運用で上野〜新潟間を信越本線経由で運用していた「上野→2321レ→高崎→321レ→長野→323〜1323レ→新潟」(下り)「新潟→1324レ→直江津→324レ→長野→322レ→高崎→2322レ→上野」(上り)3.日本最長距離の普通列車「824レ」(門司〜福知山)4.普通列車ながら夜行列車ゆえにB寝台車を連結して愛称も設定されていた「山陰」(京都〜出雲市)、「はやたま」(天王寺〜新宮〜亀山〜名古屋)、「ながさき」(門司港〜長崎・佐世保、佐世保線・大村線経由)5.165系のモノクラス7連ながら長野側先頭車が6号車で順に新潟側先頭車が12号車と付番されていた急行「とがくし」(上田〜新潟、「とがくし1・4号」は上田〜長野間普通列車)特に2.は「57-11」改正で電車化・系統分割される前にそれまで用いていた旧型客車の検査期限が切れてしまう為に急遽12系客車が晩年の約2ヶ月間登板したという曰く付きの列車でした(笑)
平成生まれの私。タイムスリップ出来たらなぁと時刻表を読みながら思います。いつかは分かりませんが、続編も作る予定です。参考にさせて頂きます。
訂正です。❌2322レ⭕2326レ
あさしお1号ですが、大回りしている間に、後続のあさしお3号が抜き、豊岡・城崎には先に着いていた
誤乗車不可避w 初見56しですな。
@@agk-42875gvkgame 更に言うと、西村京太郎氏の小説の時刻表トリックでも使われています経由地が違うのに同じ愛称を名乗るが故のトリックです
高崎経由小山ゆき、小山経由高崎ゆきは普通にありました
「あさしお」は、この形態のまま平成8年まで存続しましたねそして、「みまさか」の次運用は月田発鳥取行の迷な普通列車だった時代もあるようですが、この時期はどうだったのでしょう?
この当時も月田発鳥取行として折り返していました。
急行しらゆきの特急昇格のおかげで、特急白鳥が2往復だった時期がありました。
3年で臨時列車に降格しちゃった😭
急行みまさかは、宮脇俊三氏が最長片道切符の旅行で乗車した急行みささ3号の併結相手なので印象に残っていました。急行あきよしも九州上陸時に乗車してました。
宮脇俊三氏の紀行には憧れます。
もう何と言って良いか(^_^;)でも117の関西新快速、懐かしいなぁ〜✨実は関西新快速に初めて乗ったのは、デビューしたての117。117に乗りたくて、大阪駅で数本見送った想い出。
1971(昭和46)年製造(笑)の50代オッサンです。😅
「57-11」ダイヤ改正以前にはそれこそ綺羅星の如く「迷列車」(笑)が存在していましたね。
列車名が出て来るたびに懐かしさがこみ上げて来ました。🥲
0:11 「大迂回」していた列車では他には東北本線・磐越西線経由で上野〜新潟間を結んだ急行「いいで」や東北本線・水戸線経由で茨城県を東西に横断していた急行「つくばね」も思い浮かびます。😊
(「つくばね」は小山駅手前に存在した短絡線を経由して同駅はスルーしていた。結城以東は普通列車になって確か常磐線の勝田まで結んでいた筈。)
逆にメインルートが遠廻りな為に敢えてショートカットするローカル線を経由する急行列車もありました。
思い付くところでは「ひめかわ」(新潟〜青海、越後線経由)や「野沢」(長野〜長岡、飯山線経由)辺りでしょうか…。🤔
0:41 鉄オタでも知る人ぞ知る駅が終着駅という列車といえば、中央東線の急行「アルプス」に大糸線の信濃森上発着の列車が設定されていた記憶があります。
1:51 「しらゆき」とその併結相手だった「白馬」は乗車経験があるだけに思い入れの深い列車です。😊
この当時の全区間架線下DC急行といえば上野〜秋田間の「おが」や名古屋〜新潟間の「赤倉」等もありましたね。
「57-11」改正では「しらゆき」は福井発着の特急「白鳥1・4号」(通称「福井白鳥」)に格上げ、「おが」は夜行の客車列車が季節列車として存続、「赤倉」は165系電車化されて「60-3」改正まで存続しました。
3:00 客車の夜行急行で途中から普通列車となる列車としては他には「日南」(博多〜宮崎〜西鹿児島、日豊本線経由、12系+20系)や「だいせん」(大阪〜出雲市〜大社、福知山線・山陰本線経由、20系)、「きそ7号」(名古屋→長野→直江津、旧型客車)等が思い浮かびますが、A寝台車も連結していたのが地元を走っていた「妙高9・10号」のみだったとは目からウロコでした。😮
この当時の信越本線は関山・二本木とスイッチバック駅が連続していただけに車掌さんの携行品の無線機が活躍していたのでは?と想像されます…。
「妙高」のうち、昼間の列車(169系電車を使用)の中には上野〜長野間の「信州」と共に長野電鉄に直通して湯田中まで運用されていた「志賀」を上野〜屋代間で併結していた列車もありました。
3:37 舞鶴線・宮津線経由の「あさしお」は確か西村京太郎のトラベルミステリーのネタにもなっていた記憶が…。🤔
本編で紹介された列車以外で迷要素が含まれた列車を個人的に挙げるとすれば以下の列車もありました。
1.電車急行では唯一の?3層建て列車だった「きそ1号・天竜3号」「天竜8号」
(長野〜上諏訪・天竜峡・中津川)
2.同じ車輌が列車番号を変えながら直通する「段落とし」運用で上野〜新潟間を信越本線経由で運用していた「上野→2321レ→高崎→321レ→長野→323〜1323レ→新潟」(下り)
「新潟→1324レ→直江津→324レ→長野→322レ→高崎→2322レ→上野」(上り)
3.日本最長距離の普通列車「824レ」
(門司〜福知山)
4.普通列車ながら夜行列車ゆえにB寝台車を連結して愛称も設定されていた「山陰」(京都〜出雲市)、「はやたま」(天王寺〜新宮〜亀山〜名古屋)、「ながさき」(門司港〜長崎・佐世保、佐世保線・大村線経由)
5.165系のモノクラス7連ながら長野側先頭車が6号車で順に新潟側先頭車が12号車と付番されていた急行「とがくし」
(上田〜新潟、「とがくし1・4号」は上田〜長野間普通列車)
特に2.は「57-11」改正で電車化・系統分割される前にそれまで用いていた旧型客車の検査期限が切れてしまう為に急遽12系客車が晩年の約2ヶ月間登板したという曰く付きの列車でした(笑)
平成生まれの私。タイムスリップ出来たらなぁと時刻表を読みながら思います。
いつかは分かりませんが、続編も作る予定です。参考にさせて頂きます。
訂正です。
❌2322レ
⭕2326レ
あさしお1号ですが、大回りしている間に、後続のあさしお3号が抜き、豊岡・城崎には先に着いていた
誤乗車不可避w 初見56しですな。
@@agk-42875gvkgame
更に言うと、西村京太郎氏の小説の時刻表トリックでも使われています
経由地が違うのに同じ愛称を名乗るが故のトリックです
高崎経由小山ゆき、小山経由高崎ゆきは普通にありました
「あさしお」は、この形態のまま平成8年まで存続しましたね
そして、「みまさか」の次運用は月田発鳥取行の迷な普通列車だった時代もあるようですが、この時期はどうだったのでしょう?
この当時も月田発鳥取行として折り返していました。
急行しらゆきの特急昇格のおかげで、特急白鳥が2往復だった時期がありました。
3年で臨時列車に降格しちゃった😭
急行みまさかは、宮脇俊三氏が最長片道切符の旅行で乗車した急行みささ3号の併結相手なので印象に残っていました。急行あきよしも九州上陸時に乗車してました。
宮脇俊三氏の紀行には憧れます。
もう何と言って良いか(^_^;)
でも117の関西新快速、懐かしいなぁ〜✨実は関西新快速に初めて乗ったのは、デビューしたての117。117に乗りたくて、大阪駅で数本見送った想い出。