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D60はバック運転が比較的やり易く久大本線の朝の由布院発大分行き列車は由布院駅にターンテーブルがなく大分までバック運転をしてました、久大本線が昭和45年頃ディーゼル化後は状態の良い機関車は直方に移動して筑豊本線や上山田線での活躍をしました。
ぶのさん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。D60は従輪が2つあるので逆行運転するとより安定するのですね。
D型のバークシャー型といえば短命だったD62と少数のD61を思い浮かべますが、圧倒的な数と割合と最後まで使用されたのはD60ですね。大正製造の蒸気で8620や9630やD50.などが割と最後まで残ったのは使い勝手がよかったからなんでしょうね。
ご視聴いただき有難うございます。D52は格好良いですね。足回りがぎっちり詰まっていて。大正時代の機関車が残ったのは製造台数も多かったこと、耐用年数がまだ、それに代わる機関車が無いとか遅れ(DL)でしょう。でも考えようによっては昭和50年まで大正時代の機械が使われてたなんて、ロマンありますよね。確か日産の工場の大正時代の大型プレス機がまだ使われていると聞いたのが10年くらい前ですから。工場などではまだあるかもしれませんね。実際蒸気があった頃は大正時代は最近という感覚でした。
D60、福岡県の飯塚の勝盛公園では屋根付きで保存され子供たちの良き遊び相手になってますよ👍️行橋に保存されてたD51のナメクジと飯塚勝盛公園のD60の写真を撮りまくりましたね…蒸気機関車のボイラー寿命は20~40年とされ不具合等ない限り日本は30年前後をメドに交換しています。クルマに例えるとエンジン交換に相当しますからD50がいかに現場から気に入られてたかわかりますね。
Mr. Yattsunさん、こちらもご視聴頂きありがとうございます。注目を浴びた最後のD60ですが、9600もそうですが結局日本の蒸気で最後まで残ったグループに入ったのは、当時の基本設計の良さばかりでなく耐久性も良かったのかなと思います。
Ð60っていえば、飯塚の保存機が結構草臥れていたのを思い出しました。市役所庁舎がかなり立派だったので猶更印象に残っています。
石井さん、ご視聴頂きありがとうございます。飯塚の46号機ってかなり程度良いと聞いていたのですが、ペンキ塗るだけじゃダメなんですね。厚化粧になるだけなので。
都市部に育ったため蒸気機関車に振れる事が少ない中で磐越東線D60型は親しみ深い機関車でした。山間部を登る走りはなかなかに逞しく、存在感のある姿勢でした。二つドームもお洒落なポイントです。窓を開けちゃ駄目!と親に言われながら走る汽車を見たくて身を乗り出して見た汽笛を鳴らしながら走る後ろ姿…直後にトンネルへ。お察し下さい。
ご視聴頂き有難う御座います。昔の素敵なコメントもありがとうございました。磐越東線近隣にご親戚があったのですね。都心では普段は蒸気を見るとこは無かったですね。今電気機関車を見る様なものでしょうか。でも上野行くと多くの蒸気列車が有りました。上野は別世界でしたね。
D60…バークシャーの日本罐では最も好きです。「裸の太陽」という戦後のモノクロ映画で、主人公の機関助手が乗り組むD60が「峠越えの時に砂撒き管が詰まった為に、デッキに腹這いになって自らレールに砂を撒く」というシーンがあります。昨年ネットオークションでマイクロエース製のNゲージの中古をやっと手に入れました。何年先…いや、無理かもしれないけど、HOゲージのも迎えられたらと思っています。
ご視聴いただきありがとうございます。砂を手で撒くのは映画とはいえ凄いですね。昔のC51やC53の走行中の給油みたいです。D60、D50は古い機関車だけどD51並みの性能を持つという点が私もお気に入りです。化粧煙突もいいですよね。
地元福岡の北西部だからd60がいた事が凄い嬉しい!!
Mathie the french さん、ご視聴頂きありがとうございます。九州のD50やD60はよく登場させていますので、他の動画も是非ご覧ください。
デロクマルの保存地全て巡礼した事が有ります。46号機61号機は保存状態が良く一番酷かった27号機はブルーシートで保護されてます。豊後森機関庫に来て欲しいです。
namachanさん、ご視聴頂きありがとうございます。D60は遅くまで残ったのでとても人気がありますね。日本は国土が狭いのでとても難しいですが、扇形庫とターンテーブル、給水塔を一式そのまま残して欲しいです。別にそこに蒸気が無くても良いんですけど。その点津山は良いですね。なんか駅裏を歩いていて庫があって覗くと機関車がいるという情景が大好きで、先般ポーランドでそれをやりました。
7:28 とってもいい貨物列車です!!!!!!!!小さな石炭車がたくさん連なっているの可愛いです!!!!!!!!
九州のはサイズが小さいですよね。
ニ軸のセラは筑豊本線の名脇役で九州鉄道記念館に1両保存されています。
直方駅構内で撮影された懐かしい写真が拝見できて有り難く存じます!
ご視聴頂きありがとうございます。直方を含め北九州の各地、各駅は面影なく近代化されていますね。ちょっと寂しいですが、さびれるよりはずっと良いでしょう。
@@Yukkuri-Lab 殿へ綺麗になりすぎて 何だか違和感(拒否感)を感じる還暦世代であります!
私よりお若いと思いますが、私も古い駅だけど手入れがされていて、清潔感があればよいと思います。ただ地震関連で立て直す必要があるのでしょうね。
D60はかなりの数がいたのですね。知りませんでした。軸重が軽くなると空転しやすくなるのでシリンダー径を小さくしたのですね。DD51はC57の置き換えのため軸重が軽いのでどうしても空転しやすいと聞きました。
ご視聴頂きありがとうございました。九州がハイライトされていたので、その他の地域はあまり目立ちませんでした。DD51は空転しやすかったのですね。無敵の憎きDLで私はあまり知りません。
@@Yukkuri-Lab DLはたしかに無煙化に貢献しましたが、DD51は無敵ではないと思います。石炭輸送の全盛期一度にたくさん運べたのは紹介されたD60をはじめD50 D51などの貨物用蒸機がいたからです。重量物を運ぶのに無理が効くのがSLです。
シリンダー径はブッシュで対応してるようです、
ライナーを入れるんですよね。
5:47 一宮に展示されているD51718の現役時代だ!
ご視聴頂きありがとうございます。これは津駅です。ここまで来ればいい写真撮れるかなと思ってきたのですが、都会でさっさと引き上げた記憶あります。
本来的にはD51→D61を量産したかったみたいですが、ベースのD51が不足していたので、D50→D60の改造が多数行われたと言う話を聞いた事があります。ベースのD50の性能がD51と比べてさほど劣らなかったのも幸いしたかも知れないですね。
ご視聴頂きありがとうございます。D50はD51とほぼ同等の力を発揮できる古いけど優秀な機関車です。ただし古くなれば、保守費用がかさみますからD51に置き換えるのは普通の流れだったのでしょう。そうなるとD61化させるほど数量が無いということになりますね。D61ばかりになったら、9600ももっと早く淘汰されるでしょうから、趣味的には面白くなかったと思います。
北海度ではあまり歓迎されず、九州では歓迎される。やっぱり相性なのですかね?wiki先生によると池北線の最後の貨物は9600だと言うし。あと九州では補機とはいえ急行運用があったのもビックリ!
ご視聴頂きありがとうございます。D60の北海道の活躍はなじみ薄く、今回視聴者様のご意見もとに調べてみました。筑豊の補機運用は12系ですので、普通列車と変わりませんね。
@@Yukkuri-Lab さん急行天草が12系になる前の編成、たぶん40系の時に、客車の最後尾のデッキに立って(何しろ連結面のドアを閉めて走るなんて時代ではなく)後補機D60のブラストを聞いたことが忘れがたい思い出です。冷水トンネルの中はそれはすごいものでした。なお、上り急行の補機は前向き、つまり門司方向が前でした。下り列車も前向きで押していました。
ご視聴いただきありがとうございます。天草の補機付きに乗られたのですね!小生の動画にもありますが、小海線のC56が勾配のトンネルの中を走る部分のドラフト音も凄いものですから、D60はもっと迫力あったことでしょう。
現役SL終焉の頃に購入したレコードにD60の急行天草補機運用のものが収録されていました。確かに冷水トンネル内のブラスト音は凄まじかったです。
是非聞いてみたいものです。
D51の余剰がなく、古いD50が大量に改造され、寿命をなからえたのは、幸いでした。山口で保存機を見たことがあります。
こちらもご覧いただきありがとうございます。従台車が2軸だとバック運転での安定性高いんですよ。この点でD50より良かったですね。長生きもしたし成功した改造機ですね。
素晴らしい歴史を知ることができ、とても勉強になりました。ありがとうございます。
ご視聴いただき、さらに過分なお言葉をいただきありがとうございます。とても励みになります。
アメリカじゃパシフィックとバークシャーをミキシングビルドしてノーザンを作ってましたなあまりにも性能が良かったせいで各車両メーカーがこぞって作り、色々な鉄道会社に売り込んだせいで統一された愛称がないというもともとD50形は寸法の問題で地方の転車台が使用できず、寸法を切り詰めたD51形を製造したバークシャーにしても車両の寸法は変わらないので9600形の淘汰に至らず、D61形に関しては軽軸化による空転が多発した当初はD52形は残存していた全車をD62形にする予定だったが、寸法は変わらないので運用できる路線がなく、20両のみにとどまった
いつもご視聴頂きありがとうございます。2D2の通称名ですよね。あまりメジャーな名前が無いのですよ。ですから混乱を避けるため動画では言いませんでした。D60はスムーズな従台車のおかげで乗り心地良かったことを動画に付け加えるべきでした。
となると先にD61改造した方がコスパや車齢的にベストだが足りないD51は新造1200番台追加してといかないのか
楽しい発想ですね!DD51があれほど廃車されたのですから、無煙化はもっと後でも良かったのではなかったのか?と思っています。輸送量の減少スピードを誤ったと思います。
個人的にはD60 は日豊線のイメージがあります。幸崎電化前の大分、柳ヶ浦機関区にいっぱいいました。当時小倉ー大分間は4時間以上かかったなぁ、今はソニックで1時間40分ですがw
バッタバイクさん、ご視聴頂きありがとうございました。私は電化後だったので日豊本線の南延岡以北で写真を撮ったことないんですね。最近長崎と筑豊の動画をアップしているので、そちらも是非ご覧ください。
“我が郷土のヒーロー”のイメージを持っているD52を除くと急客機に格好良さを感じるタチなのですが、9600といい、D51といい、そして今回のD60といい、貨物機も独特の味わいがあって佳きモノだな~と思い始めています。そして、C60もそうですが、二軸従台車と転がり軸受の導入は、単に軸重を減らして入線可能な線区を広げるだけでなく、改造元の形式のポテンシャルを引き出すために大きな意味があったんですね。海外のバークシャーやノルウェーの国歌も含めて、9分間の中に勉強になることが一杯です。どうもありがとうございます。
ご視聴頂きありがとうございます。過分な評価も頂きとてもうれしいです。貨物機は味がありますよね。その中でD51はスマートすぎるし、古い機関車を駆逐していった感があり、ナメクジ以外は難しいかなと思います。でも個体個体で違った仕様があってそれを見るのは面白かったです。転がり軸受ですが、以前の動画でも話題しましたが、全面的に採用した満鉄の機関車の評価がどうだったのかとても気になっています。メンテサイクルだけの問題ではなく、相当摩擦抵抗が減ってスムースな走りをしたものと推測します。
@@Yukkuri-Lab さん 機関車の世代交代は一直線とは程遠く、古い形式と新しい形式で一長一短があって、結局は役割分担をしながら共存してしまったというケースが多いんですね。機関車トーマスのシリーズで、出自や世代が違う蒸気機関車同士どころか、蒸気とディーゼルが初めは互いに胡乱な目で見ていたりケンカしていたりしてたのに仲良くなってメデタシメデタシ、というストーリーを度々見ました。あれは、子供たちへの情操教育の意味もありながら、英国での機関車運用の現実に基づいていたのかも、と気が付きました。
昭和40年以前ですと、DLと蒸気(私は昔からSLと言うのが嫌いなのですみません)が共存していましたよね。それこそきかんしゃトーマスの世界です。昭和45年ごろからの無煙化の進行のスピードと懐かしい風景が無くなっていく焦りは凄かったです。私の中では蒸気のD51もどうでしょうDLの類なのかもしれません。大昔日本の風景写真展でD51の貨物の写真を出して、クソミソに言われたトラウマかもしれません。(D51は違うだろ!って)
日本の貨物機ってバーニーズマウンテンドッグとかセントバーナードみたいな力強い大型犬みたいだから頼もしそうで好き
池田に配置された頃は池北線ではなく網走本線ですね。1961年に線名が変更されています。よくできた動画と思います。ありがとうございます。
ご視聴いただきありがとうございました。そうですよね。網走本線。名前が分かれたのでしたね。霊夢が池北線ってなに?と言っていた意味がわかりました。
5:48 僕の1番誕生日が近い大好きな718号機!!!!!!!!717つくられなかったなぁ。(7/17日生まれ)
サハ165さん、ご視聴頂きありがとうございます。紀勢線の津駅ですね。
D60私は一番好きですね。C60の場合はD60のように乗り心地はよくならなかったと当時の方が言ってますね。
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよ。乗り心地の良化については動画に入れておくべきでした。C60はベースのC59よりは良かったはずです。
@@Yukkuri-Lab 二軸従台車が好きなので、書物を漁ってみた所かつての仙台機関区の大山さんというかた(元々C60C61に乗られてたようです)初めてC59に乗務された時の感想を C60のほうがいいとおもっていた乗り心地は従台車一軸のC59のほうが優れており、意外だったと。また粘着力の良く、圧力の上りもよくとてもよかったと記録されてます(ボイラーは個体差かもですが)まぁよくよく考えてみたら二軸のほうが騒音も振動も増える原因が増えてるのでD60がたまたまうまくいったのかもしれません。 SL甲組の肖像の6に載ってますよかったら。
なるほどですね。貴重な情報をいただきましてありがとうございました。テンダーをつなぐ部分のバネのバランスなども影響しているのかな?と思います。SL甲組高いので、来月古本かって読んでみます!
ただD60は横圧が大きかったとかで、投入線区ではタイプレート入れたりして軌道強化を行なったとか…然し牽引力向上のこうかは大きく重宝された由。D601と言えば、恐らく1962/昭和37年の鉄道開業90周年記念かな?当時の小郡機関区にトップナンバー3人衆揃い踏みとして、C621・D521と並んで写真に収まりJNRロゴの入った木枠の額に納まったものが、恐らく国鉄職員の永年勤続者に配られたらしく、小学生時代に複数の同級生(御尊父が国鉄職員)の家に遊びに行ったら飾ってあって羨ましかった(^^);動態復活させることは極めて難しかろうが、県立山口博物館に在姿で残っているD601を本線復帰させてSLやまぐち号牽かせてみたい…って妄想に駆られてしまった(^^);
ご視聴頂きありがとうございます。戦後日本の国鉄線路は軌道強化を行っていて、それまで入れなかった機関車が走れるようになっていますね。そう言えばC62-1は長い事小郡機関区にいて、とても不思議だったのですが、当時はどうするつもりだったのでしょうね。結局梅小路に引き取られそれは良かったのですが。
@@Yukkuri-Lab 元々C62は1号機が保存対象でしたが、[つばめ]Emblemの残っていた2号機が折からのSLブームの中それも函館本線で重連で急行列車を牽くというこれまた最高の舞台を得て、[SwallowAngel]の別名(命名者は松本謙一氏とのこと)まで貰って大ブレイク!梅小路行は2号機に奪われてしまいました。或は広島鉄道学園辺りでの保存を考えていたのかも知れませんが、結論が出ずかといって解体するのも忍びなく…で残っていたモノと愚考します。事情はどうあれ、残っていてくれたおかげで今も逢えると言うのは有り難い話です。殊にハの字Apronと埋込みTailRightは地元蒸機の証。生まれて初めて接した蒸機がこの手のC62・D52・C59だったのでこの仕様が残っていることに感謝あるのみです(C6217号機はリニア鉄道館移設時広島仕様装備を外されてしまいました…)。
そうですか。小郡名物でしたね。北海道型C62-2のド迫力にくらべて、なんかのほほんとした面構えの1号機も良いですよね。
D60はセラが良く似合う。(先輪ポイント通過問題改造してましたね。)
いつもご視聴頂きありがとうございます。D50のネガはジオメトリーいじってあらかた解消していると思います。全長長いこともテンダーを改造したものがあるのか?転車台に限れば逆行運転も得意になっているので、さすが戦後のカイゼンが生かされたのではないでしょうか。
右デフ下のつばめマークの意味。転車台のおじさんが「変だろう?」(人の心をのぞいちゃダメよ)と曖昧に笑う。そんな伝説かな。
ご視聴頂きありがとうございます。そんな口調だった記憶あります。付けなくてもいいのにこんなの付けてさ。
右デフのみ?初めて見ました。SL晩年の筑豊?の9600にも燕マークが付いて。志布志のC11にも手書き?が居た。
ご視聴頂き有難う御座います。オバケ燕マークのC11というやつですね。それは見たことがありません。昭和47年頃から旧に蒸気がメジャーになって、メディアへの登場も増えたと思っています。
此れは初見です。志布志C11と9600は写真で見ました。後藤寺か直方だったと、思う❓️🤔
そんなD60の貴重なカラー資料はこちら↓th-cam.com/video/i0qiQLlcBsY/w-d-xo.html
教えていただきありがとうございます。これは磐越東線ですね。昭和45年に無くなりました。
SKFのベアリングは、国鉄からすると価格はどうなんでしょうか?
堺さん、SKFのベアリングは日本の国鉄は使っていませんね。ベアリング調達にあたって国内メーカー保護の国策がありましたから。NSKと東洋ベアリングが軍事がらみで国策会社のようなものでした。
バークシャーと言うと、D61,D62,D60の元の機関車に10足した2軸従台車で昔は、幹線が甲、か乙、更に乙とかの規格があり軸重!つまり線路の強度!が関係
こちらも見ていただき有難うございます。線路を強化する費用と機関車を改造する費用の比較、もちろん強度の高い線路を作れる鉄鋼メーカーの技術や生産能力も含め検討し、2軸従台車の方になったと言うことです。
2軸従台車の意外な効用がわかりました。年齢的に現役SLはほぼ見ていませんが、当時の書籍などの写真でD60の逆向き後補機が良く出ていたのはこういうう理由だったわけですね。私が昔から不思議だったのは、諸元で、D50の最高速度は75km/hなのですが、D60はD51と同じ85km/hと記されています。従台車をコロの2軸にすると最高速度が向上するのでしょうか?
ご視聴頂きありがとうございます。蒸気機関車の最高速度の計算は簡便な方法(ドイツ機械学会)で狭軌鉄道の場合、V=56.5Dで表され(Vは最高速度、Dは動輪直径)C57のような1.75mの場合は約100㎞/hになります。D50とD60の最高速の違いが出てくるのは、最高速度の計算方法の違い(各種ある)からくるものでしょうね。ですからD50/D51/D60みんな最高速は79㎞/hとなるはずです。この計算方法は動輪が1分間に300回転するという前提なので、それ以上回せれば~つまりシリンダー出力が大きければ最高速は伸びます。ですからD51は出力が大きいですからD50より速く走れる可能性はあります。D60はD50よりシリンダー出力を絞っていますから理屈では遅いはずです。この速度の領域になれば調子の良しあしで簡単に計算値を上回ったり下回ると思うので、あまり議論しても意味ないと思います。また、D50は古い機関車なので最高速を規則で時速70㎞に落としてあることを示しているのかもしれません。
@@Yukkuri-Lab 様、ご返信ありがとうございます。動輪直径で最高速度が決まるのですね。だからC51からC62まで動輪径1.75mのカマは全て100km/hなわけですね。余談ですが母は昭和20年代大崎のNSKに勤務していて、事務系でしたが車軸のベアリングよりも国鉄大井工機部から巨大ベアリングの注文があったことを覚えているそうです。おそらくターンテーブルの中心に使ったのでは?ということでした。
NSKは上大崎ですよね。霊夢の家の近所だそうです。優れた企業で戦前から軍部と深い関係があった国策企業です。NSKの軸受を話題にした動画ご覧いただけましたでしょうか。th-cam.com/video/L8l9Q27dlvI/w-d-xo.html ご覧いただきご感想をお聞かせいただければ幸いです。
D51は静止状態でも後ろへ行くほど軸重が増えるという後ろ下がりな設計ミスを持った機関車で、D50と比べると空転頻発な形式で嫌われたからね。一部の機関区ではD51要らないから代わりにD50配置してくれとD51配置拒否もあったそうです。多くのD50やD60が筑豊に残ったことと関係があるのかもしれませんね。
ご視聴いただきありがとうございます。少し前のD51の動画でもご指摘いただいた趣旨の内容を示しておりますので、是非ご覧ください。D60はあちこちの炭鉱を訪れる必要があったことが逆行運転のメリットを活かせた点と冷水峠での逆向補機運用かなと思っています。筑豊がD51と9600ばかりだったらさぞかしつまらなかったでしょう。
あれ?日本三大車窓は九州の真幸ではなかったでしょうか?
まつかぜ82さん、ご視聴頂きありがとうございます。真幸駅から矢岳駅、矢立峠全体を指していると思います。如何でしょうか?
@@Yukkuri-Lab ならよく意味が分かりました
正直Ⅾ60よりは9600やⅮ51のほうが好みだが、Ⅾ50、Ⅾ60って最後のような車輪回りが見えないとナンバー以外の見分けかたってあるんですかね。d60 22の、燕マークの位置はc62等と違って低いですね。ランボードと合わせてるんですかね。個人的にⅮ50は9600より8620に似てると思うのですがね、特にボイラー上のドームが9600より高いところですけど。
ご視聴いただきありがとうございます。D50・D60の見分け方でしょうか?外観からですと足回り見えなければ無いでしょうね。煙突ですがD60は後年化粧煙突を普通のに変えたのも多いですが、D50は化粧煙突をとどめていますね。22号機の燕マークですが、デフの修理の時に他のを持ってきたら燕マークが入っていたと言う話ですが、確かにデフのその部分に継いでいる形跡があります。でもなんで燕マークがあったのか?謎です。
@@Yukkuri-Lab 煙突ですか。そこまでの知識がなかったですね。デフの修理の原因って何なんですかね?枝に接触や整備中のミスとか?そしてなんで継ぎはぎなんですか、鉄板を張るだけじゃダメなんですかね。もとはc62等と同じ位置だったんですかね。下がり燕風なら上昇燕ですかね。関係ないですが、ふと疑問に思ったのが今は動態保存に億単位の金額がかかりますが、当時の蒸気機関車っていくらで発注されてたんですかね、材料費だけで1000万位しそうですが。
D60-22の燕マークの経緯は調査継続中です。本当になんでデフが壊れたのか?不思議です。国鉄の機関車の調達価格は調べてみたいと思います。
D60は、筑豊本線での石炭輸送のイメージが強かった。山口市にD601号機が保存されているが、筑豊本線で活動したD60形保存機は、あるのかな?
ご視聴頂きありがとうございます。27,46,61号機がみんな福岡県にあるとWikiにあります。これら筑豊のカマですね。27はビニールシート被っている様です。
@@Yukkuri-LabD60 27 46 61号機ですか。D6027号機はビニールシートをがぶっていると言っているが、福岡県直方市の石炭記念博物館かな。
修理のためのようですが、長い事放っておかれているみたいです。八女市立花体育館 福岡県八女市立花町谷川1130にあると記載ありました。
たふん9600型を置き換えなれなかったのは牽引力と線路が関係しているのではないでしょうか実際C58より8620のほうが牽引力が少しだけ上回っていたりあとカーブがきついために投入できなかった可能性もあるとおもいます。
ご視聴頂きありがとうございます。磐越東線を引合いに出すと、最後まで9600とD60でしたね。2輌で重連とかあったり、9600を駆逐する本来の目的は果たしていないかもしれません。もちろん全検切れの9600がD60に置き換えられたことはあろうかと思いますが、もう無煙化スケジュールが見えてくると、最初の目標はどこかに行ってしまい、ボイラーチケットがあるもの勝ちのようなことになったと思っています。
C63新造出来れば9600 8620置き換えの需要はありそうなんだが。
C63はC58みたいなので、個人的にはでっかいE10で最後になったことで納得しております。
片方のデフレターが壊れて修理したときに 片方だけつばめマークになった
ご視聴頂きありがとうございます。本当ですか?すごい貴重な情報です。ありがとうございます。
仮説です
そうですか… 色々な人に話してしまいました。
結果は
引き続き調査継続します。
空転防止防止にシリンダ径を小さくするのは勿体ないと思うなぁ。空転時だけ一時的に圧力下げてはいけなかったのかな?
ご視聴頂きありがとうございます。シリンダーボアを小さくし、一方ボイラー過熱面積を増やしたことで、バランスをとっているようですが、数値的にどのように効果あるのかは、計算していません。実際空転は少なかく運転しやすかったそうですね。
D6022号機のデフレクターの変つばめマーク。何故ついたのか❔知っている方、情報下さい。
コメントありがとうございます。Twitterでも拡散したのですが、結局分かっていません。
ナイアガラは何故日本でつくられなかったんですかね?従軸が二軸ならバックが楽なら先輪が二軸ならもっと運用は楽だったでしょうに。
いつもご視聴頂きありがとうございます。全長長すぎてフランジレスでも無理だったのでしょうか。
@@Yukkuri-Labいつも、楽しみに見させていただいてます。 確かにそうですね。1600㎜動輪でもC56のテンダーにしないと転車台に乗らないでしょうね。でも、幹線用(東海道など)ならデルタ線もありますし運用できたと思うんですよ。
東海道ですとD50時代に御殿場線ルートで補機運用ありましたね。D60登場時代となるとやはり適切な路線はあまりないですね。筑豊で最後まで大事にされて良かったと思っています。
@@Yukkuri-Lab 炭鉱があるとSLが残りますからね。
気になったんですが、どうしてデフの点検窓が閉じてる方がお好きなんですか?
穴が開いていないとデフとボイラーの間に入ってシリンダーの点検しなくてはなりませんね。あの穴は労働環境改善の組合からの突き上げで生まれたのだと考えています。日本の蒸気、台湾やタイに行っても点検窓はありませんよね。そういう背景があるから美しくないと思ってしまうのです。北海道の切り詰めデフは雪が溜まってしまうのを防ぐものですから、これは格好は悪いけど機能的には美しいと思います。
@@Yukkuri-Lab 機能美かプロポーションか、難しいところですね
D60って北海道では短命だったんだな
ご視聴いただきありがとうございます。D50も短命でしたね。D51で統一できれば保守点検、全検も効率的だろうという判断もあったものと推測しています。
右デフ下の燕マークこれは完全に個人の憶測だけど、工場とか機関区の人の遊び心じゃないのかな?現在のELとかに於いても、工場長の趣味で国鉄色に塗ったらマニアが深読みして、そんな意図無いのにって中の人たちが笑ってると言う話もある位だし
ご視聴頂きありがとうございます。貴重なご意見興味深く読みました。なるほどと思わせるお考えですね。実は、このD60-22の右デフですが、ツバメマークの部分が継いでありますよね?左のデフは一枚です。頂いた情報では、デフを破損して修理する際にこのツバメマーク入りのものを使用したと言うものです。でもどうやってC62のデフが出てくるのか解せません。調査中なのです。
冷水の逆後補、思い返せばとても貴重な編成ですが、実はあんまり好みではないんです…どうしてもプッシュしてるように見えなくて(笑)。
ご視聴頂きありがとうございます。後部補機の逆向きは煙も巻き込まないのでこの面からも理にかなっていると思っています。D51ではあまり見られないはずですよね。D51バックだと脱線のリスク高まるからというよりも、D60は二軸従台車が前にくるのでより安定するといったほうが良いですね。
D60はバック運転が比較的やり易く久大本線の朝の由布院発大分行き列車は由布院駅にターンテーブルがなく大分までバック運転をしてました、久大本線が昭和45年頃ディーゼル化後は状態の良い機関車は直方に移動して筑豊本線や上山田線での活躍をしました。
ぶのさん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。
D60は従輪が2つあるので逆行運転するとより安定するのですね。
D型のバークシャー型といえば
短命だったD62と少数のD61を思い浮かべますが、圧倒的な数と割合と最後まで使用されたのはD60ですね。大正製造の蒸気で8620や9630やD50.などが割と最後まで残ったのは使い勝手がよかったからなんでしょうね。
ご視聴いただき有難うございます。D52は格好良いですね。足回りがぎっちり詰まっていて。大正時代の機関車が残ったのは製造台数も多かったこと、耐用年数がまだ、それに代わる機関車が無いとか遅れ(DL)でしょう。でも考えようによっては昭和50年まで大正時代の機械が使われてたなんて、ロマンありますよね。確か日産の工場の大正時代の大型プレス機がまだ使われていると聞いたのが10年くらい前ですから。工場などではまだあるかもしれませんね。
実際蒸気があった頃は大正時代は最近という感覚でした。
D60、福岡県の飯塚の勝盛公園では屋根付きで保存され子供たちの良き遊び相手になってますよ👍️
行橋に保存されてたD51のナメクジと飯塚勝盛公園のD60の写真を撮りまくりましたね…
蒸気機関車のボイラー寿命は20~40年とされ不具合等ない限り日本は30年前後をメドに交換しています。クルマに例えるとエンジン交換に相当しますからD50がいかに現場から気に入られてたかわかりますね。
Mr. Yattsunさん、こちらもご視聴頂きありがとうございます。注目を浴びた最後のD60ですが、9600もそうですが結局日本の蒸気で最後まで残ったグループに入ったのは、当時の基本設計の良さばかりでなく耐久性も良かったのかなと思います。
Ð60っていえば、飯塚の保存機が結構草臥れていたのを思い出しました。市役所庁舎がかなり立派だったので猶更印象に残っています。
石井さん、ご視聴頂きありがとうございます。飯塚の46号機ってかなり程度良いと聞いていたのですが、ペンキ塗るだけじゃダメなんですね。厚化粧になるだけなので。
都市部に育ったため蒸気機関車に振れる事が少ない中で磐越東線D60型は親しみ深い機関車でした。山間部を登る走りはなかなかに逞しく、存在感のある姿勢でした。二つドームもお洒落なポイントです。窓を開けちゃ駄目!と親に言われながら走る汽車を見たくて身を乗り出して見た汽笛を鳴らしながら走る後ろ姿…直後にトンネルへ。お察し下さい。
ご視聴頂き有難う御座います。昔の素敵なコメントもありがとうございました。磐越東線近隣にご親戚があったのですね。都心では普段は蒸気を見るとこは無かったですね。今電気機関車を見る様なものでしょうか。
でも上野行くと多くの蒸気列車が有りました。上野は別世界でしたね。
D60…バークシャーの日本罐では最も好きです。「裸の太陽」という戦後のモノクロ映画で、主人公の機関助手が乗り組むD60が「峠越えの時に砂撒き管が詰まった為に、デッキに腹這いになって自らレールに砂を撒く」というシーンがあります。昨年ネットオークションでマイクロエース製のNゲージの中古をやっと手に入れました。何年先…いや、無理かもしれないけど、HOゲージのも迎えられたらと思っています。
ご視聴いただきありがとうございます。砂を手で撒くのは映画とはいえ凄いですね。昔のC51やC53の走行中の給油みたいです。D60、D50は古い機関車だけどD51並みの性能を持つという点が私もお気に入りです。化粧煙突もいいですよね。
地元福岡の北西部だからd60がいた事が凄い嬉しい!!
Mathie the french さん、ご視聴頂きありがとうございます。
九州のD50やD60はよく登場させていますので、他の動画も是非ご覧ください。
デロクマルの保存地全て巡礼した事が有ります。46号機61号機は保存状態が良く一番酷かった27号機はブルーシートで保護されてます。
豊後森機関庫に来て欲しいです。
namachanさん、ご視聴頂きありがとうございます。
D60は遅くまで残ったのでとても人気がありますね。
日本は国土が狭いのでとても難しいですが、扇形庫とターンテーブル、給水塔を一式そのまま残して欲しいです。別にそこに蒸気が無くても良いんですけど。
その点津山は良いですね。なんか駅裏を歩いていて庫があって覗くと機関車がいるという情景が大好きで、先般ポーランドでそれをやりました。
7:28 とってもいい貨物列車です!!!!!!!!小さな石炭車がたくさん連なっているの可愛いです!!!!!!!!
九州のはサイズが小さいですよね。
ニ軸のセラは筑豊本線の
名脇役で九州鉄道記念館に
1両保存されています。
直方駅構内で撮影された
懐かしい写真が拝見でき
て有り難く存じます!
ご視聴頂きありがとうございます。直方を含め北九州の各地、各駅は面影なく近代化されていますね。ちょっと寂しいですが、さびれるよりはずっと良いでしょう。
@@Yukkuri-Lab 殿へ
綺麗になりすぎて 何だか
違和感(拒否感)を感じる
還暦世代であります!
私よりお若いと思いますが、私も古い駅だけど手入れがされていて、清潔感があればよいと思います。ただ地震関連で立て直す必要があるのでしょうね。
D60はかなりの数がいたのですね。知りませんでした。軸重が軽くなると空転しやすくなるのでシリンダー径を小さくしたのですね。DD51はC57の置き換えのため軸重が軽いのでどうしても空転しやすいと聞きました。
ご視聴頂きありがとうございました。
九州がハイライトされていたので、その他の地域はあまり目立ちませんでした。DD51は空転しやすかったのですね。無敵の憎きDLで私はあまり知りません。
@@Yukkuri-Lab DLはたしかに無煙化に貢献しましたが、DD51は無敵ではないと思います。石炭輸送の全盛期一度にたくさん運べたのは紹介されたD60をはじめD50 D51などの貨物用蒸機がいたからです。重量物を運ぶのに無理が効くのがSLです。
シリンダー径はブッシュで対応してるようです、
ライナーを入れるんですよね。
5:47 一宮に展示されているD51718の現役時代だ!
ご視聴頂きありがとうございます。これは津駅です。
ここまで来ればいい写真撮れるかなと思ってきたのですが、都会でさっさと引き上げた記憶あります。
本来的にはD51→D61を量産したかったみたいですが、ベースのD51が不足していたので、D50→D60の改造が多数行われたと言う話を聞いた事があります。
ベースのD50の性能がD51と比べてさほど劣らなかったのも幸いしたかも知れないですね。
ご視聴頂きありがとうございます。D50はD51とほぼ同等の力を発揮できる古いけど優秀な機関車です。ただし古くなれば、保守費用がかさみますからD51に置き換えるのは普通の流れだったのでしょう。そうなるとD61化させるほど数量が無いということになりますね。D61ばかりになったら、9600ももっと早く淘汰されるでしょうから、趣味的には面白くなかったと思います。
北海度ではあまり歓迎されず、九州では歓迎される。やっぱり相性なのですかね?
wiki先生によると池北線の最後の貨物は9600だと言うし。
あと九州では補機とはいえ急行運用があったのもビックリ!
ご視聴頂きありがとうございます。D60の北海道の活躍はなじみ薄く、今回視聴者様のご意見もとに調べてみました。
筑豊の補機運用は12系ですので、普通列車と変わりませんね。
@@Yukkuri-Lab さん
急行天草が12系になる前の編成、たぶん40系の時に、客車の最後尾のデッキに立って(何しろ連結面のドアを閉めて走るなんて時代ではなく)後補機D60のブラストを聞いたことが忘れがたい思い出です。冷水トンネルの中はそれはすごいものでした。
なお、上り急行の補機は前向き、つまり門司方向が前でした。下り列車も前向きで押していました。
ご視聴いただきありがとうございます。天草の補機付きに乗られたのですね!
小生の動画にもありますが、小海線のC56が勾配のトンネルの中を走る部分のドラフト音も凄いものですから、D60はもっと迫力あったことでしょう。
現役SL終焉の頃に購入したレコードにD60の急行天草補機運用のものが収録されていました。確かに冷水トンネル内のブラスト音は凄まじかったです。
是非聞いてみたいものです。
D51の余剰がなく、古いD50が大量に改造され、寿命をなからえたのは、幸いでした。山口で保存機を見たことがあります。
こちらもご覧いただきありがとうございます。従台車が2軸だとバック運転での安定性高いんですよ。この点でD50より良かったですね。長生きもしたし成功した改造機ですね。
素晴らしい歴史を知ることができ、とても勉強になりました。ありがとうございます。
ご視聴いただき、さらに過分なお言葉をいただきありがとうございます。とても励みになります。
アメリカじゃパシフィックとバークシャーをミキシングビルドしてノーザンを作ってましたな
あまりにも性能が良かったせいで各車両メーカーがこぞって作り、色々な鉄道会社に売り込んだせいで統一された愛称がないという
もともとD50形は寸法の問題で地方の転車台が使用できず、寸法を切り詰めたD51形を製造した
バークシャーにしても車両の寸法は変わらないので9600形の淘汰に至らず、D61形に関しては軽軸化による空転が多発した
当初はD52形は残存していた全車をD62形にする予定だったが、寸法は変わらないので運用できる路線がなく、20両のみにとどまった
いつもご視聴頂きありがとうございます。2D2の通称名ですよね。あまりメジャーな名前が無いのですよ。ですから混乱を避けるため動画では言いませんでした。D60はスムーズな従台車のおかげで乗り心地良かったことを動画に付け加えるべきでした。
となると先にD61改造した方がコスパや車齢的にベストだが
足りないD51は新造1200番台追加してと
いかないのか
楽しい発想ですね!DD51があれほど廃車されたのですから、無煙化はもっと後でも良かったのではなかったのか?と思っています。輸送量の減少スピードを誤ったと思います。
個人的にはD60 は日豊線のイメージがあります。幸崎電化前の大分、柳ヶ浦機関区にいっぱいいました。当時小倉ー大分間は4時間以上かかったなぁ、今はソニックで1時間40分ですがw
バッタバイクさん、ご視聴頂きありがとうございました。
私は電化後だったので日豊本線の南延岡以北で写真を撮ったことないんですね。最近長崎と筑豊の動画をアップしているので、そちらも是非ご覧ください。
“我が郷土のヒーロー”のイメージを持っているD52を除くと急客機に格好良さを感じるタチなのですが、9600といい、D51といい、そして今回のD60といい、貨物機も独特の味わいがあって佳きモノだな~と思い始めています。
そして、C60もそうですが、二軸従台車と転がり軸受の導入は、単に軸重を減らして入線可能な線区を広げるだけでなく、改造元の形式のポテンシャルを引き出すために大きな意味があったんですね。
海外のバークシャーやノルウェーの国歌も含めて、9分間の中に勉強になることが一杯です。どうもありがとうございます。
ご視聴頂きありがとうございます。過分な評価も頂きとてもうれしいです。
貨物機は味がありますよね。その中でD51はスマートすぎるし、古い機関車を駆逐していった感があり、ナメクジ以外は難しいかなと思います。でも個体個体で違った仕様があってそれを見るのは面白かったです。転がり軸受ですが、以前の動画でも話題しましたが、全面的に採用した満鉄の機関車の評価がどうだったのかとても気になっています。メンテサイクルだけの問題ではなく、相当摩擦抵抗が減ってスムースな走りをしたものと推測します。
@@Yukkuri-Lab さん 機関車の世代交代は一直線とは程遠く、古い形式と新しい形式で一長一短があって、結局は役割分担をしながら共存してしまったというケースが多いんですね。
機関車トーマスのシリーズで、出自や世代が違う蒸気機関車同士どころか、蒸気とディーゼルが初めは互いに胡乱な目で見ていたりケンカしていたりしてたのに仲良くなってメデタシメデタシ、というストーリーを度々見ました。あれは、子供たちへの情操教育の意味もありながら、英国での機関車運用の現実に基づいていたのかも、と気が付きました。
昭和40年以前ですと、DLと蒸気(私は昔からSLと言うのが嫌いなのですみません)が共存していましたよね。それこそきかんしゃトーマスの世界です。昭和45年ごろからの無煙化の進行のスピードと懐かしい風景が無くなっていく焦りは凄かったです。私の中では蒸気のD51もどうでしょうDLの類なのかもしれません。大昔日本の風景写真展でD51の貨物の写真を出して、クソミソに言われたトラウマかもしれません。(D51は違うだろ!って)
日本の貨物機ってバーニーズマウンテンドッグとかセントバーナードみたいな力強い大型犬みたいだから頼もしそうで好き
池田に配置された頃は池北線ではなく網走本線ですね。1961年に線名が変更されています。よくできた動画と思います。ありがとうございます。
ご視聴いただきありがとうございました。
そうですよね。網走本線。名前が分かれたのでしたね。霊夢が池北線ってなに?と言っていた意味がわかりました。
5:48 僕の1番誕生日が近い大好きな718号機!!!!!!!!717つくられなかったなぁ。(7/17日生まれ)
サハ165さん、ご視聴頂きありがとうございます。紀勢線の津駅ですね。
D60私は一番好きですね。
C60の場合はD60のように乗り心地はよくならなかったと当時の方が言ってますね。
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよ。乗り心地の良化については動画に入れておくべきでした。C60はベースのC59よりは良かったはずです。
@@Yukkuri-Lab
二軸従台車が好きなので、書物を漁ってみた所かつての仙台機関区の大山さんというかた(元々C60C61に乗られてたようです)初めてC59に乗務された時の感想を C60のほうがいいとおもっていた乗り心地は従台車一軸のC59のほうが優れており、意外だったと。また粘着力の良く、圧力の上りもよくとてもよかったと記録されてます(ボイラーは個体差かもですが)
まぁよくよく考えてみたら二軸のほうが騒音も振動も増える原因が増えてるのでD60がたまたまうまくいったのかもしれません。 SL甲組の肖像の6に載ってますよかったら。
なるほどですね。貴重な情報をいただきましてありがとうございました。
テンダーをつなぐ部分のバネのバランスなども影響しているのかな?と思います。SL甲組高いので、来月古本かって読んでみます!
ただD60は横圧が大きかったとかで、投入線区ではタイプレート入れたりして軌道強化を行なったとか…然し牽引力向上のこうかは大きく重宝された由。D601と言えば、恐らく1962/昭和37年の鉄道開業90周年記念かな?当時の小郡機関区にトップナンバー3人衆揃い踏みとして、C621・D521と並んで写真に収まりJNRロゴの入った木枠の額に納まったものが、恐らく国鉄職員の永年勤続者に配られたらしく、小学生時代に複数の同級生(御尊父が国鉄職員)の家に遊びに行ったら飾ってあって羨ましかった(^^);
動態復活させることは極めて難しかろうが、県立山口博物館に在姿で残っているD601を本線復帰させてSLやまぐち号牽かせてみたい…って妄想に駆られてしまった(^^);
ご視聴頂きありがとうございます。戦後日本の国鉄線路は軌道強化を行っていて、それまで入れなかった機関車が走れるようになっていますね。
そう言えばC62-1は長い事小郡機関区にいて、とても不思議だったのですが、当時はどうするつもりだったのでしょうね。結局梅小路に引き取られそれは良かったのですが。
@@Yukkuri-Lab 元々C62は1号機が保存対象でしたが、[つばめ]Emblemの残っていた2号機が折からのSLブームの中それも函館本線で重連で急行列車を牽くというこれまた最高の舞台を得て、[SwallowAngel]の別名(命名者は松本謙一氏とのこと)まで貰って大ブレイク!梅小路行は2号機に奪われてしまいました。
或は広島鉄道学園辺りでの保存を考えていたのかも知れませんが、結論が出ずかといって解体するのも忍びなく…で残っていたモノと愚考します。事情はどうあれ、残っていてくれたおかげで今も逢えると言うのは有り難い話です。殊にハの字Apronと埋込みTailRightは地元蒸機の証。生まれて初めて接した蒸機がこの手のC62・D52・C59だったのでこの仕様が残っていることに感謝あるのみです(C6217号機はリニア鉄道館移設時広島仕様装備を外されてしまいました…)。
そうですか。小郡名物でしたね。北海道型C62-2のド迫力にくらべて、なんかのほほんとした面構えの1号機も良いですよね。
D60はセラが良く似合う。
(先輪ポイント通過問題改造してましたね。)
いつもご視聴頂きありがとうございます。D50のネガはジオメトリーいじってあらかた解消していると思います。全長長いこともテンダーを改造したものがあるのか?転車台に限れば逆行運転も得意になっているので、さすが戦後のカイゼンが生かされたのではないでしょうか。
右デフ下のつばめマークの意味。
転車台のおじさんが
「変だろう?」(人の心をのぞいちゃダメよ)
と曖昧に笑う。
そんな伝説かな。
ご視聴頂きありがとうございます。
そんな口調だった記憶あります。付けなくてもいいのにこんなの付けてさ。
右デフのみ?初めて見ました。SL晩年の筑豊?の9600にも燕マークが付いて。志布志のC11
にも手書き?が居た。
ご視聴頂き有難う御座います。
オバケ燕マークのC11というやつですね。それは見たことがありません。昭和47年頃から旧に蒸気がメジャーになって、メディアへの登場も増えたと思っています。
此れは初見です。志布志C11と9600は写真で見ました。後藤寺か直方だったと、思う❓️🤔
そんなD60の貴重なカラー資料はこちら↓
th-cam.com/video/i0qiQLlcBsY/w-d-xo.html
教えていただきありがとうございます。
これは磐越東線ですね。昭和45年に無くなりました。
SKFのベアリングは、国鉄からすると価格はどうなんでしょうか?
堺さん、SKFのベアリングは日本の国鉄は使っていませんね。
ベアリング調達にあたって国内メーカー保護の国策がありましたから。
NSKと東洋ベアリングが軍事がらみで国策会社のようなものでした。
バークシャーと言うと、D61,D62,D60の元の機関車に10足した2軸従台車で昔は、幹線が甲、か乙、更に乙とかの規格があり軸重!つまり線路の強度!が関係
こちらも見ていただき有難うございます。線路を強化する費用と機関車を改造する費用の比較、もちろん強度の高い線路を作れる鉄鋼メーカーの技術や生産能力も含め検討し、2軸従台車の方になったと言うことです。
2軸従台車の意外な効用がわかりました。年齢的に現役SLはほぼ見ていませんが、当時の書籍などの写真でD60の逆向き後補機が良く出ていたのはこういうう理由だったわけですね。私が昔から不思議だったのは、諸元で、D50の最高速度は75km/hなのですが、D60はD51と同じ85km/hと記されています。従台車をコロの2軸にすると最高速度が向上するのでしょうか?
ご視聴頂きありがとうございます。蒸気機関車の最高速度の計算は簡便な方法(ドイツ機械学会)で狭軌鉄道の場合、V=56.5Dで表され(Vは最高速度、Dは動輪直径)C57のような1.75mの場合は約100㎞/hになります。D50とD60の最高速の違いが出てくるのは、最高速度の計算方法の違い(各種ある)からくるものでしょうね。ですからD50/D51/D60みんな最高速は79㎞/hとなるはずです。この計算方法は動輪が1分間に300回転するという前提なので、それ以上回せれば~つまりシリンダー出力が大きければ最高速は伸びます。ですからD51は出力が大きいですからD50より速く走れる可能性はあります。
D60はD50よりシリンダー出力を絞っていますから理屈では遅いはずです。この速度の領域になれば調子の良しあしで簡単に計算値を上回ったり下回ると思うので、あまり議論しても意味ないと思います。
また、D50は古い機関車なので最高速を規則で時速70㎞に落としてあることを示しているのかもしれません。
@@Yukkuri-Lab 様、ご返信ありがとうございます。
動輪直径で最高速度が決まるのですね。だからC51からC62まで動輪径1.75mのカマは全て100km/hなわけですね。
余談ですが母は昭和20年代大崎のNSKに勤務していて、事務系でしたが車軸のベアリングよりも国鉄大井工機部から巨大ベアリングの注文があったことを覚えているそうです。おそらくターンテーブルの中心に使ったのでは?ということでした。
NSKは上大崎ですよね。霊夢の家の近所だそうです。優れた企業で戦前から軍部と深い関係があった国策企業です。NSKの軸受を話題にした動画ご覧いただけましたでしょうか。th-cam.com/video/L8l9Q27dlvI/w-d-xo.html ご覧いただきご感想をお聞かせいただければ幸いです。
D51は静止状態でも後ろへ行くほど軸重が増えるという後ろ下がりな設計ミスを持った機関車で、
D50と比べると空転頻発な形式で嫌われたからね。
一部の機関区ではD51要らないから代わりにD50配置してくれとD51配置拒否もあったそうです。
多くのD50やD60が筑豊に残ったことと関係があるのかもしれませんね。
ご視聴いただきありがとうございます。少し前のD51の動画でもご指摘いただいた趣旨の内容を示しておりますので、是非ご覧ください。D60はあちこちの炭鉱を訪れる必要があったことが逆行運転のメリットを活かせた点と冷水峠での逆向補機運用かなと思っています。
筑豊がD51と9600ばかりだったらさぞかしつまらなかったでしょう。
あれ?日本三大車窓は九州の真幸ではなかったでしょうか?
まつかぜ82さん、ご視聴頂きありがとうございます。
真幸駅から矢岳駅、矢立峠全体を指していると思います。如何でしょうか?
@@Yukkuri-Lab ならよく意味が分かりました
正直Ⅾ60よりは9600やⅮ51のほうが好みだが、Ⅾ50、Ⅾ60って最後のような車輪回りが見えないとナンバー以外の見分けかたってあるんですかね。
d60 22の、燕マークの位置はc62等と違って低いですね。ランボードと合わせてるんですかね。
個人的にⅮ50は9600より8620に似てると思うのですがね、特にボイラー上のドームが9600より高いところですけど。
ご視聴いただきありがとうございます。D50・D60の見分け方でしょうか?外観からですと足回り見えなければ無いでしょうね。煙突ですがD60は後年化粧煙突を普通のに変えたのも多いですが、D50は化粧煙突をとどめていますね。22号機の燕マークですが、デフの修理の時に他のを持ってきたら燕マークが入っていたと言う話ですが、確かにデフのその部分に継いでいる形跡があります。でもなんで燕マークがあったのか?謎です。
@@Yukkuri-Lab 煙突ですか。そこまでの知識がなかったですね。
デフの修理の原因って何なんですかね?枝に接触や整備中のミスとか?そしてなんで継ぎはぎなんですか、鉄板を張るだけじゃダメなんですかね。
もとはc62等と同じ位置だったんですかね。下がり燕風なら上昇燕ですかね。
関係ないですが、ふと疑問に思ったのが今は動態保存に億単位の金額がかかりますが、当時の蒸気機関車っていくらで発注されてたんですかね、材料費だけで1000万位しそうですが。
D60-22の燕マークの経緯は調査継続中です。本当になんでデフが壊れたのか?不思議です。
国鉄の機関車の調達価格は調べてみたいと思います。
D60は、筑豊本線での石炭輸送のイメージが強かった。
山口市にD601号機が保存されているが、筑豊本線で活動したD60形保存機は、あるのかな?
ご視聴頂きありがとうございます。
27,46,61号機がみんな福岡県にあるとWikiにあります。これら筑豊のカマですね。27はビニールシート被っている様です。
@@Yukkuri-LabD60 27 46 61号機ですか。D6027号機はビニールシートをがぶっていると言っているが、福岡県直方市の石炭記念博物館かな。
修理のためのようですが、長い事放っておかれているみたいです。八女市立花体育館 福岡県八女市立花町谷川1130にあると記載ありました。
たふん9600型を置き換えなれなかったのは
牽引力と線路が関係しているのではないでしょうか
実際C58より8620のほうが牽引力が少しだけ上回っていたり
あとカーブがきついために投入できなかった可能性もあるとおもいます。
ご視聴頂きありがとうございます。磐越東線を引合いに出すと、最後まで9600とD60でしたね。2輌で重連とかあったり、9600を駆逐する本来の目的は果たしていないかもしれません。もちろん全検切れの9600がD60に置き換えられたことはあろうかと思いますが、もう無煙化スケジュールが見えてくると、最初の目標はどこかに行ってしまい、ボイラーチケットがあるもの勝ちのようなことになったと思っています。
C63新造出来れば9600 8620置き換えの需要はありそうなんだが。
C63はC58みたいなので、個人的にはでっかいE10で最後になったことで納得しております。
片方のデフレターが壊れて修理したときに 片方だけつばめマークになった
ご視聴頂きありがとうございます。本当ですか?すごい貴重な情報です。ありがとうございます。
仮説です
そうですか… 色々な人に話してしまいました。
結果は
引き続き調査継続します。
空転防止防止にシリンダ径を小さくするのは勿体ないと思うなぁ。空転時だけ一時的に圧力下げてはいけなかったのかな?
ご視聴頂きありがとうございます。シリンダーボアを小さくし、一方ボイラー過熱面積を増やしたことで、バランスをとっているようですが、数値的にどのように効果あるのかは、計算していません。実際空転は少なかく運転しやすかったそうですね。
D6022号機のデフレクターの変つばめマーク。何故ついたのか❔
知っている方、情報下さい。
コメントありがとうございます。Twitterでも拡散したのですが、結局分かっていません。
ナイアガラは何故日本でつくられなかったんですかね?従軸が二軸ならバックが楽なら先輪が二軸ならもっと運用は楽だったでしょうに。
いつもご視聴頂きありがとうございます。
全長長すぎてフランジレスでも無理だったのでしょうか。
@@Yukkuri-Labいつも、楽しみに見させていただいてます。
確かにそうですね。1600㎜動輪でもC56のテンダーにしないと転車台に乗らないでしょうね。
でも、幹線用(東海道など)ならデルタ線もありますし運用できたと思うんですよ。
東海道ですとD50時代に御殿場線ルートで補機運用ありましたね。D60登場時代となるとやはり適切な路線はあまりないですね。筑豊で最後まで大事にされて良かったと思っています。
@@Yukkuri-Lab 炭鉱があるとSLが残りますからね。
気になったんですが、どうしてデフの点検窓が閉じてる方がお好きなんですか?
穴が開いていないとデフとボイラーの間に入ってシリンダーの点検しなくてはなりませんね。
あの穴は労働環境改善の組合からの突き上げで生まれたのだと考えています。
日本の蒸気、台湾やタイに行っても点検窓はありませんよね。そういう背景があるから美しくないと思ってしまうのです。北海道の切り詰めデフは雪が溜まってしまうのを防ぐものですから、これは格好は悪いけど機能的には美しいと思います。
@@Yukkuri-Lab
機能美かプロポーションか、難しいところですね
D60って北海道では短命だったんだな
ご視聴いただきありがとうございます。
D50も短命でしたね。D51で統一できれば保守点検、全検も効率的だろうという判断もあったものと推測しています。
右デフ下の燕マーク
これは完全に個人の憶測だけど、工場とか機関区の人の遊び心じゃないのかな?
現在のELとかに於いても、工場長の趣味で国鉄色に塗ったらマニアが深読みして、そんな意図無いのにって中の人たちが笑ってると言う話もある位だし
ご視聴頂きありがとうございます。貴重なご意見興味深く読みました。なるほどと思わせるお考えですね。
実は、このD60-22の右デフですが、ツバメマークの部分が継いでありますよね?左のデフは一枚です。
頂いた情報では、デフを破損して修理する際にこのツバメマーク入りのものを使用したと言うものです。
でもどうやってC62のデフが出てくるのか解せません。調査中なのです。
冷水の逆後補、思い返せばとても貴重な編成ですが、実はあんまり好みではないんです…どうしてもプッシュしてるように見えなくて(笑)。
ご視聴頂きありがとうございます。後部補機の逆向きは煙も巻き込まないのでこの面からも理にかなっていると思っています。D51ではあまり見られないはずですよね。D51バックだと脱線のリスク高まるからというよりも、D60は二軸従台車が前にくるのでより安定するといったほうが良いですね。