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二式単戦が陸海の戦闘機で一番好き。ボテっとしてると思わせて実は凄いスマートなフォルムが好き。
隼→おかん零戦→細美日本着物美人鍾馗→ボンキュッボン雷電→ムチムチ飛燕→留学生疾風→ナイスバディ各戦闘機の印象鍾馗カッコいい
飛燕はハーフだと思うのは俺だけだろうか?
おかん(笑)
紫電、紫電改→水泳選手97式戦、96式戦→ロリータ ナンチャって😅
五式は
@@両翼 五式は日本に馴染んだ留学生
陸軍と海軍を比較して、陸軍のすごいところは、こうやって機種更新されていく戦闘機隊に対し、途切れることなく空戦技量に冴えのある空中勤務をする正規士官を補充し続けたことである。
陸軍は防弾に対する理解があるからパイロットが生き残り、空戦技術は向上して、ベテランになり、優秀なパイロットが陸軍は揃っていたのかもしれません。
無線も海軍より優れてましたよね
正直に言って海軍より陸軍の方が今みれば有能なのかもしれない
@@小嶋隆徳 他にも、陸軍は日露戦争において下級士官の補充が破綻寸前になったのをふまえてなのか、士官の補充に関しては航空兵科も含めて下士官で推薦のあった者に士官教育を施して陸軍士官学校卒の士官と同等の士官に任命し、戦タヒ、退役による現場において空中勤務する士官の穴を埋め、さらに必要であれば現場において空中勤務する士官の急激な増員にも対応可能にするということをやっています。一方、海軍においては一定規模以上の部隊の指揮官は海軍兵学校卒の士官しかなれず、空戦技術がある下士官から士官になった者は『特務士官』として指揮権は限定されたものでした。大東亜戦争までは問題がなかったようですが、大東亜戦争の開戦後は空戦技術が未熟な海軍兵学校卒の士官が、その規模の部隊の指揮官になる前段の小隊長、中隊長として現場で指揮を行うために出撃した際において戦タヒする事態が続発、その補充に四苦八苦することになります。当時の個人技に頼る空中戦における現場での指揮官となる士官を確保する方法は、陸軍の方が最適解だったと思います。
@@FTAP46 陸軍の航空機用無線機は日本電気製、海軍の航空機用無線機は日本無線製だったそうです。
鍾馗好きだなあちょっと不恰好な所がこれまたカッコいい
鐘馗は43年夏の中国戦線でP40のパイロットから急降下で振り切れない日本の新型戦闘機として脅威とされていますね。
長所を活かせる場所があれば、強いのですね。ちょっと可哀想な戦闘機。
大丈夫、WTでチート扱いされてる名機ですから
爆熱エンジンがあるから、ま 多少はね?
それを加味しても余りあるポテンシャル
WTで敵側に日本機がいると嫌なんだよなー。自分が連合機なら尚更・・
@@ささきまぢだ 格闘戦したい?したくないの?いゃ~遠慮しなくて良いって!それじゃ行くよ!
速度重視な処が一点豪華主義的で良い。
3:42確かにこのアングルで胴体細っ!て思ってた頃もあったが、WTで出撃100回超えたあたりからはもうカワイイとしか思えない私…。
ロール速いから急降下中の修正がしやすいんよな
糸川博士いわく、「私の最高傑作」。鍾馗の後に新しい飛行機の設計にかかったが、鍾馗のバリエーションのようなものしか思いつけず、苦しんだそうです。
それで疾風が鍾馗に隼の要素をぶち込んだ設計になったんでしたっけ?「あれは隼の発展型じゃなくて鍾馗をベースに隼とのいいとこどりしたんです」鍾馗の最終予想が大体疾風みたいな感じだったらしいですが
@@sei-un そうですね。疾風は鍾馗の後継機と言っていいでしょう。だから疾風の配備とともに鍾馗は生産中止になり、隼は最後まで作られた。
糸川博士の中島飛行機における設計は「鐘馗」で終わりですね。制式機としての新しい飛行機の設計は担当されていません。疾風の設計が始まる前に、中島飛行機をやめて東京大学第二工学部の教授に転出されたからです。疾風の設計主務者は内田政太郎技師でありまして、内田さんは誤った判断でエンジン直後の胴体を絞る糸川流の空力設計をやめてしまいました。
糸川氏は昭和16年8月には退社して11月から東京大学工学部の助教授に転職しています。鐘馗が正式採用される前ですから、鐘馗以後の飛行機に係わる機会がさほどあったとも思えません。まあ陸軍は無節操に試作機の開発命令を乱発していましたから、ものにならなかった機種で係わっていたのかもしれませんが。
@@jx6004 糸川博士が鍾馗にかかわらなかったというのは、糸川氏の経歴からのあなたの単なる推測ですよね。「鍾馗こそ私の最高傑作」という言葉は糸川博士の著書『逆転の発想』に書かれていたのですが、糸川氏の著書の言葉より自身の推測が正しいという根拠はなんですか?知ったかぶりもいい加減にしたほうがいい。
普通の方々とほぼ同じかもしれませんが、日本の戦闘機の入り口は零戦と隼ですが、好きな大東亜戦争時の日本の戦闘機は結局のところ五式戦と鐘馗が双璧だったりします。特に鐘馗の上方から見たスタイルが決定的で、シンプルにして単能の潔さが大好きです。
大東亜決戦機っていう二つ名も含めて疾風も好きです。
コンパクトかつ絞り込まれたボディに特徴的な水平尾翼、更に高剛性で武装も面白いなんてかっこいいに決まってる
同意。二式も五式も甲乙つけ難い。海軍機は戦闘機じゃないけど流星かなぁ(^_^;)でも百式の三型には勝てない。
同感、に近いですが、私は鍾馗と疾風、敢えて加えれば新司偵と飛龍です。
5式戦はP51マスタングと同じものを感じる。優秀な急造品、って感じが
一式戦のスマートさと比べてずんぐりした不格好な機体ってイメージあるけど、個人的には殺意ビンビンの獰猛なフォルムでカッコいいと思うんだけどな
コイツを海軍が採用し、発展型の開発も継続しておけば雷電の開発なんて不要で零戦の後継機の開発も遅れなかったかも。
太刀風爽さんそうですね。陸軍と海軍って、似たような時期に似たような飛行機を競って開発しているようなイメージがあります。隼と零戦はエンジンや設計思想が似てるけど、まあ陸戦と艦戦の違いがあるからいいとしても、鍾馗と雷電、疾風と紫電改なんかは、陸戦と局地戦ということで、用途の面で似ているところが多いので、どちらかに絞ることで量産性を上げることができたんじゃないかと思います。
@@猫大好き-c9g ほんとに海軍は馬鹿で話にならない。艦載機でもない雷電だの紫電改だのをなぜ開発しなければならないのか意味不明だ。雷電の代わりに鍾馗を、紫電改の代わりに疾風を使って、海軍は艦載機のみ開発に徹すれば、ゼロ戦の後継機だって簡単に開発できたのに。
零戦と鍾馗をスペックで比較すると鍾馗の方が優れている様に見えるがパイロットの対する操作性が悪くて模擬戦闘じゃ零戦に負けているんだよな
Mr.Window さんそうなんですか、初めて知りました。二式戦は20ミリ4門搭載はむりだったにですかねえ?これがもし発展できていれば雷電は必要ありませんでしたね。陸海軍は同じ相手と戦っていたのに弾薬も燃料のオクタン化も違うというデタラメビリ。せめて武装はだけは共同開発できていればよかったのに。ここ最近は鍾馗の私に中の評価が上がってます。
ウォーサンダーで初めて乗った時機首の安定性に驚かされた。ラダー踏みまくってけつ振りまくってもふむのやめた瞬間にセンターに戻る、急降下耐性や加速性能がいいからそこいらの双発重戦闘機には負けない、すごくいい機体です
見た目から付いたアダ名が「ブルドッグ」かわせみ部隊は堀越二郎技師の回顧録にも出て来ます。海軍にも速度と上昇力を高く評価されていました。ドイツの日本視察団にも高評価されていますよ。
何よりこの機体が大好き。
そりゃB-17やB-24を想定して作ったのにいざ蓋を開けたら更に強力なB-29と護衛のP-51がついてくるんじゃ不遇としか言えないよな…
雷電と似てますよね。米軍からの評価は割と高かったり、零戦に慣れ親しんだパイロットからの評判が微妙だったものの、エース(赤松貞明中尉)からは評価が高かったあたり。
とかく日本では「軽快な機動性・運動性能」が重視され、帝都防空が軽んじられてきたせいも有るかも知れません。ニ式単戦(しょうきが変換出来ません)と海軍の雷電は設計陣にも前線パイロットにも存在価値が理解されず嫌われてた印象が強いです。「絶対必要」が「かく在るべし]とゴッチャにされた不幸な飛行機と言えるでしょう。
雷電と鍾馗、実は空力面でもほぼ同じだったみたいですね。雷電は抵抗削減に有効と考えて無理矢理カウルを絞って紡錘形にして延長軸、強制冷却ファン取り付けで故障多発になってしまった…
@@吉田啓嗣 水メタ噴射と推力式排気管処理の改造してインターセプトとして磨きをかけてれば…
@田中一郎 対応した改造したらほぼ四式戦だったというオチ付けましたからね」…
@@dhkbeans327 さんプロペラ付けて回した場合は、鐘馗の方が抵抗が少なかったそうですよ。Fw190も同じ。プロペラ後流の影響により、雷電の紡錘形の機体より抵抗が少なくなるみたいです。
設計的には日本一の名機だが軍多数派の好みに合わず不遇となった悲しい機体光象式照準機すら用意してもらえない不遇させめて後世の我々だけは賞賛すべきではないだろうか。
陸軍機って名機が多いんだよね。
いや 鍾馗はなかなかの良い戦闘機だったと思います。確かにこれといった特長は無いかもしれませんが、バランスの取れた優秀な戦闘機だったと思います
性能的に尖った部分がないってことになってるけど、尖りまくった設計だと思うんだけどな。実際、性能的にも上昇力は陸海軍でもぶっちぎりでトップだし、速力も四式戦とさほど変わらない。戦闘機にとって重要な運動性能である横転性能も非常に高い。
最初に知ったのは松本零士先生の戦場マンガシリーズ「成層圏戦闘機」でした。上昇力不足の上火力不足でもB-29に果敢に挑む姿が印象的でした。
あれ三型じゃなかったですか?
@@straker1701 二型じゃないかな。40mm機銃を指して「1発でも当たればB-29はバラバラ」とかいうセリフがあったと思う。だからあれは二型乙だと思ってた。
@@イカイカ-v8s Ⅲ型は別作品だったかも?夜間の迎撃に上がるGreenOPLとかのタイトルだったか?夜間なんで光学照準器に減光フィルター使うかなんかの描写があった。
私も読みました👍️小学生の時、陸軍機は隼か飛燕しか知らなかったので、40㎜でB29に大穴を開ける鍾馗が衝撃的でした✨
@@straker1701 wikipediaにあった「緑の環」かな?そっちは読んでないからわからないが。
鐘馗は現存機が無いためカウリングからギュッと絞った細い胴体の微妙な3次元曲面のアールを模型で再現するのが困難で色んなキットが出てもうるさ型のマニアから「あーだこーだ」議論が尽きないモデラー泣かせの機体です
たしかエンジンしか残ってないんでしたよね。一機ぐらいどっかに残ってないですかねえ…
中国に脚の格納部分が残ってるぐらいですよね...
糸川博士は控え目にいって天才だと思う
糸川先生は子供でも楽しい平易な文章で高度な内容の本を書かれていて、子供時分読みました。3分23秒から解説されている、水平尾翼と垂直尾翼を離し、かつ、垂直尾翼が低い理由について、「(機体のローリングとかカップリングと言うそうですが、)操縦者の意図とずれて、機体の縦運動と横滑りの運動が混ざって機銃の命中率が下がるのを防ぐ工夫を考えすぎて疲れて、2人の子供が並んでブランコに乗っているのを眺めていたら閃いたエピソードの原理が、私には分からなかったので覚えてます。2つのブランコのロープの長さは同じなので周期が同じかと思ったら、そうではなかった、というか、2つのブランコはそれぞれ独立して動いていた原理を、飛行機に応用したとか(?)水平尾翼と垂直尾翼を離すとともに、加えて、主翼と水平尾翼を出来るだけ近づけると、素人目にもデルタ翼のメリットと似てそうで、パイロットの意図通り機体を安定させられそうです。堀越二郎先生より9才若く、共に当時最も人気の航空学科に入学されていますが、飛行機開発を禁止された敗戦後、振動ということで飛行機設計と接点があったのでしょうか、音響理論の応用を模索されたりされたのが、飛行機技師のプライドに執着されてなく柔軟な感じで好きです。その後も、活躍の場が驚くほど多才ですね。 長々すみません
松本零士先生の『成層圏戦闘機』という傑作短編で、B29を相手に大活躍しており、読んで感動しました
用途や目指す方向性が見た目に如実に表れてて大好きな機体です。中島の戦闘機は97戦から四式まで一歩ずつ着実に進歩していっている印象があります。その中でも二式はターニングポイントになった機体かも知れませんね。もし南進せず大陸が主戦場のままなら一式ではなく二式が主力戦闘機だったと思います。
幼い頃、鍾馗や雷電はなんだかボテッとしててなんだかな~って感想だったものですがいまは逆に好きになっちゃいましたね
少年時代「P-51マスタング......最大速度704km/h」「P-47サンダーボルト......690km/h」「F6Fヘルキャット......611km/h」「零式戦闘機52型......560km/h」「三式戦闘機飛燕......590km/h」「一式戦闘機隼......515km/h」「ちぇっ・・・日本の戦闘機はみんな500km/h台じゃないか。一番早い疾風でも624km/hなんて、おもしろくねぇや!」 ──そんな頃、見慣れない古い戦闘機の本を見つけ、手に取った「見たことない写真ばっかりだ~! ん? なんだこの太いの・・・二式単座・・・戦闘機? こんなのあったのか」「二式単座戦闘機鍾馗・・・最高速度605k・・・6 0 5 km/h!!!!」「フムフム……エンジンは1500馬力で、武装は12.7mm機銃×4、航続距離は短いけど、日本にこんな力強い性能と見た目の戦闘機があったなんて!」その時から虜です。
戦争中に生産終了とか、日本機で唯一トージョーとか、戦果語るパイロットがいないとか不遇な名機すこすこ
糸川さんご本人は、隼より鍾馗の方がお好きだったみたいですね。自分も好きな機体です。
トンボみたいで好き
世界の傑作機(だったはず💧)に学徒出身だったかの若い搭乗員の回想が掲載されており、その方によれば舵の効きが格段に良く(後に乗った疾風より良かったという)早い着陸速度も慣れればなんて事なかったみたいです。変に凝り固まったベテランより柔軟なルーキーの方が相性が良かったんでしょうね。ちなみにその方は生き延びられたそうですよ。(名前は失念。世界の傑作機の殆どを手放してしまいましたので…)
海軍の雷電もベテランには視界が悪い着陸速度が早いと不評でしたが新人パイロットがある程度乗っていたら普通に乗りこなしていたらしいですね。
戦後大阪市電に最新鋭車が入った時ベテランはあれこれ文句言って旧型車に乗務しましたが、逆に若手は高性能を発揮して通常なら離される乗用車を逆に引き離した、梅田ー難波間で地下鉄御堂筋線より速いダイヤで市電四つ橋線を爆走したりしました。
零戦が1だとすると紫電が8、雷電が9飛ばすのに大変なんでしたっけ。
@@keta5118 紫電は水上戦闘機の強風から陸上機にした無理があり中翼の為に二段に伸縮する脚の信頼性が低いし誉の品質低下によるスペックダウンで雷電より問題多いと思います。雷電は火星の延長軸辺りが原因の振動問題ですかね。
ベテランであっても一撃離脱戦法を習得した者は、この機体の特性を十分に活用しています。二式戦闘機で活躍したベテランの代表的なところとして、敵から『赤鼻のエース』と呼ばれた若松少佐とかがいます。
陸軍二式単戦は最も好きな戦闘機です!明らかに中島飛行機の傑作機でしょう⁉︎陸軍航空隊はノモンハンの経験から、重戦闘機の必要性に着目しながら、育成や運用を中途半端にしたため、その素質を伸ばして生かせなかったのが残念です!何度か模型を作りましたがとてもコンパクトで力強さと高速機らしい姿が印象的です‼︎
名称が地名とか自然現象じゃなくて道教の勇ましい神っていうのも特異かな
地名と自然現象は海軍が持ってっちゃったから…
どうやら他惑星では恵まれているようですよ。外見は結構すき
上昇お化けだからね😊
あまり好きな機体では無かったのですが、意外にいい機体だったんですね。
もし20ミリ機関砲を早期から搭載していれば相当強力な迎撃戦闘機になってたでしょうね。因みに中島飛行機は社長や大社長が進取の気性に富んでおり、鍾馗の前にもキー12と言う重戦闘機に近いものを試作しており、これには液冷エンジンプラスモーターキャノン、と言う日本には手に余る技術が盛り込まれてました。一応旋回性能はキー12と前後して試作されたキー11と同じでしたが、速度性能がキー27と同程度ながら上昇力が悪く縦機動で優位に立てず、更に液冷エンジンがイスパノスイザと言う特殊なもので、技術力的に生産が無理、更にモーターキャノンも国産化が困難な為正式採用されていません。
設計面ではすごい参考になる機体なんだけどなー....
鍾馗。陸海軍通じて、一番マトモな機体だと思います。
日本のロケットの父の 糸川さんですか。 成る程 それで 独創的です。 今だったら 暴走族連中が 乗りたがるだろう。 私はこのスタイルは好きです。
wtだと急降下からの一撃離脱、格闘戦、追撃、爆撃機迎撃もこなせるop機。スペック通りならかなり戦えたかもしれない
チャンネル登録しました!これからも頑張ってください👍
(セガ・サターン)大戦略で今もお世話になってる機体です!
鍾馗のエンジンが信頼性に欠けるというのはあまり知られていませんね?重戦的な性格が嫌われて重用されなかったとか言われますが、エンジンの信頼性の低さがあまり生産されなかった原因と聞きました。爆撃機の呑龍と同じですね。呑龍も先進的ながらあまり使われなかったのは同じエンジンを使ってたからです。鍾馗を装備していた部隊は、四式戦をうまく整備出来た傾向にありますが・・・、もともとエンジン整備に苦労してたからなんですね。
「細々と手のかかるやつ(エンジン)だった」との整備の証言が残っていますね。
鍾馗の解説をするなんてあんた正気か?WTの愛機です
同士よ、、乙鍾馗マジ楽しい
迎撃機と言うより、インターセプターと呼ぶとなんかカッコ良く聞こえます、大昔TVでやっていた、謎の円盤UFOを思い出します。
ある意味戦後のアメリカ軍の戦闘機鹵獲は意味のあるものだったと思う。 性能からの評価は割りと正しい
陸軍の他機種とは違うこれぞ一撃離脱機って感じがして陸軍機で一番好きな機体だなぁ…
1942年の戦争中盤で600km/h超えは米軍視点からも中々優秀じゃないか。性能面では疾風の次に優秀だと思う
名前しか知らなかった迎撃機だけど、なんか好きになったよ。
ネックとしては挙げられるのは低火力とエンジンの信頼性くらい97戦や隼に旋回で劣るのは当然な話であり、航続距離にしても並みの欧州機よりちょっと長い程F2A、ハリケーンに速度で勝り、低火力とはいえ隼より上、スピットもビルマに現れるのは43年末と有利な条件であったが作中で言及されているように投入された環境と機体性能がマッチしなかったのが不運だった
重戦にしては火力が弱いし何とも中途半端な感じなんだよね。
@@straker1701 まあ参考対象がI-16辺りだったろうから多少は、ね?ノモンハンでは一撃離脱で堕とされた奴が結構いたみたいだから。
@@呑龍ハルカ 隼も12.7㎜二門にする積もりが生産が間に合わずに7.7㎜と混載からやりましたね。
結構カッコイイ機体だと思うんですが、今ひとつ評価が低いですね…せっかくの高性能を使い方のマズさで実力を発揮出来なかった、そんな印象を強く感じます。
8:00のところ昭和17年じゃない?そんなことより鐘馗かっこいい
鍾馗には当時配備されていた機体の中で勝機がある。
伊丹飛行場では飛行第56戦隊で飛燕が飛んでて、八尾飛行場では飛行第246戦隊が置かれ鍾馗や疾風が飛んでました。B29の体当たり攻撃ですが、パイロット脱出が前提でした。でも飛燕はともかく鍾馗は脱出が難しかったとの事。
毎回毎回よく調べてるよね。本を一冊読んだてレベルじゃない。
疾風と並んで、当時の世界水準に達していた数少ない機体。鐘馗に金星積んでいたら、というのはたまに考えます。いい機体になったのではないかと。後継機の完成ゆえに、本機のアップデートに目が向けられなくなった、というのは残念なことです。三型の写真は海外サイトのを一枚だけ見たことがありますが、まさに疾風の翼を付けた鐘馗でした。尾部も若干延長されているようでしたし、疾風のテストベッドという趣き。
【インターセプター】意味:来攻する敵機を迎撃することを任務とする戦闘機。邀撃 (ようげき) 機確かに二式戦は重戦として主たる任務は敵爆撃機撃墜なんだけど短い航続距離も欧州基準であれば十分長かったし、元々大陸での「対ソ戦」を意識して航空戦力を整備していた日本陸軍は(二式戦を)制空戦闘機として期待していた二式戦がインターセプターに見られてしまうのは、一式戦が「対英・対米戦」の為に重たい増加タンク(200㍑)を翼下に2個吊り下げて本来の「軽戦」としてではなく急遽「遠戦」仕様とされ、かつ─燃料満載で機体が重たいのに─思わぬ大活躍をしてしまった為だからと思える動画では二式戦が嫌われたのは通説の「格闘戦至上主義」云々とあるけども、此はもう少し掘り下げて見る必要があって、二式戦には「不意自転」という悪癖があり「思い切った操縦ができない」故に「敵機を照準器に捕捉できない」のが大きかった更にもう一つ、動画では触れてないが搭載発動機も問題を抱えていた。二式戦の搭載発動機ハ5系列(ハ41、ハ109)は整備がし辛く(整備士の刈谷氏によるとハ45(誉)の方がまだ整備し易かった)、信頼性・実用性が極めて低かった為、稼動機が揃わなかったのも大きい。活動の場が太平洋戦域より狭い欧州戦域だったとしても「稼働率」の面で厳しい機体だったかも知れない
1:41確かにww
うちの家の近くの元飛行場は鍾馗部隊で有名な47中隊がいたらしいんだよね...誇りに思える...
インターセプターの実用機として評価したい、これから正常進化出来ていたら、日本の迎撃戦闘機としての一撃離脱戦法専用機として、良い進化戦闘機になっていたかもしれませんよねぇ(´・ω・`)
そうなっても結局疾風に行き着く希ガス
推力式単排気管にして、直径の小さい金星50型発動機1300馬力に換えれば630キロは出せた。惜しい戦闘機だった。
実は二式単座戦闘機って言うのは屠龍と混同を避けるための俗称であくまで二式戦闘機が正式名称なんですよね
鍾馗の成功要因は強度と垂直尾翼モーメントアームを確保しつつ機体を極力小型化したことかなと思います。誉より厄介なエンジンの他形式への変更、各所最適化など熟成されていけば、更に素晴らしい戦闘機になり得たと思います。日本機の中では最も尖った存在で魅力的だと思います。
二式単戦は帝国陸海軍の制式戦闘機のなかでは「尖った」戦闘機です。平面図を見れば一目瞭然。径の馬鹿デカイ大出力のエンジンに目を疑うような小さな翼、その為にだけ添えられたかのような絞られた胴。これを見た後に零戦の平面図を観ると愕然とします。まさしく「納屋の扉」更には流線型に妄執して玉成に手間取った雷電とは大違い。(アレはアレで好きな飛行機ですが)ワンコインで買える1/72のプラモデルを、鐘馗零戦雷電、あとbf109とか、ざらざらと買ってきて、爪切りと接着剤だけで組み立ててみれば、簡単に実感できることです。戦前に空冷しか用意できなかった国のレーサーに見られ、これを踏襲したロシアのポリカリポフとか、ww2初期の戦闘機にありがちな方法論ですが、全金単葉で此処まで突き詰めた飛行機って、あまり無いのです。二式単戦はまごうこと無き優秀機です。「ドリトル先生の大冒険」以前に、大陸にも展開していたのだから、ロシア経由で、うっかりフィンランドで活躍して欲しかったですね。貧弱な武装は109のガンポッドをもらったり。tojoでは無くtogoと呼ばれたりして。
12.7㎜に耐え得ないという評価は日本機のぽんこつ防弾を揶揄されたかのように伝えられていますが。たとえば当時のF6Fなどでは、操縦席の周りにバスタブのように豪勢な防弾が施されていますが、スペック的には7.7㎜対応のものです。米国のこととてオーバースペックの可能性はありますが、当時の米軍陸海軍戦闘機の防弾板の標準は7.7㎜対応のもので、鍾馗の防弾板の12.7㎜に耐え得ないという評価は、単に事実を述べただけではないかと。
どのような角度で撃ち込んで測定したかが気になる。もし、測定の方法が防弾鋼板に対して垂直に弾を撃ち込むものだったら見当はずれ。戦闘機は三次元の空戦機動をするから防弾鋼板に対して垂直に弾を命中させる方が難しいと思う。
この動画だと重戦闘機=対爆撃機用の迎撃機みたいな印象になるけど、本来重戦闘機は対戦闘機、対大型機どちらにも使え、行動範囲も軽戦闘機より大きく制空戦向きの本格戦闘機で、鍾馗も当初の重戦に求められた航続力は持っていた。実際には、より大きな航続力が要求されるようになり、もともと軽戦闘機として発注された隼や飛燕がそれに対応できたため誤解されがちだが。あと、離着陸が難しく初心者には危険と思われていて、乗るのに飛行時間による制限がついていたが、戦局が悪化して制限が緩和され後には撤廃されたものの特に問題は起きなかった。
松野忠雄 むしろ若手の方が乗りこなし「こんな良い機体に乗れないくせに威張るな!」と古参をバカにする強者までいたそうです。
空冷のFw-190とバランスと性能が良く似ていると世界の傑作機のFw-190に書いてあった
アメリカ軍の「12.7ミリ機銃の前に鍾馗と隼の防弾は無力」ってレポートたしか防弾版に垂直に撃ち込んでの結果だったはず。アメリカ軍の性能試験って例えば速度試験に関しても機銃弾を搭載しなかったり、燃料もぎりぎり軽くして行ったりするから結構実戦的じゃなかったりする。
それでも多分12.7ミリではアウトでは...?
米軍はちゃんと全備重量で試験してる。空虚重量試験も軍が一括して行うせいで飛行試験を企業が中心に行う日本人には誤解され、米軍機はカタログスペック詐欺だと信じ込みたい連中に広められただけ
@@マカロフ-c7v 実戦ではまず間違いなく「直角に当たる」なんて事はないから大丈夫。
@@イカイカ-v8s 可能な限り近付いて、コックピットのパイロットを命中率が高い7ミリ機銃で狙い撃ちが陸海軍共に基本。
@@ahawaha2400 とはいえ、(IL-2とかで)やってみると難しいよなとは思う。例えば距離50mだとしても、3次元空間を自在に逃げ回る相手の小さなコクピットだけを撃ち抜くなんて至難じゃないかと。よくもそんな事できたもんだと感心する。
初めて見たときは野暮ったい飛行機だなぁと思っていたけれども、今見れば理にかなった設計なのか...
推力式排気管に変えてメタノール噴射装置を付けたら640キロぐらい出たんじゃ?
足をしまうのが」滅茶苦茶早かったらしいですよね。ただ低空でのエンストが多発したみたいな話も聞いたことがあるような・・・
warthunderで一目惚れしました
鐘馗は元々迎撃機として開発されたわけではありません。一撃離脱の敵新鋭機に対抗するための主力戦闘機です。隼の方が爆撃機の護衛という限定された使用のはずでした。蓋を開けたら隼が大活躍で、航続距離の短い鐘馗は使いにくかったというだけで。
産まれた時から失敗のエンジンに祟られ、誉エンジン並みに信頼性が低く同じエンジンを載せた重爆撃機 呑龍は現地部隊から運用不可との連絡を受けた。鍾馗が短命だった理由は他の日本機と同じ、新型エンジンの信頼性、整備性の低さと、低出力に引っ張られた事。ハ5と言うエンジンはその後改修を受けたが改善せず放棄されている。直径の大きな(比較的開発要求の低い)エンジンを使いそこそこの馬力を手に入れ、それで迎撃戦闘機を作る考えは当時の戦況から妥協と開発スピードを重視した内容で、上手くいけばイギリスのハリケーンの様に活躍の場が有ったのかもしれない。整備性が良く、大型ゆえの馬力を使う筈が、信頼性の無いエンジンだった為に直径が大きなデメリット以外もメリットが無かった珍しい機体。
父の友人が航空士官学校出で乗ってたそうです。群馬県太田市に、下士官パイロット2名と受領に出向いたところ、中学校の校庭に置いてあり、風向きから校舎に向かって離陸することになり、びくびくだったそうですが、下士官パイロット達は涼しい顔で飛んでいったとのこと。翼面荷重と、急降下の話もされてました。
ハ-109を適正進化させていれば疾風以上の傑作機になったと思います。ただ、主翼の見直し(燃料タンクの拡大)が必要だったと思います
南方の未舗装滑走路に着速170キロってのは怖かったろうな。緒戦はインターセプターの出番があんまりなかったからねえ。満州の諸都市やラングーンとかの防空が適任だったでしょうね。
当時の日本軍パイロットの多くが速度より旋回性能という考えに凝り固まっていて、技師達を苦しめたなんて話がいろいろな物語に出てきます。なんであそこまで頑なだったのか不思議なくらいですね。実戦での結果が全てなのはパイロット達にこそ言えるというのに…。
更に海軍のパイロットはやたらと視界に煩かったらしいです零戦が良すぎて固定観念みたいのが出来てしまったみたいです。
格闘よりとはいえ零戦は高度にバランスをとった戦闘機だったんだけどね。
@@大いなる和-d9s 着艦とかでは前斜め下方の視界が重要ですがF4U何かはそこに主翼があって遮られる感じになるんですよね。日本では視界が…と不満 言いますが欧米ならば視界が悪いとか言うようならプロのパイロットじゃないと言うような言い方されるみたいですね。
これだか忘れましたがリバースプロペラもテストしてました。しかし日本の滑走路の場合は舗装して無いのも多く着陸時にリバースしたら土煙が立ち上ぼり視界を遮られて危険と言う事で実用化はされませんでした。
大いなる和 米軍も日本軍も着艦事故はそう変わらない当時最高練度の一航戦すら真珠湾攻撃時には50機、蒼龍一隻分くらい着艦失敗でぶっ壊してる。着艦事故を記録できるだけのフィルムを持ち込むほど余裕があったアメリカ側の記録映像が多く残ってるに過ぎない
ちゃんとした飛行機を少数ならつくることができた。一撃離脱戦法に対応可能。
四式戦疾風が出始めの頃は、米軍は鍾馗と間違えてたって話があるよね。まあ活躍の場に恵まれなかった機体っていうのが後世の評価でしょうか。
糸川博士は、鍾馗を設計する際にどのような性能が飛行士たちに求められているのかを必死に考えたそうです。ある日公園で二つのブランコが揺れているのを見ました。ブランコは相互に独立して揺れています。それを見てひらめきました。「そうだ。昇降舵と旋回舵を互いに独立して操作できるものにしよう。」つまり、それまでの飛行機は、旋回するときにも昇降の微調整が必要だし、昇降するときにも旋回の微調整が必要でした。それを旋回するときは旋回の操作のみでよく、昇降の時は昇降の操作のみでよい飛行機が操縦しやすい飛行機なのだと気がついたのです。それを実現するために垂直尾翼に工夫をしたわけですが、一つ大きな欠点が生まれました。通常の戦闘機より垂直尾翼が低くなり、着陸が難しい戦闘機になってしまったのです。
ホ103って炸裂弾使用していたんですよね。米軍が「ゼロの20ミリに撃たれた!」と報告したものには、隼のホ103だった事も結構あったみたいですね。鍾馗って4門積んでたから、破壊力あったのかなあ🤔
ウォーサンダーの鍾馗マジつえぇよな
もっと評価されるべき機体だと思うけど、いかんせん出番が少なかった。ようやく出番が回ってきたと思ったら、すでに時代の趨勢から取り残され火力不足もあって活躍できなかった。せめてトーリットル空襲の時1個中隊でも東京に配備されていたら、面白いエピソードがあったはずなのに。
終盤まで眼鏡式照準器だったり、火器はホ103四門までだったりとちょっと不遇。一部機体はホ301積めるけど、撃ったらネジ全てリベット全ての確認が必要とまた不便なんだよなぁ…
最近だと勇者砲が有名(?)ファイヤー!
鍾馗はプラモで作ったら隼や零戦よりも小さいくせに機首部の大きさが少し大きいのに全体的に小さい。まさに足の短い迎撃戦闘機だなと感じた。足の長さが必須の南方作戦に投入するより97戦主体で構成された本土防空部隊に率先して配備しておくべきだったのではと感じたな。
殺意マシマシの重戦カッコイイ
『大戦略シリーズ』マイクロソフトの 『空軍大戦略』日本陸軍プレイでは迎撃機で大量生産して、向かってくる英米爆撃機と護衛戦闘機を撃ち落として、数が減ったら隼と99襲撃機で潰しに行ってましたね。初期型は燃費と機銃が混在で使い難かったが改良型の乙は燃費も武装も充実して最後まで使えました。迎撃に飛燕が登場しても故障率の問題が有るのであんまり使わず疾風が出来るまで我慢でした(笑)
頭でっかちで不格好に見えるけど、クリオネだと思うと途端に天使に見えてくる。
基本日本は、どんな飛行機が欲しいのか?についての決断力がなく、万能兵器を追求し続けて滅びたんだよな。
キ44こと2式戦鍾馗は私が一番好きな大戦中の戦闘機です。中でも40㍉機関砲(ロケット弾砲)搭載の2型乙がいいですね。動画中にもありましたがキ43 1式戦隼に比べるとかなりのじゃじゃ馬でパイロット達の評判はあまりよくなかったらしいですが隼より大出力の鍾馗を好んで用いるベテランパイロット達も数多くいたそうです。私は中島ルーツのSUBARU車に乗り継いでいて現在の愛車ZD8 BRZですがナンバーは44です😊ひらがなは残念ながら 「き」ではありませんが鍾馗の44から選びました😊
wtでは高い急降下適正、高い上昇力、速度も加速も優秀それでいて、海外機に比べれば遥かに良く曲がる非常に強くて強くて
僕も鍾馗にクソほど落とされました(笑)相手する人間からすると好きになれない機体ですな(笑)
正気を疑う性能してるからな
あのBR帯をプレーする時は全て鍾馗にしちゃいますよ…課金機のロマン砲も良い♡
ひとつ屋根の、翼の下で の攻略キャラ以外のエンタメで今後使われるのが非常に少ないだろう機体
カワセミ部隊という通称が鐘馗から連想されたとしたら、 的を得ていると思う。
実機が世界のどこにも残っていないというのも、鍾馗が時代に埋もれた戦闘機になってしまった一因なのかもしれない。
米軍のコードネームがtojoってのが謎すぎる。当時日本軍戦闘機は欧米の男性名、爆撃機等は女性名でまあ統一されているに。なぜ東条?
ただ単に印象で機体が醜くかったからだそうです。
惑星でずっと使ってるねぇ〜鍾馗以外はバンバン変えてるのに鍾馗だけは使いやす過ぎて変えられないんよなぁ。愛してるで鍾馗
開戦時は隼も50機程度だから、乗り手の比較対象は97戦だよね
乗員に欧州戦線の戦い方を見せて、従来機とは使い勝手が異なる事を周知させていたら評価も変わったと思います。
開発飛行段階でエンジン不調が多々発生し、肝いりの試験飛行では、有名だったパイロットが亡くなっているそうです。もちろん疾風との関係性はその通りです。私が高校生のときに恩師に直に話を聞いております。先生は亡くなっておりますが、疾風開発に携わった数少ないエンジニアで戦後米国での性能実験にも行ったと聞いております。
航続距離という日本特有の縛りが無ければ・・・。
二式単戦が陸海の戦闘機で一番好き。ボテっとしてると思わせて実は凄いスマートなフォルムが好き。
隼→おかん
零戦→細美日本着物美人
鍾馗→ボンキュッボン
雷電→ムチムチ
飛燕→留学生
疾風→ナイスバディ
各戦闘機の印象
鍾馗カッコいい
飛燕はハーフだと思うのは俺だけだろうか?
おかん(笑)
紫電、紫電改→水泳選手
97式戦、96式戦→ロリータ
ナンチャって😅
五式は
@@両翼 五式は日本に馴染んだ留学生
陸軍と海軍を比較して、陸軍のすごいところは、こうやって機種更新されていく戦闘機隊に対し、途切れることなく空戦技量に冴えのある空中勤務をする正規士官を補充し続けたことである。
陸軍は防弾に対する理解があるからパイロットが生き残り、空戦技術は向上して、ベテランになり、優秀なパイロットが陸軍は揃っていたのかもしれません。
無線も海軍より優れてましたよね
正直に言って海軍より陸軍の方が
今みれば有能なのかもしれない
@@小嶋隆徳
他にも、陸軍は日露戦争において下級士官の補充が破綻寸前になったのをふまえてなのか、士官の補充に関しては航空兵科も含めて下士官で推薦のあった者に士官教育を施して陸軍士官学校卒の士官と同等の士官に任命し、戦タヒ、退役による現場において空中勤務する士官の穴を埋め、さらに必要であれば現場において空中勤務する士官の急激な増員にも対応可能にするということをやっています。
一方、海軍においては一定規模以上の部隊の指揮官は海軍兵学校卒の士官しかなれず、空戦技術がある下士官から士官になった者は『特務士官』として指揮権は限定されたものでした。大東亜戦争までは問題がなかったようですが、大東亜戦争の開戦後は空戦技術が未熟な海軍兵学校卒の士官が、その規模の部隊の指揮官になる前段の小隊長、中隊長として現場で指揮を行うために出撃した際において戦タヒする事態が続発、その補充に四苦八苦することになります。
当時の個人技に頼る空中戦における現場での指揮官となる士官を確保する方法は、陸軍の方が最適解だったと思います。
@@FTAP46
陸軍の航空機用無線機は日本電気製、海軍の航空機用無線機は日本無線製だったそうです。
鍾馗好きだなあ
ちょっと不恰好な所がこれまたカッコいい
鐘馗は43年夏の中国戦線でP40のパイロットから急降下で振り切れない日本の新型戦闘機として脅威とされていますね。
長所を活かせる場所があれば、強いのですね。ちょっと可哀想な戦闘機。
大丈夫、WTでチート扱いされてる名機ですから
爆熱エンジンがあるから、ま 多少はね?
それを加味しても余りあるポテンシャル
WTで敵側に日本機がいると嫌なんだよなー。自分が連合機なら尚更・・
@@ささきまぢだ 格闘戦したい?したくないの?いゃ~遠慮しなくて良いって!それじゃ行くよ!
速度重視な処が一点豪華主義的で良い。
3:42
確かにこのアングルで胴体細っ!て思ってた頃もあったが、WTで出撃100回超えたあたりからはもうカワイイとしか思えない私…。
ロール速いから急降下中の修正がしやすいんよな
糸川博士いわく、「私の最高傑作」。鍾馗の後に新しい飛行機の設計にかかったが、鍾馗のバリエーションのようなものしか思いつけず、苦しんだそうです。
それで疾風が鍾馗に隼の要素をぶち込んだ設計になったんでしたっけ?
「あれは隼の発展型じゃなくて鍾馗をベースに隼とのいいとこどりしたんです」
鍾馗の最終予想が大体疾風みたいな感じだったらしいですが
@@sei-un そうですね。疾風は鍾馗の後継機と言っていいでしょう。だから疾風の配備とともに鍾馗は生産中止になり、隼は最後まで作られた。
糸川博士の中島飛行機における設計は「鐘馗」で終わりですね。制式機としての新しい飛行機の設計は担当されていません。疾風の設計が始まる前に、中島飛行機をやめて東京大学第二工学部の教授に転出されたからです。疾風の設計主務者は内田政太郎技師でありまして、内田さんは誤った判断でエンジン直後の胴体を絞る糸川流の空力設計をやめてしまいました。
糸川氏は昭和16年8月には退社して11月から東京大学工学部の助教授に転職しています。鐘馗が正式採用される前ですから、鐘馗以後の飛行機に係わる機会がさほどあったとも思えません。まあ陸軍は無節操に試作機の開発命令を乱発していましたから、ものにならなかった機種で係わっていたのかもしれませんが。
@@jx6004 糸川博士が鍾馗にかかわらなかったというのは、糸川氏の経歴からのあなたの単なる推測ですよね。「鍾馗こそ私の最高傑作」という言葉は糸川博士の著書『逆転の発想』に書かれていたのですが、糸川氏の著書の言葉より自身の推測が正しいという根拠はなんですか?知ったかぶりもいい加減にしたほうがいい。
普通の方々とほぼ同じかもしれませんが、日本の戦闘機の入り口は
零戦と隼ですが、好きな大東亜戦争時の日本の戦闘機は結局のところ
五式戦と鐘馗が双璧だったりします。
特に鐘馗の上方から見たスタイルが決定的で、シンプルにして単能の潔さが
大好きです。
大東亜決戦機っていう二つ名も含めて疾風も好きです。
コンパクトかつ絞り込まれたボディに特徴的な水平尾翼、更に高剛性で武装も面白いなんてかっこいいに決まってる
同意。
二式も五式も甲乙つけ難い。
海軍機は戦闘機じゃないけど流星かなぁ(^_^;)でも百式の三型には勝てない。
同感、に近いですが、私は鍾馗と疾風、敢えて加えれば新司偵と飛龍です。
5式戦はP51マスタングと同じものを感じる。優秀な急造品、って感じが
一式戦のスマートさと比べてずんぐりした不格好な機体ってイメージあるけど、個人的には殺意ビンビンの獰猛なフォルムでカッコいいと思うんだけどな
コイツを海軍が採用し、発展型の開発も継続しておけば雷電の開発なんて不要で零戦の後継機の開発も遅れなかったかも。
太刀風爽さん
そうですね。
陸軍と海軍って、似たような時期に似たような飛行機を競って開発しているようなイメージがあります。
隼と零戦はエンジンや設計思想が似てるけど、まあ陸戦と艦戦の違いがあるからいいとしても、鍾馗と雷電、疾風と紫電改なんかは、陸戦と局地戦ということで、用途の面で似ているところが多いので、どちらかに絞ることで量産性を上げることができたんじゃないかと思います。
@@猫大好き-c9g ほんとに海軍は馬鹿で話にならない。艦載機でもない雷電だの紫電改だのをなぜ開発しなければならないのか意味不明だ。雷電の代わりに鍾馗を、紫電改の代わりに疾風を使って、海軍は艦載機のみ開発に徹すれば、ゼロ戦の後継機だって簡単に開発できたのに。
零戦と鍾馗をスペックで比較すると鍾馗の方が優れている様に見えるがパイロットの対する操作性が悪くて模擬戦闘じゃ零戦に負けているんだよな
Mr.Window さん
そうなんですか、初めて知りました。
二式戦は20ミリ4門搭載はむりだったにですかねえ?
これがもし発展できていれば雷電は必要ありませんでしたね。
陸海軍は同じ相手と戦っていたのに弾薬も燃料のオクタン化も違うというデタラメビリ。
せめて武装はだけは共同開発できていればよかったのに。
ここ最近は鍾馗の私に中の評価が上がってます。
ウォーサンダーで初めて乗った時機首の安定性に驚かされた。ラダー踏みまくってけつ振りまくってもふむのやめた瞬間にセンターに戻る、急降下耐性や加速性能がいいからそこいらの双発重戦闘機には負けない、すごくいい機体です
見た目から付いたアダ名が「ブルドッグ」
かわせみ部隊は堀越二郎技師の回顧録にも出て来ます。
海軍にも速度と上昇力を高く評価されていました。
ドイツの日本視察団にも高評価されていますよ。
何よりこの機体が大好き。
そりゃB-17やB-24を想定して作ったのにいざ蓋を開けたら更に強力なB-29と護衛のP-51がついてくるんじゃ不遇としか言えないよな…
雷電と似てますよね。米軍からの評価は割と高かったり、零戦に慣れ親しんだパイロットからの評判が微妙だったものの、
エース(赤松貞明中尉)からは評価が高かったあたり。
とかく日本では「軽快な機動性・運動性能」が重視され、帝都防空が軽んじられてきたせいも有るかも知れません。
ニ式単戦(しょうきが変換出来ません)と海軍の雷電は設計陣にも前線パイロットにも存在価値が理解されず嫌われてた印象が強いです。「絶対必要」が「かく在るべし]とゴッチャにされた不幸な飛行機と言えるでしょう。
雷電と鍾馗、実は空力面でもほぼ同じだったみたいですね。
雷電は抵抗削減に有効と考えて無理矢理カウルを絞って紡錘形にして延長軸、強制冷却ファン取り付けで故障多発になってしまった…
@@吉田啓嗣 水メタ噴射と推力式排気管処理の改造してインターセプトとして磨きをかけてれば…
@田中一郎 対応した改造したらほぼ四式戦だったというオチ付けましたからね」…
@@dhkbeans327 さん
プロペラ付けて回した場合は、鐘馗の方が抵抗が少なかったそうですよ。
Fw190も同じ。
プロペラ後流の影響により、雷電の紡錘形の機体より抵抗が少なくなるみたいです。
設計的には日本一の名機だが
軍多数派の好みに合わず
不遇となった悲しい機体
光象式照準機すら用意してもらえない不遇さ
せめて後世の我々だけは賞賛すべきではないだろうか。
陸軍機って名機が多いんだよね。
いや 鍾馗はなかなかの良い戦闘機だったと思います。確かにこれといった特長は無いかもしれませんが、バランスの取れた優秀な戦闘機だったと思います
性能的に尖った部分がないってことになってるけど、尖りまくった設計だと思うんだけどな。実際、性能的にも上昇力は陸海軍でもぶっちぎりでトップだし、速力も四式戦とさほど変わらない。戦闘機にとって重要な運動性能である横転性能も非常に高い。
最初に知ったのは松本零士先生の戦場マンガシリーズ「成層圏戦闘機」でした。上昇力不足の上火力不足でもB-29に果敢に挑む姿が印象的でした。
あれ三型じゃなかったですか?
@@straker1701
二型じゃないかな。
40mm機銃を指して「1発でも当たればB-29はバラバラ」とかいうセリフがあったと思う。だからあれは二型乙だと思ってた。
@@イカイカ-v8s Ⅲ型は別作品だったかも?夜間の迎撃に上がるGreenOPLとかのタイトルだったか?夜間なんで光学照準器に減光フィルター使うかなんかの描写があった。
私も読みました👍️小学生の時、陸軍機は隼か飛燕しか知らなかったので、40㎜でB29に大穴を開ける鍾馗が衝撃的でした✨
@@straker1701
wikipediaにあった「緑の環」かな?
そっちは読んでないからわからないが。
鐘馗は現存機が無いためカウリングからギュッと絞った細い胴体の微妙な3次元曲面のアールを模型で再現するのが困難で色んなキットが出てもうるさ型のマニアから「あーだこーだ」議論が尽きないモデラー泣かせの機体です
たしかエンジンしか残ってないんでしたよね。一機ぐらいどっかに残ってないですかねえ…
中国に脚の格納部分が残ってるぐらいですよね...
糸川博士は控え目にいって天才だと思う
糸川先生は子供でも楽しい平易な文章で高度な内容の本を書かれていて、子供時分読みました。
3分23秒から解説されている、水平尾翼と垂直尾翼を離し、かつ、垂直尾翼が低い理由について、
「(機体のローリングとかカップリングと言うそうですが、)
操縦者の意図とずれて、機体の縦運動と横滑りの運動が混ざって機銃の命中率が下がるのを防ぐ工夫を考えすぎて
疲れて、2人の子供が並んでブランコに乗っているのを眺めていたら
閃いたエピソードの原理が、私には分からなかったので覚えてます。
2つのブランコのロープの長さは同じなので周期が同じかと思ったら、そうではなかった、というか、
2つのブランコはそれぞれ独立して動いていた原理を、飛行機に応用したとか(?)
水平尾翼と垂直尾翼を離すとともに、加えて、主翼と水平尾翼を出来るだけ近づけると、
素人目にもデルタ翼のメリットと似てそうで、パイロットの意図通り機体を安定させられそうです。
堀越二郎先生より9才若く、共に当時最も人気の航空学科に入学されていますが、
飛行機開発を禁止された敗戦後、振動ということで飛行機設計と接点があったのでしょうか、
音響理論の応用を模索されたりされたのが、飛行機技師のプライドに執着されてなく柔軟な感じで好きです。
その後も、活躍の場が驚くほど多才ですね。 長々すみません
松本零士先生の『成層圏戦闘機』という傑作短編で、B29を相手に大活躍しており、読んで感動しました
用途や目指す方向性が見た目に如実に表れてて大好きな機体です。
中島の戦闘機は97戦から四式まで一歩ずつ着実に進歩していっている印象があります。
その中でも二式はターニングポイントになった機体かも知れませんね。
もし南進せず大陸が主戦場のままなら一式ではなく二式が主力戦闘機だったと思います。
幼い頃、鍾馗や雷電はなんだかボテッとしててなんだかな~って感想だったものですが
いまは逆に好きになっちゃいましたね
少年時代
「P-51マスタング......最大速度704km/h」
「P-47サンダーボルト......690km/h」
「F6Fヘルキャット......611km/h」
「零式戦闘機52型......560km/h」
「三式戦闘機飛燕......590km/h」
「一式戦闘機隼......515km/h」
「ちぇっ・・・日本の戦闘機はみんな500km/h台じゃないか。一番早い疾風でも624km/hなんて、おもしろくねぇや!」
──そんな頃、見慣れない古い戦闘機の本を見つけ、手に取った
「見たことない写真ばっかりだ~! ん? なんだこの太いの・・・二式単座・・・戦闘機? こんなのあったのか」
「二式単座戦闘機鍾馗・・・最高速度605k・・・6 0 5 km/h!!!!」
「フムフム……エンジンは1500馬力で、武装は12.7mm機銃×4、航続距離は短いけど、日本にこんな力強い性能と見た目の戦闘機があったなんて!」
その時から虜です。
戦争中に生産終了とか、日本機で唯一トージョーとか、戦果語るパイロットがいないとか不遇な名機すこすこ
糸川さんご本人は、隼より鍾馗の方がお好きだったみたいですね。
自分も好きな機体です。
トンボみたいで好き
世界の傑作機(だったはず💧)に学徒出身だったかの若い搭乗員の回想が掲載されており、その方によれば舵の効きが格段に良く(後に乗った疾風より良かったという)
早い着陸速度も慣れればなんて事なかったみたいです。変に凝り固まったベテランより柔軟なルーキーの方が相性が良かったんでしょうね。
ちなみにその方は生き延びられたそうですよ。(名前は失念。世界の傑作機の殆どを手放してしまいましたので…)
海軍の雷電もベテランには視界が悪い着陸速度が早いと不評でしたが新人パイロットがある程度乗っていたら普通に乗りこなしていたらしいですね。
戦後大阪市電に最新鋭車が入った時ベテランはあれこれ文句言って旧型車に乗務しましたが、逆に若手は高性能を発揮して通常なら離される乗用車を逆に引き離した、梅田ー難波間で地下鉄御堂筋線より速いダイヤで市電四つ橋線を爆走したりしました。
零戦が1だとすると紫電が8、雷電が9飛ばすのに大変なんでしたっけ。
@@keta5118 紫電は水上戦闘機の強風から陸上機にした無理があり中翼の為に二段に伸縮する脚の信頼性が低いし誉の品質低下によるスペックダウンで雷電より問題多いと思います。
雷電は火星の延長軸辺りが原因の振動問題ですかね。
ベテランであっても一撃離脱戦法を習得した者は、この機体の特性を十分に活用しています。
二式戦闘機で活躍したベテランの代表的なところとして、敵から『赤鼻のエース』と呼ばれた若松少佐とかがいます。
陸軍二式単戦は最も好きな戦闘機です!明らかに中島飛行機の傑作機でしょう⁉︎陸軍航空隊はノモンハンの経験から、重戦闘機の必要性に着目しながら、育成や運用を中途半端にしたため、その素質を伸ばして生かせなかったのが残念です!何度か模型を作りましたがとてもコンパクトで力強さと高速機らしい姿が印象的です‼︎
名称が地名とか自然現象じゃなくて道教の勇ましい神っていうのも特異かな
地名と自然現象は海軍が持ってっちゃったから…
どうやら他惑星では恵まれているようですよ。
外見は結構すき
上昇お化けだからね😊
あまり好きな機体では無かったのですが、意外にいい機体だったんですね。
もし20ミリ機関砲を早期から搭載していれば相当強力な迎撃戦闘機になってたでしょうね。
因みに中島飛行機は社長や大社長が進取の気性に富んでおり、
鍾馗の前にもキー12と言う重戦闘機に近いものを試作しており、これには液冷エンジンプラスモーターキャノン、と言う日本には手に余る技術が盛り込まれてました。
一応旋回性能はキー12と前後して試作されたキー11と同じでしたが、速度性能がキー27と同程度ながら上昇力が悪く縦機動で優位に立てず、更に液冷エンジンがイスパノスイザと言う特殊なもので、技術力的に生産が無理、更にモーターキャノンも国産化が困難な為正式採用されていません。
設計面ではすごい参考になる機体なんだけどなー....
鍾馗。陸海軍通じて、一番マトモな機体だと思います。
日本のロケットの父の 糸川さんですか。 成る程 それで 独創的です。 今だったら 暴走族連中が 乗りたがるだろう。 私はこのスタイルは好きです。
wtだと急降下からの一撃離脱、格闘戦、追撃、爆撃機迎撃もこなせるop機。スペック通りならかなり戦えたかもしれない
チャンネル登録しました!
これからも頑張ってください👍
(セガ・サターン)大戦略で今もお世話になってる機体です!
鍾馗のエンジンが信頼性に欠けるというのはあまり知られていませんね?
重戦的な性格が嫌われて重用されなかったとか言われますが、エンジンの信頼性の低さがあまり生産されなかった原因と聞きました。爆撃機の呑龍と同じですね。呑龍も先進的ながらあまり使われなかったのは同じエンジンを使ってたからです。鍾馗を装備していた部隊は、四式戦をうまく整備出来た傾向にありますが・・・、もともとエンジン整備に苦労してたからなんですね。
「細々と手のかかるやつ(エンジン)だった」
との整備の証言が残っていますね。
鍾馗の解説をするなんてあんた正気か?
WTの愛機です
同士よ、、
乙鍾馗マジ楽しい
迎撃機と言うより、インターセプターと呼ぶとなんかカッコ良く聞こえます、大昔TVでやっていた、謎の円盤UFOを思い出します。
ある意味戦後のアメリカ軍の戦闘機鹵獲は意味のあるものだったと思う。 性能からの評価は割りと正しい
陸軍の他機種とは違うこれぞ一撃離脱機って感じがして陸軍機で一番好きな機体だなぁ…
1942年の戦争中盤で600km/h超えは米軍視点からも中々優秀じゃないか。
性能面では疾風の次に優秀だと思う
名前しか知らなかった迎撃機だけど、なんか好きになったよ。
ネックとしては挙げられるのは低火力とエンジンの信頼性くらい
97戦や隼に旋回で劣るのは当然な話であり、航続距離にしても並みの欧州機よりちょっと長い程
F2A、ハリケーンに速度で勝り、低火力とはいえ隼より上、スピットもビルマに現れるのは43年末と有利な条件であったが
作中で言及されているように投入された環境と機体性能がマッチしなかったのが不運だった
重戦にしては火力が弱いし何とも中途半端な感じなんだよね。
@@straker1701
まあ参考対象がI-16辺りだったろうから多少は、ね?
ノモンハンでは一撃離脱で堕とされた奴が結構いたみたいだから。
@@呑龍ハルカ 隼も12.7㎜二門にする積もりが生産が間に合わずに7.7㎜と混載からやりましたね。
結構カッコイイ機体だと思うんですが、今ひとつ評価が低いですね…せっかくの高性能を使い方のマズさで実力を発揮出来なかった、そんな印象を強く感じます。
8:00のところ昭和17年じゃない?
そんなことより鐘馗かっこいい
鍾馗には当時配備されていた機体の中で勝機がある。
伊丹飛行場では飛行第56戦隊で飛燕が飛んでて、八尾飛行場では飛行第246戦隊が置かれ鍾馗や疾風が飛んでました。
B29の体当たり攻撃ですが、パイロット脱出が前提でした。でも飛燕はともかく鍾馗は脱出が難しかったとの事。
毎回毎回よく調べてるよね。本を一冊読んだてレベルじゃない。
疾風と並んで、当時の世界水準に達していた数少ない機体。
鐘馗に金星積んでいたら、というのはたまに考えます。いい機体になったのではないかと。
後継機の完成ゆえに、本機のアップデートに目が向けられなくなった、というのは残念なことです。
三型の写真は海外サイトのを一枚だけ見たことがありますが、まさに疾風の翼を付けた鐘馗でした。尾部も若干延長されているようでしたし、疾風のテストベッドという趣き。
【インターセプター】
意味:来攻する敵機を迎撃することを任務とする戦闘機。邀撃 (ようげき) 機
確かに二式戦は重戦として主たる任務は敵爆撃機撃墜なんだけど短い航続距離も欧州基準であれば十分長かったし、元々大陸での「対ソ戦」を意識して航空戦力を整備していた日本陸軍は(二式戦を)制空戦闘機として期待していた
二式戦がインターセプターに見られてしまうのは、一式戦が「対英・対米戦」の為に重たい増加タンク(200㍑)を翼下に2個吊り下げて本来の「軽戦」としてではなく急遽「遠戦」仕様とされ、かつ─燃料満載で機体が重たいのに─思わぬ大活躍をしてしまった為だからと思える
動画では二式戦が嫌われたのは通説の「格闘戦至上主義」云々とあるけども、此はもう少し掘り下げて見る必要があって、二式戦には「不意自転」という悪癖があり「思い切った操縦ができない」故に「敵機を照準器に捕捉できない」のが大きかった
更にもう一つ、動画では触れてないが搭載発動機も問題を抱えていた。二式戦の搭載発動機ハ5系列(ハ41、ハ109)は整備がし辛く(整備士の刈谷氏によるとハ45(誉)の方がまだ整備し易かった)、信頼性・実用性が極めて低かった為、稼動機が揃わなかったのも大きい。活動の場が太平洋戦域より狭い欧州戦域だったとしても「稼働率」の面で厳しい機体だったかも知れない
1:41確かにww
うちの家の近くの元飛行場は鍾馗部隊で有名な47中隊がいたらしいんだよね...
誇りに思える...
インターセプターの実用機として評価したい、これから正常進化出来ていたら、日本の迎撃戦闘機としての一撃離脱戦法専用機として、良い進化戦闘機になっていたかもしれませんよねぇ(´・ω・`)
そうなっても結局疾風に行き着く希ガス
推力式単排気管にして、直径の小さい金星50型発動機1300馬力に換えれば630キロは出せた。
惜しい戦闘機だった。
実は二式単座戦闘機って言うのは屠龍と混同を避けるための俗称であくまで二式戦闘機が正式名称なんですよね
鍾馗の成功要因は強度と垂直尾翼モーメントアームを確保しつつ機体を極力小型化したことかなと思います。誉より厄介なエンジンの他形式への変更、各所最適化など熟成されていけば、更に素晴らしい戦闘機になり得たと思います。日本機の中では最も尖った存在で魅力的だと思います。
二式単戦は帝国陸海軍の制式戦闘機のなかでは「尖った」戦闘機です。
平面図を見れば一目瞭然。
径の馬鹿デカイ大出力のエンジンに目を疑うような小さな翼、
その為にだけ添えられたかのような絞られた胴。
これを見た後に零戦の平面図を観ると愕然とします。
まさしく「納屋の扉」
更には流線型に妄執して玉成に手間取った雷電とは大違い。
(アレはアレで好きな飛行機ですが)
ワンコインで買える1/72のプラモデルを、鐘馗零戦雷電、あとbf109とか、
ざらざらと買ってきて、爪切りと接着剤だけで組み立ててみれば、
簡単に実感できることです。
戦前に空冷しか用意できなかった国のレーサーに見られ、
これを踏襲したロシアのポリカリポフとか、
ww2初期の戦闘機にありがちな方法論ですが、
全金単葉で此処まで突き詰めた飛行機って、あまり無いのです。
二式単戦はまごうこと無き優秀機です。
「ドリトル先生の大冒険」以前に、大陸にも展開していたのだから、
ロシア経由で、うっかりフィンランドで活躍して欲しかったですね。
貧弱な武装は109のガンポッドをもらったり。
tojoでは無くtogoと呼ばれたりして。
12.7㎜に耐え得ないという評価は日本機のぽんこつ防弾を揶揄されたかのように伝えられていますが。
たとえば当時のF6Fなどでは、操縦席の周りにバスタブのように豪勢な防弾が施されていますが、スペック的には7.7㎜対応のものです。米国のこととてオーバースペックの可能性はありますが、当時の米軍陸海軍戦闘機の防弾板の標準は7.7㎜対応のもので、鍾馗の防弾板の12.7㎜に耐え得ないという評価は、単に事実を述べただけではないかと。
どのような角度で撃ち込んで測定したかが気になる。
もし、測定の方法が防弾鋼板に対して垂直に弾を撃ち込むものだったら見当はずれ。
戦闘機は三次元の空戦機動をするから防弾鋼板に対して垂直に弾を命中させる方が難しいと思う。
この動画だと重戦闘機=対爆撃機用の迎撃機みたいな印象になるけど、本来重戦闘機は対戦闘機、対大型機どちらにも使え、行動範囲も軽戦闘機より大きく制空戦向きの本格戦闘機で、鍾馗も当初の重戦に求められた航続力は持っていた。実際には、より大きな航続力が要求されるようになり、もともと軽戦闘機として発注された隼や飛燕がそれに対応できたため誤解されがちだが。あと、離着陸が難しく初心者には危険と思われていて、乗るのに飛行時間による制限がついていたが、戦局が悪化して制限が緩和され後には撤廃されたものの特に問題は起きなかった。
松野忠雄 むしろ若手の方が乗りこなし「こんな良い機体に乗れないくせに威張るな!」と古参をバカにする強者までいたそうです。
空冷のFw-190とバランスと性能が良く似ていると世界の傑作機のFw-190に書いてあった
アメリカ軍の「12.7ミリ機銃の前に
鍾馗と隼の防弾は無力」ってレポート
たしか防弾版に垂直に撃ち込んでの結果だったはず。アメリカ軍の性能試験って例えば速度試験に関しても機銃弾を搭載しなかったり、燃料もぎりぎり軽くして行ったりするから結構実戦的じゃなかったりする。
それでも多分12.7ミリではアウトでは...?
米軍はちゃんと全備重量で試験してる。空虚重量試験も軍が一括して行うせいで飛行試験を企業が中心に行う日本人には誤解され、米軍機はカタログスペック詐欺だと信じ込みたい連中に広められただけ
@@マカロフ-c7v
実戦ではまず間違いなく「直角に当たる」なんて事はないから大丈夫。
@@イカイカ-v8s
可能な限り近付いて、コックピットのパイロットを命中率が高い7ミリ機銃で狙い撃ちが陸海軍共に基本。
@@ahawaha2400
とはいえ、(IL-2とかで)やってみると難しいよなとは思う。
例えば距離50mだとしても、3次元空間を自在に逃げ回る相手の小さなコクピットだけを撃ち抜くなんて至難じゃないかと。よくもそんな事できたもんだと感心する。
初めて見たときは野暮ったい飛行機だなぁと思っていたけれども、今見れば理にかなった設計なのか...
推力式排気管に変えてメタノール噴射装置を付けたら640キロぐらい出たんじゃ?
足をしまうのが」滅茶苦茶早かったらしいですよね。ただ低空でのエンストが多発したみたいな話も聞いたことがあるような・・・
warthunderで一目惚れしました
鐘馗は元々迎撃機として開発されたわけではありません。一撃離脱の敵新鋭機に対抗するための主力戦闘機です。隼の方が爆撃機の護衛という限定された使用のはずでした。蓋を開けたら隼が大活躍で、航続距離の短い鐘馗は使いにくかったというだけで。
産まれた時から失敗のエンジンに祟られ、誉エンジン並みに信頼性が低く同じエンジンを載せた重爆撃機 呑龍は現地部隊から運用不可との連絡を受けた。
鍾馗が短命だった理由は他の日本機と同じ、新型エンジンの信頼性、整備性の低さと、低出力に引っ張られた事。
ハ5と言うエンジンはその後改修を受けたが改善せず放棄されている。
直径の大きな(比較的開発要求の低い)エンジンを使いそこそこの馬力を手に入れ、それで迎撃戦闘機を作る考えは当時の戦況から妥協と開発スピードを重視した内容で、上手くいけばイギリスのハリケーンの様に活躍の場が有ったのかもしれない。
整備性が良く、大型ゆえの馬力を使う筈が、信頼性の無いエンジンだった為に直径が大きなデメリット以外もメリットが無かった珍しい機体。
父の友人が航空士官学校出で乗ってたそうです。群馬県太田市に、下士官パイロット2名と受領に出向いたところ、中学校の校庭に置いてあり、風向きから校舎に向かって離陸することになり、びくびくだったそうですが、下士官パイロット達は涼しい顔で飛んでいったとのこと。翼面荷重と、急降下の話もされてました。
ハ-109を適正進化させていれば疾風以上の傑作機になったと思います。ただ、主翼の見直し(燃料タンクの拡大)が必要だったと思います
南方の未舗装滑走路に着速170キロってのは怖かったろうな。緒戦はインターセプターの出番があんまりなかったからねえ。満州の諸都市やラングーンとかの防空が適任だったでしょうね。
当時の日本軍パイロットの多くが速度より旋回性能という考えに凝り固まっていて、技師達を苦しめたなんて話がいろいろな物語に出てきます。なんであそこまで頑なだったのか不思議なくらいですね。実戦での結果が全てなのはパイロット達にこそ言えるというのに…。
更に海軍のパイロットはやたらと視界に煩かったらしいです零戦が良すぎて固定観念みたいのが出来てしまったみたいです。
格闘よりとはいえ零戦は高度にバランスをとった戦闘機だったんだけどね。
@@大いなる和-d9s 着艦とかでは前斜め下方の視界が重要ですがF4U何かはそこに主翼があって遮られる感じになるんですよね。
日本では視界が…と不満 言いますが欧米ならば視界が悪いとか言うようならプロのパイロットじゃないと言うような言い方されるみたいですね。
これだか忘れましたがリバースプロペラもテストしてました。
しかし日本の滑走路の場合は舗装して無いのも多く着陸時にリバースしたら土煙が立ち上ぼり視界を遮られて危険と言う事で実用化はされませんでした。
大いなる和
米軍も日本軍も着艦事故はそう変わらない
当時最高練度の一航戦すら真珠湾攻撃時には50機、蒼龍一隻分くらい着艦失敗でぶっ壊してる。着艦事故を記録できるだけのフィルムを持ち込むほど余裕があったアメリカ側の記録映像が多く残ってるに過ぎない
ちゃんとした飛行機を少数ならつくることができた。一撃離脱戦法に対応可能。
四式戦疾風が出始めの頃は、米軍は鍾馗と間違えてたって話があるよね。
まあ活躍の場に恵まれなかった機体っていうのが後世の評価でしょうか。
糸川博士は、鍾馗を設計する際にどのような性能が飛行士たちに求められているのかを必死に考えたそうです。
ある日公園で二つのブランコが揺れているのを見ました。ブランコは相互に独立して揺れています。それを見てひらめきました。
「そうだ。昇降舵と旋回舵を互いに独立して操作できるものにしよう。」
つまり、それまでの飛行機は、旋回するときにも昇降の微調整が必要だし、昇降するときにも旋回の微調整が必要でした。それを旋回するときは旋回の操作のみでよく、昇降の時は昇降の操作のみでよい飛行機が操縦しやすい飛行機なのだと気がついたのです。それを実現するために垂直尾翼に工夫をしたわけですが、一つ大きな欠点が生まれました。通常の戦闘機より垂直尾翼が低くなり、着陸が難しい戦闘機になってしまったのです。
ホ103って炸裂弾使用していたんですよね。米軍が「ゼロの20ミリに撃たれた!」と報告したものには、隼のホ103だった事も結構あったみたいですね。鍾馗って4門積んでたから、破壊力あったのかなあ🤔
ウォーサンダーの鍾馗マジつえぇよな
もっと評価されるべき機体だと思うけど、いかんせん出番が少なかった。ようやく出番が回ってきたと思ったら、すでに時代の趨勢から取り残され火力不足もあって活躍できなかった。せめてトーリットル空襲の時1個中隊でも東京に配備されていたら、面白いエピソードがあったはずなのに。
終盤まで眼鏡式照準器だったり、火器はホ103四門までだったりとちょっと不遇。
一部機体はホ301積めるけど、撃ったらネジ全てリベット全ての確認が必要とまた不便なんだよなぁ…
最近だと勇者砲が有名(?)
ファイヤー!
鍾馗はプラモで作ったら隼や零戦よりも小さいくせに機首部の大きさが少し大きいのに全体的に小さい。
まさに足の短い迎撃戦闘機だなと感じた。足の長さが必須の南方作戦に投入するより97戦主体で構成
された本土防空部隊に率先して配備しておくべきだったのではと感じたな。
殺意マシマシの重戦カッコイイ
『大戦略シリーズ』マイクロソフトの 『空軍大戦略』日本陸軍プレイでは迎撃機で大量生産して、向かってくる英米爆撃機と護衛戦闘機を撃ち落として、数が減ったら隼と99襲撃機で潰しに行ってましたね。
初期型は燃費と機銃が混在で使い難かったが改良型の乙は燃費も武装も充実して最後まで使えました。
迎撃に飛燕が登場しても故障率の問題が有るのであんまり使わず疾風が出来るまで我慢でした(笑)
頭でっかちで不格好に見えるけど、クリオネだと思うと途端に天使に見えてくる。
基本日本は、どんな飛行機が欲しいのか?についての決断力がなく、万能兵器を追求し続けて滅びたんだよな。
キ44こと2式戦鍾馗は私が一番好きな大戦中の戦闘機です。中でも40㍉機関砲(ロケット弾砲)搭載の2型乙がいいですね。動画中にもありましたがキ43 1式戦隼に比べるとかなりのじゃじゃ馬でパイロット達の評判はあまりよくなかったらしいですが隼より大出力の鍾馗を好んで用いるベテランパイロット達も数多くいたそうです。私は中島ルーツのSUBARU車に乗り継いでいて現在の愛車ZD8 BRZですがナンバーは44です😊ひらがなは残念ながら 「き」ではありませんが鍾馗の44から選びました😊
wtでは
高い急降下適正、高い上昇力、速度も加速も優秀
それでいて、海外機に比べれば遥かに良く曲がる
非常に強くて強くて
僕も鍾馗にクソほど落とされました(笑)相手する人間からすると好きになれない機体ですな(笑)
正気を疑う性能してるからな
あのBR帯をプレーする時は全て鍾馗にしちゃいますよ…
課金機のロマン砲も良い♡
ひとつ屋根の、翼の下で の攻略キャラ以外のエンタメで今後使われるのが非常に少ないだろう機体
カワセミ部隊という通称が鐘馗から連想されたとしたら、 的を得ていると思う。
実機が世界のどこにも残っていないというのも、鍾馗が時代に埋もれた戦闘機になってしまった一因なのかもしれない。
米軍のコードネームがtojoってのが謎すぎる。当時日本軍戦闘機は欧米の男性名、爆撃機等は女性名でまあ統一されているに。なぜ東条?
ただ単に印象で機体が醜くかったからだそうです。
惑星でずっと使ってるねぇ〜鍾馗以外はバンバン変えてるのに鍾馗だけは使いやす過ぎて変えられないんよなぁ。
愛してるで鍾馗
開戦時は隼も50機程度だから、乗り手の比較対象は97戦だよね
乗員に欧州戦線の戦い方を見せて、従来機とは使い勝手が異なる事を周知させていたら評価も変わったと思います。
開発飛行段階でエンジン不調が多々発生し、肝いりの試験飛行では、有名だったパイロットが亡くなっているそうです。もちろん疾風との関係性はその通りです。私が高校生のときに恩師に直に話を聞いております。先生は亡くなっておりますが、疾風開発に携わった数少ないエンジニアで戦後米国での性能実験にも行ったと聞いております。
航続距離という日本特有の縛りが無ければ・・・。