うちの爺さんは381航空隊で東南アジアでイギリス軍相手に戦ってた。
機体はずっと零戦だったんだけど、途中で迎撃戦用に雷電も配備されたんだって。
足下の視界が悪くて着陸はドキドキしながらしたって言ってたよ。
エンジンの馬力は凄くて、上昇力は凄かったけど、馬力があり過ぎてプロペラヨーが大きく
フットペダルを思いきり踏んでないと機体がすぐに横向くって言ってた
旋回性能は意外と良かったらしいです。
爺さんは雷電をけっこう気に入ってたらしいけど、暫くして別部隊へ配備される事になって機体は持ってかれたんだと言ってた。
因みに爺さんは三四型以外の全ての零戦に乗ったらしいんだけど、至高の機体はニニ型だと言ってました。
零戦の開発順序は、21型、32型、22型の順序で、エンジンの馬力を上げた32型で航続距離が低下し、
空母の消失もひどいため、零戦に航続距離が重視されたのでしょうね。
雷電は空冷式で高度12000mまで上昇可能だったそうですが、現在の旅客機の機内も相当寒かったりするので
無茶苦茶寒い中、薄い空気で、迎撃どころか、安定して飛ぶのも大変だったような気がします。
パイロットは高所恐怖症を克服しているのかなあと思います。
撃墜されたB29も、比較的高度を下げたときを待ったのでしょうか。
賛美ではなくて、事実を愛を持って伝える姿勢が良いですね。毎回楽しみです。
子供の頃祖父にこのプラモを買って貰ったな、零戦ではなく何故コレなのかというと厚木で整備していたらしい、
@@user-ty9kr4xx1j
もともと対重爆戦闘特化がコンセプトで対戦闘機戦闘は二の次の機体だし、
零戦と飛行特性が全く違うから、余計そう感じるんでしょう
戦闘機の評価のまとめが人生訓みたいになってるのほんと草
雷電(二一型?)の米軍の鹵獲機のテストでは軽荷重量でのテストの他に、増槽をつけて正規全備重量よりも100Kgほど重い3682Kgでもテストをやったそうで、その時の最高速度は616km/hだったとか。(恐らく92オクタン+水メタノール噴射)
とは言っても鍾馗と比べてしまうとなんとも言えないんですよねぇ
しかも鍾馗のエンジンは雷電のよりも出力が低いですし
でもやっぱり自分は雷電好きですね
堀越さんも雷電,烈風,零戦改良の主任を担当して何日も徹夜してぶっ倒れたりオーバーワークだった。
開発者の人材も含め国力の限界だった
堀越二郎氏は当初、この機体のエンジンに、艦爆「彗星」に搭載された、愛知航空機製の液冷発動機「アツタ」の搭載を構想していたのだが、
信頼性を理由に却下されたそうだ。
強力な上昇力を得るための大出力発動機として、やむを得ず本来爆撃機用の大型エンジン「火星」を採用せざるを得なかった。
@@user-zz7st1dy9k 鎖国は、歴史教科書から消えるらしいよ、実際は海外交流を普通に行ってたらしい。勝手に海外に出ちゃいけないのは、現代も同じですよね。
あれは雷電・・「知っているのかー、雷電」「うむ・・・」
人生で初めて組み立てに成功したプラモが雷電21型でした、その後にオリジナル塗装で夜間塗装とジャングル塗装をにしたりしました。その後に雷電の事を色々知ったりしましたが悲しい機体ですね……形は好きな方なんだけどなぁ…
厚木基地の雷電をアメリカ兵達が保存してマスコット代わりに結構大事にしていた話好き。
雷電の悪評の代名詞の振動は従来延長軸が主原因との通説ですが火星23型の根本的な問題らしいです 米国もR-2800の熟成にあたり振動問題に手こずり前後シリンダーのマスター・ロッドの位置見直し、シリンダーのカウンター・ウェイトの設置などでようやく解決したそうです
@@sei-un
そうですね。ハ41の海軍側の評価は確か、致命的な欠陥エンジン、みたいなことで実際、鍾馗自体の稼働には大きな悪影響を与えています。
2000馬力の高出力エンジンの開発が出来なかったのが一番の原因。
でも、胴体の太い機体とコックピットの形状では大好きな機体。
零戦が日本の空を線と面で守ったのに対して雷電は点と縦を守ったイメージが強いですね。
防空戦闘では陸軍機の方が質的にも量的にも活躍していたのに、何故か海軍機の方が評価されている不思議。
600機以上生産されたけど戦果は全部で30~40機程度。とても成功した機体とは言えない。
この開発中に堀越技師は疲労で倒れたトカ。しかし、アメリカ人パイロットが雷電に乗った時、これくらいの振動は普通だと言ったソウナ。日本のパイロットはゼロ戦の様な軽戦闘機を忘れられず、これからは鍾馗や雷電の様な重戦闘機の時代に入るのに、一向に馴染まず不平ばかり言っていて日本の技術者を泣かせていたトカ。
@@user-jr4vl3tg3n 良すぎたちゅうか、日本人は過去の栄光に囚われ過ぎて、新しい事に取り組む事が出来ないんだよ。たぶん。いつまでも日本海海戦の大勝利に囚われて、飛行機の時代に入れなかった様に。頭の切り替えが不得意なのかも。とか。わたしの東大レベルの分析です。
@@user-gu7ux7qr1z
今の日本の状況と変わらないじゃないか過去の栄光にとらわれGAFAに負けている日本企業だ分析が当たってる
我々の特性として結局は変な事にこだわり過ぎて重要な事が見えていない
上からの命令に対しNOを言えない下からの指摘はすべて間違っているって考えこれではいつまで経っても同じまあ変えられないだろう
今季のイカロス出版「MC☆あくしず」で、雷電の発動機振動に関して「日本側の技術陣には、ダイナミックバランサー(慣性平衡器)等に関する知識が不足していたらしい」との記述が、気になる…
雷電に乗ったパイロットが「コクピットで宴会が開けるぞ!」と言ったことからも雷電のコクピットの広さや零戦のコクピットの窮屈さがわかる
いやいや、プラモデル作れば分かるけど、陸軍機やドイツ軍機と比べると、零戦もかなり広い部類ですよ、実戦では、零戦より優秀だった隼よりも、米軍パイロットの評価が良いのは、コクピットが広くて、乗りやすかったから。これは設計者の堀越二郎が身長175㎝と当時の日本人としては、大柄だったからと言われています。因みに、この頃の米国人の平均身長は170㎝です。
見た目はほんと好き
元上司が厚木基地、302(サンマルフタ)部隊の整備士で雷電を整備してました。
雷電のこと、ダンゴ!って呼んでいたみたいです。
零戦を整備したかったけど、雷電だったそうです。
時々、零戦が厚木基地に飛来すると、喜んで見に行っていたみたいです。
雷電のエンジンとか担当していたみたいで、銃、機銃とかは、別の整備士が整備していたみたいです。
基地に雷電を置いておくとアメリカの攻撃で壊されてしまうので、厚木基地の近くの森の倉庫に隠していたみたいです。
ある時、滑走路を歩いていたら、アメリカのF4?F6?に機銃で狙われて撃ってきたから、走って逃げたって言ってました。愛川から厚木基地まで、普段は宿舎みたいだけど、自転車通勤してたみたいです。
エンジンの振動問題がどうしても解決できなくて・・叩き落としたB29のエンジン観て根本から間違っていたことに気づいたが、時すでに遅し。後から視界で文句言う海軍も悪い。
オマケ・100式司令部偵察機の開発に携わった知り合いの御父上の話「電線がなぁ‥米のビニール被覆が羨ましかった」「チリ紙コヨリとビニールでは勝負にならんわ」
戦後ミリタリー漫画での誤解が未だにまかり通っていますが、品質の差は別として日本の電線もほぼ全てビニールの多重被覆が規格化され使用されていました。設計から色々間違っていた事は間違いないとは思いますが、終戦間際の物質難での代用材料の使用、そこへきてそもそも未熟な「量産」「加工精度」「管理」の悪化等が重なった状況でB29を見て羨ましがるのはわかりますが、電線のみという事では無い気はしますね
@@user-qq6qy8li5c さん なるほど。私の知識ではなく実際に関わった人の話なんで。アクリルで自作した物差しも見せてもらいました。良い材料を優先的に廻してもらえたであろう開発現場で苦労したとは、どこまで普及したんでしょうね。代用品の嵐だったでしょうし。
海軍が局地戦闘機を作ってる話をみると思うのが、なぜその開発力を艦載機に回さなかったのか。迎撃機を陸軍機になぜ統一しなかったのか。
なんでかなぁ···
@二重帝国というロマンを広め隊広報担当
陸軍横暴の如く言われる陸軍の潜水艦だが、あれは輸送用で、名前からしてマルゆ(輸)計画。
艦船攻撃用のものでなく、陸上の兵隊さんへの輸送用です。
大発(これも船舶。陸軍開発)なんかと同じです。
海軍テリトリーの侵害というより、仮想敵を米国と定めながらも当然発生するであろう輸送護衛に熱心でなかった海軍の不備補完みたいなもんです。
海軍関係者には戦後まで「簡単に浮いたり沈んだりしてたまるか」との嘲笑的な言論が多いのですが、陸軍に言わせれば
「ちゃんと船団護衛してくれりゃ、こんなもん要らんのだ」
てなもんだったろうと思います。
対ソ戦重視の陸軍では爆撃機の航続性能が弱かった由で、その意味からは一式や九六式の開発は一応納得しますが、陸上運用たる「局地戦闘機」や後の「深山」「富嶽」など開発の方が、気分的な陸海軍比較と違い、よく言われる「陸軍の横暴」よりも深刻な「海軍によるテリトリー侵害」ではないかと私は思います。
(第一線の将兵の奮闘に陸も海も区別ないのは勿論です)
基地爆撃機迎撃用で欲しかったんでしょう
陸海共用基地ならまだしも横須賀なと海軍専用基地を陸軍に迎撃頼むのも微妙だし 同時多発的に空襲されたらそれすらも来てくれるか怪しいので専用が欲しかったのかなと …
まぁそれなら鍾馗を海軍仕様にしてもいい気はするけどね
個人的に雷電は気に入っていますが、延々と開発リソースを吸い込み、烈風の開発を大幅に遅らせたことには残念に思います。
本当に、時間を掛けた割に使えない迎撃機だったんだねぇ。
まとめが何故か自分に刺さった…
頑張ろう…
陸軍の鍾馗と比べるとどちらを使いますかというとね。
工業力が追い付かなかったものの機体設計だけは欧米並み…と信じたかったところですが、設計ノウハウや航空力学など学問的な分野でも知見の不足を露呈しているんですよね。まあエンジンさえ高性能ならどうにかなったんでしょうが、機体以上の難物では…。
日本は工業生産力が貧弱だったのに、あれもこれもと多種多様な機材を創りすぎたように思う。陸海軍の協調のなさも、開発資源の浪費と多くの無駄を生んだ感。
試作するころは今使っている機体より高性能なあけで、うまくいくかわからない、配備されたときにはその時の戦況にマッチしているかわからないで多く作るのは仕方ないところ、アメリカの方がけた違いに多く作っている
機体やエンジン本体より補器類の性能が劣悪なのは年季のなさ
それなー。
別に無駄がなければ勝てたかって言えば自信がないけど、陸海軍の兵器開発が別系統とか、そもそも仮想敵が別とか、日本として勝つ気あるの? って感じ。
水エタノール噴射エンジン。
ヒューンといい音してたと雷撃機のパイロットしてたおじさんが言ってました。
日本機待ってました!!
600機越えてるのって日本軍機にしては多い方だったりする。
コイツに限らずエンジンオイルの質に随分足を引っ張られてたらしいね
陸軍の鍾馗も評価は芳しくないからね、隼や零式の戦闘思想を支持するのも多かったし爆撃機への迎撃という概念に対する要求対応で、高度、整備技術、資材、電探等のサポート技術も遅れ不足してますから
まあドイツのFw190も加速は良いけどP51に特定高度、最高速度で負けてましたしB17等の迎撃に苦労してますから改良を重ねてますしね。
うぽつです!
たまには航空機以外にも軍艦とかもやって欲しいな…
帆足大尉の事故原因については機体を調査しても不明だったようですが、別の方のテストで判明したようですね。羽切中尉の「大空の決戦」に次の記述があります。
「・・・尾輪オレオの支柱が曲がっており、脚上げと同時に昇降舵の軸管を圧して、下げ舵に作動したことが判明し、直ちに対策が講じられ、この種の事故原因は解決した。」
理論上飛ぶとされていても実際に飛ばしてみるまでわからない当時、命をかけて飛行機を作った人達がいたということを忘れないようにしたいものです。
見た目が鍾馗と同じくらい可愛い
うぽつです。
堀越技師は一番好きな機体として雷電を上げています
最大の問題はプロペラで次にプロペラ後流をエンジン排気でキャンセル技術が確立しころには機体の手直ししている時間がなかった
「何事も手早く取り組んで行動に移すことが大切だということを
証明した機体なのかもしれない。」とおっしゃるが...
みんな手早く取り組み、今の仕事をやっつけて次をやりたいと
思っているよ。なぜ、それが出来なかったか?
そこをフォーカスしても面白いかと思います。
お勧め文献「悲劇の発動機「誉」」なんてどう?
雷電のエンジン振動は一式陸攻でも起きてた事例だったからね。それさえ解決できてれば昭和18年度中には実戦配備できてたろうから南方の防空戦も少しは有利だっただろうにね…
扇風機の風と大気の風の違いは大きいモノね>風洞実験と実際の相違 他機種の胴体絞り込みも意図せずエリアルールに倣ってる
ちょっとマグロに憧れがすぎちゃったんじゃないかな…>紡錘形
米軍は、期待してる機種に、ライトニングとかサンダーボルトとか愛称を付けるので、日本語訳にあたる雷電も、期待されたんだろうなと思ったことがあります。子供の時、プラモデルの箱絵が可愛いと思って買ったら重戦闘機でデカくて意外だったのが、雷電を初めて見た時でした。結局、優れたエンジンを作れるかが、当時の国の実力の指標なんですかね。
勇者の雷鳴。零戦以降の堀越さんは、もう出がらし状態で、何年か休めればよかったんでしょうけど...YS‐11のころは、過去の人。
形状すこ
戦後13年頃とおもいますが、エンヤエンジンの付いた、雷電の飛んでる姿はいまでもよく覚えてます
手にしてるのが、Uコン雷電です。
雷電テストパイロットの小福田大尉は映画零戦燃ゆで、あおい輝彦が演じていた。
6000mまでなら早く昇れるけどそれ以上だとどうなんだろう?
日本機にしては高翼面荷重だから高高度だときついはず
陸海合同で鍾馗ベースで高高度戦闘機開発したほうが良かったんじゃなかろうか?
高高度戦闘がモノにならなかった原因は、中高度域に最適化されていた発動機を無理やり高高度で使わざるをえなかった方が深刻
翼面荷重がどうのこうの言う以前の問題
まあ、P51ムスタングと比べたらたいていの戦闘機は見劣りしてしまいますね。
あとエンジンセンターのシャフトを伸ばしたらいかんのは自動車でも同じですね。
回転するシャフトはわかりやすく言ったら縄跳びの縄みたいな運動をしてるんですよね。
機体形状を紡錘にしろっていう、間違ったデータが設計チームに渡されなければ、もう少しマシな経過を辿ったのかなぁ…
二式って凄かったのですね?意外だった😉
空力的な機首の絞り込みは意味がなかったという記事を読んだことがある。プロペラが無ければ良い機体だったということで締めくくられていました。この設計者もプロペラ後方の力学は難しかったとなるのだろうか、
なんで局地戦闘機と艦上戦闘機を同じ会社にやらせた
シルエットを見ただけで、一撃離脱専用機だよね。 離陸滑走楽しそう!難しいという事です。
疾風のおかげで早期退役した鍾馗より、雷電の方が局地戦闘機として勇名が轟いているが米軍の評価としては
迎撃機(インターセプター)No1は鍾馗となっている理由がはっきり分かった動画ですね。
微妙に足りない航続距離でラバウルなどでは活躍できず、本土防空戦では疾風を量産するから鍾馗はいらねと
いう扱いに比べれば、振動問題が解決しなくても紫電改が搭乗するまでの間は量産され、名前を轟かせた雷電は
幸運な戦闘機と言えると思いますね。
一度くらいの被害じゃ目は覚めず、2度3度痛い目に遭って対策に動いた時には「もう遅い・詰んでる」
というのが日本海軍のデフォルト。
ま、人数の差が陸軍とはあるのでお利口な人は基本少ない、でも装備・運営に多額の予算を必要とする海軍さん(笑)
@@user-nh2ni6fh9mさん
長砲身&徹甲弾ってとっても高価なんですよね、我が帝国ではとてもとても....(微苦笑)
silent ridgeさんという方の動画に日本陸軍装備の数的アプローチが数多くありますのでご参照のほどを。
@@Miki_Nanase そこは私も見てますよ。さらにいえばキタさんの海上護衛戦史も見れば、工業力以前に
資源を国内に持ってこれないって時点で詰みだってわかりますね。
三菱指名の際に
堀越技師を個人指名したという
話が本にのっていたりしますね。
他社の小山氏や土井氏の件も含め
日本側の航空技術者の平均レベルが
もう少し高ければこの御三方の
負担も減っていたのかも知れませんが…
(堀越氏はとくに体が弱く
逆に土井氏はケロッとした顔で
過酷な勤務をこなしていた
ともいわれますが…)
どっちかというと中島や川崎の方が三菱より組織運営がうまかったと思う。中島は隼、鐘馗、疾風と間に合わせ、誉も開発してるんだから。堀越技師個人に負担掛け過ぎるようなやり方はダメでしょ。
宇宙戦艦ヤマトの乗員に「キャロライン雷電」って「のが居る。勿論剛力。
しかし 着陸速度が170キロというのは、滑走路相当長くないと怖いな。セスナで80キロくらいだろう。
初めての電動引き込み脚しかもワンモーターだから某アニメの差動引き込みの演出は間違えてるかもしれませんね。
同じエンジンをつんだ雷電と鍾馗のデザインの違いが性能の差だと書いたものがあったがどうなのかな
ドックファイト✊の戦闘能力は、向上しましたけど、低速弱く、着陸が視界狭く困難な着陸をしいられたと聞きましたが間違いですか~
曽根技師は?
やはり日本お馴染みのエンジンと電装系の信頼性の低さェ、、。空力設計だけは良いと言われていたけど、そんなに別に良くないのが現実だしなぁ、、。正直全部の技術が凡庸か未熟で日本の工業力の低さが如実に現れている。そんなんで戦争すんなって感じだ。
設計思想は優秀だったけど実現するための基礎工業力が未熟なまま背伸びした感じに思いますね。チョンマゲ刀から脱却して数十年ですよ。無理もないけどね。ただ現代の価値観は通用しない弱肉強食時代です。軍事力の強化に迫られるのは当然の流れでしょうね。
戦前にNACAが小型機の空気抵抗の最大のものは翼胴干渉ということを発表してるんだよね。
その後の米国の小型機はほとんどが中翼・・・
それを考えると雷電の翼付け根のオーバーハングや強風の中途半端な中翼は残念でしかない。
雷電の視界の悪さだけどさ、三面図見ても風防が大きくて、いかにも視界が良さそうなのに不思議だなと思ってたんだけど、原因は風防側面の内側への傾斜なのね、あれじゃあ側下方見えないね、つまりは座席部の胴体の太さが根本原因なのね。その点でも鍾馗が有利。後知恵だけどつくづく堀越さん残念! でもこの視界の問題とかさ、翼胴干渉とかさ、すべて烈風の設計に生かされているのね。まあ烈風も失敗したんだけどさ。
米軍機の解説もしてほしい
零戦も同じだけどプロペラ後流のことを考えていないね。
Ta152の環状ラジエーターが良い例
重爆7機撃墜で実際には4機のみの損害って別に大本営発表とかでもなく、単に残りの3機はエンジンに被弾するも飛行可能で基地に帰還できたから記録が少ないのではないでしょうか?
知っていたのか雷電
米軍のパイロットは自分の操縦した戦闘機で最高だと最大級の賛辞を与えています。
全然経緯は違うけど、三菱は戦後も難産で時代に遅れた機体を一度ならず今まさに二度も開発してる最中で、好き好んでる訳じゃなかろうに大変だなあとぼんやりと思ったり。
@@user-wt1mi8xp5t いやいや30日7:36PMのロイターで事業凍結言うてますやん。開発中止だったらデマだけど、再開を望む事業凍結はデマちゃうよ。
座席は広くて、居住性は良かったみたいだね。
疾風をお願いしますm(_ _)m
防空戦で疾風か雷電か、どっちか選べと言われたら雷電に乗る。誉エンジンは設計に余裕が無く、回すとオーバーヒートするから。
但し、着陸は命がけだろうな。戦後の調査で、この紡錘形のカウリングは空気抵抗低減に殆ど寄与していなかったと聞いた事がある。
ずんぐり胴体の 雷電 局地戦闘機と言うには 少し抵抗があったな。
武装とか機体性能考えたらそりゃあ実用化当時のB-29に太刀打ちできませんよね…
私は雷電大好きですけど
機首を絞っても、機体側面を流れる気流の抵抗が大きい、コルセアやFW190のようにエンジン内部の気流を上手く外部へ排出するメカニズムのほうが有効であった、ただしプロペラの有効面積が増えるので、加速や上昇性能は高くなる、
エンジンは三菱!機体は中島!!
雷電はベテランでも前が見えないから着陸は無茶苦茶に難しいらしい!
昔に読んだ本には
ベテランは横の風景を見ながら着陸していたらしい
日本人パイロットは低身長だから不評!
アメリカパイロットは高身長だから好評!
機首にエンジンがあるので正面は見えないから着陸時の視界は横から斜め下をみる感じになります。
コルセアはそこに主翼があって視界が遮られて問題になりました。
ヨーロッパとかでは視界が悪いから飛べないとか言おうモノならプロでは無いの言われようです。
ウポーツデース
早めに雷電はやめて、陸軍の鍾馗を共同で性能向上させた方が良かったのではないか。赤字の支店にテコ入れして傾く中小企業のようです。ダメなら早めに対応策を検討すべきだったと思います。何しろ日本軍は貧乏なのに完璧主義なのが致命的ですね。小銃、自走砲、飛行機、海防艦など、貧乏人はそれなりに合理性や無駄のない、身の丈に合った戦いをすべきです。そうすれば、大東亜戦争は5年は続いていたかもしれない。アメリカの厭戦気分を引き出せたかもしれません。残念ですね。
エンジンの性能不足はどの機体も同じエンジンの製造技術が全てにおいて他国に劣ってしまったと言う他ない。当時の各国を見てみろ車のエンジン性能を競うようにレースをし日本では高値の花の車は移動手段。違いすぎていた.....。日本と各国の差は既に見えたものだったのだろ...。
開戦当初排気タービンの研究に積極的ではなかったことや耐熱性の高い素材が資材不足で作れなかったこと、電装品の技術が無かったこと、エンジンに対する基礎工業力が追いついていなかったことなどいろいろなところで遅れていたり、もはやどうしようもないような問題もありましたからねぇ……
基礎工業力は民需がないと育たないですからね......戦後の急速な工業力の強化は良くも悪くも戦前の超格差が是正されて3種の神器に代表されるような膨れ上がった民需と購買意欲が支えたわけですし。
雷電というと、当方はなぜかこの機体ではなく、米国のP-47D"Thunderbolt”を思い出す。だって"Thunderbolt”って「雷電」という意味だから。
比較対象として考えるべきなのは鐘馗なのかもなあ…
陸軍の鐘馗と海軍の雷電、二機種も必要だったのか? 鐘馗の一年半遅れで。
勿論零戦と雷電が同じとは言わないが、当時B-29相手に敢闘したのは搭乗員であって戦闘機じゃないよねって
サムネ、成層圏の超重爆って、一瞬B52かと
「雷電」って名前は、江戸時代の横綱を意識してつけたんでしょうかね???
昭和18年頃に命名規則が出されて乙戦(局地戦闘機、今で言う迎撃機)は「〜電」という風になりました。
雷電、紫電、震電、閃電…全部乙戦ですね。
ちなみに当時のパイロットも機体形状からその横綱の事を連想したみたいですよ。
遥か雲の上のB29。雲から落ちる雷は届かんわな。
エグいくらいに詩的でかっこいい一言だな
上手過ぎて泣けてくるなぁ
戦後のパイロットの証言でありそう
詩人だなぁ
かっこいい