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猪木さんが亡くなられましたからタイムリーですね。高校の時の恩師が猪木さんの髪を切られた試合見に行っており。試合後友達と食事に行く筈が控え室で猪木と国際軍団が髪切りでマジ喧嘩になってそれどころではなくなり行けなくなったと😩。実は猪木さんの膝と糖尿病&木村さんも腰痛があり😑。それもあり色々な試合をして一人VS三人と言うとんでもない試合をすると。今晩は。の挨拶は当時TVで見ました。これが後年の全日本プロレスのマイクの鬼の始まりでした。今は2人共旅立たれあの世で思い出話しに花を咲かせるのを期待しながらご冥福をお祈りします。
猪木さん、木村さんありがとうございましたお二人の熱い対戦を忘れませんどうぞゆっくりとおやすみください
この頃の猪木さんと木村さんは猪木さんの糖尿病による体力の低下やコンディションの悪化と木村さんの団体崩壊によるストレスや長年の歴戦による怪我の蓄積で最悪の状態であったんですよね…!そんな中…よくあれだけの試合をしたと今考えると本当に思いますね。今頃…2人で話していたら良いな…。
私は木村さん、浜さん、寺さんが大好きでした。新日本に参戦してきて、猪木さんに挑戦した時は「何を生意気な!」と罵声を浴びせていたが、段々と猪木さんと国際軍団の抗争は面白くなり、昭和57年9月21日大阪府立体育館でのヘアベンドマッチは実際に会場にみに行きました。9000人の超満員札止めで立ち見席もぎっしりでした。猪木さんがフォ―ル勝ちした後に木村は浜口、寺西と共に髪切りの約束を破り、逃亡。納得できない大観衆は「金返せ!」とコ―ルで終了後に私は当時、18歳で若かったから木村の控え室へ大勢で殴り込んだのです。でも、あの11月4日東京・蔵前国技館での1対3の変則マッチで必死に国際の火を守ろうとする3人の姿が印象的でした。2度目の58年2月の1対3変則マッチは視聴率25%を記録したのはびっくりしました。裏番組にあの3年B組金八先生や太陽にほえろ!を抜いてのトツプでした。
さすがの木村選手も愛犬が亡くなった時には「親や教師は一体何を教えているんだ!」と怒ったというエピソードが好き。ガチでも強いのに全日に移籍後、人柄で受けを取るという前人未到の領域を開拓した名レスラーでした。亡くなられてからもう10年以上経つのが嘘のようです。
幾ら猪木ファンで相手がアンチレスラーであっても相手レスラーの愛犬を殺すなどとやり過ぎと言うより犯罪だ!大の大人がする事じゃ無い!子供で有っても良識があれば分かる筈だ!木村さんが怒るのは当然だ!(怒)
田園コロシアムの猪木vs木村戦の前。木村さんを囲む飲み会があって、誘われたので私も参加。木村さん。同じ北海道出身で優しく接してくれた。♪たんぽぽの歌が忘れられない。おう、お前この歌知ってるやろ!まだ、喉を潰されていなかったから綺麗な歌声。サントリーオールドをビール用の小さなコップにそのまま注いで飲んでたwwwあれは真似したくても無理。レスラーの武勇伝を目の当たりにしてくれてありがとう。ヲタクだったので古い月刊ゴング縮小版を愛読していた。国際時代の木村さん得意技が「回転4の字」。その話をしたら、他のメンバーから「あれは裏足4の字だよ。」田園コロシアムで、木村さんが裏足4の字を猪木さんに掛けていた。本当に木村さんには感謝しかない。大好きです。ラッシャー木村さん。
「こんばんは」に木村の人の良さがよく現れてる。国際のエースだった男がきつい腰痛を抱えながら嫌がらせされるほどのヒールを演じなければならなかったのはさぞかし辛かっただろう。全日でも当初は馬場に喧嘩を売る方向だったけど上手くはまらなくて可哀想だなと思ってたけど、最終的にはファンから愛されるポジションを確立できたのはせめてもの慰めか。改めてご冥福を祈りたい。
いろいろあったけど最後の最後はお互いの信頼で成り立つのがプロレス。猪木は何度も裏切り、裏切られてきたけど、それでも戻りたいと言ってきた人間は笑って受け入れてきた。子供のころからずっと見続けてきたが、歳をとっても教えられることの多い人だった。
ラッシャーさんを知る人は異口同音に「本当に良い人」と言ってたそうですね
木村さんをリーダーとする国際軍団の徹底したヒールは本当にプロとしての意識の高さが感じられる(当時は知らずに観ていたが)。猪木さんも木村さんに配慮してたんだな。天国でお互いに何を語りあってあるのかな
そうだったのか...。木村さん、頑張ったね。寡黙で強くて優しい"日本男児"そのものだ。あっぱれ、ラッシャー木村!木村さんに闘いの場を与えてくれた猪木さんも素晴らしい。お二方は、もう試合をしなくても良いのです。天国でゆっくりお酒を酌み交わして下さい。合掌。
新日への移籍金は、負債を抱えた恩義ある吉原社長に渡したそうです。また、リングアナのケロちゃんが「木村さんのチョップが、あまりにも凄すぎて、猪木さんがまともに受けない様になった。そんな猪木さんは初めて見た」と語っていました。 腰痛からの復帰後、バットニュースアレンとのタッグや、ホーガン、藤浪とのシングルなどの名勝負もあり、その後に猪木とタッグを組むストーリーだったみたいですね。
「猪木・木村vs長州・浜口」の可能性もあったんですかね?
猪木さん、ラッシャー木村さんらがいる天国に旅立ってしまいましたね。ご冥福をお祈りします。猪木さん、あなたがインディアン・デスロックを極めてお客さんに向け手を叩くパフォーマンスは一生忘れません。
そこから猪木さんは、弓矢固めへ移行してました。
アントニオ猪木さんが、死んだ…。こんな無謀な試合をはじめとする、激闘が予想以上のダメージを身体に負担を掛け続けてきた事は言わずもがなです。それだけ、プロレスファンの期待に応えて、多くの人達を喜ばせて楽しませてくれたことを私たちは、絶対忘れません!最後のお姿は、日テレの24時間テレビでの、痛々しい車椅子姿でしたね。最後のメッセージちゃんと受け取りましたから、安心して天国で、力道山、馬場さん達と再会して欲しいです。
ラッシャー木村さンともね。
ラッシャーのインタビューはこんばんわ案件以前にも全日での試合後のインタビューにも泣き言みたいな事を言っていましたよ。
@@肝山豚之助 「ついてないですよ!!」はこんばんはより笑えたwww
はぐれ国際軍団は、本当のプロフェッショナルだった。
猪木VS国際軍団は自分が初めて金を払って見に行った試合だった当然、木村さんの応援ですよ。国際ファンだし。
プロレスラーアントニオ猪木の魅力は「驚異的なスタミナ」「高いグラウンド技術・テクニック」「インサイドワーク」など様々あるが、師匠力道山譲りの怒りの表現力はほかの選手にマネ出来ない天才的なものがあった。正にその通り。的確な表現。生まれ持った肉体とセンス+努力により得た技術、で歴代最高のプロレスラーであった。プロレス自体が変化していっていることもあり、もうこんな人は出てこないだろう。本当に楽しませてもらった。ありがとうございました。安らかにお眠り下さい。
浜口は新日本に行って本当に良かったと思う。国際崩壊後に全日本に行ってたら普通にプロレスの上手い地味な中堅レスラーで終わってた
でも、ジャパンプロレスとして全日に乗り込み、ジャンボとの一騎打ちの試合を馬場さんが絶賛してたね。
@@giantnioinoba2023 ジャパンの一員として乗り込んだのだからよかったんだと思う。最初から全日本に行ってたらマイティ井上あたりと同格で、アジアタッグ戦線に絡むのが精一杯だっただろうね。ただ、それでもフットルースやカンナムあたりとやればそこそこ沸かせることは出来たと思うわ。
やはり俳優と同じで悪役レスラーのお子さんはいじめを受けるらしい!浜口の娘京子もそうみたいだ!彼女は父と同じくレスリングの道へ進む!
小学生の頃リアルタイムで見ていて画面に釘付けにされたあの試合にこんなドラマがあったなんて最後の10秒で鳥肌たったよ猪木さん木村さんと天国で昔話で花を咲かせてるかな
猪木さん ありがとう木村さんと東京プロレス出身者に対して猪木さん流の配慮は素晴らしかった冥福を祈ります
これも奥が深いですね。私はバックランドやジェットシンとの闘いから見ていました。団体の長、レスラー業、事業多角化、政治にと全力で向き合っておられた姿は、まさに燃える闘魂でしたね。今日の報道は本当に残念です。心より、ご冥福をお祈り致します。向こうに着いたら、少しはゆっくりして下さいね。
A猪木・G馬場・R木村・G草津・T杉山・上田馬之助・剛竜馬・J鶴田・三沢光晴・山本小鉄・星野勘太郎・マサ斎藤・橋本真也・冬木弘道・ハル薗田・鶴見五郎・ハヤブサ・ミスターポーゴ・ターザン後藤・サンボ浅子 皆さん天国で新団体設立したらしい😂
この「こんばんわ」事件がのちのマイクパフォーマンスにつながっていくのかと思うと感慨深い
東京プロレスでの絆が時を超えて、あの形になっていたのですね。国際軍団は新日に使い潰された印象だったけど、そもそも木村はリングに立てる体ではなかったこと、それでもやれる形を考えて精一杯やって、最高視聴率を叩き出したこと。今頃になって知り、感慨深いです。その結果、ラッシャーだけが一人で人気も立場も微妙になったけど、全日で生きる場所を見つけ、新しい絆と、何よりもファンとの太い絆を結んで、旅立って行ったんですね。
馬場も猪木も国際のエースに敬意を払ってそれなりに大舞台を用意したし、路頭に迷う所に救いの手を差し伸べた。
今の新日本は余りにも作りこまれていてマイクでもアピールではなくセリフみたいな感じ。「こんばんわ」とか「お前平田だろう」とか「時は来た亅みたいな名言?迷言?はもう出て来ないだろうね。最後に猪木さんのご冥福をお祈りします!
初めてのプロレス観戦が、8:35 の大阪府立体育会館でした。話の通り、当時高校生の自分も怒号を飛ばした一人です💦その試合前のリング練習で、既に猪木さんがいて、若手選手を二人乗せた状態でブリッジ。首とつま先だけで三人分の体重を支える姿に度肝を抜かれたのが印象に残っています。今朝、猪木さんが旅立ってしまいました。悲しいことももちろんですが、何年も苦しんだ病魔から解放されて、ホッとした気持ちがあるのも事実です。合掌。
18:39 木村の表情が吉原さんにそっくり国際プロレスなんだなあ……
ラッシャー木村さんはプロ中のプロですね✨昭和のプロレスラーの人たちは怪我を押してリングに上がってました🔥💪リングの上ではそんな素振りを見せないで戦っていたのは凄い‼️昔のファンも熱かったですね。自分もその一人でした✨
ラッシャー 「なぜ笑う?初めての場で挨拶をするのは当然だろう?」この時代のプロレスはどこを見ても名場面でした燃える闘魂、男の美学の集大成、過激なセンチメンタリズムアントニオ猪木さん、お疲れ様でした、ありがとうございました
この一対三の一回目のハンディキャップマッチは、当時、中3で、リアルタイムで、テレビ観戦でしたが観ました。この試合は、私が観たプロレスの一番のベストバウトです。黒装束で、入場する国際軍団との一連の抗争は、当時、リアルタイムで観て、強烈なインパクトがありました。もう、あの抗争を越える戦いは、正直、ないですね。
自分は小6でした
プロレスとは憎しみではなく最後は愛なんですよ、相手を立ててこそプロレスは活きる
そうゆう枠にはまらないのが、猪木プロレス。猪木の常識非常識。猪木プロレスは喜怒哀楽がいっぱいつまった、最高のプロレス。客の想像の上手を行く。
名言ですな・・・
1対3のハンデキャップマッチはハッキリ言って茶番!でもその茶番も好勝負に魅せるのが猪木マジック!そう言う点では世界一のレスラーだ!
まあ、相手をたてないと自分の生活ができませんからね。 それがほんとうのところでしょう。
猪木が当時不甲斐ない新日本の連中に「木村を見習え!」って言ったのはこう言うところなんでしょうね
そのくだりは、浜口さんだったと思いますが…。木村さんもだったのかな?
自分はテレ東で放送していた国際プロも見ていました。新日時代はヒールでしたが、全日で馬場さんとの義兄弟ダッグと渕いじりはほっこりしました。全日時代の木村さん報われたなぁと思います。プロの中のプロですね。
1vs3の後、鹿児島遠征で試合後に国際の3人とレフリーのミスター高橋とで飲んだ時の「平吾(浜口)仕事だ」の話も凄いですよね。木村さんの腰痛の治療費も新日本側から出していたようだし、裏を知れば知るほどプロレスって凄いなと思います。
あの漫画、本当なのかね。浜口は「大会場をフルハウスにして客を沸かせた」と誇りにしている。ギャラも、木村が「桁間違えたのか」と思ったくらい良かったようだし。
@@keitayamamoto8824 余談ですがあの時にボブ•オートンがやらかしたんですよね。
>あの漫画、本当なのかね。浜口と寺西がミスター高橋に食ってかかった話は当時から聞いた事があるので、少なくてもそれは本当なのでしょう木村さんの息子さんも「父がこれだけ有名になれたのは新日本のおかげ。国際プロレスのエースのままだったら、こんなに騒がれることもなかっただろう」と感謝していました。
30年以上前に馬場さんとの義兄弟タッグの試合を初めて観た。リング上で年上の馬場さんをいたわってて、とっても優しい木村さんの姿にめっちゃ驚いた記憶。
あにきいってお前は水谷豊か?(笑)
東京プロレスで猪木さんの付き人だった木村さん。憎しみあいのよう見えた軍団抗争だったが、なんだ、お互いを信頼し、たてあいながら俺たちを手のひらの上で転がし楽しませてくれたんじゃないか。国際軍の練習熱心さに、猪木は配下に見習えと言ったという。尊敬しあってたんじゃないか。プロレスとは奥深いな。合掌
ヒールより過激な新日ファンが恐い😱
猪木のやることはなんでも正しい!みたいな新日の雰囲気が嫌いだった。
思うに新間さんがそういう印象操作をしてたんですよね、良くも悪くも新間さんの置土産だったかも?
ラッシャー木村選手のプロ根性は凄いですね。徹底して、ヒールに徹しきりました。ラッシャーさんがいなかったら、この時の新日の人気は出なかったかも知れないですね。ブッチャーが新日にフィットしてなかったですからね。猪木さんは馬場さん木村さんと仲良くやってますでしょうか。マサさんも入って、皆様で仲良くプロレス興行をやって欲しいですね。
当時の田中リングアナウンサーも「あの当時の新日本ブームはタイガーマスクじゃなくて国際軍団のおかげ。タイガーマスクが出てもチケットの売上はそんなに変わらなかった」「国際軍団との抗争の終わり頃、猪木さんは木村さんのチョップをまともに受けるのを嫌がっていた。すげー痛かったんだろうな」と言っていました。レスラーだけじゃなくスタッフにも認められていたんだなと思いますね。
これまたタイムリーな話題。
アントニオ猪木(79)のご冥福をお祈りします
プロの中のプロとは、こう言う人の事を言うんだろうな。客を呼び視聴率を取るにも猪木一人では何ともならない。相手が必要なんだよ。安らかに。ラッシャー木村さん
浜口、寺西両選手は1対3という屈辱的なマッチメイクに対しミスター高橋に文句を言いましたが木村選手の「仕事だ」の一言で黙ったそうです。そんな木村選手に対しミスター高橋は「凄い人だ」と心の中で驚嘆したそうです。猪木選手、木村選手どうぞ安らかに。ご冥福を心よりお祈りいたします・・・。
同じ日に後の海賊男が893相手にやらかしたwww
猪木、、死んじゃった… 昭和プロレスの金字塔だった。。金20時代は家族で見てた。。さよなら。。
ラッシャー木村さんはプロですね😢怪我のいい訳をしないでプロとして全うして改めて凄いです。アントニオ猪木さんもプロですね。お二人のご冥福をお祈り致します😢
偉大な日本の英雄が🪦
当時、ラッシャー木村は失笑を買ったが、他団体のエースだった男が「こんばんは、ラッシャー木村です」といったら、「こんばんは、アントニオ猪木です」と答えなければ失礼だろう。
本当はこんばんはだけ、世界の北野にいじられた。
巨星がまた一つ…猪木が逝きましたね…何度かこのチャンネルでも取り上げられた事もありますが、プロレスというモノの象徴たる人物でしたね…合掌。
猪木さんが亡くなったんですね猪木さんは随分頑張って無理して一生懸命全うしましたね小さい頃から馴染み親しんで北、猪木さんが亡くなったのでいみでの県と猪木さんありがとう天国デモプロレレスやっているかもしれませんねご冥福をお祈り致します。
動画の最後の締め、コメント欄の愛溢れる言葉に、感動‼️
「元気があれば何でもできる」その通りです。世界史に残したい名言。本当に、ありがとうございました。
脱力タイムズでの高畑充希の物真似が可愛いかった!関係無いが(笑)
ラッシャー木村、晩年の全日本でのマイクパフォーマンスが温かい人間性を示していた。
普通に「今晩はラッシャー木村です」と言っただけなのに凄い印象を与えたね!
「今晩は、ラッシャー木村です」たけしさんのギャグですね😁木村さんは「こんばんは」だけですね😊
ワシは生まれる前から&骨の髄からの猪木信者だがとうとうこの日が来てしまった・・・・・😭😭😭
まさか御冥福をお祈りしますなんて学の無いこと言わないよな😮言うなら お悔やみ申し上げますだぞ😃
@@パチは八百長 メシウマと思ってるヲマエが言うなwww
時期的なのもあるけど今回は感動した。ずっとリアルタイムで見ていたが国際プロレスのモノクロな雰囲気とラッシャー木村の悲壮感が凄くインパクトがあった。でも「こんばんは」のおかげで何気にホントはいい人?のイメージもあった。天国で馬場さんも含めて三人で笑いながら語り合っているのかな。
国際軍団との3対1はテレ朝チャンネルでしていたのでハードディスク保存してますが改めて保存してよかったです
この時代のプロレスの手法は、いかに盛り上げたままファンを焦らして次への期待を出させるかだっただからいいところで乱入とかフェンスアウト等で試合が終わり、それで不完全燃焼のファンがヒートアップするというのが日常だったファンが熱かった事もあるが上記の事があったのでファンがさらに暴走したという状態だった髪切り逃亡もそういう仕掛けのひとつ、会社側の指示だっただけに自宅まで押しかけられたのはかわいそうとしかいえないちなみに当時は映画やドラマの悪役がそのままだと外を歩けないという時代だった当時大人気だったドラマ、スチュワーデス物語でヒロインをきびしく指導する役だった秋野暢子は、どこに行っても「ヒロインを苛めるな」と問い詰められたと後年に告白していた
ラッシャーは男やな!!
これほど勇気を与えてくれた有名人は私にはいない。
当日 会場に 家族でいました。 新間さんが 俺の髪を切れとリングに上がったのは事実ですが ファンがコールでやめさせたと記憶しています。ファンにとっても次々と夢を叶えてくれる新間さんに愛を持っていたとおもいます。
83年9月21日のKO負けは、最後猪木が勝ち名乗りを上げすぐリングを立ち去ったことからも、実は木村を立てていたことをわかってほしい。風邪と腰痛で歩くこともできなかった木村を、醜態とはいえリングに残し少しでも記事にしてもらい、その後の療養期間を「失意の失踪」と印象付けさせる配慮だったわけだ。
そういや寺西氏はどうしているのかな。引退後は一切プロレスや関係者とは交流がないそうで、実はもうひっそりと〇くなっているという説まであるそうだよ。この頃の国際軍団は素晴らしジョブをやっていた。毎回ブック通りに負けてファンの嘲罵を浴びながら退場する姿を古館が落ち延びていくと揶揄していたが、実にそれっぽかった。昭和の幻だね。ファンとレスラーの熱が作り上げた幻想活劇だったんだ。
一時期、ガテン系の親方だったらしいですね。
ラッシャー木村は後に全日入りして、マイクパフォーマンスでお客さんを呼べるまでになった。ラッシャー木村のマイクは全日プロレスを見に行った時の楽しみだった。
腰痛だけでなく金網デスマッチで負った足の怪我もあったんですよね。
蔵前国技館へ見に行きました!ラッシャー木村さんの家にも何回か行った事あるけどとても優しかった!
泣ける話だね
アントニオ猪木さん有り難うございます!闘魂不滅です!
ほぼリアタイ世代だが、まだ会場に足を運ぶことのできない地方の小学生、猪木の糖尿病による体調不良も木村の腰痛にもまったく気がつかなかったR.I.P喪失感半端なし
俺も当時まだ子供だったけど、住んでいた千葉に興行が来たときはなんとか一番安いチケット代を工面して観に行ってたぞ。まさに「元気があれば何でも出来る」ちなみに会場の外で部活の後輩に会ったので話を聞いたら「チケットが買えないので外でレスラーの出待ちをしてる」とのことだった。
ラッシャー木村さん…。❤大好き😊
ヘアーベンドマッチ、見てたなぁ。負けてトンズラした国際軍団には私もテレビの前で怒り心頭でした。もし現地で見てたら間違いなく暴動に加わっていたと思います。
猪木が絶対に勝つんだと信じてテレビにかじりついていました。今は天国ですべての重荷から解放されて休んでおられることでしょう。ありがとうございました😢😢😢
男の涙酒、平吾仕事だ、猪木さん、木村さんお疲れ様でした
12:45至極真面目な解説の真っ最中に…シンが猪木の両アゴを掴んでる写真で吹いてしまったw
小学生時代は憎んでテレビの前で興奮していたけど、いま思えばボンヤリと国際軍団がヒールの役割を全うしていたことに気づきはじめる年齢でもあった。お互いコンディションが最悪のなかでこれだけ盛り上げていたんだな。猪木さんと木村さん、天国で何を話しているかな。
相手の技(攻撃)をまずは寛大に受け入れるスポーツ?はプロレスだけ。そこには人生哲学と人類平等の思想が表れている。
猪木木村戦の思いで…猪木が木村の鼻というか顔面中央を殴っていて、木村が涙を流していた事 17:00~ …当時小学生高学年でした。
国際からほとんどの選手が全日に行って、新日は3人しか来なかったのは、全日の方がいいと思った人が多かったと言われてたけど、この動画を見る限り「最初から3人しかいらなかった」ということだったんだな。
そういうこった🎉
ほとんどの選手が全日本移籍と言いますが、国際崩壊時に全日本に移籍したのはマイティ井上と若手の菅原と冬木の3人だけです。他は海外に活路を求めたり引退しています。井上は吉原代表から木村達と一緒に新日本に参戦する事を言われましたが、過去の新日本との対抗戦、ストロング小林の引き抜き等での新日本の態度には不信感しかなく吉原代表の命令に逆らった井上は馬場と連絡を取り、自身と若手の菅原と冬木も一緒に引き取ってほしい旨を伝え了承された話を井上自身や、井上の移籍に関わった人たちが証言しています。阿修羅原も当初は新日本参戦の一人に組み込まれていており、藤波辰爾との再戦を示唆されますが、本人は国際崩壊と同時に引退するつもりで長崎に帰りましたが、井上から原の近況を聞いた馬場が原と連絡を取り、天龍に挑戦という形でフリー参戦させてから全日本に入団させてます。鶴見や高杉は井上たちからかなり遅れて海外からフリー参戦しています。あと木村は新間でなく国際崩壊後、新日本参戦に尽力してくれた吉原代表に対する恩義で新日本に参戦したとも言えます。
@@パチは八百長 人選もピッタリというか、やはり猪木はよく見てる。
当初予定では新日参戦のはずだった阿修羅さんはマイティさんが全日に引き抜いたんですよね。
浜口ー国際プロレス解散とは別に新日本側が個別に引き抜きを画策木村、寺西ー東京プロレス時代から猪木が評価していて、日プロ復帰時に本当は連れて行きたかったけど、人数制限等の事情により泣く泣く断念。新日の新間氏と国際の吉原社長との間で国際プロレスのレスラー全員を新日で引き取る約束だったが、猪木が「木村、浜口、寺西の3人で十分、他はいらない」との鶴の一声でこの3人に決定。吉原社長はとても悔しそうだったそうです。
猪木が髪を切られたのと、5分で終わったのは、また別の試合ですよ。この頃の木村さんのヒールっぷりは凄みがあって、僕は会場でいつも応援していました。まわりは猪木信者ばかりでしたが(笑)。
髪切りの丁度1年後が5分マッチでしたね。
遂にこの日が来てしまった、という心境だね。これまで色々なレスラーの方々の死に直面してきた。病死、突然死、不慮の死、まさかの若死と様々に。でも猪木の死は他とは違うイメージ。自分に取っても猪木の存在はそれだけ大きかった。ご冥福を祈ります。
国際プロレスファンだった友人は全日は国際の選手を前座扱いしたが新日はメインで扱ってくれたと感謝していましたね。
私がプロレスにのめり込み、無忡になったのは、国際軍団と猪木の一連の抗争からでした。中3の秋にリアルタイムで、テレビ観戦した、一対三のハンディキャップマッチの一回目は、今まで観たプロレスの一番のベストバウトです。
何で失笑するんだ?普通に挨拶しろよ!
ラッシャー木村の「皆さん、こんばんは」は確かに忘れられないセリフでいつもは見ていない大観衆に緊張してしまったのでしょうか。その後の、木村のマイクパフォーマンスへに繋がっていったのですね。
猪木さんの配慮、盛り上げる為に木村さんも承諾した上で上手くやり退けたのは、お互い凄いプロ根性ですね私は「良い人達」の雰囲気だった国際軍団の方を応援していたとは、当時は言えない雰囲気でしたが、その後のレスラー人生で「愛すべき皆様」となり、自分の判断は間違えていなかったので安心しました後でアニマル浜口さんのジムに通った事がありましたが、娘さんの京子さんに息子さんも、本当に優しく面白い方ですよ\(^o^)/そして改めて、木村さんと猪木さんのご冥福をお祈りいたしますm(_ _)m
髪切りマッチなら、ちゃんとその会場て切らないとダメだろ。新日は何を考えてるのかわからん。
木村さんも、猪木さんもそんな事情があったんですね。ありがとうございました!!
国際プロレス マイティー井上のサマーソルトドロップ アニマル浜口のエアプレンスピン ラッシャー木村のクロスチョップ❗いづれも、フィニッシュ・ホールドだった
リアタイで見ていた時は、1対3なんていくらビジネス的に国際側は踏み台にされる立場でもそこまでプライドを損なわなくてもいいのに、と新日に対して批判的に思っていましたが、木村の体調配慮という側面があったのですね。プロレスは奥が深いな~と改めて感じ入りました。Upありがとうございました。
この話を聞くと、腰痛のラッシャー木村さんをどの様に生かすか残すか、馬場さんと猪木さんは裏で話し合いが出来ていたのではと思いました。一説には猪木さんがラッシャー木村さんを潰したと言われていましたが、潰れてしまった国際のエースがストロングスタイルの新日で脚光を浴びるには、これしか無かったのかも。
散っていったプロレスラーの人生は俺の希望である...星になろうが、どこにいようがプロレスラーは憧れであり、永遠である...
プロレスラーの方のプロ根性は尊敬出来ますが、亡くなった時はとても悲しく感じます。それも考えて、プロレスラーの方には必要以上の無理はしてほしくないです。
木村サン。最後は良かったね。マイクで人気者になれて
住んでるところが12チャンネル映らなかったから、いきなり木村さん達が猪木さんと戦うことがあまりピンときませんでした。木村さんの扱いが新日本はひどいと浜口さんが酒の席で言ったら、浜口さんに、平吾これも仕事だと言ったとか。馬場さんや猪木さんと違い、オーナーエースでなかったからできたと思いました。国際はTBSと切れてから他団体と対抗戦をする路線をとりました。しかし、これは団体を終わらせた劇薬だった気がします
最初新日本は国際プロレスとの対抗戦で、マッハ隼人、鶴見五郎、阿修羅原も参戦発表されました。しかし猪木は新間に木村、浜口、寺西だけでいい、との事で、3人を一本釣りしました。先ず新間が浜口家に行き、浜口と契約。その後新間と浜口は木村、寺西を説得し契約。木村が1番ギャラが高かったようですが、浜口は年収で国際の3倍くらい良かったと浜口夫人は話してました。浜口は新日本の甘い誘いに乗り、マイティ井上、阿修羅原、アポロ菅原達を裏切ったと話してました。国際魂と言ってても、事実は新日本に一本釣りされたので、都合のイイ奴だなと思ったと言ってました。阿修羅原は新間がほしかった選手でしたが、今更藤波とやりたくないとの事で、長崎に帰るつもりだったそうです。しかし、馬場さんが救いの手を差し伸べて全日本に入団しました。しかし、国際軍団は新日本に潰されまいと頑張ってました。あの頃が懐かしいです。
なぜか長州力は元気だな…結構もう歳なのに…😆
元気があれば天国にも行けると言いたい😭
木村さんが国際プロ時代はじめてアメリカに行った際、当時NWAチャンピオンだったドリーファンクジュニアと世界タイトルマッチをおこない、雑誌のインタビュアーが勝敗の結果を聞くと「私はプロですから。」その率直な答えに人柄の良さがわかりました。
木村さんが「金網の鬼」と呼ばれていた頃は、まだ走れていたんだけど、国際末期には小走りもあんまりできなくなっているように見えた。もうあの頃から腰が悪かったんだろうなあ。あと「こんばんは」事件は、木村さんのクソ真面目さが裏目に出てしまったそうですね。
あの1対3のハンディキャップマッチの裏にこんな事実が隠されていたとは。
新日との抗争時に猪木は若手選手に木村を見習えと説いていたそうです。その理由が良く解る動画でした。当時は憎悪の対象として見ていましたけどねw
本当に強くても相手を引き立てる器がラッシャーさんにはある
猪木さんが亡くなられましたからタイムリーですね。高校の時の恩師が猪木さんの髪を切られた試合見に行っており。試合後友達と食事に行く筈が控え室で猪木と国際軍団が髪切りでマジ喧嘩になってそれどころではなくなり行けなくなったと😩。実は猪木さんの膝と糖尿病&木村さんも腰痛があり😑。それもあり色々な試合をして一人VS三人と言うとんでもない試合をすると。今晩は。の挨拶は当時TVで見ました。これが後年の全日本プロレスのマイクの鬼の始まりでした。今は2人共旅立たれあの世で思い出話しに花を咲かせるのを期待しながらご冥福をお祈りします。
猪木さん、木村さんありがとうございました
お二人の熱い対戦を忘れません
どうぞゆっくりとおやすみください
この頃の猪木さんと木村さんは
猪木さんの糖尿病による
体力の低下やコンディションの悪化と
木村さんの団体崩壊によるストレスや
長年の歴戦による怪我の蓄積で
最悪の状態であったんですよね…!
そんな中…よくあれだけの試合をしたと
今考えると本当に思いますね。
今頃…2人で話していたら良いな…。
私は木村さん、浜さん、寺さんが大好きでした。新日本に参戦してきて、猪木さんに挑戦した時は「何を生意気な!」と罵声を浴びせていたが、段々と猪木さんと国際軍団の抗争は面白くなり、昭和57年9月21日大阪府立体育館でのヘアベンドマッチは実際に会場にみに行きました。9000人の超満員札止めで立ち見席もぎっしりでした。猪木さんがフォ―ル勝ちした後に木村は浜口、寺西と共に髪切りの約束を破り、逃亡。納得できない大観衆は「金返せ!」とコ―ルで終了後に私は当時、18歳で若かったから木村の控え室へ大勢で殴り込んだのです。でも、あの11月4日東京・蔵前国技館での1対3の変則マッチで必死に国際の火を守ろうとする3人の姿が印象的でした。2度目の58年2月の1対3変則マッチは視聴率25%を記録したのはびっくりしました。裏番組にあの3年B組金八先生や太陽にほえろ!を抜いてのトツプでした。
さすがの木村選手も愛犬が亡くなった時には「親や教師は一体何を教えているんだ!」と怒ったというエピソードが好き。
ガチでも強いのに全日に移籍後、人柄で受けを取るという前人未到の領域を開拓した名レスラーでした。
亡くなられてからもう10年以上経つのが嘘のようです。
幾ら猪木ファンで相手がアンチレスラーであっても相手レスラーの愛犬を殺すなどとやり過ぎと言うより犯罪だ!大の大人がする事じゃ無い!子供で有っても良識があれば分かる筈だ!木村さんが怒るのは当然だ!(怒)
田園コロシアムの猪木vs木村戦の前。
木村さんを囲む飲み会があって、誘われたので私も参加。
木村さん。同じ北海道出身で優しく接してくれた。
♪たんぽぽの歌が忘れられない。
おう、お前この歌知ってるやろ!
まだ、喉を潰されていなかったから綺麗な歌声。
サントリーオールドをビール用の小さなコップにそのまま注いで飲んでたwww
あれは真似したくても無理。レスラーの武勇伝を目の当たりにしてくれてありがとう。
ヲタクだったので古い月刊ゴング縮小版を愛読していた。
国際時代の木村さん得意技が「回転4の字」。
その話をしたら、他のメンバーから「あれは裏足4の字だよ。」
田園コロシアムで、木村さんが裏足4の字を猪木さんに掛けていた。
本当に木村さんには感謝しかない。
大好きです。ラッシャー木村さん。
「こんばんは」に木村の人の良さがよく現れてる。
国際のエースだった男がきつい腰痛を抱えながら嫌がらせされるほどのヒールを演じなければならなかったのはさぞかし辛かっただろう。
全日でも当初は馬場に喧嘩を売る方向だったけど上手くはまらなくて可哀想だなと思ってたけど、最終的にはファンから愛されるポジションを
確立できたのはせめてもの慰めか。
改めてご冥福を祈りたい。
いろいろあったけど最後の最後はお互いの信頼で成り立つのがプロレス。
猪木は何度も裏切り、裏切られてきたけど、それでも戻りたいと言ってきた人間は笑って受け入れてきた。
子供のころからずっと見続けてきたが、歳をとっても教えられることの多い人だった。
ラッシャーさんを知る人は異口同音に「本当に良い人」と言ってたそうですね
木村さんをリーダーとする国際軍団の徹底したヒールは本当にプロとしての意識の高さが感じられる(当時は知らずに観ていたが)。猪木さんも木村さんに配慮してたんだな。天国でお互いに何を語りあってあるのかな
そうだったのか...。
木村さん、頑張ったね。
寡黙で強くて優しい"日本男児"そのものだ。
あっぱれ、ラッシャー木村!
木村さんに闘いの場を与えてくれた猪木さんも素晴らしい。
お二方は、もう試合をしなくても良いのです。
天国でゆっくりお酒を酌み交わして下さい。
合掌。
新日への移籍金は、負債を抱えた恩義ある吉原社長に渡したそうです。また、リングアナのケロちゃんが「木村さんのチョップが、あまりにも凄すぎて、猪木さんがまともに受けない様になった。そんな猪木さんは初めて見た」と語っていました。 腰痛からの復帰後、バットニュースアレンとのタッグや、ホーガン、藤浪とのシングルなどの名勝負もあり、その後に猪木とタッグを組むストーリーだったみたいですね。
「猪木・木村vs長州・浜口」の可能性もあったんですかね?
猪木さん、ラッシャー木村さんらがいる天国に旅立ってしまいましたね。ご冥福をお祈りします。
猪木さん、あなたがインディアン・デスロックを極めてお客さんに向け手を叩くパフォーマンスは一生忘れません。
そこから猪木さんは、弓矢固めへ移行してました。
アントニオ猪木さんが、死んだ…。こんな無謀な試合をはじめとする、激闘が予想以上のダメージを身体に負担を掛け続けてきた事は言わずもがなです。それだけ、プロレスファンの期待に応えて、多くの人達を喜ばせて楽しませてくれたことを私たちは、絶対忘れません!最後のお姿は、日テレの24時間テレビでの、痛々しい車椅子姿でしたね。最後のメッセージちゃんと受け取りましたから、安心して天国で、力道山、馬場さん達と再会して欲しいです。
ラッシャー木村さンともね。
ラッシャーのインタビューはこんばんわ案件以前にも全日での試合後のインタビューにも泣き言みたいな事を言っていましたよ。
@@肝山豚之助
「ついてないですよ!!」はこんばんはより笑えたwww
はぐれ国際軍団は、本当のプロフェッショナルだった。
猪木VS国際軍団は自分が初めて金を払って見に行った試合だった
当然、木村さんの応援ですよ。国際ファンだし。
プロレスラーアントニオ猪木の魅力は「驚異的なスタミナ」「高いグラウンド技術・テクニック」「インサイドワーク」など様々あるが、師匠力道山譲りの怒りの表現力はほかの選手にマネ出来ない天才的なものがあった。
正にその通り。的確な表現。
生まれ持った肉体とセンス+努力により得た技術、で歴代最高のプロレスラーであった。プロレス自体が変化していっていることもあり、もうこんな人は出てこないだろう。
本当に楽しませてもらった。ありがとうございました。安らかにお眠り下さい。
浜口は新日本に行って本当に良かったと思う。
国際崩壊後に全日本に行ってたら普通にプロレスの上手い地味な中堅レスラーで終わってた
でも、ジャパンプロレスとして全日に乗り込み、ジャンボとの一騎打ちの試合を馬場さんが絶賛してたね。
@@giantnioinoba2023 ジャパンの一員として乗り込んだのだからよかったんだと思う。最初から全日本に行ってたらマイティ井上あたりと同格で、アジアタッグ戦線に絡むのが精一杯だっただろうね。ただ、それでもフットルースやカンナムあたりとやればそこそこ沸かせることは出来たと思うわ。
やはり俳優と同じで悪役レスラーのお子さんはいじめを受けるらしい!浜口の娘京子もそうみたいだ!彼女は父と同じくレスリングの道へ進む!
小学生の頃リアルタイムで見ていて画面に釘付けにされた
あの試合にこんなドラマがあったなんて
最後の10秒で鳥肌たったよ
猪木さん木村さんと天国で昔話で花を咲かせてるかな
猪木さん ありがとう
木村さんと東京プロレス出身者に対して猪木さん流の配慮は素晴らしかった
冥福を祈ります
これも奥が深いですね。
私はバックランドやジェットシンとの闘いから見ていました。
団体の長、レスラー業、事業多角化、政治にと全力で向き合っておられた姿は、まさに燃える闘魂でしたね。
今日の報道は本当に残念です。
心より、ご冥福をお祈り致します。向こうに着いたら、少しはゆっくりして下さいね。
A猪木・G馬場・R木村・G草津・T杉山・上田馬之助・剛竜馬・J鶴田・三沢光晴・山本小鉄・星野勘太郎・マサ斎藤・橋本真也・冬木弘道・ハル薗田・鶴見五郎・ハヤブサ・ミスターポーゴ・ターザン後藤・サンボ浅子 皆さん天国で新団体設立したらしい😂
この「こんばんわ」事件がのちのマイクパフォーマンスにつながっていくのかと思うと感慨深い
東京プロレスでの絆が時を超えて、あの形になっていたのですね。
国際軍団は新日に使い潰された印象だったけど、そもそも木村はリングに立てる体ではなかったこと、それでもやれる形を考えて精一杯やって、最高視聴率を叩き出したこと。今頃になって知り、感慨深いです。
その結果、ラッシャーだけが一人で人気も立場も微妙になったけど、全日で生きる場所を見つけ、新しい絆と、何よりもファンとの太い絆を結んで、旅立って行ったんですね。
馬場も猪木も国際のエースに敬意を払ってそれなりに大舞台を用意したし、路頭に迷う所に救いの手を差し伸べた。
今の新日本は余りにも作りこまれていて
マイクでもアピールではなくセリフみたいな感じ。
「こんばんわ」とか「お前平田だろう」とか「時は来た亅みたいな
名言?迷言?はもう出て来ないだろうね。
最後に猪木さんのご冥福をお祈りします!
初めてのプロレス観戦が、8:35 の大阪府立体育会館でした。話の通り、当時高校生の自分も怒号を飛ばした一人です💦
その試合前のリング練習で、既に猪木さんがいて、若手選手を二人乗せた状態でブリッジ。首とつま先だけで三人分の体重を支える姿に度肝を抜かれたのが印象に残っています。
今朝、猪木さんが旅立ってしまいました。悲しいことももちろんですが、何年も苦しんだ病魔から解放されて、ホッとした気持ちがあるのも事実です。合掌。
18:39 木村の表情が吉原さんにそっくり
国際プロレスなんだなあ……
ラッシャー木村さんはプロ中のプロですね✨昭和のプロレスラーの人たちは怪我を押してリングに上がってました🔥💪リングの上ではそんな素振りを見せないで戦っていたのは凄い‼️昔のファンも熱かったですね。自分もその一人でした✨
ラッシャー 「なぜ笑う?初めての場で挨拶をするのは当然だろう?」
この時代のプロレスはどこを見ても名場面でした
燃える闘魂、男の美学の集大成、過激なセンチメンタリズム
アントニオ猪木さん、お疲れ様でした、ありがとうございました
この一対三の一回目のハンディキャップマッチは、当時、中3で、リアルタイムで、テレビ観戦でしたが観ました。この試合は、私が観たプロレスの一番のベストバウトです。
黒装束で、入場する国際軍団との一連の抗争は、当時、リアルタイムで観て、強烈なインパクトがありました。
もう、あの抗争を越える戦いは、正直、ないですね。
自分は小6でした
プロレスとは憎しみではなく最後は愛なんですよ、相手を立ててこそプロレスは活きる
そうゆう枠にはまらないのが、猪木プロレス。猪木の常識非常識。猪木プロレスは喜怒哀楽がいっぱいつまった、最高のプロレス。客の想像の上手を行く。
名言ですな・・・
1対3のハンデキャップマッチはハッキリ言って茶番!でもその茶番も好勝負に魅せるのが猪木マジック!そう言う点では世界一のレスラーだ!
まあ、相手をたてないと自分の生活ができませんからね。 それがほんとうのところでしょう。
猪木が当時不甲斐ない新日本の連中に「木村を見習え!」って言ったのはこう言うところなんでしょうね
そのくだりは、浜口さんだったと思いますが…。木村さんもだったのかな?
自分はテレ東で放送していた国際プロも見ていました。新日時代はヒールでしたが、全日で馬場さんとの義兄弟ダッグと渕いじりはほっこりしました。
全日時代の木村さん報われたなぁと思います。
プロの中のプロですね。
1vs3の後、鹿児島遠征で試合後に国際の3人とレフリーのミスター高橋とで飲んだ時の「平吾(浜口)仕事だ」の話も凄いですよね。
木村さんの腰痛の治療費も新日本側から出していたようだし、裏を知れば知るほどプロレスって凄いなと思います。
あの漫画、本当なのかね。浜口は「大会場をフルハウスにして客を沸かせた」と誇りにしている。ギャラも、木村が「桁間違えたのか」と思ったくらい良かったようだし。
@@keitayamamoto8824
余談ですがあの時にボブ•オートンがやらかしたんですよね。
>あの漫画、本当なのかね。
浜口と寺西がミスター高橋に食ってかかった話は当時から聞いた事があるので、少なくてもそれは本当なのでしょう
木村さんの息子さんも「父がこれだけ有名になれたのは新日本のおかげ。
国際プロレスのエースのままだったら、こんなに騒がれることもなかっただろう」と感謝していました。
30年以上前に馬場さんとの義兄弟タッグの試合を初めて観た。
リング上で年上の馬場さんをいたわってて、とっても優しい木村さんの姿にめっちゃ驚いた記憶。
あにきいってお前は水谷豊か?(笑)
東京プロレスで猪木さんの付き人だった木村さん。
憎しみあいのよう見えた軍団抗争だったが、
なんだ、お互いを信頼し、たてあいながら
俺たちを手のひらの上で転がし楽しませてくれたんじゃないか。
国際軍の練習熱心さに、猪木は配下に見習えと言ったという。
尊敬しあってたんじゃないか。プロレスとは奥深いな。
合掌
ヒールより過激な新日ファンが恐い😱
猪木のやることはなんでも正しい!
みたいな新日の雰囲気が嫌いだった。
思うに新間さんがそういう印象操作をしてたんですよね、良くも悪くも新間さんの置土産だったかも?
ラッシャー木村選手のプロ根性は凄いですね。
徹底して、ヒールに徹しきりました。
ラッシャーさんがいなかったら、この時の新日の人気は出なかったかも知れないですね。
ブッチャーが新日にフィットしてなかったですからね。
猪木さんは馬場さん木村さんと仲良くやってますでしょうか。
マサさんも入って、皆様で仲良くプロレス興行をやって欲しいですね。
当時の田中リングアナウンサーも
「あの当時の新日本ブームはタイガーマスクじゃなくて国際軍団のおかげ。タイガーマスクが出てもチケットの売上はそんなに変わらなかった」
「国際軍団との抗争の終わり頃、猪木さんは木村さんのチョップをまともに受けるのを嫌がっていた。すげー痛かったんだろうな」と言っていました。
レスラーだけじゃなくスタッフにも認められていたんだなと思いますね。
これまたタイムリーな話題。
アントニオ猪木(79)のご冥福をお祈りします
プロの中のプロとは、こう言う人の事を言うんだろうな。客を呼び視聴率を取るにも猪木一人では何ともならない。相手が必要なんだよ。安らかに。ラッシャー木村さん
浜口、寺西両選手は1対3という屈辱的なマッチメイクに対しミスター高橋に文句を言いましたが木村選手の「仕事だ」の一言で黙ったそうです。
そんな木村選手に対しミスター高橋は「凄い人だ」と心の中で驚嘆したそうです。
猪木選手、木村選手どうぞ安らかに。
ご冥福を心よりお祈りいたします・・・。
同じ日に後の海賊男が893相手にやらかしたwww
猪木、、死んじゃった… 昭和プロレスの金字塔だった。。金20時代は家族で見てた。。
さよなら。。
ラッシャー木村さんはプロですね😢怪我のいい訳をしないでプロとして全うして改めて凄いです。アントニオ猪木さんもプロですね。お二人のご冥福をお祈り致します😢
偉大な日本の英雄が🪦
当時、ラッシャー木村は失笑を買ったが、他団体のエースだった男が「こんばんは、ラッシャー木村です」といったら、「こんばんは、アントニオ猪木です」と答えなければ失礼だろう。
本当はこんばんはだけ、世界の北野にいじられた。
巨星がまた一つ…猪木が逝きましたね…何度かこのチャンネルでも取り上げられた事もありますが、プロレスというモノの象徴たる人物でしたね…合掌。
猪木さんが亡くなったんですね猪木さんは随分頑張って無理して一生懸命全うしましたね小さい頃から馴染み親しんで北、猪木さんが亡くなったのでいみでの県と猪木さんありがとう天国デモプロレレスやっているかもしれませんねご冥福をお祈り致します。
動画の最後の締め、コメント欄の愛溢れる言葉に、感動‼️
「元気があれば何でもできる」
その通りです。世界史に残したい名言。
本当に、ありがとうございました。
脱力タイムズでの高畑充希の物真似が可愛いかった!関係無いが(笑)
ラッシャー木村、晩年の全日本でのマイクパフォーマンスが温かい人間性を示していた。
普通に「今晩はラッシャー木村です」と言っただけなのに凄い印象を与えたね!
「今晩は、ラッシャー木村です」
たけしさんのギャグですね😁
木村さんは「こんばんは」だけですね😊
ワシは生まれる前から&骨の髄からの猪木信者だがとうとうこの日が来てしまった・・・・・😭😭😭
まさか御冥福をお祈りしますなんて学の無いこと言わないよな😮
言うなら お悔やみ申し上げますだぞ😃
@@パチは八百長
メシウマと思ってるヲマエが言うなwww
時期的なのもあるけど今回は感動した。
ずっとリアルタイムで見ていたが
国際プロレスのモノクロな雰囲気とラッシャー木村の悲壮感が
凄くインパクトがあった。
でも「こんばんは」のおかげで何気にホントはいい人?のイメージもあった。
天国で馬場さんも含めて三人で笑いながら語り合っているのかな。
国際軍団との3対1はテレ朝チャンネルでしていたのでハードディスク保存してますが
改めて保存してよかったです
この時代のプロレスの手法は、いかに盛り上げたままファンを焦らして次への期待を出させるかだった
だからいいところで乱入とかフェンスアウト等で試合が終わり、それで不完全燃焼のファンがヒートアップするというのが日常だった
ファンが熱かった事もあるが上記の事があったのでファンがさらに暴走したという状態だった
髪切り逃亡もそういう仕掛けのひとつ、会社側の指示だっただけに自宅まで押しかけられたのはかわいそうとしかいえない
ちなみに当時は映画やドラマの悪役がそのままだと外を歩けないという時代だった
当時大人気だったドラマ、スチュワーデス物語でヒロインをきびしく指導する役だった秋野暢子は、
どこに行っても「ヒロインを苛めるな」と問い詰められたと後年に告白していた
ラッシャーは男やな!!
これほど勇気を与えてくれた有名人は私にはいない。
当日 会場に 家族でいました。 新間さんが 俺の髪を切れとリングに上がったのは事実ですが ファンがコールでやめさせたと記憶しています。ファンにとっても次々と夢を叶えてくれる新間さんに愛を持っていたとおもいます。
83年9月21日のKO負けは、最後猪木が勝ち名乗りを上げすぐリングを立ち去ったことからも、実は木村を立てていたことをわかってほしい。風邪と腰痛で歩くこともできなかった木村を、醜態とはいえリングに残し少しでも記事にしてもらい、その後の療養期間を「失意の失踪」と印象付けさせる配慮だったわけだ。
そういや寺西氏はどうしているのかな。引退後は一切プロレスや関係者とは交流がないそうで、実はもうひっそりと〇くなっているという説まであるそうだよ。この頃の国際軍団は素晴らしジョブをやっていた。毎回ブック通りに負けてファンの嘲罵を浴びながら退場する姿を古館が落ち延びていくと揶揄していたが、実にそれっぽかった。昭和の幻だね。ファンとレスラーの熱が作り上げた幻想活劇だったんだ。
一時期、ガテン系の親方だったらしいですね。
ラッシャー木村は後に全日入りして、マイクパフォーマンスでお客さんを呼べるまでになった。
ラッシャー木村のマイクは全日プロレスを見に行った時の楽しみだった。
腰痛だけでなく金網デスマッチで負った足の怪我もあったんですよね。
蔵前国技館へ見に行きました!ラッシャー木村さんの家にも何回か行った事あるけどとても優しかった!
泣ける話だね
アントニオ猪木さん
有り難うございます!
闘魂不滅です!
ほぼリアタイ世代だが、まだ会場に足を運ぶことのできない地方の小学生、猪木の糖尿病による体調不良も木村の腰痛にもまったく気がつかなかった
R.I.P
喪失感半端なし
俺も当時まだ子供だったけど、住んでいた千葉に興行が来たときはなんとか一番安いチケット代を工面して観に行ってたぞ。
まさに「元気があれば何でも出来る」
ちなみに会場の外で部活の後輩に会ったので話を聞いたら「チケットが買えないので外でレスラーの出待ちをしてる」とのことだった。
ラッシャー木村さん…。❤大好き😊
ヘアーベンドマッチ、見てたなぁ。負けてトンズラした国際軍団には私もテレビの前で怒り心頭でした。もし現地で見てたら間違いなく暴動に加わっていたと思います。
猪木が絶対に勝つんだと信じてテレビにかじりついていました。今は天国ですべての重荷から解放されて休んでおられることでしょう。ありがとうございました😢😢😢
男の涙酒、平吾仕事だ、猪木さん、木村さんお疲れ様でした
12:45
至極真面目な解説の真っ最中に…シンが猪木の両アゴを掴んでる写真で吹いてしまったw
小学生時代は憎んでテレビの前で興奮していたけど、いま思えばボンヤリと国際軍団がヒールの役割を全うしていたことに気づきはじめる年齢でもあった。お互いコンディションが最悪のなかでこれだけ盛り上げていたんだな。猪木さんと木村さん、天国で何を話しているかな。
相手の技(攻撃)をまずは寛大に受け入れるスポーツ?はプロレスだけ。そこには人生哲学と人類平等の思想が表れている。
猪木木村戦の思いで…猪木が木村の鼻というか顔面中央を殴っていて、木村が涙を流していた事 17:00~ …当時小学生高学年でした。
国際からほとんどの選手が全日に行って、新日は3人しか来なかったのは、
全日の方がいいと思った人が多かったと言われてたけど、
この動画を見る限り「最初から3人しかいらなかった」ということだったんだな。
そういうこった🎉
ほとんどの選手が全日本移籍と言いますが、国際崩壊時に全日本に移籍したのはマイティ井上と若手の菅原と冬木の3人だけです。他は海外に活路を求めたり引退しています。
井上は吉原代表から木村達と一緒に新日本に参戦する事を言われましたが、過去の新日本との対抗戦、ストロング小林の引き抜き等での新日本の態度には不信感しかなく
吉原代表の命令に逆らった井上は馬場と連絡を取り、自身と若手の菅原と冬木も一緒に引き取ってほしい旨を伝え了承された話を井上自身や、井上の移籍に関わった人たちが
証言しています。
阿修羅原も当初は新日本参戦の一人に組み込まれていており、藤波辰爾との再戦を示唆されますが、本人は国際崩壊と同時に引退するつもりで長崎に帰りましたが、井上から
原の近況を聞いた馬場が原と連絡を取り、天龍に挑戦という形でフリー参戦させてから全日本に入団させてます。
鶴見や高杉は井上たちからかなり遅れて海外からフリー参戦しています。
あと木村は新間でなく国際崩壊後、新日本参戦に尽力してくれた吉原代表に対する恩義で新日本に参戦したとも言えます。
@@パチは八百長 人選もピッタリというか、やはり猪木はよく見てる。
当初予定では新日参戦のはずだった阿修羅さんはマイティさんが全日に引き抜いたんですよね。
浜口ー国際プロレス解散とは別に新日本側が個別に引き抜きを画策
木村、寺西ー東京プロレス時代から猪木が評価していて、日プロ復帰時に本当は連れて行きたかったけど、人数制限等の事情により泣く泣く断念。
新日の新間氏と国際の吉原社長との間で国際プロレスのレスラー全員を新日で引き取る約束だったが、猪木が「木村、浜口、寺西の3人で十分、他はいらない」との鶴の一声でこの3人に決定。吉原社長はとても悔しそうだったそうです。
猪木が髪を切られたのと、5分で終わったのは、また別の試合ですよ。この頃の木村さんのヒールっぷりは凄みがあって、僕は会場でいつも応援していました。まわりは猪木信者ばかりでしたが(笑)。
髪切りの丁度1年後が5分マッチでしたね。
遂にこの日が来てしまった、という心境だね。
これまで色々なレスラーの方々の死に直面してきた。
病死、突然死、不慮の死、まさかの若死と様々に。
でも猪木の死は他とは違うイメージ。
自分に取っても猪木の存在はそれだけ大きかった。
ご冥福を祈ります。
国際プロレスファンだった友人は全日は国際の選手を前座扱いしたが新日はメインで扱ってくれたと感謝していましたね。
私がプロレスにのめり込み、無忡になったのは、国際軍団と猪木の一連の抗争からでした。中3の秋にリアルタイムで、テレビ観戦した、一対三のハンディキャップマッチの一回目は、今まで観たプロレスの一番のベストバウトです。
何で失笑するんだ?普通に挨拶しろよ!
ラッシャー木村の「皆さん、こんばんは」は確かに忘れられないセリフで
いつもは見ていない大観衆に緊張してしまったのでしょうか。
その後の、木村のマイクパフォーマンスへに繋がっていったのですね。
猪木さんの配慮、盛り上げる為に木村さんも承諾した上で上手くやり退けたのは、お互い凄いプロ根性ですね
私は「良い人達」の雰囲気だった国際軍団の方を応援していたとは、当時は言えない雰囲気でしたが、その後のレスラー人生で「愛すべき皆様」となり、自分の判断は間違えていなかったので安心しました
後でアニマル浜口さんのジムに通った事がありましたが、娘さんの京子さんに息子さんも、本当に優しく面白い方ですよ\(^o^)/
そして改めて、木村さんと猪木さんのご冥福をお祈りいたしますm(_ _)m
髪切りマッチなら、ちゃんとその会場て切らないとダメだろ。
新日は何を考えてるのかわからん。
木村さんも、猪木さんもそんな事情があったんですね。ありがとうございました!!
国際プロレス マイティー井上のサマーソルトドロップ アニマル浜口のエアプレンスピン ラッシャー木村のクロスチョップ❗いづれも、フィニッシュ・ホールドだった
リアタイで見ていた時は、1対3なんていくらビジネス的に国際側は踏み台にされる立場でもそこまでプライドを損なわなくてもいいのに、と新日に対して批判的に思っていましたが、木村の体調配慮という側面があったのですね。プロレスは奥が深いな~と改めて感じ入りました。Upありがとうございました。
この話を聞くと、腰痛のラッシャー木村さんをどの様に生かすか残すか、馬場さんと猪木さんは裏で話し合いが出来ていたのではと思いました。
一説には猪木さんがラッシャー木村さんを潰したと言われていましたが、潰れてしまった国際のエースがストロングスタイルの新日で脚光を浴びるには、これしか無かったのかも。
散っていったプロレスラーの人生は俺の希望である...
星になろうが、どこにいようがプロレスラーは憧れであり、永遠である...
プロレスラーの方のプロ根性は尊敬出来ますが、亡くなった時はとても悲しく感じます。それも考えて、プロレスラーの方には必要以上の無理はしてほしくないです。
木村サン。最後は良かったね。マイクで人気者になれて
住んでるところが
12チャンネル映らなかったから、いきなり木村さん達が
猪木さんと戦うことがあまりピンときませんでした。
木村さんの扱いが
新日本はひどいと浜口さんが
酒の席で言ったら、浜口さんに、平吾これも仕事だと言ったとか。
馬場さんや猪木さんと違い、
オーナーエースでなかったからできたと思いました。
国際はTBSと切れてから
他団体と対抗戦をする
路線をとりました。
しかし、これは
団体を終わらせた劇薬だった気がします
最初新日本は国際プロレスとの対抗戦で、マッハ隼人、鶴見五郎、阿修羅原も参戦発表されました。しかし猪木は新間に木村、浜口、寺西だけでいい、との事で、3人を一本釣りしました。先ず新間が浜口家に行き、浜口と契約。その後新間と浜口は木村、寺西を説得し契約。木村が1番ギャラが高かったようですが、浜口は年収で国際の3倍くらい良かったと浜口夫人は話してました。浜口は新日本の甘い誘いに乗り、マイティ井上、阿修羅原、アポロ菅原達を裏切ったと話してました。国際魂と言ってても、事実は新日本に一本釣りされたので、都合のイイ奴だなと思ったと言ってました。阿修羅原は新間がほしかった選手でしたが、今更藤波とやりたくないとの事で、長崎に帰るつもりだったそうです。しかし、馬場さんが救いの手を差し伸べて全日本に入団しました。しかし、国際軍団は新日本に潰されまいと頑張ってました。あの頃が懐かしいです。
なぜか長州力は元気だな…結構もう歳なのに…😆
元気があれば天国にも行けると言いたい😭
木村さんが国際プロ時代はじめてアメリカに行った際、当時NWAチャンピオンだったドリーファンクジュニアと世界タイトルマッチをおこない、雑誌のインタビュアーが勝敗の結果を聞くと「私はプロですから。」その率直な答えに人柄の良さがわかりました。
木村さんが「金網の鬼」と呼ばれていた頃は、まだ走れていたんだけど、国際末期には小走りもあんまりできなくなっているように見えた。もうあの頃から腰が悪かったんだろうなあ。
あと「こんばんは」事件は、木村さんのクソ真面目さが裏目に出てしまったそうですね。
あの1対3のハンディキャップマッチの裏にこんな事実が隠されていたとは。
新日との抗争時に猪木は若手選手に木村を見習えと説いていたそうです。その理由が良く解る動画でした。
当時は憎悪の対象として見ていましたけどねw
本当に強くても相手を引き立てる器がラッシャーさんにはある