紫電改
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- เผยแพร่เมื่อ 15 ต.ค. 2024
- 「紫電改」(しでんかい)は、大日本帝国海軍が第二次世界大戦中に開発した戦闘機である。昭和19年4月7日内令兵第27号「航空機の名称」では「試製紫電改」は「試製紫電の機体改造及兵装強化せるもの」として定義づけられている。 一般には、紫電各型のうち、二一型以降の機体を呼ぶものとして使われることが多いが、昭和20年4月11日海軍航空本部「海軍飛行機略符号一覧表」によれば、二一型以降の紫電としては、「試製紫電改(二一型)」「試製紫電改甲(二一甲型)」「試製紫電改一(三一型)」「試製紫電改二」「試製紫電改三(三一型)」「試製紫電改四」「試製紫電改五(二五型)」が存在してる。この項ではこれらを総じて取り扱う。
紫電改好きでこの動画に辿り着きました。
私はまだ30年も生きてませんがこの番組をNHKが製作したのが信じられません。
源田さんや志賀さんといった大東亜戦争を経験した人達が登場されているのもあるかと思いますが、余計な表現がなく、日本を守ってきた先人の方々への敬意を持ちながら落ち着いた口調のナレーションと淡々とした番組構成がとても素晴らしいと思います。
先人の方々と比べると色んな意味合いで日本人は程度が低くなってしまったと感じます。
他にもコメントされてる方がいらっしゃいますが、こんな番組をまたNHKが製作してくれるなら受信料支払いに納得感を持てますね
父親と一緒にリアルタイムでみていました。当時12歳小学6年。
序盤の元アメリカ兵の方の日の丸を「ミートボール」言った言葉で思い出しました。
そこだけで内容はほとんど覚えてなかったので、新鮮な感じで観れました。
小学生の時と今や定年まじかの55歳の立場ではね。
アップありがとうございました。
この番組を観て、昨日念願だった紫電改資料館へ行けました。日土にも行って晴天の中、正午の時報の曲を耳にしながら合掌しました。引き上げ場所を教えて頂いた紫電改資料館の職員の方、大変感謝いたします。
昭和53年(1978年)11月に久良湾で紫電改が発見された事を「去年」と伝えてるこの番組…よくぞ残ってましたね。まだ磁気テープのビデオデッキ自体があまり普及してない頃ですよね。戦死者の奥さんのみならず母親がインタビューに答えられてる貴重な資料映像だと思います。
同じ国かと思うぐらいカッコいい。人々の落ち着き、一つ一つの言葉使い、もう取り戻せない気がして悲しくなる。
頑張って取り戻しましょう❗
日本を取り戻したい
取り戻すより自分達で作り上げろよ
手始めに半島でも(いらない)
昭和50年代の貴重な映像。元パイロットたちもまだ50代半ば。鮮明な記憶で当時の思いを語ってくれた。ゼロ戦の2倍の馬力と性能でF6Fと互角以上に戦い、B29には高度1万メートルで果敢な戦闘を挑んだ。特攻をよしとせず、戦闘機乗りとしてのプライドを持って大戦末期の空戦史にインパクトを残した。少年時代に読んだ漫画「紫電改のタカ」を思い出した。
戦争関連の番組で
NHKがいい番組作ってる…
この頃のNHKに戻ってほしい
視聴者も声を上げて、外国人勢力を排除しなければ。公共放送だからこそ日本国・日本人の為の局にしないと。
@@machi554
その通り
引き上げられた紫電改、実際に見に行きました。外で紫電改が沈んでいた海を眺めていると、職員の方が出てきて説明してくれました。戦争とは悲しく、虚しいもの…勝とうが負けようが、大切な人がいなくなってしまいます。戦争で亡くなった全ての方々に、心の底から深く哀悼の意を捧げます。
40年前の番組がこんな綺麗に残ってるのは貴重だなー
18:29付近『参謀をね、特攻をやる特攻をやると言っている、どういうものか、私の後ろに乗っけるから、最初にね来なさい。それだけの気持ちがあるのなら…』あの戦争中にこれだけのことを言う勇気、気骨そして責任感に感服してしまった。
日中戦争、真珠湾と最初から最後まで戦い抜いた壮絶な経歴を持つお方
さぁ~てね、ほんまに当時言うたか、わからへんよ。わしは兵学校出の奴は信じてない。
歴史的価値のある映像をありがとうございます。
こういう番組も無くなり寂しいです。
私も愛南町に紫電改を見に行きお詣りしてきました。NHKのレベル低下はひどいもんですね。
ワイプもなければ変なタレントが取材していない今のテレビとは違う真剣さを感じた
ドキュメンタリー番組とは本来こういう淡々としたものだった筈なのにいつからあんなオチャラケ番組になってしまったのか?
おそらく受信料の未払い問題が出てからおかしくなったのでは?
ahoka100 その通り
@@ホヤぼーや-e8f 個人的にアナウンサーがバラエティ化したのが原因なんじゃないのかなと思う
@@キュウベエ-k8z さん
確かに「女子アナはアイドル」と勘違いしている人もいると思います。アナウンサーはニュースをきちんと伝えるのが本業。
当時は、着色や特定の思想に沿った内容でなく、ありのままのドキュメンタリーが放送されてたんだなあ。
TH-camで簡単に閲覧出来るのも時代だなあ。
大変良い番組でした。当時のNHK(今じゃないw)と日本を守ってくれた軍人さんたちに感謝いたします。
戦争を二度と起こさない、神格化するな、とか言っている、「自称日本人」には理解できない番組ですね。
当時の日本の外交状況も知らず、日本国内の『財閥』、軍の内情も理解せず、なぜ日本が戦争という道を選択してしまったのかを知っていただきたい。
西洋列強国に四方を囲まれ、未成熟な世界、周りの国は植民地化は合法で、麻薬付け、奴隷化、資源は日本に回さない、「欲しければ自力で確保してみろ」の中で選択した結果を…
戦後に戦勝国の都合で歪曲、教育的に「作られた日本人」が跋扈、共謀した「中国と半島民族」が力のない日本から、「今がチャンス」と言わんばかりに謝罪と賠償を要求。
力のない日本の信用を失墜させたこと、戦後賠償金額と期間を調べたことありますか?敗戦他国と比べたことありますか?
「後の日本のために」と、戦時下で日本を守ってくれた大切で貴重な戦闘機ですよ?日本という国が世界から「所詮、極東の奴隷国」として未来永劫見られないように、後世の日本人の未来のために、命をかけて戦った、まさに「英雄」の一部ですよ…
戦い傷つき眠りについたその姿を見ることができたのは、「日本人」として言葉にできない思いがこみ上げてきます。
日本国内には「永住許可証」をもった「反日、在日」がおりますが「永住権」と勘違いしている輩は「永住許可証」を取り消し「スパイ防止法」を盾に母国にお帰りいただきましょう。
自国のために戦った人たちを「戦犯」と呼び、「美化」するなという輩は「日本には必要ですか?」
この動画を見た方々の中で、自らの命をかけて。あなたの家族や愛する人たち、隣人のために戦えますか?
目の前で、国を焼かれ、愛する人が目の前で死に、ぶつけようのない怒りと、絶望の中でですよ?…
「戦時下の日本人は戦った」のですよ、「命令されて、逃げ場もなくて、強制されて、」それでも彼らは戦ったのですよ…
自分にできないことを命がけでやってくれた人には「感謝」こそすれ、誹謗中傷するなど、それこそ「自分でやってみろ!」と言いたいですね。
国会にも「自称日本人」がおりますが「朝〇新聞」と一緒に日本から出て行っていただきたい。
我が国を守ってくださった「英霊の一部」として、戦時下に「日本の未来のため」戦い、思いをはせた「未来の日本」のなかで、
我が国、日本は世界に胸を張れる国になれたでしょうか?…
今は安らかに我が「日本国」を見守っていただきたいですね…
昭和生まれです
分かりやすい解説を 有難う御座います。
私が 知りたい事 動画への意見
全てにおいて 完璧に 網羅されていました。
何故 日本は 戦争と言う道を選んだのか?
その辺りの 事実を再確認したくて
色々と調べていたいた所でした。
で、
お前に何が解ってるの?
近年の自称「愛国保守」なんて似非だろ? お前もその中のひとり コメントの中身がそれを物語ってる
感動しました。
あなたが綴ってくださったその想いは、私が今までずっと心の中にあって、上手く言葉にできなかった真意そのものです。
本当に、その通りと思います。
日本人は、日本人であることさえ忘れてしまった。自らの命と、目の前に当たり前のように広がる平和が、屍の上の築かれたものであることも直視せずに。
自らが生きるこの日本を護ったのは、他でもない先祖だというのに、感謝も忘れ、報いることもせず、むしろ悪者として扱う。
本当に、この国の未来が心配です…。なんとかして、繋いでいかなければ…、このままでは顔向けできない…。
丁寧にフィルムで撮影されたドキュメンタリー。素晴らしい記録だと思います。
みんな思い出しながら楽しそうに話されますね
わたしも元F-15の整備員ですから気持ちが分かります。
24:45 コクピット何です?
コクピットが通じず風防と言い直すのがリアル
終わりころの戦中を生きておられたであろう女の人たちの言葉が身に染みた。
亡くなっているのはわかっているけど、せめて遺骨だけでもって・・・
このの女性達も苦労しているというのに、なんという優しさなんだ?
痛みが解るから優しいのではないでしょうか…。
今の NHKとは 違う まともな 放送していますね。
登場されてる方 皆様 道徳観が あり 今の 日本とは 別の 国みたいですね。 道徳ある 日本を 取り戻さないと いけませんね。
英霊に深い感謝を 思います。
瑞翔
大切なことだと思います
武藤さんの奥さん、凛としてて、亡くなった後、30数年の回顧録なのに嬉しそうに笑顔で話してくださってますね。よっぽど誇りに思い愛していたのでしょう。貴重な映像ありがとうございますm(__)m
大村生まれ大村育ち大村在住です、幼少期戦争の話しを聞くのが好きで祖母から第21海軍航空廠で働いていた時の話しや大村大空襲の話しをよく聞きました、17:33の公園(通称:山公園)は近所に今もあります、山公園の近くの中学校に通っていたのですごく馴染み深い公園です、山公園は戦時中、空襲から飛行機を守る為に山を飛行機型にくり抜いて収納し空から見えないようにしていたと子どもの頃に聞いた覚えがあります、なのでこの映像はすごく感慨深いものがありますし貴重な資料ですね、当時戦闘機の隠し場所だった所が子ども達の遊び場となり、現在も子どもの元気な声がいっぱい溢れています、戦争の歴史を知ればそんな当たり前の日常風景にも幸せを感じますね
昭和54年7月24日の式典で、「紫電改は浮上した今、何事も語らずただ黙々と翼を休めております・・」に始まる源田司令の弔辞は、切々として人々の胸を打つものがありました。
当日の様子は、生放送では観れませんでしたが、夜のニュースで拝見しました。報道陣の過熱ぶりは異常で、14日に取材中のセスナ機が失速して海面に墜落、乗っていたパイロット、記者全員が死亡する事故もありました。
紫電改って本当に凄い戦闘機だったんでな。物量不足の時代にこれだけの戦闘機を開発して戦ったのは凄いことだ。ただ今の日本はこう言う番組を放送せず恰も兵士が悪いかの様に放送してる。それだけは頂けない。祖国のために自らの命を捨てて戦った方々に失礼だ。こういう動画があることが凄い。この動画が消されないことを望みます。
個人的には同じエンジンを積んだ陸軍の四式戦闘機の方がより一撃離脱向きで強そうに思える。
@杉田庄一 杉田さんも菅野さんも機体の不具合で死んだわけじゃないんだが?菅野さんは機銃の筒内暴発が原因で墜ちたから機体の不具合とは一切関係ない。機体自体を責めるよりも整備した人か九九式二十粍二号機銃四型を製造した会社にその怒りをぶつけるのが理に適ってると思うよ。それに川西航空自体戦闘機開発のノウハウが一切ないわけじゃない。強風を作ってそれを発展させて紫電にしてるしなんなら川西は紫雲一一型の時点で他のどのメーカーも実用化してなかった二重反転プロペラを導入、ほぼ実用段階に漕ぎつけてるぐらいには技術力のある会社だが?少なくとも欠陥だらけで思想遅れの烈風とかいう零戦を無駄に拡大して被弾面積増大のリスクを増やしただけのような機体を導入されるよかマシだったと個人的には思うけど。
30:00〜武藤さんの語りのなんて柔らかて綺麗なこと。色々と考えさせられます…
引き上げる時、ご遺族の方の「長い間、ご苦労様でした。」という言葉に涙です。 敬礼
この頃はまだ戦争を体験した方々が健在で、生々しい貴重な証言をされている。源田大佐や志賀少佐は書籍でしか知らなかったのでインタビューは初めて見た。志賀少佐の「特攻を推進した参謀も連れていく」みたいな発言は芙蓉隊の美濃部少佐と同じ考えだったのかもしれない。
当時の戦争経験者のお話は大変貴重 これこそが当時の皆さんの考えや気持ちなんだね。
引き上げられてる時の見学している人たちの言葉に涙が出た。
小学生の頃読んだ漫画【紫電改のタカ】を思い出しました。滝城太郎が最後に紫電改で特攻に行くシーンで泣きましたね。
とてもすばらしい動画だと思います。
この頃のNHKは思想的に偏ることなく、番組作りをしていたのですね。
永久保存すべき貴重な動画。
さすがNHK制作のドキュメンタリー。引き上げた機体は愛媛県愛南町の紫電改記念館に展示してあり、塗装を施してあるが細部は朽ち果てている。祖国の英雄と保存する愛媛県、施設関係者に感謝したい。
番組中に登場された故今井さんのお母様、「10年に一回戦争なんてやっていたら・・・明治の人は楽に逝った人はいない」これは、痛烈に響きました。
私は少年の頃から紫電改が大好きで、愛媛の紫電改博物館には何度も通っています。
時期は申し上げられませんが、顔見知りになった地元の非常にお詳しい方とタバコを吸いながら、不時着地点を見て当時に思いを馳せたことがあります。
その方曰く「機体の中にはご遺体があったはず。引き揚げた直後にすぐに当時の源田指令(引き上げ時国会議員)が機体に駆け寄り、中を覗き込みました。その直後に大声で誰も近寄るな!と特にマスコミに対し厳重に戒めていました」
海中での撮影映像がありましたが、実際に引き上げて海水を抜いた地上での光景は違うはずです。
昭和50年代初期はまだ米ソ冷戦のさなかで、日本国内は極端な歴史否定が強かった時代です。
こういう時勢の中でもしご英霊の姿が日の目に晒されたら、身元が判明したら、これを源田隊長はご心配されたはずです。
ちなみに、引き揚げ直後の上記の火事場のような映像は一切公開されていません。
いや見つからなかった言うてるやん、そんなことを隠す意味がわからん
すべて素晴らしい内容です。関係者のご努力に感謝します。
343隊員&お母さんはさぞ悔しかったと思います。80のお母さんの語で目から汗が止まりませんでした。
この当時はまだ闘った方たちが元気だったし、それを送り出した方たちもちゃんと話をすることが出来た。
だからNHKも今のような嘘報道が出来なかったのかな?
同じ番組を作れとは言わない。
でも、再放送くらい出来るだろ?
受信料不払いが嫌ならそれくらいやらないとNHKに未来はないぞ!!
その通り
ホントそれ
『国営放送』のあるべき姿。
NHKよ。
我々の、この日本国を「信じられない確率」に賭け、文字通り身を挺して守り抜いてくれた英霊方に敬意をもって、このクオリティの番組をもう一度作れる放送局に戻れた暁には、受信料など今の倍でも払って進ぜよう。
こういう番組今も作ってくれるなら受信料払ってもいいな
だな....
君らが払わんから制作費も少なくなっていくんちゃうの?
大した金額ちゃうんやから払えよ
松茸
それは違うな…
平均年収¥2000万円で製作費が足りない訳がない
@@赤坂-z9q
ちなみにあなたの家は受信料払ってますか?
払ってたらごめんなさい
SaitaniMr どうでもいい商品を押し売りで来て月払いで3000円払ってと言われて払いますか?
たとえはどうであれNHKがやってる事はこういう事ですよ
すべての兵士が悪いことをしたかのような戦後教育を見直す時期にきていると思う。あの時代にあれだけのものを作り運用したアジア唯一の国家がここにある。なぜご苦労様と言えないのか。再放送を望みます。
戦争はみんな悪くてみんな正しいんだよねー。それは兵士や政治家だけじゃなく、国民も。
それを忘れちゃダメ。
そうですね。震電を造った会社なんて、造った事を後悔そして恥だと思っているようですしね。戦後教育の賜物ですね。当時は戦争でした。兵士が十分に闘える様に、日本国民を護れる様に少ない資源でそれも短期間で作り上げたのは本当に凄い事です。人殺しの道具を造ったととらえずに、これだけの技術が日本にはあった。そのことを誇り自信を持つべきです。
戦争は良くない事だけど
当時戦った航空機
それぞれ参戦した国の代表の機体
そこに日本の戦闘機が存在したのは
本当に凄い技術力なんだと思います
も😊
貴重な映像
志賀飛行長は気持ちは熱く、頭は冷静なお方ですね。
自分も志賀さんみたいな男になりたい!
昔のNHKはしっかりしてたよ
指差し裁判とかのドキュメンタリ作ってたし
そのお陰で俺は目が覚めた
11分過ぎ、元F6Fパイロットのインタビュー中、100マイル=160kmのテロップ、正しくは185kmでしょう。海軍や航空関係者なら Nautical Mile(海里)を略して、日常的には単にマイルと表現するはず。NHKさん、陸上マイルと混同してます。この場面では誤差の範囲といえるかも知れないが、500、1,000マイルとなると迎撃・反撃する側からみても無視できない差になる。
もうこの写ってる戦前の人らもう皆死んでるんだろうな
貴重な映像
長い間ごくろうさまでした、て言葉に泣いた。
アメリカとガチで戦ったのは日本だけ
それとUP主ありがとう
皆さん言葉使いが綺麗です
50年後は、「やばい」が綺麗な言葉になるかも
@@play-rt1su
この映像の頃は「ヤバい」って言葉は不良くらいしか使いませんでしたからね
儚くも誇り高き先人達の御冥福をお祈りします。
今の日本が在るのは貴方達のおかげと心より感謝いたします。
そういうのいらないから
@@jam-ojisan333 通報しとくね
昭和のNHKは、九州ローカルだが、開発者の鶴野正敬氏をスタジオに招いて、作家の人と局地戦闘機・震電について語り合う番組を放送したりした。
紫電改かっこいいな
世界の中でも美しい機体
むたさきさん
ぜひ 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城の
紫電改展示館へ
当時のNHKの意識の高さよ。
40年以上前は元軍人の人はおじさんたちだったから戦争を身近に感じましたね。
他の人のじいちゃんもほとんど戦争に行っていたしね
元パイロットの方々がまだ若い! 超貴重な動画
笠井智一さん中年期も明るくて良いですね。当然、僕は、笠井さんが戦争や空戦を賛美してるとは思ってません。ただ、僕の中では特攻から還って来た人も、シベリア抑留経験した人も地獄のニューギニアを経験した人も長生きした人は基本的に明るい人が多かった印象があります。もう直にお話聞けた方は亡くなりましたが。
ありがとうございました。
近々見に行きたいと思います。
写真の搭乗員の方が輝いていて、ご遺族の方の気高さも伝わってきました。
昔の日本人は凄かったんだと改めて感じます。
これだけの生の声、映像資料があるにも関わらず
今の電波は史実を捻じ曲げる行為を平然と行っているのに危険を感じる。
捻じ曲げる事によって得をするのは誰だ?
中国と韓国、それらに利を供する組織です。
志賀さん格好良すぎる
英霊の御霊に感謝申し上げます。
そして日本人の開発力を誇らしく思います。
ただこのせいもあって、米は未だにビビって日本独自の戦闘機開発を認めないね。
志賀さんかっこよすぎ
坂井三郎さんが記者に何故武藤さんが撃墜されたか聞かれて
絶対に落とされない戦闘機パイロット
流れ弾だ!って激怒してたなあ
19:30 逆さ落ちしで攻撃する方法は菅野直大尉が南洋諸島での経験を活かした実戦法で、内地に帰還時に皆に説いて回っていたと聞きます。
17:51 志賀さんは戦後に再整備され米国の星のマークのついた紫電を空輸した。その時スローロールをして怒られたらしい。
「銭」に毒され我を忘れた現代人。早い人は15歳頃からの「国の為・家族の為」にささげた「御霊」に感謝あるのみです。黙とう・・。ありがとうございます。【世界最古の国・日本国」誇を持ち、【後世に繋ぐ義務がある、大和民族の誇りが有る】
引き上げられた場所の近くの展示館に復元されてます。 ちょっと不便ですが車の方はぜひお立ち寄りを ちばてつや氏の寄贈された色紙が見ものです。
全く今の番組の作り方と違いますね。番組に出演された方々・戦死された方々に寄り添っています。翻って今のNHKは酷すぎでしょう。
この不時着水した紫電二一型の搭乗者は愛知県出身の武藤金義少尉であった事が2014年12月10日と11日にNHKで放映された「撃墜3人のパイロット前・後編」で明らかにされましたね、いずれにしても出撃して還らぬ人となった搭乗員の方々全員が若い命を賭してご自身の御家族やこの日本を必死に守ってくれたのですよね。(涙)
残念ながら、武藤少尉の搭乗機とは断定されてません。
wikiによると「戦闘301飛行隊の機体と思われることなどから武藤金義の機体である可能性も高い」ということです。
天魔王第六 ご遺体の一部は、やはり見つからないのでしょうかね。
ずいぶん長い間、海の中だと、骨の髄まで魚に食べられちゃったんでしょうか。
@@hebereke767 あのあたりの潮の流れはなかなか早いので流された可能性が高いですね!
20:38 川西航空機工場は現在の阪神競馬場です。それにしても凄い爆撃
日本で残された唯一の現存機体。昭和54年に引き上げられたものでそうですね。子供のころ、後に「あしたのジョー」を描かれたちばてつや先生の連載漫画「紫電改のタカ」で、機種名だけは知っておりましたが。それにしても、優秀な(それも10代もいる)パイロットと世界に誇れる航空技術を特攻という究極の浪費に振り向けようとする戦争なぞ・・・。すべての戦争は悪であるといわれますが、やってみなけりゃわからない戦争、負ける戦こそは、絶対にしかけてはならないものだと思います。靖国の遊就館で、戦闘機や回天・桜花などの機材展示は見ることができても、機材にのったであろう先達やご家族の遺品や書簡などの展示はその前を通り過ぎることしかできませんでした。当時の日本に真珠湾以外の活路、外交、植民地政策はほんとになかったのでしょうか?兵事を外交の手段の一つとせず、外政・内政と軍事の立ち位置を取り違えたのでしょうか?
源田実さんの目にはすごみがある。この時代を生きた人間の気概を感じます。すごい。
海軍大佐って感じ
「紫電改の鷹」という漫画を読んでしました。
もっと早く実践装備されてれば戦況も違ったと言われてましたね。
戦争は拙いです。でも人間が存在する限り無くなることはないでしょう。
Bー29を落とすには紫電改しか無かったんだと言う事がよく分かりました。戦争には使って欲しく無かったけど、戦争がなければ!皮肉にも、紫電改は生まれて無かった。
戦時中大村航空隊より飛び立つ紫電改を見たとき艦載機と考えていた出撃10機で帰途7機であった豊後水道で空戦が合ったと知りました。
綺麗に機体残ってるし
プロペラも4本綺麗に曲がってる所を見ると
綺麗に不時着水したように見える
この着水の仕方だと搭乗員は直後は存命だったんじゃない?
この後別の機で出撃して亡くなってる可能性もあるけど…
祖父に小さい時、頃何度か連れてってもらったなー
今思えば海軍飛行隊の志願兵だったからなのか只眺めてコレが要撃機だ。くらいしか言わなかったが、何か思う処は有ったんだろう。と、この動画を見て思い出したよ。
物資不足か軽量化か知らんが増槽は竹とゴムで出来てた。
その時はシデンカイ?(´・ω・`)だったが、なるほど壮絶だな343空
米軍機の増槽は「紙と樹脂」で出来てたとか…落として味方に当たっても被害が無いようにしてた。(使い捨てだし)
米空軍司令官が戦後初めて厚木に降り立った時、最初に言ったのが「紫電改(の自動空戦フラップ)を見せろ」というのは有名?な話…余程ビックリしたんだろうなぁ。
ヘルキャットに紫電改、ムスタングに震電、サンダーボルトにキ94と、全てに超えて来る「アジアの遅れた野蛮な小国」を見直しただろ…
レーダーも誘導ミサイルも着想は日本が早く、若い人はヤリたがったそうだけど、開発部局長に「そんなオモチャみたいな物に金を出せるか!」と言われて頓挫したとか(大鑑巨砲主義の老害)
動画に出てきたほとんどの方が亡くなっていると思うしやはりこうゆう動画は後世に残すのに必要だな(40年前のNHK)
瀬戸内海や四国沿岸で底引き網漁をするとよく飛行機の残骸がかかったそうです。四国の漁港にあるとある飲み屋さんでは錆の塊のような機関銃が飾ってありました。無理言って下ろしてもらうと「九九式二〇粍一号機銃三型」の銘板が。三四三空の紫電用と思われます。と説明したら感心されました。一応警察に見せたそうですが錆の塊だし発射能力も無いからOKだったそうです。お店の守り神と女将さんは言ってました。いまでもあるかな?あの店。
お店の名前を覚えていたら教えて欲しいです。
戦争経験者からすれば、ようやくお務めから帰ってきたんだから“ご苦労様”だよな。
46:25 〜
先の大戦が何だったのか ハルノートから考えるに よくわかる
イカリ落として潜るのも個人的には度胸あるし探してる最中に戦闘機があったとか興奮より恐怖が勝つ、、、
この飛行機を保存施設で見ました(2018年3月)が建物も狭く設計が良くなく 更にものすごく分かりにくいロケーションでした!今は鶉野飛行場跡でレプリカが見られますが当時どうしても実機が見たくてマジ探しました
この頃のNHKはまともな放送していましたねm(_ _)m
今じゃマスゴミの一翼だもんな、、、(苦笑)
この番組、当時父ちゃんと一緒に観てたなぁ…(>ω
それ何気に凄いですね。
戦う相手がこの地球上では、過去のいつの時代も、人間同士(時には野獣も居ますが)とは、平和ボケかもしれませんが、
これから先も、人間はお互いを分かり合えることは無いのでしょうね。戦うことで守るべきものは自身、家族、民族、国・・・。
でも今一番は、この地球でしょうね。この人類が集う地球を(様々な意味で)お互いが守らなくてはと思いますね。
編集もフィルムでやってるけど、いつ頃の製作・放送ですか?
18:30よくぞ言ってくれました!
戦後GHQがやった全ての事の逆をやれば日本は生き返るよね
それはないね
3:50 「所謂、二式大艇の製作で知られたメーカーである」
二式大艇ってそんな一般人からの知名度高かったの?
メジャーだと思いますよ。
最初の紫電はフロートのついた機体だったと聞いた気がしました。それで翼が胴体中ほどにあり脚の長い形になったと・・それを下にして改良型で紫電改と、ちょっと聞いたことがあります。
「紫電」ないし「紫電二一型」又の名を「紫電改」はもともと「強風」といふ水上戦闘機でした。「強風」は設計当初、二重反転プロペラなどの新機軸を搭載した最新の戦闘機になる予定でした。しかし予定していた二重反転プロペラや発動機は非常に厄介者で(後に通常のものに変更)また機体性能も零式艦戦を改装した二式水戦に劣るよふな代物でした。しかもその頃になってくると既に水上戦闘機が活躍する場もなくなりもはや用無しのよふな存在となってしまったのです。そこでこれを陸上戦闘機にしよふと考えられ造られたのが「紫電」になります。「紫電」は俗に言えば発動機の変更とフロート撤去、それに伴う脚の設置などを行ったものです。しかし「強風」の設計をほぼそのまま代用した為、水上機特有の中翼配置の主翼に脚を付けることとなってしまい結果として脚が長くなり接地時に折れて事故を多発させる原因となってしまいました。これとその他多数の問題を解決する為に再設計されたのが「紫電二一型」、俗にいふ「紫電改」です。
元予科練の人が50歳だった時の映像かあ
1979年(昭和54年)に放送された映像だね。
戦争から34年ですか...
城辺町呼びに時代を感じます。今は合併して愛南町になってますし。紫電改資料館のリニューアルがとても楽しみです
貴重すぎる映像。
ドリフターズからきましたデストロイヤー菅野
最高だった。
こんな戦況においても多くの若者達を戦場へと送り続けようとした国が憎い.
しかし,この命があったからこそ,日本は再び立ち上がれたのかもしれない.
この絶望的な局面の中,勇敢にも死闘を選んだ先祖達に深く敬意を表する.
そして,このようなおこがましき戦いをせず,また子供達にもさせないと誓う.
mute litse 戦争は一度始めたらどちらかが焦土になるまで辞めれはい
国が憎いとか、おかしな言いざま、戦況は勝つこともあれば負けることもある。大東亜戦争は一億の国民すべてがそれぞれの立場で戦い、一億の国民すべてが負けたのだ。
国が憎い?
本当に憎むべき存在は何者だったのか忘れてはいけない。
時代は変われど祖国防衛の是非は変わりはない。
凄い映像だ。世界有数の航空技術が全て奪われたとは
まだ日本は終わってない。負けて勝つ!
零戦があまりにも有名すぎるから、紫電改がどれほど凄いのかという事が知れ渡っていない気がする。この飛行機が量産されていたら、日本海軍もまた違った戦いができていたのだろう。
やべえインタビューに出てる面々が若い
また愛南町に紫電改に会いに行きたい🙏
この生き残りのパイロットが、空自を作り上げました!、源田実、元上司 山田良一、by 空自OB
1番の腰抜け野郎は上で指示しかしない連中でしたね。
日本の伝統芸能と思います。今も似たような事例が後を絶ちません。
9:30 結構昔のNHK特集でしょうが、このNHK解説の紫電改諸元性能データは、どこから持って来たんでしょうかね?
1990馬力、最高速度796㎞/hって?! Junkers Jumo 004搭載のジェット機じゃなみ。当時のグロスター・ミーティアより速いのでは。急降下速度ならまだ理解できるのですが。
太平洋戦争との表現はGHQの影響だからしょうがないかな。「大東亜戦争には勝った」くらいの表現はして欲しいな。
ガンダムの皮肉屋キャラ、カイ・シデンの名前の由来です…