紫電改はなぜ日本に一機しか現存しないのか?34年間の時を経て海底から引き揚げられた紫電改の着水(現代の地形地図)と海中、クレーン船剣山号で引上げ、麦ケ浦基地回天隊沖、高茂衛所沖を経由Release12

แชร์
ฝัง
  • เผยแพร่เมื่อ 15 ต.ค. 2024
  • 34年間の時を経て海底から引き揚げられた紫電改の着水を現代の地形地図に着水した場合のイメージ動画です。
    1978年(昭和53年)11月に、愛媛県南宇和郡城辺町(現・南宇和郡愛南町)久良湾の海底で1機の紫電改が発見されました。
    この機体は、翌1979年(昭和54年)7月14日に起重機船(クレーン船)剣山号により引き揚げられました。
    引き揚げられた紫電改は台船に乗せられて、人間魚雷回天8基が配備されていた基地回天隊(第十一回天隊)があった麦ケ浦沖、海軍呉鎮守府所属の高茂術所があった高茂岬沖を経由して、旧西海町の半島を回って船越の瀬の浜まで運ばれました。
    7月15日夜に愛南町船越で陸揚げされ、徹夜の運搬作業で16日午前5時ごろに馬瀬山に到着した。
    その後、プレハブの仮設保存庫に覆われ修復作業が行われた。
    大日本帝国海軍が第二次世界大戦中に開発した戦闘機で、1945年(昭和20年)7月24日に広島県呉を爆撃して、土佐沖に引き返す約200機のアメリカ軍を迎え撃つため長崎県大村基地から三四三空の21機が発進し、豊後水道上空で会敵し戦闘になりました。
    その戦闘による未帰還機6機(鴛淵孝少佐、武藤金義中尉、初島二郎飛曹長、米田伸也飛曹長、溝口憲心上飛曹、今井進上飛曹)のうちの1機で、現在は愛媛県南宇和郡愛南町の南レク馬瀬山公園に日本に唯一現存する紫電改として保管展示されています。
    紫電改(紫電21型)
    U.Sコードネーム:George
    局地戦戦闘機「紫電改」の特徴
    1ゼロ戦を上回る速度、上昇性能、攻撃力、防弾性、防火性
    2コンパクトでありながら大馬力エンジン
    3自動空戦フラップ(高速機でありながら旋回性能が良い)
    全長:9.34m
    主翼:11.99m
    高さ:3.96m
    時速:620km
    装備重量:4,860kg
    エンジン:2,000馬力
    機銃:20mm固定銃4挺
    60kg又は250kg爆弾2発搭載可能
    昭和19年から昭和20年、8か月間に約400機制作
    川西航空機(現新明和工業)
    海外に現存する3機の紫電改
    日本各地から集められた陸海軍機は、まず第1便として護衛空母バーンズにより運ばれました。4機の紫電改(製造番号:71号、533号、5218号、5341号)は、この時に運ばれ、11月16日に横須賀沖を出港し、太平洋を渡り、パナマ運河を通過してアメリカ東海岸ニューワークで陸揚げされました。第2便が護衛空母コア、第3便が護衛空母ボーグでした。
    バーンズ輸送リスト(昭和45年11月3日報告)45機の内、4機が紫電改(製造番号:71号、533号、5218号、5341号)
    現在は、
    スミソニアン博物館の国立航空宇宙博物館(川西5341号機)、
    ペンサコーラ海軍航空基地内 国立海軍航空博物館(川西5128号機)、
    ライト・パターソン空軍基地内 国立アメリカ空軍博物館(川西5312号機)
    の3機がそれぞれ展示されている。
    海底の紫電改
    昭和20年4月21日に被弾して不時着した機体が阿久根市脇本の沖合およそ100メートル、水深3メートルの海中に1機が沈んでいます。
    基地回天隊(第十一回天隊)
    本土に対する連合軍の上陸作戦に備え、予想上陸地点に基地回天隊が配備された。回天は、111機配備され、大神基地で訓練された搭乗員や整備員が昭和20年(1945)8月3日に第二十一突撃隊第十一回天隊として麦ケ浦に8機が配備されたが、出撃することなく8月15日に終戦を迎え解隊されました。
    海軍呉鎮守府所属の高茂術所
    昭和16年(1941)に兵舎三棟が完成し、豊後水道に侵入する敵艦船と潜水艦に備え海中に600キロの設置機雷71個を敷設、60キロの接触機雷4.800個も設置して、海底には6基の水中聴音機を備え付けてありました。
    #紫電改
    #Blender
    #ダークツーリズム
    地理院地図3Dデータを使用

ความคิดเห็น •