ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
天才と凡人。実は逆ではないかと思いました。藤野は凡人に見えるけど、なんでもできてしまう天才。京本は努力するしかなかった凡人。
仕事電話のシーンは、本当にリアリティが高かった。あんな会話を、あんなトーンでしたことありますわ。
京本にとってのルックバックは藤野の背中を見ること。藤野にとってのルックバックは振り返り原点に立ち返ること。
初日の一回目に観に行ったんですけど、小規模スクリーンながらほぼ満員。平日の朝一でほぼ満員で入場者特典もらえるか、不安になったほど・・・。案の定、藤野のラストシーンで涙ぼろぼろ・・・。一時間もない映画なので、大丈夫かなぁと最初思っていたのですが、結局そのあと、連続でまた視聴・・・。ほんと後悔なく二回連続観れる映画でした・・・。ただのほんと大傑作ですね・・・。
自己表現を誰かが見て喜んで褒めてくれる上に描いていて楽しいっていう理由だけで絵を描き続けるクリエイターの長い長い思い出を1時間に詰めて流されたらそりゃ泣くよ………………映画を観ていて藤野のように私も絵を描くのをやめようか一瞬悩みましたが結局は手にペンを握っているし応援してくれ一緒に描き続けてくれた京本との思い出を振り返るシーンを見て映画館を出ると同時にまた描きつづける事を決意したそんな背中を押してくれた映画でした文章がぐちゃぐちゃで申し訳ないです
大げさじゃなく、50年の人生で最も心に刺さった映画である。既に3回映画館で鑑賞したが、ここまでのリアリティは本当に秀逸…作画はもちろんのこと、セリフの全てがあまりにもリアル。音楽も素晴らしい。最後のシーンで藤野がもう一度立ち上がってくれて本当に良かった!京本も最高の笑顔になっていると思う。観賞しようかどうかを迷っている方、是非劇場で鑑賞してほしい。そしてすでに観賞した方々、見れば見るほどこの映画の素晴らしさに引き込まれる。さあ、また劇場に足を運ぼう。
同感です👍
5:03 秋田在住なのですが、京本の「秋田弁」はほぼ違和感なかったです。秋田は広いので方言が何個かあるんですが、藤本タツキ先生出身エリアの方言はあんな感じですし、景色や空の色は秋田のそれを思い起こさせるものです。自分はものを作る仕事をしてるので、冒頭から嗚咽するくらい感情が揺さぶられました。原作もそうですが創作をする人間には本当に刺さる作品です。ほんとすごい映画でした。
地元の方から見ても違和感ないとはすごい方言監修のスタッフがいたみたいなので、こだわりを感じます
どうやら舞台は山形らしいのですが、あの情景はまさしく「秋田」でした。風の温度、土地の匂いまでフワッと感じられました。
@@そーじろー-n6f さんこういったマップも出てます。ご参考になれば。
@@そーじろー-n6f さん美大は完全に山形の東北芸術工芸大学でしたね。七日町の街並みもありましたし、秋田と山形のハイブリッドだなぁと見てました。
@@hajimetamura6956方言指導のかたが「小白川」さんなのな。山形大学があるのが山形市小白川町なんだが偶然か。
京本は藤野と出会わなくても美大に入ってたということは、藤野のせいで死んだわけではないといことか泣いた
京本の声まじ良かった
ちゃんと京本だったね方言もイメージどおり
想像以上に訛ってた多分その訛りが不登校の原因なのかなみたいな想像も膨らむ
藤野が嬉しくて跳び跳ねながら家に帰る姿で自然に涙でた俺だけかと思ったら周りも泣いてた
極個人的な感想ですけど、空手キックのシーンは「邪悪な妄想を純粋な想像で打ち破るシーン」なのだなと思い、すごく感動しました。ワンスアポンアタイムインハリウッドと同様に「現実とは違う、それがどうした。救いたいんだよ」という怒りみたいなものを感じて爽快感がありました。
パラレルワールドの場面で、どちらにせよ京本は美大にいくし、藤野と出会うし、藤野はまた漫画描きそうだったし。そんなに変わらないじゃん、というのがなんかよかったです!
京本が生き残る世界線であって欲しかったよね…
58分なのに体感2時間半の映画見た気分や
俺はボロボロ泣けた訳じゃないんだよ。けど、エンディングで藤野の背中見てるとうるっと来ちゃったんだよな。文面だと伝えにくいけど、なんか心に来るものがそこにあったんだよ。
主人公らが随所でルックバックしてるのも良いし、初めと終わりに我々もルックバックさせられるのも良いね30秒に一度くらいタイトル回収しててたまらんかった
京本の純真、無垢さが呆然とするほど 愛おしい・・マンガの入賞賞金にビビり「お家 買えちゃうよ・・」が たまらなかった。結末はどうあれ、そこには二人の蜜月の時間が 永遠にあり続ける。どうか あり続けてほしいと心から願わずにはいられない・・・ しかし失意のどん底からでも、藤本はマンガを描く、 粛々と、ただただ 描き続けてゆく。 これまでの京本のサポートに報いるために・・ ここにも泣ける。
4:50 わたしも担当との電話のシーンが強く印象に残っています。このシーンと、カラテキックのうらーー!!最高✨
この雄叫びは、アニメ監督も、原作者も、そして観客も犯人の許されざる所業に対する 心の叫びだったですものね。画面を観ながら 私も胸中で絶叫してました!
@@北野賢治郎 しかもif藤野、足が折れても手がある!とばかりに鬼の形相で殴打に行ったよな。あれ大好き。
物語後半のあの場面は、割と解釈が分かれている印象たぶん、どの解釈も否定はできないただ、あの場面、パラレルワールドとして考えることができるし、藤野の妄想でしかなかったと考えることもできる映画の初めの方、四コマ漫画は「一連のストーリーとして」出力された。あれは、藤野の頭の中の映像でもあったと思う京本が救われた場面も、同じく四コマ漫画を「一連のストーリーとして」藤野の頭の中で流れた映像だったと、そう捉えることができるその場合、あの残された四コマ漫画を誰が描いたかと言えば、藤野しかいないどん底の失意の中で、無意識的に描いた京本が事前に描いていたとも考えられるけど、彼女の興味の対象は最初から美術や背景で、ストーリーではなかったあの事件が起きる前に、あの四コマを描く京本の姿は、ちょっと想像できない。言ってしまえば少し藤野を馬鹿にしたものだったしパラレルワールド説では、あの四コマ漫画は通信の証で、希望にあふれたものになる想像説だと、そんな状況でもマンガを描いて妄想していたという、呪いにも似た絶望になるガラスに張り付け、いつでも見れるようにしたことすら、まったく正反対の意味になる現実はともかく、藤野がどちらと捉えていたかは、きっと答えが出ないと思う。
めちゃくちゃ映画館でボロ泣きした。気になっているのは、卒業式で出会わない世界線では2人とも生き残って結局2人で漫画を書いていくっていう風になっているから出会わない方が良かったのかなって思ったけど、卒業式に出会ってからの2人の濃い日々と京本のあの時外に出て良かったって発言からすると出た方が良かったのかな……?ここら辺腑に落ちている方がいたら少し解説欲しいです。
まあ、どっちにしろ、結局二人はどんな道を歩もうと漫画を通して、つながる運命だったと思います。それがどっちがいいのかではないと思うし。それに、『もしも』ではなく、『自分が彼女を〇した』と感じて後悔している藤野に対して、強い京本との絆が、奇跡を起こして、別の次元では会う時期が変わるけど、漫画を通して結びつく。と思っています。結局、後悔して破いた漫画の切れ端のおかげで変わったんですし。ですから、ただ藤野があの時漫画を描かなければ、とかあの時こうすれば、とかやっても、未来は映画のラストのIFの世界のようには実現しないんじゃないか・・・と僕は思いました。
@@水野晃 うわぁとても腑に落ちました!ありがとうございます!!考えれば考える程素晴らしい作品なんだなと実感させられます……
パラレルワールドから藤野の元へ流れてきた四コマは、本当は生前の京本が何気なく描いた四コマだったのかなと想像してます。京本の部屋の窓ガラスに貼られていた四コマのうち、一つだけ剥がれてた形跡があったので。卒業証書を届けた日に藤野が描いた四コマが偶然の様に京本の元へ行ったみたいに、開いていた窓から風が流れ「背中を見て」の四コマだけが偶然の様に剥がされ、藤野の元へ行った。偶然で片付けるなって思うかもしれませんが、でもそんなちょっとした偶然で、人生が大きく動く事もあると思うんですよね。京本はあまりにも理不尽で受け入れ難い最期を迎えてしまいますが、それでも「部屋から出してくれた」藤野への思いは決して途切れる事は無かったと信じてます。
原作は読んでいて、アニメも素晴らしかったけど、一つ気になったのはラストでなぜ藤野が作業を切り上げて電気を消して部屋を出たとこで終わったのかってこと。別に嫌ってわけじゃないけど、原作読んだときあの最後のコマほど結末にふさわしいものはないって思ってたので、そこをあえて変えたのはなにか意図があったからなのかな~と昨日見てからずーっと考えている。
ネタバレなるからどこもまだ取り上げてないんだろうけど、もうちょい経ってから監督が意図をどこかで話す機会ありそう
自分もそこだけが不満かな、漫画では背中の表紙から始まり、これからも描いていく背中で終わる最高の締め方だと思ったけど
アニメ映画としてのエンディングはあれで正解だったと思います。そもそも、漫画と映画の表現や演出は違って当たり前なので漫画のエンディングをそのまま使うのは愚策でしょう。私は映画の方が映画として考察させる演出で好きです。
これからも日々は続いていくって感じがして自分は好きでしたね。あとはクレジットに繋ぐ演出として暗転を使ったとも考えられると思います。
むしろあれ以上の終わり方は無かったと思う。
ほんとに傑作。最初から引き込まれたな。
以前映画館で見た3時間越えのSFハリウッド映画が最悪だったので、映画は時間が長ければいいものではないと改めて思いました。数日経過しても余韻が残っていて、改めて良い作品だったなぁと感じます。二人が作品作りを通して寄り添っていたときの笑顔が浮かびます。
藤野は京本を自分の世界(フィクション)から外の世界(現実)へ連れ出し、藤野の背中を見て先へと進んでいった(諦めていた現実の世界へ)。藤野はそんな京本を見て夢が破れた世界(現実)から漫画の世界(フィクション)に戻る。京本の死亡後、藤野が京本の部屋で窓に張り付けられた四コマ漫画を見た後に振り返るシーン。「藤野歩」と書かれた京本の背中(京本の服)を見て今度は藤野を先に進ませた(京本の死で挫折した漫画の世界へ)。そして京本の「じゃあ藤野ちゃんは何でかくの?」に対する回答として京本の笑顔で終わる。本当に美しい作品。漫画だけならず、映画化も大成功。こんな作品を読ませてくれてありがとう。藤(野)(京)本先生。
素晴らしい解説と考察ありがとうございます!おかげで理解が深まり、より作品を楽しむことが出来ました٩( ᐛ )و✨✨
ネタバレあるから注意↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓最後のSFの展開がどう〜って意見をちょっと見掛けたんだけど、この作品って藤本タツキ先生の人生も色濃く含まれてると思ってて、藤本タツキの作品「さよなら絵梨」のファンタジーを一つまみあそこから来てると思ってます。 ルックバックの場合SFで。兎に角藤本タツキ先生のファンで良かった!
パラレルワールドでは京本を助けた藤野が家に帰ってきて描いた4コマが風で元の世界に戻ってきていたように思いましたが、なぜ作者が京本になっているのかわかりませんでした。絵のタッチも藤野でした。その点について何か解釈があれば教えていただきたいです。
助けられた京本が尊敬や懐かしさから藤野の絵柄に寄せて四コマを描いたのではないでしょうか?京本の部屋から出できましたし、
@@おちゃっぱ-q7g あの窓に貼ってあった8枚くらいの4コマはそういうことなんですかねご回答ありがとうございます🙇♀️
@@bboytommyroadtobcone1317原作漫画の時からある考察の一つではあるのですがそもそもパラレルワールドは藤野が京本を外に出さなかった場合の希望的観測では無いかというもので、字の癖もですがニュースでは男が持っていた武器が斧のようなものと説明されていたのに対して、パラレルワールドでは四コマと同じツルハシが使われてると言った点もありますそしてこの作品のもう一つのテーマがオアシスの曲「Don't Look Back in Anger」直訳で「怒りで振り返らないで」となるのですがコレは対比で「今は前を向こう」と言う意味でも使われますつまり無意識の中で藤野が前を向く為に京本の名前で四コマを描いたのでは無いかという考察がありましたね数ある考察の一つではありますが個人的には好きな解釈です
あのパラレルワールドは藤野の脳内の妄想として描いたものかと。脳内といっても京本との思い出が妄想させたという意味では単純な妄想でもないと思いますが。
同じ紫のパーカーなのが面白い。
京アニ事件への激しい怒りが込められてる気がする。
この漫画のテーマの一つがdon't look back in angerなのでその先の感情だと自分は思います。
まさかoasisの曲名が絡んでいるとは思いませんでした😭
あれですよ・・・。昔、『映画大好きポンポちゃん』だったと思いますが、そこで『映画は90分くらいがちょうどよく、それ以上の長さでやると、観ている方はただの苦痛らしいんですよね・・・』たしかにそうなんですけど、・・・。ちょっと短めですけど、濃厚でしたし、ただわけわからない演出を足して時間稼ぎするよりは何百倍もマシです・・・ほんと・・・。いろいろな失敗アニメみてると・・・(汗・・・
チェンソーマンやんけ!
@@I_am_Pikachu ある意味、『なんで素人に監督させたんだ』と、別の意味で後世に残ったよ・・・
日本のヲタだけなんでアニメチェンソーマンに文句言ってるの?タツキ自身ですらアニオリ描写を褒めたり最後まで楽しく実況してたのに
@@user-723nws33 原作とはまったく違う演出、カメラアングル、キャラ同士のやりとり。しかも、それが素人に近い監督の独断の感覚でやっているという事実。監督本人も『アニメはきらいなんですよね』といい、無理やり実写っぽく作ったと、プロの声優使っていながら、わざと素人っぽく演じてほしいとお願いし、主人公の声の声優さんは、素人で下手くそだと風評被害に会う始末。アニメスタッフも、原作は読んでいないとSNSでバラし、火に油状態。タツキ氏がSNSでホメていても、それがほんとに本人の意思かわからないよ・・・一応自分の原作だし。まあ、漫画家で自分のアニメをボロクソにいう人もいるけどさ。
とにかく、アニメスタッフのアニメに対する姿勢に怒っているオタも多いんだよね・・・。それに、海外でも『なんで主人公、こんなに声優下手なの?もしかして、素人??」と言う奴もいたから、アニメ監督の独断に疑問と怒りを持っている人は海外でも多い。
山形県は映画館は静かに鑑賞して良かったね
放映してる劇場が少ないって聞いて驚いた。っていうのは、自分の家から自転車でいける映画館で普通にやってたからw
それな。普段アニメ映画やらないようなしょぼい映画館でやってたから全国でやってんのかと思った
これって、藤本先生の自伝ですよね。美大に進む道を諦めて漫画家になった。だから、主人公は藤のときょう本。ルックバックってそーゆー意味。
経歴だと先生美大入学して卒業してますよね。
ひまそらあかねが吠えた!
ルックバックアニメ化は京アニに頼むと放火事件追悼日を足がかりにバズろうとした言い訳ができなくなり京アニ以外に頼むと悲惨な事件を踏み台にして 金儲けする事になり
ここ数年で観た映画の中で一番つまらなかったです。心から1700円を返してほしいです。・主人公が理不尽な死を乗り越えて成長するっていうだけのありきたりで幼稚なストーリー・藤野の漫画家人生はあまりにも順風満帆すぎるし、京本の死はご都合主義すぎて藤野が成長する為のダシに利用されている感じが露骨でただただ不快だった・京本は家庭環境等のパーソナルな部分の描写がほぼ無いので、感情移入できるわけがない・漫画でしか表現できない「間」が映画用に変換されておらず、漫画をそのまま映像化しただけなのでただ漫画を描く背中を10秒以上見せられるような退屈なカットが中盤に多すぎる・構造ありきなご都合主義の殺人なので、殺害した犯人にヘイトが沸いてそのイライラで終盤の感動が薄れた・終盤のただ描いたり歩いたりしているだけの静かなシーンで感動的なBGMが爆音で流れていて、映像と音楽のミスマッチ感で興ざめ&耳鳴りが酷かった・終盤の藤野が泣くシーンで流れる感動的なBGMの音量が大きすぎて、「ここで泣け、ここで感動しろ」と言われているみたいでその感動の押し付け感に冷めた・全体的に原作既読者向けの構成と演出ばかりで、初見の観客を無視しすぎ普段からあまり深く考えずにボーっと映画を見る癖があって作中で人が死んだり感動的なBGMが流れてくるだけで泣きそうになっちゃうような人や、「悲しみ」と「感動」を履き違えているような人がなんとなく雰囲気で「感動した」って言ってるだけなんだなって気づきました。主人公が理不尽な死を乗り越えて成長していく物語なんて五万とあって子供の頃からいくらでも観てきているだろうに、なにも覚えてないしなにも学んでないからこんなありきたりなストーリーで感動できるんだなと思いました。どうせルックバックの内容も数年したらきれいさっぱりに忘れて類似作品でまた新鮮に感動するんだろうなと思いました。すみません言い過ぎました。でもやっぱりどう考えても面白いとは思えませんでした。期待が大きかっただけに恋人にフラれたくらいショックだったのでつい心にもないことをつらつらと書いてしまいました、すみません。でもやっぱり普通に面白くなかったです。
よくこんな長文の感想を編集もしながら書けますね!とても観たくなりました!ありがとう!
天才と凡人。実は逆ではないかと思いました。藤野は凡人に見えるけど、なんでもできてしまう天才。京本は努力するしかなかった凡人。
仕事電話のシーンは、本当にリアリティが高かった。あんな会話を、あんなトーンでしたことありますわ。
京本にとってのルックバックは藤野の背中を見ること。
藤野にとってのルックバックは振り返り原点に立ち返ること。
初日の一回目に観に行ったんですけど、小規模スクリーンながらほぼ満員。平日の朝一でほぼ満員で入場者特典もらえるか、不安になったほど・・・。案の定、藤野のラストシーンで涙ぼろぼろ・・・。一時間もない映画なので、大丈夫かなぁと最初思っていたのですが、結局そのあと、連続でまた視聴・・・。ほんと後悔なく二回連続観れる映画でした・・・。ただのほんと大傑作ですね・・・。
自己表現を誰かが見て喜んで褒めてくれる上に描いていて楽しいっていう理由だけで絵を描き続けるクリエイターの長い長い思い出を1時間に詰めて流されたらそりゃ泣くよ………………
映画を観ていて藤野のように私も絵を描くのをやめようか一瞬悩みましたが結局は手にペンを握っているし応援してくれ一緒に描き続けてくれた京本との思い出を振り返るシーンを見て映画館を出ると同時にまた描きつづける事を決意したそんな背中を押してくれた映画でした
文章がぐちゃぐちゃで申し訳ないです
大げさじゃなく、50年の人生で最も心に刺さった映画である。
既に3回映画館で鑑賞したが、ここまでのリアリティは本当に秀逸…
作画はもちろんのこと、セリフの全てがあまりにもリアル。
音楽も素晴らしい。
最後のシーンで藤野がもう一度立ち上がってくれて本当に良かった!
京本も最高の笑顔になっていると思う。
観賞しようかどうかを迷っている方、是非劇場で鑑賞してほしい。
そしてすでに観賞した方々、見れば見るほどこの映画の素晴らしさに引き込まれる。
さあ、また劇場に足を運ぼう。
同感です👍
5:03
秋田在住なのですが、京本の「秋田弁」はほぼ違和感なかったです。
秋田は広いので方言が何個かあるんですが、藤本タツキ先生出身エリアの方言はあんな感じですし、景色や空の色は秋田のそれを思い起こさせるものです。
自分はものを作る仕事をしてるので、冒頭から嗚咽するくらい感情が揺さぶられました。
原作もそうですが創作をする人間には本当に刺さる作品です。
ほんとすごい映画でした。
地元の方から見ても違和感ないとはすごい
方言監修のスタッフがいたみたいなので、こだわりを感じます
どうやら舞台は山形らしいのですが、あの情景はまさしく「秋田」でした。風の温度、土地の匂いまでフワッと感じられました。
@@そーじろー-n6f さん
こういったマップも出てます。ご参考になれば。
@@そーじろー-n6f さん
美大は完全に山形の東北芸術工芸大学でしたね。七日町の街並みもありましたし、秋田と山形のハイブリッドだなぁと見てました。
@@hajimetamura6956方言指導のかたが「小白川」さんなのな。山形大学があるのが山形市小白川町なんだが偶然か。
京本は藤野と出会わなくても美大に入ってたということは、藤野のせいで死んだわけではないといことか
泣いた
京本の声まじ良かった
ちゃんと京本だったね
方言もイメージどおり
想像以上に訛ってた
多分その訛りが不登校の原因なのかなみたいな想像も膨らむ
藤野が嬉しくて跳び跳ねながら家に帰る姿で自然に涙でた
俺だけかと思ったら周りも泣いてた
極個人的な感想ですけど、空手キックのシーンは「邪悪な妄想を純粋な想像で打ち破るシーン」なのだなと思い、すごく感動しました。ワンスアポンアタイムインハリウッドと同様に「現実とは違う、それがどうした。救いたいんだよ」という怒りみたいなものを感じて爽快感がありました。
パラレルワールドの場面で、どちらにせよ京本は美大にいくし、藤野と出会うし、藤野はまた漫画描きそうだったし。
そんなに変わらないじゃん、というのがなんかよかったです!
京本が生き残る世界線であって欲しかったよね…
58分なのに体感2時間半の映画見た気分や
俺はボロボロ泣けた訳じゃないんだよ。けど、エンディングで藤野の背中見てるとうるっと来ちゃったんだよな。文面だと伝えにくいけど、なんか心に来るものがそこにあったんだよ。
主人公らが随所でルックバックしてるのも良いし、初めと終わりに我々もルックバックさせられるのも良いね
30秒に一度くらいタイトル回収しててたまらんかった
京本の純真、無垢さが呆然とするほど 愛おしい・・
マンガの入賞賞金にビビり
「お家 買えちゃうよ・・」が たまらなかった。
結末はどうあれ、そこには二人の蜜月の時間が 永遠にあり続ける。
どうか あり続けてほしいと心から願わずにはいられない・・・
しかし失意のどん底からでも、藤本はマンガを描く、
粛々と、ただただ 描き続けてゆく。
これまでの京本のサポートに報いるために・・
ここにも泣ける。
4:50 わたしも担当との電話のシーンが強く印象に残っています。
このシーンと、カラテキックのうらーー!!最高✨
この雄叫びは、アニメ監督も、原作者も、そして観客も
犯人の許されざる所業に対する 心の叫びだったですものね。
画面を観ながら 私も胸中で絶叫してました!
@@北野賢治郎 しかもif藤野、足が折れても手がある!とばかりに鬼の形相で殴打に行ったよな。あれ大好き。
物語後半のあの場面は、割と解釈が分かれている印象
たぶん、どの解釈も否定はできない
ただ、
あの場面、パラレルワールドとして考えることができるし、藤野の妄想でしかなかったと考えることもできる
映画の初めの方、四コマ漫画は「一連のストーリーとして」出力された。あれは、藤野の頭の中の映像でもあったと思う
京本が救われた場面も、同じく四コマ漫画を「一連のストーリーとして」藤野の頭の中で流れた映像だったと、そう捉えることができる
その場合、あの残された四コマ漫画を誰が描いたかと言えば、藤野しかいない
どん底の失意の中で、無意識的に描いた
京本が事前に描いていたとも考えられるけど、彼女の興味の対象は最初から美術や背景で、ストーリーではなかった
あの事件が起きる前に、あの四コマを描く京本の姿は、ちょっと想像できない。言ってしまえば少し藤野を馬鹿にしたものだったし
パラレルワールド説では、あの四コマ漫画は通信の証で、希望にあふれたものになる
想像説だと、そんな状況でもマンガを描いて妄想していたという、呪いにも似た絶望になる
ガラスに張り付け、いつでも見れるようにしたことすら、まったく正反対の意味になる
現実はともかく、藤野がどちらと捉えていたかは、きっと答えが出ないと思う。
めちゃくちゃ映画館でボロ泣きした。気になっているのは、卒業式で出会わない世界線では2人とも生き残って結局2人で漫画を書いていくっていう風になっているから出会わない方が良かったのかなって思ったけど、卒業式に出会ってからの2人の濃い日々と京本のあの時外に出て良かったって発言からすると出た方が良かったのかな……?ここら辺腑に落ちている方がいたら少し解説欲しいです。
まあ、どっちにしろ、結局二人はどんな道を歩もうと漫画を通して、つながる運命だったと思います。それがどっちがいいのかではないと思うし。それに、『もしも』ではなく、『自分が彼女を〇した』と感じて後悔している藤野に対して、強い京本との絆が、奇跡を起こして、別の次元では会う時期が変わるけど、漫画を通して結びつく。と思っています。結局、後悔して破いた漫画の切れ端のおかげで変わったんですし。
ですから、ただ藤野があの時漫画を描かなければ、とかあの時こうすれば、とかやっても、未来は映画のラストのIFの世界のようには実現しないんじゃないか・・・と僕は思いました。
@@水野晃 うわぁとても腑に落ちました!ありがとうございます!!考えれば考える程素晴らしい作品なんだなと実感させられます……
パラレルワールドから藤野の元へ流れてきた四コマは、本当は生前の京本が何気なく描いた四コマだったのかなと想像してます。
京本の部屋の窓ガラスに貼られていた四コマのうち、一つだけ剥がれてた形跡があったので。
卒業証書を届けた日に藤野が描いた四コマが偶然の様に京本の元へ行ったみたいに、開いていた窓から風が流れ「背中を見て」の四コマだけが偶然の様に剥がされ、藤野の元へ行った。
偶然で片付けるなって思うかもしれませんが、でもそんなちょっとした偶然で、人生が大きく動く事もあると思うんですよね。
京本はあまりにも理不尽で受け入れ難い最期を迎えてしまいますが、それでも「部屋から出してくれた」藤野への思いは決して途切れる事は無かったと信じてます。
原作は読んでいて、アニメも素晴らしかったけど、一つ気になったのはラストでなぜ藤野が作業を切り上げて電気を消して部屋を出たとこで終わったのかってこと。
別に嫌ってわけじゃないけど、原作読んだときあの最後のコマほど結末にふさわしいものはないって思ってたので、そこをあえて変えたのはなにか意図があったからなのかな~と昨日見てからずーっと考えている。
ネタバレなるからどこもまだ取り上げてないんだろうけど、もうちょい経ってから監督が意図をどこかで話す機会ありそう
自分もそこだけが不満かな、漫画では背中の表紙から始まり、これからも描いていく背中で終わる最高の締め方だと思ったけど
アニメ映画としてのエンディングはあれで正解だったと思います。
そもそも、漫画と映画の表現や演出は違って当たり前なので
漫画のエンディングをそのまま使うのは愚策でしょう。
私は映画の方が映画として考察させる演出で好きです。
これからも日々は続いていくって感じがして自分は好きでしたね。あとはクレジットに繋ぐ演出として暗転を使ったとも考えられると思います。
むしろあれ以上の終わり方は無かったと思う。
ほんとに傑作。最初から引き込まれたな。
以前映画館で見た3時間越えのSFハリウッド映画が最悪だったので、映画は時間が長ければいいものではないと改めて思いました。数日経過しても余韻が残っていて、改めて良い作品だったなぁと感じます。二人が作品作りを通して寄り添っていたときの笑顔が浮かびます。
藤野は京本を自分の世界(フィクション)から外の世界(現実)へ連れ出し、藤野の背中を見て先へと進んでいった(諦めていた現実の世界へ)。
藤野はそんな京本を見て夢が破れた世界(現実)から漫画の世界(フィクション)に戻る。
京本の死亡後、藤野が京本の部屋で窓に張り付けられた四コマ漫画を見た後に振り返るシーン。
「藤野歩」と書かれた京本の背中(京本の服)を見て今度は藤野を先に進ませた(京本の死で挫折した漫画の世界へ)。
そして京本の「じゃあ藤野ちゃんは何でかくの?」に対する回答として京本の笑顔で終わる。
本当に美しい作品。漫画だけならず、映画化も大成功。
こんな作品を読ませてくれてありがとう。藤(野)(京)本先生。
素晴らしい解説と考察ありがとうございます!
おかげで理解が深まり、より作品を楽しむことが出来ました٩( ᐛ )و✨✨
ネタバレあるから注意
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
最後のSFの展開がどう〜って意見をちょっと見掛けたんだけど、この作品って藤本タツキ先生の人生も色濃く含まれてると思ってて、藤本タツキの作品「さよなら絵梨」のファンタジーを一つまみあそこから来てると思ってます。 ルックバックの場合SFで。
兎に角藤本タツキ先生のファンで良かった!
パラレルワールドでは京本を助けた藤野が家に帰ってきて描いた4コマが風で元の世界に戻ってきていたように思いましたが、なぜ作者が京本になっているのかわかりませんでした。絵のタッチも藤野でした。その点について何か解釈があれば教えていただきたいです。
助けられた京本が尊敬や懐かしさから藤野の絵柄に寄せて四コマを描いたのではないでしょうか?京本の部屋から出できましたし、
@@おちゃっぱ-q7g あの窓に貼ってあった8枚くらいの4コマはそういうことなんですかね
ご回答ありがとうございます🙇♀️
@@bboytommyroadtobcone1317
原作漫画の時からある考察の一つではあるのですが
そもそもパラレルワールドは藤野が京本を外に出さなかった場合の希望的観測では無いかというもので、字の癖もですがニュースでは男が持っていた武器が斧のようなものと説明されていたのに対して、パラレルワールドでは四コマと同じツルハシが使われてると言った点もあります
そしてこの作品のもう一つのテーマがオアシスの曲
「Don't Look Back in Anger」直訳で「怒りで振り返らないで」となるのですがコレは対比で「今は前を向こう」と言う意味でも使われます
つまり無意識の中で藤野が前を向く為に京本の名前で四コマを描いたのでは無いかという考察がありましたね
数ある考察の一つではありますが個人的には好きな解釈です
あのパラレルワールドは藤野の脳内の妄想として描いたものかと。
脳内といっても京本との思い出が妄想させたという意味では単純な妄想でもないと思いますが。
同じ紫のパーカーなのが面白い。
京アニ事件への激しい怒りが込められてる気がする。
この漫画のテーマの一つがdon't look back in angerなのでその先の感情だと自分は思います。
まさかoasisの曲名が絡んでいるとは思いませんでした😭
あれですよ・・・。昔、『映画大好きポンポちゃん』だったと思いますが、そこで『映画は90分くらいがちょうどよく、それ以上の長さでやると、観ている方はただの苦痛らしいんですよね・・・』たしかにそうなんですけど、・・・。ちょっと短めですけど、濃厚でしたし、ただわけわからない演出を足して時間稼ぎするよりは何百倍もマシです・・・ほんと・・・。いろいろな失敗アニメみてると・・・(汗・・・
チェンソーマンやんけ!
@@I_am_Pikachu ある意味、『なんで素人に監督させたんだ』と、別の意味で後世に残ったよ・・・
日本のヲタだけなんでアニメチェンソーマンに文句言ってるの?
タツキ自身ですらアニオリ描写を褒めたり最後まで楽しく実況してたのに
@@user-723nws33 原作とはまったく違う演出、カメラアングル、キャラ同士のやりとり。しかも、それが素人に近い監督の独断の感覚でやっているという事実。
監督本人も『アニメはきらいなんですよね』といい、無理やり実写っぽく作ったと、プロの声優使っていながら、わざと素人っぽく演じてほしいとお願いし、主人公の声の声優さんは、素人で下手くそだと風評被害に会う始末。
アニメスタッフも、原作は読んでいないとSNSでバラし、火に油状態。
タツキ氏がSNSでホメていても、それがほんとに本人の意思かわからないよ・・・一応自分の原作だし。まあ、漫画家で自分のアニメをボロクソにいう人もいるけどさ。
とにかく、アニメスタッフのアニメに対する姿勢に怒っているオタも多いんだよね・・・。それに、海外でも『なんで主人公、こんなに声優下手なの?もしかして、素人??」と言う奴もいたから、アニメ監督の独断に疑問と怒りを持っている人は海外でも多い。
山形県は映画館は静かに鑑賞して良かったね
放映してる劇場が少ないって聞いて驚いた。
っていうのは、自分の家から自転車でいける映画館で普通にやってたからw
それな。普段アニメ映画やらないようなしょぼい映画館でやってたから全国でやってんのかと思った
これって、藤本先生の自伝ですよね。
美大に進む道を諦めて漫画家になった。だから、主人公は藤のときょう本。
ルックバックってそーゆー意味。
経歴だと先生美大入学して卒業してますよね。
ひまそらあかねが吠えた!
ルックバックアニメ化は京アニに頼むと放火事
件追悼日を足がかりにバズろうとした言い訳が
できなくなり
京アニ以外に頼むと悲惨な事件を踏み台にして 金儲けする事になり
ここ数年で観た映画の中で一番つまらなかったです。
心から1700円を返してほしいです。
・主人公が理不尽な死を乗り越えて成長するっていうだけのありきたりで幼稚なストーリー
・藤野の漫画家人生はあまりにも順風満帆すぎるし、京本の死はご都合主義すぎて藤野が成長する為のダシに利用されている感じが露骨でただただ不快だった
・京本は家庭環境等のパーソナルな部分の描写がほぼ無いので、感情移入できるわけがない
・漫画でしか表現できない「間」が映画用に変換されておらず、漫画をそのまま映像化しただけなのでただ漫画を描く背中を10秒以上見せられるような退屈なカットが中盤に多すぎる
・構造ありきなご都合主義の殺人なので、殺害した犯人にヘイトが沸いてそのイライラで終盤の感動が薄れた
・終盤のただ描いたり歩いたりしているだけの静かなシーンで感動的なBGMが爆音で流れていて、映像と音楽のミスマッチ感で興ざめ&耳鳴りが酷かった
・終盤の藤野が泣くシーンで流れる感動的なBGMの音量が大きすぎて、「ここで泣け、ここで感動しろ」と言われているみたいでその感動の押し付け感に冷めた
・全体的に原作既読者向けの構成と演出ばかりで、初見の観客を無視しすぎ
普段からあまり深く考えずにボーっと映画を見る癖があって作中で人が死んだり感動的なBGMが流れてくるだけで泣きそうになっちゃうような人や、「悲しみ」と「感動」を履き違えているような人がなんとなく雰囲気で「感動した」って言ってるだけなんだなって気づきました。主人公が理不尽な死を乗り越えて成長していく物語なんて五万とあって子供の頃からいくらでも観てきているだろうに、なにも覚えてないしなにも学んでないからこんなありきたりなストーリーで感動できるんだなと思いました。どうせルックバックの内容も数年したらきれいさっぱりに忘れて類似作品でまた新鮮に感動するんだろうなと思いました。すみません言い過ぎました。でもやっぱりどう考えても面白いとは思えませんでした。期待が大きかっただけに恋人にフラれたくらいショックだったのでつい心にもないことをつらつらと書いてしまいました、すみません。でもやっぱり普通に面白くなかったです。
よくこんな長文の感想を編集もしながら書けますね!
とても観たくなりました!ありがとう!