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泣かずに見るのは無理だわ。漫画で何回も泣いて、映画を見て泣いてまた漫画を読んで泣いている。藤野と京本に魂を吹き込んでくれた監督、声優の方々も凄かった。
ちゃんと現実を受け止めて立ち直ろうとする姿こそがこの映画の醍醐味
一部の人らが劇場で絶賛号泣メーンかましてる中、宇多丸が意外とあっさり淡々とした評論をしていてなんつーか…安心した。
原作漫画を読んで激しく打たれ、映画化を知ってからずっと楽しみにしてました。鑑賞前に宇多丸さんの評で(いつものように)見どころを予習しようと思ってましたが、最初の数分を聞いて「これは先に映画を観てから宇多丸さんの言葉を聞く方がいい!」と直感して一旦ストップ。ようやく映画を観て来れました。ドキドキしながら宇多丸さんの語る『ルックバック』を再び聞き始め、ぐーっとお腹の底に染み込ませるように『ルックバック』の漫画と映画を脳内で反芻し、浮かび上がるさまざまな感情を味わっています。ラジオを聴いたのでまた映画館に向かおうと思います。『ルックバック』を語ってくださりありがとうございました。
あの事件が起きた後、原作にはない映画独自の描写で藤野がアドレス帳からぱっぱっと京本の名を呼び出せるのはさすがと思ったけどリダイヤルで呼び出しの描写じゃない=袂を分かちあってからあまり連絡取り合ってなかった?なんて考えるとまた切なくなりました
58分の中で3回泣いてしまった。これを全ての人にうまく伝えようと努力はしたが…宇多丸さんからの言葉に自分もそう言いたかったって思いこのTH-camを勧めます。
凶行に及んだ者と、両者を明確に隔てるのは描き続ける所、というのが腑に落ちました。3回観ましたがその視点は無かったから聴いて良かったです。擦り切れるほどしっかり観た映画はより面白いんですね、このラジオ。
相変わらずリスナーと師匠の映画IQの高さに驚く。みんな素晴らしい見方
色々な感想や考察動画を見たけど、これが一番面白かった。二回目見に行こっと。
現役デザイナー。そろそろやめちゃおうかな、と帰り道で思っていたタイミングに観てスクリーンの中に美大生のときの自分が見えた気がして、またがんばろうって思えました。自分の中の原初の熱を思い出せた映画。
まさに人生を支えた一作になりましたねデザイナーのお仕事とっても素敵だと思います
こんなコメントを見ると感動してしまいます。ありがとう
こちらこそみなさんありがとうございます。じんときました。自分もタツキ先生と同じ大学出身なので、スクリーンの自分の大学を見て余計に当時のことがフラッシュバックしたのかもしれません。とにかくデザインに精一杯向き合ってたあの時、友達と見たあの夕日を思い出しました。明日からもまたがんばります!
リスナーの皆さん素晴らしい投稿です。そして宇多丸さんの渾身の解説も素晴らしいです。私は2回観ましたが今は藤野、京本の2人がただただ愛おしいです。
貧乏ゆすりしながらアシスタント探してるシーンは、かつての相棒を忘れていないどころか、ずっと彼女を求めてる、探し続けているような描写に感じました。だからこそ直後のテレビ報道シーンで「え、まさか」と真っ先に嫌な予感に狼狽える主人公が自然に見え、かつ恐ろしい結末へ一気に駆け上がっていくような。良い演出だと思います。
私は何度も宇多丸さんのムービーウォッチメンに勇気もらってる。だから書き続ける、もがいてる。ありがとう宇多丸さん。
だまれ
宇多丸さんの喋りは本当にスラスラ耳に入ってくるな
電話の音は緊急地震速報聞いてるような怖さがあったな。ジャンプを床に落とす音も失望感伝わってきた。何十回観ても泣けるんだろうな。BGMとSEの力をかなり強く感じた。
後味はちあきなおみの「喝采」かなそれぞれのエピソードには子供の頃に抱いた還暦の今でも自分を捕らえてはなさない(捕えられてはなれられない、敢えて離れたくない)感情の行き先、それはきっと消化されることの無い感情としてある時に突然顔を出したりして一生、自らを形作る大きな要素となる化け物なんだって。
同じく藤野がひたすら書きまくってるとこが一番涙腺緩んだ
12:19 ネーム本の内容はあくまでネーム段階のものなので、完成原稿ではかなり変更がある箇所があります。(ラストのフラッシュバックなど)映画は映画で変えている部分もあるんですが漫画と映画での違いを見比べるなら単行本と見比べてみてください!
サムネの宇多丸さんの後ろ姿、グッとくるな来週のフェラーリ評のサムネは、サングラスを掛けるシーンかしら
終盤、事件後に藤野が「こうありたかった世界線」を想い描く展開、あれは現実の事件からルックバック漫画化までに至る原作者の内面を、客観化しフィクションに落し込んだものと解釈しました。カラテキック一発で現実が巻き戻せたらどんなにか良いだろう。でも創作には(人為には)そんな力は全くない、あるはずはないという諦念と焦燥。しかしそれでも描き続けることで社会の不当や不毛と対峙し続けるしかない、と言う覚悟。
この漫画家は社会性のある漫画をほとんど描いてないっすよ
ルックバック見てからずっと待ってたムービーウォッチメン
京本が藤野を追いかけ、初めて言葉をかけるシーンで最高にやられました。恐らく歳上の家族としか会話をしていなければ、そうなり得る。原作を読んでからの鑑賞で本当に良かったです。
素晴らしかったとにかくとにかく素晴らしかった
中身があって明瞭完結で鬼作画のスカイ・クロラだった。
よく「漫画の登場人物は、その作家の分身である」と言われることがありますが、自分も藤野や京本だけでなく、"アイツ"も創作された存在であるという意味ならば、原作者を形作る何かの一部であるとも言えるのかもしれない、と思いました。そう考えると、Oasisとデビットボウイを二重に引用した意味も、巷で語られているような内容よりも深まるなと感じます。原作が、連載が一区切りついたタイミングで発表されたように、ある種の決意表明みたいなものが込められていると感じましたね。そしてそれを、最大限尊重したアニメーションを作った方々には、心からの敬意を表したいです。
流石です 素晴らしい評論考察ありがとうございます特に「目の下の隈」に付いての言及、評論動画を多数見ましたが誰も言及していませんでした最初から漫画が好きで努力をしている現れとして隈があり 初めて京本と出会うシーンでは漫画から離れて努力しなくなった藤野には隈がなく、努力し続けている京本には隈がある単なる一例ですが、藤本先生の絵の表現には当然こういう人ならこうなるよねという意味ある表現が多々ありそれをリサーチしアニメ表現しさらにアニメ的にブラッシュアップした今作最高だと思います今後も評論楽しみにしています
アニメ・漫画に関する海外の人の批評動画を見ますが、原作の藤本タツキ先生はチェーンソーマンで人気が高いのでルックバックも(漫画版の)レビューや予告動画のリアクションが沢山あります。(ただ予告だと日本語字幕だけなので、もどかしいです。)海外ではアニメが持て囃され、漫画が相対的に軽視されている気がします。漫画があってこそアニメが面白いのに、この辺の認知度を米国でも変えて欲しいので、個人的には早めに海外公開してほしいです。
あの事件を漫画で、アニメで正面から受け止めるのは非常につらいことだけど、それを力のある漫画家とアニメーターがやり遂げたことに敬意を払いたいいつか京アニの当事者自身、たとえば山田尚子監督が仲間たちのための鎮魂のために作品にしてくれる日が来るだろうか
これだけ、言われたら観るしかないでしょほぼアニメは「世界の片隅で」以降ほぼ観てない宇田丸さんと同年代のオッサンだけれど明日身に行く
ハルさんとマッスル北浦?さんの評論が素晴らしかった。もはや映画評論家みたいなリスナー
宇多丸師匠が小学生時代に描いていたイラストが気になりますね
創作活動は運命に影響を与えることが出来ず無力である。と言いたいんだと思った
読切発表当初の、番組内での宇垣のルックバックの内容大発表にはマジで驚いたなぁ
批評が出まくってる中で結構捻り出した内容でよかった
ルックバックには以下の訳があるそうです。振り返って見る,(…を)回顧する,追憶する,しりごみする,うまくいかなくなる,後退する。訳をみると色々ルックバックな要素が散りばめられていてんだなと改めて感動。サムネも宇多丸さんのバッグ(背中)をルックする私達と、鏡越しにバック(後)をルックする宇多丸さんということで、洒落が効いているなと感じました。
「温泉シャーク」は入ってないのか・・・。
映画を観て漫画を描いてたのを思い出しました消しゴムマンてゆう内容全く覚えてないけど
漫画って睡眠時間削って描くものだからね(古い習わし)
40:00 この辺りの話、「元ネタの事件の被害者と加害者が表裏一体である」と受け取られない危険な表現。作者も「消化できなかったものを無理やり消化する為にできた作品」って言ってるんだし、ある意味あの事件について答えや解決みたいなものを求める事はできないと思う。やっぱりこの作品は完成度が高いのではなくて、未完成で不快で危険だからこそ面白いんじゃない?
京本の京は東京の京か京都の京か
特別料金何とかならんかな、配信まで待つか。
作ってくれてありがとう。賛。である。圧倒的に賛が溢れてる。だからこそ、否な部分も言いたい。投稿者の意見にもあるが、既読勢の1人としては良くも悪くも原作マンガをそのままトレースした感がどこか拭えなかった。(パンフの内容も拝読させてもらった上で)まず、正直サウンドの使い方があまり上手だとは思えなかった。あとボリュームが大きすぎる。エンドロールの歌以外ないぐらいで良かったのでは?このシーンだから感動してねというメロディを流しているようで上滑りな感じがした。風、雨、木の葉の触れ合う音、室内の椅子のキシキシっとした音、紙の質感、服の擦れる音、ペンを走らせる音の強弱にも藤野や京本が描いている漫画をそのままフィールドレコーディングして音源として使うぐらいの迫真さと奥行きみたいなものが感じられなかった。話の進行の平面的さを感じた理由のひとつ。演出カットも原作にないものも、もっといくつか増やした方が良かった。藤本と京本が担当と打ち合わせの帰り道での木々を挟んで2人の道が分れていくんだなぁと察するシーン。あれは良かった。藤本タツキさんへの原作リスペクトゆえに敬意と畏れで表現部分抑えた部分もあったかもしれない。もし反省点があれば活かしていただき、『さよなら絵里』に繋げていただきたい。長文失礼致したしました。
長文迷惑
感じ方は人それぞれだけど、その上で。黙っとけ!!!!!!!!!!!!!!!
一意見としていいと思うけどな。この意見も個人的に納得できるものだし
こんなに丁寧な文章なのに黙っとけとか言われるの良くないね
ここまで配慮を尽くしても批判意見1つ言えないなんて終わってるな。こんな好き嫌いだけで脊髄反射するレベルの人たちが、どうやってこの作品を理解できたのか謎すぎる。
宇垣美里「京アニ事件を思い出させます!!」と、嬉々として騒いでたな。
原作発表直後にアト6でやってた解説は今聞き返すと結構正確でびっくりするよ
観る気がしねぇジョーカー続編楽しみ
泣かずに見るのは無理だわ。
漫画で何回も泣いて、映画を見て泣いてまた漫画を読んで泣いている。藤野と京本に魂を吹き込んでくれた監督、声優の方々も凄かった。
ちゃんと現実を受け止めて立ち直ろうとする姿こそがこの映画の醍醐味
一部の人らが劇場で絶賛号泣メーンかましてる中、宇多丸が意外とあっさり淡々とした評論をしていてなんつーか…安心した。
原作漫画を読んで激しく打たれ、映画化を知ってからずっと楽しみにしてました。鑑賞前に宇多丸さんの評で(いつものように)見どころを予習しようと思ってましたが、最初の数分を聞いて「これは先に映画を観てから宇多丸さんの言葉を聞く方がいい!」と直感して一旦ストップ。ようやく映画を観て来れました。ドキドキしながら宇多丸さんの語る『ルックバック』を再び聞き始め、ぐーっとお腹の底に染み込ませるように『ルックバック』の漫画と映画を脳内で反芻し、浮かび上がるさまざまな感情を味わっています。ラジオを聴いたのでまた映画館に向かおうと思います。『ルックバック』を語ってくださりありがとうございました。
あの事件が起きた後、原作にはない映画独自の描写で
藤野がアドレス帳からぱっぱっと京本の名を呼び出せるのはさすがと思ったけど
リダイヤルで呼び出しの描写じゃない=袂を分かちあってからあまり連絡取り合ってなかった?
なんて考えるとまた切なくなりました
58分の中で3回泣いてしまった。これを全ての人にうまく伝えようと努力はしたが…宇多丸さんからの言葉に自分もそう言いたかったって思いこのTH-camを勧めます。
凶行に及んだ者と、両者を明確に隔てるのは描き続ける所、というのが腑に落ちました。3回観ましたがその視点は無かったから聴いて良かったです。擦り切れるほどしっかり観た映画はより面白いんですね、このラジオ。
相変わらずリスナーと師匠の映画IQの高さに驚く。みんな素晴らしい見方
色々な感想や考察動画を見たけど、これが一番面白かった。二回目見に行こっと。
現役デザイナー。そろそろやめちゃおうかな、と帰り道で思っていたタイミングに観てスクリーンの中に美大生のときの自分が見えた気がして、またがんばろうって思えました。
自分の中の原初の熱を思い出せた映画。
まさに人生を支えた一作になりましたね
デザイナーのお仕事とっても素敵だと思います
こんなコメントを見ると感動してしまいます。
ありがとう
こちらこそみなさんありがとうございます。じんときました。
自分もタツキ先生と同じ大学出身なので、スクリーンの自分の大学を見て余計に当時のことがフラッシュバックしたのかもしれません。
とにかくデザインに精一杯向き合ってたあの時、友達と見たあの夕日を思い出しました。明日からもまたがんばります!
リスナーの皆さん素晴らしい投稿です。そして宇多丸さんの渾身の解説も素晴らしいです。私は2回観ましたが今は藤野、京本の2人がただただ愛おしいです。
貧乏ゆすりしながらアシスタント探してるシーンは、
かつての相棒を忘れていないどころか、ずっと彼女を求めてる、探し続けているような描写に感じました。
だからこそ直後のテレビ報道シーンで「え、まさか」と真っ先に嫌な予感に狼狽える主人公が自然に見え、かつ恐ろしい結末へ一気に駆け上がっていくような。
良い演出だと思います。
私は何度も宇多丸さんのムービーウォッチメンに勇気もらってる。だから書き続ける、もがいてる。ありがとう宇多丸さん。
だまれ
宇多丸さんの喋りは本当にスラスラ耳に入ってくるな
電話の音は緊急地震速報聞いてるような怖さがあったな。ジャンプを床に落とす音も失望感伝わってきた。何十回観ても泣けるんだろうな。BGMとSEの力をかなり強く感じた。
後味はちあきなおみの「喝采」かな
それぞれのエピソードには
子供の頃に抱いた還暦の今でも自分を捕らえてはなさない(捕えられてはなれられない、敢えて離れたくない)感情の行き先、
それはきっと消化されることの無い感情としてある時に突然顔を出したりして一生、自らを形作る大きな要素となる化け物なんだって。
同じく藤野がひたすら書きまくってるとこが一番涙腺緩んだ
12:19 ネーム本の内容はあくまでネーム段階のものなので、完成原稿ではかなり変更がある箇所があります。(ラストのフラッシュバックなど)映画は映画で変えている部分もあるんですが漫画と映画での違いを見比べるなら単行本と見比べてみてください!
サムネの宇多丸さんの後ろ姿、グッとくるな
来週のフェラーリ評のサムネは、サングラスを掛けるシーンかしら
終盤、事件後に藤野が「こうありたかった世界線」を想い描く展開、あれは現実の事件からルックバック漫画化までに至る原作者の内面を、客観化しフィクションに落し込んだものと解釈しました。
カラテキック一発で現実が巻き戻せたらどんなにか良いだろう。
でも創作には(人為には)そんな力は全くない、あるはずはないという諦念と焦燥。しかしそれでも描き続けることで社会の不当や不毛と対峙し続けるしかない、と言う覚悟。
この漫画家は社会性のある漫画をほとんど描いてないっすよ
ルックバック見てからずっと待ってたムービーウォッチメン
京本が藤野を追いかけ、初めて言葉をかけるシーンで最高にやられました。
恐らく歳上の家族としか会話をしていなければ、そうなり得る。
原作を読んでからの鑑賞で本当に良かったです。
素晴らしかったとにかくとにかく素晴らしかった
中身があって明瞭完結で鬼作画のスカイ・クロラだった。
よく「漫画の登場人物は、その作家の分身である」と言われることがありますが、自分も藤野や京本だけでなく、"アイツ"も創作された存在であるという意味ならば、原作者を形作る何かの一部であるとも言えるのかもしれない、と思いました。
そう考えると、Oasisとデビットボウイを二重に引用した意味も、巷で語られているような内容よりも深まるなと感じます。
原作が、連載が一区切りついたタイミングで発表されたように、ある種の決意表明みたいなものが込められていると感じましたね。そしてそれを、最大限尊重したアニメーションを作った方々には、心からの敬意を表したいです。
流石です 素晴らしい評論考察ありがとうございます
特に「目の下の隈」に付いての言及、評論動画を多数見ましたが誰も言及していませんでした
最初から漫画が好きで努力をしている現れとして隈があり 初めて京本と出会うシーンでは
漫画から離れて努力しなくなった藤野には隈がなく、努力し続けている京本には隈がある
単なる一例ですが、藤本先生の絵の表現には当然こういう人ならこうなるよねという意味ある表現が多々あり
それをリサーチしアニメ表現しさらにアニメ的にブラッシュアップした今作最高だと思います
今後も評論楽しみにしています
アニメ・漫画に関する海外の人の批評動画を見ますが、原作の藤本タツキ先生はチェーンソーマンで人気が高いので
ルックバックも(漫画版の)レビューや予告動画のリアクションが沢山あります。(ただ予告だと日本語字幕だけなので、もどかしいです。)
海外ではアニメが持て囃され、漫画が相対的に軽視されている気がします。
漫画があってこそアニメが面白いのに、この辺の認知度を米国でも変えて欲しいので、個人的には早めに海外公開してほしいです。
あの事件を漫画で、アニメで正面から受け止めるのは非常につらいことだけど、それを力のある漫画家とアニメーターがやり遂げたことに敬意を払いたい
いつか京アニの当事者自身、たとえば山田尚子監督が仲間たちのための鎮魂のために作品にしてくれる日が来るだろうか
これだけ、言われたら観るしかないでしょ
ほぼアニメは「世界の片隅で」以降ほぼ観てない宇田丸さんと同年代の
オッサンだけれど明日身に行く
ハルさんとマッスル北浦?さんの評論が素晴らしかった。もはや映画評論家みたいなリスナー
宇多丸師匠が小学生時代に描いていたイラストが気になりますね
創作活動は運命に影響を与えることが出来ず無力である。と言いたいんだと思った
読切発表当初の、番組内での宇垣のルックバックの内容大発表にはマジで驚いたなぁ
批評が出まくってる中で結構捻り出した内容でよかった
ルックバックには以下の訳があるそうです。
振り返って見る,(…を)回顧する,追憶する,しりごみする,うまくいかなくなる,後退する。
訳をみると色々ルックバックな要素が散りばめられていてんだなと改めて感動。
サムネも宇多丸さんのバッグ(背中)をルックする私達と、鏡越しにバック(後)をルックする宇多丸さんということで、洒落が効いているなと感じました。
「温泉シャーク」は入ってないのか・・・。
映画を観て漫画を描いてたのを思い出しました
消しゴムマンてゆう
内容全く覚えてないけど
漫画って睡眠時間削って描くものだからね(古い習わし)
40:00 この辺りの話、「元ネタの事件の被害者と加害者が表裏一体である」と受け取られない危険な表現。
作者も「消化できなかったものを無理やり消化する為にできた作品」って言ってるんだし、ある意味あの事件について答えや解決みたいなものを求める事はできないと思う。
やっぱりこの作品は完成度が高いのではなくて、未完成で不快で危険だからこそ面白いんじゃない?
京本の京は東京の京か京都の京か
特別料金何とかならんかな、配信まで待つか。
作ってくれてありがとう。賛。である。圧倒的に賛が溢れてる。だからこそ、否な部分も言いたい。
投稿者の意見にもあるが、既読勢の1人としては良くも悪くも原作マンガをそのままトレースした感がどこか拭えなかった。(パンフの内容も拝読させてもらった上で)
まず、正直サウンドの使い方があまり上手だとは思えなかった。あとボリュームが大きすぎる。エンドロールの歌以外ないぐらいで良かったのでは?このシーンだから感動してねというメロディを流しているようで上滑りな感じがした。風、雨、木の葉の触れ合う音、室内の椅子のキシキシっとした音、紙の質感、服の擦れる音、ペンを走らせる音の強弱にも藤野や京本が描いている漫画をそのままフィールドレコーディングして音源として使うぐらいの迫真さと奥行きみたいなものが感じられなかった。話の進行の平面的さを感じた理由のひとつ。
演出カットも原作にないものも、もっといくつか増やした方が良かった。藤本と京本が担当と打ち合わせの帰り道での木々を挟んで2人の道が分れていくんだなぁと察するシーン。あれは良かった。
藤本タツキさんへの原作リスペクトゆえに敬意と畏れで表現部分抑えた部分もあったかもしれない。もし反省点があれば活かしていただき、『さよなら絵里』に繋げていただきたい。
長文失礼致したしました。
長文迷惑
感じ方は人それぞれだけど、その上で。
黙っとけ!!!!!!!!!!!!!!!
一意見としていいと思うけどな。この意見も個人的に納得できるものだし
こんなに丁寧な文章なのに黙っとけとか言われるの良くないね
ここまで配慮を尽くしても批判意見1つ言えないなんて終わってるな。こんな好き嫌いだけで脊髄反射するレベルの人たちが、どうやってこの作品を理解できたのか謎すぎる。
宇垣美里「京アニ事件を思い出させます!!」
と、嬉々として騒いでたな。
原作発表直後にアト6でやってた解説は今聞き返すと結構正確でびっくりするよ
観る気がしねぇ
ジョーカー続編楽しみ