ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
古墳時代浪漫があって好きです。とてもわかりやすい内容と興味を惹かれる内容にいつもわくわくして聞いてます。
面白かった。ありがとうございます
後編、待ってました。リキトさんの解説、実に面白いわかりやすいです。初めて体系的に古代史を理解することができます。
大変楽しく拝聴しています。初めは「魏誌倭人伝」から見たのですが、全文解説に触れられてワクワクしました。大変興味深かったです。それからは①から通して一気に見ました。毎回知らない史実や解説があって、特に中国の文献を参考にしながらの今まで知らなかったヤマト王権や倭の五王の話は知らないことばかりで楽しさ倍増でした。次回も楽しみにしています。
今にして本物の歴史を知った感じで素晴らしい解説です、拝聴していて楽しい、納得いきます、「素人には自分の命や権力を維持するため身内を殺して乗り切るのが政治という感じ天皇や国の歴史も殺し合いしか記憶に残らない、国民は兵として消費されてきてる情報が少なく疑心暗鬼と敵の侵略でおちおち眠られない時代は当然だったろうそういう観点から現代は双方穏やかに国民のために政治ができる時代に感じますしかしデープステートの戦争や対立構造で世界統一図る今の世も困ったもので排除したいトランプ軍団が理想の1000年地上社会構築に期待する、真の政治を期待しています」なーんちゃって後期高齢者の感想です、ほかも楽しみです
今回も大変興味深い動画になりました!次のを待ってます。
いつも勉強になります。吐谷渾はソグド人らの西域と南朝の仲介者だったようです。
歴史書の解説とても分かりやすいです!同時代の日本書紀の解説などの動画もお願いします!
大変わかりやすく理解できました。武王が送った上表文を見てびっくり仰天しました。この時から武王と継体天皇は同一人物と確信するようになりました。先生はそのように感じられた事はありませんか?
雄略天皇と百済の蓋鹵王は何かしらの関係がありそうでしょうか?獲加多支鹵大王、と名前が似ていて文化的に何か共通しているような感じがします。鉄剣がAD471に作られたなら、丁度蓋鹵王の在位(~AD475)とも被っているのがまた不思議です。
私は獲加多+支鹵だと思います。支ではなく蓋鹵で蓋は王権を意味し(支も王を意味する)王権が鹵掠された蓋鹵王(倭王斎を自称?)の為に作られた鉄刀なのではないでしょうか?支と蓋は仏教用語でもあるらしいです。乎獲居臣上祖意富比垝は『乎獲居、臣の上祖の名は意富比垝』と読んでみました。意富比垝は百済始祖である扶余王尉仇台であり武の上表文の祖禰と同一人物だとする説は面白いと思います(乎獲居は上佐平余都)。いずれにしても武と雄略は事蹟と時代が一致しないので無理があります。
最後の雄略の時代、既に南朝は滅亡に差し掛かって、むしろ倭王の方が、北の勢力の南進を阻止する主力だったと、言えるかも?五王の最初頃は、純然たる朝貢でしたが、雄略の頃には、むしろ同盟に近くなっていたから。雄略の態度の大きさは、その立場の変化の結果ですよね。
昔から神聖な霊を保つには命を賭けた戦いが必要だな アッシリアの掟は厳然と生きている
倭の五王は天皇なのだろうか?私は、倭の他の国の王ではないかと思います。少なくとも九州には熊襲がいたので、まだ熊襲の国があったはずです。
倭王武は、南朝宋のあとの短期間しか続かなかった諸王朝には遣使しなかったんでしょうね(笑)。向こうから勝手に冊封してくれてるのがおもしろいです。東海の彼方に居ながらも、当時の倭は国際情勢をきちんと把握しているのが興味深いですね。
倭の五王は大和朝廷の天皇でないことは明白です。日本書紀は倭の五王について全く触れていません。安東将軍倭国王の称号を得たことを日本書紀は書いていますか?663年に白村江の戦いで大敗北した倭国は後に唐が派遣した郭 務悰により統括されていました。その時は筑紫都督府が大宰府に置かれています。要は、大宰府を都とする倭国が白村江に軍船を送り出したのでしょうね。
(1)所謂「倭の五王」の名称が固有名詞とすれば、日本側のものではない。中国側が倭王全員「一文字」で表現した理由は何か。(2)倭国、半島、大陸それぞれの「国」の法律、政治体制、経済規模、国家形態の差異が不明瞭。
倭の五王は、江川波夫の言う「倭韓連合王国」が存在したときの王たちだった。だから「倭韓」の五王(のうちの倭)と考えるべきである。倭→日本ではなく、(倭+百済)→日本が常識にならなければならない。
大王=天皇と確定してないのですね。天皇は神官、武力で国を統一した王とは別物だったのか?
900年代の主張を信じるのはおかしい。任那は任那全体である。
卑弥呼は何天皇になる?2500年神武天皇弥生時代初期文字が使われてなかった歴代の初代天皇眉唾物!
卑弥呼の存在はほんと難しいよね 邪馬台国からのヤマト王権なのか、ヤマト王権を頂点とする豪族連合の内の一豪族だったのか、元々別の国だった九州邪馬台国を近畿ヤマト王権が併呑したのか、その逆なのか、どれなのか気になる
金策名鉄剣は、吉祥句が無いですよ。これは、とても重要な事で王から貰い受けたものではないですよ。内容から王が亡くなった事知った後自らの事績を記す為に、作らせた鉄剣だと思います。辛亥の年も531年の方が現実的です。私事ですが、磐井が倭王武だと思います。銀策名鉄剣が熊本で出土しておりこちらには、吉祥句があります。磐井は、ヤマト王権にはない裁判制度も有りました。 そもそも九州に居ないと半島の有事に備える事が出来ないと思いますよ。奈良からは現実的に無理すぎる。これだと、武烈天皇が大臣にナメられていた事やあんな悪事を働いた事に、説明が付きます。それは、さて置き動画はとても良かったです。
動画内では吉祥句や、貰い受けた物とは、特に言っていませんが。七支刀のことでしょうか。しかし見ていただきありがとうございます。
@@歴史倶楽部 金錯銘鉄剣、辛亥の年、どっから七支刀でてくるの?
314年高句麗が帯方郡を”侵略”との説明であるが、漢族が韓国南部警戒の為、強引に設置した自治区を取り除いただけ。侵略ではない、説明ちゃんとしろ
倭国は奈良からわざわざ使いを送っていません。都は北九州にありました。だから半島の権利にこだわったのです。奈良から半島は遠くてあまりうま味が無くないですか?
さなさなさなさなさはさなさなさなさななさなさな😅にや😅ぬ😅何ならナね
古墳時代浪漫があって好きです。
とてもわかりやすい内容と興味を惹かれる内容に
いつもわくわくして聞いてます。
面白かった。
ありがとうございます
後編、待ってました。リキトさんの解説、実に面白いわかりやすいです。初めて体系的に古代史を理解することができます。
大変楽しく拝聴しています。
初めは「魏誌倭人伝」から見たのですが、全文解説に触れられてワクワクしました。
大変興味深かったです。
それからは①から通して一気に見ました。
毎回知らない史実や解説があって、特に中国の文献を参考にしながらの今まで知らなかったヤマト王権や倭の五王の話は知らないことばかりで楽しさ倍増でした。
次回も楽しみにしています。
今にして本物の歴史を知った感じで素晴らしい解説です、拝聴していて楽しい、納得いきます、
「素人には自分の命や権力を維持するため身内を殺して乗り切るのが政治という感じ
天皇や国の歴史も殺し合いしか記憶に残らない、国民は兵として消費されてきてる
情報が少なく疑心暗鬼と敵の侵略でおちおち眠られない時代は当然だったろう
そういう観点から現代は双方穏やかに国民のために政治ができる時代に感じます
しかしデープステートの戦争や対立構造で世界統一図る今の世も困ったもので排除したい
トランプ軍団が理想の1000年地上社会構築に期待する、真の政治を期待しています」なーんちゃって後期高齢者の感想です、ほかも楽しみです
今回も大変興味深い動画になりました!次のを待ってます。
いつも勉強になります。吐谷渾はソグド人らの西域と南朝の仲介者だったようです。
歴史書の解説とても分かりやすいです!
同時代の日本書紀の解説などの動画もお願いします!
大変わかりやすく理解できました。武王が送った上表文を見てびっくり仰天しました。この時から武王と継体天皇は同一人物と確信するようになりました。先生はそのように感じられた事はありませんか?
雄略天皇と百済の蓋鹵王は何かしらの関係がありそうでしょうか?
獲加多支鹵大王、と名前が似ていて文化的に何か共通しているような感じがします。
鉄剣がAD471に作られたなら、丁度蓋鹵王の在位(~AD475)とも被っているのがまた不思議です。
私は獲加多+支鹵だと思います。支ではなく蓋鹵で蓋は王権を意味し(支も王を意味する)王権が鹵掠された蓋鹵王(倭王斎を自称?)の為に作られた鉄刀なのではないでしょうか?支と蓋は仏教用語でもあるらしいです。乎獲居臣上祖意富比垝は『乎獲居、臣の上祖の名は意富比垝』と読んでみました。意富比垝は百済始祖である扶余王尉仇台であり武の上表文の祖禰と同一人物だとする説は面白いと思います(乎獲居は上佐平余都)。いずれにしても武と雄略は事蹟と時代が一致しないので無理があります。
最後の雄略の時代、既に南朝は滅亡に差し掛かって、むしろ倭王の方が、北の勢力の南進を阻止する主力だったと、言えるかも?五王の最初頃は、純然たる朝貢でしたが、雄略の頃には、むしろ同盟に近くなっていたから。雄略の態度の大きさは、その立場の変化の結果ですよね。
昔から神聖な霊を保つには命を賭けた戦いが必要だな アッシリアの掟は厳然と生きている
倭の五王は天皇なのだろうか?私は、倭の他の国の王ではないかと思います。少なくとも九州には熊襲がいたので、まだ熊襲の国があったはずです。
倭王武は、南朝宋のあとの短期間しか続かなかった諸王朝には遣使しなかったんでしょうね(笑)。向こうから勝手に冊封してくれてるのがおもしろいです。
東海の彼方に居ながらも、当時の倭は国際情勢をきちんと把握しているのが興味深いですね。
倭の五王は大和朝廷の天皇でないことは明白です。日本書紀は倭の五王について全く触れていません。安東将軍倭国王の称号を得たことを日本書紀は書いていますか?
663年に白村江の戦いで大敗北した倭国は後に唐が派遣した郭 務悰により統括されていました。その時は筑紫都督府が大宰府に置かれています。要は、大宰府を都とする倭国が白村江に軍船を送り出したのでしょうね。
(1)所謂「倭の五王」の名称が固有名詞とすれば、日本側のものではない。中国側が倭王全員「一文字」で表現した理由は何か。(2)倭国、半島、大陸それぞれの「国」の法律、政治体制、経済規模、国家形態の差異が不明瞭。
倭の五王は、江川波夫の言う「倭韓連合王国」が存在したときの王たちだった。だから「倭韓」の五王(のうちの倭)と考えるべきである。倭→日本ではなく、(倭+百済)→日本が常識にならなければならない。
大王=天皇と確定してないのですね。
天皇は神官、武力で国を統一した王とは別物だったのか?
900年代の主張を信じるのはおかしい。任那は任那全体である。
卑弥呼は何天皇になる?2500年神武天皇弥生時代初期文字が使われてなかった歴代の初代天皇眉唾物!
卑弥呼の存在はほんと難しいよね 邪馬台国からのヤマト王権なのか、ヤマト王権を頂点とする豪族連合の内の一豪族だったのか、元々別の国だった九州邪馬台国を近畿ヤマト王権が併呑したのか、その逆なのか、どれなのか気になる
金策名鉄剣は、吉祥句が無いですよ。
これは、とても重要な事で王から
貰い受けたものではないですよ。
内容から王が亡くなった事知った後
自らの事績を記す為に、作らせた鉄剣
だと思います。辛亥の年も531年の方が
現実的です。
私事ですが、磐井が倭王武だと思います。銀策名鉄剣が熊本で出土しており
こちらには、吉祥句があります。
磐井は、ヤマト王権にはない裁判制度も
有りました。 そもそも九州に居ないと半島の有事に備える事が出来ないと思いますよ。奈良からは現実的に無理すぎる。
これだと、武烈天皇が大臣にナメられて
いた事やあんな悪事を働いた事に、説明が付きます。
それは、さて置き動画はとても良かったです。
動画内では吉祥句や、貰い受けた物とは、特に言っていませんが。七支刀のことでしょうか。
しかし見ていただきありがとうございます。
@@歴史倶楽部 金錯銘鉄剣、辛亥の年、どっから七支刀でてくるの?
314年高句麗が帯方郡を”侵略”との説明であるが、
漢族が韓国南部警戒の為、強引に設置した自治区を取り除いただけ。
侵略ではない、説明ちゃんとしろ
倭国は奈良からわざわざ使いを送っていません。
都は北九州にありました。だから半島の権利にこだわったのです。
奈良から半島は遠くてあまりうま味が無くないですか?
さなさなさなさなさはさなさなさなさななさなさな😅にや😅ぬ😅何ならナね