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「宮本武蔵は本当に強かったのか?」という論争は昔からある。メジャーな説に反論したくなるのは人の世の常と言える。事実は武蔵は生き抜き、兵法者として高い評価が有り、様々な遺産を残しているということである。現代人がどの説を信ずるかは自由だが、彼の残したものを否定することは出来ない。
宮本武蔵の生き方はまさに「勝てば良い」って感じだな
武蔵が対戦した相手側の手記じゃ眉唾です。強い弱いは別にして、相手が武士なら60回も勝てません。五輪の書はそれなりの武芸者で無ければ書き表せない内容です。五輪の書には、五部に渡り試合の仕方や、心構えが書かれています。ネット民は直ぐ話に乗せられます。
本当に強かったのか弱かったのかの二択なら間違い無く強かったな根拠は自分より弱い人間としか闘わなかった、これは勝ち続けたなら全ての相手は弱い事になるよね。なら自分より弱い相手としか闘わなかったのならどーやって確認する?実際に闘わなきゃわからないよ最強の剣豪を肩書に60までハッタリで生き延びられると思う?逃げられない勝負だってある、事ある事に勝負を挑まれ教えを請われる圧倒的な力の差が無ければ試合に勝っても傷を負わされ指や腱、手足を切り落とされたら次は無い勝つだけで無く無傷で勝ち上がら無いといけない条件だった挑んで来る相手は全て武蔵と知っててなお武蔵を倒せる自信のある相手だよハッタリで最強の剣豪を名乗り仕官出来るほど時代は甘く無いよ。
武蔵が生きた、切るか切られるかの時代。現代の私達には、到底及びつかない気持ちでの日々を過ごしていたのだと思います。そんな中を兵法者として生き抜いた事、ヤッパリ凄いなぁ、と思わざるを得ません。小説などのストーリーの中に生きている武蔵も、実際の武蔵も、そういった、やるかやられるかの時代を駆け抜けて生き抜いた武芸者である事に変わりはありません。やはり、武蔵は好きだなぁ☺️
元はといえば作家の直木三十五(「直木賞」は彼の名にちなんでいる)が講談の世界で有名な宮本武蔵を「剣豪などではない」と言ったことに吉川英治が反発して論争に発展し、彼を主人公にした小説を書きはじめたことが今に繋がる武蔵像を決定づけることになったわけだ。たぶん吉川英治は「五輪の書」や彼の絵画作品などから彼の精神性を汲み取り、そこに本物の剣豪を見出したのだと思われる。そして自分はいま、TH-camで1984年にNHKで制作された役所広司主演のドラマを観ている最中である。めちゃくちゃ面白い。戦乱の時代に自己の可能性と存在意義を求めて各地を放浪し沢庵和尚や柳生一族など実在の人物を絡めて語られるその波乱万丈の物語はもはや普遍的な英雄神話のようなものといって良い。修行に突き進む武蔵を慕い追いかけ続けるお通さん(古手川祐子)も女神のようだ(お通さんが実在しないのは確かだが)。それを観ていて思うに、これは司馬遼太郎にも言えることだが、優れた語り部によって語られた普遍的で素晴らしい物語が、結局国民の歴史になってゆくのである。これは日本に限らず、三国志など中国史も物語に他ならない(三国志も吉川英治版が最も読まれている)。吉川英治は「事実」ではなく、武蔵の著作や書画から「真実」を描いたのだ。それでいいとおもう。
個人的には北大路欣也がテレビ東京の正月番組でやった武蔵がよかったです。
武蔵は自分より強い相手と悟ったら戦わず逃げるが勝ちを優先させた逸話もありますね。剣を交えず放棄する事は勝負していないので負けではないという考えがあったのでしょう。ある意味、動物的感覚が優れていたと思います。しかし小次郎、、、可哀想過ぎる。。
自分より強い相手と戦わないって剣豪・兵法者といわれる人ほとんどそうでしょう。そもそも負けた記録が残ってたら後世に名を遺すほど有名になってないし。師弟関係があるとか竹刀でパンパン叩き合うとかなら負けてもリスク少ないけど。
@@かちゃん-z3c 負けた記録が残ってても名を残した剣豪なんていっぱいいるでしょ?
@@piazza850i 例えば誰?
@@かちゃん-z3c 動画にも出てる吉岡直綱(清十郎?)や吉岡伝七郎、そして佐々木小次郎は武蔵に負けたって記録があるけど名を残してるよね。逆に動画の言う通り吉岡側の記録では武蔵が負けた記録が残ってるけど武蔵も名を残してるよね。他に…柳生石舟斎は上泉 信綱(上泉伊勢守)、小野忠明は伊藤一刀斎に負けてる(って言われてる)。このふたりはそれぞれ師弟関係ではあるけど負けてからの弟子入りだから入れていいよね?師弟関係と言えば鐘捲自斎は弟子の伊藤一刀斎に負けたって言われてるね。
すなわち実戦であり、兵法だと思います。一騎討ちのみならず、戦国時代の合戦も原理原則は同じだと思います。
勝つためなら何でもやる!これが武蔵の武道!
なんか、武蔵を否定的に捉え過ぎてるよーな気がする。人それぞれの捉え方だと思うけどこの動画はアンチ武蔵の動画なんですね…武蔵側の記述だろうが相手側の記述だろうが真相は今となってはわかりませんよ?間違いない事は闘う事に一生を費やし、全ての闘い、決闘に生き残った人です。喧嘩すらも録に知らない俺たち現代人ごときが上から武蔵卑怯だとか最低とか?評価?おこがましすぎると思う五輪の書十分に為になることも書かれてますしね
吉岡側が嘘の記録を残した可能性もあり得るのでは?巌流島にしてもむしろ島に待機していた小次郎の弟子たちから逃れるために一撃で小次郎を倒した後にとどめをさあさず一目散に脱出したとの記録もあり、何が真相かは分からないままなのですよ。坂本龍馬もそうだけどあまり過去の偉人を貶める行為は己自身が貶められます。
わからないからこそ多角的に見る必要があるんでは?
吉岡側の記録は試合後80年ほど後に伝記作家によって書かれたもので、嘘というよりフィクションだから資料的価値はないよ。巌流島も動画にあるような師範同士の争いなら検視役すらいないってのはおかしい。二人だけで真剣勝負って負けた方の手当はどうするの?相打ちの時は二人して野垂れ死に?て事になるからありえません。よってどちらか一方だけが弟子を大量に潜ませてとかありえません。
ありえないって、なんで?別に宮本武蔵に興味ないからどっちでもいいんだけど。史実って勝者の歴史だから。事実と異なることなんか普通だと思いますよ。
@@むしかめ-c6f 離れ小島で検視役も付けず二人だけで真剣勝負って状況があり得ないからです。
見た人間がいないんで、ありえないなんてありえない 以上
美作の国の広さは時代と共に変化して居ます江戸時代と現代では全然違いますので播磨でも美作でも正解なのです!又武蔵は竹内流の使い手なので吉岡に勝てたとしても納得する事です!兵法の闘いなので諜報戦から実戦何でも有りなので正解は無いと思われます。
武蔵はせこくても実績を作ってとにかく出世したかったんだな、僕たちが想像してた宮本武蔵は完全な創作だったわけだ、まあ吉川英治のおかげで最強の象徴「宮本武蔵」として超有名になれたわけだから武蔵の夢は叶ったのか
格闘技でも「ノールールの実戦で一番強い格闘技とは!?」という議論がありますが、アレは答えが出ません。そもそも実戦の様態は一騎討ちだったり集団戦だったり千差万別であり、定義できませんので。ルールがある格闘競技なら強弱を測れますけどね。幕末における黒船の大砲に数多の優れた剣士達は戦う前から負けていました。コレが実戦だと思います。宮本武蔵が極めて優れた兵法家だったのは、確かだと思います。また合戦における剣術と、幕末などのテロにおける剣術はまた技術体系や思想が異なると思います。
木刀試合でも下手すれば死んだり障害負うし、武芸者として名を上げようと思ったらセコい立ち回りも必須だったんだろうね。60まで真っ直ぐに生きてきた小次郎凄い。
小次郎は武蔵よりずっと後の時代の人で、出会う事は無かっただろう。巌流島は完全なフィクションだ、と、子供のころに聞きました。物干し竿は、絶対に抜けないそうですし、鞘に収めようがなかったようです。
これは、元が根拠がないと思うので、答えようがありません。
話を盛っちゃってるのは武蔵だけじゃなく当時の立身出世の為の手法の一つに過ぎないので注意してくださいね。【それぞれの記録】新免無二 vs 吉岡憲法 新免側:勝った 吉岡側:勝った 立合人:引き分けである宮本武蔵 vs 吉岡清十郎(憲法)他 武蔵側:勝った 吉岡側:勝った 立合人:引き分けである
ひとつハッキリ言えることは負けたら終わりだということ。だから負けないために策をうつのは至極当然。少年マンガではないのだから駆け引きは奇麗事じゃないしカッコイイものでもない。北斗の拳に出てくるラオウも相手に死兆星を見たかどうかを聞いて闘うかを判断していた。なにも考えずただ純粋に戦う?それはただのお馬鹿さん。
バトル漫画とかでたまにあるような卑劣な手段使っても最後に生きてた方が勝者みたいな戦場的な価値観なんかロマンあって好き
吉岡の100人との戦いは大将1人倒せば相手100人の負けですからね、倒した後さっさと逃げたんだと思います。当然兵法者だから退路も確認して確保してるでしょうし。ってかそれが現実的w
宮本武蔵は最強の剣豪などと名乗ったことはない。武蔵は武芸者つまり戦略家として最強であろうとした。
無礼者~(ノ-_-)ノ~┻━┻
実際、兵法家希望だよねこの人。
実戦的で誠によろしい、と思います。
「吉岡伝」によると宮本武蔵と試合したのは吉岡直綱で京都所司代、板倉伊賀の守勝重の仲介であったとある。宮本武蔵は吉岡直綱に眉間を撃たれおびただしい血を流したが相打ちと言う者もあって吉岡直綱が「明日もう一度やろう」と言うと武蔵は「直綱との勝負は決まった弟の直重とやりたい」と希望、それで日を定めて試合ということになったが武蔵は逃げてしまったとある。その後の吉岡一門は豊臣方に味方、大阪城に入るが敗戦し道場を閉めることになります。吉岡憲法と呼ばれ京都では徳の高さからも人気があったとのことです。
舟島の決闘では藩主が見に来ていたと藩の帳簿にあるので小次郎側の話も信用できないですよ武蔵周りの文献は照らし合わせるとどれも辻褄が合わず、吉岡も含め何もかも信じられない
宮本武蔵は当時としては珍しい左利きだった左利きを利用し 右利きの相手の剣を右手で受けて左手で相手を斬る戦法だったとも……吉岡一門との戦いでは 相手が死装束(白)で現れたのに対し黒っぽい服装で闇夜で戦い(言わばゲリラ戦)で勝利したとも……佐々木小次郎は 他の文献でも かなりの高齢で60歳以上だったとも言われている今の60歳とは違い 当時の年齢を今の年齢で考えると1.2倍~1.5倍違うと言われているからまぁ~勝って当たり前ですわ
逆に武蔵が17~18の若年だったと言う説もあるよね武蔵より年上なのは恐らく間違いないと思うけど、60歳以上というのは盛り過ぎな感じはするなぁ
小次郎は18歳だった、という説もありますよ。
一条下がり松は、早朝と聞いていますが。何も信用できない。
武蔵と小次郎はねぇ・・・弟子の喧嘩が引くに引けなくなっちゃって本当は2人とも戦いたくなかったと推測しますね。だからその後は闘うのをやめてしまったと。本当に1体1で戦って勝ったのかもしれないですし、小次郎の弟子が逆ギレして襲おうとしたり多人数で殺したと噂流したりしたのかも。っていうのも想像出来ますw
吉川英治が書いたのは「小説」でしょう?、まるで見てきた様に書かなきゃ売れないから、脚色はしますわな。それを鵜呑みにされても困るだろうから、草葉の陰で笑っている事だろうね。言い伝えと資料しかない人物の話をしてもせんなきこと、人其々の心に任せるのが筋。だが、天下無敵の兵法者を想像するだけで面白いでしょう?、それに卑怯だったって話だけで、弱かったとの話は伝えられていない。いつの世も、悪口を言う人間はいる。あら探しして何になろう、野暮ってもんだよ。
勝てそうな試合だけやったという説もあるようです。当時はまだ戦国の気風が残っていて策略で勝つのも実力のうちだったのではないかなあ。佐々木小次郎もそれが分かってて一人で巌流島に言ったというのも変ですが佐々木小次郎を弟子と一緒に撲殺したという所では吹きました。当時としてはこういう勝ち方もアリだったのでしょう。
生涯、風呂に入らなかった。遊女との間に娘が産まれたが、幼くして病死した。島原の乱では、老婆の投石が命中して、戦線離脱を余儀なくされた。宮本武蔵の裏話より
風呂嫌いだったんだw
武蔵は剣術家というより兵法者だったんじゃないかな
卑怯上等、戦国らしくていい
一門領民背負った戦国武将ならともかく、武芸者がそれじゃダメだろw
@@一雑田シゲキ そんな奴が最強の剣豪扱いはヤバいよね
武将と武芸者・剣豪を住み分けさせる意味が解らん。剣術なんて所詮武士の本懐を全うするため、勝つためのツールの一つに過ぎないよ。可児歳三なんて武芸者に試合申し込まれたら家人を大勢引き連れて鉄砲まで持ってきたって話もあるくらいだwそれで卑怯と罵られるどころか褒められたっていう時代だよ。ずっと後の太平の時代の武芸者と戦国武将なら明らかに違うと言えるかもしれんけどね。
塚原卜伝、上泉信綱は戦国武将なのか武芸者なのか柳生宗矩や小野忠明はどうだろうまぁ、馬鹿げた話だわなぁ
@@w-oo 小野忠明はクズでした
武蔵が田原氏出身という説が有力なら別所氏の家老格である黒田氏の配下であり、黒田家に知己、親戚は多数居たはずで、黒田家配下で出陣という説も特に違和感は無いな。
武蔵対小次郎は小倉藩重役の長岡佐渡対岩間角兵衛の派閥権力抗争の一部でもあった
いい見解ですね。
娯楽のない昔、特に江戸時代中期以降は弛緩した時代で文学、芸術が発展したと言われていますので、やはり面白ければ良い、売れれば良い、というような話もあったと思います。
自分より強い相手をは絶対戦わず。これが宮本武蔵の極意
とはいっても相手の強さなんて立ち合いもせずに正確に測れるんですかね?スカウターでもあれば別ですが。もっとも、弱い者はそれこそ宮本武蔵君がそうであるように勝つ(生き延びる)ためにどんどんひきょうな手を使ってくる可能性が高いですから、相手が弱いから確実に勝てるとは言えませんがね。
修練を積んでいくと自分の強さがわかってくるさらに自分を鍛え上げていくと相手の強さがわかってくるさらにもっと高みに踏み込むと何が強いのかわからなくなってくる昔小説か何かで見た言葉だけど良い言葉だなと思った
負ければ死ぬのに、まともな剣豪は自分より明らかに強い相手と試合しないのは常識でしょう。
宮本武蔵駅行きたい!
百人相手に勝つってマンガレベル。小次郎もズルとしか思えん。女性抱いた事無いって怪しすぎる。
醜男で、風呂嫌いで体臭がキツかったという記述を見たことがある。女性に相手にされなかったのでは。
まぐわう際には女性を上にしてまぐわえとか記述があるぞやってる最中に襲われても、女性を上にしておけば盾代わりに出来るし、そのまま蹴り飛ばして刀を取りに行く隙も作れるからとか・・・これはこれでヒドイw
@@mr.chin-chyan ワシは抱きつき正常位が大好きじゃ。あと種付けプレスもな。
物書きと言う者はそれで、生活費稼ぎです。面白おかしくしないと生活が成り立たない、水戸黄門漫遊記と同じ。講釈師見てきた様に噓を言う。
歴史なんて勝てば官軍負ければ賊軍ですからね。勝った側や権力を持った側が都合よく歴史を書き換えることが可能性が大きいですよ。
島原の乱で武士以外を傷つけるのが嫌で態と負傷して撤退したんだと思う。
近年になって、客寄せパンダみたいに剣豪と神格化させられただけでしょ。英雄なんて一人の例外もなくそんなもんだ。イエス・キリストだって中東のユダヤ人だからホントはあんな白人の顔や肌なんかしてなかったはずだ。あれは、ギリシア神話のゼウスに似せた顔を描くことで『神の子』であると強調させたかったにちがいない。
佐々木小次郎は 背が高くて イケメンだったらしい✨✨✨✨👀😊太刀も 自分の体格用に 特注で作られたものだったとか✨✨⚔自身の体格を うまく活かした剣術を編み出した天才✨✨✨✨
個人的には、兵法者は戦全体の兵の運用を考える人と認識をしているので、参謀のような人だと思っています。己の強さのみを極めようとしている人は武芸者ではないかと考えます。
兵法とは、国維持の手段であり、その意味では政治でもある。孫氏が百年兵を養うも、と書いているのはその部分だろう。戦全体の構想を練り、そして武芸者。つまり多くの意味を含んでいて、捉え方によって解釈が違うと思う。例えば、軍師であり、一兵卒でもある。
吉岡家との一乗寺下り松の件は眉唾ものですね。
五輪書で記述がなかったのを知って何か闇を感じた。
巌流島は細川家いた豪族長さで反乱とかを恐れ消してしまおうと暗、殺さるするため決闘と見せて暗殺したのだよね。だから武蔵はすぐに逃げ出したのですよねだから五輪の書けなかったのですよね。
素晴らしい!感動しました。今度坂本龍馬もやってください。あまりにも通説が嘘ばかりで耐え難いです。
広島のおっちゃんのつぶやき🙎……宮本武蔵に対して悪意があります❗かたよった話、片方の話だけ悪意があります❗
真剣では死ぬので木刀で勝負してたのだが、今ではそれでも危険なので竹刀となり防具も付けるようになった。そしてスポーツとなりルールの下、卑怯は許されなくなったのだが、武蔵はギリギリ命のやり取りしてた訳で作戦として許されたのかな?いや、ダメだろ。
これだと小次郎が、武蔵よりもよほど武士らしいということになる。弱いからこそ、戦略を用いなければならない。
また武蔵が吉岡清十郎に負けたことが真実であれば、清十郎の弟である伝七郎が武蔵と試合する必要はないので、この解説はおかしい。それに最後の決闘で吉岡の子供の大将の命を取った後は、弟子100人と戦う必要はないので、降りかかる火の粉を振り払いながら、その場を立ち去るだけです。したがって、この解説は作り話でしょう。
バキのせいで、自分の中で宮本武蔵がむっちゃ強いイメージしかないからこの動画見て「あ…」ってなった。
肉の宮
井上雄彦もこれ知って、投げ出しちゃったんだね。バガボンド。所詮漫画なんだから良いと思うけど。売れてたみたいだし。
まぁ歴史に関する書物は誰が書いたかに影響される。勝者側は都合良く、敗者側は汚名が残らぬ様にと書く。事実は当時の武芸者で有る武蔵が有力大名の細川家客分で天寿を全うし、彼の名前も流儀も書物も現在まで伝わっている。それが武蔵の実像である。木刀でも一流の剣術家なら死に至る殺し合いである。生き残った方が勝ちで死んだ方が負けで有る。きれい事ばかりでは済まない世界ですよ。当時の兵法とは戦いに勝つ方策で有り、生き残った武蔵の方が死んだ小次郎より優秀だったと言う事でしょう。巌流と云う流儀は残っているのかな?長刀は残っているでしょうね、誰が考えても有利ですよ。実戦じゃ重さが不利になるけどね。二刀流も一緒です。体力に影響される流儀ですね。まぁ現在まで名前、流儀が残る剣豪は何れも強いと思いますよ。誰が1番なんて意味が無い。小次郎の年齢が事実なら若い頃は相当強かった。結局最後は負ける。今でも最強と言われるマイクタイソンも最後は負けた。
物干し竿は抜けない、納められない、が定説です。武蔵の二刀流は、片方を投げつけ、驚く隙に切りつけたとも聞きます。
@@蜻蛉斬斬鉄剣 昔の命のやり取りです。何でも有りになりますよ。明治維新の時代だと新撰組の沖田、斎藤とか強いと名前上がりますがやはり不意討ちとか暗殺が多い。ましてや武蔵の頃は豊臣から徳川への変換期でいわゆる浪人も多かった訳だから尋常な勝負がどれ程有ったか?だと思いますね。
@@藤沢唯雄 北辰一刀流は最初に居合を教えたそうです。居合は必殺の暗殺技です。また、絶対の防御技とも言われています。居合も剣道も齧ったことがあります。凄く速く抜くのだ、と思っていましたが、違いますね。心理的な合理性でしょうか。横の本棚に「無双直伝英信流」というタイトルのCDがあります。居合ですが、習ったのは、無双が最後についていました。でも習ってもいないCDは買わないから、どうなっているのか。無双でなく夢想という流派もありますね。思い出しました。両方とも土佐が発祥です。それほど変わらない中身です。夢想のCDや、柳生のCDも持っていましたね。買わないと思いますが。真正面で座って話し合い、いきなり相手の脇差を抜いて突き刺す。相手は刀もなく急なことで、避けられない。こんな卑怯なことが生き延びる秘訣なのでしょう。どこの流派か忘れました。神道無念流? 近藤勇の流派はこんな名前じゃなかったですか。斎藤一も使い手だったと書く人もいますが、彼は北辰一刀流で、近藤の道場に居候していたはずです。明治維新の時代だと、沖田、斎藤。と書かれていますが、新選組とされているなら、幕末でしょう。明治に変わるころには、沖田は重病人じゃないですか? 斎藤は会津で戦い続け、家老の娘と結婚して名字が変わりました。明治になってからも、師範学校の四段クラスを5人ほど同時にかからせて、籠手1本取らせなかったほど強かったそうです。明治で警察官だったのかな? 西南戦争では政府軍として奮戦しました。畳の上で死んでいるんじゃないですか。集団同士の戦いで、籠手をとられれば死を意味するでしょう。新選組で1番強かったのが永倉新八、次が沖田総司、次が斎藤一。永倉と沖田は同様に強かったが、3番手の斎藤は沖田との稽古では、子ども扱いされていた、ということです。日清戦争の時、永倉が志願しましたが、お気持ちだけ頂きます、と帰されました。何歳になっていたのでしょう。孫を連れて歩いていると、やくざ数名に囲まれた。ステッキ1本で2人に突きを入れて倒すと、忽ち逃げ去って行った、とか、学校から、剣道を教えてほしい、と頼まれ、型を一通り見せて、大声で、人を殺すときは、と言って倒れてしまったとか。皆最後まで戦士でしたね。後、居合の時に掛け声をかける人を見かけますが、全くわかっていない。暗殺ですから、音もたてずに殺して、すっと逃げ去る。それが本物です。
@@蜻蛉斬斬鉄剣 近藤勇は天然理心流ですね。永倉の晩年のエピソードは私も本で読みました。土方は剣客と言うより戦が上手いと云うか戦術家と云うか人の使い方が上手かったんでしょうね。近藤と別れた後、維新側の城を土方が指揮して2つ落としたとか聞きました。新撰組の名前とこの実績が五稜郭でも重宝された要因かな?まぁ剣術家の戦いは心理、天気、場所に着る服の色まで影響すると何かの本で見た様な気がする。命のやり取りだから少しでも有利にと皆必死で考えたでしょうね。1つ言えるのは時代劇みたいにバッタバッタとは人は切れないと云う事です。武蔵の吉岡一門100人との対決とか桃太郎侍の最後は時代劇の見せ場にはなるが現実的ではないですね。
@@藤沢唯雄 教えてくださりありがとうございます。もう度忘れする年齢で。永倉の漢字は合ってましたか? 土方は新選組を回していた人物ですから、経営者であり、それなら人の使い方はうまくなければ、ですね。戦術家とか戦略家とか、全部当たっていると思います。芹沢鴨の暗殺や伊藤甲子太郎の暗殺など、土方の戦略でしょう。土方が城を落とした、それも2つも、初耳です。戦国に生まれていれば一国一城の主、では済まず、関東管領くらいには為れていたでしょうね。日本刀は血糊がついてすぐに切れ止む。3人くらいが限度でしょうか。でも突きは有効で、それ専門なら、多くを殺せたと思います。然し単調な技だけに、かわされてしまう。現代の剣道の結果を見ても、突きで決まったのは僅かでしょう。映画で見た武蔵は、前日に要所要所に刀を置いていました。すぐに取り換えて戦える準備でしょう。しかしフィクションの世界です。個人的には、土方は五稜郭で、味方に背後から撃たれたと思っています。榎本や鳳は乗り遅れたために、新政府で働けなかった。それでアピールのために五稜郭を乗っ取ったが、思いもよらず。土方歳三が入ってきた。機会を見て政府と取引するつもりだったのに、土方は徹底した主戦派であり、榎本たちを困惑させた。それで殺害した。そう思っています。私個人のフィクションです。何故か宮本武蔵で炎上していますが、それほどの人物とも思っていません。出身も山陽地方で固まってきたようですが、私は房総半島も捨てていません。巌流島もフィクションと思っていますし、何しろ資料の無い一個人、と思っています。関ヶ原でも大坂の陣でも、川中島でも、多くの説が出て賑やかせていますが、決定打は出ていません。甲陽軍鑑も偽書とされ、義経記などはお遊びのような本です。太平記も数字だけでも完全に嘘八百です。当然、古事記・日本書紀も嘘ばかりでしょう。太平洋戦争ですら、真実が出ていない可能性が大と思います。どうも宮本武蔵から始まり、少し首を突っ込むだけのつもりが、私が主犯のような取り扱いとなり困っています。本当に武蔵に興味はないので、知識もありません。そして新選組に飛んでしまいました。これも私にとって、というより、誰にとっても謎の集団ではないでしょうか。確かなのは池田屋だけ。それも2階で戦ったのは、近藤と沖田の2人だったと聞いていましたが、最近では、戦う前に沖田が血を吐き、近藤1人で戦っていた。どこまで信用できるかは別ですが。鳳は、文字が間違っていないでしょうか。もう文章を書くのも難しいです。
なにが真実だったかは当然分からないが、、。宮本武蔵の疑惑が世の中に出てきて漫画家の井上さんはバガボンドを描き続けられなくなってしまった。。
宮本武蔵の暴露本をいろいろ読みましたが、昔から、強かった弱かった、誰かが書き残した真実とか、結局その事でお金儲けしてるだけじゃないかな?
強かった理由は、自分より弱いやつとしか戦かわなかった説
相手が強い弱いは判らないでしょう、一々果たし状が届いてから、相手を調査しますか?五輪の書の内容は達人で無ければ書けないものです。負けた相手方の手記何て、あてになりません。
@山田花太郎 まぁ勝てようが負けようが関係なく教師や親にビビリあがってなんの勝負もせず、モッサイボサボサ黒髪のままモテないインキャ中高時代をすごしたお前よりはマシだろうな。
そもそも、山ほど門弟を抱えている吉岡一門と対決している時点で全く当て嵌まらない。
現代人も大半そうですよねw
武蔵先生散々な悪口聞き捨て成らん!!イメージ壊すな!!
まあ、武蔵は卑怯者だったしまあ、確かなのは島原の乱で一揆衆の投石が脛に当たり立てなくなり退場したと言うのは確からしい。以降武蔵は亡くなるまで足を引き摺るようになってしまったとか。
島原の乱は引きずり出されたようなものでしょう。足は鉄砲傷と聞きましたが、不確かです。
@@蜻蛉斬斬鉄剣 明らかに一揆衆からの投石を脛に当てられて、「投石が足に当たりすね立ちかね申す」と、立てなくなり治療後退場を余儀なくされました。
ちなみに戦場で投石に当たるというのは武勇の証として評価の対象なのだけどね。
@@かちゃん-z3c そうなの? 軍の半数は農民で、武器を持たないので石を投げていた。印地投げと呼んでいた、と記憶している。文字は記憶が定かでないので、当て字と思ってください。IME でも出ません。戦闘の怪我人の多数が石に当たった負傷人、と聞きました、それ以上は知りません。
@@松ちゃん工房 そうですか。私の知識はどこからか? 吉川英治? 武蔵を書いていましたかね。司馬遼太郎は読まないし。相当昔に得たものは確かです。宛にならないのは認めます。出典も不明なのでは? 関ヶ原のような大戦でも、現在雑多な意見が頻出し、明らかに信用できないものから、判断不能まで。貴重な1次資料発見、と報じられても、一向に発表されない。学会での発表が行われているのでしょうか。私の知識は映画で、萬屋錦之介のシリーズです。絶対にフィクションでしょうし、島原までは作っていなかったと思います。
いずれにせよ吉川英治は「竹内文書」並みの偽書を書いたわけで。剣豪ではなく兵法者。「兵法とは詭道」と、あの司馬懿仲達も言ってる。
【兵は詭道なり】の出展は孫子では?
田原家貞の二男というのは泊神社棟札ではなく小倉宮本氏系図による説だよね?これは江戸後期に作られたもので、信憑性はほぼありません。武蔵は天正10年の生まれ、家貞は天正5年没というのが致命的ですな。吉岡伝も出鱈目の後世の創作物。宮本武蔵が松平忠直に仕える越前で有名な兵法者とか明らかにおかしい。岩流との経緯も真相というより、諸説ある中で武蔵に否定的なものをピックアップしただけのように感る。沼田家記は時代は比較的近いけど、不正確な部分も結構あるからねぇ。
千葉県に二刀流のような流派の道場があったそうです。片方は十手に似ていて、刀ではありません。そういうところから、そこが武蔵の出身地という説もあります。信頼性ゼロですが。
だいたい人を数人切れば、刀は刃こぼれをする。卜伝から皆伝を受けた将軍義輝も刀を数本用意し、松永弾正忠の兵士に向かったのですから。
ラオウみたいに乱世を生き抜いた剣豪と思いきや手段を選ばず勝てば良かろうのジャギ様とやっている事が変わらない武蔵ガッカリ(。´Д⊂)
最後まで生き延びた者が最強って事ですかねー勝者が歴史をつくるかな
宮本武蔵の強さは「戦国最強、徳川家康の従弟水野勝成公」がご子息の用心棒として採用している。それが全てを物語っていると思うがね。現在では、ほぼ東軍説が有力だけどね。仮に西軍だったとしたら、その強さが無双だったからこそだと思うが、その後東軍側武将との関係性はどう説明されるのだろう。
刃牙出典の情報は禁止
なんで吉川英治は武蔵が美作出身とか書いたのか・・・小倉時代に父も一緒だったとかいう話もありますけど
でも400年も前の人物が現代まで伝わってるんだから凄かったんだろうなここの奴らは知ったかぶりで貶すのが「俺物知りなんだぜ」と鼻高々だが
浅い知識でも逆張りしとけばそれっぽく見えるからなw
宮本武藏己成全世界知名的傳奇人物。
この時代 戦から喧嘩まで言ったもん勝ちのアピール力が勝負だからねー倒した数なんか盛るのが当たり前なのでそのまま信じるほうが世間知らずかも
佐々木小次郎の記述が無いって、そりゃそうだろう。当時、彼がが既に60歳って言うことは、既に実践の時代ではなく、教義の域。その老人を倒したからと言って、どうなんだろう?
僕につく霊に、聴くところ。全身運動。全身を使う打撃力、もちろん剣術で、手段無く翻弄剣術者。特技は接近戦、足払いからの閉め。巌流島は力業で有ります。💪すいません🙏卑怯な、やり方で、ごめんなさい。😭
武蔵は柳生十兵衛に見た目で影響を与えているに違いない。小説家は歴史家とは違い、史実を深く追究するのではなく史実から空想を膨らませるものですが、作家がしょぼいと見ていられない。近年の大河ドラマは酷すぎる。現代の考え方や価値観で当時を測るにしても、物差しが悪い。大体途中から見なくなる。面白いと逆に映画やテレビ、漫画、ゲームとなり広まり定着してしまう。私は柳生一族の陰謀を事実と信じる。
柳生一族を見ていない。十兵衛は、父親の武勇伝がないので、武蔵より強い、と言ったとどこかで読んだ。影響を受けるほどではなかっただろう。
佐々木小次郎と巌流島で決闘した話には疑問を覚える。決闘相手と場所の名前が同じだからだ。記録が混同して小次郎と戦ったことになったのではないか?
こういう時に草って使うのかな?w
そもそも『巌流島』って何で負けた方の名前を付けてるんでしょうね
武蔵がインチキ勝利したからでしょ?
@@JJ-xl9io インチキ…
島自体が小次郎の墓標みたいな物だから?
司馬遼太郎は富士の樹海を自殺名所にした作家。
あと、松本清張も
塩田剛三さんではなく、柳龍拳さんだったという事ですか?信じたくないなぁ
極端だけどめっちゃ笑ったwww
バガボンドが進まないはずやな…
宮本さん…
シシドバイケンの話しはどうなの?
生き残って者勝ち。武蔵。
竜馬が行くもそう。司馬遼太郎が書く龍馬ではないフィクションの竜馬を実際の坂本龍馬だと信じ込んでいる人の多いこと。全く史実や記録書を読むこともしないんだよね。吉川英治の宮本武蔵もそう。フィクションだらけ。こちらもそれを真実のように疑いもせず信じ込んでる人だらけw皆さん、フィクションと史実は違いますよ。
「の」に下ってはいけません、下るなら「や」にして下さい。「沼田家記」についても、「ぬまたかき」ではないですか?
正に、日本帝国時代の戦争と掛け合わせた吉川武蔵。物語や映画の世界としては、とても面白くできあがっている。しかし、いろんな資料や話では全く別である。実際には、尾張の柳生利厳(兵庫助)がもっとも強いとされている。吉岡武蔵にも登場しているが手合わせしていないのは、嘘がバレるからだろう。
いえ、小説と事実を混同されても・・・・そろそろ吉川英治や司馬遼太郎の描いた人物像のメッキがはがれてきている、というだけかと。その時流行した創作物が人物像を形作るのは当然ではないでしょうか。戦前戦後でがらりと評価が変わった新選組(司馬遼太郎のキャラ付けw)とか最たるものかと。また、一夢庵風流記以前に前田利益を認識していた人がどれだけいるでしょう?マイナーだけれど武力高めの武将としてゲームにもそれなりに出て、「奇行で知られる」というキャラクタを把握していた人は少数いるかとは思いますが。「かぶき者前田慶次郎」は隆慶一郎の創作した人物像じゃないですか。「そういうもの」でいいんじゃないでしょうか。
小説を史実ととらえないようにしないといけないな。坂本龍馬なんか司馬遼太郎の創作だし
そもそも小次郎は出生が不明で名前すらはっきりわかっていない。さらに言えば巌流島の決闘がいつ行われたのかも不明なのに60代ってどこから出てきた数字だ?
伊織さんがホラ吹いたとか・・・・。
可能性は大きいと思う。また誰かが伊織の名前を使って広めた可能性もある。
ナレーションがいいな!!!
ごろつきやチーマ、ヤクザなどの喧嘩自慢とは違い武芸者として名を上げて仕官したり後援して貰って自分の流派を広めることが目的であるから負けるわけにはいかないからプロデュース力が必須であったし有能な弟子もいないとね。一匹狼では無理だよね。人望も実力も伴わないとね、生き残れないよ。
本当の生まれ故郷は何処なの?( -_・)??
異説を唱えたことに、すぐさま鵜吞みにしてコメントしている多数の皆様に夢も信念の欠片を微塵も感じられないこと大いに失望。残念‼反論は割愛いたします。登録済みを解除しました。
以前から宮本武蔵はインチキくさいと思っていた。これが全て真実かはわからないが、少なくとも吉川英治はしっかりした裏付けはなく物語としか受け止めていなかったです。司馬遼も山壮も単に面白くフィクションを作っただけだと思います。読み物を鵜呑みにしてはいけない
読み物を鵜呑みにしてはいけない→ネットの書き込みを鵜呑みにしてはいけない(苦笑)
この動画、何処まで真実だと自信ある? 確かに吉川英治は無茶苦茶で、三国志でも、火薬の無かった時代に大砲を打ち合い、騎馬民族がタンクに乗って攻めてくる。フィクションと言い張れば文句は言えない道理だが。武蔵と小次郎は時代が違い過ぎ、戦いはなかったと思われる。大体小次郎自身も怪しく、あの物干し竿は絶対に抜けないと言われる。武蔵が百数十人を倒せるはずがないとのことだが、少林寺拳法の天才と言われる、伊藤? 先生は、1人で歩いていて、二百人の不良に取り巻かれた。戦うこと2時間。全員を倒して、伊藤先生は悠然と歩み去った。それが可能ならば、武蔵の一条寺もあり得たはずだ。
人数は諸説あるけど、仮に百人いたとしても全員を相手にする必要はない訳でね。不意打ちか何かで数人倒して無事逃げ切れたらもはや勝ちだろと思うよね。
@@fuyugaki 昔、萬家錦之助のシリーズ映画では、1番に大将となる子供を殺し、後は懸命に逃げ、邪魔をする者だけ切っていました。全部で10人くらいでしょうか。しかも前日に下見して、逃げ道と思われる個所、要所要所に刀を置いて取り換える準備をしていました。動画では突然襲われたような解説に聞こえました。映画はフィクションです。しかし動画がどこまで正しいかも疑問です。仰る通り全部倒す必要はありません。しかし例として挙げた、伊藤先生の200人はその筋では有名な話です。普段から「不良狩り」と称して歌舞伎町に2人くらいで乗り込み、不良連中を叩きのめしており、その仕返しで待ち伏せされたようです。とにかく学生時代に道場を任せられ、昇段試験では、審査員がいなかったくらいの名人だそうです。これは本人がたった1冊出した本に載っていました。60歳寸前に亡くなっています。剣道では一応多人数を相手にする方法はあります。巧妙に動き回って、敵を1列にするのです。それなら先頭1人との戦いになります。走りっぱなしになりますから大変で、実行可能かは不明です。でも僅かな失敗でも殺される世界ですから、新選組辺りは取り入れていたかも。まあ結論としては、少数を倒してその暇に逃げるは正解でしょうね。最後に、武蔵に関する動画をどこまで信じてよいのか。テレビでも、視聴率を上げるためには、徹底的に盛っているようですし。伊織の石碑を証拠として出していましたが、五輪書は武蔵のフィクションと看做して良さそうです。それに吉岡一門との2人との戦いも1人には負け、後は不戦敗、そういう男を待ち伏せして殺そうとする必要が感じられません。ならば一条寺下がり松の決闘もないのだと思います。その点で動画に矛盾があると思います。
@@蜻蛉斬斬鉄剣 自分で図書館にでも行って調べれば⁇
@@坂田銀時-e6b どうせ資料は無いに等しい時代の1個人の記録だから、図書館で何が分かる? 公的な権威にすがるのは自分を持たないからです。
@@蜻蛉斬斬鉄剣 気になるなら図書館にいけば武蔵についての資料もあるでしょこんなネットで調べればすぐに出るような浅い情報のチャンネル動画より説得力がある情報が図書館のがあるから気になるならそっちいったほうが良いよ
今時のヤンキーみたいな奴じゃん
ワクワクしないね
正統な戦法を使うことはなかったとか
インチキw
ますます、過激な親子喧嘩してた某〇キが信じれなくなった。
武蔵は仕官したいが為にある意味、情報操作を当時したわけです。言ったもん勝ちwでも世の中甘く無い。嘘くさい武蔵なんぞを信じて高禄で雇う大名もいないわけで。結局は柳生にも勝てず豊前→肥後の細川に客人として招かれましたが仕官は出来ないまま亡くなりましたよ。
この内容はどこから出た情報でしょうか。おそらく武蔵を嫌う人が嘘を言ったと思われます。吉川英治は事実をしっかり調べて小説にしているはずですが、そのような事実は書いてありませんし、五輪の書にも一切記載がありません。
木刀で殴られて武蔵は死ななかったの?wwまぁ武蔵は詐欺師だったんだなww
嘘だったらまさに宮本むなし
座布団一枚!!
なるほど 👏👏👏👏
変わった?
フロイドメイウェザーみたいなやつだな
亀田某みたいな奴だな
「宮本武蔵は本当に強かったのか?」という論争は昔からある。メジャーな説に反論したくなるのは人の世の常と言える。
事実は武蔵は生き抜き、兵法者として高い評価が有り、様々な遺産を残しているということである。現代人がどの説を信ずるかは自由だが、彼の残したものを否定することは出来ない。
宮本武蔵の生き方はまさに「勝てば良い」って感じだな
武蔵が対戦した相手側の手記じゃ眉唾です。強い弱いは別にして、相手が武士なら60回も勝てません。五輪の書はそれなりの武芸者で無ければ書き表せない内容です。五輪の書には、五部に渡り試合の仕方や、心構えが書かれています。ネット民は直ぐ話に乗せられます。
本当に強かったのか弱かったのかの二択なら間違い無く強かったな
根拠は自分より弱い人間としか闘わなかった、これは勝ち続けたなら全ての相手は弱い事になるよね。
なら自分より弱い相手としか闘わなかったのならどーやって確認する?
実際に闘わなきゃわからないよ
最強の剣豪を肩書に60までハッタリで生き延びられると思う?
逃げられない勝負だってある、事ある事に勝負を挑まれ教えを請われる
圧倒的な力の差が無ければ試合に勝っても傷を負わされ指や腱、手足を切り落とされたら次は無い
勝つだけで無く無傷で勝ち上がら無いといけない条件だった
挑んで来る相手は全て武蔵と知っててなお武蔵を倒せる自信のある相手だよ
ハッタリで最強の剣豪を名乗り仕官出来るほど時代は甘く無いよ。
武蔵が生きた、切るか切られるかの時代。現代の私達には、到底及びつかない気持ちでの日々を過ごしていたのだと思います。
そんな中を兵法者として生き抜いた事、ヤッパリ凄いなぁ、と思わざるを得ません。
小説などのストーリーの中に生きている武蔵も、実際の武蔵も、そういった、やるかやられるかの時代を駆け抜けて生き抜いた武芸者である事に変わりはありません。
やはり、武蔵は好きだなぁ☺️
元はといえば作家の直木三十五(「直木賞」は彼の名にちなんでいる)が講談の世界で有名な宮本武蔵を「剣豪などではない」と言ったことに吉川英治が反発して論争に発展し、彼を主人公にした小説を書きはじめたことが今に繋がる武蔵像を決定づけることになったわけだ。
たぶん吉川英治は「五輪の書」や彼の絵画作品などから彼の精神性を汲み取り、そこに本物の剣豪を見出したのだと思われる。
そして自分はいま、TH-camで1984年にNHKで制作された役所広司主演のドラマを観ている最中である。
めちゃくちゃ面白い。
戦乱の時代に自己の可能性と存在意義を求めて各地を放浪し沢庵和尚や柳生一族など実在の人物を絡めて語られるその波乱万丈の物語はもはや普遍的な英雄神話のようなものといって良い。
修行に突き進む武蔵を慕い追いかけ続けるお通さん(古手川祐子)も女神のようだ(お通さんが実在しないのは確かだが)。
それを観ていて思うに、これは司馬遼太郎にも言えることだが、優れた語り部によって語られた普遍的で素晴らしい物語が、結局国民の歴史になってゆくのである。
これは日本に限らず、三国志など中国史も物語に他ならない(三国志も吉川英治版が最も読まれている)。
吉川英治は「事実」ではなく、武蔵の著作や書画から「真実」を描いたのだ。
それでいいとおもう。
個人的には北大路欣也がテレビ東京の正月番組でやった武蔵がよかったです。
武蔵は自分より強い相手と悟ったら戦わず逃げるが勝ちを優先させた逸話もありますね。
剣を交えず放棄する事は勝負していないので負けではないという考えがあったのでしょう。
ある意味、動物的感覚が優れていたと思います。
しかし小次郎、、、可哀想過ぎる。。
自分より強い相手と戦わないって剣豪・兵法者といわれる人ほとんどそうでしょう。
そもそも負けた記録が残ってたら後世に名を遺すほど有名になってないし。
師弟関係があるとか竹刀でパンパン叩き合うとかなら負けてもリスク少ないけど。
@@かちゃん-z3c 負けた記録が残ってても名を残した剣豪なんていっぱいいるでしょ?
@@piazza850i
例えば誰?
@@かちゃん-z3c 動画にも出てる吉岡直綱(清十郎?)や吉岡伝七郎、そして佐々木小次郎は武蔵に負けたって記録があるけど名を残してるよね。逆に動画の言う通り吉岡側の記録では武蔵が負けた記録が残ってるけど武蔵も名を残してるよね。
他に…柳生石舟斎は上泉 信綱(上泉伊勢守)、小野忠明は伊藤一刀斎に負けてる(って言われてる)。このふたりはそれぞれ師弟関係ではあるけど負けてからの弟子入りだから入れていいよね?
師弟関係と言えば鐘捲自斎は弟子の伊藤一刀斎に負けたって言われてるね。
すなわち実戦であり、兵法だと思います。一騎討ちのみならず、戦国時代の合戦も原理原則は同じだと思います。
勝つためなら何でもやる!これが武蔵の武道!
なんか、武蔵を否定的に捉え過ぎてるよーな気がする。
人それぞれの捉え方だと思うけど
この動画はアンチ武蔵の動画なんですね…
武蔵側の記述だろうが
相手側の記述だろうが
真相は今となってはわかりませんよ?
間違いない事は
闘う事に一生を費やし、全ての闘い、決闘に生き残った人です。
喧嘩すらも録に知らない俺たち現代人ごときが
上から武蔵卑怯だとか最低とか?評価?おこがましすぎると思う
五輪の書
十分に為になることも書かれてます
しね
吉岡側が嘘の記録を残した可能性もあり得るのでは?
巌流島にしてもむしろ島に待機していた小次郎の弟子たちから逃れるために一撃で小次郎を倒した後にとどめをさあさず一目散に脱出したとの記録もあり、何が真相かは分からないままなのですよ。
坂本龍馬もそうだけどあまり過去の偉人を貶める行為は己自身が貶められます。
わからないからこそ多角的に見る必要があるんでは?
吉岡側の記録は試合後80年ほど後に伝記作家によって書かれたもので、嘘というよりフィクションだから資料的価値はないよ。
巌流島も動画にあるような師範同士の争いなら検視役すらいないってのはおかしい。
二人だけで真剣勝負って負けた方の手当はどうするの?
相打ちの時は二人して野垂れ死に?て事になるからありえません。
よってどちらか一方だけが弟子を大量に潜ませてとかありえません。
ありえないって、なんで?
別に宮本武蔵に興味ないからどっちでもいいんだけど。史実って勝者の歴史だから。事実と異なることなんか普通だと思いますよ。
@@むしかめ-c6f
離れ小島で検視役も付けず二人だけで真剣勝負って状況があり得ないからです。
見た人間がいないんで、ありえないなんてありえない 以上
美作の国の広さは時代と共に変化して居ます江戸時代と現代では全然違いますので播磨でも美作でも正解なのです!又武蔵は竹内流の使い手なので吉岡に勝てたとしても納得する事です!兵法の闘いなので諜報戦から実戦何でも有りなので正解は無いと思われます。
武蔵はせこくても実績を作ってとにかく出世したかったんだな、僕たちが想像してた宮本武蔵は完全な創作だったわけだ、まあ吉川英治のおかげで最強の象徴「宮本武蔵」として超有名になれたわけだから武蔵の夢は叶ったのか
格闘技でも「ノールールの実戦で一番強い格闘技とは!?」という議論がありますが、アレは答えが出ません。そもそも実戦の様態は一騎討ちだったり集団戦だったり千差万別であり、定義できませんので。ルールがある格闘競技なら強弱を測れますけどね。幕末における黒船の大砲に数多の優れた剣士達は戦う前から負けていました。コレが実戦だと思います。
宮本武蔵が極めて優れた兵法家だったのは、確かだと思います。また合戦における剣術と、幕末などのテロにおける剣術はまた技術体系や思想が異なると思います。
木刀試合でも下手すれば死んだり障害負うし、武芸者として名を上げようと思ったらセコい立ち回りも必須だったんだろうね。
60まで真っ直ぐに生きてきた小次郎凄い。
小次郎は武蔵よりずっと後の時代の人で、出会う事は無かっただろう。巌流島は完全なフィクションだ、と、子供のころに聞きました。物干し竿は、絶対に抜けないそうですし、鞘に収めようがなかったようです。
これは、元が根拠がないと思うので、答えようがありません。
話を盛っちゃってるのは武蔵だけじゃなく当時の立身出世の為の手法の一つに過ぎないので注意してくださいね。
【それぞれの記録】
新免無二 vs 吉岡憲法
新免側:勝った
吉岡側:勝った
立合人:引き分けである
宮本武蔵 vs 吉岡清十郎(憲法)他
武蔵側:勝った
吉岡側:勝った
立合人:引き分けである
ひとつハッキリ言えることは負けたら終わりだということ。だから負けないために策をうつのは至極当然。少年マンガではないのだから駆け引きは奇麗事じゃないしカッコイイものでもない。北斗の拳に出てくるラオウも相手に死兆星を見たかどうかを聞いて闘うかを判断していた。なにも考えずただ純粋に戦う?それはただのお馬鹿さん。
バトル漫画とかでたまにあるような卑劣な手段使っても最後に生きてた方が勝者みたいな戦場的な価値観なんかロマンあって好き
吉岡の100人との戦いは大将1人倒せば相手100人の負けですからね、
倒した後さっさと逃げたんだと思います。当然兵法者だから退路も確認して確保してるでしょうし。ってかそれが現実的w
宮本武蔵は最強の剣豪などと名乗ったことはない。武蔵は武芸者つまり戦略家として最強であろうとした。
無礼者~(ノ-_-)ノ~┻━┻
実際、兵法家希望だよねこの人。
実戦的で誠によろしい、と思います。
「吉岡伝」によると宮本武蔵と試合したのは吉岡直綱で京都所司代、板倉伊賀の守勝重の仲介であったとある。
宮本武蔵は吉岡直綱に眉間を撃たれおびただしい血を流したが相打ちと言う者もあって吉岡直綱が「明日もう一度
やろう」と言うと武蔵は「直綱との勝負は決まった弟の直重とやりたい」と希望、それで日を定めて試合ということに
なったが武蔵は逃げてしまったとある。その後の吉岡一門は豊臣方に味方、大阪城に入るが敗戦し道場を閉めること
になります。吉岡憲法と呼ばれ京都では徳の高さからも人気があったとのことです。
舟島の決闘では藩主が見に来ていたと藩の帳簿にあるので小次郎側の話も信用できないですよ
武蔵周りの文献は照らし合わせるとどれも辻褄が合わず、吉岡も含め何もかも信じられない
宮本武蔵は当時としては珍しい左利きだった
左利きを利用し 右利きの相手の剣を右手で受けて左手で相手を斬る戦法だったとも……
吉岡一門との戦いでは 相手が死装束(白)で現れたのに対し
黒っぽい服装で闇夜で戦い(言わばゲリラ戦)で勝利したとも……
佐々木小次郎は 他の文献でも かなりの高齢で60歳以上だったとも言われている
今の60歳とは違い 当時の年齢を今の年齢で考えると1.2倍~1.5倍違うと言われているから
まぁ~勝って当たり前ですわ
逆に武蔵が17~18の若年だったと言う説もあるよね
武蔵より年上なのは恐らく間違いないと思うけど、60歳以上というのは盛り過ぎな感じはするなぁ
小次郎は18歳だった、という説もありますよ。
一条下がり松は、早朝と聞いていますが。何も信用できない。
武蔵と小次郎はねぇ・・・弟子の喧嘩が引くに引けなくなっちゃって本当は2人とも戦いたくなかったと推測しますね。
だからその後は闘うのをやめてしまったと。
本当に1体1で戦って勝ったのかもしれないですし、小次郎の弟子が逆ギレして襲おうとしたり多人数で殺したと噂流したりしたのかも。っていうのも想像出来ますw
吉川英治が書いたのは「小説」でしょう?、まるで見てきた様に書かなきゃ売れないから、脚色はしますわな。それを鵜呑みにされても困るだろうから、草葉の陰で笑っている事だろうね。言い伝えと資料しかない人物の話をしてもせんなきこと、人其々の心に任せるのが筋。だが、天下無敵の兵法者を想像するだけで面白いでしょう?、それに卑怯だったって話だけで、弱かったとの話は伝えられていない。いつの世も、悪口を言う人間はいる。あら探しして何になろう、野暮ってもんだよ。
勝てそうな試合だけやったという説もあるようです。当時はまだ戦国の気風が残っていて策略で勝つのも実力のうちだったのではないかなあ。佐々木小次郎もそれが分かってて一人で巌流島に言ったというのも変ですが佐々木小次郎を弟子と一緒に撲殺したという所では吹きました。当時としてはこういう勝ち方もアリだったのでしょう。
生涯、風呂に入らなかった。
遊女との間に娘が産まれたが、幼くして病死した。
島原の乱では、老婆の投石が命中して、戦線離脱を余儀なくされた。
宮本武蔵の裏話より
風呂嫌いだったんだw
武蔵は剣術家というより兵法者だったんじゃないかな
卑怯上等、戦国らしくていい
一門領民背負った戦国武将ならともかく、武芸者がそれじゃダメだろw
@@一雑田シゲキ
そんな奴が最強の剣豪扱いはヤバいよね
武将と武芸者・剣豪を住み分けさせる意味が解らん。
剣術なんて所詮武士の本懐を全うするため、勝つためのツールの一つに過ぎないよ。
可児歳三なんて武芸者に試合申し込まれたら家人を大勢引き連れて鉄砲まで持ってきたって話もあるくらいだw
それで卑怯と罵られるどころか褒められたっていう時代だよ。
ずっと後の太平の時代の武芸者と戦国武将なら明らかに違うと言えるかもしれんけどね。
塚原卜伝、上泉信綱は戦国武将なのか武芸者なのか
柳生宗矩や小野忠明はどうだろう
まぁ、馬鹿げた話だわなぁ
@@w-oo
小野忠明はクズでした
武蔵が田原氏出身という説が有力なら別所氏の家老格である黒田氏の配下であり、黒田家に知己、親戚は多数居たはずで、黒田家配下で出陣という説も特に違和感は無いな。
武蔵対小次郎は小倉藩重役の長岡佐渡対岩間角兵衛の派閥権力抗争の一部でもあった
いい見解ですね。
娯楽のない昔、特に江戸時代中期以降は弛緩した時代で文学、芸術が発展したと言われていますので、やはり面白ければ良い、売れれば良い、というような話もあったと思います。
自分より強い相手をは絶対戦わず。これが宮本武蔵の極意
とはいっても相手の強さなんて立ち合いもせずに正確に測れるんですかね?スカウターでもあれば別ですが。もっとも、弱い者はそれこそ宮本武蔵君がそうであるように勝つ(生き延びる)ためにどんどんひきょうな手を使ってくる可能性が高いですから、相手が弱いから確実に勝てるとは言えませんがね。
修練を積んでいくと自分の強さがわかってくる
さらに自分を鍛え上げていくと相手の強さがわかってくる
さらにもっと高みに踏み込むと何が強いのかわからなくなってくる
昔小説か何かで見た言葉だけど良い言葉だなと思った
負ければ死ぬのに、まともな剣豪は自分より明らかに強い相手と試合しないのは常識でしょう。
宮本武蔵駅行きたい!
百人相手に勝つってマンガレベル。小次郎もズルとしか思えん。女性抱いた事無いって怪しすぎる。
醜男で、風呂嫌いで体臭がキツかったという記述を見たことがある。女性に相手にされなかったのでは。
まぐわう際には女性を上にしてまぐわえとか記述があるぞ
やってる最中に襲われても、女性を上にしておけば盾代わりに出来るし、そのまま蹴り飛ばして刀を取りに行く隙も作れるからとか・・・
これはこれでヒドイw
@@mr.chin-chyan ワシは抱きつき正常位が大好きじゃ。あと種付けプレスもな。
物書きと言う者はそれで、生活費稼ぎです。面白おかしくしないと生活が成り立たない、水戸黄門漫遊記と同じ。講釈師見てきた様に噓を言う。
歴史なんて勝てば官軍負ければ賊軍ですからね。勝った側や権力を持った側が都合よく歴史を書き換えることが可能性が大きいですよ。
島原の乱で武士以外を傷つけるのが嫌で態と負傷して撤退したんだと思う。
近年になって、客寄せパンダみたいに剣豪と神格化させられただけでしょ。
英雄なんて一人の例外もなくそんなもんだ。イエス・キリストだって中東のユダヤ人だからホントはあんな白人の顔や肌なんかしてなかったはずだ。あれは、ギリシア神話のゼウスに似せた顔を描くことで『神の子』であると強調させたかったにちがいない。
佐々木小次郎は 背が高くて イケメンだったらしい✨✨✨✨👀😊
太刀も 自分の体格用に 特注で作られたものだったとか✨✨⚔
自身の体格を うまく活かした剣術を編み出した天才✨✨✨✨
個人的には、兵法者は戦全体の兵の運用を考える人と認識をしているので、参謀のような人だと思っています。己の強さのみを極めようとしている人は武芸者ではないかと考えます。
兵法とは、国維持の手段であり、その意味では政治でもある。孫氏が百年兵を養うも、と書いているのはその部分だろう。戦全体の構想を練り、そして武芸者。つまり多くの意味を含んでいて、捉え方によって解釈が違うと思う。例えば、軍師であり、一兵卒でもある。
吉岡家との一乗寺下り松の件は眉唾ものですね。
五輪書で記述がなかったのを知って何か闇を感じた。
巌流島は細川家
いた豪族長さで反乱とかを恐れ消してしまおうと暗、殺さるするため決闘と見せて暗殺したのだよね。だから武蔵はすぐに逃げ出したのですよねだから五輪の書けなかったのですよね。
素晴らしい!感動しました。今度坂本龍馬もやってください。あまりにも通説が嘘ばかりで耐え難いです。
広島のおっちゃんのつぶやき🙎……宮本武蔵に対して悪意があります❗かたよった話、片方の話だけ悪意があります❗
真剣では死ぬので木刀で勝負してたのだが、今ではそれでも危険なので竹刀となり防具も付けるようになった。そしてスポーツとなりルールの下、卑怯は許されなくなったのだが、武蔵はギリギリ命のやり取りしてた訳で作戦として許されたのかな?
いや、ダメだろ。
これだと小次郎が、武蔵よりもよほど武士らしいということになる。
弱いからこそ、戦略を用いなければならない。
また武蔵が吉岡清十郎に負けたことが真実であれば、清十郎の弟である伝七郎が武蔵と試合する必要はないので、この解説はおかしい。それに最後の決闘で吉岡の子供の大将の命を取った後は、弟子100人と戦う必要はないので、降りかかる火の粉を振り払いながら、その場を立ち去るだけです。したがって、この解説は作り話でしょう。
バキのせいで、自分の中で宮本武蔵がむっちゃ強いイメージしかないからこの動画見て「あ…」ってなった。
肉の宮
井上雄彦もこれ知って、投げ出しちゃったんだね。バガボンド。
所詮漫画なんだから良いと思うけど。売れてたみたいだし。
まぁ歴史に関する書物は誰が書いたかに影響される。勝者側は都合良く、敗者側は汚名が残らぬ様にと書く。
事実は当時の武芸者で有る武蔵が有力大名の細川家客分で天寿を全うし、彼の名前も流儀も書物も現在まで
伝わっている。それが武蔵の実像である。木刀でも一流の剣術家なら死に至る殺し合いである。生き残った方が
勝ちで死んだ方が負けで有る。きれい事ばかりでは済まない世界ですよ。当時の兵法とは戦いに勝つ方策で有り、
生き残った武蔵の方が死んだ小次郎より優秀だったと言う事でしょう。巌流と云う流儀は残っているのかな?
長刀は残っているでしょうね、誰が考えても有利ですよ。実戦じゃ重さが不利になるけどね。二刀流も一緒です。
体力に影響される流儀ですね。まぁ現在まで名前、流儀が残る剣豪は何れも強いと思いますよ。誰が1番なんて意味が無い。
小次郎の年齢が事実なら若い頃は相当強かった。結局最後は負ける。今でも最強と言われるマイクタイソンも最後は負けた。
物干し竿は抜けない、納められない、が定説です。武蔵の二刀流は、片方を投げつけ、驚く隙に切りつけたとも聞きます。
@@蜻蛉斬斬鉄剣 昔の命のやり取りです。何でも有りになりますよ。明治維新の時代だと新撰組の
沖田、斎藤とか強いと名前上がりますがやはり不意討ちとか暗殺が多い。ましてや武蔵の頃は豊臣から
徳川への変換期でいわゆる浪人も多かった訳だから尋常な勝負がどれ程有ったか?だと思いますね。
@@藤沢唯雄 北辰一刀流は最初に居合を教えたそうです。居合は必殺の暗殺技です。また、絶対の防御技とも言われています。居合も剣道も齧ったことがあります。凄く速く抜くのだ、と思っていましたが、違いますね。心理的な合理性でしょうか。横の本棚に「無双直伝英信流」というタイトルのCDがあります。居合ですが、習ったのは、無双が最後についていました。でも習ってもいないCDは買わないから、どうなっているのか。無双でなく夢想という流派もありますね。思い出しました。両方とも土佐が発祥です。それほど変わらない中身です。夢想のCDや、柳生のCDも持っていましたね。買わないと思いますが。真正面で座って話し合い、いきなり相手の脇差を抜いて突き刺す。相手は刀もなく急なことで、避けられない。こんな卑怯なことが生き延びる秘訣なのでしょう。どこの流派か忘れました。神道無念流? 近藤勇の流派はこんな名前じゃなかったですか。斎藤一も使い手だったと書く人もいますが、彼は北辰一刀流で、近藤の道場に居候していたはずです。明治維新の時代だと、沖田、斎藤。と書かれていますが、新選組とされているなら、幕末でしょう。明治に変わるころには、沖田は重病人じゃないですか? 斎藤は会津で戦い続け、家老の娘と結婚して名字が変わりました。明治になってからも、師範学校の四段クラスを5人ほど同時にかからせて、籠手1本取らせなかったほど強かったそうです。明治で警察官だったのかな? 西南戦争では政府軍として奮戦しました。畳の上で死んでいるんじゃないですか。集団同士の戦いで、籠手をとられれば死を意味するでしょう。新選組で1番強かったのが永倉新八、次が沖田総司、次が斎藤一。永倉と沖田は同様に強かったが、3番手の斎藤は沖田との稽古では、子ども扱いされていた、ということです。日清戦争の時、永倉が志願しましたが、お気持ちだけ頂きます、と帰されました。何歳になっていたのでしょう。孫を連れて歩いていると、やくざ数名に囲まれた。ステッキ1本で2人に突きを入れて倒すと、忽ち逃げ去って行った、とか、学校から、剣道を教えてほしい、と頼まれ、型を一通り見せて、大声で、人を殺すときは、と言って倒れてしまったとか。皆最後まで戦士でしたね。後、居合の時に掛け声をかける人を見かけますが、全くわかっていない。暗殺ですから、音もたてずに殺して、すっと逃げ去る。それが本物です。
@@蜻蛉斬斬鉄剣 近藤勇は天然理心流ですね。永倉の晩年のエピソードは私も本で読みました。
土方は剣客と言うより戦が上手いと云うか戦術家と云うか人の使い方が上手かったんでしょうね。
近藤と別れた後、維新側の城を土方が指揮して2つ落としたとか聞きました。新撰組の名前とこの
実績が五稜郭でも重宝された要因かな?まぁ剣術家の戦いは心理、天気、場所に着る服の色まで影響すると
何かの本で見た様な気がする。命のやり取りだから少しでも有利にと皆必死で考えたでしょうね。
1つ言えるのは時代劇みたいにバッタバッタとは人は切れないと云う事です。武蔵の吉岡一門100人との
対決とか桃太郎侍の最後は時代劇の見せ場にはなるが現実的ではないですね。
@@藤沢唯雄 教えてくださりありがとうございます。もう度忘れする年齢で。永倉の漢字は合ってましたか? 土方は新選組を回していた人物ですから、経営者であり、それなら人の使い方はうまくなければ、ですね。戦術家とか戦略家とか、全部当たっていると思います。芹沢鴨の暗殺や伊藤甲子太郎の暗殺など、土方の戦略でしょう。土方が城を落とした、それも2つも、初耳です。戦国に生まれていれば一国一城の主、では済まず、関東管領くらいには為れていたでしょうね。日本刀は血糊がついてすぐに切れ止む。3人くらいが限度でしょうか。でも突きは有効で、それ専門なら、多くを殺せたと思います。然し単調な技だけに、かわされてしまう。現代の剣道の結果を見ても、突きで決まったのは僅かでしょう。映画で見た武蔵は、前日に要所要所に刀を置いていました。すぐに取り換えて戦える準備でしょう。しかしフィクションの世界です。
個人的には、土方は五稜郭で、味方に背後から撃たれたと思っています。榎本や鳳は乗り遅れたために、新政府で働けなかった。それでアピールのために五稜郭を乗っ取ったが、思いもよらず。土方歳三が入ってきた。機会を見て政府と取引するつもりだったのに、土方は徹底した主戦派であり、榎本たちを困惑させた。それで殺害した。そう思っています。私個人のフィクションです。
何故か宮本武蔵で炎上していますが、それほどの人物とも思っていません。出身も山陽地方で固まってきたようですが、私は房総半島も捨てていません。巌流島もフィクションと思っていますし、何しろ資料の無い一個人、と思っています。関ヶ原でも大坂の陣でも、川中島でも、多くの説が出て賑やかせていますが、決定打は出ていません。甲陽軍鑑も偽書とされ、義経記などはお遊びのような本です。太平記も数字だけでも完全に嘘八百です。当然、古事記・日本書紀も嘘ばかりでしょう。太平洋戦争ですら、真実が出ていない可能性が大と思います。
どうも宮本武蔵から始まり、少し首を突っ込むだけのつもりが、私が主犯のような取り扱いとなり困っています。本当に武蔵に興味はないので、知識もありません。
そして新選組に飛んでしまいました。これも私にとって、というより、誰にとっても謎の集団ではないでしょうか。確かなのは池田屋だけ。それも2階で戦ったのは、近藤と沖田の2人だったと聞いていましたが、最近では、戦う前に沖田が血を吐き、近藤1人で戦っていた。どこまで信用できるかは別ですが。
鳳は、文字が間違っていないでしょうか。もう文章を書くのも難しいです。
なにが真実だったかは当然分からないが、、。宮本武蔵の疑惑が世の中に出てきて漫画家の井上さんはバガボンドを描き続けられなくなってしまった。。
宮本武蔵の暴露本をいろいろ読みましたが、昔から、強かった弱かった、誰かが書き残した真実とか、結局その事でお金儲けしてるだけじゃないかな?
強かった理由は、自分より弱いやつとしか戦かわなかった説
相手が強い弱いは判らないでしょう、一々果たし状が届いてから、相手を調査しますか?五輪の書の内容は達人で無ければ書けないものです。
負けた相手方の手記何て、あてになりません。
@山田花太郎 まぁ勝てようが負けようが関係なく教師や親にビビリあがってなんの勝負もせず、モッサイボサボサ黒髪のままモテないインキャ中高時代をすごしたお前よりはマシだろうな。
そもそも、山ほど門弟を抱えている吉岡一門と対決している時点で全く当て嵌まらない。
現代人も大半そうですよねw
武蔵先生散々な悪口聞き捨て成らん!!イメージ壊すな!!
まあ、武蔵は卑怯者だったし
まあ、確かなのは島原の乱で一揆衆の投石が脛に当たり立てなくなり退場したと言うのは確からしい。以降武蔵は亡くなるまで足を引き摺るようになってしまったとか。
島原の乱は引きずり出されたようなものでしょう。足は鉄砲傷と聞きましたが、不確かです。
@@蜻蛉斬斬鉄剣
明らかに一揆衆からの投石を脛に当てられて、
「投石が足に当たりすね立ちかね申す」と、立てなくなり治療後退場を余儀なくされました。
ちなみに戦場で投石に当たるというのは武勇の証として評価の対象なのだけどね。
@@かちゃん-z3c そうなの? 軍の半数は農民で、武器を持たないので石を投げていた。印地投げと呼んでいた、と記憶している。文字は記憶が定かでないので、当て字と思ってください。IME でも出ません。戦闘の怪我人の多数が石に当たった負傷人、と聞きました、それ以上は知りません。
@@松ちゃん工房 そうですか。私の知識はどこからか? 吉川英治? 武蔵を書いていましたかね。司馬遼太郎は読まないし。相当昔に得たものは確かです。宛にならないのは認めます。出典も不明なのでは? 関ヶ原のような大戦でも、現在雑多な意見が頻出し、明らかに信用できないものから、判断不能まで。貴重な1次資料発見、と報じられても、一向に発表されない。学会での発表が行われているのでしょうか。私の知識は映画で、萬屋錦之介のシリーズです。絶対にフィクションでしょうし、島原までは作っていなかったと思います。
いずれにせよ吉川英治は「竹内文書」並みの偽書を書いたわけで。剣豪ではなく
兵法者。「兵法とは詭道」と、あの司馬懿仲達も言ってる。
【兵は詭道なり】の出展は孫子では?
田原家貞の二男というのは泊神社棟札ではなく小倉宮本氏系図による説だよね?
これは江戸後期に作られたもので、信憑性はほぼありません。
武蔵は天正10年の生まれ、家貞は天正5年没というのが致命的ですな。
吉岡伝も出鱈目の後世の創作物。
宮本武蔵が松平忠直に仕える越前で有名な兵法者とか明らかにおかしい。
岩流との経緯も真相というより、諸説ある中で武蔵に否定的なものをピックアップしただけのように感る。
沼田家記は時代は比較的近いけど、不正確な部分も結構あるからねぇ。
千葉県に二刀流のような流派の道場があったそうです。片方は十手に似ていて、刀ではありません。そういうところから、そこが武蔵の出身地という説もあります。信頼性ゼロですが。
だいたい人を数人切れば、刀は刃こぼれをする。卜伝から皆伝を受けた将軍義輝も刀を数本用意し、松永弾正忠の兵士に向かったのですから。
ラオウみたいに乱世を生き抜いた剣豪と思いきや手段を選ばず勝てば良かろうのジャギ様とやっている事が変わらない武蔵ガッカリ(。´Д⊂)
最後まで生き延びた者が
最強って事ですかねー
勝者が歴史をつくるかな
宮本武蔵の強さは「戦国最強、徳川家康の従弟水野勝成公」がご子息の用心棒として採用している。それが全てを物語っていると思うがね。現在では、ほぼ東軍説が有力だけどね。仮に西軍だったとしたら、その強さが無双だったからこそだと思うが、その後東軍側武将との関係性はどう説明されるのだろう。
刃牙出典の情報は禁止
なんで吉川英治は武蔵が美作出身とか書いたのか・・・
小倉時代に父も一緒だったとかいう話もありますけど
でも400年も前の人物が現代まで伝わってるんだから
凄かったんだろうな
ここの奴らは知ったかぶりで貶すのが「俺物知りなんだぜ」
と鼻高々だが
浅い知識でも逆張りしとけばそれっぽく見えるからなw
宮本武藏己成全世界知名的傳奇人物。
この時代 戦から喧嘩まで言ったもん勝ちのアピール力が勝負だからねー
倒した数なんか盛るのが当たり前なのでそのまま信じるほうが世間知らずかも
佐々木小次郎の記述が無いって、そりゃそうだろう。当時、彼がが既に60歳って言うことは、既に実践の時代ではなく、教義の域。その老人を倒したからと言って、どうなんだろう?
僕につく霊に、聴くところ。全身運動。全身を使う打撃力、もちろん剣術で、手段無く翻弄剣術者。特技は接近戦、足払いからの閉め。巌流島は力業で有ります。💪すいません🙏卑怯な、やり方で、ごめんなさい。😭
武蔵は柳生十兵衛に見た目で影響を与えているに違いない。
小説家は歴史家とは違い、史実を深く追究するのではなく史実から空想を膨らませるものですが、作家がしょぼいと見ていられない。近年の大河ドラマは酷すぎる。現代の考え方や価値観で当時を測るにしても、物差しが悪い。大体途中から見なくなる。
面白いと逆に映画やテレビ、漫画、ゲームとなり広まり定着してしまう。私は柳生一族の陰謀を事実と信じる。
柳生一族を見ていない。十兵衛は、父親の武勇伝がないので、武蔵より強い、と言ったとどこかで読んだ。影響を受けるほどではなかっただろう。
佐々木小次郎と巌流島で決闘した話には疑問を覚える。決闘相手と場所の名前が同じだからだ。記録が混同して小次郎と戦ったことになったのではないか?
こういう時に草って使うのかな?w
そもそも『巌流島』って何で負けた方の名前を付けてるんでしょうね
武蔵がインチキ勝利したからでしょ?
@@JJ-xl9io インチキ…
島自体が小次郎の墓標みたいな物だから?
司馬遼太郎は富士の樹海を自殺名所にした作家。
あと、松本清張も
塩田剛三さんではなく、柳龍拳さんだったという事ですか?
信じたくないなぁ
極端だけどめっちゃ笑ったwww
バガボンドが進まないはずやな…
宮本さん…
シシドバイケンの話しはどうなの?
生き残って者勝ち。武蔵。
竜馬が行くもそう。司馬遼太郎が書く龍馬ではないフィクションの竜馬を実際の坂本龍馬だと信じ込んでいる人の多いこと。全く史実や記録書を読むこともしないんだよね。吉川英治の宮本武蔵もそう。フィクションだらけ。こちらもそれを真実のように疑いもせず信じ込んでる人だらけw
皆さん、フィクションと史実は違いますよ。
「の」に下ってはいけません、下るなら「や」にして下さい。
「沼田家記」についても、「ぬまたかき」ではないですか?
正に、日本帝国時代の戦争と掛け合わせた吉川武蔵。
物語や映画の世界としては、とても面白くできあがっている。
しかし、いろんな資料や話では全く別である。
実際には、尾張の柳生利厳(兵庫助)がもっとも強いとされている。
吉岡武蔵にも登場しているが手合わせしていないのは、嘘がバレるからだろう。
いえ、小説と事実を混同されても・・・・
そろそろ吉川英治や司馬遼太郎の描いた人物像のメッキがはがれてきている、というだけかと。
その時流行した創作物が人物像を形作るのは当然ではないでしょうか。戦前戦後でがらりと評価が変わった新選組(司馬遼太郎のキャラ付けw)とか最たるものかと。
また、一夢庵風流記以前に前田利益を認識していた人がどれだけいるでしょう?マイナーだけれど武力高めの武将としてゲームにもそれなりに出て、「奇行で知られる」というキャラクタを把握していた人は少数いるかとは思いますが。「かぶき者前田慶次郎」は隆慶一郎の創作した人物像じゃないですか。
「そういうもの」でいいんじゃないでしょうか。
小説を史実ととらえないようにしないといけないな。坂本龍馬なんか司馬遼太郎の創作だし
そもそも小次郎は出生が不明で名前すらはっきりわかっていない。さらに言えば巌流島の決闘がいつ行われたのかも不明なのに60代ってどこから出てきた数字だ?
伊織さんがホラ吹いたとか・・・・。
可能性は大きいと思う。また誰かが伊織の名前を使って広めた可能性もある。
ナレーションがいいな!!!
ごろつきやチーマ、ヤクザなどの喧嘩自慢とは違い武芸者として名を上げて仕官したり
後援して貰って自分の流派を広めることが目的であるから負けるわけにはいかないから
プロデュース力が必須であったし有能な弟子もいないとね。一匹狼では無理だよね。
人望も実力も伴わないとね、生き残れないよ。
本当の生まれ故郷は何処なの?( -_・)??
異説を唱えたことに、すぐさま鵜吞みにしてコメントしている多数
の皆様に夢も信念の欠片を微塵も感じられないこと大いに失望。残念‼
反論は割愛いたします。登録済みを解除しました。
以前から宮本武蔵はインチキくさいと思っていた。これが全て真実かはわからないが、少なくとも吉川英治はしっかりした裏付けはなく物語としか受け止めていなかったです。司馬遼も山壮も単に面白くフィクションを作っただけだと思います。読み物を鵜呑みにしてはいけない
読み物を鵜呑みにしてはいけない→ネットの書き込みを鵜呑みにしてはいけない(苦笑)
この動画、何処まで真実だと自信ある? 確かに吉川英治は無茶苦茶で、三国志でも、火薬の無かった時代に大砲を打ち合い、騎馬民族がタンクに乗って攻めてくる。フィクションと言い張れば文句は言えない道理だが。武蔵と小次郎は時代が違い過ぎ、戦いはなかったと思われる。大体小次郎自身も怪しく、あの物干し竿は絶対に抜けないと言われる。武蔵が百数十人を倒せるはずがないとのことだが、少林寺拳法の天才と言われる、伊藤? 先生は、1人で歩いていて、二百人の不良に取り巻かれた。戦うこと2時間。全員を倒して、伊藤先生は悠然と歩み去った。それが可能ならば、武蔵の一条寺もあり得たはずだ。
人数は諸説あるけど、仮に百人いたとしても全員を相手にする必要はない訳でね。
不意打ちか何かで数人倒して無事逃げ切れたらもはや勝ちだろと思うよね。
@@fuyugaki 昔、萬家錦之助のシリーズ映画では、1番に大将となる子供を殺し、後は懸命に逃げ、邪魔をする者だけ切っていました。全部で10人くらいでしょうか。しかも前日に下見して、逃げ道と思われる個所、要所要所に刀を置いて取り換える準備をしていました。動画では突然襲われたような解説に聞こえました。映画はフィクションです。しかし動画がどこまで正しいかも疑問です。仰る通り全部倒す必要はありません。しかし例として挙げた、伊藤先生の200人はその筋では有名な話です。普段から「不良狩り」と称して歌舞伎町に2人くらいで乗り込み、不良連中を叩きのめしており、その仕返しで待ち伏せされたようです。とにかく学生時代に道場を任せられ、昇段試験では、審査員がいなかったくらいの名人だそうです。これは本人がたった1冊出した本に載っていました。60歳寸前に亡くなっています。剣道では一応多人数を相手にする方法はあります。巧妙に動き回って、敵を1列にするのです。それなら先頭1人との戦いになります。走りっぱなしになりますから大変で、実行可能かは不明です。でも僅かな失敗でも殺される世界ですから、新選組辺りは取り入れていたかも。まあ結論としては、少数を倒してその暇に逃げるは正解でしょうね。最後に、武蔵に関する動画をどこまで信じてよいのか。テレビでも、視聴率を上げるためには、徹底的に盛っているようですし。伊織の石碑を証拠として出していましたが、五輪書は武蔵のフィクションと看做して良さそうです。それに吉岡一門との2人との戦いも1人には負け、後は不戦敗、そういう男を待ち伏せして殺そうとする必要が感じられません。ならば一条寺下がり松の決闘もないのだと思います。その点で動画に矛盾があると思います。
@@蜻蛉斬斬鉄剣
自分で図書館にでも行って調べれば⁇
@@坂田銀時-e6b どうせ資料は無いに等しい時代の1個人の記録だから、図書館で何が分かる? 公的な権威にすがるのは自分を持たないからです。
@@蜻蛉斬斬鉄剣
気になるなら図書館にいけば武蔵についての資料もあるでしょ
こんなネットで調べればすぐに出るような浅い情報のチャンネル動画より説得力がある情報が図書館のがあるから気になるならそっちいったほうが良いよ
今時のヤンキーみたいな奴じゃん
ワクワクしないね
正統な戦法を使うことはなかったとか
インチキw
ますます、過激な親子喧嘩してた某〇キが信じれなくなった。
武蔵は仕官したいが為にある意味、情報操作を当時したわけです。言ったもん勝ちwでも世の中甘く無い。嘘くさい武蔵なんぞを信じて高禄で雇う大名もいないわけで。結局は柳生にも勝てず豊前→肥後の細川に客人として招かれましたが仕官は出来ないまま亡くなりましたよ。
この内容はどこから出た情報でしょうか。おそらく武蔵を嫌う人が嘘を言ったと思われます。吉川英治は事実をしっかり調べて小説にしているはずですが、そのような事実は書いてありませんし、五輪の書にも一切記載がありません。
木刀で殴られて武蔵は死ななかったの?wwまぁ武蔵は詐欺師だったんだなww
嘘だったらまさに宮本むなし
座布団一枚!!
なるほど 👏👏👏👏
変わった?
フロイドメイウェザーみたいなやつだな
亀田某みたいな奴だな