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映画見ました。一番カッコ良かったのは農民兵のリーダー前田吟さんでした。のぼう様が「戦いまする」って言うと「しゃ~ないなぁ」と農民兵を率いて豊臣軍に挑むのには痺れました!
ほんとに吟さんめちゃくちゃかっこよかったっすね!いちばん坂東武者でした(^-^)
芦田愛菜ちゃんが佐藤浩市にちゃんと働いた人にあげる握り飯だと言って佐藤浩市がわしも働いたぞ‼️と答えるシーンが好き
成田長親と甲斐姫を分けて動画を作ってくれてありがとう!
待っていました!解説してくださり、ありがとうございます!(埼玉県民より)
のぼう様、最高の策士。民の心をつかみ、他の武将たちに心うちを明かさず読ませず、敵を翻弄する。
話の中に出てくる 下忍口(しもおし)佐間口(さま)長野口(ながの)・行田口(ぎょうだ)現在でも行田の地名として生きているのがとても感慨深いのですさきたま古墳の丸墓山も当然あり、忍城方面を一望出来て石田三成気分を味わえます石田三成の堤防は流石に殆ど無くなっていますが石田堤という史跡が堤根に一部残っております
痛快な映画でした。長親のお墓は今でも名古屋の平和公園の一角にあります。檀家が健在とのことでただ手を合わせてきただけですが、坂東武者の誇りだったことでしょう。
県民です。忍城方の奮戦も凄いですが、あの小さな行田の街を、名の知れた豊臣オールスターズが取り囲んで戦ったと知ると、教科書の中の歴史が一気に身近になりますね。
しかも小田原征伐で最後まで抵抗した勢力だぜ?これは誇りにすべき
丸墓山に石田陣営が陣取ったのも、今考えると凄いことですね。地元ではむさしの村と同じくらい子供が世話になる場所ですから。
「のぼうの城」を鑑賞した事があってのこの解説はとても勉強になりました。映画では表現され無かったけど大勢の名将相手に凄まじい戦いをしていたとは、長親殿はとてつもない人物だった様ですね。
のぼうの城、大好きな小説でした。動画も見応えあって面白かったです。
映画では野村萬斎さんがカラッと明るい人柄であるのぼう様を演じていましたが、実際の成田長親は飄々としながらも人前で表情を殆ど変えない武将だったと聞いた事があります。
原作を読みました。『のぼう(木偶の坊)』と呼ばれ周りの人々は侮りながら彼には本音を吐露する。決して強くはなく、聡明さもなく、ただ人気だけはある。それは長親が正義感が強く、誇り高い人物だったからのように思います。飄々としながらもここぞというときにはとんでもない力を出す『のぼう様』。歴史の新たな面を見た気がします。
虚飾が多いので時代劇はあまり観ないんですが、「のぼうの城」は面白い映画でした。今回の動画で「のぼうの城」はかなり史実にそった内容だということが分かりました。とてもよい動画でした。
ありがとうございます!励みになります(^-^)/
映画のぼうの城みたくなった
地元です!毎日通学の時に忍城の前を通ってましたが、こんな凄い歴史があったとは!
今度行ってみます。三郷市在住です。😊
@@増渕勝則 気を付けてお越し下さい!忍城の近くに水城公園と言う公園もあって憩いの場なので是非行ってみて下さい!ド田舎ですが楽しんで頂けたらと思います。
秀吉が欲しがりそうな武将だな
「のぼうの城」も有名ですが行田市には「さきたま古墳群」もあり稲荷山古墳から出土した鉄剣は百年に一度の大発見と言われています。人口8万人ほどの地方都市ですが、凄い歴史の街ですね。裏山~!
柳川3年と言われるくらい低湿地に作られた城は攻めにくい。備中高松城が水攻めで落とされたのは水の流れを考慮しないで城を作ったからで、水の流れる地形を考慮した忍城ではそもそも水攻めが効かなかった。ではと力攻めするも豊臣軍は自分たちの水攻めのせいで泥濘と化した道を進むから数の暴力を生かせない。そこまで読んで籠城した成田長親は凄い武将だと思うね。ちなみに柳川は城下一帯に海の水を引き込んで浮き城みたいにする防御システムだったそうだから水攻めは不可能だったそうだ。ではと船戦を仕掛けようにもどこが水路でどこが地面かわからないので底の浅い船でも座礁してしまうのでこれも無理。兵糧攻めも海の水を引き込むから蛋白源の魚が取れるのでこれも難しかったと柳川出身の友人から聞いたことがある。
今でも忍城跡地周辺には水攻め後も残ってますし、なかなか訪れても楽しいかもです🙆
城門のあった場所も地名として残ってるから戦国を学ぶにはもってこいだと思う
のぼうの城公開当時に忍城に行きました。当時は観光地として機能してなく日曜日は営業してる食堂を探すのに苦労しました。忍城の展示も戦国時代の物は少なく白黒テレビが有りました。コスプレ祭りみたいなものをやっていて新撰組が居ましたね
素晴らしい‼️
風が語りかけます。うまい、うますぎる! 十万石まんじゅう
のぼう様つよい
さすが忍城は関東七名城に数えられるだけありますね。周囲が湿地に囲まれて敵が攻め入る隙がないところは七名城の中でも屈指の堅固さだったと思います。
しかし、復興の三層櫓も建物も出鱈目で百名城には登録を危ぶまれた。実際の遺構は水城公園の方にありここはハリボテ。ちなみに三の丸付近とのこと。行田市の風土記で調べました。実際の城は茅葺き屋根の土の城で本丸は水城公園が本来の城跡です。
桜庭まなさんその通りです。映画に出てきたような土の城が本来の姿ですね。イメージ的には備中高松城のような。今は往時の面影は全くないですね。
ちょっと・・・🥺感動しちゃった
令和の大河ドラマでのぼうの城をやって欲しい!
映画もいいですが、マンガ「のぼうの城」も良いですよ。作画は「美味しんぼ」でお馴染みの花咲アキラ氏です。
豊臣秀頼の娘 鎌倉東慶寺の庵主となった天秀尼の母は成田氏とあるが 甲斐姫と ゆかりある人か?まさか本人?
これを歴史というなら、小説もすべて歴史ですねえ。。。
池波正太郎、司馬遼太郎が作り出したストーリーが、史実になってしまう訳です。面白さと真実味は相反すると思っていた方が良い。いやたまには、面白い奇跡的な史実もあるけども。
七倍とは言うが、地形もものすごく関わりますからね。どんなに強大であろうとも、ロシアの冬将軍に負けたナポレオンもいますからね。
ということは、かの映画はかなり脚色されていたんだな…まあ、ある意味、コメディ映画だったけど。
長泰が上杉から離反したことで、上杉の関東出兵が失敗したこと、忍城攻めの失敗により三成の評判が下がり関ヶ原の敗戦に繋がったことを考えれば成田氏は戦国史に大きな影響を与えていると言えそうですね。
侍から農民になった人が多い土地柄です
野村萬斎の《のぼうの城》は面白かったよ❗
我が生まれ故郷、埼玉県行田市の忍城。昔は、今の様に復元されておらず、思い出は少ないです。水攻めの頃は、里の城であったと聞いています。今の忍城は、江戸時代に徳川家親藩大名を置き十万石としたものです。
あそこであんな攻防が!埼玉ラヴなのでもうアレです(語彙)。映画もよし。古墳に陣を敷くなと石田さんには言ってやりたいですね。まあ、まわりに高台がなかったんでしょうけど。
まぁ、それを言ったら、古墳を土台に築かれた城とかもありますし…^^;
So Good of Japan 🇯🇵 👏👏👍👍
のぼう様の家である成田家はマジで結構な名門。じゃなきゃ謙信の対応に不備があるとしても当時関東管領(低く見積もっても越後守護か守護代)にこれだけの無礼を働いて挙句勝手に陣を引き払うという暴挙に出たのににこれに追随する武将が後を立たなかったのはそれだけ血統に権威があった証拠。
逆に、上杉謙信は関東管領という御大層な肩書を有していても、元は守護代の長尾氏の出で、下剋上で成り上がった家ですからね。関東に点在した源氏に近い名門の家々からすれば、足利将軍家の権威を振りかざすくせに、なんで我らへ敬意を示さないんだ?という不満が渦巻いていたからこそ、謙信が関東から去ると、直ぐに独立したり北条へ鞍替えしたんだと思います。
成田家が名門である根拠が・・・本当に名門で下馬しない習わしがあったのか?流石に資料不足では。
@@abcdefgghcnok 一応孝昭天皇の血族である小野家(従三位参議小野篁)の三男だったかな?後裔説と江戸時代の藩翰譜なんかでは藤原北家(道長とかの藤原家)の末裔説があるのよ。
近隣です。豊臣の武将が居並んでいたのかと思うと何か思うものがありますね。ちなみにこの忍城ですが受験生には人気でお守り迄販売されています。落ちない城をかけているのだとか‥。
憤怒=○ふんぬ Xふんど坂東武者とは、京・上方の者が野蛮で田舎者と言う嘲りを込めていた呼び方でもあります。
俺も憤怒はふんぬだと思うけど昔、高倉健主演の映画で「君よ憤怒を川を渡れ」ってのがタイトルにフリガナがふってあってそれが「ふんど」だった。
坂東武者の方は嘲りを込めたのは東夷(あずまえびす)でないかな。
甲斐姫カッコいい
残念なのは現在の忍城跡が遺構もへったくれもない紛い物というね。本来の忍城は水城公演付近でこのハリボテ三層櫓は三の丸あたり。しかも、茅葺きの土の城が本来で沼地が多く待遇面で攻めるには適さない少数が有利な地形であったことも持ちこたえた理由。あとは民度が高く士気があったのも強い。城代ののぼう様は何もしなかったしね
商工業が発達して貨幣経済が主な近畿東海に比べて、職業分化が緩やかで鎌倉武士の慣習が残り一所懸命父祖伝来の所領を一族郎党で守り通す世界が坂東だから。よい領主の元では農民も帰属意識が強くてお館さまとは強い絆がある場合も多かったんだろうな。小田家の攻防の話みても凡庸な殿とどんな時も殿様を庇い何とか一族を盛り立てようとする領民の話が面白いな。
小田原北条氏に服属していたとはいえ実質石高30万石の大名だからね成田氏は・・・
行田市の見沼代用水取水口は、20年前東京出張の折、レンタカーで見学に行きました。今は取水量100m3/s位で欧州の運河みたいでした。忍城の攻防も素晴らしいけれど、九州の荒城の月のモデル竹田の岡城の攻防も取り上げてほしい。島津5万の兵に父親も筆頭家老も転んだのに、19歳の志賀親次が敢然と立ち向かい、秀吉九州征伐が来るまでの間、闘い切ったお話です。筆頭家老が降伏を説きに来るが、親次は島津が領民をさらってポルトガルの鉄砲と交換している。領民の義のために闘うと拒絶しました。義という意味を改めて感じました。
次は松田聖子のご先祖様蒲池鎮漣と柳川城をお願いします。
実際の石田三成はのぼうの城みたいにやる気に溢れてないからね。後方支援は上手いんで無能ではないけど、秀吉の無茶苦茶で多くの敵を作ってしまったのは同情する。
主君の泥を悉く被るのを良しとした彼の忠誠心は素晴らしいとは思う。だが・・・結果的にそのツケは三成そして最終的に豊臣家自身が払う事になってしまった。
確か以前にも水攻めされていたが、城は落ちなかったはず。水に浮く様のようで、「浮城」と呼ばれたと記憶。
あらっ?さおり様は?じっくり兄さんお疲れ様です。
水攻めの命令は秀吉やろうけど堤とか土木の設計は…やっぱり三成が水攻め下手でいいんじゃないの?
でもこんな大量の軍勢を打ち負かした成田をあっさり倒す上杉よ!やはり謙信がおれば、上杉は最強じゃのう!!
たしかそのあと鎌倉で謀反起こされて、上野の領土半分持っていかれなかったけ?
@@泉こなた-h9v そこら辺は謙信の生まれた時代と生まれた家が悪かった。武士にも僧侶にも両方に才能があったから。初めから政宗みたいに早くから才能を見込まれて早くから表に出ていればこうはならなかったかもしれない。まぁー、その場合結局兄弟争いを超えなくちゃいけないけど、嫡男を蔑ろにしていい事ないし。(信玄、頼芸、宗麟等)
民心は最大の大儀である。
九州攻めでは仙石も尾藤も改易となったのに、小田原は優しいのね。
北条親子は切腹しお家断絶したが?
@@桜庭まな 息子(氏直)は助命されて、後に大名に復帰してますよ。復帰後直ぐに病死してますが、従弟の氏規の嫡子:氏盛が宗家を継承して、1万1千石の大名:河内狭山藩として、幕末まで存続してますよ。ちなみに、氏直に関しては、秀吉から割と評価されてたっぽく、もし病死しなければ国持大名として再興された可能性もあったらしいです。(その根拠として、大名復帰時に与えられた大阪での屋敷が、元国持大名だった織田信雄の屋敷でした)
@@酔狂-i9o 伯耆が与えられる可能性もあったようですね。あそこが伊勢氏の発祥らしいので。氏直にはもう少し長生きしてほしかった気もします。
守り切ったというより秀吉の無茶な命令の結果なだけでしょうね、命令が無ければ落城するのは確実でしょう。
全然、地図使わないから分かりにくい。人物画や城の画像は想像つくから
成田家って元から下馬しないでいい家柄だったはず
藤原鎌足の末裔だからな
その情報元がかなり怪しいというね。
なんだかんだで、代々土着した勢力ってのは粘り強いという証拠かと。逆に、豊臣なんかは秀吉子飼いの将が多数いましたが、結局大坂の陣で主力になったのは全国から寄せ集めかき集めた浪人集団。賤ヶ岳七本槍に至っては、権力闘争で破れたとは言え、誰一人豊臣家と心中するものは無し。死後のこととは言え、この辺りが豊臣政権と、秀吉の限界だったんじゃないかなと思います。
映画のほうは、もう少し原作の機微を表現してほしかった。申し訳ありませんが、山口智充さんの和泉守には最も違和感がありました。字幕で現在の何県とか出すのも変で、劇中の現在はどうなっているのかといいたい脚色です。のぼう様に関しては、原作だけで味わいたい。
あまり語られないが、太平洋戦争のでの大きな損失は古文書の焼失。。。生活苦の為に古文書を売った人もいるでしょうね。散逸して代替わり際にゴミとして捨てられた物もあるかもしれない(怖)江戸後期に書かれた歴史書物の多くには何の価値もない。たとえ上質の資料に基づいていても裏付けがないので、劇作家の創作物と区別できないという。。。
毛利元就の吉田郡山の尼子との戦い方に似てますねヽ(^。^)ノ
甲斐姫を秀吉に献上したんやで
決定権の有る、大将はデスクワークの石田三成です。
のぼう様と言われる様になった経緯や姫様の行く末にも言及して欲しかった。
成田甲斐姫なら同じ動画にupしてます。
最後にありました。ありがとうございました。
のぼう様は映画のキャラで事実ではないと思う長親の記録は、殆んど残ってないし
甲斐姫が本当には実在していたのか資料や肖像画などが無いため疑問視されてるみたいですね。
甲斐姫って人物が今の所書物に初登場するのが1700年代後半で(この時は忍城の戦いに関する記述なし)忍城で大活躍したという話の初登場は1800年代になってからの成田記。1590年の忍城の戦いで甲斐姫が大活躍する話は200年以上なかったわけで、そのあたりから「本当に?」となっているわけです。
otaru そうなのですね。詳しくご説明いただいてありがとうございます😊やはり後世につくられた創作の可能性のほうが高いようですね。
@@aya-ff1fl それがですね 2012年に醍醐の花見で甲斐姫が読んだ可能性がある和歌の短冊が出てきてますただしその署名は「甲斐」ではなく「可い」になっているため本当に甲斐姫なのかはわからないって感じなのであくまで可能性の一つなのですが
@@モルモル-g2z そうなんですか秀吉の側室になったと言われていますから醍醐の花見の短冊はとても興味深いお話ですね。これから解明されることに期待したいですね。
戦国期は時折、このような、後世の物語の格好の素材となるような嘘のような戦いが、各所に存在するよね。
忍城は別名浮城と言われてるよ
ナレーションでは丁寧に解説しながら、背景に三層の櫓を使う意図が理解出来ません。昭和の頃の時代劇の感覚かな?平成以降の時代劇はあまり見ていないのですが、今もこれが常識ですか?
忍城を攻めきれなかったのは、石田三成が水攻めにこだわり、金と時間を浪費したから・・・・優秀な兵は小田原城に行っているのだから、数だけでなく質も豊臣軍が圧倒的に上、そのまま普通に城攻めを行えば数日で勝てた戦・・・水攻めを行ったことで、まさに泥仕合となってしまったこういうことから、佐和山城と島左近は三成にはもったいない言われるようになった
尾張藩士として続いていったのでした。終わり・・・・。
プライドってのはさあ、自分自身が業績を上げた人間だけがそれを示す権利がある先祖の業績や地位をあたかも自分のことのように自慢するのはプライドじゃなくただのクソの見栄っ張り しょせん雑魚にすぎないんだよ謙信に歯向かえるような器じゃない ただの木っ端だ
令和の大河ドラマののぼうの城は攻める秀吉軍をロシア守る成田氏をウクライナをイメージして欲しい!
広告が多すぎて微妙
石田三成が総大将、と言うのがかなりラッキーだったのだろうな。
自身の命で部下の命が助かるならそりゃ自害を選ぶわ
守り切ってないですよね?
さおりさんじゃないなら紀行でやってくださいよ。
俗説に惑わされすぎ。三成は秀吉の命令に忠実に従ったまでであり、水攻めの困難さと無謀さも重々承知してたから被害者だよ。
秀吉軍は数が多いが、烏合の衆だったのだろう!WWW
映画はそれほどの迫力なかった。悪いが駄作。
出来の悪い解説です。適当にコピペをしただけじゃないですか?(笑)
では、おたくはもっとマシな解説ができると?
@@明石則実 さんへ できないとでも?貴殿は、違いの判らないコピペで済む人のようですね。
@@長純-o8f 成田氏ってホンマに資料が少ないからここまで説明できるのも大したものだと思うよ。
@@nobuyuki0721 さんへ コメントありがとうございます。 最初にことわっておきますが、私は、動画をアップする価値無しと言っているわけではありません。動画を造るには、多大な労力を必要としているのも、承知しています。 それ故、手間のかかる事を避けるのも、致し方ない事と承知しています。誰しもコピペで物語を作っていると思います。資料が少ないとおっしゃいますが、まさか、各一次資料を読んで作っている訳でもありますまい。 しかし、この動画内容は、ストーリー展開に一貫性なし。どうゆう戦いを双方が考えていたのか、場面に一貫性は無く、つぎはぎ物語。だから、元ストーリーのコピペと感じた訳です。 これくらいは、ストーリー展開のいろはではないですか。言われても仕方ない事です。ただの忍城自慢の関東人ではないかなと、想像してしまいます。 いつかは、さらに良い動画が出来る事を、期待しています。
後北条(ごほうじょう)ってなんだよ。読み方変やろが?
鎌倉時代の執権北条氏の後に出てきたから、後北条氏なんですよ。
@@明石則実 そうなんだ!読み方あってるんだ。知らなんだ。ありがとう
田舎の小さな合戦を過大評価して映画になっただけ!関東は、他に?自慢するものがないのか?結局太閤さんが戦略的局面がない北条氏を滅びたでないか!
映画見ました。一番カッコ良かったのは農民兵のリーダー前田吟さんでした。のぼう様が「戦いまする」って言うと「しゃ~ないなぁ」と農民兵を率いて豊臣軍に挑むのには痺れました!
ほんとに吟さんめちゃくちゃかっこよかったっすね!いちばん坂東武者でした(^-^)
芦田愛菜ちゃんが佐藤浩市にちゃんと働いた人にあげる握り飯だと言って佐藤浩市がわしも働いたぞ‼️と答えるシーンが好き
成田長親と甲斐姫を分けて動画を作ってくれてありがとう!
待っていました!解説してくださり、ありがとうございます!(埼玉県民より)
のぼう様、最高の策士。民の心をつかみ、他の武将たちに心うちを明かさず読ませず、敵を翻弄する。
話の中に出てくる 下忍口(しもおし)佐間口(さま)長野口(ながの)・行田口(ぎょうだ)
現在でも行田の地名として生きているのがとても感慨深いのです
さきたま古墳の丸墓山も当然あり、忍城方面を一望出来て石田三成気分を味わえます石田三成の堤防は流石に殆ど無くなっていますが石田堤という史跡が堤根に一部残っております
痛快な映画でした。長親のお墓は今でも名古屋の平和公園の一角にあります。檀家が健在とのことでただ手を合わせてきただけですが、坂東武者の誇りだったことでしょう。
県民です。忍城方の奮戦も凄いですが、あの小さな行田の街を、名の知れた豊臣オールスターズが取り囲んで戦ったと知ると、教科書の中の歴史が一気に身近になりますね。
しかも小田原征伐で最後まで抵抗した勢力だぜ?これは誇りにすべき
丸墓山に石田陣営が陣取ったのも、今考えると凄いことですね。
地元ではむさしの村と同じくらい子供が世話になる場所ですから。
「のぼうの城」を鑑賞した事があってのこの解説はとても勉強になりました。
映画では表現され無かったけど大勢の名将相手に凄まじい戦いをしていたとは、長親殿はとてつもない人物だった様ですね。
のぼうの城、大好きな小説でした。動画も見応えあって面白かったです。
映画では野村萬斎さんがカラッと明るい人柄であるのぼう様を演じていましたが、実際の成田長親は飄々としながらも人前で表情を殆ど変えない武将だったと聞いた事があります。
原作を読みました。『のぼう(木偶の坊)』と呼ばれ周りの人々は侮りながら彼には本音を吐露する。
決して強くはなく、聡明さもなく、ただ人気だけはある。それは長親が正義感が強く、誇り高い人物だったからのように思います。
飄々としながらもここぞというときにはとんでもない力を出す『のぼう様』。歴史の新たな面を見た気がします。
虚飾が多いので時代劇はあまり観ないんですが、「のぼうの城」は面白い映画でした。
今回の動画で「のぼうの城」はかなり史実にそった内容だということが分かりました。
とてもよい動画でした。
ありがとうございます!
励みになります(^-^)/
映画のぼうの城みたくなった
地元です!毎日通学の時に忍城の前を通ってましたが、こんな凄い歴史があったとは!
今度行ってみます。三郷市在住です。😊
@@増渕勝則 気を付けてお越し下さい!忍城の近くに水城公園と言う公園もあって憩いの場なので是非行ってみて下さい!ド田舎ですが楽しんで頂けたらと思います。
秀吉が欲しがりそうな武将だな
「のぼうの城」も有名ですが行田市には「さきたま古墳群」もあり稲荷山古墳から出土した鉄剣は百年に一度の大発見と言われています。
人口8万人ほどの地方都市ですが、凄い歴史の街ですね。
裏山~!
柳川3年と言われるくらい低湿地に作られた城は攻めにくい。
備中高松城が水攻めで落とされたのは水の流れを考慮しないで城を作ったからで、
水の流れる地形を考慮した忍城ではそもそも水攻めが効かなかった。
ではと力攻めするも豊臣軍は自分たちの水攻めのせいで泥濘と化した道を進むから数の暴力を生かせない。
そこまで読んで籠城した成田長親は凄い武将だと思うね。
ちなみに柳川は城下一帯に海の水を引き込んで浮き城みたいにする防御システムだったそうだから水攻めは
不可能だったそうだ。ではと船戦を仕掛けようにもどこが水路でどこが地面かわからないので底の浅い船でも
座礁してしまうのでこれも無理。兵糧攻めも海の水を引き込むから蛋白源の魚が取れるのでこれも難しかった
と柳川出身の友人から聞いたことがある。
今でも忍城跡地周辺には水攻め後も残ってますし、なかなか訪れても楽しいかもです🙆
城門のあった場所も地名として残ってるから戦国を学ぶにはもってこいだと思う
のぼうの城公開当時に忍城に行きました。当時は観光地として機能してなく日曜日は営業してる食堂を探すのに苦労しました。忍城の展示も戦国時代の物は少なく白黒テレビが有りました。コスプレ祭りみたいなものをやっていて新撰組が居ましたね
素晴らしい‼️
風が語りかけます。うまい、うますぎる! 十万石まんじゅう
のぼう様つよい
さすが忍城は関東七名城に数えられるだけありますね。
周囲が湿地に囲まれて敵が攻め入る隙がないところは七名城の中でも屈指の堅固さだったと思います。
しかし、復興の三層櫓も建物も出鱈目で百名城には登録を危ぶまれた。
実際の遺構は水城公園の方にありここはハリボテ。ちなみに三の丸付近とのこと。行田市の風土記で調べました。
実際の城は茅葺き屋根の土の城で本丸は水城公園が本来の城跡です。
桜庭まなさん
その通りです。映画に出てきたような土の城が本来の姿ですね。
イメージ的には備中高松城のような。今は往時の面影は全くないですね。
ちょっと・・・🥺感動しちゃった
令和の大河ドラマでのぼうの城をやって欲しい!
映画もいいですが、マンガ「のぼうの城」も良いですよ。
作画は「美味しんぼ」でお馴染みの花咲アキラ氏です。
豊臣秀頼の娘 鎌倉東慶寺の庵主となった天秀尼の母は成田氏とあるが 甲斐姫と ゆかりある人か?まさか本人?
これを歴史というなら、小説もすべて歴史ですねえ。。。
池波正太郎、司馬遼太郎が作り出したストーリーが、史実になってしまう訳です。
面白さと真実味は相反すると思っていた方が良い。いやたまには、面白い奇跡的な史実もあるけども。
七倍とは言うが、地形もものすごく関わりますからね。
どんなに強大であろうとも、ロシアの冬将軍に負けたナポレオンもいますからね。
ということは、かの映画はかなり脚色されていたんだな…
まあ、ある意味、コメディ映画だったけど。
長泰が上杉から離反したことで、上杉の関東出兵が失敗したこと、忍城攻めの失敗により三成の評判が下がり関ヶ原の敗戦に繋がったことを考えれば成田氏は戦国史に大きな影響を与えていると言えそうですね。
侍から農民になった人が多い土地柄です
野村萬斎の《のぼうの城》は面白かったよ❗
我が生まれ故郷、埼玉県行田市の忍城。昔は、今の様に復元されておらず、思い出は少ないです。水攻めの頃は、里の城であったと聞いています。今の忍城は、江戸時代に徳川家親藩大名を置き十万石としたものです。
あそこであんな攻防が!埼玉ラヴなのでもうアレです(語彙)。映画もよし。
古墳に陣を敷くなと石田さんには言ってやりたいですね。まあ、まわりに高台がなかったんでしょうけど。
まぁ、それを言ったら、古墳を土台に築かれた城とかもありますし…^^;
So Good of Japan 🇯🇵 👏👏👍👍
のぼう様の家である成田家はマジで結構な名門。じゃなきゃ謙信の対応に不備があるとしても当時関東管領(低く見積もっても越後守護か守護代)にこれだけの無礼を働いて挙句勝手に陣を引き払うという暴挙に出たのににこれに追随する武将が後を立たなかったのはそれだけ血統に権威があった証拠。
逆に、上杉謙信は関東管領という御大層な肩書を有していても、元は守護代の長尾氏の出で、下剋上で成り上がった家ですからね。
関東に点在した源氏に近い名門の家々からすれば、足利将軍家の権威を振りかざすくせに、なんで我らへ敬意を示さないんだ?という不満が渦巻いていたからこそ、謙信が関東から去ると、直ぐに独立したり北条へ鞍替えしたんだと思います。
成田家が名門である根拠が・・・
本当に名門で下馬しない習わしがあったのか?
流石に資料不足では。
@@abcdefgghcnok
一応孝昭天皇の血族である小野家(従三位参議小野篁)の三男だったかな?後裔説と江戸時代の藩翰譜なんかでは藤原北家(道長とかの藤原家)の末裔説があるのよ。
近隣です。豊臣の武将が居並んでいたのかと思うと何か思うものがありますね。ちなみにこの忍城ですが受験生には人気でお守り迄販売されています。落ちない城をかけているのだとか‥。
憤怒=○ふんぬ
Xふんど
坂東武者とは、京・上方の者が
野蛮で田舎者と言う嘲りを込めていた呼び方でもあります。
俺も憤怒はふんぬだと思うけど昔、高倉健主演の映画で「君よ憤怒を川を渡れ」ってのがタイトルにフリガナがふってあってそれが「ふんど」だった。
坂東武者の方は嘲りを込めたのは東夷(あずまえびす)でないかな。
甲斐姫カッコいい
残念なのは現在の忍城跡が遺構もへったくれもない紛い物というね。
本来の忍城は水城公演付近でこのハリボテ三層櫓は三の丸あたり。
しかも、茅葺きの土の城が本来で沼地が多く待遇面で攻めるには適さない少数が有利な地形であったことも持ちこたえた理由。あとは民度が高く士気があったのも強い。
城代ののぼう様は何もしなかったしね
商工業が発達して貨幣経済が主な近畿東海に比べて、職業分化が緩やかで鎌倉武士の慣習が残り一所懸命父祖伝来の所領を一族郎党で守り通す世界が坂東だから。よい領主の元では農民も帰属意識が強くてお館さまとは強い絆がある場合も多かったんだろうな。小田家の攻防の話みても凡庸な殿とどんな時も殿様を庇い何とか一族を盛り立てようとする領民の話が面白いな。
小田原北条氏に服属していたとはいえ実質石高30万石の大名だからね成田氏は・・・
行田市の見沼代用水取水口は、20年前東京出張の折、レンタカーで見学に行きました。今は取水量100m3/s位で欧州の運河みたいでした。忍城の攻防も素晴らしいけれど、九州の荒城の月のモデル竹田の岡城の攻防も取り上げてほしい。島津5万の兵に父親も筆頭家老も転んだのに、19歳の志賀親次が敢然と立ち向かい、秀吉九州征伐が来るまでの間、闘い切ったお話です。筆頭家老が降伏を説きに来るが、親次は島津が領民をさらってポルトガルの鉄砲と交換している。領民の義のために闘うと拒絶しました。義という意味を改めて感じました。
次は松田聖子のご先祖様蒲池鎮漣と柳川城をお願いします。
実際の石田三成はのぼうの城みたいにやる気に溢れてないからね。
後方支援は上手いんで無能ではないけど、秀吉の無茶苦茶で多くの敵を作ってしまったのは同情する。
主君の泥を悉く被るのを良しとした彼の忠誠心は素晴らしいとは思う。だが・・・
結果的にそのツケは三成そして最終的に豊臣家自身が払う事になってしまった。
確か以前にも水攻めされていたが、城は落ちなかったはず。水に浮く様のようで、「浮城」と呼ばれたと記憶。
あらっ?さおり様は?じっくり兄さんお疲れ様です。
水攻めの命令は秀吉やろうけど
堤とか土木の設計は…やっぱり三成が水攻め下手でいいんじゃないの?
でもこんな大量の軍勢を打ち負かした成田をあっさり倒す上杉よ!やはり謙信がおれば、上杉は最強じゃのう!!
たしかそのあと鎌倉で謀反起こされて、上野の領土半分持っていかれなかったけ?
@@泉こなた-h9v そこら辺は謙信の生まれた時代と生まれた家が悪かった。武士にも僧侶にも両方に才能があったから。初めから政宗みたいに早くから才能を見込まれて早くから表に出ていればこうはならなかったかもしれない。まぁー、その場合結局兄弟争いを超えなくちゃいけないけど、嫡男を蔑ろにしていい事ないし。(信玄、頼芸、宗麟等)
民心は最大の大儀である。
九州攻めでは仙石も尾藤も改易となったのに、小田原は優しいのね。
北条親子は切腹しお家断絶したが?
@@桜庭まな
息子(氏直)は助命されて、後に大名に復帰してますよ。復帰後直ぐに病死してますが、従弟の氏規の嫡子:氏盛が宗家を継承して、1万1千石の大名:河内狭山藩として、幕末まで存続してますよ。
ちなみに、氏直に関しては、秀吉から割と評価されてたっぽく、もし病死しなければ国持大名として再興された可能性もあったらしいです。(その根拠として、大名復帰時に与えられた大阪での屋敷が、元国持大名だった織田信雄の屋敷でした)
@@酔狂-i9o 伯耆が与えられる可能性もあったようですね。あそこが伊勢氏の発祥らしいので。氏直にはもう少し長生きしてほしかった気もします。
守り切ったというより秀吉の無茶な命令の結果なだけでしょうね、命令が無ければ落城するのは確実でしょう。
全然、地図使わないから分かりにくい。人物画や城の画像は想像つくから
成田家って元から下馬しないでいい家柄だったはず
藤原鎌足の末裔だからな
その情報元がかなり怪しいというね。
なんだかんだで、代々土着した勢力ってのは粘り強いという証拠かと。
逆に、豊臣なんかは秀吉子飼いの将が多数いましたが、結局大坂の陣で主力になったのは全国から寄せ集めかき集めた浪人集団。賤ヶ岳七本槍に至っては、権力闘争で破れたとは言え、誰一人豊臣家と心中するものは無し。死後のこととは言え、この辺りが豊臣政権と、秀吉の限界だったんじゃないかなと思います。
映画のほうは、もう少し原作の機微を表現してほしかった。申し訳ありませんが、山口智充さんの和泉守には最も違和感がありました。字幕で現在の何県とか出すのも変で、劇中の現在はどうなっているのかといいたい脚色です。のぼう様に関しては、原作だけで味わいたい。
あまり語られないが、太平洋戦争のでの大きな損失は古文書の焼失。。。
生活苦の為に古文書を売った人もいるでしょうね。
散逸して代替わり際にゴミとして捨てられた物もあるかもしれない(怖)
江戸後期に書かれた歴史書物の多くには何の価値もない。
たとえ上質の資料に基づいていても裏付けがないので、劇作家の創作物と区別できないという。。。
毛利元就の吉田郡山の尼子との戦い方に似てますねヽ(^。^)ノ
甲斐姫を秀吉に献上したんやで
決定権の有る、大将はデスクワークの石田三成です。
のぼう様と言われる様になった経緯や姫様の行く末にも言及して欲しかった。
成田甲斐姫なら同じ動画にupしてます。
最後にありました。ありがとうございました。
のぼう様は映画のキャラで事実ではないと思う
長親の記録は、殆んど残ってないし
甲斐姫が本当には実在していたのか資料や肖像画などが無いため疑問視されてるみたいですね。
甲斐姫って人物が今の所書物に初登場するのが1700年代後半で(この時は忍城の戦いに関する記述なし)
忍城で大活躍したという話の初登場は1800年代になってからの成田記。
1590年の忍城の戦いで甲斐姫が大活躍する話は200年以上なかったわけで、そのあたりから「本当に?」となっているわけです。
otaru
そうなのですね。詳しくご説明いただいてありがとうございます😊やはり後世につくられた創作の可能性のほうが高いようですね。
@@aya-ff1fl それがですね
2012年に醍醐の花見で甲斐姫が読んだ可能性がある和歌の短冊が出てきてます
ただしその署名は「甲斐」ではなく「可い」になっているため本当に甲斐姫なのかはわからないって感じなのであくまで可能性の一つなのですが
@@モルモル-g2z そうなんですか
秀吉の側室になったと言われていますから醍醐の花見の短冊はとても興味深いお話ですね。これから解明されることに期待したいですね。
戦国期は時折、このような、後世の物語の格好の素材となるような嘘のような戦いが、各所に存在するよね。
忍城は別名浮城と言われてるよ
ナレーションでは丁寧に解説しながら、背景に三層の櫓を使う意図が理解出来ません。
昭和の頃の時代劇の感覚かな?
平成以降の時代劇はあまり見ていないのですが、今もこれが常識ですか?
忍城を攻めきれなかったのは、石田三成が水攻めにこだわり、金と時間を浪費したから・・・・優秀な兵は小田原城に行っているのだから、数だけでなく質も豊臣軍が圧倒的に上、そのまま普通に城攻めを行えば数日で勝てた戦・・・水攻めを行ったことで、まさに泥仕合となってしまった
こういうことから、佐和山城と島左近は三成にはもったいない言われるようになった
尾張藩士として続いていったのでした。終わり・・・・。
プライドってのはさあ、自分自身が業績を上げた人間だけがそれを示す権利がある
先祖の業績や地位をあたかも自分のことのように自慢するのはプライドじゃなく
ただのクソの見栄っ張り しょせん雑魚にすぎないんだよ
謙信に歯向かえるような器じゃない ただの木っ端だ
令和の大河ドラマののぼうの城は攻める秀吉軍をロシア守る成田氏をウクライナをイメージして欲しい!
広告が多すぎて微妙
石田三成が総大将、と言うのがかなりラッキーだったのだろうな。
自身の
命で部下の命が助かるなら
そりゃ自害を選ぶわ
守り切ってないですよね?
さおりさんじゃないなら紀行でやってくださいよ。
俗説に惑わされすぎ。三成は秀吉の命令に忠実に従ったまでであり、水攻めの困難さと無謀さも重々承知してたから被害者だよ。
秀吉軍は数が多いが、烏合の衆だったのだろう!WWW
映画はそれほどの迫力なかった。悪いが駄作。
出来の悪い解説です。適当にコピペをしただけじゃないですか?(笑)
では、おたくはもっとマシな解説ができると?
@@明石則実 さんへ
できないとでも?
貴殿は、違いの判らないコピペで済む人のようですね。
@@長純-o8f 成田氏ってホンマに資料が少ないからここまで説明できるのも大したものだと思うよ。
@@nobuyuki0721 さんへ
コメントありがとうございます。
最初にことわっておきますが、私は、動画をアップする価値無しと言っているわけではありません。動画を造るには、多大な労力を必要としているのも、承知しています。
それ故、手間のかかる事を避けるのも、致し方ない事と承知しています。誰しもコピペで物語を作っていると思います。資料が少ないとおっしゃいますが、まさか、各一次資料を読んで作っている訳でもありますまい。
しかし、この動画内容は、ストーリー展開に一貫性なし。どうゆう戦いを双方が考えていたのか、場面に一貫性は無く、つぎはぎ物語。だから、元ストーリーのコピペと感じた訳です。
これくらいは、ストーリー展開のいろはではないですか。言われても仕方ない事です。
ただの忍城自慢の関東人ではないかなと、想像してしまいます。
いつかは、さらに良い動画が出来る事を、期待しています。
後北条(ごほうじょう)ってなんだよ。読み方変やろが?
鎌倉時代の執権北条氏の後に出てきたから、後北条氏なんですよ。
@@明石則実 そうなんだ!読み方あってるんだ。知らなんだ。ありがとう
田舎の小さな合戦を過大評価して映画になっただけ!
関東は、他に?自慢するものがないのか?
結局太閤さんが戦略的局面がない北条氏を滅びたでないか!