【とうてい山古墳】西三河を代表する後期古墳
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- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.ย. 2024
- 考古学チャンネルです。この動画は、とうてい山古墳について紹介した動画です。
前回盗掘された古墳2をアップしましたが、そこでは、とうてい山古墳について、盗掘犯が記念写真を撮影した古墳として紹介しました。今回は、このとうてい山古墳について、盗掘のエピソードではなく、古墳の基本的な情報について皆さんにお伝えしようと思います。
とうてい山古墳は、愛知県西尾市に所在する直径約18mの円墳です。築造時期は6世紀後半で、この地域に築かれた後期古墳の中で最大規模の横穴式石室を持ち、多量の馬具、鉄鏃をはじめとした豊富な副葬品を持っていることから、この地域の首長が葬られた古墳にふさわしい内容を持っていると考えられています。三河湾を望む立地や、佐久石製の大型の組合式箱形石棺を設置していることから、被葬者は海上交通や海産物の交易に関わった集団の長と考えられています。
とうてい山古墳は、現在、墳丘・石室も修理、復元され、手入れも行き届いており、大変美しい姿を取り戻しています。是非一度訪れてみてください。
【参考文献・引用したサイト】
『新編西尾市史 資料編1 考古』新編西尾市編さん委員会
『幡豆町史 資料編1』幡豆町史編さん委員会
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#とうてい山古墳 #盗掘 #考古学チャンネル
かなりの権力者のお墓で、壊されてしまったのが、残念です。
もう一人合葬できそうですが、右側にも石棺があったのでしょうか❔。
派手な壊し方。
この中にもう一人分の石棺があるはずです。
運良く鉄器類があれだけ、鍔、冠頭、鉄剣数振り、馬具類と玉飾り。派手に壊された割には、不幸中の幸いです。
あの時持ち去られた須恵器には、骨壷が存在した可能性大。
追葬はよく行いますし、古墳時代でも見かけられます。
未盗掘だったらと思うと、これは心が痛い。
朱塗りにする習慣は、九州の古墳には、沢山の事例があります。
本州の古墳に阿蘇ピンク石を使用したと云うことも聞きました。
九州の文化を真似てもおかしくはないのです。
ちなみに、古墳時代は大きな内乱が無かったとも言いますね。
きっと、エジプトのピラミッド建築の時が、地方の民を救い出しました。
同じ事を、古墳時代にも有れば、コンビニの数よりも多い古墳を築けないとも思うし、モチベーションアップすれば、人間、なんでもできます✨
長文失礼します
(常習犯。(笑)
常習犯大歓迎です(笑)。石棺はあるはずなんですが、今のところ未確認のようです。この古墳の近くに中之郷古墳という西三河の初期横穴式石室を持つ古墳があるのですが、この横穴式石室は北部九州の影響を受けているようです。それなりに交流はあったんでしょうね。
家の亡くなった、祖父は筑波山麓の縄文時代から、続く豪族の出身だったらしいですよ。
とても血筋を大切にしていて、家の母は、群馬県藤岡市日野集落の山間地の出何ですが、群馬県藤岡市、(古墳時代は多胡郡)吉井町、富岡市、辺りには、古墳時代に中近東から、流れ住み着いた、羊大夫ちとゆう上野山碑有名な、伝説の人物なんですが、母方の祖父はその羊大夫の
血統らしいですよ。😮
凄いですね!
ありがとうございます😊🙏🌟🌟🌟
こちらこそありがとうございます。
とうてい山というのは「とうとい人の山」という意味らしいですね。羨道部から見て玄室の袖部が左右に広がっているものが「両袖型」、右か左どちらか一方へ広がっているものが「片袖型」。写真を見ると「両袖型」なのがよく解りますね。奥壁の巨石が素晴らしい。しかし盗掘犯も几帳面に副葬品の写真を撮っているんですな。意外な感じがします。
本当に物知りですね。凄いです。私も前回の写真以外にも盗掘犯が撮影していたことを初めて知りました。結構まめに撮っていたんですね。
@@koukogaku 様 石室の両側に立柱石があると「疑似両袖式」と言われるようですね。6世紀後半の築造ということですと北部九州式から三河式に移った頃なので移行期と言うかどっちつかずの所があるんでしょうね。
お、通知嬉しいな。
仕事おわたら見ます
いつもありがとうございます。またご覧くださいね。