ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
これではサンマは目黒に限るわけだ。
確か落語の中に脂を抜く描写があったような気がします。
@@nankyokuan 蒸して油を抜かれた上に、のどなどに刺さらないように小骨まで抜かれたサンマ..と記憶しています。私たちは幸せですね。
@@MrSunshinespecialパッサパサで身もグズグズな秋刀魚か
でもある意味食べ物だけでなく、これは現在の女児~少女層向けアニメや漫画そしてゲーム等々がこの「目黒の秋刀魚」に通じているというその頃から無難で当たり障りのないものばかりを与えられ続け、玩具も廉価で良心的な商売を以って与えられるから刺激に対する耐性が獲得出来ず、頭が弱くなり物事の受け容れ幅そのものが狭まったまま大人になってしまう…という事が起こっているからなぁ
@@草太郎雲子 コケたらたいへん! と親がずっと手をつないで出歩く生活を送っていたせいで、なにもないところでコケまくる児童が大量増加しているそうです一方で英才教育!と幼児のときからトレーナーつけてスポーツをゴリゴリにやらせてる親もいるので上と下の差がすんごいことになってるとか
ここまで不味そうな調理の仕方を聞くと、将軍(恐らく時代的に家光)が農家で出された秋刀魚を美味いと言って平らげた目黒の秋刀魚のエピソードを100%嘘だとは言い切れなさそうだ
つーか話の流れが面白い脚気かもしれない→脚気で死んだかも→脚気で死んだ!とどんどん確信口調になっていく
そもそも100%嘘が意味不明。
徳川将軍の長寿ランキングで1位慶喜で2位家康の時点で将軍じゃ無い方が長生きできると思うの・・・
家康が、派閥抗争を避けるため、原則として正室の長男に継がせる規則にしたことも大きいと思います。自然寿命では、人は平均40年も生きないものです。慶喜も家康も最初の息子ではなく、体力、知力に優れた子が競争に勝って長生きした面もないでしょうか。紀伊出身の吉宗も将軍などになれる立場ではなかったですが、体力知力抜群だったようですね。
@@kazumasaotu6016 それはDNAのメチル化が38歳だと言ってる人の妄言だろ誤解を恐れず簡単に言うとDNAの老化が始まったら寿命とするって事な訳あるかよ
@@kazumasaotu6016 正室の長男ではなく単に長男です。徳川家斉の正室広大院は男子を産んでいるが正室の長男ながら四男であったので初めから世継ぎとはされていませんでした。側室が産んだ次男が後の将軍家慶となっています。要するに徳川将軍家では嫡庶は無関係で長幼だけで世継ぎを決めていたわけです。
@@塞翁が馬-p9e そうでしたか。正室は公家の姫様などが多いでしょうから、身体が弱いかもしれませんしね
あのね家康の頃とか一年365日だったのかな?時間も24時間だったのかな。そこで大違いだわ
ドリフの時代劇コントで、せっかくのご馳走なのに、志村や加藤茶、仲本の毒味役の家来が次々とほとんど平らげてしまうので、高木ブーの殿様にお膳が回ってくるころにはちっとも食べるところが無くなってて最後泣きながらキレるのが笑えた。
食べ尽くされたのは、すき焼きだったと思います。残っていたのは卵だけだったので、高木さんがジョッキ一杯の生卵をロッキーの如く一気飲みした記憶が…
ドリフは同じネタを何回もやるけどそのたびにマイナーチェンジしてるので結末が違ったりするんですよね。
@@rona1806 あーすき焼き食べたい。。。しばらく食べてない
そう考えると裕福な豪商あたりがいちばん贅沢な食事をしていたと言えるだろう
だから定期的に贅沢禁止令が出された
まあ、禁止したい心理として、自分が食べてみて、贅沢だと思って、禁止にするんだよね@@僧兵-x3b
家康は江戸住まいじゃなかったから長生きしていたのか?鯛の天ぷらを食べすぎ死因説は本当かな?
Haaaaaaa, my dream meal every day. I wish I have money.
@@僧兵-x3b 将軍様の嫉妬だったのかw
慶喜さんは若いうちに将軍を辞めたから制約が無くなってストレスも減ったでしょう。
その反動で余生をエンジョイしまくった文化人。
江戸城に住んでないから、毒見とかで不味くなってないものを食ってたのでは。
動画で紹介されたような将軍の食事はほぼ採ってなかったと思います。
慶喜は実父の水戸斉昭の影響もあって、豚肉以外にもかなり食にこだわっていたようです。将軍を辞してかなり後の話ですが、晩年は陸軍で開発された飯盒を気に入って自分でご飯を炊いていたとか。
@@mogeleo しかも銀製の飯盒を特注したとか。アルミ製は体に悪そうだと言って。
5時間勤務は決して短くはないだろう。電気の無かった時代、遊びにしろ仕事にしろ、夜に細かい作業ができない分、明るい時間を公私ともに上手に使う必要があったことを考えると、労働時間8時間は無理なのでは?
米を煮て蒸すってそれって炊くって事じゃん
@@yuuhanbisai 煮た後に水を捨ててから蒸している水につけて炊いているわけじゃない
@@僧兵-x3bインディカ米の湯取り法やね
料理人が罰せられるのを不憫に思って、我慢して食べる家康くんかわいい
家康の時はこんなに厳しい規則はなかったんじゃないかな〜?多分、時代が進むにつれて、こういう規則ができていったんだと思う
こう考えると庶民の方が食事を楽しんでたのが分かるな
だからこそ幽閉され続けた忠輝が質素な食生活であったため90歳以上まで生きれたとも言える。
それが幸せかはわからんけど
ショート動画で、昭和天皇に出される納豆も、「ネバネバした状態では出せない」と、水洗いしてから出して、「納豆はもういい」となった話があった。そりゃあ食えないわ💦
そりゃあ、きつかです。
ここまでくるともはや拷問
水洗いかぁ… ちょっとなぁ…納豆って混ぜるとネバネバしたり糸引いたりしちゃうから、うちの家は混ぜないで海苔に巻いて食べます。
@@ひょうご-p3c 混ぜんとですね。美味いかも。今度やってみます。お城納豆の黒豆が美味かとです。
@@40nenashigusa87 私の実家は納豆の製造・販売元なんですよ… でも私は混ぜるとダメで…海苔に巻くのは納豆を簡単に素揚げするやり方です。普通は混ぜて巻いてから揚げますので、ぜひお試し下さい
5:19 この動画の本編。
めっちゃ豪華!羨ましいです!たまにはお腹いっぱい食べたい
徳川慶喜が長寿と言っても、大政奉還までの2年弱の将軍在位で、将軍を辞めてから、自由な食生活じゃないのか❓🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉
慶喜は江戸城に一度も入っていないから歴代よりはだいぶマシ
始終豚肉を食べてたのも大きいかも。毎度豚肉をせびられて薩摩藩の小松帯刀さんが困ってたらしいけど。
@@彩雲-b4bやはり肉か
美味しい食事は毎回食べているが、「大切な人」が見当たらない....。
涙拭けよ
星新一さんのショート小説でタイムマシーンで、過去に行った人が大名に現代の美味しい食べ物を献上して気に入られて最後に自分も食べた事の無い高いモノを献上したらキレられたというのがあった。その食べ物は鮎の塩焼き。皮肉で面白いなぁと35年くらい前に思いました。
庶民もなかなかに食生活は豊か。澄んだ江戸前の海で獲れる海産物の寿司なんか、ほんまに贅沢。初鰹は今の価格で八万円前後出しても食べていたほど。それだけでなく、今では食べることすらできないトキや鶴も食べていた。
庶民はオサカナ丸ごと食える、エエシのヒトタチは(表向きには)、メンタマ一つだけ(裏は食っちゃなんねぇ)、少し下の身分でも、魚の裏側は見ちゃナンネってじょうたいだったから。メンタマのハナシは落語でしか知らんが、”育った家じゃ魚の裏側見せてもらえなかった”って人は知ってるから、多分、極端にやんごとなき御方たちでなくとも、昭和前半ぐらいまではそこかしこにいたんじゃネ。
庶民の方がいい物を食べてたのが日本
豚肉でビタミンB1を補充し、寿司・刺身・卵黄・キノコ類でビタミンDを補充するなりしていれば、長寿を全うしやすいようですな。豚肉・卵黄・キノコを併せたキノコ・チャンプルーを時折食べれば、ビタミンB1とビタミンDを同時に効率よく摂取出来たりと、「一粒で二度美味しい」てな感じに‥‥。
ビタミンDは日差しで生成して取り込むほうが楽
玄米で良いんじゃないかと。。現代の肉は綺麗じゃない。
暗殺が珍しくなかった時代。栄養素なんて知識もなくとにかくかっ「安全」を第一にしてるのならば仕方ない事なのかも。まさか出来たてが一番美味しいからと台所から直接食事するわけにもいかず。食べ物の心配をしなくてもいい立場だったかもしれないが温かい食事という面では下々の人間の方が美味しい食事だぅたんだろうな。。( ߹𖥦߹ )
縁起で腹は満たせない
目黒のサンマは有名ですよね。お忍びで目黒で喰ったサンマがうまいから、城🏯で出せって言って、アブラを抜き切ったサンマで上手くなかったから、「サンマは目黒に限る」って落ちでしたよね😊
一方で西太后は緊急時に農家から手に入れて食べた窩頭(トウモロコシ粉の団子)の味が忘れられず、料理人はトウモロコシ粉に上等な材料を加えて甘いお菓子に魔改造したものを提供したら「あの時の味だ」と感激したとのこと。西太后の方が家光より王者の舌を持っていたのか?
江戸時代の初期ごろ、サンマは油を取るためのもので食用には適さない下魚の扱いだったそうですね。
世話をしてくれる小姓に「おぬしらは好きなものを食えるのか?」と愚痴ったり「下々の者たちはもっと気楽に飯を食べとるんだろうなあ…」「不味いが…下手に文句を言うと、料理人が気の毒…ここは我慢じゃ」なんて思ったりしてたのかもしれませんね
ドラマ水戸黄門でも光圀の健康を考え家臣が脂を完全に抜き取った鰻を出した結果そのまずさに我慢出来なくなった光圀が屋敷をこっそり抜け出して脂の載った鰻を食べに鰻屋へ出かけるシーンがあったような?
@@レスター-d6t 光圀は元々水戸藩主になる予定の人じゃなかったから、庶民の生活を知っていてもおかしくはない
パッサパサの鰻はなんかもう拷問だよなw
このテーマで長寿の例が慶喜というのは……
よくあるタイトル詐欺ってやつ
今の世で普通に食えるそこらのラーメン屋のラーメンでも食わせてやりたいな。
塩分過多の不健康食品代表じゃん
@@crime-ft4ws いつもでなければいいでしょう。
家康「なぁなぁ昼メシ二郎行っちゃう?」
@@crime-ft4ws 何も毎日毎食それにしようって訳じゃあるまいし
「豚一殿」完全に悪口。
確か、お母さん(先代の奥方)か、本人の嫁が薩摩の人で、薩摩から豚肉を取り寄せて食べてたことに由来してたと思う。
悪口を言っているつもりがまさかの長寿の秘訣と当時の人が知ったら驚愕ですなw
…食で天下を取った徳川が食で敗れる。そして薩摩やドイツなどヨーロッパの方々を強くした豚肉の力が日本でも認められるわけですか。
@@幹巨お母さん❓️慶喜の❓️慶喜のお母さんは有栖川宮家の姫で、慶喜の奥さんも公家の姫。
獣食がタブーだった時代に豚肉バクバク食べていたら変人扱いされるのも致し方なし
将軍の生活って言っても2代目とか3代目以降の習慣だろうし説明してる間ずっと長命だった家康の肖像出てるの面白い
慶喜は例外じゃない?江戸城に住んでないんだから。しかも肉食するようになった明治を生きているんだし。比べるなら次に長生きした将軍じゃないの?
2番目は家康で、これもまた幕府生活が短いから例外なんだよなw
@@ikzothefinal 最初と最後が例外ですね 笑
いるじゃない、任期まさかの50年超えを果たした例のオットセイが
@@lavender-lavender 秀忠もそういうしきたりができる前の人だから例外
朝から刺身は質素じゃない、むしろ豪華!
江戸町触集成を紐解くと「だから!振り売りや屋台や飲食店は!!火の扱いに!!!気をつけろって言ってんだろ!!!!」という振れがそれはもう沢山出てくる。
将軍(まっず…えなにこれまっず 何入れたらこうなんねん)『して…お味は如何ですか』将軍(不味い言うたらこんなん罰せられるやん…)「くるしゅうない」
なんていうか「ルールをちゃんと守ろう!」って食事のしきたりを厳守した優等生タイプの将軍たちは早死にして「ルールなんざ知るか!」って豚やら鰻やらを好きに食べてたチョイ悪な将軍たちが長生きしてんの面白い。
吉宗「だから暴れん坊になったんだよ!」徳川と松平家では、彦根から牛肉を献上させて食べていた人もいて、とある将軍が肉食を禁止するが、催促してまで食べてたな😁わりと、禁止を破って肉食などしていた史料があるんだが…(笑)
吉宗公は牛乳も飲んでいたのだとか。その元になる乳牛を房総半島で飼育していたことが、現在千葉県で畜産が盛んな理由なのかも。総じて、肉や牛乳は食べ物ではなく「薬」として口に入れられていたようです。
都会から遠い農村では普通に肉食べてそう
吉宗は将軍になる事を前提とした人生を送っていないから、将軍になるまでは普通の食事を食べていたからキツかったんだろうなぁ
肉食じゃない、あくまで薬食いなんだ。
@@僧兵-x3b だから民に質素倹約令を出した時に ご自身でも食事を質素にしたことに苦労しなかったはず
しかし、臣下のこういった細かい気遣いがあったからこそ、幕府も長続きしたのだろうな
どんな魚好きでも、日に何回も出されると飽きて来る。飯もボソボソで冷や飯、こんな食事が何十年も続けばストレス三昧!
しかも歴代将軍の命日は精進日とされて魚すら出ない
イワシやサンマなどの青魚のフィッシュオイルは現代ではとても体に良いとされているのにな…
わざわざサプリで摂取するくらいだからねぇ…
志村「異常ありません」仲本「異常ありません」加藤「異常ありません」ブー「無い!!💢」
家康はキスの天ぷらが大好物で食べ過ぎて亡くなった説がありますね
慶喜を長寿の代表にするのは不適切すぎる。綱吉、吉宗、家斉あたりだろうが、綱吉、吉宗は分家から入ってきて将軍を継いでるので、在職年数から言っても家斉が一番妥当だろう。家斉は白牛酪という(チーズのような)乳製品や生姜を好んだとか。あとは膃肭臍の……
お忍びで城下に出た時、七輪で焼いたサンマの香りに惹かれ、それはなんじゃ?と食べたサンマにハマり、城で出させたが冷めきったサンマを食べ幻滅した。というエピソードもある。
面白い動画でした
豚一殿は現代なら蔑称よね笑
江戸時代にラーメン二郎を出したすごそうだよな
米の飯は大量に食えそうだけど脂に弱い人多くて完食出来ない人続出では
脚気になった将軍も結構居た
落語(目黒の秋刀魚)の小噺で殿様が米の炊き方を友達の大名に伝授する場面があり一升の米を炊くには水加減が大事でくろこしまでいれる、二升炊く時はどうすると聞かれて、二升炊く時は両手を入れると答えた それなら三升炊く時はと聞かれて足を入れると言ったそうです
ん~~なかなか面白い考察です。、
毒味はちょー戦人の作り話
超贅沢で草
13:01 ちなみに初代将軍の家康は、玄米や豚肉と同様にビタミンB1が豊富な麦飯を毎日食べていたため、慶喜と同じく脚気とは無縁で、歴代将軍の中では2番目に長生きでした(満73歳)。
脚気は将軍だけでなく江戸全体の深刻な病気で大坂でもありました。明治でも問題で海軍の研究からようやく治療法が見付かりました。ただ徳川家茂はその食生活と虫歯では糖尿病か虫歯によるストレスや睡眠不足、消化不良で長生きは難しかったでしょうね。
暴れん坊将軍で吉宗が庶民の食べ物を嬉しそうに食ってたのはそういう事だったのか
鷹狩りで 外で食べる ご飯 美味しかっただろうな😂😂
生まれてからずっと同じような食事だったら他を知らないから別に何の文句も無さそう。
魚は話題になっているが、野菜は漬物でしか出てこない、魚に大根おろしとか?水洗いした大根おろしとかか
鶴の味がイマイチと伝わっているのソースが知りたいが少なくとも当時、鶏は最もまずく、鴈や鴨はそのはるか上、更には鶴が最上とされわざわざ吸い物に鶴の足を添えて本物であることを証していたほどだったはずマグロ、中でもトロが下魚とされたように、そもそも現代人とは味覚が違うまた、サンマや鯖など江戸近海でとれず保存がきかず痛みやすい魚が将軍食から忌諱されたのも当然の話シャーマニックな理由だけではない。根本的に誤解していると思う
朝から豪勢じゃん・・
それでも、江戸時代に生まれたなら、将軍になってみたいものです。
余った食事は、スタッフが美味しくいただきましたって、ボソボソで美味しくないってその前に言ってるじゃん😅
マグロは、痛みやすく、身が真っ黒になるので、まぐろ(真っ黒)って言われている(たぶん諸説あり)今は冷蔵庫もあるし冷凍庫で凍らせて輸送もできるから、真っ黒になりにくいけどね。釣った後に船の上で、血抜きすれば血合い以外は、赤身だけど、輸送に時間がかかったり保存状況がわるいと黒くなるのがマグロだから、そりゃ格が低いのだろうなー江戸時代の寿司も、今みたいに高級な料理ではなく、アメリカ人のハンバーガーやピザみたいに気軽に食べられるファーストフードみたいなモノだったし、寿司は安くて庶民の食べ物だったから、当時マグロはすぐに痛んで腐るスピードがめちゃくちゃ速かったりするので、捨て値で売られていた。つまり買ってもすぐに価値が落ちるから誰も高値で買わないから、捨て値っていう感じ・・・・でも捨て値だったからこそ、安くて庶民の食べ物の寿司につかえた。現代では、マグロは最早高級品。寿司もたまにしか食べれないものになってしまった。結構、昔は庶民の味方のサンマやウナギも漁獲高が減って高級魚になりつつある。
マグロ、イワシ、サンマ…油がのっていて痛みやすい魚は総じて下魚と見なされていたんだろうねえ
吉宗は温かいご飯が食べたくて城を飛び出したのか
慶喜が将軍であった期間(在任期間)は約1年で、歴代将軍の中でも最も短かった事実に関しては何も説明がないのかい。つまり慶喜人生でここで紹介されているような食事を摂っていた期間は多くて1年程度だったということだ。
毎日同じメニュー食ってるから覚えてる。昨日の夜は豆腐。おとといは豆腐。その前は豆腐。その前は豆腐。そのm
多分明治時代になってから城の使用人や食事の記録から書いてると思われる。この食事は確かに質素だが(農、工、商人の下(今で言う平社員)に比べればご馳走だろう。また食事とは別に酒膳があったのかそれともその質素な食事を肴に酒を飲んだのか。前者なら質素な食事だ可哀想とはならない。
炊き立てのご飯を食べ、脂の乗った焼き魚と漬け物をつまんで、熱々の味噌汁で流し込む。庶民では当たり前の食事だけど、将軍は一生食べられない贅沢。ましてや母や妻の手料理なんて夢にも出ない
正直当時の将軍より今の我々の方が良い生活してる
この食事を普通または質素とは全く感じない。かなり豪華😂
なお、土日や祝日はない模様。1日グータラ出来るのは元旦ぐらい?
慶喜候はうなぎの蒲焼きも好きだったよねー
これでは小野寺和馬殿が「生姜と鱚が駄目なんだ。俺の時は出さないでくれ。」とこぼすわけだ。(『澪つくし料理帖』参照)
毒見は当時は必要な習慣だったと思います。将軍ではありませんが、島津斉彬などの死は疑わしいではありませんか。
茹でて蒸すのは、ジャスミン米の作り方みたいですね。当時の米はどんな米だったのかな
いやいや、鶴は不味いので有名な鳥だろ。肉が異様に赤く独特の非常に強い臭みがあり食用には全く向かない。獲物としては狩りやすい部類だが、飢饉でもない限り猟師も獲らなかったと聞く。
慶喜が長生きできたのは、すぐ将軍を辞めて後半生は制限の無い健康的な生活を送れたこともありますね。趣味の写真撮影による外出やサイクリングで毎日体を動かし、食事も肉など制限無く幅広い食材を食べることが出来たのも長寿の秘訣でしょう。
将軍の食事には大きな制限があった。と言ってるのにスイーツは無制限やったんかい。
今の🇰🇵の将軍に出される食事もヤバそうだよな、あれ絶対成人病で逝くぞ😝
朝から刺身って…冷蔵庫のなかった時代、どうやって朝食に生魚出せたんだろ?
醤油や塩に漬ければ1~2日は持ちますよ
@@mop09drg それを刺身というかは微妙ですね。
言霊文化って日本独特ですごいよなぁ
暴れん坊将軍はたびたび市井にでて熱々のごはん食べていたのかも
毒味役やらされる家臣もたまったもんじゃないなぁー💦食事を飲み込んで胃袋に流しこんでからじゃないと安全を確認できないだろうし…💧
いや? 口に含んでるだけ
@@kororin5156 そういう役職の家で、万が一毒で死んだ場合は、将軍の毒殺を未然に防いだとなり家は将軍によって守られる。主従関係は自分が死んでも家が保証されるから命をかけて仕える。
カリッ「青酸ペロ!!」通常は口に含んだだけで毒を看破できるようなものではない毒による影響は服毒から数十分程度で出始めるから、家臣の経過観察後に食事にありついたのだろうなので、冷や飯になって当然っちゃ当然だね
@@袋田なんで最初のつまらない文残したの?
このシステムがあるのに毒を入れることなんてあるの?
甘味食える贅沢
まさかこんなところでビッさんの格言聞くとはね
豚一殿は、流石に悪意あるって笑
飽食になり過ぎたせいで、だらし無い体型の人が増え過ぎた。
何度も毒見していると、毒見係が毒をいれる危険性とか無かったりしないか?
@@TakaoSho 毒見役は何人もいるし監視もいる。しかも幾つもの膳を作って、ランダムで毒見役が手をつけてさらにランダムで将軍に出されるからどれを食べるか分かるのは実際に将軍に食事を運ぶ小納戸だけ
熱々のピザ食いてえー!
朝から二の膳がある時点で豪勢
何と羨ましいご馳走の数々。自分からすると上様の食事は羨まし過ぎますぞ〜www。
歴史があるから今があるのに昔の人を馬鹿にするのは許せん
家康が健康オタクで、玄米や麦飯を好んで食べており、家臣が気を使って白米を出したら激怒した話を聞いたことがある。
家康は秀吉より長生きをしたことで天下が取れた飽食を避け玄米を好んで食べたし漢方にも精通し自分で煎じていた幕府を起こしてからは油断したのか天ぷらを食べ過ぎて最後を迎えたと聞いた事があるなぁ~知らんけど
家康は鯛の天ぷらを食べた後数ヶ月たって死んだそうだが、天ぷらと言っても今で言う素揚げのこと。これが原因で死んだわけではなく、一般的には胃がんと考えられている。それは家康の腹にはしこりがあったから。だから天ぷらは無関係。
@@745yop6 たまたまこのてんぷらの食べ過ぎが内臓へのトドメになっただけだろうな。
@@745yop6 胃か膵臓、とは言われるよね当時であの年齢だから何かしら抱えてても不思議じゃないし
昨日の昼食…おにぎりですね
百姓は生かさず殺さずこれは現代も脈々と受け継がれてますね。
@@茶豆腐-c2q 百姓が現代だとサラリーマン工=製造業、商=自営業えたひにん=ニート
鴨っても真鴨でしょ、絶対美味しいヤツやん🤤
野菜は無いのか…考えただけで辛いわ。
自分がタイムボカンを1機所有していたら、1610年ごろの江戸にタイムワープして徳川家康を現代につれてきて、できたての美味い料理とおいしい酒を堪能させてあげたい。
将軍も総理大臣も割に合わない仕事だね
当時のマグロは捕まえてから売り物にするまでに暴れに暴れまくって身が焼けちゃうから今ほど美味しくなかったらしい、特に生食はなので寿司ネタとしても最低クラスだったんだよなぁちなみに今では安いイメージの卵焼きの寿司が最高級だったとか。
実際脚気は江戸患いと言われたからね、江戸から離れたら脚気が治ったというくらいだし。とはいえ、何でもかんでも洗ってこれはダメあれもダメじゃあろくなメシ食えなかったんじゃね。やはり将軍より大名や豪商の方がいいメシ食ってたんじゃね?
武士の給料が江戸初期のまま据え置きで物価高により困窮していたからまともなものを食べられるはずもなく。
幕末の江戸では、米が豊作で副食物より白米ばかり食してたから、ビタミンB1不足で脚気になったとかで。
@@sinji1341scarlet武士の給料の米は玄米で支給されるから、わざわざ精米しないで食べている人が多い
海軍将校の高木兼寛は脚気(江戸患い)の原因はウイルスではなく、白米中心の和食が原因と考え、海軍食を和食からイギリス風の洋食に切換える事で脚気を防ぎました。高木本人はタンパク不足が原因と思っていたようですが、豚肉にはタンパク質だけでなくビタミンB1も多く含まれてたので、実証されたわけですね。ちなみにカレーが国民食にまでなった理由でもあります。おそらく最初のカレーはポークカレーだったと思います。
以下物のアジを知らない将軍
マグロは今でこそ高級食材とされているけど江戸の頃は以下物と呼ばれ水揚げされても大きすぎるが故に捌いても保存方法が無く傷みも早かったから、漁師も手を付けない雑魚や外道扱いで全く食べられてなかった。寿司は今でこそ高級品だが、江戸の頃はファストフード扱いだった。出店で寿司を握る職人が何人も何十人もいて、朝仕事へ行く人達がそういう出店でおにぎりに魚の切り身が乗った寿司を歩き食べしながら、仕事へ行くというのがスタンダードな世の中で、寿司の原点でもある。当時は寿司は現代価格で15円くらいで売られてた。明治に入っても寿司という概念はそのままで、おにぎりのサイズは小さくはなったものの今よりはシャリがデカく、その上に魚の切り身が乗ったようなものを寿司と言っていたので、現代のシャリのサイズから見ると現代の形になる前の寿司は全てシャリが巨大なもの。
確か,バターを好んでいた将軍がいたはず。
慶喜、家康には及ばないもののそこそこ長生きの吉宗は紀州で生まれ成人するまでそこで育ったので栄養事情も良かったんだろうか将軍になってからも倹約で割と慎まやかな食事情で趣味は鷹狩と剣術(適度な運動)と健康的な生活だったと
肉体労働以外、自動化加速する現代、一日二食で充分だ。超多忙な人は一日一食の人も沢山。長寿も寝たきりなら苦しみだ。
これではサンマは目黒に限るわけだ。
確か落語の中に脂を抜く描写があったような気がします。
@@nankyokuan 蒸して油を抜かれた上に、のどなどに刺さらないように小骨まで抜かれたサンマ..と記憶しています。私たちは幸せですね。
@@MrSunshinespecialパッサパサで身もグズグズな秋刀魚か
でもある意味食べ物だけでなく、これは現在の女児~少女層向けアニメや漫画そしてゲーム等々がこの「目黒の秋刀魚」に通じているという
その頃から無難で当たり障りのないものばかりを与えられ続け、玩具も廉価で良心的な商売を以って与えられるから刺激に対する耐性が獲得出来ず、頭が弱くなり物事の受け容れ幅そのものが狭まったまま大人になってしまう…という事が起こっているからなぁ
@@草太郎雲子 コケたらたいへん! と親がずっと手をつないで出歩く生活を送っていたせいで、なにもないところでコケまくる児童が大量増加しているそうです
一方で英才教育!と幼児のときからトレーナーつけてスポーツをゴリゴリにやらせてる親もいるので
上と下の差がすんごいことになってるとか
ここまで不味そうな調理の仕方を聞くと、将軍(恐らく時代的に家光)が農家で出された秋刀魚を美味いと言って平らげた目黒の秋刀魚のエピソードを100%嘘だとは言い切れなさそうだ
つーか話の流れが面白い
脚気かもしれない→脚気で死んだかも→脚気で死んだ!とどんどん確信口調になっていく
そもそも100%嘘が意味不明。
徳川将軍の長寿ランキングで1位慶喜で2位家康の時点で将軍じゃ無い方が長生きできると思うの・・・
家康が、派閥抗争を避けるため、原則として正室の長男に継がせる規則にしたことも大きいと思います。
自然寿命では、人は平均40年も生きないものです。
慶喜も家康も最初の息子ではなく、体力、知力に優れた子が競争に勝って長生きした面もないでしょうか。
紀伊出身の吉宗も将軍などになれる立場ではなかったですが、体力知力抜群だったようですね。
@@kazumasaotu6016 それはDNAのメチル化が38歳だと言ってる人の妄言だろ
誤解を恐れず簡単に言うとDNAの老化が始まったら寿命とするって事
な訳あるかよ
@@kazumasaotu6016 正室の長男ではなく単に長男です。徳川家斉の正室広大院は男子を産んでいるが正室の長男ながら四男であったので初めから世継ぎとはされていませんでした。側室が産んだ次男が後の将軍家慶となっています。要するに徳川将軍家では嫡庶は無関係で長幼だけで世継ぎを決めていたわけです。
@@塞翁が馬-p9e
そうでしたか。
正室は公家の姫様などが多いでしょうから、身体が弱いかもしれませんしね
あのね家康の頃とか一年365日だったのかな?時間も24時間だったのかな。そこで大違いだわ
ドリフの時代劇コントで、せっかくのご馳走なのに、志村や加藤茶、仲本の毒味役の家来が次々とほとんど平らげてしまうので、高木ブーの殿様にお膳が回ってくるころにはちっとも食べるところが無くなってて最後泣きながらキレるのが笑えた。
食べ尽くされたのは、すき焼きだったと思います。残っていたのは卵だけだったので、高木さんがジョッキ一杯の生卵をロッキーの如く一気飲みした記憶が…
ドリフは同じネタを何回もやるけどそのたびにマイナーチェンジしてるので結末が違ったりするんですよね。
@@rona1806 あーすき焼き食べたい。。。しばらく食べてない
そう考えると裕福な豪商あたりがいちばん贅沢な食事をしていたと言えるだろう
だから定期的に贅沢禁止令が出された
まあ、禁止したい心理として、自分が食べてみて、贅沢だと思って、禁止にするんだよね@@僧兵-x3b
家康は江戸住まいじゃなかったから長生きしていたのか?
鯛の天ぷらを食べすぎ死因説は本当かな?
Haaaaaaa, my dream meal every day. I wish I have money.
@@僧兵-x3b 将軍様の嫉妬だったのかw
慶喜さんは若いうちに将軍を辞めたから制約が無くなってストレスも減ったでしょう。
その反動で余生をエンジョイしまくった文化人。
江戸城に住んでないから、毒見とかで不味くなってないものを食ってたのでは。
動画で紹介されたような将軍の食事はほぼ採ってなかったと思います。
慶喜は実父の水戸斉昭の影響もあって、豚肉以外にもかなり食にこだわっていたようです。将軍を辞してかなり後の話ですが、晩年は陸軍で開発された飯盒を気に入って自分でご飯を炊いていたとか。
@@mogeleo しかも銀製の飯盒を特注したとか。アルミ製は体に悪そうだと言って。
5時間勤務は決して短くはないだろう。電気の無かった時代、遊びにしろ仕事にしろ、夜に細かい作業ができない分、明るい時間を公私ともに上手に使う必要があったことを考えると、労働時間8時間は無理なのでは?
米を煮て蒸すってそれって炊くって事じゃん
@@yuuhanbisai 煮た後に水を捨ててから蒸している
水につけて炊いているわけじゃない
@@僧兵-x3b
インディカ米の湯取り法やね
料理人が罰せられるのを不憫に思って、我慢して食べる家康くんかわいい
家康の時はこんなに厳しい規則はなかったんじゃないかな〜?
多分、時代が進むにつれて、こういう規則ができていったんだと思う
こう考えると庶民の方が食事を楽しんでたのが分かるな
だからこそ幽閉され続けた忠輝が質素な食生活であったため90歳以上まで生きれたとも言える。
それが幸せかはわからんけど
ショート動画で、昭和天皇に出される納豆も、「ネバネバした状態では出せない」と、水洗いしてから出して、「納豆はもういい」となった話があった。そりゃあ食えないわ💦
そりゃあ、きつかです。
ここまでくるともはや拷問
水洗いかぁ… ちょっとなぁ…納豆って混ぜるとネバネバしたり糸引いたりしちゃうから、うちの家は混ぜないで海苔に巻いて食べます。
@@ひょうご-p3c 混ぜんとですね。美味いかも。今度やってみます。
お城納豆の黒豆が美味かとです。
@@40nenashigusa87
私の実家は納豆の製造・販売元なんですよ… でも私は混ぜるとダメで…
海苔に巻くのは納豆を簡単に素揚げするやり方です。普通は混ぜて巻いてから揚げますので、ぜひお試し下さい
5:19 この動画の本編。
めっちゃ豪華!羨ましいです!
たまにはお腹いっぱい食べたい
徳川慶喜が長寿と言っても、大政奉還までの2年弱の将軍在位で、将軍を辞めてから、自由な食生活じゃないのか❓🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉
慶喜は江戸城に一度も入っていないから歴代よりはだいぶマシ
始終豚肉を食べてたのも大きいかも。毎度豚肉をせびられて薩摩藩の小松帯刀さんが困ってたらしいけど。
@@彩雲-b4bやはり肉か
美味しい食事は毎回食べているが、「大切な人」が見当たらない....。
涙拭けよ
星新一さんのショート小説でタイムマシーンで、過去に行った人が大名に現代の美味しい食べ物を献上して気に入られて最後に自分も食べた事の無い高いモノを献上したらキレられたというのがあった。
その食べ物は鮎の塩焼き。
皮肉で面白いなぁと35年くらい前に思いました。
庶民もなかなかに食生活は豊か。澄んだ江戸前の海で獲れる海産物の寿司なんか、ほんまに贅沢。初鰹は今の価格で八万円前後出しても食べていたほど。それだけでなく、今では食べることすらできないトキや鶴も食べていた。
庶民はオサカナ丸ごと食える、エエシのヒトタチは(表向きには)、メンタマ一つだけ(裏は食っちゃなんねぇ)、少し下の身分でも、魚の裏側は見ちゃナンネってじょうたいだったから。メンタマのハナシは落語でしか知らんが、”育った家じゃ魚の裏側見せてもらえなかった”って人は知ってるから、多分、極端にやんごとなき御方たちでなくとも、昭和前半ぐらいまではそこかしこにいたんじゃネ。
庶民の方がいい物を食べてたのが
日本
豚肉でビタミンB1を補充し、寿司・刺身・卵黄・キノコ類でビタミンDを補充するなりしていれば、長寿を全うしやすいようですな。豚肉・卵黄・キノコを併せたキノコ・チャンプルーを時折食べれば、ビタミンB1とビタミンDを同時に効率よく摂取出来たりと、「一粒で二度美味しい」てな感じに‥‥。
ビタミンDは日差しで生成して取り込むほうが楽
玄米で良いんじゃないかと。。現代の肉は綺麗じゃない。
暗殺が珍しくなかった時代。栄養素なんて知識もなくとにかくかっ「安全」を第一にしてるのならば仕方ない事なのかも。まさか出来たてが一番美味しいからと台所から直接食事するわけにもいかず。食べ物の心配をしなくてもいい立場だったかもしれないが温かい食事という面では下々の人間の方が美味しい食事だぅたんだろうな。。
( ߹𖥦߹ )
縁起で腹は満たせない
目黒のサンマは有名ですよね。
お忍びで目黒で喰ったサンマがうまいから、城🏯で出せって言って、アブラを抜き切ったサンマで上手くなかったから、「サンマは目黒に限る」って落ちでしたよね😊
一方で西太后は緊急時に農家から手に入れて食べた窩頭(トウモロコシ粉の団子)の味が忘れられず、料理人はトウモロコシ粉に上等な材料を加えて甘いお菓子に魔改造したものを提供したら「あの時の味だ」と感激したとのこと。西太后の方が家光より王者の舌を持っていたのか?
江戸時代の初期ごろ、サンマは油を取るためのもので食用には適さない下魚の扱いだったそうですね。
世話をしてくれる小姓に「おぬしらは好きなものを食えるのか?」と愚痴ったり
「下々の者たちはもっと気楽に飯を食べとるんだろうなあ…」
「不味いが…下手に文句を言うと、料理人が気の毒…ここは我慢じゃ」
なんて思ったりしてたのかもしれませんね
ドラマ水戸黄門でも光圀の健康を考え家臣が脂を完全に抜き取った鰻を出した結果そのまずさに我慢出来なくなった光圀が屋敷をこっそり抜け出して脂の載った鰻を食べに鰻屋へ出かけるシーンがあったような?
@@レスター-d6t 光圀は元々水戸藩主になる予定の人じゃなかったから、庶民の生活を知っていてもおかしくはない
パッサパサの鰻はなんかもう拷問だよなw
このテーマで長寿の例が慶喜というのは……
よくあるタイトル詐欺ってやつ
今の世で普通に食えるそこらのラーメン屋のラーメンでも食わせてやりたいな。
塩分過多の不健康食品代表じゃん
@@crime-ft4ws いつもでなければいいでしょう。
家康「なぁなぁ昼メシ二郎行っちゃう?」
@@crime-ft4ws
何も毎日毎食それにしようって訳じゃあるまいし
「豚一殿」
完全に悪口。
確か、お母さん(先代の奥方)か、本人の嫁が薩摩の人で、薩摩から豚肉を取り寄せて食べてたことに由来してたと思う。
悪口を言っているつもりがまさかの長寿の秘訣と当時の人が知ったら驚愕ですなw
…食で天下を取った徳川が食で敗れる。そして薩摩やドイツなどヨーロッパの方々を強くした豚肉の力が日本でも認められるわけですか。
@@幹巨
お母さん❓️
慶喜の❓️
慶喜のお母さんは有栖川宮家の姫で、慶喜の奥さんも公家の姫。
獣食がタブーだった時代に豚肉バクバク食べていたら変人扱いされるのも致し方なし
将軍の生活って言っても2代目とか3代目以降の習慣だろうし説明してる間ずっと長命だった家康の肖像出てるの面白い
慶喜は例外じゃない?江戸城に住んでないんだから。しかも肉食するようになった明治を生きているんだし。比べるなら次に長生きした将軍じゃないの?
2番目は家康で、これもまた幕府生活が短いから例外なんだよなw
@@ikzothefinal 最初と最後が例外ですね 笑
いるじゃない、任期まさかの50年超えを果たした例のオットセイが
@@lavender-lavender 秀忠もそういうしきたりができる前の人だから例外
朝から刺身は質素じゃない、むしろ豪華!
江戸町触集成を紐解くと「だから!振り売りや屋台や飲食店は!!火の扱いに!!!気をつけろって言ってんだろ!!!!」という振れがそれはもう沢山出てくる。
将軍(まっず…えなにこれまっず 何入れたらこうなんねん)
『して…お味は如何ですか』
将軍(不味い言うたらこんなん罰せられるやん…)
「くるしゅうない」
なんていうか「ルールをちゃんと守ろう!」って食事のしきたりを厳守した優等生タイプの将軍たちは早死にして「ルールなんざ知るか!」って豚やら鰻やらを好きに食べてたチョイ悪な将軍たちが長生きしてんの面白い。
吉宗「だから暴れん坊になったんだよ!」
徳川と松平家では、彦根から牛肉を献上させて食べていた人もいて、とある将軍が肉食を禁止するが、催促してまで食べてたな😁
わりと、禁止を破って肉食などしていた史料があるんだが…(笑)
吉宗公は牛乳も飲んでいたのだとか。その元になる乳牛を房総半島で飼育していたことが、現在千葉県で畜産が盛んな理由なのかも。
総じて、肉や牛乳は食べ物ではなく「薬」として口に入れられていたようです。
都会から遠い農村では普通に肉食べてそう
吉宗は将軍になる事を前提とした人生を送っていないから、将軍になるまでは普通の食事を食べていたからキツかったんだろうなぁ
肉食じゃない、あくまで薬食いなんだ。
@@僧兵-x3b だから民に質素倹約令を出した時に ご自身でも食事を質素にしたことに苦労しなかったはず
しかし、臣下のこういった細かい気遣いがあったからこそ、幕府も長続きしたのだろうな
どんな魚好きでも、日に何回も出されると飽きて来る。
飯もボソボソで冷や飯、こんな食事が何十年も続けばストレス三昧!
しかも歴代将軍の命日は精進日とされて魚すら出ない
イワシやサンマなどの青魚のフィッシュオイルは現代ではとても体に良いとされているのにな…
わざわざサプリで摂取するくらいだからねぇ…
志村「異常ありません」仲本「異常ありません」加藤「異常ありません」
ブー「無い!!💢」
家康はキスの天ぷらが大好物で食べ過ぎて亡くなった説がありますね
慶喜を長寿の代表にするのは不適切すぎる。綱吉、吉宗、家斉あたりだろうが、綱吉、吉宗は分家から入ってきて将軍を継いでるので、在職年数から言っても家斉が一番妥当だろう。家斉は白牛酪という(チーズのような)乳製品や生姜を好んだとか。あとは膃肭臍の……
お忍びで城下に出た時、七輪で焼いたサンマの香りに惹かれ、それはなんじゃ?と食べたサンマにハマり、城で出させたが冷めきったサンマを食べ幻滅した。というエピソードもある。
面白い動画でした
豚一殿は現代なら蔑称よね笑
江戸時代にラーメン二郎を出したすごそうだよな
米の飯は大量に食えそうだけど脂に弱い人多くて完食出来ない人続出では
脚気になった将軍も結構居た
落語(目黒の秋刀魚)の小噺で殿様が米の炊き方を友達の大名に伝授する場面があり一升の米を炊くには水加減が大事でくろこしまでいれる、二升炊く時はどうすると聞かれて、二升炊く時は両手を入れると答えた それなら三升炊く時はと聞かれて足を入れると言ったそうです
ん~~なかなか面白い考察です。、
毒味はちょー戦人の作り話
超贅沢で草
13:01 ちなみに初代将軍の家康は、玄米や豚肉と同様にビタミンB1が豊富な麦飯を毎日食べていたため、慶喜と同じく脚気とは無縁で、歴代将軍の中では2番目に長生きでした(満73歳)。
脚気は将軍だけでなく江戸全体の深刻な病気で大坂でもありました。明治でも問題で海軍の研究からようやく治療法が見付かりました。ただ徳川家茂はその食生活と虫歯では糖尿病か虫歯によるストレスや睡眠不足、消化不良で長生きは難しかったでしょうね。
暴れん坊将軍で吉宗が庶民の食べ物を嬉しそうに食ってたのはそういう事だったのか
鷹狩りで 外で食べる ご飯 美味しかっただろうな😂😂
生まれてからずっと同じような食事だったら他を知らないから別に何の文句も無さそう。
魚は話題になっているが、野菜は漬物でしか出てこない、魚に大根おろしとか?
水洗いした大根おろしとかか
鶴の味がイマイチと伝わっているのソースが知りたいが
少なくとも当時、鶏は最もまずく、鴈や鴨はそのはるか上、更には鶴が最上とされ
わざわざ吸い物に鶴の足を添えて本物であることを証していたほどだったはず
マグロ、中でもトロが下魚とされたように、そもそも現代人とは味覚が違う
また、サンマや鯖など江戸近海でとれず保存がきかず痛みやすい魚が将軍食から忌諱されたのも当然の話
シャーマニックな理由だけではない。根本的に誤解していると思う
朝から豪勢じゃん・・
それでも、江戸時代に生まれたなら、将軍になってみたいものです。
余った食事は、スタッフが美味しくいただきましたって、
ボソボソで美味しくないってその前に言ってるじゃん😅
マグロは、痛みやすく、身が真っ黒になるので、まぐろ(真っ黒)って言われている(たぶん諸説あり)
今は冷蔵庫もあるし冷凍庫で凍らせて輸送もできるから、真っ黒になりにくいけどね。
釣った後に船の上で、血抜きすれば血合い以外は、赤身だけど、輸送に時間がかかったり保存状況がわるいと黒くなるのが
マグロだから、そりゃ格が低いのだろうなー
江戸時代の寿司も、今みたいに高級な料理ではなく、アメリカ人のハンバーガーやピザみたいに気軽に食べられるファーストフードみたいなモノだったし、寿司は安くて庶民の食べ物だったから、
当時マグロはすぐに痛んで腐るスピードがめちゃくちゃ速かったりするので、捨て値で売られていた。つまり買ってもすぐに価値が落ちるから
誰も高値で買わないから、捨て値っていう感じ・・・・
でも捨て値だったからこそ、安くて庶民の食べ物の寿司につかえた。
現代では、マグロは最早高級品。寿司もたまにしか食べれないものになってしまった。
結構、昔は庶民の味方のサンマやウナギも漁獲高が減って高級魚になりつつある。
マグロ、イワシ、サンマ…
油がのっていて痛みやすい魚は総じて下魚と見なされていたんだろうねえ
吉宗は温かいご飯が食べたくて城を飛び出したのか
慶喜が将軍であった期間(在任期間)は約1年で、歴代将軍の中でも最も短かった事実に関しては何も説明がないのかい。
つまり慶喜人生でここで紹介されているような食事を摂っていた期間は多くて1年程度だったということだ。
毎日同じメニュー食ってるから覚えてる。
昨日の夜は豆腐。おとといは豆腐。その前は豆腐。その前は豆腐。そのm
多分明治時代になってから城の使用人や食事の記録から書いてると思われる。
この食事は確かに質素だが(農、工、商人の下(今で言う平社員)に比べればご馳走だろう。
また食事とは別に酒膳があったのかそれともその質素な食事を肴に酒を飲んだのか。
前者なら質素な食事だ可哀想とはならない。
炊き立てのご飯を食べ、脂の乗った焼き魚と漬け物をつまんで、熱々の味噌汁で流し込む。庶民では当たり前の食事だけど、将軍は一生食べられない贅沢。
ましてや母や妻の手料理なんて夢にも出ない
正直当時の将軍より今の我々の方が良い生活してる
この食事を普通または質素とは全く感じない。かなり豪華😂
なお、土日や祝日はない模様。
1日グータラ出来るのは元旦ぐらい?
慶喜候はうなぎの蒲焼きも好きだったよねー
これでは小野寺和馬殿が「生姜と鱚が駄目なんだ。俺の時は出さないでくれ。」とこぼすわけだ。
(『澪つくし料理帖』参照)
毒見は当時は必要な習慣だったと思います。
将軍ではありませんが、島津斉彬などの死は疑わしいではありませんか。
茹でて蒸すのは、ジャスミン米の作り方みたいですね。当時の米はどんな米だったのかな
いやいや、鶴は不味いので有名な鳥だろ。
肉が異様に赤く独特の非常に強い臭みがあり食用には全く向かない。
獲物としては狩りやすい部類だが、飢饉でもない限り猟師も獲らなかったと聞く。
慶喜が長生きできたのは、すぐ将軍を辞めて後半生は制限の無い健康的な生活を送れたこともありますね。
趣味の写真撮影による外出やサイクリングで毎日体を動かし、食事も肉など制限無く幅広い食材を食べることが出来たのも長寿の秘訣でしょう。
将軍の食事には大きな制限があった。と言ってるのにスイーツは無制限やったんかい。
今の🇰🇵の将軍に出される食事もヤバそうだよな、あれ絶対成人病で逝くぞ😝
朝から刺身って…冷蔵庫のなかった時代、どうやって朝食に生魚出せたんだろ?
醤油や塩に漬ければ1~2日は持ちますよ
@@mop09drg
それを刺身というかは微妙ですね。
言霊文化って日本独特ですごいよなぁ
暴れん坊将軍はたびたび市井にでて熱々のごはん食べていたのかも
毒味役やらされる家臣もたまったもんじゃないなぁー💦
食事を飲み込んで胃袋に流しこんでからじゃないと安全を確認できないだろうし…💧
いや? 口に含んでるだけ
@@kororin5156 そういう役職の家で、万が一毒で死んだ場合は、将軍の毒殺を未然に防いだとなり家は将軍によって守られる。
主従関係は自分が死んでも家が保証されるから命をかけて仕える。
カリッ「青酸ペロ!!」
通常は口に含んだだけで毒を看破できるようなものではない
毒による影響は服毒から数十分程度で出始めるから、家臣の経過観察後に食事にありついたのだろう
なので、冷や飯になって当然っちゃ当然だね
@@袋田なんで最初のつまらない文残したの?
このシステムがあるのに毒を入れることなんてあるの?
甘味食える贅沢
まさかこんなところでビッさんの格言聞くとはね
豚一殿は、流石に悪意あるって笑
飽食になり過ぎたせいで、だらし無い体型の人が増え過ぎた。
何度も毒見していると、毒見係が毒をいれる危険性とか無かったりしないか?
@@TakaoSho 毒見役は何人もいるし監視もいる。
しかも幾つもの膳を作って、ランダムで毒見役が手をつけて
さらにランダムで将軍に出されるからどれを食べるか分かるのは実際に将軍に食事を運ぶ小納戸だけ
熱々のピザ食いてえー!
朝から二の膳がある時点で豪勢
何と羨ましいご馳走の数々。自分からすると上様の食事は羨まし過ぎますぞ〜www。
歴史があるから今があるのに
昔の人を馬鹿にするのは許せん
家康が健康オタクで、玄米や麦飯を好んで食べており、家臣が気を使って白米を出したら激怒した話を聞いたことがある。
家康は秀吉より長生きをしたことで天下が取れた
飽食を避け玄米を好んで食べたし漢方にも精通し自分で煎じていた
幕府を起こしてからは油断したのか天ぷらを食べ過ぎて最後を迎えたと
聞いた事があるなぁ~知らんけど
家康は鯛の天ぷらを食べた後数ヶ月たって死んだそうだが、天ぷらと言っても今で言う素揚げのこと。これが原因で死んだわけではなく、一般的には胃がんと考えられている。それは家康の腹にはしこりがあったから。だから天ぷらは無関係。
@@745yop6 たまたまこのてんぷらの食べ過ぎが内臓へのトドメになっただけだろうな。
@@745yop6
胃か膵臓、とは言われるよね
当時であの年齢だから何かしら抱えてても不思議じゃないし
昨日の昼食…おにぎりですね
百姓は生かさず殺さず
これは現代も脈々と受け継がれてますね。
@@茶豆腐-c2q 百姓が現代だとサラリーマン
工=製造業、商=自営業
えたひにん=ニート
鴨っても真鴨でしょ、絶対美味しいヤツやん🤤
野菜は無いのか…
考えただけで辛いわ。
自分がタイムボカンを1機所有していたら、1610年ごろの江戸にタイムワープして徳川家康を現代につれてきて、できたての美味い料理とおいしい酒を堪能させてあげたい。
将軍も総理大臣も割に合わない仕事だね
当時のマグロは捕まえてから売り物にするまでに暴れに暴れまくって身が焼けちゃうから今ほど美味しくなかったらしい、特に生食は
なので寿司ネタとしても最低クラスだったんだよなぁ
ちなみに今では安いイメージの卵焼きの寿司が最高級だったとか。
実際脚気は江戸患いと言われたからね、江戸から離れたら脚気が治ったというくらいだし。
とはいえ、何でもかんでも洗ってこれはダメあれもダメじゃあろくなメシ食えなかったんじゃね。やはり将軍より大名や豪商の方がいいメシ食ってたんじゃね?
武士の給料が江戸初期のまま据え置きで物価高により困窮していたからまともなものを食べられるはずもなく。
幕末の江戸では、米が豊作で副食物より白米ばかり食してたから、ビタミンB1不足で脚気になったとかで。
@@sinji1341scarlet武士の給料の米は玄米で支給されるから、わざわざ精米しないで食べている人が多い
庶民の方がいい物を食べてたのが日本
海軍将校の高木兼寛は脚気(江戸患い)の原因はウイルスではなく、白米中心の和食が原因と考え、海軍食を和食からイギリス風の洋食に切換える事で脚気を防ぎました。高木本人はタンパク不足が原因と思っていたようですが、豚肉にはタンパク質だけでなくビタミンB1も多く含まれてたので、実証されたわけですね。ちなみにカレーが国民食にまでなった理由でもあります。おそらく最初のカレーはポークカレーだったと思います。
以下物のアジを知らない将軍
マグロは今でこそ高級食材とされているけど江戸の頃は以下物と呼ばれ水揚げされても大きすぎるが故に捌いても保存方法が無く傷みも早かったから、漁師も手を付けない雑魚や外道扱いで全く食べられてなかった。
寿司は今でこそ高級品だが、江戸の頃はファストフード扱いだった。
出店で寿司を握る職人が何人も何十人もいて、朝仕事へ行く人達がそういう出店でおにぎりに魚の切り身が乗った寿司を歩き食べしながら、仕事へ行くというのがスタンダードな世の中で、寿司の原点でもある。当時は寿司は現代価格で15円くらいで売られてた。
明治に入っても寿司という概念はそのままで、おにぎりのサイズは小さくはなったものの今よりはシャリがデカく、その上に魚の切り身が乗ったようなものを寿司と言っていたので、現代のシャリのサイズから見ると現代の形になる前の寿司は全てシャリが巨大なもの。
確か,バターを好んでいた将軍がいたはず。
慶喜、家康には及ばないもののそこそこ長生きの吉宗は紀州で生まれ成人するまでそこで育ったので栄養事情も良かったんだろうか
将軍になってからも倹約で割と慎まやかな食事情で趣味は鷹狩と剣術(適度な運動)と健康的な生活だったと
肉体労働以外、自動化加速する現代、一日二食で充分だ。超多忙な人は一日一食の人も沢山。長寿も寝たきりなら苦しみだ。