[合戦解説] 15分でわかる伏見城の戦い 「関ヶ原の戦い第一ラウンド!」 /RE:戦国覇王
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- เผยแพร่เมื่อ 9 ก.ค. 2024
- 伏見城攻防戦のはじまりは単に「関ヶ原の戦いの前哨戦」というよりも
「関ヶ原戦争の第一ラウンド」とでもいうべき意義を持っている
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目次
00:00 オープニング
00:37 1.家康打倒の挙兵計画
04:09 2.七月十七日の大坂
07:09 3.伏見城の攻防はじまる
12:32 4.伏見城陥落する
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参考:戦国覇王-戦国百科16(執筆者:小和田哲男氏)
(別冊歴史読本「戦国150年ニュース」「戦国武将天下取りデータファイル」「図説戦国の合戦」「戦況図録関ヶ原大決戦」「戦国の古城と里」)
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この動画は今はなきデルプラドジャパンから発行された
週刊・戦国覇王~歴史を変えた名将たち~の内容をもとに
古い情報を新しくしつつ、画像つきで紹介していこうというものです
戦国覇王は2002年~2003年に発売されたもので、現在は主流でない古い説に基づいて解説されている部分があることにご注意ください
情報の不足やミス、読み間違いなどの指摘は大歓迎です
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#RE戦国覇王
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#戦国武将
#日本史
以前京都の養源院で伏見城の血染めの床板を使用した血天井を見ました。手足の跡がくっきりと残っていて戦慄を覚えましたが恐怖感は感じませんでした。
家康を豊臣家の家中に入れて殿中奉公をさせたが、家康は毛利家にも島津家にも鎌倉以来の大名として敬意を払っていたし、長宗我部氏にも秀吉包囲網を構築して共闘したので戦友として接した。
関ヶ原の合戦の後に毛利家の所領を1/4にしたり長宗我部盛親を改易するとは思えなかった。
島津家は木曽川堤工事をさせられて、毛利家や山内家の郷士以上に徳川家を恨んでいた。
鳥居元忠、好きな武将です。
表紙にうちの家紋出てて嬉しい。
個人的にはタイムリーな感じ。wikiの指揮官指導者の欄には三成いないんだけど。
確かに伏見城を是が非でも守ろうとするなら、本多忠勝や榊原や井伊といった徳川四天王を
残しておきますよね。忠誠心はあるけど、そこまで優秀でもない家臣という観点で、
鳥居に任せたんでしょうかね?
鳥居元忠氏は、足を負傷していたとのことです。
家康の加勢をするためにわざわざ薩摩から出向いた島津義弘公の入城を断ったのが運の尽き…自業自得!島津が加勢していたら三成なんかには負けなかった!
タラレバよね。当時は誰が敵味方かわからない状況だったし、籠城戦を考えたら信頼出来る人たちだけでって考えも理解できる。