新系列近郊用気動車 キハ66・67
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- เผยแพร่เมื่อ 5 ก.ย. 2024
- 山陽新幹線の博多開業が迫り、北九州地区の非電化路線の体質改善に新型の近郊用気動車としてキハ66,67が登場しました。
当時としては画期的な、冷房付き非電化近郊用車両、転換クロスシートを備え、特急並みのシートピッチを持ち、重質した客室設備を持っていました。
一方、非力さが目立っていた在来型気動車の問題を解決するため、DML30系の機関を採用。
しかし、故障への不安からか、出力は2割近く落とされ使用されました。
高い運転台とユニット窓、再び屋根上にラジエータを戻し、集中クーラーを備えた機能美を備え、将来的には全国展開を視野に入れた車両として活躍が期待されました。
参考資料
新系列ディーゼル動車化の経営上の効果(JREA 4 Vol13.1970) 日本鉄道技術協会
キハ65形ディーゼル動車(四国鉄道学園編) 交友社
鉄道ファン1974年8月号 交友社
鉄道ファン1975年5月号 交友社
キハ58物語 JTBキャンブックス
フリーBGM・音楽素材 H/MIX GALLERY www.hmix.net/
NVIDIA Iray GPU Rendering www.nvidia.com...
Super Notch Man Ver.3 イメージテクノロジー研究所
CGはじめました。 turbotrain.net/...
下関から筑豊へ行く時。関門トンネル内の騒音はトンデモナイものでした。
増備はされなかったけど、アコモデーションは117系や115系3000番台、車体構造に至っては417系、713系、413系、717系などに受け継がれましたね。
今現在から考えると「180度V型12気筒30ℓエンジン」という異様に大きいエンジンがスゴイ迫力ですね!
現在存在する国産の産業用高速ディーゼルエンジンならば、この半分のサイズと重量で、これ以上の出力が発揮できますね。場合によっては1車輛2台エンジンで最高1000馬力近い車輛も存在する事を考えると・・・。当然、連続高負荷運転のオーバーヒートなんて皆無!技術の進歩ってすごいです。
素晴らしいです!👏👏👏
よくぞこの形式に目をつけて下さいました😂
いいたか無いですが、4VKエンジンって夏だけ使う四国総局でも多度津工場にベアリングの焼き付いたそれが「ダルマ状態」で整備待ちしてた報告が為されている問題児です
それを年中使う上に空調のみならず走行機関と一蓮托生とは小倉工場の苦労が偲ばれます
筑豊本線が電化され、長崎に移籍し、大村線等で近年まで走ってましたが…YC1に跡目を譲り、全車引退してしまいましたね
末期の屋根上は集中式のクーラーが乗っている以外はベンチレーターも撤去され何も無く車端部の連結面だけが少し窪んだ屋根でした。
筑豊方面の急行「日田」・「はんだ」の運用についていましたね。遜色急行(デッキがなくロングシートがある)と、乗り得急行(当時の急行用車両では珍しい転換クロスシート)の二面性を持つ車両でした。私が初めてキハ66に乗ったのは平成初期、門司港発の筑豊方面行き列車で、小倉までの短区間乗車だったと記憶しています。最後に乗ったのは一昨年の春、快速シーサイドライナーでした。
鋼製屋根のボコボコ感いいですねぇ
新幹線博多開業時の、北九州の快速ネットワーク用に投入されたキハ66,67は、「はんだ」「日田」などの急行列車等にも使われました。当時は「画期的」とも評されていましたが、いろいろと手こずった面もあったと聞きます。そのため、増備は見送られました。
当時の国鉄は、どういうエンジンやサービス電源の組み合わせが、最も有効で、効率的なのか「頭の体操」をやっていたようなところがありました。しかし、それは、少し視野の狭いものでもありました。
実際の当時のディーゼル機関の事情は、国内の自動車メーカーや海外の機関では、もっと優れたものが複数ありました。
当時の国鉄は、標準化や、特定の国内の協力企業にこだわるあまり、国内自動車メーカーや海外メーカーのものの視点を失っていたきらいがあります。
当時においても、現在の高性能機関に匹敵する機関を、手に入れようと思えばできたことは間違いない事実です。
たとえば、カミンズの機関でも、現在使われているNT-855 系などのカミンズNシリーズは、その基本設計は、1950年代に設計されたNHシリーズがその基になっている、保守的なエンジンです。
以前からも、日本の漁船などでは多く使われていました。
カミンズNシリーズは、日本の車両メーカーの海外輸出用気動車(台湾鉄路管理局(台湾鉄道)の気動車であるDR2700、DR3000、 DR3100、DR1000等)等にも載せられていましたが、国産エンジンにこだわっていた当時の国鉄は、これを無視しました。
国内の鉄道車両でも、昭和57(1982)年に、静岡の「私鉄」の大井川鉄道のDLであるDD20が、初めてこのエンジンの直立シリンダタイプを載せて登場しました。
静岡県などには、多くの漁船などがもやい、カミンズエンジンの集積地にもなっていたからです。
なお、今年の北海道での183系気動車のさよなら運転(今年の3月、4月)によって、水平対向12気筒エンジンの「気動車」は、国内からすべて消滅しました。現在の国内の「気動車」のエンジンは、保存車などを除くと、ことごとく6気筒のみになりました。
小湊鉄道線では今でも大半の車両(キハ200)がDMH17、直列8気筒ですよ。
@@oleo_p8018 さん
小湊鉄道には10両程度のキハ200が現在も残っています。
以前に公式にではありませんが、鉄道雑誌の取材などで、小湊鉄道は古い車両を今後も使ってゆきたいといった内容のことを言っていました。首都圏から近く、駅や周辺のなどの施設も古く、ドラマやCMなどの撮影等にも使われていたという事情もあります。
キハ200は、国鉄のキハ55やキハ20とほぼ同じような車両の自社発注車で、細部は国鉄のキハ20とは異なっています。
エンジンは、基本設計が戦前のDMH17機関で、8気筒17Lの昭和30年代当時の標準機関です。
このうちの初期の機関である縦形シリンダータイプのDMH17Cは、国鉄時代のキハ55やキハ20の初期の車両に載せられていたのであり、その後、シリンダーの潤滑も改善されたことから、水平シリンダータイプのDMH17H(いずれも180PS)を載せたものしか生産されなくなってゆきました(いくつかの例外あり)。
そして国鉄ですら、これの縦形シリンダータイプであるDMH17Cを載せた車両の廃車を優先して進めてゆきました。客室内の床面に汚れや騒音の原因になる点検扉等を設けなければならなかったからです。
小湊鉄道のキハ200は、半世紀以上前から断続的に生産され続けたので、縦型シリンダーであるDMH17Cを載せています。現在の普通の鉄道会社はおろか、当時でさえありえないものです。
大井川鉄道やしなの鉄道(115系,165系)のように古い車両を人寄せの資源と考えているからです。
小湊鉄道にとって、キハ200は自社発注車であり、使い慣れているという面もあるでしょうが、「広い意味で」観光用、保存用と言ってもいいと思います。
コメント本文末尾に「保存車『など』を除くと」と書いておいたのはそういう意味も含んでということです。
この世の中に水平対向12気筒エンジンってあるんでしょうか?
何らかの理由で、水平対向6気筒を2基連結せざるを得なかった、と言う場合以外、180度V型で何の不都合もないフラット12で、あえて対向式にする必要はあるんでしょうか?
@@user-to5sl2dh4i さん
まあ、総称としてとらえてください。先進各国の定義もまちまちであり、またそのような表記もあるので、そう書いておいたのです。エンジンの細かい態様については本動画の趣旨でもないので、おおざっぱに書いてあります。実際にキハ66等に載せていたエンジンは、180度V型のエンジンです。
タイに渡ったキハ183は綺麗にレストアされてクルンテープ駅構内に爆音轟かせてました。先週は普段ここにないはずのc56が来てました
にぎやかで滑らかなエンジン音、独特なタイフォン?の音
、思い出すなぁー
石油危機直後に登場したクセにムダが多かった
暖房が排熱ではなく電気
DML30H系エンジンは、バリエーションが最終的に確認されている限り11形式あり、高出力化を選ぶか冷却性能の安定化を選ぶかの葛藤に相当苦労されたかが見て取れました。
新系列なのに形式名に100番代が与えられなかったのは、在来車と併結可能なためかな。
この形式が軌道に乗ったら急行型のキハ68・69型(図面が鉄道ジャーナルに載っていた)が生産される予定でした
DML30系エンジンは放熱に苦労したのかデビュー後に屋根上の放熱器に何か追加していますね。
ウォーターポンプですネ。