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「源平藤橘」内に全ての日本人が当てはまる、ということは本当にあるのではないか、と思います。昔は戦国時代だったので、負けた方は恨みや怨恨を少なくするために、苗字を一時期剥奪していた可能性はありますね。でもその家の代々の人たちが自分の祖先は例えば平家の一門であったりすることを言い伝えとして聞かされていたので、明治期の苗字必須令でその言い伝え通りの苗字を選んだ可能性はありますね。苗字は私自身もいろいろと調査や研究をしている者です。今の残る日本人の苗字は日本の歴史のマイルストーンのような物であり、歴史調査には非常に参考になるものなので、苗字は無くなって欲しくないですね。
NHKの「ファミリーヒストリー」でもルーツを辿ったりするが、あれを観てよく分かるのは、自分の苗字がイコール自分の生物学的ルーツとは限らないということである。というのも、昔は養子を取ることもざらにあったからである。つまり日本は儒教主義的な血縁主義では必ずしも無く、「家」の存続のほうを重視していたわけである。
自分のレアよりな苗字から、なんとなく農民だろうと思っていたが。この動画にある農民の良くある条件をガッチリ満たしていたので確信できた。家紋無くとも、そんなところから祖先を知れるものなんだね。
ごめんなさい、ご先祖さま。兄弟いなくて未婚で若くない私で、家系絶えます。
じいさんが、うちの祖先は平家の落人だと話していた。しかし、自分自身は何故か幼少期から絶対に違う‼︎という思いがあった。中学の時に自分の体に『忠』という漢字を彫った。何故この字だったのか謎だった。幼少期、義経にまつわる物語を読むと何故か心が躍り、時には涙を流した。自分でも不思議でならなかった。大人になって源氏と自分の苗字について調べた。分かった。自分の苗字を持つ武士は、平家側であったが戦の中での勇姿に心を打たれた源氏側がその武士を引き抜き、義経率いる清盛の討伐隊に所属していた。その名には『忠』という文字もあった。そしてその武士は戦で顔に傷を負いその傷がその武士の特徴であったらしい。自分も顔の同じ場所に傷がある。あまりにできすぎていて自分でも恐怖を感じたが、誇りに思っている。
母方のルーツは、新田義貞の家臣だったと聞いています。倉に、甲冑、弓、刀があったとの事家系図もあったとの事で、母はそれが、今でも自慢ですが…私は、人を殺めた武家が、先祖は、嫌なので、農民が良かったと思っています。コツコツと、真面目に働く農民が、貧しくても、一番幸せだと、私は、思っています!
私の父親の出身は山梨で苗字が小池と言います。家紋は武田菱です。山梨と言えば武田信玄公ですが、土地柄からも小池家は縁が深い様子です。諏訪神社に小池家代々の家系図が奉納されていて、その家系図を父親は一回だけ見させて頂いた事があるそうです。そこには遡る事、戦国時代に武田信玄公の元、小池党というご家来衆であったと書かれていたそうです。よって小池の姓なのに武田菱の家紋である事も信玄公とのご縁のおかげなのかなぁと確かに息づいていた戦国時代のご先祖様への想いを馳せております。
私の苗字は全国に10人程度だとネットで調べた時に知ったのだけれど、もはや全員親戚。昔からルーツが気になって仕方ない...🤔
何れにせよ、ここまで血が繋がってるんだから優秀な人間だろうな
近くの漁師に同じ苗字の方がいますが、元々苗字が無かったが、うちの先祖に良くしてもらい、憧れから同じ苗字を名乗るようになったんですよ。という話を聞きました。
世が世なら、と、父と、叔母が言ってました。ご先祖様のお墓を守るために、寺を建てたらしく、墓を移動される時に父とめちゃくちゃ揉めたとか、私は興味もなかったのですが(笑)波多野とは、さて?由緒あるのですかね〜?
「小鳥遊」と書いて「たかなし」さんっていらっしゃるじゃないですか?一種のシャレみたいですが「粋」だなぁと思うのです。
ほとんどお百姓さんだろ
身も蓋もない話ですが、20〜30代前ぐらいまで遡ると、当時の日本人ほとんどが自分の先祖になります。あくまでも理論値なので、その点はご了承願います。
偶然発見し、拝見しましたが話し方が引き込まれついつい見てしまいます😊自分の祖先は大阪松原にあった田井城の周りに住んでいた下級武士の出身で苗字はその地域に住んでいたのでそのまま地名を貰ったと祖父から聞きました下級武士なんでほとんど農民と変わらないのですがずっと自慢してました(笑)
人間として存在するだけで人生当たり。地球に生まれた微生物から進化し、45億年前からの先祖の子孫なのだから。素晴らしい
うん、人工音声よりずっといいし、古い言葉を使うのもいい。格好もまたこれぞ歴史って感じ。農民なのは名字からみて当然なのでわかってたけど。
関東の有名な武将に仕えてた旗本らしいっていうのは聞いてたけど詳しくは知らなかったから、これを機に詳しく調べてみようかな
珍しい名字やから親父が調べたら、長野か大分にその名前の城があって、そこの大名やったかとは言われているけど、、わからないからこそロマンが詰まってるよなぁ
隣のアルツばぁちゃんが「私の息子は天皇陛下なのよ」と言ってました。当然 ”菊の御紋” だそうです。
自分の先祖は津から始まるものです。身分は無事だったら農民だったり姓の由来は両親に聞いても分かりませんのようです。
うちの先祖は江戸時代後期に小さな城の家老だったらしいから武士だったのかな? 苗字に「藤」が付いているから、確証は無いが武士と言うことで子供や孫に言っておこう。家老は今の会社で言うと専務くらい?
爺ちゃんの所に寺子屋の机が20~30はあったな、武士から転職して寺子屋始めて勉学教えてたとは聞いている多分ガサゴソすれば教本もあると思うわ
世の中って不思議よね身分まで決められ生まれてくるなんて
そうか?不思議なのはむしろその当たり前のことを理解してない人がいることの方だと思うよ
@@茂本克幸 どこにでも湧いて出てくるね捻くれ者
養子もらって名を残したりもしてるから、地のルーツと姓名のルーツの二種類あるよね
日本で多いと言われる鈴木や佐藤とかだと地域分布はあてに出来ないよね。
自分の母方のおばあちゃんの旧名が【両角】でした。戦国時代に詳しい人なら知ってる名字だそうで、書物には【諸角】【室住】と記載されることもあるそうですが、おばあちゃんは【両角】の字を使っていました。長野県にある集落で育っていて、表門と裏門(本家と分家みたいな)にグループが分かれていて、おばあちゃんは表門出身だったそうです。名字って多くの場合は男性側のものが引き継がれていきますが、女性側を追っていくと先祖が武士だったっていう人も沢山居ると思います。
江戸時代の寺受け制度があるから。お寺か神社で解ることが多いです。人別帳などが残っていると。我が家は、先祖の家業は農家だけど、社領を管理し、同じ場所に平清盛の時代から住んでいます。江戸時代後半に、宇多天皇の男系の大名の子を婿養子して、領地内分家も兼ねました。苗字は紀氏の一族の苗字で大阪にある地名由来で家紋も家紋帳に出てきます。、男系は宇多源氏です。同じ苗字の親戚には、親戚衆として藩に仕えた子孫や、皇族に身の回りのお世話する仕事者などがいます。
私の家系は武士で、珍しい苗字でもあり、日本史に残る事件に登場します。夫の方は確実に農民です。身分制度が現代に残っていなくて良かったです😀
農民がいないと飯食えないと思うけど、悲観ってw
大友宗麟の家臣で、丸に違い鷹の家紋ですが、明治維新で豆腐屋始めたみたいです。
うちのご先祖様は、福岡県黒田家です。何代前かのヒイオジイサマガ合戦に、かったご褒美です。
藤が付くから藤原と名のれるのはほんの一握りだけですよ殆どがあやかって付けてます藤原本家の近衛、九条、一条、二条、鷹司は数十人から百人程度ですそれなのに佐藤は何百万人ですよご自身や親戚の方が霞会に加入しているなら本物です
とある説に寄ると明治になって名字が義務化された時に書面に例として「佐藤」や「鈴木」が記載されていて、それで全国に佐藤さんや鈴木さんが多くなったとか笑
家系調査が本来の専門ではないでしょうに、特段誤った情報はありませんでした。何の書籍やどの専門家へのヒアリングを行ったか見えませんが素晴らしい動画だと思います。まぁ言うは易し、行うが難しというわけで簡単ではないんですけどねwM19式戸籍まで辿り着いて、読解するだけでもそれなりに大変ですw
ワシの家は分家で、三代前までは何とか分かるんですけどねぇ😁まぁどこでどんな血が混じっているかなんて、よほどの名家じゃないと分からないんじゃないかな? なのであまり気にしないようにしていますね。
いろいろと詳しく説明されててとてもわかりやすかったです。
父方の祖父が貴重な家系図の手書きをカレンダーの裏に書いていました残っていればいいのに
広島の吉田郡山城です。
千葉県は下総、上総、安房で、名字の偏りがあると思う。大野なんて多分下総に多い名字だろう。わしが住んでた地域には一人いたかどうかの記憶しかないな。
初めて拝見しました!!女性のナレーションの方、、もしかしていつも遊女のお話ししてらっしゃるかた…!?
農業いいと思うけど、農学部大好き
すごく面白かったです
これ苗字は途絶えても血の繋がりはあり有名な人物の家系もある。また有名な人物の苗字になる場合もある。苗字が変わるんだよな結婚すると女性は。情報がないと苗字からは繋がりはわからない。
農民で「悲観しないでください」は、差別なのでは…?
知り合いに遊ぶに喜ぶで「遊喜さん」居てますが何何でしょうか?
ウチは鎌倉時代から書かれた家系図がある武家
貴族や武士であったら良し、農民なら悲観という前提で語られているのが、どうも引っかかる。
なんかうち武士が御先祖だったらしいんだが歴史の授業にすら出てこない、ググってようやく出てくるレベルで父親から聞いた時はふーん、で?って感じだったんだけど家宝とされてるものの中にくっっっっっっっっそ古い謎の巻物みたいなのあっておおー、すげえ…んで?ってなったわ
うちは家系図があるので御先祖様に感謝です
うちの母方は豪商の三浦家です。伊達家の家臣になります。200年間、花山御番所で関所管理をしていました。何故商人が関所の管理をしていたのか調べてみたいです。父方は九曜紋です。やっぱり伊達家です。宮城県なので伊達家絡みが多いです。
そういうのって今もお金持ちなんですか?
@@matsukodx2 農地だけじゃなくて家も没収されたんですか!?
私の苗字は「舘内」です。分かっている事は、伊達政宗公が岩出山城に居城していた時に政宗公から苗字を頂いたこと。軍馬の育成と荷役をしていたこと。奥州藤原氏の元でも軍馬育成に携わっていたこと。明治時代に伊達氏と共に北海道へ移り住み厚岸に住んでいたこと。位です。その後は調べることが出来ませんでした。ちなみに母方の高橋家の家紋は伊達家と同じ物です。舘内家は「丸に橘」です。
神って苗字はやっぱり神官系なのかなぁ
服部だけど旗本だったって聞いた
嘘というか誇張というか…例えば岩手県盛岡市なら藤原、佐藤、加藤、斎藤さんが非常に多い藤原を名乗っている人たちが滅ぼされた奥州藤原氏の子孫のはずがないよねその支配地の出だからその苗字になってるだけ佐藤、加藤、斎藤さんも同じでそれなりに高位にあった佐藤、加藤、斎藤さんが支配する地の百姓たちも同じ苗字を名乗る
日本でベスト5に入るよくある苗字です。先祖はわからないですけど、現在農民ですw
うちは越前藩(福井藩)の石高を支えてた村のお百姓さんです。苗字に村の名前を貰いました。村は今でも福井県の地区名として残っています😁、意外と珍名さんです!😄
苗字の多くは明治になって多くの日本人が付けた物で江戸後期でも少しずつ平民も付けるようになっていた。
とても分かり易い、いい解説が聞けました!!
すごい詳しいですね👍
苗字が西南戦争のあの人と同じなので、うちの一族はそれに引きずられて地道な努力を軽んじる傾向がある。
宮がつくし、おばあちゃんの実家が博物館なので自分の身元は知ってるけど別にお金持ちじゃない本家はお金あるみたいだけどねでも人とは考え方が違うことが多く経営者目線のことが多いうちの家族全員まあ身内に経営者が多いのもあるかもだけど
家系図はともかく、家紋は結構あったりするから、先祖をたどれる人それなりにいるんじゃないかな?僕は両親ともに家紋で先祖をたどれたよそんなに大したご先祖様でもなかったけど、でも結構面白かった
金澤でも黒田でも斎藤でも有馬でも名乗れるけど業凄えまじで武家の凄いのは業がやばいぞ毎日がお化け屋敷じゃ返答は無し
家系の先祖がわかったからと言って、現代の自分になんの得もない😱
声がフォクシー海賊団銀狐のフォクシーに似てるなw
うちは父の家の家系図があるのですがご先祖様は天満宮に祀られた学問の神様でした父方のご先祖のお墓の家紋が丸に梅鉢であ~神社と同じ家紋だわ~くらいにしか考えてなかったのですがネットで名字と家紋で検索してみたところ学問の神様の子孫であることが分かり父方の祖母に聞いたところ家系図があるとのことで見せてもらいました学問の神様には15人の子供がおり波乱万丈紆余曲折あって今に至る多分ですが、同姓同名の方も親族だと思われます『菅』の字があるので ^^;
旦那の方は、家紋はあるのですが見つからないのです。苗字自体が、珍しくないと思っていたのですが全国でも1000人はいないらしく、判子をわざわざ作らないといけなくて面倒です。愛媛県に集中しているらしいと聞いてます。私は、違う県ですが。今は、親戚関係で数件。後は、全然繋がりはありません。旧姓は、全国に何件もあります。
うち全然加藤じゃないんだけど、家紋はどう見ても加藤(下り藤に加)なんだよな…
農民が先祖だったら悲観せなあかんの?笑
荘園で遠方に移り、そこの土地の名を苗字に変えたとウィキペディアが教えてくれました😂建てたお城は攻められ取られた○早川は裏切り者で、危うく家が滅びるところだったは語り継がれてます
どこにそんなでたらめな説があるというのでしょうね。荘園それも寄進地系荘園での現地管理人は現地の土豪層から派生したものであり、本所-領家の関係で説明されます。 その現地の土豪層(在地領主)がやがて戦国大名へと成長していくのです。
@@逸見敏成ごめんなさいね〜城主してましたから
ドンマイ
それがどうした。城主だったからと云って血筋が確かなものであるなどとは限らない。
あっそご苦労さん
親父が8代前まで戸籍を辿ったら藤原家の末裔だったらしい家紋は登り藤らしい
逆に先祖代々今の時代まで農民家系だけど先祖の肖り感じてそれはそれで良き😂
仏門の浄土宗や浄土真宗などの宗派でも武家か庶民かなども分かると聞きました。
儂の名前は日本に七軒しか無い珍しい名字。過去帳を調べると北条家に使えて居たFと言う忍者らしい。調べるのにかなりのお金と労力がかかった。😮
先祖が大名でも今が最悪なら嬉しくない。
14:45 みたらい、、一歩間違えると、、、おてあらい
先祖マウント笑笑
藤原家です
昔聞いた時は父方は瀬戸内海で海賊やってたって聞いたな母方は祖父の代まで大きめの商人の家だったって言ってた
自分の苗字が十王館(じゅうおうだて)だから検索してみたらすげーレアなのね娘と嫁ふくめても10人もいない
穢多非人とかも有り得るのか
うちの先祖は仙台の方の武士らしくてその後熊本あたりに移動して熊本あたりで繁栄したらしい。苗字は某関西系ジャニーズの珍しい苗字と同じ。そこまでメジャーな苗字じゃないから調べても出てこない
身分制度のあった時代と今を比べてみたら一目瞭然。身分制度があったから国の発展を様告げてた。要するに上の奴らには能力が無かったのよ。だから、うちは武士の家系だとか言われても自慢にもなりゃしない。能力で勝ち取った地位ではないからな
明治以降に自らつけた名字の方が多いと思いますが。
ウチの御先祖様は川越藩の武士やった。因みに家紋は井桁に抱き茗荷。自分の名字も国内に千人程しか居ないので、書いたら身バレするレベル😅
名前は面白い。こんな名字が在るのかと思う面白名字、実に面白い
士族で著名大名ですよ😃
私の苗字、全国に60人前後ぐらいしか居ないレベルで珍しいんだけど、1回ルーツとか調べたくて検索かけたがさっぱり分からんかった......一応澤って字を使うから...農民系...なのかなぁ??誰か調べて欲しいわ
母親の実家は大庄屋だったらしいく当主の遺体は鳥居が四方に有る蓮台に乗せられ先祖代々の墓地に運ばれ土葬されて居たと聞いた父親の実家も庄屋で大きなお屋敷で祖父は分家になると聞いた元々は紀州から流れて来たそうです
知らないことばかりだったので、すごくく興味ったたです! ありがとうございました!
自分は桓武平氏千葉氏の末裔らしいです
うちは上がり藤紋に大、だから大久保藤だな
当家は、藤原家の系統である。
親の先祖は親父が平家方母方は源氏方で壇之浦で戦ってたんだわ、まぁいつも喧嘩ばかりだったのは血のせいか?
自分の先祖は家系図見れば分かるけど、僕の先祖はたまに大河とか時代劇関係のドラマにも出てくる。先祖は某場所の藩士。
渡邊家は、・・・・・・・・いったいどんな、御先祖だったのかっ!?、・・・・・🤔😓
渡邉はどうでしょう
田所……芸人やな
明治になって、全ての人が苗字を名乗れるようになったから、○藤に代表される佐藤、伊藤、加藤は藤原氏とは縁もゆかりもないのが殆どで、藤原ですら藤原氏とは関係無いものが大半。
なぜ農民だと悲観しなくてはならないのだ?
ほんとだね
身分差別か?
当時の身分とかどうでもいいやろw今の身分の方が100倍大事だ。
@@純ちゃん-w9y どうでも良いが本当にどうでも良けりゃこのコンテンツ見ないと思うんだわ多少興味はあるから見たんじゃね?
@@和奏正昭 さんごめんよ、サムネでなんとなく開いたけど20分も見る時間がもったいないので自分は本編見てないどす!
「源平藤橘」内に全ての日本人が当てはまる、ということは本当にあるのではないか、と思います。昔は戦国時代だったので、負けた方は恨みや怨恨を少なくするために、苗字を一時期剥奪していた可能性はありますね。
でもその家の代々の人たちが自分の祖先は例えば平家の一門であったりすることを言い伝えとして聞かされていたので、明治期の苗字必須令でその言い伝え通りの苗字を選んだ可能性はありますね。
苗字は私自身もいろいろと調査や研究をしている者です。
今の残る日本人の苗字は日本の歴史のマイルストーンのような物であり、歴史調査には非常に参考になるものなので、苗字は無くなって欲しくないですね。
NHKの「ファミリーヒストリー」でもルーツを辿ったりするが、あれを観てよく分かるのは、自分の苗字がイコール自分の生物学的ルーツとは限らないということである。
というのも、昔は養子を取ることもざらにあったからである。
つまり日本は儒教主義的な血縁主義では必ずしも無く、「家」の存続のほうを重視していたわけである。
自分のレアよりな苗字から、なんとなく農民だろうと思っていたが。
この動画にある農民の良くある条件をガッチリ満たしていたので確信できた。
家紋無くとも、そんなところから祖先を知れるものなんだね。
ごめんなさい、ご先祖さま。
兄弟いなくて未婚で若くない私で、家系絶えます。
じいさんが、うちの祖先は平家の落人だと話していた。しかし、自分自身は何故か幼少期から絶対に違う‼︎という思いがあった。中学の時に自分の体に『忠』という漢字を彫った。何故この字だったのか謎だった。幼少期、義経にまつわる物語を読むと何故か心が躍り、時には涙を流した。自分でも不思議でならなかった。大人になって源氏と自分の苗字について調べた。分かった。自分の苗字を持つ武士は、平家側であったが戦の中での勇姿に心を打たれた源氏側がその武士を引き抜き、義経率いる清盛の討伐隊に所属していた。その名には『忠』という文字もあった。そしてその武士は戦で顔に傷を負いその傷がその武士の特徴であったらしい。自分も顔の同じ場所に傷がある。あまりにできすぎていて自分でも恐怖を感じたが、誇りに思っている。
母方のルーツは、新田義貞の家臣だったと聞いています。
倉に、甲冑、弓、刀があったとの事
家系図もあったとの事で、母はそれが、今でも自慢ですが…
私は、人を殺めた武家が、先祖は、嫌なので、農民が良かったと思っています。
コツコツと、真面目に働く農民が、貧しくても、一番幸せだと、私は、思っています!
私の父親の出身は山梨で苗字が小池と言います。家紋は武田菱です。山梨と言えば武田信玄公ですが、土地柄からも小池家は縁が深い様子です。諏訪神社に小池家代々の家系図が奉納されていて、その家系図を父親は一回だけ見させて頂いた事があるそうです。そこには遡る事、戦国時代に武田信玄公の元、小池党というご家来衆であったと書かれていたそうです。
よって小池の姓なのに武田菱の家紋である事も信玄公とのご縁のおかげなのかなぁと確かに息づいていた戦国時代のご先祖様への想いを馳せております。
私の苗字は全国に10人程度だとネットで調べた時に知ったのだけれど、もはや全員親戚。昔からルーツが気になって仕方ない...🤔
何れにせよ、ここまで血が繋がってるんだから優秀な人間だろうな
近くの漁師に同じ苗字の方がいますが、元々苗字が無かったが、うちの先祖に良くしてもらい、憧れから同じ苗字を名乗るようになったんですよ。という話を聞きました。
世が世なら、と、父と、叔母が言ってました。
ご先祖様のお墓を守るために、寺を建てたらしく、墓を移動される時に父とめちゃくちゃ揉めたとか、私は興味もなかったのですが(笑)
波多野とは、さて?
由緒あるのですかね〜?
「小鳥遊」と書いて「たかなし」さんっていらっしゃるじゃないですか?一種のシャレみたいですが「粋」だなぁと思うのです。
ほとんどお百姓さんだろ
身も蓋もない話ですが、20〜30代前ぐらいまで遡ると、当時の日本人ほとんどが自分の先祖になります。あくまでも理論値なので、その点はご了承願います。
偶然発見し、拝見しましたが
話し方が引き込まれ
ついつい見てしまいます😊
自分の祖先は大阪松原にあった
田井城の周りに住んでいた
下級武士の出身で
苗字はその地域に住んでいたのでそのまま地名を貰ったと
祖父から聞きました
下級武士なんでほとんど農民と
変わらないのですが
ずっと自慢してました(笑)
人間として存在するだけで人生当たり。地球に生まれた微生物から進化し、45億年前からの先祖の子孫なのだから。素晴らしい
うん、人工音声よりずっといいし、古い言葉を使うのもいい。格好もまたこれぞ歴史って感じ。農民なのは名字からみて当然なのでわかってたけど。
関東の有名な武将に仕えてた旗本らしいっていうのは聞いてたけど詳しくは知らなかったから、これを機に詳しく調べてみようかな
珍しい名字やから親父が調べたら、長野か大分にその名前の城があって、そこの大名やったかとは言われているけど、、わからないからこそロマンが詰まってるよなぁ
隣のアルツばぁちゃんが「私の息子は天皇陛下なのよ」と言ってました。
当然 ”菊の御紋” だそうです。
自分の先祖は津から始まるものです。
身分は無事だったら農民だったり姓の由来は両親に聞いても分かりませんのようです。
うちの先祖は江戸時代後期に小さな城の家老だったらしいから武士だったのかな? 苗字に「藤」が付いているから、確証は無いが武士と言うことで子供や孫に言っておこう。家老は今の会社で言うと専務くらい?
爺ちゃんの所に寺子屋の机が20~30はあったな、武士から転職して寺子屋始めて勉学教えてたとは聞いている
多分ガサゴソすれば教本もあると思うわ
世の中って不思議よね
身分まで決められ生まれてくるなんて
そうか?不思議なのはむしろその当たり前のことを理解してない人がいることの方だと思うよ
@@茂本克幸
どこにでも湧いて出てくるね
捻くれ者
養子もらって名を残したりもしてるから、地のルーツと姓名のルーツの二種類あるよね
日本で多いと言われる鈴木や佐藤とかだと地域分布はあてに出来ないよね。
自分の母方のおばあちゃんの旧名が【両角】でした。
戦国時代に詳しい人なら知ってる名字だそうで、書物には【諸角】【室住】と記載されることもあるそうですが、
おばあちゃんは【両角】の字を使っていました。
長野県にある集落で育っていて、表門と裏門(本家と分家みたいな)にグループが分かれていて、おばあちゃんは表門出身だったそうです。
名字って多くの場合は男性側のものが引き継がれていきますが、女性側を追っていくと先祖が武士だったっていう人も沢山居ると思います。
江戸時代の寺受け制度があるから。お寺か神社で解ることが多いです。人別帳などが残っていると。
我が家は、先祖の家業は農家だけど、社領を管理し、同じ場所に平清盛の時代から住んでいます。江戸時代後半に、宇多天皇の男系の大名の子を婿養子して、領地内分家も兼ねました。苗字は紀氏の一族の苗字で大阪にある地名由来で家紋も家紋帳に出てきます。、男系は宇多源氏です。同じ苗字の親戚には、親戚衆として藩に仕えた子孫や、皇族に身の回りのお世話する仕事者などがいます。
私の家系は武士で、珍しい苗字でもあり、日本史に残る事件に登場します。夫の方は確実に農民です。身分制度が現代に残っていなくて良かったです😀
農民がいないと飯食えないと思うけど、悲観ってw
大友宗麟の家臣で、丸に違い鷹の家紋ですが、明治維新で豆腐屋始めたみたいです。
うちのご先祖様は、福岡県黒田家です。何代前かのヒイオジイサマガ合戦に、かったご褒美です。
藤が付くから藤原と名のれるのはほんの一握りだけですよ
殆どがあやかって付けてます
藤原本家の近衛、九条、一条、二条、鷹司は数十人から百人程度です
それなのに佐藤は何百万人ですよ
ご自身や親戚の方が霞会に加入しているなら本物です
とある説に寄ると明治になって名字が義務化された時に書面に例として「佐藤」や「鈴木」が記載されていて、それで全国に佐藤さんや鈴木さんが多くなったとか笑
家系調査が本来の専門ではないでしょうに、特段誤った情報はありませんでした。
何の書籍やどの専門家へのヒアリングを行ったか見えませんが素晴らしい動画だと思います。
まぁ言うは易し、行うが難しというわけで簡単ではないんですけどねw
M19式戸籍まで辿り着いて、読解するだけでもそれなりに大変ですw
ワシの家は分家で、三代前までは何とか分かるんですけどねぇ😁
まぁどこでどんな血が混じっているかなんて、よほどの名家じゃないと分からないんじゃないかな? なのであまり気にしないようにしていますね。
いろいろと詳しく説明されててとてもわかりやすかったです。
父方の祖父が貴重な家系図の手書きをカレンダーの裏に書いていました
残っていればいいのに
広島の吉田郡山城です。
千葉県は下総、上総、安房で、名字の偏りがあると思う。大野なんて多分下総に多い名字だろう。わしが住んでた地域には一人いたかどうかの記憶しかないな。
初めて拝見しました!!
女性のナレーションの方、、
もしかしていつも遊女のお話ししてらっしゃるかた…!?
農業いいと思うけど、農学部大好き
すごく面白かったです
これ苗字は途絶えても血の繋がりはあり有名な人物の家系もある。
また有名な人物の苗字になる場合もある。苗字が変わるんだよな結婚すると女性は。情報がないと苗字からは繋がりはわからない。
農民で
「悲観しないでください」
は、差別なのでは…?
知り合いに遊ぶに喜ぶで「遊喜さん」居てますが何何でしょうか?
ウチは鎌倉時代から書かれた家系図がある武家
貴族や武士であったら良し、農民なら悲観という前提で語られているのが、どうも引っかかる。
なんかうち武士が御先祖だったらしいんだが
歴史の授業にすら出てこない、ググってようやく出てくるレベルで
父親から聞いた時はふーん、で?って感じだったんだけど
家宝とされてるものの中にくっっっっっっっっそ古い謎の巻物みたいなのあって
おおー、すげえ…んで?ってなったわ
うちは家系図があるので御先祖様に感謝です
うちの母方は豪商の三浦家です。
伊達家の家臣になります。
200年間、花山御番所で関所管理をしていました。
何故商人が関所の管理をしていたのか
調べてみたいです。
父方は九曜紋です。やっぱり伊達家です。
宮城県なので伊達家絡みが多いです。
そういうのって今もお金持ちなんですか?
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私の苗字は「舘内」です。分かっている事は、伊達政宗公が岩出山城に居城していた時に政宗公から苗字を頂いたこと。軍馬の育成と荷役をしていたこと。奥州藤原氏の元でも軍馬育成に携わっていたこと。明治時代に伊達氏と共に北海道へ移り住み厚岸に住んでいたこと。位です。その後は調べることが出来ませんでした。ちなみに母方の高橋家の家紋は伊達家と同じ物です。舘内家は「丸に橘」です。
神って苗字はやっぱり神官系なのかなぁ
服部だけど旗本だったって聞いた
嘘というか誇張というか…
例えば岩手県盛岡市なら藤原、佐藤、加藤、斎藤さんが非常に多い
藤原を名乗っている人たちが滅ぼされた奥州藤原氏の子孫のはずがないよね
その支配地の出だからその苗字になってるだけ
佐藤、加藤、斎藤さんも同じでそれなりに高位にあった佐藤、加藤、斎藤さんが支配する地の百姓たちも同じ苗字を名乗る
日本でベスト5に入るよくある苗字です。先祖はわからないですけど、現在農民ですw
うちは越前藩(福井藩)の石高を支えてた村のお百姓さんです。苗字に村の名前を貰いました。村は今でも福井県の地区名として残っています😁、意外と珍名さんです!😄
苗字の多くは明治になって多くの日本人が付けた物で江戸後期でも少しずつ平民も付けるようになっていた。
とても分かり易い、いい解説が聞けました!!
すごい詳しいですね👍
苗字が西南戦争のあの人と同じなので、うちの一族はそれに引きずられて地道な努力を軽んじる傾向がある。
宮がつくし、おばあちゃんの実家が博物館なので自分の身元は知ってるけど別にお金持ちじゃない
本家はお金あるみたいだけどね
でも人とは考え方が違うことが多く経営者目線のことが多い
うちの家族全員
まあ身内に経営者が多いのもあるかもだけど
家系図はともかく、家紋は結構あったりするから、先祖をたどれる人それなりにいるんじゃないかな?僕は両親ともに家紋で先祖をたどれたよ
そんなに大したご先祖様でもなかったけど、でも結構面白かった
金澤でも黒田でも斎藤でも有馬でも名乗れるけど業凄え
まじで武家の凄いのは業がやばいぞ
毎日がお化け屋敷じゃ
返答は無し
家系の先祖がわかったからと言って、現代の自分になんの得もない😱
声が
フォクシー海賊団
銀狐のフォクシーに似てるなw
うちは父の家の家系図があるのですが
ご先祖様は天満宮に祀られた
学問の神様でした
父方のご先祖のお墓の家紋が
丸に梅鉢で
あ~神社と同じ家紋だわ~
くらいにしか考えてなかったのですが
ネットで名字と家紋で
検索してみたところ
学問の神様の子孫であることが分かり
父方の祖母に聞いたところ
家系図があるとのことで
見せてもらいました
学問の神様には15人の子供がおり
波乱万丈紆余曲折あって
今に至る
多分ですが、同姓同名の方も
親族だと思われます
『菅』の字があるので ^^;
旦那の方は、家紋はあるのですが見つからないのです。苗字自体が、珍しくないと思っていたのですが全国でも1000人はいないらしく、判子をわざわざ作らないといけなくて面倒です。愛媛県に集中しているらしいと聞いてます。私は、違う県ですが。今は、親戚関係で数件。後は、全然繋がりはありません。旧姓は、全国に何件もあります。
うち全然加藤じゃないんだけど、家紋はどう見ても加藤(下り藤に加)なんだよな…
農民が先祖だったら悲観せなあかんの?笑
荘園で遠方に移り、そこの土地の名を苗字に変えたとウィキペディアが教えてくれました😂
建てたお城は攻められ取られた
○早川は裏切り者で、危うく家が滅びるところだった
は語り継がれてます
どこにそんなでたらめな説があるというのでしょうね。荘園それも寄進地系荘園での現地管理人は現地の土豪層から派生したものであり、本所-領家の関係で説明されます。
その現地の土豪層(在地領主)がやがて戦国大名へと成長していくのです。
@@逸見敏成
ごめんなさいね〜
城主してましたから
ドンマイ
それがどうした。城主だったからと云って血筋が確かなものであるなどとは限らない。
あっそ
ご苦労さん
親父が8代前まで戸籍を辿ったら藤原家の末裔だったらしい
家紋は登り藤らしい
逆に先祖代々今の時代まで農民家系だけど先祖の肖り感じてそれはそれで良き😂
仏門の浄土宗や浄土真宗などの宗派でも武家か庶民かなども分かると聞きました。
儂の名前は日本に七軒しか無い珍しい名字。過去帳を調べると北条家に使えて居たFと言う忍者らしい。調べるのにかなりのお金と労力がかかった。
😮
先祖が大名でも今が最悪なら嬉しくない。
14:45 みたらい、、一歩間違えると、、、おてあらい
先祖マウント笑笑
藤原家です
昔聞いた時は父方は瀬戸内海で海賊やってたって聞いたな
母方は祖父の代まで大きめの商人の家だったって言ってた
自分の苗字が十王館(じゅうおうだて)だから検索してみたらすげーレアなのね
娘と嫁ふくめても10人もいない
穢多非人とかも有り得るのか
うちの先祖は仙台の方の武士らしくてその後熊本あたりに移動して熊本あたりで繁栄したらしい。
苗字は某関西系ジャニーズの珍しい苗字と同じ。そこまでメジャーな苗字じゃないから調べても出てこない
身分制度のあった時代と今を比べてみたら一目瞭然。身分制度があったから国の発展を様告げてた。要するに上の奴らには能力が無かったのよ。だから、うちは武士の家系だとか言われても自慢にもなりゃしない。
能力で勝ち取った地位ではないからな
明治以降に自らつけた名字の方が多いと思いますが。
ウチの御先祖様は川越藩の武士やった。
因みに家紋は井桁に抱き茗荷。
自分の名字も国内に千人程しか居ないので、書いたら身バレするレベル😅
名前は面白い。こんな名字が在るのかと思う面白名字、実に面白い
士族で著名大名ですよ😃
私の苗字、全国に60人前後ぐらいしか居ないレベルで珍しいんだけど、1回ルーツとか調べたくて検索かけたがさっぱり分からんかった......一応澤って字を使うから...農民系...なのかなぁ??誰か調べて欲しいわ
母親の実家は大庄屋だったらしいく当主の遺体は鳥居が四方に有る蓮台に乗せられ先祖代々の墓地に運ばれ土葬されて居たと聞いた父親の実家も庄屋で大きなお屋敷で祖父は分家になると聞いた元々は紀州から流れて来たそうです
知らないことばかりだったので、すごくく興味ったたです! ありがとうございました!
自分は桓武平氏千葉氏の末裔らしいです
うちは上がり藤紋に大、だから大久保藤だな
当家は、藤原家の系統である。
親の先祖は親父が平家方母方は源氏方で壇之浦で戦ってたんだわ、まぁいつも喧嘩ばかりだったのは血のせいか?
自分の先祖は家系図見れば分かるけど、僕の先祖はたまに大河とか時代劇関係のドラマにも出てくる。
先祖は某場所の藩士。
渡邊家は、・・・・・・・・いったいどんな、御先祖だったのかっ!?、・・・・・🤔😓
渡邉はどうでしょう
田所……芸人やな
明治になって、全ての人が苗字を名乗れるようになったから、○藤に代表される佐藤、伊藤、加藤は藤原氏とは縁もゆかりもないのが殆どで、藤原ですら藤原氏とは関係無いものが大半。
なぜ農民だと悲観しなくてはならないのだ?
ほんとだね
身分差別か?
当時の身分とかどうでもいいやろw
今の身分の方が100倍大事だ。
@@純ちゃん-w9y
どうでも良いが
本当にどうでも良けりゃ
このコンテンツ見ないと思うんだわ
多少興味はあるから見たんじゃね?
@@和奏正昭 さん
ごめんよ、
サムネでなんとなく開いたけど
20分も見る時間がもったいないので
自分は本編見てないどす!