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ギャン!猪木信者です。猪木vsテーズはビデオで観てます。テーズのバックドロップ...早かったですね..........................................今のプロレスは変わってしまいました。改めて、猪木ロス、テーズの偉大さを感じ涙が出ました...
何とも今ふりかえるとたまらない華も実力もある、そして年齢に驚かされる鉄人ルー・テーズ。😳👏感動してしまいました。
猪木VSテーズ、VSロビンソンは、当時高校生で柔道をしていた私が、衝撃を受けた試合でした。特にテーズが、猪木のパンチをことごとくブロックして、何もさせなかったのは素人目から見ても、テーズの格闘家としての実力がひしひしと伝わってきました。このテーズ戦、ロビンソン戦のDVDは、私が疲れたり落ち込んだりしたときに何度も見て、人生のパワーにしていたものでした。今は、とっくに還暦を過ぎましたが、テーズを見習って、今もテーズが愛好していたトレーニングチューブで鍛えています。素晴らしい投稿ありがとうございました。
打撃の見切りは素質らしいですね。咎めるわけではなく藤原さんがボクシングやキックの練習しててもディフェンスが今一だったので。猪木のセンスが異常なだけ?サークリング普通にこなすレスラーとかほぼほぼいない。目がいいのか感なのか素人には理解不能です。
@@fukapyon4408 野球を知らない者にとって守備で一番難儀なのは、まっすぐに向かってくる球に対しての距離感だと言われます。特に外野とかね。パンチでも一義的にディフェンスが難しいのはストレートであってまっすぐに向かってくるパンチへの距離感。打撃素人は絶対に打撃を食らってしまうものです。猪木も例外ではないけど、決して相手の間合いに入らなかったように思います。動物的勘のように。アリ戦以降の極真や寛水流との付き合いではなく、果たして猪木がどこまで実兄から空手を習っていたのかですね。古い空手であるほど、ボクシングのサークリングのように運足や円の動き、さばきってもんがあると思うんで。それがあってこその左右の延髄斬りと考えれば納得をできる部分があると思います。
@@t2y45 様黒崎健時が後年に「猪木が兄に空手を習ったと言っているが空手はやってないな。でも猪木のパンチは肩が抜けた良い動きだ」と言ってました。同時にウィリーのパンチは氏が猪木戦への仕上げの指導をする前は肩が抜けてない力任せのものだったとも言ってましたね。移住前の小学生時代に習ったとしても道場に通って基礎から習ったとかの話は自分は聞いたことないです。移住後の初期の奴隷のような生活では空手をする余裕もないし、生活が安定して余裕がでてきた頃には陸上をやって大活躍してますから2足のワラジは無理でしょう。空手履歴は異種格闘技戦を本格的にやるようになってから兄が空手家だったのに乗じた色付けではないでしょうか。それまではプロレス入り前のスポーツ歴は馬場はプロ野球で猪木は陸上(やり投げ、砲丸投げ)と多くの媒体に残っていると思います。しかし、天性の勘と恵まれた身体(サイズ、柔軟性)と陸上でははなく空手を習っていても頭角を表したに違いないでしょう。
@@cubbi106 大変ご丁寧な返信ありがとうございます。私が思うに、猪木が渡伯してから帰国するまでの4年程度の短い期間ってのに、まだまだ知られざる何かが隠されていると思ってるんですね(笑)奇跡と言えばそれまでかもしれないですが、あまりにもシンデレラボーイ過ぎると思っているんで。猪木家自体も家系が複雑で、私らが知るご兄弟と、よく存じ上げない側のご兄弟で分かれているような気もします。その存じ上げない側のご兄弟談ってのを知りたいものです。猪木没時にはまだご存命だったような記事の記憶がありましたもんで。ハイセルだブラジル大統領との付き合いだって時に、相良寿一のルートってのは利用しなかったんでしょうかね。その縁で寿一ー町田ーリョートのつながりもできたわけで。
すばらしい物語をありがとうございました。
素晴らし過ぎる内容になにも言えない。アートとは魂の放射なのだろうけど、この二人の格闘芸術家の強さと奥深さが20分に凝縮。この番組自体がアート。揺らされました。
猪木といえば、カールゴッチが最初に浮かびますが、この2人の歴史も面白いですね。 私は、ルーテーズといえば、グレート草津の試合をテレビで見ていてその強さに驚いたことを今でも鮮明に覚えています。
テーズは別格ですね!練習によって鍛えられた実戦向きの柔らかい筋肉、70過ぎまで現役を貫いた鉄人でした
67,8歳までバーベルカール60キロやってたみたいですよ。腰とヒザが悪くなければ80歳でも現役やれたかも。テーズは別格ですよね。
@@daisukicomojodan 特にバックドロップは実戦向きですからね!喧嘩で4の字固め、コブラツイストで勝った何て聞いた事がありません😀
蔵前での猪木対テーズ❗懐かしく感じますねぇ。レフリーは、あのアントニオ・ロッカーでした。テーズは既に選手として峠を越えたものの、開始早々のバックドロップ❕正にヘソで投げ付ける電光石火に、当時の中学3年の私は衝撃を受けましたね~っ。もう、あの日から半世紀を迎え、今も色鮮やかに鮮明に蘇りますね~っ🤗
テーズの乱れ打ちのようなドロップキックが凄まじい感じでした。
非常に感動しました。TERUさんありがとうございます。
猪木、テーズの共通点は卓越したテクニックと無尽蔵のスタミナ、そして他のレスラーには真似の出来ないインサイドワークの上手さだと思います。プロレスはアート!これにつきますね。
とても趣深い内容で、至極納得でした。腰を落とさず、ノーモーションで投げるのは、ロビンソンでもボックでも出来ないし。ルー・テーズのプロの流儀だと思います🤔
テーズさんも、猪木さんも、黒いタイツとリングューズだけ、サポーターなんか付けない!これぞプロレスラーです!。
素晴らしい回でした❗💪
すげぇ、すげぇ。ゴッチとテーズの強さよ。これが本物だな。
素晴らしい動画ありがとうございます✨
最高でした。
テルさん、趣深い動画、感謝です。猪木が、力道山、ゴッチ、テーズのそれぞれを受け継いだ希代のレスラー!全く同感します。14:30 ヘソで投げる。ご存じと思いますが、テーズはこれを聞いて「面白いな(笑)」。たしか、ヘソを上に向ける!的な伝え方をしていたとか。鶴田よりも、蝶野の方が、スピードがあるだけ、テーズに近かったかも…。
猪木の説明が凄いしっくり来ました。ブロックバスターホールドは、プロレス見始めた時にジュニア時代の大仁田がよく使ってたので、後に猪木がテーズ戦で使ってるのを知って驚いた記憶があります。
1975年10月。対決は猪木がかなりセェルした感がありますね。引き出し明けすぎ、そこにルーがかなり入り込み!?過ぎた感😮あります。しかし名勝負名試合には変わりなしかと。🎉
確か1972年のことと記憶していますが、来日中のテーズが若手レスラーを驚かせたエピソードがプロレス専門誌「ゴング」に載っていました。それは、ビルの屋上に設置されていた旗の掲揚ポールに、テーズが飛びかっかて両手でがっちり掴み、そのまま、ポールの周りをグルグル回転したというのです。若手レスラーたちは「これは、57才の人間のすることではない!」と驚き呆れたと記事に載っていました。
猪木さんは、(力道山+テーズ+ゴッチ)÷3+高専柔術、といった感じでしょうか。最後の高専柔術はTERUさんの受け売りです(笑)世界最強タッグは、新日本ワールドで観ましたが、全盛期の若い日本人レスラーに、テーズ、ゴッチは一歩も引けを取らず、脅威としか思えません。あの試合の結末は、クィックにせざるを得ない、納得でした🎉
アンドレも『プロレスラーは超人で無ければ成らない』と言って居たけど、やはり”見せなくても良い所”と言うのはこう言うモノには存在するんだな~と思う。その見えない所をいかに魅力的に感じさせるって所が、プロレスの見せ方なんだろうね。
ルー・テーズと言えば「レスリングにはノックアウトはない。スタミナが切れたレッスルアウトだ」と言ったのが記憶に残っています。
天才、鉄人の言葉には感銘を受けるけど実際今やってるレスラーが駄目な訳じゃ無いと思う。どうせヤラせだろって自分の周りからは言われるけど、小学生の時にライガー佐野戦、その後サムライ、猪木、藤原戦を見て同じ位にUインターでプロレスって好き!!って思いました。何の感想か解らないけどリアルタイムで見て感動したのが始まりです。専門家では無いけど、より昔からも今もプロレス大好きです!!
猪木さんのストロングstyleは、テェズ、ゴッチ、ロビンソンなどのタタカイ通じて、完成!昇華されたかと思います。ロビンソンセン、翌年から、いよいよ異種格闘技戦とつ入していきましたね🎉
猪木は若いときのテーズに似ていると言われていたそうですが、確かに見た目でも猪木とテーズは背格好や肉付きなどがよく似ています。猪木は技術をゴッチから学び、プロレスラーとしてのあり方、戦い方をテーズから学んだのでしょうか。テーズの技だったバックドロップ、パワーボム、STFが現在のプロレス界でも必殺技として君臨しており、その影響力も大きいです。そんなテーズも、師匠のエド・ルイスこそ私よりも強い20世紀最大のレスラーと言っており、テーズ自身も若き日に当時の強豪らからすさまじい薫陶を受けたことが伺われます。
色々なタイプの体型がありますが、自分は断トツにテーズ、そしてそれに1番近い猪木の身体を推します。おっしゃる通り、テーズ写真集の若い時のテーズは猪木そっくりです。ファイトスタイルの影響はもちろん、体型でも猪木はテーズ2世といえますね。ただ1つ、テーズの亀の甲羅のように分厚く大きかった背中には猪木は大きく及びませんでしたね。ブリッジを重要視するゴッチはブリッジで1番重要な要素の背筋の強さをテーズの背中の分厚さを例に出して高く評価していました。
ゴッチ「テーズが私より強いのは当たり前だよ。若い頃にルイスをはじめ、色んな名レスラーに教わってきたんだから」負けず嫌いのゴッチらしい話。
@@daisukicomojodan 様トラゴスに教わったことも羨ましがってましたね。幼少から父親にレスリングを教わり、若くして働くようになってからは毎晩YMCA(でしたか?)に通って学生達と練習の毎日。ルイスに目を止められ、トラゴスと出会って徹底的に鍛えられてサブミッションマスターに成長、サンテルのもとでは相手を下す技術と共にプロレスとして「魅せる」技術も磨き上げたのでしょう。
すぐに舞台裏を見せてしまうは深い言葉ですね。テーズさんの行いで否の部分もありますがUインター時代にロビンソンと共に指導してスタンドの技術が稚拙なのに驚いてゴッチは何を教えてたんだの話が好きです。桜庭や金原は総合でも通用しましたし。
この世界最強タッグの対戦が決まったことを猪木が坂口に告げると、坂口が驚きのあまり手に持っていたダンベルを床に落としてしまったのは有名なエピソードですね
お二人の言葉はその通りです。まさしく今のプロレスはほとんどがただのパフォーマンスショーになってしまっていて、格闘という部分が全くなくなり私が愛したものではなくなってしまいました。テーズさんもゴッチさんも猪木さんも、本来のプロレスはそうではないことを伝えたかったのでしょうね。
ジャイアント馬場さんとルーデーズのインターナショナル戦の映像は残されていないのでしょうか? あのデーズに全盛期の馬場がどんな試合をしたのか非常に興味あります。3ラウンドで2つもピンフォール勝ちなんて偉業ですし、あまり語られていない様に感じます。この試合の映像があれば、後年の馬場さんの評価はもっと変わっていたのではないでしょうか?
私も映像を見たことないです。馬場さんが敢えて、ヘッドロックをかけ、「バックドロップの餌食になる」と、思った観客から悲鳴が上がったと聞きます。後年のプロレスからすると、地味な展開だったような気はしますが、馬場さんが飛躍する試合だったのは間違いないところですね。
情報ありがとうございます。私も調べてみると、馬場は敢えてヘッドロック攻撃に慣れていないルーデーズにヘッドロックを多用して勝負を挑んだ様ですね。そこでバックドロップを巡る攻防が大きな見所だったのでしょうね。ブルーザーやリソワルスキー、ブラジルやキニスキー、エリック、ブッチャーなどラフファイターとの名勝負が多い印象の馬場さん、またこの試合もこちらの番組で特集して頂きたいです。
@@テツ-h2z様テキサスブルドーザーで執拗に引きずり回し、グロッキーになったところをグランドに移しヘッドロックのままフォールしたようですね。映像が残ってないのでヘッドロックから首投げをしたのか、ブルドッギングのように崩したのかがわかりませんが、力強い攻撃だったのは間違いないでしょう。後にも’75、’79、’80年の対レイス戦でもテキサスブルドーザーとまではいきませんが執拗なヘッドロックからの首投げ→グランドヘッドロックでタフなレイスをじっくりと弱らせていました。ガンガン攻めてくる往年のラフ&パワーの名レスラーには合わせてバチバチにやってましたが、生ゴムのような鉄人(⁉︎)、青竹で作った人形のような頑丈なレイスといったオールマイティな「強い」相手との対戦では、慎重にじっくりとスタミナを奪ってから勝負に出るのが馬場の戦法だったのかもしれませんね。
テーズは、モハメド・アリとスパーできるほど、ボクシングもできた。たぶん、現代の総合格闘技でも、通用したと思われるレスラーのひとり。
鉄人ルー・テーズと燃える闘魂アントニオ猪木‼「強さ」「華」「成功」「富」「伝説」を作った、正しく20世紀プロレス界の後にも先にも出現していない米・日の超二大レジェンドレスラーです。文句なしにカッコいいし、両人共に知りうる(猪木氏はリアルタイムで)時代に生まれ育ったことに対し神様に感謝致します。
@@ari_1041 猪木さんは素晴らしくともテーズはベルト乱発で株下げたけどな。
ミスタープロレス、そんな佇まい❣️
猪木と言えば、ゴッチとテーズが師匠格ですが、私的には、バディ ロジャースが一番似たタイプに思います。そう、馬場サンが、史上最高のレスラーと呼ぶ、ロジャースです。どうですかね?
そうですね。観客をエキサイトさせて惹きつける技量とかロジャースですね。加えてテーズの「強さ」も求めて精進してプロレスラーアントニオ猪木が完成したと思います。
テーズから遺伝子を引き継いだ猪木が逝去したことで芸術性に富んだプロレスは死んだね。
プロレスとはあやふやな世界。MMAがショー化して更に区別化された。テーズもゴッチもあやふやな世界の住民。猪木はプロレスを追い求めて結果的に、今の住み分けた世界を作り上げてしまった張本人。
国際プロレスのルーテーズ杯争奪戦のとき、立会人として呼ばれたテーズが「レスラーとして呼ばれたんじゃないのか」とガッカリしたらしい。当時テーズは65歳。すごいエピソードだと思ったな。
でもパンツはちゃんと持ってきていて、毎日セミファイナル前に若手らとエキシビションマッチを組ませてましたね。毎日新聞で対戦結果を見るたびにものすごく見たかったですが国際のスケジュールと合わず泣く泣く諦めたものです。やっと念願が叶ったのは83年全日でのエキシビションでした。菅原越中三沢らとの対戦は非常に興味深く、坂口猪木をぶん投げた頃と変わらない吸い込むようなバックドロップの入り方とスピードにはただただ驚くばかりでした。
テーズの言うタンバリングマンとは、アントニオロッカだと思いますけど。テーズがバックドロップで故意に骨折させた2人の内の一人です。テーズの最も嫌いなロッカがレフリーをつとめるなんて😸。ロッカはNYで人気もギャラも最高、レスリングよりキックが得意のようです。猪木さんは異種格闘技戦なんかもそうですけど、何でも取り入れるハイブリッドな貪欲さと柔軟さがテーズ、ゴッチ、力道山等の既存のレスラーを超越していて、且つスポーツ系として国会議員になった最初の人物でしょうね😸。
多分、テーズさんから見るとUWFはアマチュアに見えたのではないですかね?どこの誰ともわからない対戦相手から感じるムーブの本質を瞬時に見抜き、花を持たせてそれでも勝っていく。チャンピオンとは触媒で、観客の心に花を咲かせて行く。まさしくテーズさんの後継者の位置に最も近付いたのが猪木さんだったのだと感じます。ですが届かなった。そこが2人の関係を良いものにしたのだと愚考します。良い考察をありがとうございました。
猪木vsテーズ戦、フィニッシュがショぼすぎたのが残念
力道山存命の頃、来日したテーズは夫人同伴でテレビ番組に出てインタビューを受けたりなどしてたのだが、テーズ夫人は気品があり女優のような美貌で、小学生だった小生は目が点
テーズも風格、威厳、気品とあらゆる面で超一流のスターのようでした。
ものすごい美人なんだよね。でもテーズが破産したらあっさりランナウェイw
その時代をリアルタイムで見てたて凄い。まだ家庭にテレビが普及してなかった時代でしょ?
@@くろすサザン テレビはまあまあ普及してましたけど、白黒ですw
テーズ曰くのタンブリングを煽り、一人の漢の魂を間接的に奪った、当時の箱舟狂達は今、何をしてるのだろう。その罪を自覚し、背負っているのだろうか。ふと、思った。
故ブルーザー・ブロディが70歳代のテーズとスパーリングした際、手首を押さえられて返すことが出来なかったと語ってましたね。テーズくらい節制して鍛錬を重ねていると、いつが全盛期なのかちょっと分からないというか…。40歳代くらいなんでしょうかね?
6年以上の世界王座長期政権を築いた30代ではないでしょうか。しかしながら最後の世界王者であった40代後半でさえカールゴッチを下してAWA世界タイトルを封印、吸収して同様に数ある世界タイトルを統一して回っていましたのでやはり規格外の強さだと思います。
検索すれば出てくると思うんですが60代のテーズが道端の道路標識のバーをつかんで鯉のぼりのようにカラダを水平にした写真があるんですよ。腕力だけじゃなくて体幹も凄く強かったんですよね。
あれ、マジ凄すぎますよね!俺もそうだけど1秒だって、あんなポーズ取れません!
@@fr8466 ハワイでの力道山との試合でヘッドロックしている力道山を片手で持ち上げで投げたシーンがありましたけど力道山があ然としてました。細身なんだけどチカラが凄い。テーズというとカールと腕立て伏せくらいしかみたことないんですが他にどんなトレーニングしてたんでしょうね…
確か、「レスラーのトレーニングには水泳とエキスパンダーが一番だろう」と言われていたのを記憶しています。それを聞いたカールゴッチが「イエス、でもエキスパンダーよりゴムの方がベターだろう。ニックボックウィンクルもゴムで調整しているだろう?あれは、親父の教育が良かったから。良い点を見習ってるよ」と。
テーズの古い古いモノクロの試合映像を観たことがある。フィニッシュのバックドロップは衝撃的だった。抱えて持ち上げてヨッコラショ、という奴をバックドロップだと思い込んでいた私は、そのあまりの速度(組んだら即座に投げる。美しいブリッジもなければヘソに抱え上げるタメもない。そして容赦なく首から落とす)にビビった。叩きつけられた相手はマットにグニュと這い、完全KOされた。私はその瞬間、ジャンボ鶴田の「テーズ直伝」とやらが真っ赤な嘘だったことを悟った。MMAに全盛期のテーズが出場していたら、間違いなく王者だったろうとも思った。テーズが世界王者だったからこそ、プロレスは権威を保つことができた。ゴーディエンコもホッジも猪木も、テーズという無影のシャンデリアの下で踊っていたに過ぎない。
そのテーズが一番恐れたのがホッジだったんだよね。何しろボクシングとレスリング両方が一流で、握力が非常に強くて、キレたら何をするか分からなかった。
力道山、ゴッチは師匠としてよく語られるけど、余り語られないのがテーズ。ロマンさんと同世代、リアルタイムで。テーズ。ゴッチ対猪木、坂口観てないけど、後に観た時に、初めて観たプロレスが新日本プロレスの猪木さんの試合でファンになった事に繋がっていたんだと思った。それはロマンさんの言う様に、プロのレスリング。猪木さんとゴッチ、ロビンソン、テーズの試合は教科書ですね。1つ気になるのですが、猪木さんのバックドロップは、テーズから伝授されたのか?盗んだのか?解らないので気になります。
よく言われる「バックドロップはヘソで投げる」というのは若き日の猪木がテーズから直接もらったアドバイスのようです。数多いバックドロップの使い手がいますが、猪木のバックドロップは本当に絵になる逸品だと思います。厳密にはブリッジで投げる純粋なテーズ式ではなく、吊り上げるまではテーズ式ですがその後はヘソで投げる(ヘソを上に向けたままブリッジして投げる)のではなく片足が上がって横に崩れながら落としていますね。自分は片足抱え式でも最後までブリッジが崩れずに真後ろに叩きつけたらテーズ式だと思います。
テーズの最初からバックドロップ攻撃は、考えに考えた作戦だった。グランドではほぼ猪木は歯が立たなかったです。
プロレスの普及や新チャンピオン制定の陰にテーズが暗躍してたように、猪木も欧州ツアーやパキスタン決戦等で70年代のテーズの役割を担ったのだと思います。何を仕掛けられるか分からない状態で、その国のトップに対し勝たず負けられずって状態だったのも似た状況だったでしょう。「世界のジャイアント馬場」という形容をされましたが現実は「世界の猪木」と「国内の馬場」でした。今まで一見程度ですがいろいろな外国と方とお仕事に関わってきましたが、深くは知らなくとも本当に猪木の名前の知名度は高かったですよ。それはアメリカ人だけじゃなくアジア人にも欧州人にも。まず日本の首相を知らないのが当たり前なのに、これは驚異でした。
深い考察で納得です。それに続く人間が現れなかったんですね。
『プロレス世界』のジャイアント馬場=ローカル世界のアリと闘った男=ワールドワイドですかね
@@ねぎやなぎ正直香ばしいコメントだと思いまね。私が書いたのは世界的で普遍的もしくは一般的、または多数派の理屈であって「モハメドアリ」がワールドワイドではなくローカルであって、「ジャイアント馬場」の方がワールドであってローカルじゃなく凄いなんて概念はどこの世界にも存在しない前に、ジャイアント馬場さんを世界は知りません。私は極右的猪木論と極右的馬場論を語ってもいないし語りたくもないし相手にもしたくない気持ちであります。私を気にすることなく、あなたが世界に「ジャイアント馬場」を発信すればいいと思いますよ。幼いころの子供の記憶では「東洋の馬場」と言われていました。あなたの理屈だと「プロレスの東洋のジャイアント馬場」だったんですね。なるほど勉強になりました(笑)アリはジャンルを超えた「グレーテスト」です。20世紀の「世界のスポーツ界」のアイコンです。これは私の個人的感想ではありません。
草津選手もテーズに対して尊敬の念が有れば、あんな無惨な負け方をしなかったでしよう!50過ぎていたから…甘く見ていたんですね!
一騎打ちのテーズのテーマが「先制攻撃」。しょっぱなのバックドロップで猪木が草津のように失神してしまったら、それはそれでしょうがないと思っていたのかも。
間違ってもそれはないな。そもそも受け身の技術と言う点では猪木と草津じゃ雲泥の差があるし。
ソースは失念したけどしょっぱなからバックドロップを出したのは当時、猪木が59歳だったテーズの体調を考えたからだったらしい。高齢で腰、ヒザに不安のあるテーズ。試合中にカラダが動かなくなる可能性あるからね。
@@daisukicomojodan だろうね。
テーズの元祖パワーボムは強烈だった。動画にも残っているが、相手の受け身を考慮せず、そのまま無造作に頭や肩から投げ落とす。日本では公開しなかったようですが。
現在の総合格闘技では禁止ですね。受身や首の鍛錬怠る競技の何が総合なのか。
ハワイで力道山を叩きつけてたよね。あれもう少し角度つけたら力道山の命が危なかったんじゃないかな。それとあの試合、力道山は自分のチカラを試したくてテーズに結構カタめの攻撃をしてる。テーズとしてはこれ以上やってもプロレスが成り立たないと判断したんじゃないかな。
@@daisukicomojodan様後年力道山が、ファンが打倒テーズを期待してくれたが正直言うと全く勝てる気がしなかったと述懐していました。
@@cubbi106 様あのハワイの試合でテーズは、〈力道山に今まで感じたことのない独特な闘志を感じた〉と語ってました。力道山襲名という我欲にかられガチを仕掛けてきた大木をパンチとエルボーで返り討ちにしたけど力道山にはそういうえげつないことはしなかった…テーズが後年、レスリング技術に乏しい力道山を評価し交友関係を築いたことに深い意味を感じます。
ルー・テーズ氏のエピソードは流智美のウソはったりが混じってましたからなあ。
ルー・テーズ自伝の原文にはけっこうプロレスの暗部とか差別にまつわることが書いてあったみたいだから。改ざんも仕方なかったのかな。日本人についてもディスってたらしいからね。
直訳で読みたいね。ルーテーズが何を考えていたのか知りたい。
結局真の強さを持つレスラーが消えて総合格闘技に浸食されたという事ですね。全ては闘いを捨てたレスラーの責任ですね。メインイベンターが相手の土壌に立つとかアホの極み。
高田としてはやりたくなかったんじゃないですか。ただプロレスファンの「本気になったプロレスラーの強さを見せろ!」という声に仕方なくやった感じ。彼の人生の最大の汚点になってしまいましたね😂
昭和37年に猪木がワールドリーグ戦に出てたてとかすごくないですか。昭和35年高卒入門でしょ?未成年で日本代表にエントリー?あのジャンボ鶴田だって米国で半年くらい修行でチャンピオンカーニバルだかなんかもしばらく後ですよね。力道山が生きてるときにテーズとシングルでしょ?ぜんぜん出世頭じゃないですか。ねえ。
猪木は13歳の時に横浜からブラジルに移住してて17歳の時に力道山にスカウトされて日本に戻ってきてテーズ、ハットン、ブラッシーなど豪華メンバーが揃った昭和37年ワールドリーグ戦に出場した時は19歳。
深面白かった。一つだけ、「享年」を使う場合は歳は付けないので「享年86」。
ギャン!
猪木信者です。
猪木vsテーズはビデオで観てます。
テーズのバックドロップ...早かったですね..........................................
今のプロレスは変わってしまいました。
改めて、猪木ロス、テーズの偉大さを感じ涙が出ました...
何とも今ふりかえるとたまらない華も実力もある、そして年齢に驚かされる鉄人ルー・テーズ。😳👏感動してしまいました。
猪木VSテーズ、VSロビンソンは、当時高校生で柔道をしていた私が、衝撃を受けた試合でした。特にテーズが、猪木のパンチをことごとくブロックして、何もさせなかったのは素人目から見ても、テーズの格闘家としての実力がひしひしと伝わってきました。このテーズ戦、ロビンソン戦のDVDは、私が疲れたり落ち込んだりしたときに何度も見て、人生のパワーにしていたものでした。今は、とっくに還暦を過ぎましたが、テーズを見習って、今もテーズが愛好していたトレーニングチューブで鍛えています。素晴らしい投稿ありがとうございました。
打撃の見切りは素質らしいですね。
咎めるわけではなく藤原さんがボクシングやキックの練習しててもディフェンスが今一だったので。
猪木のセンスが異常なだけ?
サークリング普通にこなすレスラーとかほぼほぼいない。
目がいいのか感なのか素人には理解不能です。
@@fukapyon4408 野球を知らない者にとって守備で一番難儀なのは、まっすぐに向かってくる球に対しての距離感だと言われます。特に外野とかね。パンチでも一義的にディフェンスが難しいのはストレートであってまっすぐに向かってくるパンチへの距離感。打撃素人は絶対に打撃を食らってしまうものです。猪木も例外ではないけど、決して相手の間合いに入らなかったように思います。動物的勘のように。アリ戦以降の極真や寛水流との付き合いではなく、果たして猪木がどこまで実兄から空手を習っていたのかですね。古い空手であるほど、ボクシングのサークリングのように運足や円の動き、さばきってもんがあると思うんで。それがあってこその左右の延髄斬りと考えれば納得をできる部分があると思います。
@@t2y45 様
黒崎健時が後年に「猪木が兄に空手を習ったと言っているが空手はやってないな。でも猪木のパンチは肩が抜けた良い動きだ」と言ってました。
同時にウィリーのパンチは氏が猪木戦への仕上げの指導をする前は肩が抜けてない力任せのものだったとも言ってましたね。
移住前の小学生時代に習ったとしても道場に通って基礎から習ったとかの話は自分は聞いたことないです。
移住後の初期の奴隷のような生活では空手をする余裕もないし、生活が安定して余裕がでてきた頃には陸上をやって大活躍してますから2足のワラジは無理でしょう。
空手履歴は異種格闘技戦を本格的にやるようになってから兄が空手家だったのに乗じた色付けではないでしょうか。
それまではプロレス入り前のスポーツ歴は馬場はプロ野球で猪木は陸上(やり投げ、砲丸投げ)と多くの媒体に残っていると思います。
しかし、天性の勘と恵まれた身体(サイズ、柔軟性)と陸上でははなく空手を習っていても頭角を表したに違いないでしょう。
@@cubbi106 大変ご丁寧な返信ありがとうございます。私が思うに、猪木が渡伯してから帰国するまでの4年程度の短い期間ってのに、まだまだ知られざる何かが隠されていると思ってるんですね(笑)奇跡と言えばそれまでかもしれないですが、あまりにもシンデレラボーイ過ぎると思っているんで。猪木家自体も家系が複雑で、私らが知るご兄弟と、よく存じ上げない側のご兄弟で分かれているような気もします。その存じ上げない側のご兄弟談ってのを知りたいものです。猪木没時にはまだご存命だったような記事の記憶がありましたもんで。ハイセルだブラジル大統領との付き合いだって時に、相良寿一のルートってのは利用しなかったんでしょうかね。その縁で寿一ー町田ーリョートのつながりもできたわけで。
すばらしい物語をありがとうございました。
素晴らし過ぎる内容になにも言えない。
アートとは魂の放射なのだろうけど、この二人の格闘芸術家の強さと奥深さが20分に凝縮。この番組自体がアート。揺らされました。
猪木といえば、カールゴッチが最初に浮かびますが、この2人の歴史も
面白いですね。 私は、ルーテーズといえば、グレート草津の試合をテレビで見ていてその強さに驚いたことを今でも鮮明に覚えています。
テーズは別格ですね!練習によって鍛えられた実戦向きの柔らかい筋肉、70過ぎまで現役を貫いた鉄人でした
67,8歳までバーベルカール60キロやってたみたいですよ。腰とヒザが悪くなければ80歳でも現役やれたかも。
テーズは別格ですよね。
@@daisukicomojodan 特にバックドロップは実戦向きですからね!喧嘩で4の字固め、コブラツイストで勝った何て聞いた事がありません😀
蔵前での猪木対テーズ❗懐かしく感じますねぇ。レフリーは、あのアントニオ・ロッカーでした。テーズは既に選手として峠を越えたものの、開始早々のバックドロップ❕正にヘソで投げ付ける電光石火に、当時の中学3年の私は衝撃を受けましたね~っ。もう、あの日から半世紀を迎え、今も色鮮やかに鮮明に蘇りますね~っ🤗
テーズの乱れ打ちのようなドロップキックが凄まじい感じでした。
非常に感動しました。TERUさんありがとうございます。
猪木、テーズの共通点は卓越したテクニックと無尽蔵のスタミナ、そして他のレスラーには真似の出来ないインサイドワークの上手さだと思います。
プロレスはアート!これにつきますね。
とても趣深い内容で、至極納得でした。腰を落とさず、ノーモーションで投げるのは、ロビンソンでもボックでも出来ないし。ルー・テーズのプロの流儀だと思います🤔
テーズさんも、猪木さんも、黒いタイツとリングューズだけ、サポーターなんか付けない!これぞプロレスラーです!。
素晴らしい回でした❗💪
すげぇ、すげぇ。ゴッチとテーズの強さよ。これが本物だな。
素晴らしい動画ありがとうございます✨
最高でした。
テルさん、趣深い動画、感謝です。
猪木が、力道山、ゴッチ、テーズのそれぞれを受け継いだ希代のレスラー!全く同感します。
14:30 ヘソで投げる。ご存じと思いますが、テーズはこれを聞いて「面白いな(笑)」。
たしか、ヘソを上に向ける!的な伝え方をしていたとか。
鶴田よりも、蝶野の方が、スピードがあるだけ、テーズに近かったかも…。
猪木の説明が凄いしっくり来ました。
ブロックバスターホールドは、プロレス見始めた時にジュニア時代の大仁田がよく使ってたので、後に猪木がテーズ戦で使ってるのを知って驚いた記憶があります。
1975年10月。対決は猪木がかなりセェルした感がありますね。引き出し明けすぎ、そこにルーがかなり入り込み!?過ぎた感😮あります。しかし名勝負名試合には変わりなしかと。🎉
確か1972年のことと記憶していますが、来日中のテーズが若手レスラーを驚かせたエピソードがプロレス専門誌「ゴング」に載っていました。それは、ビルの屋上に設置されていた旗の掲揚ポールに、テーズが飛びかっかて両手でがっちり掴み、そのまま、ポールの周りをグルグル回転したというのです。若手レスラーたちは「これは、57才の人間のすることではない!」と驚き呆れたと記事に載っていました。
猪木さんは、(力道山+テーズ+ゴッチ)÷3+高専柔術、といった感じでしょうか。最後の高専柔術はTERUさんの受け売りです(笑)
世界最強タッグは、新日本ワールドで観ましたが、全盛期の若い日本人レスラーに、テーズ、ゴッチは一歩も引けを取らず、脅威としか思えません。
あの試合の結末は、クィックにせざるを得ない、納得でした🎉
アンドレも『プロレスラーは超人で無ければ成らない』と言って居たけど、
やはり”見せなくても良い所”と言うのはこう言うモノには存在するんだな~と思う。
その見えない所をいかに魅力的に感じさせるって所が、プロレスの見せ方なんだろうね。
ルー・テーズと言えば「レスリングにはノックアウトはない。スタミナが切れたレッスルアウトだ」と言ったのが記憶に残っています。
天才、鉄人の言葉には感銘を受けるけど実際今やってるレスラーが駄目な訳じゃ無いと思う。
どうせヤラせだろって自分の周りからは言われるけど、小学生の時にライガー佐野戦、その後サムライ、猪木、藤原戦を見て同じ位にUインターでプロレスって好き!!って思いました。何の感想か解らないけどリアルタイムで見て感動したのが始まりです。
専門家では無いけど、より昔からも今もプロレス大好きです!!
猪木さんのストロングstyleは、テェズ、ゴッチ、ロビンソンなどのタタカイ通じて、完成!昇華されたかと思います。ロビンソンセン、翌年から、いよいよ異種格闘技戦とつ入していきましたね🎉
猪木は若いときのテーズに似ていると言われていたそうですが、確かに見た目でも猪木とテーズは背格好や肉付きなどがよく似ています。猪木は技術をゴッチから学び、プロレスラーとしてのあり方、戦い方をテーズから学んだのでしょうか。テーズの技だったバックドロップ、パワーボム、STFが現在のプロレス界でも必殺技として君臨しており、その影響力も大きいです。そんなテーズも、師匠のエド・ルイスこそ私よりも強い20世紀最大のレスラーと言っており、テーズ自身も若き日に当時の強豪らからすさまじい薫陶を受けたことが伺われます。
色々なタイプの体型がありますが、自分は断トツにテーズ、そしてそれに1番近い猪木の身体を推します。
おっしゃる通り、テーズ写真集の若い時のテーズは猪木そっくりです。
ファイトスタイルの影響はもちろん、体型でも猪木はテーズ2世といえますね。
ただ1つ、テーズの亀の甲羅のように分厚く大きかった背中には猪木は大きく及びませんでしたね。
ブリッジを重要視するゴッチはブリッジで1番重要な要素の背筋の強さをテーズの背中の分厚さを例に出して高く評価していました。
ゴッチ「テーズが私より強いのは当たり前だよ。若い頃にルイスをはじめ、色んな名レスラーに教わってきたんだから」
負けず嫌いのゴッチらしい話。
@@daisukicomojodan 様
トラゴスに教わったことも羨ましがってましたね。
幼少から父親にレスリングを教わり、若くして働くようになってからは毎晩YMCA(でしたか?)に通って学生達と練習の毎日。
ルイスに目を止められ、トラゴスと出会って徹底的に鍛えられてサブミッションマスターに成長、サンテルのもとでは相手を下す技術と共にプロレスとして「魅せる」技術も磨き上げたのでしょう。
すぐに舞台裏を見せてしまうは深い言葉ですね。テーズさんの行いで否の部分もありますがUインター時代にロビンソンと共に指導してスタンドの技術が稚拙なのに驚いてゴッチは何を教えてたんだの話が好きです。桜庭や金原は総合でも通用しましたし。
この世界最強タッグの対戦が決まったことを猪木が坂口に告げると、坂口が驚きのあまり手に持っていたダンベルを床に落としてしまったのは有名なエピソードですね
お二人の言葉はその通りです。まさしく今のプロレスはほとんどがただのパフォーマンスショーになってしまっていて、格闘という部分が全くなくなり私が愛したものではなくなってしまいました。テーズさんもゴッチさんも猪木さんも、本来のプロレスはそうではないことを伝えたかったのでしょうね。
ジャイアント馬場さんとルーデーズのインターナショナル戦の映像は残されていないのでしょうか? あのデーズに全盛期の馬場がどんな試合をしたのか非常に興味あります。3ラウンドで2つもピンフォール勝ちなんて偉業ですし、あまり語られていない様に感じます。この試合の映像があれば、後年の馬場さんの評価はもっと変わっていたのではないでしょうか?
私も映像を見たことないです。
馬場さんが敢えて、ヘッドロックをかけ、「バックドロップの餌食になる」と、思った観客から悲鳴が上がったと聞きます。
後年のプロレスからすると、地味な展開だったような気はしますが、馬場さんが飛躍する試合だったのは間違いないところですね。
情報ありがとうございます。
私も調べてみると、馬場は敢えてヘッドロック攻撃に慣れていないルーデーズにヘッドロックを多用して勝負を挑んだ様ですね。そこでバックドロップを巡る攻防が大きな見所だったのでしょうね。
ブルーザーやリソワルスキー、ブラジルやキニスキー、エリック、ブッチャーなどラフファイターとの名勝負が多い印象の馬場さん、またこの試合もこちらの番組で特集して頂きたいです。
@@テツ-h2z様
テキサスブルドーザーで執拗に引きずり回し、グロッキーになったところをグランドに移しヘッドロックのままフォールしたようですね。
映像が残ってないのでヘッドロックから首投げをしたのか、ブルドッギングのように崩したのかがわかりませんが、力強い攻撃だったのは間違いないでしょう。
後にも’75、’79、’80年の対レイス戦でもテキサスブルドーザーとまではいきませんが執拗なヘッドロックからの首投げ→グランドヘッドロックでタフなレイスをじっくりと弱らせていました。
ガンガン攻めてくる往年のラフ&パワーの名レスラーには合わせてバチバチにやってましたが、
生ゴムのような鉄人(⁉︎)、青竹で作った人形のような頑丈なレイスといったオールマイティな「強い」相手との対戦では、慎重にじっくりとスタミナを奪ってから勝負に出るのが馬場の戦法だったのかもしれませんね。
テーズは、モハメド・アリとスパーできるほど、ボクシングもできた。たぶん、現代の総合格闘技でも、通用したと思われるレスラーのひとり。
鉄人ルー・テーズと燃える闘魂アントニオ猪木‼
「強さ」「華」「成功」「富」「伝説」を作った、正しく20世紀プロレス界の後にも先にも出現していない米・日の超二大レジェンドレスラーです。
文句なしにカッコいいし、両人共に知りうる(猪木氏はリアルタイムで)時代に生まれ育ったことに対し神様に感謝致します。
@@ari_1041
猪木さんは素晴らしくともテーズはベルト乱発で株下げたけどな。
ミスタープロレス、そんな佇まい❣️
猪木と言えば、ゴッチとテーズが師匠格ですが、私的には、バディ ロジャースが一番似たタイプに思います。
そう、馬場サンが、史上最高のレスラーと呼ぶ、ロジャースです。どうですかね?
そうですね。
観客をエキサイトさせて惹きつける技量とかロジャースですね。
加えてテーズの「強さ」も求めて精進してプロレスラーアントニオ猪木が完成したと思います。
テーズから遺伝子を引き継いだ猪木が逝去したことで芸術性に富んだプロレスは死んだね。
プロレスとはあやふやな世界。MMAがショー化して更に区別化された。テーズもゴッチもあやふやな世界の住民。
猪木はプロレスを追い求めて結果的に、今の住み分けた世界を作り上げてしまった張本人。
国際プロレスのルーテーズ杯争奪戦のとき、立会人として呼ばれたテーズが「レスラーとして呼ばれたんじゃないのか」とガッカリしたらしい。当時テーズは65歳。
すごいエピソードだと思ったな。
でもパンツはちゃんと持ってきていて、毎日セミファイナル前に若手らとエキシビションマッチを組ませてましたね。
毎日新聞で対戦結果を見るたびにものすごく見たかったですが国際のスケジュールと合わず泣く泣く諦めたものです。
やっと念願が叶ったのは83年全日でのエキシビションでした。
菅原越中三沢らとの対戦は非常に興味深く、坂口猪木をぶん投げた頃と変わらない吸い込むようなバックドロップの入り方とスピードにはただただ驚くばかりでした。
テーズの言うタンバリングマンとは、アントニオロッカだと思いますけど。テーズがバックドロップで故意に骨折させた2人の内の一人です。テーズの最も嫌いなロッカがレフリーをつとめるなんて😸。ロッカはNYで人気もギャラも最高、レスリングよりキックが得意のようです。
猪木さんは異種格闘技戦なんかもそうですけど、何でも取り入れるハイブリッドな貪欲さと柔軟さがテーズ、ゴッチ、力道山等の既存のレスラーを超越していて、且つスポーツ系として国会議員になった最初の人物でしょうね😸。
多分、テーズさんから見るとUWFはアマチュアに見えたのではないですかね?どこの誰ともわからない対戦相手から感じるムーブの本質を瞬時に見抜き、花を持たせてそれでも勝っていく。チャンピオンとは触媒で、観客の心に花を咲かせて行く。まさしくテーズさんの後継者の位置に最も近付いたのが猪木さんだったのだと感じます。ですが届かなった。そこが2人の関係を良いものにしたのだと愚考します。良い考察をありがとうございました。
猪木vsテーズ戦、フィニッシュがショぼすぎたのが残念
力道山存命の頃、来日したテーズは夫人同伴でテレビ番組に出てインタビューを受けたりなどしてたのだが、
テーズ夫人は気品があり女優のような美貌で、小学生だった小生は目が点
テーズも風格、威厳、気品とあらゆる面で超一流のスターのようでした。
ものすごい美人なんだよね。でもテーズが破産したらあっさりランナウェイw
その時代をリアルタイムで見てたて凄い。
まだ家庭にテレビが普及してなかった時代でしょ?
@@くろすサザン
テレビはまあまあ普及してましたけど、白黒ですw
テーズ曰くのタンブリングを煽り、一人の漢の魂を間接的に奪った、当時の箱舟狂達は今、何をしてるのだろう。その罪を自覚し、背負っているのだろうか。ふと、思った。
故ブルーザー・ブロディが70歳代のテーズとスパーリングした際、手首を押さえられて返すことが出来なかったと語ってましたね。テーズくらい節制して鍛錬を重ねていると、いつが全盛期なのかちょっと分からないというか…。40歳代くらいなんでしょうかね?
6年以上の世界王座長期政権を築いた30代ではないでしょうか。
しかしながら最後の世界王者であった40代後半でさえカールゴッチを下してAWA世界タイトルを封印、吸収して同様に数ある世界タイトルを統一して回っていましたのでやはり規格外の強さだと思います。
検索すれば出てくると思うんですが60代のテーズが道端の道路標識のバーをつかんで鯉のぼりのようにカラダを水平にした写真があるんですよ。腕力だけじゃなくて体幹も凄く強かったんですよね。
あれ、マジ凄すぎますよね!俺もそうだけど1秒だって、あんなポーズ取れません!
@@fr8466
ハワイでの力道山との試合でヘッドロックしている力道山を片手で持ち上げで投げたシーンがありましたけど力道山があ然としてました。細身なんだけどチカラが凄い。テーズというとカールと腕立て伏せくらいしかみたことないんですが他にどんなトレーニングしてたんでしょうね…
確か、「レスラーのトレーニングには水泳とエキスパンダーが一番だろう」と言われていたのを記憶しています。それを聞いたカールゴッチが「イエス、でもエキスパンダーよりゴムの方がベターだろう。ニックボックウィンクルもゴムで調整しているだろう?あれは、親父の教育が良かったから。良い点を見習ってるよ」と。
テーズの古い古いモノクロの試合映像を観たことがある。フィニッシュのバックドロップは衝撃的だった。
抱えて持ち上げてヨッコラショ、という奴をバックドロップだと思い込んでいた私は、そのあまりの速度(組んだら即座に投げる。美しいブリッジもなければヘソに抱え上げるタメもない。そして容赦なく首から落とす)にビビった。叩きつけられた相手はマットにグニュと這い、完全KOされた。
私はその瞬間、ジャンボ鶴田の「テーズ直伝」とやらが真っ赤な嘘だったことを悟った。MMAに全盛期のテーズが出場していたら、間違いなく王者だったろうとも思った。
テーズが世界王者だったからこそ、プロレスは権威を保つことができた。ゴーディエンコもホッジも猪木も、テーズという無影のシャンデリアの下で踊っていたに過ぎない。
そのテーズが一番恐れたのがホッジだったんだよね。
何しろボクシングとレスリング両方が一流で、握力が非常に強くて、
キレたら何をするか分からなかった。
力道山、ゴッチは師匠としてよく語られるけど、余り語られないのがテーズ。ロマンさんと同世代、リアルタイムで。テーズ。ゴッチ対猪木、坂口観てないけど、後に観た時に、初めて観たプロレスが新日本プロレスの猪木さんの試合でファンになった事に繋がっていたんだと思った。それはロマンさんの言う様に、プロのレスリング。猪木さんとゴッチ、ロビンソン、テーズの試合は教科書ですね。1つ気になるのですが、猪木さんのバックドロップは、テーズから伝授されたのか?盗んだのか?解らないので気になります。
よく言われる「バックドロップはヘソで投げる」というのは若き日の猪木がテーズから直接もらったアドバイスのようです。
数多いバックドロップの使い手がいますが、猪木のバックドロップは本当に絵になる逸品だと思います。
厳密にはブリッジで投げる純粋なテーズ式ではなく、吊り上げるまではテーズ式ですがその後はヘソで投げる(ヘソを上に向けたままブリッジして投げる)のではなく片足が上がって横に崩れながら落としていますね。
自分は片足抱え式でも最後までブリッジが崩れずに真後ろに叩きつけたらテーズ式だと思います。
テーズの最初からバックドロップ攻撃は、考えに考えた作戦だった。
グランドではほぼ猪木は歯が立たなかったです。
プロレスの普及や新チャンピオン制定の陰にテーズが暗躍してたように、猪木も欧州ツアーやパキスタン決戦等で70年代のテーズの役割を担ったのだと思います。何を仕掛けられるか分からない状態で、その国のトップに対し勝たず負けられずって状態だったのも似た状況だったでしょう。「世界のジャイアント馬場」という形容をされましたが現実は「世界の猪木」と「国内の馬場」でした。今まで一見程度ですがいろいろな外国と方とお仕事に関わってきましたが、深くは知らなくとも本当に猪木の名前の知名度は高かったですよ。それはアメリカ人だけじゃなくアジア人にも欧州人にも。まず日本の首相を知らないのが当たり前なのに、これは驚異でした。
深い考察で納得です。
それに続く人間が現れなかったんですね。
『プロレス世界』のジャイアント馬場=ローカル
世界のアリと闘った男=ワールドワイドですかね
@@ねぎやなぎ正直香ばしいコメントだと思いまね。私が書いたのは世界的で普遍的もしくは一般的、または多数派の理屈であって「モハメドアリ」がワールドワイドではなくローカルであって、「ジャイアント馬場」の方がワールドであってローカルじゃなく凄いなんて概念はどこの世界にも存在しない前に、ジャイアント馬場さんを世界は知りません。私は極右的猪木論と極右的馬場論を語ってもいないし語りたくもないし相手にもしたくない気持ちであります。私を気にすることなく、あなたが世界に「ジャイアント馬場」を発信すればいいと思いますよ。幼いころの子供の記憶では「東洋の馬場」と言われていました。あなたの理屈だと「プロレスの東洋のジャイアント馬場」だったんですね。なるほど勉強になりました(笑)アリはジャンルを超えた「グレーテスト」です。20世紀の「世界のスポーツ界」のアイコンです。これは私の個人的感想ではありません。
草津選手もテーズに対して尊敬の念が有れば、あんな無惨な負け方をしなかったでしよう!50過ぎていたから…甘く見ていたんですね!
一騎打ちのテーズのテーマが「先制攻撃」。
しょっぱなのバックドロップで猪木が草津のように失神してしまったら、それはそれでしょうがないと思っていたのかも。
間違ってもそれはないな。そもそも受け身の技術と言う点では猪木と草津じゃ雲泥の差があるし。
ソースは失念したけどしょっぱなからバックドロップを出したのは当時、猪木が59歳だったテーズの体調を考えたからだったらしい。高齢で腰、ヒザに不安のあるテーズ。試合中にカラダが動かなくなる可能性あるからね。
@@daisukicomojodan
だろうね。
テーズの元祖パワーボムは強烈だった。動画にも残っているが、相手の受け身を考慮せず、そのまま無造作に頭や肩から投げ落とす。日本では公開しなかったようですが。
現在の総合格闘技では禁止ですね。
受身や首の鍛錬怠る競技の何が総合なのか。
ハワイで力道山を叩きつけてたよね。
あれもう少し角度つけたら力道山の命が危なかったんじゃないかな。
それとあの試合、力道山は自分のチカラを試したくてテーズに結構カタめの攻撃をしてる。テーズとしてはこれ以上やってもプロレスが成り立たないと判断したんじゃないかな。
@@daisukicomojodan様
後年力道山が、ファンが打倒テーズを期待してくれたが正直言うと全く勝てる気がしなかったと述懐していました。
@@cubbi106 様
あのハワイの試合でテーズは、〈力道山に今まで感じたことのない独特な闘志を感じた〉と語ってました。力道山襲名という我欲にかられガチを仕掛けてきた大木をパンチとエルボーで返り討ちにしたけど力道山にはそういうえげつないことはしなかった…テーズが後年、レスリング技術に乏しい力道山を評価し交友関係を築いたことに深い意味を感じます。
ルー・テーズ氏のエピソードは流智美のウソはったりが混じってましたからなあ。
ルー・テーズ自伝の原文にはけっこうプロレスの暗部とか差別にまつわることが書いてあったみたいだから。改ざんも仕方なかったのかな。
日本人についてもディスってたらしいからね。
直訳で読みたいね。ルーテーズが何を考えていたのか知りたい。
結局真の強さを持つレスラーが消えて総合格闘技に浸食されたという事ですね。
全ては闘いを捨てたレスラーの責任ですね。
メインイベンターが相手の土壌に立つとかアホの極み。
高田としてはやりたくなかったんじゃないですか。ただプロレスファンの
「本気になったプロレスラーの強さを見せろ!」という声に仕方なくやった感じ。彼の人生の最大の汚点になってしまいましたね😂
昭和37年に猪木がワールドリーグ戦に出てたてとかすごくないですか。昭和35年高卒入門でしょ?未成年で日本代表にエントリー?あのジャンボ鶴田だって米国で半年くらい修行でチャンピオンカーニバルだかなんかもしばらく後ですよね。力道山が生きてるときにテーズとシングルでしょ?ぜんぜん出世頭じゃないですか。ねえ。
猪木は13歳の時に横浜からブラジルに移住してて17歳の時に力道山にスカウトされて日本に戻ってきて
テーズ、ハットン、ブラッシーなど豪華メンバーが揃った昭和37年ワールドリーグ戦に出場した時は19歳。
深面白かった。一つだけ、「享年」を使う場合は歳は付けないので「享年86」。