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【チャプター】00:00 オープニング01:53 明治時代のJK言葉05:23 てよだわ言葉05:53 明治時代のJK言葉の事例07:42 大正時代の流行り08:49 大正時代のスラングの事例10:25 現代でも使われている!?大正時代のJK言葉11:09 JK言葉の進化17:54 まとめ
台湾人です、日本文化と近代歴史が大好きオタクですこのチャンネルTH-camからおすすめされて本当に泣きたいぐらい嬉しいですチャンネル登録しました新しいコンテンツ楽しみしています!
ありがとうございます!
若者言葉に限ったものでは無いですが、私の祖父母(昭和一桁生まれ)は、西洋かぶれを意味する「バタ臭い」という言葉を今でもよく使ってます。こうした年代の方からは、当時特有の言葉を学べるので非常に興味深いものです。
バタ臭いよく使われてるんですね!バターのにおいがする意味から西洋風である、と今調べると出ました^^面白いですね^^
明治時代の小説に、「ラブる」「ラブ魂」っていう言葉があって、これも若者言葉だったんだなーって思いました!言葉をいじってて面白いです😊
このちゃんねる、もっと伸びたらいいな〜!!知的好奇心をくすぐられます😊
ありがとうございます!これからも皆さんが面白いと思うネタを頑張って見つけたいと思います!
切り口がいいですね👍近代史に注目するとはおもしろいですね。日本人の思考程度が変わらない😂早速、登録しました。
たまに使う......「それって、マ?」は好きw
文章と文章の間に間がないので聞いてて疲れる
行き当たりばったリズムいいなあ口当たりが良き
祖父が私と会話するときに大正時代の言葉などをよく使っていました。しかし、現在は言葉に出ない状態でした。教えてくれてありがとうございます。
ボリュームリッヒ、再流行もありえそう笑!
私もこれは好きですね!でもボリューミーも使いやすい言葉だしなぁ…うーん。
100年以上前の日本でも、こんな風に現代に通ずるんですね。大変興味深く拝見しました。自分でも色々調べたいので、もし良ければこれらの情報はどうやってお調べになったのか教えてもらえないでしょうか?
すこなんてなんJ民だけのものだと思ってました。豚切りも2ch独特の「話の流れを変えてごめんなさい」という意味でしたね。スマソも一緒に使われていましたが(豚切りスマソ、みたいに)スマソの方は一般的にはならなかったんでしょうかw
初見。面白い。登録した
ありがとうございます^^
いつの時代も日本人でなんか安心した。
激怒スティックファイナリアリティぷんぷんドリーム初めて聞いた…
性的見地、性的事柄を「H(えっち、えいち)」と言う広く深く浸透している表現。名詞・形容動詞・感動詞。これは明治中末期、学習院女子部(前身:華族女学校)で学生間で隠語として話され遣われだした典型的「JK言葉」。HENNTAIの頭文字。用法:「きゃぁ、H!!」「Hな目で見ないでよ」「Hはキライじゃないわよ」など多数。
すごく面白いですね!変態だと当時は直接的すぎたのでしょうね^^
今で言う変態とはニュアンスが違いそう
ボリュームリッヒが妙にかわゆい
Hはハズバンドから来てます、当時はまだ15歳で結婚が当たり前でした。結婚を期に女学校退学するのは寿退学と言われてステータスでした。当人は旦那様の事をあけっぴろげに出来ないし周りの人は物凄く気になるからHと言う隠語を使うようにります。当然その中には性的な下世話な話しも含まれます。寿退学がステータスでなくなったのを期にアルファベット1文字は汎用性が高いからHが今の意味になりました。
今使ったら新鮮かも
「あーね」は子供の頃から使ってたけど、上京して使ったら「それ地元の訛り?」って聞かれてショックだった。やっぱみんな使うよね?
その聞いてきた人は年配の人かな?
しらけ鳥
「豚切り」またはそこから変化して「トン切り」は2ch用語ですね。
最近ではネットスラングから派生した若者言葉が多いですよね。トンギリ、と思っていたのですがブタギリとも言うのか。
「それな」「あーね」。随分前に「だよね」って歌が流行ったのを思い出したw
亡くなった親父が歳とって使い物にならなくなった人をロートルって呼んでた
ロートルとは、元々老人という意味の中国語で「老頭児」と書きます。昭和初期から日本は長らく中国で戦争をやっていたので、兵隊仲間で中国語が通用するようになり、それが一般社会に持ち込まれるようになりました。ロートルという言葉もその一つで、年を取った兵隊さんの事をご苦労様という気持ちと、半ば軽蔑の意味を含めてこう呼びました。それが戦後もそのまま残って、年取った人達をそう呼びました。
スコドンwww
江戸時代からあたぼう(当たり前だよべらぼうめ)とか有るよね俺は板前だけど符牒も一般的に使う様に成った物が多く有る
板前さんの世界だけで使う言葉から派生したものもあるのはすごいですね!品切れを意味する山とかですかね?^^
@@retro-history さんお愛想・あがり・むらさき等他にも一杯有るよ(;^_^A
あたぼうよ は、江戸っ子言葉、つまり東京でしか使われない方言じゃないですか?
@@MMKK-gk4if さん明治大正時代は方言が強く殆ど通じなかったと言われています動画でも書生言葉やJk言葉として下町ではと言っているように東京での話をしています 今でも地方のお年寄りが話す言葉は動画にもなって居ますが殆ど地元の人でも解らない物が有ります(;^_^A
てっきり、シブがき隊が流行らせようとしてたのか、と思ってたわ
確かに今のJK言葉は若い、特に女の子限定っぽいですね😲十年一昔というように普通に聞いていたらこいつ何言ってるの⁉️って感じです😥
明治や大正でも「チョベリバ」や「チョベリグ」が流行ったやろ。
9:56 今でいうまーごめ
中の人は、ホントにJKなのかな?それはさておき、良い動画✨位相によって使われる言葉に違いはありますね。
陽ちゃんの声とモーションの演者は高校生ではありません😂キャラクターとしての陽ちゃんはJKという設定でお楽しみいただければと思います^^若者言葉は一見だらしなく聞こえる方もいるかもしれませんが、実はコミュニケーションとしての優しさが含まれることも多く興味深いですよね^^
JKかどうかを詮索するのは野暮ってもんよw
性交渉そのものや性欲過多の男・女を指して「H(えっち・えいち)」と云うのも、明治期の学習院女子部学生たちの隠語から。「変態(へんたい)」の頭文字「H」。
これ全体にJK言葉というより若者言葉だな。今は言葉が乱れているというより、恐ろしいまでの語彙の貧困だな。明治大正から今も続いてる流行り言葉や言い回しがあったとは面白いな。
昔からあったのは面白いですよね^^
低偏差値校でも少年院でも、まず矯正は「立ち方、歩き方」から。背骨をまっすぐに立てない歩けない限り、矯正は不可能。ヒトは骨肉でできていてそれが曲がっておれば心も曲がる。で、心はコトバでできていてそれが乱れていたり「仲間うちだけの語」であればそれに心は従う。ヒトの社会性獲得のための通過地点として有効でもあるが、身体の成長と共に言語野の成長もまた待たれる。
おいおい、ダイ語を英単語の省略というのは無知をさらすことになるので止めてくれ!あれはローマ字の省略形、立派な?日本語の短縮形
前置きが長い!
サボるは労働者言葉では?一般の若者に浸透するまでにはかなりのタイムラグがあったと思われます。そして、最近は似てる人を「ドッペル」って言うんですか?普通に「ドッペルゲンガー」という単語としてしか知りませんでした。また「アブサン」はアブノーマルからではなく「アブサン」というお酒からだと思います。アブサンはアルコールとはちょっと違う成分で、当時は危険な「アブサン中毒」が増えていたため、ここからだと思うのですが…諸説あり!ですかね😁
「明治時代に良妻賢母教育が確立した」というと、それ以前の女性教育はまるでそうでなかったかのような誤解を招くように思います。江戸時代までは、高等教育機関であった藩校は、藩士の男子子弟のみを対象としていましたから、女子高等教育機関はありませんでした。私の母校の中高は、1870年にアメリカ改革派教会宣教師団が、「女子高等教育が遅れた日本に、社会の指導者たりうる女性を育てる」ことを目的として設立した、日本初の女子高等教育機関です。欧米でも、20世紀初めまでは女性が大学に進学することは珍しく、白い目で見られていたという時代。まだ19世紀、そして明治維新から3年しかたっておらず、しかもまだキリスト教禁制の日本に、宣教師団がそうした女子高等教育機関を設立することは、大変危険な冒険でした。私塾でしたから、実際に子弟を通わせていたのは、士族や裕福な商家で、生徒は女学校を卒業するかしないかの年齢で嫁ぐことも多かった。ですから、裁縫などの家庭科や、畳の部屋での礼儀作法の授業もあったようですが、当然ながら宣教師団の教育目的は単なる良妻賢母を育てることではありませんでしたから、英語や音楽教育、ダンスなど、当時の日本としては画期的な教育で、常に時代の先端を走る女性を育ててきました。明治時代の卒業生からも、翻訳家など、当時の女性としては珍しく社会で活躍する人が育っています。-欧米各国の宣教師団によって設立された女子高等教育機関は、我々の母校に続き、全国にいくつも設立されました。朝ドラ「花子とアン」にも登場したカナダ系女学校のモデルは、東洋英和女学院ですよね。米国留学帰りの津田梅子が設立した津田塾も、津田梅子、大山捨松らが目指したのは、米国式の教育で、良妻賢母教育ではありませんでした。現在のお茶の水女子大の前身である女子高等師範も、当時、女性が就ける職業が限られていた仲で、ほとんど例外的に女性に開かれていた教師を育てる目的で設立された画期的なものでした。-もちろん、日本女子大では、「あなた方は、これからの日本を背負って立つ人の妻になる立場の方です」と教えたとのことですから、私の母校の中高のように、生徒である女性自身が社会の指導者的立場になることを目指すというより、社会の指導者となる男性を支える良き妻を育てることを目的とした学校もあったでしょう。でもそれは、欧米の宣教師団や米国帰りの津田梅子らが革新的な教育をしようとしても、社会や政府の反対が強かったからであり、必ずしも明治時代に設立された女学校が、良妻賢母教育を目的としていたということにはなりません。むしろだからこそ、明治自体の女学生たちは、そうした古風な社会的風潮絵に反発するかのような言葉を使ったのではありませんか?夏目漱石の『三四郎』に登場する美禰子のように、英語を会話に混ぜるというのも、その方法の一つだったような気がします。このことからも、英語教育に熱心だったミッションスクールの教育が、当時の日本社会の数段先を行く、革新的な教育をしていたことが窺われるように思います。
江戸時代に詳しい杉浦日向子氏の著書等で、江戸時代やそれ以前の日本社会について、少し調べてみたことがあります。江戸時代には、少なくとも江戸においては、女子は14歳にもなれば、数人の男子と付き合っているのが当たり前だったようですし、有名な三行半は、実質江戸では、男性から女性への結婚時の贈り物(離婚&再婚許可書)だったようですね。江戸の女性の10人に1人は離婚、うち半数は再婚していたというデータもあります。信長の時代に来日したポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは「日本史」の中で「西洋では夫の後ろを妻が歩くが、日本では妻の後ろを夫が歩く」「西洋では夫が妻を離縁するが、日本ではしばしば妻が夫を離縁する」「日本では妻は夫の許可なく外出する」「日本では男が料理をする」「日本の未婚の女は純潔を些かも重んじず、それを失っても名誉を失わず、結婚も出来る」と、カルチャーショックを込めて書いています。開国前の地方の風習なども調べましたが、明治前は地方の士族の一部を除き、武士道は全く重んじられておらず、男女ともにかなり自由で平等だった雰囲気が感じられます。(複数の男女が自由に恋愛を楽しむ「歌垣」等の風習もありました。明治にこれが禁じられて以降も、筑波などでは昭和まで続いていたとの話もあります)ここに明治以降持ち込まれたのが、男尊女卑(「女は男の肋骨であり、原罪の為に男に支配される存在」)のキリスト教思想であり、「日本は思想のない国」と西洋に言われた為、それに匹敵する思想として用いられた(それまでは一部地方士族のものだった)武士道「嫁しては二夫にまみえず」「女大学」「老いては子に従え」等に代表される良妻賢母教育だった、と記憶しています。イギリスでは「高慢と偏見」等の小説を読めば解る通り、妻や娘は、1円も夫や父の財産を継げませんでしたし、そもそも西洋が男女平等で、日本にそれを啓蒙しに来た、西洋の教育こそが最先端である、という前提から、私は疑問です。「恋」という言葉すら、明治になって巷の小唄から消されました。因みに、私の祖母の姉も、津田塾を出た横女の英語教師でした。彼女は多くの英米文学を原文で読みこなし、女生徒たちにも英語を学ぶ楽しさを教えましたが、彼女が最後まで愛したのは、英米文学ではなく、万葉集でした。アイルランドのカトリックの女子収容所「マグダレン洗濯所」が摘発を受け廃止されたのはごく近年の1996年でしたが、未婚の母、強姦された女性、美しい為に男を誘惑するだろうとされた女性を「性的に堕落している」とし奴隷にする為の施設で、ヨーロッパには各地で、日本人が驚くような、こうした女性への人権を無視したキリスト教系の施設が、つい近年まで公的に運営されていました。
【チャプター】
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01:53 明治時代のJK言葉
05:23 てよだわ言葉
05:53 明治時代のJK言葉の事例
07:42 大正時代の流行り
08:49 大正時代のスラングの事例
10:25 現代でも使われている!?大正時代のJK言葉
11:09 JK言葉の進化
17:54 まとめ
台湾人です、
日本文化と近代歴史が大好きオタクです
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ありがとうございます!
若者言葉に限ったものでは無いですが、私の祖父母(昭和一桁生まれ)は、西洋かぶれを意味する「バタ臭い」という言葉を今でもよく使ってます。こうした年代の方からは、当時特有の言葉を学べるので非常に興味深いものです。
バタ臭いよく使われてるんですね!
バターのにおいがする意味から西洋風である、
と今調べると出ました^^
面白いですね^^
明治時代の小説に、
「ラブる」「ラブ魂」っていう言葉があって、これも若者言葉だったんだなーって思いました!言葉をいじってて面白いです😊
このちゃんねる、もっと伸びたらいいな〜!!
知的好奇心をくすぐられます😊
ありがとうございます!
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切り口がいいですね👍
近代史に注目するとはおもしろいですね。日本人の思考程度が変わらない😂
早速、登録しました。
たまに使う......
「それって、マ?」
は好きw
文章と文章の間に間がないので聞いてて疲れる
行き当たりばったリズムいいなあ
口当たりが良き
祖父が私と会話するときに大正時代の言葉などをよく使っていました。
しかし、現在は言葉に出ない状態でした。
教えてくれてありがとうございます。
ボリュームリッヒ、
再流行もありえそう笑!
私もこれは好きですね!でもボリューミーも使いやすい言葉だしなぁ…うーん。
100年以上前の日本でも、こんな風に現代に通ずるんですね。
大変興味深く拝見しました。
自分でも色々調べたいので、もし良ければこれらの情報はどうやってお調べになったのか教えてもらえないでしょうか?
すこなんてなんJ民だけのものだと思ってました。豚切りも2ch独特の「話の流れを変えてごめんなさい」という意味でしたね。スマソも一緒に使われていましたが(豚切りスマソ、みたいに)スマソの方は一般的にはならなかったんでしょうかw
初見。面白い。登録した
ありがとうございます^^
いつの時代も日本人でなんか安心した。
激怒スティックファイナリアリティぷんぷんドリーム
初めて聞いた…
性的見地、性的事柄を「H(えっち、えいち)」と言う広く深く浸透している表現。名詞・形容動詞・感動詞。
これは明治中末期、学習院女子部(前身:華族女学校)で学生間で隠語として話され遣われだした典型的「JK言葉」。HENNTAIの頭文字。用法:「きゃぁ、H!!」「Hな目で見ないでよ」「Hはキライじゃないわよ」など多数。
すごく面白いですね!
変態だと当時は直接的すぎたのでしょうね^^
今で言う変態とはニュアンスが違いそう
ボリュームリッヒが妙にかわゆい
Hはハズバンドから来てます、当時はまだ15歳で結婚が当たり前でした。
結婚を期に女学校退学するのは寿退学と言われてステータスでした。
当人は旦那様の事をあけっぴろげに出来ないし周りの人は物凄く気になるからHと言う隠語を使うようにります。
当然その中には性的な下世話な話しも含まれます。
寿退学がステータスでなくなったのを期にアルファベット1文字は汎用性が高いからHが今の意味になりました。
今使ったら新鮮かも
「あーね」は子供の頃から使ってたけど、上京して使ったら「それ地元の訛り?」って聞かれてショックだった。
やっぱみんな使うよね?
その聞いてきた人は年配の人かな?
しらけ鳥
「豚切り」またはそこから変化して「トン切り」は2ch用語ですね。
最近ではネットスラングから派生した若者言葉が多いですよね。
トンギリ、と思っていたのですがブタギリとも言うのか。
「それな」「あーね」。随分前に「だよね」って歌が流行ったのを思い出したw
亡くなった親父が歳とって使い物にならなくなった人をロートルって呼んでた
ロートルとは、元々老人という意味の中国語で「老頭児」と書きます。昭和初期から日本は長らく中国で戦争をやっていたので、兵隊仲間で中国語が通用するようになり、それが一般社会に持ち込まれるようになりました。
ロートルという言葉もその一つで、年を取った兵隊さんの事をご苦労様という気持ちと、半ば軽蔑の意味を含めてこう呼びました。
それが戦後もそのまま残って、年取った人達をそう呼びました。
スコドンwww
江戸時代からあたぼう(当たり前だよべらぼうめ)とか有るよね
俺は板前だけど符牒も一般的に使う様に成った物が多く有る
板前さんの世界だけで使う言葉から派生したものもあるのはすごいですね!
品切れを意味する山とかですかね?^^
@@retro-history さん
お愛想・あがり・むらさき等他にも一杯有るよ(;^_^A
あたぼうよ は、江戸っ子言葉、つまり東京でしか使われない方言じゃないですか?
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明治大正時代は方言が強く殆ど通じなかったと言われています
動画でも書生言葉やJk言葉として下町ではと言っているように
東京での話をしています 今でも地方のお年寄りが話す言葉は
動画にもなって居ますが殆ど地元の人でも解らない物が有ります(;^_^A
てっきり、シブがき隊が流行らせようとしてたのか、と思ってたわ
確かに今のJK言葉は若い、特に女の子限定っぽいですね😲
十年一昔というように普通に聞いていたらこいつ何言ってるの⁉️って感じです😥
明治や大正でも「チョベリバ」や「チョベリグ」が流行ったやろ。
9:56 今でいうまーごめ
中の人は、ホントにJKなのかな?
それはさておき、良い動画✨
位相によって使われる言葉に違いはありますね。
陽ちゃんの声とモーションの演者は高校生ではありません😂
キャラクターとしての陽ちゃんはJKという設定でお楽しみいただければと思います^^
若者言葉は一見だらしなく聞こえる方もいるかもしれませんが、実はコミュニケーションとしての優しさが含まれることも多く興味深いですよね^^
JKかどうかを詮索するのは野暮ってもんよw
性交渉そのものや性欲過多の男・女を指して「H(えっち・えいち)」と云うのも、
明治期の学習院女子部学生たちの隠語から。「変態(へんたい)」の頭文字「H」。
これ全体にJK言葉というより若者言葉だな。
今は言葉が乱れているというより、恐ろしいまでの語彙の貧困だな。
明治大正から今も続いてる流行り言葉や言い回しがあったとは面白いな。
昔からあったのは面白いですよね^^
低偏差値校でも少年院でも、まず矯正は「立ち方、歩き方」から。背骨をまっすぐに立てない歩けない限り、矯正は不可能。ヒトは骨肉でできていてそれが曲がっておれば心も曲がる。で、心はコトバでできていてそれが乱れていたり「仲間うちだけの語」であればそれに心は従う。ヒトの社会性獲得のための通過地点として有効でもあるが、身体の成長と共に言語野の成長もまた待たれる。
おいおい、ダイ語を英単語の省略というのは無知をさらすことになるので止めてくれ!
あれはローマ字の省略形、立派な?日本語の短縮形
前置きが長い!
サボるは労働者言葉では?一般の若者に浸透するまでにはかなりのタイムラグがあったと思われます。
そして、最近は似てる人を「ドッペル」って言うんですか?普通に「ドッペルゲンガー」という単語としてしか知りませんでした。また「アブサン」はアブノーマルからではなく「アブサン」というお酒からだと思います。アブサンはアルコールとはちょっと違う成分で、当時は危険な「アブサン中毒」が増えていたため、ここからだと思うのですが…諸説あり!ですかね😁
「明治時代に良妻賢母教育が確立した」というと、それ以前の女性教育はまるでそうでなかったかのような誤解を招くように思います。
江戸時代までは、高等教育機関であった藩校は、藩士の男子子弟のみを対象としていましたから、女子高等教育機関はありませんでした。
私の母校の中高は、1870年にアメリカ改革派教会宣教師団が、「女子高等教育が遅れた日本に、社会の指導者たりうる女性を育てる」ことを目的として設立した、日本初の女子高等教育機関です。
欧米でも、20世紀初めまでは女性が大学に進学することは珍しく、白い目で見られていたという時代。
まだ19世紀、そして明治維新から3年しかたっておらず、しかもまだキリスト教禁制の日本に、宣教師団がそうした女子高等教育機関を設立することは、大変危険な冒険でした。
私塾でしたから、実際に子弟を通わせていたのは、士族や裕福な商家で、生徒は女学校を卒業するかしないかの年齢で嫁ぐことも多かった。
ですから、裁縫などの家庭科や、畳の部屋での礼儀作法の授業もあったようですが、当然ながら宣教師団の教育目的は単なる良妻賢母を育てることではありませんでしたから、英語や音楽教育、ダンスなど、当時の日本としては画期的な教育で、常に時代の先端を走る女性を育ててきました。
明治時代の卒業生からも、翻訳家など、当時の女性としては珍しく社会で活躍する人が育っています。
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欧米各国の宣教師団によって設立された女子高等教育機関は、我々の母校に続き、全国にいくつも設立されました。
朝ドラ「花子とアン」にも登場したカナダ系女学校のモデルは、東洋英和女学院ですよね。
米国留学帰りの津田梅子が設立した津田塾も、津田梅子、大山捨松らが目指したのは、米国式の教育で、良妻賢母教育ではありませんでした。
現在のお茶の水女子大の前身である女子高等師範も、当時、女性が就ける職業が限られていた仲で、ほとんど例外的に女性に開かれていた教師を育てる目的で設立された画期的なものでした。
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もちろん、日本女子大では、「あなた方は、これからの日本を背負って立つ人の妻になる立場の方です」と教えたとのことですから、私の母校の中高のように、生徒である女性自身が社会の指導者的立場になることを目指すというより、社会の指導者となる男性を支える良き妻を育てることを目的とした学校もあったでしょう。
でもそれは、欧米の宣教師団や米国帰りの津田梅子らが革新的な教育をしようとしても、社会や政府の反対が強かったからであり、必ずしも明治時代に設立された女学校が、良妻賢母教育を目的としていたということにはなりません。
むしろだからこそ、明治自体の女学生たちは、そうした古風な社会的風潮絵に反発するかのような言葉を使ったのではありませんか?
夏目漱石の『三四郎』に登場する美禰子のように、英語を会話に混ぜるというのも、その方法の一つだったような気がします。
このことからも、英語教育に熱心だったミッションスクールの教育が、当時の日本社会の数段先を行く、革新的な教育をしていたことが窺われるように思います。
江戸時代に詳しい杉浦日向子氏の著書等で、江戸時代やそれ以前の日本社会について、少し調べてみたことがあります。江戸時代には、少なくとも江戸においては、女子は14歳にもなれば、数人の男子と付き合っているのが当たり前だったようですし、有名な三行半は、実質江戸では、男性から女性への結婚時の贈り物(離婚&再婚許可書)だったようですね。
江戸の女性の10人に1人は離婚、うち半数は再婚していたというデータもあります。
信長の時代に来日したポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは「日本史」の中で「西洋では夫の後ろを妻が歩くが、日本では妻の後ろを夫が歩く」「西洋では夫が妻を離縁するが、日本ではしばしば妻が夫を離縁する」「日本では妻は夫の許可なく外出する」「日本では男が料理をする」「日本の未婚の女は純潔を些かも重んじず、それを失っても名誉を失わず、結婚も出来る」と、カルチャーショックを込めて書いています。
開国前の地方の風習なども調べましたが、明治前は地方の士族の一部を除き、武士道は全く重んじられておらず、男女ともにかなり自由で平等だった雰囲気が感じられます。(複数の男女が自由に恋愛を楽しむ「歌垣」等の風習もありました。明治にこれが禁じられて以降も、筑波などでは昭和まで続いていたとの話もあります)
ここに明治以降持ち込まれたのが、男尊女卑(「女は男の肋骨であり、原罪の為に男に支配される存在」)のキリスト教思想であり、「日本は思想のない国」と西洋に言われた為、それに匹敵する思想として用いられた(それまでは一部地方士族のものだった)武士道「嫁しては二夫にまみえず」「女大学」「老いては子に従え」等に代表される良妻賢母教育だった、と記憶しています。
イギリスでは「高慢と偏見」等の小説を読めば解る通り、妻や娘は、1円も夫や父の財産を継げませんでしたし、そもそも西洋が男女平等で、日本にそれを啓蒙しに来た、西洋の教育こそが最先端である、という前提から、私は疑問です。
「恋」という言葉すら、明治になって巷の小唄から消されました。
因みに、私の祖母の姉も、津田塾を出た横女の英語教師でした。
彼女は多くの英米文学を原文で読みこなし、女生徒たちにも英語を学ぶ楽しさを教えましたが、彼女が最後まで愛したのは、英米文学ではなく、万葉集でした。
アイルランドのカトリックの女子収容所「マグダレン洗濯所」が摘発を受け廃止されたのはごく近年の1996年でしたが、未婚の母、強姦された女性、美しい為に男を誘惑するだろうとされた女性を「性的に堕落している」とし奴隷にする為の施設で、ヨーロッパには各地で、日本人が驚くような、こうした女性への人権を無視したキリスト教系の施設が、つい近年まで公的に運営されていました。