「華族」「皇族」の使っていた言葉づかい【明治・大正時代の上流階級】
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- เผยแพร่เมื่อ 20 ต.ค. 2024
- ↓レトロ系のインスト楽曲「レトロ近現代史」ドライブや作業中に聞いてみてね♪
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あなたは、明治時代から大正時代の上流階級がどんな言葉づかいで会話をしていたかご存じですか?
▼概要説明
近代日本で身分が高い人といえば、皇族や華族ですよね。
皇族は日本に代々続く天皇家で、華族は明治時代に新しくできた「華族制度」によって生まれた特権階級です。
今の日本には身分制度が存在していないものの、近代日本には今とは違う社会構造があったのです。
そんな「皇族」や「華族」と聞くと、上品で華やかな世界が思い浮かびますよね。
では、当時の皇族や華族といった人々は、どんな言葉づかいで会話していたのでしょうか?
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効果音:OtoLogic
音声:あみたろ amitaro.net/sy...
私の先輩は学習院時代に“ごっきー”とごきげんようを略していたと言っていました。
今、70代後半だと思います。
「申し訳ございません」は使わないと思います。
「申し訳ない事でございます」「申し訳ないのですが」と使うのが今でも正しいです。
「申し訳ない」と言うのが一つの言葉だからです。
めっそうもないもそうだよね めっそうもございませんは誤り めっそうもないことでございますって言う
『とんでもごさいません』も、正しくないそうですね。言葉は変わるもの故、これもそろそろ良いのでは、とも思うのですが、やはり違和感というか、言葉の乱れを感じると言われてしまえば、致し方ないところです。
他にもあるでしようか?
「申し訳ございません」と聞いて、岩手の方言「おもさげねっす」を思い出しました。
意味は「御申し訳ございません」。
あなたとおまえ、ドラマや本の中とかで昔から男女間でつかわれるけど、実践でつかいにくいなと思ってたので、成り立ちとか深い説明を聞いてよくわかりました。
曾祖母は戦後の言葉遣いにかなり戸惑ったそう。
それまで普通に使っていた(あそばせ言葉)も極力使わない様に言われていたそうです。
「君(きみ)」は、妃殿下同士を呼ぶときは「勢津君さん」「喜久君さん」などの独特な言い回しが有名だよね。また戦前の女性皇族は目下には基本的に男みたいな言葉づかいをする。「お前たち飯(ハン)食べたか」とかちょっとびっくりするような言い回しがある。上皇后陛下はこうしたしきたりに悩まされたとか。御所言葉は、貞明皇后の大宮御所で使われたのを最後として、今や死語(所謂尼門跡寺院も今は話されていないと思う。)になったね。
香淳皇后は男言葉だったそうです。
勿論天皇陛下にはつかいません。
皇族や特権階級のしきたりなので、平民の美智子さんは戸惑ったでしょうね。
御所言葉をほぼ廃止状態にされた張本人かも知れません。
日々変わっていく言葉のなかで、御所言葉を使い続けていく一部の歴史があっても良かったと思うのは私だけでしょうか。
玉音放送は「昭和45年」と紹介されてましたが、正しくは昭和20年ですよ。
1945年と混同してしまったんでしょうね…
昭和45年だと大阪万博の年
@@user-Loverhythm0429
たぶんねー。昭和45年まで戦ってたらアメリカも地図から消えてる笑
今の若い人たちには昭和45年も1945年もいっしょくたに「大昔」なんでしょうね😁
今年(2024)のうちの会社の新年会のスピーチで、「以上!昭和六年!・・・」と
言った得意先の社長様がいらっしゃいましたw
全員ずっこけた。
学校がごきげんようを挨拶に決めている学校だったので何も不思議に思っていませんでした。もとは華族言葉だったんですね
やはりAIの声はイントネーションが変ですね😅
この動画の逆パターン。昔の人に対して、現代の話し方はこうなった…つまりは明治、大正時代の華族の人に未来である令和時代の話し方はこうなってしまった。みたいな動画も見てみたいですね。
大阪の船場言葉では「貴様」は一般男性が二人称として使うことが多かったようですよ。明治生まれの女性が「祖父は私のことをよう《貴様》と呼ばはりました。今聞いたらおかしいようですけど、当時はそれが普通でしてん」と言っておられました。
興味深かったです。女学校で「僕」「君」は、昭和の少女漫画な香りが…😅(もちろん女学園が舞台)。むかし、ある先生に「天皇陛下のおからだ(体)」と言って、話し相手にぶん殴られた人の話を聞きました。陛下に対して無礼だとのことで、“おからだ”ではなく“みたま”って言わなければならなかったそうです(なぐることないのにね😮)。
雨降りの歌の中に傘を貸すときにキミキミって言葉がありますね。
てよだわ言葉は夏目漱石も『それから』の中で主人公が姪を茶化してましたよね。華族では無くブルジョワでしたけど。あと、義理の大祖母が戦前の学習院出身で牧野伸顕の後妻でしたけど、妹にも○○様と呼びかけていて、へーっと思った記憶があります。
ガンダムでシャアがジオン軍の兵士に対して「安心しろ。貴様に代わって閣下は必ずお守りしてみせる」と「貴様」を使っているのを聞いて子供心に少しビックリしていたのを思い出しました
同期の桜って歌で貴様って言う呼び方が出て来るよ😊
貴様と言う言葉は正式な言い方と昔の大人に聞きました。何度か辞書の編纂があって死語になっていったのかもね。私の若い頃から死語は随分ありますが使わなくなってから忘れていきました。
あれは海軍の曲だからね
「兵学校」、「航空隊」も海軍の用語です
(陸軍は「士官学校」、「飛行隊」)
貴様は敬意を示す言葉。
ただ軍人の強い口調の
イメージが一人歩きを
していっただけです。
「ありがとうございます」が高い評価されているが、何かを既にしてもらってるわけで。まず順序として「~しましょうか?」と言われて、「滅相もございません」と言いながら相手より先に自分が動く。それが礼儀だった。
貧乏学生がゾロゾロ歩いているのを「ゲルピン民族の大移動」と言ったそうで(笑)
「貴様」は太平洋戦争中、病気療養中なのに強引に徴兵された伯父が上官から「貴様にこの刀をやる」と言われたと憤慨していたのを、祖母(師範学校卒)に窘められたと聞きましたので昭和に入ってからは元々の意味合いを失いつつあったのかと思います。
「貴様」は子供の頃、家の中で飛び交ってたな😂ただ、方言で訛って「きさん!」でした!父親がキレると「なんちや!きさん!」て言われてた…
30年ほど前、自己啓発系の本を読み漁っていました。
その時の家族内&友人たちブームが「お嬢様言葉必修講座(うろ覚え😅)」です。
色々書いてありましたが、最後に頭に残ったのは「恐れ入ります」だけでした。
また、別の書籍で、明治や大正のころ、立派なお家で使用人を雇うと地方出身で酷く訛っているので、ある程度の行儀が身につくまでは主家の人とは「恐れ入ります」しか話すのを許されなかったとか。
あぁ、懐かしー。
「めっそうもございません」としか言わない奥様もおいでになった。
@@らっきー7-n5wうわぁ、 どんだけ周りが立ててくれるのが必須だったのか。
そんな中で当主婦人を務めるご苦労が偲ばれる…。
時代劇でおまえ様と夫を呼んでいましたし古い歌で貴様と俺とは♪などもありました
同期のサクラですかな?
私が幼少期、祖母がトイレの事を「御不浄」と言っていた。現代の若い方々は知らないだろうな。
向田邦子さんは使っていました。
還暦目前です、子供が幼稚園時代のママ友会議では使ってましたよ「ちょっと御不浄に」「はい、どうぞ」「行ってらして」ってやり取りしてました
ドイツ語か英語かだったのは、明治時代の陸軍がドイツを手本に、海軍はイギリスを手本にしたと聞いたけど、そこからきてるのかな?😮
昭和の初めまで、先祖が新宿の三越辺りで大店の店構えで商売してたそうです。その頃の話を子供の時に、ばあちゃんがよくしてましたが、家人と使用人では、名前の呼び方から違ったそうです。『~さん』と言えば家人のことで、使用人を呼ぶときには『~どん』といったそうです。また、使う言葉も全く違い、何か用事を言われたときに、家人は『はい』と言い、使用人は『へい』という区別があった。それは、強制されたとかではなく、自然と自分の立場からいうようになる、江戸300年の文化なんでしょうね。
山手言葉は、花柳界出身の奥様が、多分旦那様も地方の藩出身の明治政府の役人とかで、訛りとか言葉遣いで出身がわかってしまうので、誤魔化すために使われた、余り上品では無く、上品ぶった言葉遣いだったはず。
日本語文化に関するかような知識をご教示いただき恐れ入ります。
「僕」と「君」も、元は「しもべ=下僕」と「おほきみ=天皇」ですよね!
イギリスだと今でもアクセントによってどの階級かわかるようになってるよね。
「すもうさん」でなくて「おもうさん」。
AIが「お」を「す」と読んだかな。
お母さん→おたあさま
お父さん→おもうさま(発音としては おもーさま)
って言うと聞いた事があります
笑いました。いきなり国技館。
私の曾祖父と祖母の会話は敬語だった事を今思い出しました
宮中の女官は公家でしょう?身分は高い方ですね。
それよりも芸者が使っていたのでは?明治の政治家の妻は芸者が多くいましたよね。
会社や他所のお宅でお茶を出していただいた時に「恐れ入ります」と言います。ありがとうだと少し上から目線だなと感じるので。
旧華族なのか平民なのかを判別する方法として「ごきげんよう」という言葉に反応ができるかどうかというのがあるようですが、
「ごきげんよう」には「ごきげんよう」で返すんでしょうか?地方出なので分かりません。
明治創立の高校出身です。昭和の終わりまで授業の終わりに「ごきげんよう」と挨拶する古文の先生がいて、
恥ずかしがりながら「ごきげんよう」と返していました。
常に何に対しても敬語を使うという事が分からない人って居ますよね。何に対しても敬語だとその言葉は敬語でないと勘違いする輩も居ますね。そういえば、京都人も常に敬語のイメージあります。
大阪の友人が「京都人は犬にまで敬語使うから嫌やねん」って言ってた、そういう常に敬語って話し方が定着しているだけデショええやんって思ってた たしかにそこに敬意があるかどうかはわからなくなるね
中学の国語の先生が「貴様」を使ってた。
バックシャン=後ろ姿美人、が懐かしい
?華族と公家、皇族は違う。
ごきげんよう!😂
現代の「恐れ入ります」、「すみません」説
「すみません」は一番使いにくい単語ですね。
謝罪するならはっきり「ごめんなさい」と言え
感謝するならはっきり「有難う」と言え と思うのです。
てよだわは。。。遊女系の下品な言葉としてしか知らんかった笑
昭和2年生まれなおばあちゃんが、ふざけて使う言葉だった。
~ingよ。なんかは、現代若者言葉として流行った〜ナウを思い起こす言い回しですね
17:02 から差し込まれている写真に違和感を覚えたのは私だけでしょうか? 白装束の高位の皇族と見受けられる方の後ろに刀が2本。 高貴な身分の人の後ろから刀が差し出されるでしょうか?
この世代に現代若者言葉を使わせてみたい
割とどの時代も、その当時のギャル語や若者言葉があって、
現代の私達が奥ゆかしいなぁと思う言葉も当時は年配者には怒られてたりするから、
昔の人でも若い方は使いこなすと思う。
「しゃもじ」などもギャル語らしい。
もうタヒんだけど大正14年の祖父は嫁(祖母)に対して「貴様」という人間だったな。
独りの時風呂場で心臓止まったのが最後だった。
英語とドイツ語の組合せ「バックシャン」は昭和でも使われていました。
「あなた」は貴方、貴女として書き言葉だと思っておりました。
今は一般名称と化している「アルバイト」も学生が広めたドイツ語由来の単語ですよね。
「オルグ」「ゲバルト」なんかもそうかなw
当時の小説の中でお嬢様役が使っていた言葉だとしても、実際に上流階級の女性がそうとは限らない。
小説家はカフェの女給とは年中一緒にいてもお嬢様と面会する機会はないでしょう😑
現代の小説でもドラマのセリフみたいな言葉で話す人は現実にいないよね
華族の中でも、もともとは主君と臣下の関係にあつたなど、どんなものかと思いました。学習院で、旧藩主と旧藩士、大藩旧藩主と分家である支藩の藩主など。また、旧公家では、摂家とそれ以外なと(摂家以外の堂上公家は、摂家の家臣でもあった)。学習院の先輩後輩でも、軍隊での上官部下でも、旧宮内省の役人としても、なかなかやりにくいと思います。
前田侯爵家の当主、前田利為陸軍大将は難関の陸軍大学校入試に際して旧藩士の先輩が試験勉強をみたそうです
私の両親が子供の頃(70年ほど前)までは、小学校に赴任してきた初めて会った先生に、「お前は誰ぞ」と聞いてたそうです。発音は、「おんまえは、だれぞ」ですが。
親からは、「お前」は敬語だと教えられていて、年上の方にも「お前」と普通に使ってたそうですが、若い学校の先生方から、「年上の方に対して見下している」と言う事で問題になり、学校自業で言葉遣いを正す(変える)事になったようです。
しかし私が子供の頃はまだ使っており、幼稚園の入学の時に、「お前は誰ぞ」「お前こそ、誰ぞ」とお互いの名前を聞いていました。「知りません」を「知らんがー」って言ってた笑。
まいっちんぐ、がそんなハイカラな言葉だったとはw
華族の家族で草
奥さんが旦那さんを「お前さま」と呼んでいたこともありましたね。
ちなみに普通の家庭の我が家では「恐れ入ります」「かしこまりました」を多用します。接客業についていると、ついつい口から出ますよねw
御所言葉って結構たくさんありますよね。興味あります。もし調べられたら教えてください。
書生言葉ですけど、これは全国の旧制高校で共通なのだろうか、と思いました。東京にある一高や東京帝大ならば、たしかにそうだと思いますが、二高などのナンバースクールやその他の旧制高校ではどうなのだろうかと思いました。イントネーション等が訛った、書生言葉というのもアリかもしれませんけども。
玉音放送は昭和20年ですよね?
今では当たり前に使う『アルバイト』もドイツ語ですね。私が高校生の頃国語の先生が、
卒業生の女子と同窓会で話した時『事務員しとるんか?』と聴いたら
『BG ビジネスガールです。』と 注意された。
それで、何年か経って
また彼女に同窓会で逢った時『BGやってるんか?』と聴いたら
『OL オフィスレディです!』と言われた。
国語の教師としては
何も変わらんと思うのだが、そう言うと彼女らに怒られる。
ミーはゲルピンざんす!
冒頭で、宮中の女官の言葉が下品とのことで、驚きました。女官の出身階層は、上臈、そして中臈、下臈と続き、上は堂上公家で下は武家層かと理解していましたが。
明治になり、いろいろとあったのでしょうか。後半で出てくる女房言葉とは別でしようか?
失敬…太宰治の小説の一文にありますね。あと〜ですって…〜ですってよとかも入るのかな…?
「わたし」ではなくて「わたくし」というのでは?
おとうさんは「おもうさん」です。「すもうさん」ではありません。
「ゲルピン」とかもう死語に近いですね。「ごきげんよう」とか祖母が使ってました。今では「ごきげんよう症候群」と言われる部類になってますけどね。で、100年経ったら現代の「ら」抜き言葉や「い」抜き言葉や「ちーっす」や「あざーっす」が正式な日本語になったりしそうだね。
現在日本には上級国民がいます
どうしてだか分かんねぇんだが、オレがガキのころは、東京の下町ことばをしゃべっていたんだ。母ちゃんは、先祖代々練馬区。おやじは、中央区の八重洲。なのに、おれの言葉は、・・・なんてね。その上、「ひ」と「し」の使い分けが混乱することもあります。
いつしか、思春期になるころには、山の手言葉に近い言葉をしゃべるようになっていました。今から思えば、下町ことばなんて、誰から教わったわけでもないのに。
2年前に、会社に、とにかくバカ丁寧な言葉をしゃべる同僚がいました。彼と話しをするうちに、いつしか、あの下町ことばが蘇ってきてしまったってわけよ。不思議。前世は江戸の本所あたりに住んでいたのかもしんねぇ、なんて思う事があります。
それと、最近の若けぇ者の言葉。やたらと、語尾を上げる茨城弁のようなしゃべり方をする。あれを聞いてると、胸くそが悪くなってくる。たぶん、茨城の出身の若けぇ芸能人が使ったのを、ガキどもが真似したのが始めかもしんねぇな。
言葉は生きている。時代と共にどんどん変わっていきます。自分の言葉が、周囲の若い者たちと違っていくのを感じると、なんだか淋しい気がします。
身分制度そのものは残ってないが、薄っすらと上流階級にはどこどこの誰々様やら誰々、の息子様の何々お坊ちゃま娘御の●●○お嬢様やら、風習に残って…ますよね…?
6:05 お悩み相談の人かな
貴族制度復活と身分制度は必要
15:35~ 1945と昭和20年がごっちゃになってない?人間天皇宣言以降に「玉音放送」って言い方はしないような…
家令に使う言葉は、だよ。お前。じゃないか。といった言葉を使っておりました。御所言葉も御座いますわね。貞明さまは御所言葉を使う事を奨励されていましたが、昭和天皇は御所言葉を避けておられましたでしょう。六ヶ敷しゅうございますでしょ。
貴様とは、あなたさまと、言うものですね。目上の人を、指しているもので、今こそ、お前とか、言う言葉に、置き換えられてるものと、辞書的に、意味する者が、違う所が、多々あります。どちらか?が、辞書さえも、どちらかが重要なのか?大切な事ですから、教えて欲しいです。言葉で、仮に、喧嘩の様になっていくからです。それは、多分、方言の、違うものでしようか?日本語は、外来語が多数あるものですね。其れは、戦争中は、己れは?
何故敵国語を、使っているのか?と言うものですね。
鼻ほじりながら屁こいたら追い出されそう
男性言葉、今は不良女子ではなく2枚目女子なだけなので昔の女性蔑視で暴力的な侮蔑とは違うと思う。
恐れ入ります……かな??
あら、表記されないです
畏れ入ります を 入力したのに
あ、、🎉出ました 笑笑
ご機嫌よう は 学習院、箱根白百合では日常でした
華族要らんけど今も無くなってる様な気もしないかな
ええ、格差はございますわね?
華族はこどもの頃から政治家としての勉強させられるから、今の政治家とは全然考え方が違うよ。
質素倹約が普通だし。
たいした納税もできてない人には発言権はありませんわよ。
華族が居なくなってしまったのは悲しきことです😢
「元華族」と言われて育ってドロップアウトし過ぎて破産のあと6畳ひと間「保護費」生活。でも気楽でエエよ😅
Aiと、識別する差は、日本語の、正しい情報を、基にする言語と云うものでしようか?
от-такая панимаш тэёдавать
貴様という呼称は幕末の志士の間で流行った、相手への敬称として使われたと認識してます。ソースはないのでアレですがw
フランス語はどうなんだろう?
そういえばフランス語由来の日本語は料理(ポタージュとかカフェオレとか)や芸能(レビューとかシャンソンとか)
を別にするとあまり聞きませんね。明治時代に軍のお手本をフランス式からドイツ(プロシア)式に換えたの事も
影響があるのでしょうかね。