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【チャプター】00:00 オープニング01:53 明治時代の女性の名付けの特徴06:40 大正時代から昭和初期に多かった女性の名付け10:15 明治・大正・昭和初期の女性に名付けられた名前18:47 エンディング
私の102歳で亡くなったばあちゃんの名前がカタカナでハツエと言う名前でした。
大正生まれの祖母の名前はカヨでした。周りにはオカヨさん、カヨコさんて呼ばれてました😊子供の頃になんで?って聞いてみた事がありますが、みんな丁寧に呼んでくれてるんだよと聞いた覚えがあります😊
明治生まれのおばあちゃんは確かにカタカナ2文字で可愛くて羨ましかったけど可愛いから付けたんじゃないのかもとか、漢字3文字で子で終わるの自分の名前を古臭く感じてたけどこの動画で実はいいイメージのカッコいい名前なんだと思えて救われたとか、個人的にとても感慨深かった。
うちのおばあちゃん(大正生まれ)は名付けの時に"イチ"とか"ユキ"とか花の名前とかは極端に嫌ってました。イチは小さい、ユキは溶ける、ハナは枯れるなど短命を想起させるのが理由でした。抗生物質が登場する第二次大戦以降までは死亡率の高い時代が続いていたので縁起の良い名前をつけて子供の長生きを願ったのだと個人的にには思っています。主さんも可愛い名前より縁起の良い名前と仰ってますが、医療の発達や衛生状態の改善などによって死亡率が下がった現代とはやはり時代背景が違うのだなと感じました。面白い動画ありがとうございます。
興味深かったです。勉強になりました。昭和46年生まれ、51歳ですが、たしかに小中学の時は殆どの女の子は名前に「子」が付いていましたよ。8割以上だったと思います。私祖母は二人ともカタカナ二文字でした。コウとムメです。名前ってすごく面白いですね。
うちの祖母(明治生まれ)は「ハシメ」でした。医療従事者なんですが、25年前は患者さんに明治生まれの方が多かったので今では見られない名前の女性が多かったですね。珍しかったのは「お梅」さんで「お」がついてました。大正生まれの女性あたりから「子」が使われる名前が増えてきた気がしますね。
実のところ、女性の名前については全国規模の資料がほとんどなかったこともあり、あまり研究がなく確実なことが言えないというのが研究者レベルでの通説だと思っていたのですが。。。1.女性の名前の上位ランキングの出典を教えてください2.明治期の女性の名が「2字名」だということは賛成しますが、カタカナからひらがなへ表記が遷移していった説の根拠を教えてください。江戸時代の女性の名前の記録などでは、カタカナだったりひらがなだったり一定していないか、資料によって一定していたりします。要するに「2字」の音が重要であって、それをカタカナで表記してもひらがなで表記してもかまわなかったのだと思います。
母方の遠縁の親戚で、ご年配の方に聞いた話(昭和初期生まれ・九州離島出身の方)その方は家族で読み書きができる人が出稼ぎ?などで不在の時に生まれ、出生届を出すのに読み書きのできる知り合いに代筆を頼み、口頭で名前を伝えたら、本来とは違う名前で戸籍が作られていたんだそう。カズミとカツミ みたいな感じで近い読みではあったらしい。その方自身は小学校に入って文字を習い、テストなんかでは親に教えられたほうの音で名前を書いてたけれど、ある時先生に指摘されて自分の戸籍を見たら違う名前で届けられていて驚いた…ことがあったそうです。そういうこともあって、みんなが読めるように以外だと親(世代)がかろうじて書けるカタカナの名前で登録された…みたいなのも、時代背景としてあるのかもしれないです。あんまり関係ないけれど、父方は苗字に暗いイメージの漢字が入っているので、男子の名前には太陽(おひさま)に因んだ漢字が代々使われていました。苗字との兼ね合いでの名付け…というのも、けっこうあったりするのかな?
このチャンネル、他で語られることの少ない庶民の歴史がわかって面白い。今回のテーマだとたしかに明治生まれの婆さんはカタカナネーム、昭和十年代生まれの母やおばさん達は子のついた漢字二文字だった。
昔は漢字、ひらがな、カタカナの他に変体仮名(旧仮名のゑやゐとは違います)も使われていました。市の広報で100歳超えの方のお名前によく見かけます。(その文字だけフォントが違う。職員さんお疲れ様です)戦後戸籍法が改正されるまで変体仮名も使用できたみたいです。
男の子でも、長男=太郎もしくは一郎次男=次郎もしくは二郎三男=三郎、以下、四郎、五郎、と名付けるのも定番で、末っ子は『留吉』だったそうだ。
「○子」の名前は「子」を分解すると「ー」と「了」になるから最初から最後まで○な子という意味があるって国語の先生が言ってた
BGM が動画にマッチしていています。興味深く良く調べていらっしゃる。チャンネル登録しました。
戸籍上カタカナ名でも手紙などで「子」をつけて書く時は多いのでしょうか私の家系ですと①戸籍上「トミ」(明治四十年代生)手紙の中では「...とみ子さん...」②戸籍上「トヨ」(明治四十年代生)位牌「登代子」③戸籍上「ヒデ」(明治四十年代生)手紙の宛先「〇〇秀子様」などがあります。ちなみに明治二十年代生まれの高祖母は「ヨシヲ」その姉は「タキヲ」という名前です。当時は三文字は珍しかったのかもしれませんね。
「江戸時代以前から日本は識字率が高かった」なる言説は、アイコクポルノ込みで盛んに交わされている。そんなの、一面的で誤りだとよく分かる。江戸期の庶民はひらがなと数字、自分の名を読み書き出来れば「読み書きできる」とみなされていただけで、アルファベット西洋圏での「識字率」とは基準・概念が全く違う。それに、地域格差も時代差も、そして性差も身分差も大きかった。
うちの明治生まれの祖母の名前は、綾子と書いてアヤと読みました普段はカタカナのアヤを使ってました。
大正元年の10位に入っている「はる」という名前だった母方の祖母はその名前が嫌で、ずっと「春子」と書いていました。でも呼ぶ時は「おはるさん」と呼ばれることも。いろんな流行にあっちこっちに行ってた世代かもしれません。ちなみに父方の祖母は「スヱノ」母方の祖父は「末太郎」。きっと両方とも「もう子供はいらない!これで最後!」って思いでつけられたんでしょうね😂
わたしの祖母(昭和初期生まれ)は近所の方から「ナツ子さん」と呼ばれていたので祖母の名前はずっと「ナツ子」だと思っていました。ふと郵便物を見てみると「ナツ」と書かれていてどういうことだろうと疑問に思っていたので、今回の動画で理解することができました。祖母は8月生まれなので、夏→ナツということだったんですね。スッキリしました!
13:11 祖父方で、尚且つそれまではずっと女系で(恐らく)一人娘なおおばぁばとおおおばぁばは たけサンとうめサンだった。祖母方も女系で、おおおばぁばかな?ウメさんだった気がする。お顔はみたこと無いけれどお名前や家柄だけでも知れて嬉しく思っています。
自分の名前もランキングの中にあった😃結構ポピュラーな名前だった事にびっくり👀
父方の祖母がキミで母方の祖母がタツエでした。母の兄妹はみんな漢字一文字の名前で、母を含む女子4人は男女どちらでも使える名前です。
明治生まれ、大正生まれのご先祖様2人(長生きしてたらどちらも大叔母にあたる人かな)は雪江、雪乃と漢字表記でカタカナではなく、しかも「子」ですら無かったです。当時としては相当珍しい名前だったんですね。どちらも若くして亡くなってしまってるのでとても残念ですが…。
尾脇秀和さんが、『女の氏名誕生』(ちくま新書)というという本を出されたようです。徳川時代の女性の名前の常識や、近現代における女性の名前の成立などが分かり、大変面白い。何とびっくりする話は、徳川時代までの女性には、名字がないのが当たり前だったということ。名字がないことは、現代日本人の常識からみればおかしいかもしれない。でも、現代でも、名字がない国や文化圏は、少なくない。モンゴルやインドネシア、アラブ世界などのように。
私の曾祖母がひらがなで「みよ」という名前で、曾祖母の義娘にあたる私の祖母は「おみよちゃん」と呼んでいて お、をつけるのがよく分からなかったので納得しました!明治時代後期から大正時代の名前、すごく好みです。
昔は女には適当に「もの」の名前をつけて届け、それがものではなく人だとわかるように日常には「お○○」「○○子」と呼ぶことが多かった。親に素養がないと漢字は駆使できないし。だから時代劇でも「おまつ」と「おちよ」とか言ってたわけ。「子」は上流への憧れとやはり名前だということがわかる言い方のひとつだった。戸籍でも子をつけるようになったのはもっと後のこと。津田梅子さんは生まれた時は「うめ」だったけど留学を機に正式な名前にするため子をつけて梅も漢字にした。昭和に子が主流になったのはその流れで本名を最初から子付きにしたせいもある。多くの場合、ものの名前の部分が本体で「こ」「え」「み」「よ」などがその補助だった。カナ2文字が本体で。そのルールが変化した名前が増えて今に至っている。
女性の名前ってホント年齢バレするから怖い。男性はそんなに変わらないのに
大正生まれの利用者さんがカタカナ三文字の名前で、なんでカタカナなのか理由を聞いたら「出生届を出しに行ったおじいさんが漢字を忘れて、役所の人にカタカタにすれば?って言われたから」って言ってた!🤣そんなパターンあるんか思った🤣
いつもながら面白いなぁ。
「和子」「幸子」「清子」の世代があったんやな…ちなみに亡くなった祖母の名前は父方が「ユイ」母方が「ナツエ」どちらも大正産まれ
私の祖母とその妹にも名前の最後に子が付いてます💡
鬼滅ネタだけどカナヲとかアオイとかも案外あり得る名前だったりするのか
変体仮名という厄介な文字が昭和23年まで女性の名に使われていました。
興味深い内容でした名前がカタカナ2文字はひいおばあちゃんくらいかな
2:12学校に「 ニコ 」って人がいた
わたしが小さい頃は明治生まれのじいちゃん婆ちゃん生きていたけど、ケサキクさんツルさんフクカメさんみたいな名前の人いました。わたしの祖母は大正生まれで名前はマツヲでした。
ちょっこし...をよく喋る明治生まれ祖母は名"シズヲ"でした。
母方の名前は男子が栄一、二郎、三郎…と続き七郎まで。女子は長女が昭和元年生まれだから和子。女子は以降は適当で、末の子はその前の子から唯一の戦国生まれで10年以上離れてから。11人兄弟姉妹にもなったので、もう子供はやめよう、好子になったそうです。ちなみに末の子以外ほぼ年子なので毎年のように出産していたことになります。
そもそも「子」という字は分解して考えると聞いた事があります。分解すると「一」「了」になります。つまり始めから終わりまで(一生涯)こうあって欲しいとの願いを込めた名前だと言う事です。例えば幸子なら一生涯幸せでありますように。光子なら光輝く人生を送って欲しい等。
連ドラの花子とアンのモデル明治26年生まれの村岡 はなさんもどうしても花子と呼んでほしいって言ってたねwwそしてペンネームとして村岡花子を名乗り続けたちなみにうちの母方のばっちゃんはマツです父方のばっちゃんは平仮名で みやのです2人共に明治生まれです
カタカナ表記はエヴァの世界
大正三年生まれの曾祖母が「トラ」さんで、生前はトラ子さんって呼ばれてました🐯
うちのばぁちゃん、本名と通称名2つあったな。本名は男っぽい名前むしろひらがなだったけど、男の名前で通称名は漢字で女の○子って名前だった。
家のばあちゃんはお母さんが高齢で出来た子どもだったから「トシ」だったよ笑だからおばあちゃんは自分で「子」をつけてた笑
私の祖母は「なを」、曾祖母は「すて」です。
私の祖母の名前は巌でした。イワノと読みます。明治生まれです。
おばあちゃんの名前 昭和11年生まれ フクヨ マサ子漢字はない
ちょっとした発見は美智子上皇后の名前が昭和6年から上位に出ているのですね。上皇后の生まれは昭和9年ですから結構時代の流行に乗った名前だったのですね。それから愛子という名前は昭和時代にはあまり聞かない名前だったので愛子様の名前が出てきた時は珍しかったのですが大正時代に上位にあるのがびっくり。愛子という名前は昭和時代は結構珍しかったような気がします。
私は昭和46年生まれですが、エミって2文字のカタカナです。
子供の頃何故私だけカタカナかと悩みました。
うちの婆さんはつなでした 明治29年生まれ
サツヒサイノエル
第二次大戦後は漢字ひらがなカタカナの三種併存文が主流となったが、戦前は漢字カタカナ文も一定の力を持っていたようです。つまり今日のようにカタカナは外来語や固有名詞(外国の人名地名)に使うという役割が明確化していなかった。故に当時はカタカナの使用度が広かったとも言える。むろんカタカナ名の男性が少ないから、男尊女卑的な側面も否定できない。漢字は男の使う文字というような因習である。戦後はかなの名前でもカタカナよりもひらがなが多いように感じる。男性より女性が多い。
おばあちゃん=カタカナ2文字のイメージって…UP主は何歳なの?w高校生の設定だけどたぶん違うと思う。今の高校生のおばあちゃんて下手すると40代とか50代よ?そのイメージはないと思うけど…あ、動画の主旨は分かってますよ。
結婚する年齢は人それぞれですし、センシティブなのでそこまで突っ込む必要ないと思いますよ!^^
もうちょっとゆっくり喋れ
なぜ命令する!?笑
@@retro-history オッサンなのでちょっとゆっくりがいいの
@@探偵倶楽部-k5e 次からは0.75で視聴しよう
@@Haruki__hani 冗談ですからねw😂 w←付けるの忘れてたw🤣
@@探偵倶楽部-k5e わかってるよwww
【チャプター】
00:00 オープニング
01:53 明治時代の女性の名付けの特徴
06:40 大正時代から昭和初期に多かった女性の名付け
10:15 明治・大正・昭和初期の女性に名付けられた名前
18:47 エンディング
私の102歳で亡くなったばあちゃんの名前がカタカナでハツエと言う名前でした。
大正生まれの祖母の名前はカヨでした。
周りにはオカヨさん、カヨコさんて呼ばれてました😊
子供の頃になんで?って聞いてみた事がありますが、みんな丁寧に呼んでくれてるんだよと聞いた覚えがあります😊
明治生まれのおばあちゃんは確かにカタカナ2文字で可愛くて羨ましかったけど可愛いから付けたんじゃないのかもとか、漢字3文字で子で終わるの自分の名前を古臭く感じてたけどこの動画で実はいいイメージのカッコいい名前なんだと思えて救われたとか、個人的にとても感慨深かった。
うちのおばあちゃん(大正生まれ)は名付けの時に"イチ"とか"ユキ"とか花の名前とかは極端に嫌ってました。
イチは小さい、ユキは溶ける、ハナは枯れるなど短命を想起させるのが理由でした。
抗生物質が登場する第二次大戦以降までは死亡率の高い時代が続いていたので
縁起の良い名前をつけて子供の長生きを願ったのだと個人的にには思っています。
主さんも可愛い名前より縁起の良い名前と仰ってますが、医療の発達や衛生状態の改善などによって死亡率が下がった現代とはやはり時代背景が違うのだなと感じました。
面白い動画ありがとうございます。
興味深かったです。勉強になりました。昭和46年生まれ、51歳ですが、たしかに小中学の時は殆どの女の子は名前に「子」が付いていましたよ。8割以上だったと思います。私祖母は二人ともカタカナ二文字でした。コウとムメです。名前ってすごく面白いですね。
うちの祖母(明治生まれ)は「ハシメ」でした。
医療従事者なんですが、25年前は患者さんに明治生まれの方が多かったので今では見られない名前の女性が多かったですね。
珍しかったのは「お梅」さんで「お」がついてました。
大正生まれの女性あたりから「子」が使われる名前が増えてきた気がしますね。
実のところ、女性の名前については全国規模の資料がほとんどなかったこともあり、あまり研究がなく確実なことが言えないというのが研究者レベルでの通説だと思っていたのですが。。。
1.女性の名前の上位ランキングの出典を教えてください
2.明治期の女性の名が「2字名」だということは賛成しますが、カタカナからひらがなへ表記が遷移していった説の根拠を教えてください。
江戸時代の女性の名前の記録などでは、カタカナだったりひらがなだったり一定していないか、資料によって一定していたりします。要するに「2字」の音が重要であって、それをカタカナで表記してもひらがなで表記してもかまわなかったのだと思います。
母方の遠縁の親戚で、ご年配の方に聞いた話(昭和初期生まれ・九州離島出身の方)
その方は家族で読み書きができる人が出稼ぎ?などで不在の時に生まれ、出生届を出すのに読み書きのできる知り合いに代筆を頼み、口頭で名前を伝えたら、本来とは違う名前で戸籍が作られていたんだそう。
カズミとカツミ みたいな感じで近い読みではあったらしい。その方自身は小学校に入って文字を習い、テストなんかでは親に教えられたほうの音で名前を書いてたけれど、ある時先生に指摘されて自分の戸籍を見たら違う名前で届けられていて驚いた…ことがあったそうです。
そういうこともあって、みんなが読めるように以外だと親(世代)がかろうじて書けるカタカナの名前で登録された…みたいなのも、時代背景としてあるのかもしれないです。
あんまり関係ないけれど、父方は苗字に暗いイメージの漢字が入っているので、男子の名前には太陽(おひさま)に因んだ漢字が代々使われていました。苗字との兼ね合いでの名付け…というのも、けっこうあったりするのかな?
このチャンネル、他で語られることの少ない庶民の歴史がわかって面白い。今回のテーマだとたしかに明治生まれの婆さんはカタカナネーム、昭和十年代生まれの母やおばさん達は子のついた漢字二文字だった。
昔は漢字、ひらがな、カタカナの他に変体仮名(旧仮名のゑやゐとは違います)も使われていました。
市の広報で100歳超えの方のお名前によく見かけます。(その文字だけフォントが違う。職員さんお疲れ様です)
戦後戸籍法が改正されるまで変体仮名も使用できたみたいです。
男の子でも、
長男=太郎もしくは一郎
次男=次郎もしくは二郎
三男=三郎、以下、四郎、五郎、と名付けるのも定番で、末っ子は『留吉』だったそうだ。
「○子」の名前は「子」を分解すると「ー」と「了」になるから最初から最後まで○な子という意味があるって国語の先生が言ってた
BGM が動画にマッチしていています。興味深く良く調べていらっしゃる。チャンネル登録しました。
戸籍上カタカナ名でも手紙などで「子」をつけて書く時は多いのでしょうか
私の家系ですと
①戸籍上「トミ」(明治四十年代生)
手紙の中では「...とみ子さん...」
②戸籍上「トヨ」(明治四十年代生)
位牌「登代子」
③戸籍上「ヒデ」(明治四十年代生)
手紙の宛先「〇〇秀子様」
などがあります。
ちなみに明治二十年代生まれの高祖母は「ヨシヲ」その姉は「タキヲ」という名前です。
当時は三文字は珍しかったのかもしれませんね。
「江戸時代以前から日本は識字率が高かった」なる言説は、アイコクポルノ込みで盛んに交わされている。
そんなの、一面的で誤りだとよく分かる。江戸期の庶民はひらがなと数字、自分の名を読み書き出来れば「読み書きできる」とみなされていただけで、アルファベット西洋圏での「識字率」とは基準・概念が全く違う。
それに、地域格差も時代差も、そして性差も身分差も大きかった。
うちの明治生まれの祖母の名前は、綾子と書いてアヤと読みました普段はカタカナのアヤを使ってました。
大正元年の10位に入っている「はる」という名前だった母方の祖母はその名前が嫌で、ずっと「春子」と書いていました。でも呼ぶ時は「おはるさん」と呼ばれることも。いろんな流行にあっちこっちに行ってた世代かもしれません。
ちなみに父方の祖母は「スヱノ」母方の祖父は「末太郎」。きっと両方とも「もう子供はいらない!これで最後!」って思いでつけられたんでしょうね😂
わたしの祖母(昭和初期生まれ)は近所の方から「ナツ子さん」と呼ばれていたので祖母の名前はずっと「ナツ子」だと思っていました。ふと郵便物を見てみると「ナツ」と書かれていてどういうことだろうと疑問に思っていたので、今回の動画で理解することができました。
祖母は8月生まれなので、夏→ナツということだったんですね。スッキリしました!
13:11 祖父方で、尚且つそれまではずっと女系で(恐らく)一人娘な
おおばぁばとおおおばぁばは
たけサンとうめサンだった。
祖母方も女系で、
おおおばぁばかな?
ウメさんだった気がする。
お顔はみたこと無いけれどお名前や家柄だけでも知れて嬉しく思っています。
自分の名前もランキングの中にあった😃
結構ポピュラーな名前だった事にびっくり👀
父方の祖母がキミで母方の祖母がタツエでした。母の兄妹はみんな漢字一文字の名前で、母を含む女子4人は男女どちらでも使える名前です。
明治生まれ、大正生まれのご先祖様2人(長生きしてたらどちらも大叔母にあたる人かな)は雪江、雪乃と漢字表記でカタカナではなく、しかも「子」ですら無かったです。
当時としては相当珍しい名前だったんですね。
どちらも若くして亡くなってしまってるのでとても残念ですが…。
尾脇秀和さんが、『女の氏名誕生』(ちくま新書)というという本を出されたようです。
徳川時代の女性の名前の常識や、近現代における女性の名前の成立などが分かり、大変面白い。
何とびっくりする話は、徳川時代までの女性には、名字がないのが当たり前だったということ。
名字がないことは、現代日本人の常識からみればおかしいかもしれない。
でも、現代でも、名字がない国や文化圏は、少なくない。
モンゴルやインドネシア、アラブ世界などのように。
私の曾祖母がひらがなで「みよ」という名前で、曾祖母の義娘にあたる私の祖母は「おみよちゃん」と呼んでいて お、をつけるのがよく分からなかったので納得しました!
明治時代後期から大正時代の名前、すごく好みです。
昔は女には適当に「もの」の名前をつけて届け、それがものではなく人だとわかるように日常には「お○○」「○○子」と呼ぶことが多かった。親に素養がないと漢字は駆使できないし。だから時代劇でも「おまつ」と「おちよ」とか言ってたわけ。「子」は上流への憧れとやはり名前だということがわかる言い方のひとつだった。戸籍でも子をつけるようになったのはもっと後のこと。津田梅子さんは生まれた時は「うめ」だったけど留学を機に正式な名前にするため子をつけて梅も漢字にした。昭和に子が主流になったのはその流れで本名を最初から子付きにしたせいもある。多くの場合、ものの名前の部分が本体で「こ」「え」「み」「よ」などがその補助だった。カナ2文字が本体で。そのルールが変化した名前が増えて今に至っている。
女性の名前ってホント年齢バレするから怖い。男性はそんなに変わらないのに
大正生まれの利用者さんがカタカナ三文字の名前で、なんでカタカナなのか理由を聞いたら「出生届を出しに行ったおじいさんが漢字を忘れて、役所の人にカタカタにすれば?って言われたから」って言ってた!🤣
そんなパターンあるんか思った🤣
いつもながら面白いなぁ。
「和子」「幸子」「清子」の世代があったんやな…ちなみに亡くなった祖母の名前は父方が「ユイ」母方が「ナツエ」どちらも大正産まれ
私の祖母とその妹にも名前の最後に子が付いてます💡
鬼滅ネタだけどカナヲとかアオイとかも案外あり得る名前だったりするのか
変体仮名という厄介な文字が昭和23年まで女性の名に使われていました。
興味深い内容でした
名前がカタカナ2文字はひいおばあちゃんくらいかな
2:12
学校に「 ニコ 」って人がいた
わたしが小さい頃は明治生まれのじいちゃん婆ちゃん生きていたけど、ケサキクさんツルさんフクカメさんみたいな名前の人いました。わたしの祖母は大正生まれで名前はマツヲでした。
ちょっこし...をよく喋る明治生まれ祖母は名"シズヲ"でした。
母方の名前は男子が栄一、二郎、三郎…と続き七郎まで。女子は長女が昭和元年生まれだから和子。女子は以降は適当で、末の子はその前の子から唯一の戦国生まれで10年以上離れてから。11人兄弟姉妹にもなったので、もう子供はやめよう、好子になったそうです。ちなみに末の子以外ほぼ年子なので毎年のように出産していたことになります。
そもそも「子」という字は分解して考えると聞いた事があります。分解すると「一」「了」になります。つまり始めから終わりまで(一生涯)こうあって欲しいとの願いを込めた名前だと言う事です。例えば幸子なら一生涯幸せでありますように。光子なら光輝く人生を送って欲しい等。
連ドラの花子とアンのモデル明治26年生まれの村岡 はなさんも
どうしても花子と呼んでほしいって言ってたねww
そしてペンネームとして村岡花子を名乗り続けた
ちなみにうちの母方のばっちゃんはマツです
父方のばっちゃんは平仮名で みやのです
2人共に明治生まれです
カタカナ表記はエヴァの世界
大正三年生まれの曾祖母が「トラ」さんで、生前はトラ子さんって呼ばれてました🐯
うちのばぁちゃん、本名と通称名2つあったな。
本名は男っぽい名前むしろひらがなだったけど、男の名前で通称名は漢字で女の○子って名前だった。
家のばあちゃんはお母さんが高齢で出来た子どもだったから「トシ」だったよ笑
だからおばあちゃんは自分で「子」をつけてた笑
私の祖母は「なを」、曾祖母は「すて」です。
私の祖母の名前は巌でした。イワノと読みます。明治生まれです。
おばあちゃんの名前 昭和11年生まれ フクヨ マサ子
漢字はない
ちょっとした発見は美智子上皇后の名前が昭和6年から上位に出ているのですね。
上皇后の生まれは昭和9年ですから結構時代の流行に乗った名前だったのですね。
それから愛子という名前は昭和時代にはあまり聞かない名前だったので愛子様の名前が
出てきた時は珍しかったのですが大正時代に上位にあるのがびっくり。
愛子という名前は昭和時代は結構珍しかったような気がします。
私は昭和46年生まれですが、エミって2文字のカタカナです。
子供の頃何故私だけカタカナかと悩みました。
うちの婆さんはつなでした 明治29年生まれ
サツ
ヒサイ
ノエル
第二次大戦後は漢字ひらがなカタカナの三種併存文が主流となったが、戦前は漢字カタカナ文も一定の力を持っていたようです。つまり今日のようにカタカナは外来語や固有名詞(外国の人名地名)に使うという役割が明確化していなかった。故に当時はカタカナの使用度が広かったとも言える。
むろんカタカナ名の男性が少ないから、男尊女卑的な側面も否定できない。漢字は男の使う文字というような因習である。
戦後はかなの名前でもカタカナよりもひらがなが多いように感じる。男性より女性が多い。
おばあちゃん=カタカナ2文字のイメージって…UP主は何歳なの?w
高校生の設定だけどたぶん違うと思う。今の高校生のおばあちゃんて下手すると40代とか50代よ?
そのイメージはないと思うけど…
あ、動画の主旨は分かってますよ。
結婚する年齢は人それぞれですし、センシティブなのでそこまで突っ込む必要ないと思いますよ!^^
もうちょっとゆっくり喋れ
なぜ命令する!?笑
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@@探偵倶楽部-k5e わかってるよwww