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和弓の飛距離はわからんけど、威力は『もののけ姫』のアシタカの弓みたいなもので、当たれば腕や頭が吹き飛ぶくらいの剛弓だったらしい。
重装弓騎兵怖すぎ😅
弓道部の練習を見ると、矢の貫通力と空気を切り裂いて飛ぶ音に命の危険を感じる。
バケモンで草。祟り神ブーストなくても即死やんけ。
鉄は余裕で貫通します。
あんなヤバイ弓矢類、中国の弩(中国のボウガン)か古代ローマのバリスタくらいしか該当しないんじゃないんですかね。
日本最古の「人の嫌なことを進んでします」を実行する恐ろしい鎌倉武士
後三年の役で数えの15歳だった鎌倉権五郎景正は敵方の鳥海弥三郎に片目を射抜かれたが、景正は目に矢が刺さったまま答の矢を返し鳥海を討ち取った。自陣に帰ってきた景正の目に矢が刺さったままのをみた味方が矢を抜いてやろうと景正の顔に足をかけて矢を引き抜こうとすると景正は「武士の面体に泥脛をかけおったな!」といって味方に斬りつけようとした。それをみていた大将八幡太郎源義家は「それでこそ坂東武者だ。」といって景正を褒め称えた・・・登場人物全員気は確かか?
明日の敵ですから。
なんやこいつら‥‥
軽く夏侯惇超えてて…怖い…
サイヤ人が紳士に見える件
鎌倉権五郎景正って歌舞伎「暫」の主人公のモデルになった武将ですね。流石の豪傑ぶり!
蛮族なのに戦闘IQは高いのまさに戦闘民族って感じで好き
倫理観が著しく欠落してるのと引き換えに有り得ない強さを手に入れた集団。
ゲンスルー「いかに冷静でイカれてるか相手に理解させるのがコツだ」まさにコレ
モンゴル軍「自分の仲間攻撃しようとは思わないし捕虜盾にしたろw」鎌倉武士「捕虜なんて可哀想だから殺してあげよう」
捕虜の鎌倉武士「手間かけてすまんなあ助かったわ(絶命)」
邦人がISISに捕まった時身代金でなくクソコラで対抗したの見たら確かに渡航者の自己責任って面は強いが鎌倉武士の血脈も感じずにいられなかったwしかもそれに対し肯定的に感じる自分も…
@@user-tk9nb7mc9y 人質作戦が有効だと分かったらまたやられるから仕方ない
@@user-tk9nb7mc9y人質が有効だと思ってるのなら向こうにとっても人質は有効だろうとイスラム教徒を人質に、としなかっただけ現代日本人は理性的。大日本帝国時代ならまだわからない。
人質作戦は恐喝と同じで通用すると思われたら繰り返してきやがるからこれが大正解
結論からすると鎌倉武士いて良かった。
以下は司馬遼太郎のエッセイに書かれてた内容だけど、明治以降、近代的自我が確立するにつれ日本人は激しい感情を表出しなくなったが、幕末の侍たちなどは些細なこと(現代人から見れば)で感動しては実によく涙を流しており、これが中世となると武士も庶民も現代人が想像つかぬレベルで感情の起伏が激しく、悲しみや感動に接しては号泣し、ひとたび怒れば狂ったように凶暴化していたらしい。ちなみに大航海時代の船乗りたちの噂で、「日本人と出会ったら絶対に笑うな。奴らは笑われると怒ってカタンナという剣で襲いかかってくる」てのがあったらしい笑昔の日本人、やはり獰猛ですわw
戦国武将とかの喜怒哀楽感情がハチャメチャなエピソードって殆ど史実なんだろうな…
確か室町時代の記録でもやっぱり笑われると下は農民町人から上は武士や僧侶まで皆切りかかって殺し合いしてた記録があるからなあ。
いや司馬遼太郎の内容間に受けちゃあかんよ。自分の創作をあたかも本当の史料から引用したかのように語るからな。
学生時代に元寇は神風によって助けられた。鎌倉武士はろくに活躍しなかったのに、褒美だけ貰おうとしたせいで世情が荒れて戦国時代へって教わってたけど、アレかなり違ってたんだな。日本の教育てかなりやべーな。
嘘つき教育神風で敵を倒せるなら苦労はしない
根本的な事だが、鎌倉武士の最大の奉公とは戦争に参加して戦死(負傷)することで、功績は二の次。
教科書に載ってる元寇の絵も後から反撃してるモンゴル軍が書き出されたヤツですからね。実際は一方的に逃げまどうモンゴル軍が書かれている絵ですからね。
@@sousou3427 後からと言うか、そんなに後ではなく竹崎さん本人が生きていた頃とも云われてるがな。
@@user-zt6yw4rb1sあのさぁなんで上陸に成功した侵攻側が海上で全滅するわけ?陸戦で負けて追い落とされた結果だよな?
鎌倉時代の矢ってよくある三角形の鏃じゃなくて両刃のダガーナイフみたいなクソでかい鏃だったから直撃すれば首や腕が飛ぶ代物
アシタカクラスがそこら中にゴロゴロしている時代
鏑矢の様な形で刃先を研いだ大きなU字型の矢じりは本当に腕を切断したり顔面を半分削ぎ取ったり首を切断できたそうです。以前、youtubeの動画で人間を模した人形の首を、そんな矢で切断するのを見たことがあります。恐ろしいですね。
上総広常さんが「だって老けたっていったんだもん」でブシューっていっちゃうのもおおげさじゃないんだ
昔の矢の実物見るとこれがボカスカ刺さるの!?ヤバすぎでは!?ってなるよね。
でも戦後は時宗はちゃんとお寺を建立して戦死した日本兵や元軍兵士達を弔ってますからねー
戦国や江戸時代の武士は「鎌倉武士の様ですね」って言われるのが褒め言葉だったんだよね確か
ヒント御成敗式目
根拠はなんですか?
9:13 逆らったら滅ぼす、からの逆らうンゴで大草原人の話マジで聞かないのおもろすぎる
昔の研究「グワグワ攻めて来る」今の研究「グワグワ攻めて来る!!!!!!」
研究の結果、思った以上に勢いが違ったってことですね。わかりやすいですw
ワイルドな鎌倉武士にも一応ルールブックとして御成敗式目があるが侵略者には適用されない模様
まぁ、一応程度のルールブックですから。それにそのルールブックに諸外国の人物にも適用なんて書いてなかったんだろうし…。
@@user-rf5kb3kr6oそもそも、一応侵略者相手だから....
コイツらを武力で統一した秀吉と首輪付けて縛った家康からの徳川三代はマジで凄いし、その後にコイツらを文武両道と孝行を旨とした規則正しく情に厚い官僚戦士にした綱吉は超絶ファインプレーなんよ。
まあ、戦国時代になる頃には武士の地位も上がった影響で、メンツを重視して仏教を信仰したり、教養を身に着けたりしておとなしくなってたから…
「文武両道」と「孝行」は、綱吉の側用人柳沢吉保のブレーンで有る荻生徂徠の提案した儒教的倫理で、まぁ綱吉時代の一つの副産物に過ぎず、綱吉が前代の価値観を根こそぎ転換させる為に取った政策は、仏教的な『放生』(生類をとき放つ)と神道に根ざした『穢多』(服忌令)ですね…?
@@user-nr9dk8do7uその戦国時代でも世界最強の戦闘力と武装物質あるんですがそれは…
船上での戦闘中元兵士「どや、武士を海に落としてやったで。鎧着とるし溺れ死ぬやろ…」鎌倉武士そのまま泳いで自軍に戻って行く スイー元兵士「なんなんアイツら…もういやや!」
川よりは海の方が浮力が高いからな。川で泳げるなら波が弱い湾内なんて楽勝よ。
鎌倉武士「甲冑水泳やっといて良かった。そしてあいつら絶対やり返す。10倍の数海に落としたる。もちろん死体にしてからな」
水泳は武芸十八般に堂々と入るくらい、武士にとっては当たり前のスキルだからな。
立場が逆なら海に落とした後間髪入れずに打ってきそう
放り落としても水中から船に穴開けられるぐらいは普通にしそうなの草
冷静に考えたら、先進国ですら基本的人権やら命の価値がとか言う考えって、ここ100年そこそこの考えなんだよなぁ…
よし! 自衛隊でも鎌倉武士の戦術を一部採用しよう(ネタ)
アメリカ「日本がなかなか降伏しないな。せや!原爆と大空襲で一般人を大虐殺したろ」 78年前の事です
鎌倉武士というのは当時最高の武具で武装し、高度に訓練された首狩り族。例えるならプレデターみたいなもの。
最初の上陸の時、モンゴルは弓で敵を削ってから突撃が主体やったのに鎌倉武士が弓攻撃に全く怯まないせいで矢が無くなって陸地追い出されたって聞いたわ
つまりゴーストオブツシマの仁さんは鎌倉武士の鏡だったということか
ぶっちゃけサブキャラみんな壊れてたから叔父上だけが時代を先取りしすぎてた。てか下手したら安達殿がホントに奴らの意気を挫きかねんの草なんだ。
誉は浜(というか初めからない)で死にました
石川まじ嫌い。サブストーリーで後ろ着いて行く時、ずっと矢でヘッドショットしまくってたわ。
@ 知能実験中ゴリラ俺は石川先生が父ちゃんに似てたから好きだったわwそれはそれとして石川ディスるのも好きだったわwちなみに本人は石川大嫌いw
誉持ってる奴が稀で本土の全員が仁さんみたいな兵士って考えると草生える
江戸武士「戦国武士やべー」戦国武士「室町武士やべー」室町武士「鎌倉武士やべー」鎌倉武士「平家やべー」???「平家にあらずんば人にあらず」
平 時 忠
最強は平家
@@user-rf5kb3kr6oそしてそんなやつらをボコった源義経、木曽義仲
やられる前にやったろの精神
日本の重装備というけど対して重くないし鎌倉武士の体力はハンパなし江戸時代の飛脚もそうだけど日本人の持久力は抜群
今でも陸上のフルマラソンでもメダル獲得者が出る
金剛力士像のくだり好き
和弓も構造的には複合弓です。大まかに3層構造になっていて中打ちを内竹と外竹で挟み込んでます。威力は射手の腕によっても大きく変わります。私は高校時代に弓道部にいて何とか初段まで取りました。当時は引くのにおよそ15kg必要な弓を使ってました。部内では軽くはないですが、大して重い弓ではなく私より強い弓を引く部員もいました。私が射形に目覚めて力で引くことを考えなくなってから威力は大きく上がりました。水で固めた土塁に新品の的の上から1m位ある矢が羽の根本付近まで埋まるようになりました。高校生で弓道歴1年か2年そこらのガキがそこまで打てるのだから、当時の熟達した武士が放った矢はとんでもない威力なのは想像に難くないですね。
基本、弓を引く力Fと矢の長さSで発射のエネルギー「ジュール」が決まり、そのエネルギーをいかに短時間Tで発射するかで矢の初速が決まります。FS/Tです。
@@crowold3025 理屈で説明すればそうなるんでしょうね。その発生した力を正しく伝え、最大限利用するために射型があり、射手の腕が問われます。単純に理屈を抑えた所で強い弓は引けませんし、力任せで引いたところで無駄なく最大限パワーを利用できません。
@@user-uo6le9cc8j そうですね。また弓は矢を放ち元の形に戻るとき振動するので、これはエネルギーのロスになります。また弦の振動も同様です。面白いのは矢を放つと弓手の中で弓が反転することです。矢は放つとウナギやヘビのようにクネクネして飛翔します。これは矢の弾性のため振動してるからです。
@@crowold3025 弓が反転するのは手の内が関係してます。弓を握ってるようにみえて実は親指の根元と小指にテンションをかけて保持してます。力を込めて握ってる訳ではありません。また反転させるのは弓は左側に人体という壁があるという構成上、何もしなければ射手からみてやや右側に飛ぶように出来てます。故に的を狙う際にそのズレを考慮して操作する必要があり、手の内で弓を反転させる事で着弾位置を補正してます。どの程度の操作になるかは射手の癖や好みで変わります。矢のブレについてですが、矢を引くときに射手は腕力で引くのではなく、肩甲骨から生じたエネルギーを二の腕の下から親指の根本まで真っ直ぐに伝えます。これがきちんと作用し、無駄なく真っ直ぐなエネルギーを保持したまま離れを行うと矢はブレずに真っ直ぐに飛びます。矢が蛇行するのは射手が未熟で力の出力の方向や力の出力自体が一定ではなく、また射型が安定していないため蛇行してしまうのです。
「話が違う」狂おしいほどにすこベトナムに壊滅させられてるのにジャワ島制圧してる不思議
アメリカ「話が違う、ドイツ機の60%程度の性能しかなくて1機撃墜につき200ドルのボーナスステージだったはずやんけ…」フィリピン奪還の際34名のエースパイロットが終結したが当時トップ争いしてたトーマス・マグガイア、P-47Dに乗りスコアを伸ばしてたニール・カービィを含め半数が落とされる結果に…マジ戦闘民族
ベトナムは元の上陸軍全滅させた後に、返す刃で慌てて撤退してた陸路の別動隊9万を補足してこれも壊滅させてるから、ベトナムが強すぎるだけやと思う……
海バフある日本ジャングルバフあるベトナムバフなしで勝ったマムルーク←こいつかっこよすぎ
@@user-lf5xo8td8z 戦闘能力や戦術云々よりも地理ですね。結局ベトナム攻略出来ずにそのはるか南のジャワ島に行ってるので。通る必要性は全くありませんが
@@user-er7ve6eh1z 砂漠・荒れ地バフじゃない?
なんか鎌倉(佐助)育ちだからこういうところで鎌倉を取り上げてくれるのなんか嬉しい
対馬は見捨てていない。東北・北陸に鎌倉時代に対馬から移住させられた集落がいくつもある。
この時代の人間だったら人間にもう一度生まれ変わりたいと考えるのか…ってレベルですごすぎる、怖い
武士のひとりが捕まったとき、上皇より武士団の頭領の方がおっかねえということを朝廷の使者に言ったとかなんとか
(亀山)上皇はヘナヘナでしたよ。
うちの先祖はどうやってこんな地獄みたいな世を生き抜いて現代まで血を繋いできたんやろか…聞いた話によると商人やってたらしいが…
日本の武士は、5歳頃から武芸に励むので、二十歳頃にはもの凄い腕前になっていると中国の記録にあるようです。徴兵された兵士をアマとすれば武士はプロ。
学校で先生がものすごい情熱を持って「元寇で日本が勝ったのは運が良かっただけ!日本の武士は為す術無くやられてた!!」ってずっと言ってたのすごく印象深く覚えてる。いつもゆるい感じのトークする先生なのに。
うちは逆だったな左寄りで且つ同和問題も担当してる人だったけど元寇はお侍さんがめちゃくちゃ頑張ったから勝てたんですよ?台風でやられるって海の上にいるわけですからねって理にかなった説明してたわ
元軍の騎馬兵はめちゃくちゃに強かったらしいからなー 船旅に馬が耐えられなかったのもあるし、そもそも元寇の兵員は主に支配した南宋や高句麗で構成されてたから士気もそこまで高くなかったんだろなー
日教組はほぼ反日組織ですから
@@morimori0524当時のモンゴル人はモンゴル人以外の指揮下に入ることはない。そして元寇の指揮官は朝鮮を裏切りモンゴルに投降した朝鮮人だから、そもそもモンゴル人はほぼいない。
鎌倉武士団「誉れは浜で死んだンゴwww」
平安末期から江戸までの500年間ガチの世紀末やってたわけで、そんな時代の再来はごめん被るけどモンゴルが来たのがそのタイミングだったのは幸運やったね
九州の御家人だけで元軍をボコボコにしたという衝撃事実。。。
たしかフロイスが書き残した文書の中にも、「日本人は朝早くから仕事を始め昼には終わり、午後は武芸をやっている。武士だけではなく農民も、上から下まで皆武芸を磨いている」みたいなこと書いてあったような…室町末期だけど、鎌倉期もこんな感じだったのかなぁ
平時武芸を磨いていた農民達が、すわ戦になったら兵卒として徴兵されるってシステムだからなぁ。長曾我部の『一領具足(一揃いの武具の意味)』なんかも有名。
大変勉強になりました、鎌倉武士団はヒョットして戦国時代の武士より体格よくて体力あるのなら、当時の武士は歴史上最強ですね❗
戦国時代も当時日本にいた宣教師(斥候兼)だったかが本国に日本の武士は死を恐れず強くてやばいみたいなの送っているのでたぶんあまり変わってない
有名なイギリスの長弓も、日本の鎌倉時代の和弓も、詰まる所は素人では扱えないとんでもない力技で高威力を発揮している点ですね。イギリスの長弓の実物が沈没船から発見されて、それまでの想定より頭おかしいレベルの強弓であったが明らかになりましたが、鎌倉武士の弓もそうの類と言われています。
英国の長弓の射手達は日頃から特殊な訓練を受けていたそうですが、鎌倉時代の武士達は英国兵より矢を遠くに飛ばせたようです。
ロングボウを扱う兵士を養成するためにヨーマンに給金を支払って長い時間をかけて養成していましたから。そして軍事的にも集団戦法で、まずは雁行の陣形で曲射を行い矢の弾幕を張り(この場合の有効射程は500メートル)、そこを潜り抜けてきた敵兵に対しては直射で狙撃を行っていました。この直射の威力は17世紀の火器(マスケット銃)と比較しても圧倒的に強力で騎士の装備する鎧の背面部分にも穴が開いているものがあるほどです。つまり前面の比較的厚い装甲を貫通し、胴を貫通し、裏側の装甲を突き抜けているわけです。当時の医療技術だとこれ程の深手を負うとその1射で即死しなくとも出血多量で短時間の後に死亡しただろうと言われています。長弓兵の用いる矢の先端も鋼で作られており、この殺傷能力が驚異的で、イングランド国内ですら平時においてこの矢を持っているだけで絞首刑になるという法律があったぐらいです。
@@cleaner9773 育成に20年かかるとかそんな話を聞いたことがあります@_@;
元々ロングボウはウェールズの兵士が使っていた武器でイングランドがウェールズを征服した時に編入したらしいねその後フランスとの百年戦争でロングボウはその恐るべき威力を発揮した今まで騎士が参戦する戦いでは兵士たちが適当に戦っていずれかが負けて捕虜にされ身代金をゲットするまでが様式美だったのにロングボウは騎士の金属鎧をいとも簡単に貫通するから、捕虜になる前に死亡するのが当たり前となったそして百年戦争は次第に総力戦の様相を呈するようになってきた
農民「暖かくなってきたな、隣の村襲うか」農民「そろそろ収穫期だな、隣の村襲うか」領主「畑仕事終わったな?戦争するぞ」農民「はい」無関係な農民「おっ!あいつら敗走してるぞ!追いかけてって身ぐるみ剥いだろw抵抗したら殺すし、生け捕りにしたら奴隷として売っぱらうやで~wwwwwwww」農民「冬場は食料が不安だな、隣の村襲うか」農繁期以外はずっと略奪してる畜生集団に文明人が勝てるわけ無いだろ!
戦国時代でも落武者狩りがふつうにあったから農民はだいたいがこんなだったんだよな…恐ろしいわw
@@user-wu6jh4iq9i 落武者はほっとくと野盗になって襲って来るから仕方ないね。一人も逃すな。
ていうか鎌倉からの本隊が来る前に現地兵だけでケリつけたってな
つまり鎌倉武士じゃなく九州武士団が恐ろしいと…… ううむ、さすがは「まつろわぬ民」、「隼人民族」末裔どもよwww
当時大軍を補給出来る大都市が西日本に博多くらいしかないので、博多を狙うしかなかったらしいぞ。
百人かそこらで海岸を荒らすならともかく、万単位で朝鮮から来るなら博多以外の選択肢はない。
あと博多を避けても海上戦力(舟と人がいればok)と港(基地)が博多にあるので放置すれば大陸からの兵站線を寸断されかねない。
その鎌倉、、、今、媚中甚だしいヤツに乗っ取られたなさけない
絵巻では竹崎季長1人で敵3人に囲まれて立ち向かってる様子を描いてる様に見えるけど、実際は逃げてる敵を追撃して敵に矢を放った様子を描いた場面何だよね。しかもその放った矢が敵の目に当ててるからホント凄いわ!
よく見ると「てつはう」も竹崎側から敵の方に飛んでる
和弓現代の競技用はかなり軽く引ける張度と聴いたことありますね。そんな競技者の和弓でも、動きを教わらないと引けなかったです。
現代弓道のは張力16〜18kg鎌倉当時の和弓は50kgとか言われてるからまじおかしい。弓張るのに5人必要って記述もあるし。ちな精度抜群
@@user-sv1yj3ps3t 縦と横、弓から放たれた矢は、波打ちながら跳ぶのを和弓の研究で略図を見ました。単純な放物線の動きでも距離に合わせ縦軸の照準と横風修正大変なのに、上記の複雑な動きで流鏑馬やら騎射するって、凄まじい修練ですよね…。
鎮西八郎為朝の弓は100kg相当だったらしいです。
大規模な軍隊である蒙古軍とひとつの軍隊ではなく各地域でそれぞれ作り上げた特殊部隊の集まりみたいな鎌倉武士団とでは練度も違うのよね。それこそ1人育成するのにかかってるコストが段違い過ぎて体格、装備、練度(訓練時間)で圧倒的に勝る鎌倉武士側はエリート兵科とユニークキャラで全ユニットが構成されてるようなもの、それに加えて平坦地域に強い軽装騎兵メインの蒙古と山岳地帯特化の鎌倉武士で地の利もあればまぁ蒙古側は勝てんわな。
和弓に関しては、モンゴル側の資料には威力はあるけど射程が短いて書いてあるけど。最近の研究で武士は鎧を射抜くために確実に殺せる距離で撃ってただけで射速と携帯性以外は基本的に和弓の方が上だったらしい。
鎌倉武士にとって、矢とは相手の体のどこかではなく、急所に当てるものだからな。頭を上げていたら顔面に矢が突き刺さる世界。
弓よりも矢の質だなぁ
モンゴルの短弓は馬上で使う事を想定した作りで、上陸作戦に不向きなだけでは?それぞれの設計思想抜きに単純な比較はあまり意味ない。
@@st1338 和弓も馬上で使う事を想定した世にも珍しい長弓ですよ?歩兵戦が主流の古代中国が使ってた弓もモンゴル弓と同じ作りですので乗馬状態でも下馬状態でも性能は変わりませんよ(なんなら下馬状態の方が使いやすいはず)。
@@st1338 単純に、モンゴルには長い素材がないからデカイ弓を作る伝統がないだけ。デカイ弓は竹や木(梓など)が必要。
しかも京都や鎌倉のガチ勢がまだ到着してなかったんだよな…
???「鎌倉に帰りたい」
元寇とは・・・「元軍(南宋・朝鮮・元)」VS「九州軍(×日本)」
鎌倉武士「え?もう終わったの?遅れてスマンカッタ」「それはそれとして帰りの糧秣工面してくれん?」やぞ
@@user-ls2gn3xd1s 戦功を求めた一部の血気盛んな連中が先走ったけど、幕府や朝廷が組織するガチ本隊はまだ集結中だったような。
正確に言うと執権時宗によって出兵命令が下されたのは九州に所領を持つ御家人のみだったから京都や鎌倉のガチ勢はそもそも出させる気なかったんよw ガチエグいw
こういう砕きつつリアルな歴史が聞けるのは楽しいンゴね学校の授業は固すぎてつまらんかったもの歴史にちゃんと正しく興味を持つ人の話は小ネタ満載でニッコリよ
教科書よりも理解が深まるのが2ちゃんねるw日本国政府の教育終わっとるな。
@@user-rf5kb3kr6oそらGHQのクソみてえな歪曲歴史拡散を長年解消しようとしてない時点でお察しよ…教科書なんてゴミクズに比べたらマジでネットのほうが正しい歴史すぐ見れる時代だ(情報の見極めは大事だが)
弓について。他の似た動画でも書きましたが、実物大の和弓(長弓)を見た時は想像以上の大きさに驚きました。当時の武士の体格でこんなの引けたのか疑問でしたが、戦国時代よりも体格良かったという説で納得できました。また、いただいたコメントでも長弓の性能について驚くようなものばかりでした。ただ、弦の張替え等、人手が必要だったり、確かに局地仕様の兵科だったようにも感じますね。
弓はどんだけ強い張りでも骨に乗せて引くから引けるよ。和弓は矢の初速が遅いんだわ。どんだけ強い弓を引いても長い弦が空気抵抗を生むからね。短弓は矢の初速度は速い。ただし、それと威力は別。古流という昔の弓の引き方があって、それで引くと信じられないくらいに矢が「重く」なる。的を何枚もぶち抜く威力と当てる精度を出したいなら古流でやるしかないんだけれど、この間ネット検索しても当時やってた引き方は出てこないんだよなぁ。今のスポーツ弓道にそぐわないからかな。きっとどこかでは受け継がれていると思いたい。
江戸時代の話ではありますが京都の三十三間堂の裏廊下にて矢を射続けるっていう行事?競技?がありましてそこに化け物のような記録が残ってますね江戸時代は体格小さくなってますが、飛脚に剛力など今よりもある意味能力高そうだなーと思ってます
@@mind-craft ちょっと違うかもだけど、より実戦に近かかった頃の引き方を継いだ流派があるらしい、兵庫の方の大学の弓道部の流派にあるんだったかな
@@mind-craft様日置流や小笠原流で受け継がれているのでは?。今の弓道の元を作った人も殆ど化け物だけどね。
何が怖いって夜になって船や岸で野営しているところに抜け駆けで野戦を仕掛けて、船を燃やして糧食を強奪するくせに退却する時はあっさりと土地に固執することなく退いて迎え撃つとかいう戦法をほぼ無秩序な鎌倉武士団がことも無さげにやってる事よ。
だって、海岸は自分の土地じゃないからな。自分の土地だったら屋敷に立て込もって誰かが玉砕するぞ。
御成敗式目で書かれた禁止事項って結局、禁止されるような内容が横行したからなんだよな
それはたぶん違うよ
御成敗式目の内容って土地に関する訴訟や権利相続、現代でいうところの刑法なんだけど...まとめサイトのあの捏造具合ってどっから始まったんだろうな。
加えて、三代執権北条泰時がルールまたは世間常識が好きなタイプで、特に「道理」が好きな余り道理道理を連呼し涙まで流したとすら言われています。当然無法に近い鎌倉にも何かしからルールを作らなければならないと思ったのは容易に想像が付きます。
@@FREEDOM-vv3wu 全く調べていないので分かりませんが、そこらは無法ではなく治外法権だろうね 横行していたというよりは他の領地の御家人を裁けないとかのたぶん司法行政じゃないかなと思います これは時代はあまり関係なくどこの国や地域でも定番の問題ですからね
英博 木村泰時自身、御成敗式目が(都や朝廷なら)どのように見られるか不安だったようです(あずまえびすが公家の真似事をするかなど)。
当時の武士の常識としては一番強いのは関東(坂東武者の楽園・幕府)か畿内(まともに治められる時点で天下人)で戦国辺りでもその認識はあまり変わってないというねどんだけ最強国家であろうが「上陸作戦」ってのは恐ろしい被害が出るものよ 圧倒的優勢だったWW2終盤アメリカですら万単位の死人出すくらい命がけだったし
大河ドラマ(北条時宗)では鏑矢を蒙古が嘲笑っていました。確かにそうかもしれませんが、後々後悔したでしょうね。
サイパン島の戦いはそこまでじゃなかった、日本兵30000名に対し米兵戦死3500名日本陸軍「艦砲射撃と空襲で一掃されるな…せや!地下陣地作って隠れたろ」アメリカ「キルレ1:10笑うわwwwバンザイアタックでどうにかなると思ってんのかwwwこの分なら硫黄島とか3日、悪くても1週間やwwww」硫黄島戦後日本陸軍「だいぶうまく行ったけれど要塞の上陣取られるとアカンな、反斜面陣地で相互支援可能にしたろ」沖縄戦後アメリカ「もういやだ(精神病患者多発)沖縄でこれとか九州や本土とか無理じゃん」
アメリカはそもそも見積もり甘かったから…硫黄島も日本兵が頑張ってくれたのもあって攻略大幅に遅れてるたぶんだけど、その恨みもあって日本兵の死体ごと滑走路に埋めたんだと思ってる
ダウンフォールでは50万の死者を想定してましたからね
少し毛色は違うけれど要塞攻略戦だと英仏土連合軍「ハァハァ…12万の犠牲出して1年費やし何とか占領…」ロシア「じゃあこの要塞改良して旅順に置くか」日本「15000の死者出しました」世界「あーwwwまぁ頑張った方じゃね?w15万の犠牲者出しても3か月ちょいで終えたんだしさ・・・ん?死者いちまんごせん・・・?」
世界で唯一の重装弓騎兵と言うチート部隊近接命知らず、流鏑馬長距和弓五から7人の師団の連隊夜撃ち朝駆けのクレージーソルジャー部隊のいる修羅の国、元寇は阿吽の金剛力士像見て欲しかった
日本とヴェトナムってホントに歴史的に強かったんだね
あとエジプトもね!個人的にはアッバース朝滅ぼして勢に乗るモンゴルを撃退したバイバルスの方が凄いと思う。勿論あの戦いはモンゴルも主力投入してたわけではないけど。戦術的な駆け引きが超ハイレベルな戦いだったしね
@@MarceRonald712 あとインドのデリー王朝もモンゴルと騎兵戦を30年やり撃退している。バイバルスはシリア各地で何度もモンゴルと戦い撃退している。しかし、モンゴルが最も力をいれ最大の兵力で多額の費用をかけた侵攻は、あの「元寇」だった。
勉強になりました🙇♂️戦闘民族 鎌倉サイヤ人
昔は「何で大河ドラマ以外は元寇の事をドラマや映画、漫画でやらないんだろ?」って思ってたけど、鎌倉武士団を知れば知るほど「これはお茶の間に流しちゃいかん奴らや」って思うようになった。
誉は浜に当の昔から捨てました!(キリッ)お侍さんの戦い方じゃねぇ…バーサーカー集団「何をいうか!」
先祖が武士の本家筋の者ですが、代々「要は人頃し。」と後継ぎは聴かされていたらしいです。今はただのサラリーマンなこともあり、全くピンときません。
やべえ戦闘民族ってスパルタ兵と鎌倉武士位しか知らないから色々調べるともっとたくさんいそうで楽しそう
やべえ戦闘民族って戦前の日本に大勢いたのですよ。舩坂弘という日本兵最強といわれた人物が実は私の級友の伯父さんだったのを後で知り、驚いたことがありました。当時、世界最強といわれたグルカ兵も日本兵には脱帽し敬意をもったそうです。4千人以上が飛行機の特攻で戦死するなんて、もう人類史上ありえないことです。
ズールー族
ククリナイフで有名なグルカ兵も強いね
スパルタ兵鎌倉武士薩摩武士とかそんなのも話しにならないくらいで粉砕しそうなフサリア君
やべぇ戦闘民族というよりやべぇ戦闘狂なら世界大戦時はゴロゴロいたみたいですよ。フィンランドの白い悪魔とかドイツの赤い彗星とか何度死にかけても生き残った不死身の日本兵とかめちゃつよ女性スナイパーとか。世界大戦時はやべぇ奴らのオンパレードです。
ほ…誉れある戦いを忘れるな(震え声)
志村殿…………
同じ鎌倉武士相手ならそのとうりなんですが、異民族相手なら主人公のやり方の方が正解という。😅
誉れは浜で4んだのでセーフ
な、何を申す…
@@user-lt5dm5fy1l お侍様の戦い方じゃない
日元の弓の違いについて、確か運用上の違いもあった気がする…日本のほうが理論上射程は長いけど、毒も何もついてないシンプルなデカい矢を近づいて撃つ元は理論上は射程短いけど、軽い毒矢を最大射程で撃ってくるってきいたことある
狩猟民俗にありがちなやり方だが、戦では獣と違って鎧兜を付けてるから、いくら毒が塗ってあっても、刺さらずに表面で弾かれたら何の意味もないんだよな。
宮脇信子先生が言っておられましたが矢毒を使うのは遊牧民じゃなくて女真や扶余などツングース系狩猟民らしいですね。中華のろくに鎧も纏っていない雑兵あいてなら有効なんでしょうが、馬上射撃戦に特化し矢に対する耐性SSのような大鎧には効きづらかったんでしょうね。
私も、大河ドラマでモンゴルが毒?とは思いましたが、毒矢は恐らくモンゴル以外の民族から取り入れたでしょうね。後の朝鮮出兵でも日本側は李氏朝鮮側から毒矢を受けています。
16:55 鎌倉武士に落馬事故死の話をあまり聞かないってことは←こいつらの大元のボスでさえ落馬にやられてるやんけ!!
ま、頼朝さんの死因には諸説有りますが…
鎌倉武士と元軍の武装の違い(現代風)元 軍:ガトリングと手榴弾(武装改修済み輸送船・揚陸艇配備)鎌倉武士:戦車とロケラン(トーチカ・特攻隊配備済み)
そんなにレベルが違ったのか...分かりやすい
元軍がガトリング(手回し)なら、鎌倉武士はバルカン(電動高速回転イメージとしてゴールキーパー)と比較すると分かり安い手榴弾は、携帯用自爆ドローンになるのか?それとも、ジャベリン?
重装のおかげでやっとこ届いた敵矢も弾かれるそんで長弓は1射で貫通して2~3人を…
装備不十分のテロリストと準備万端戦争バッチコイ状態の軍隊ARMY無知な私としてはこのような解釈になりましたがどうでしょうか?
ジャイアニズム極まってんなぁ…
「てつはう」と書かれてる物は鉄砲では無く炸裂弾だからなぁ、しかも音だけ激しい見掛け倒し兵器で射程も短いから和弓からしたら何したいんだコイツら状態だったんだろうな
アレは今で言う炸裂弾、破裂と同時に小石や古釘が飛び出すんやなお鎌倉武士「なんやあれ?音と威力は凄いが手投げやん、弓で射殺したろ」と射程外から持ち手狙って和弓で集中砲火てつはう持ってると狙われると兵士が使うのを嫌がる
去年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、鎌倉幕府団を「広域暴力団源組」と揶揄してたなぁw
神職のテキトーな書物のおかげで、約約600年後の日本人どれだけ苦労したことか、、
だって幕府が公式記録を「続吾妻鑑」とかで出す前に滅亡して、史料も灰になったからな。参加した家(大友家など)の文章にしかまとまった記録は残っていない。
フビライが不憫でたまらん
16:50「武士は気性が荒々しい暴れ馬ほど名馬として好んだらしい」モンゴルサイド「なんか馬も乗ってる奴もキ○ガイじみてるんですけどぉ!」
日本人以外で騎馬に長けた定住民は古代ペルシャや古代マケドニアくらいしか無いのでは
@@FREEDOM-vv3wu ヌミディアもあるね
鎌倉武士と当時のベトナム軍戦わせたら世界が滅ぶんじゃね?
まじで修羅の国九州の武士だけでフルボッコにしてるのに本体の大援軍山口まで行ってたらしいしな(笑
九州武士団の強さに尽きる。その猛勇さは戦国時代も続き、九州では戦での戦死率が高い。
お侍様の......戦い方です(ニッコリ)
全員、虎眼流並かそれ以上ってことか…「モンゴル兵、伊達にして帰すべし」
指揮官「隊列組め!え、おい!誰や数十人で勝手に突撃するな!」部下「敵が撤退してます!」好き
飛距離は大差ないけど、鎌倉武士は重装備でそれを砕くための和弓、大して重装備じゃない装備に撃つための複合弓。威力に大きな差があります。飛距離が相違ない理由は複合弓は矢が軽いからです。単に飛距離だけじゃ弓の優劣は測れないです
ベトナムに勝った孔明はやっぱすげえのか
最高すぎてもう😇😇😇
鎌倉武士は、まるで初代護廷十三隊の面々みたいだな。敵対者は徹底して殲滅するところなんて特に。
バーサーカー鎌倉武士の話が最強ベトコン軍団の話に😂
当時、鎌倉武士もめちゃくちゃ強かった模様。対馬藩の武士だけでちょこちょこやって来る高麗軍を殲退治して鎌倉幕府に報告すらしなかった事もあったとか…。
昔の戦闘民族「やぁやぁ我こそは、どこそこの誰彼!尋常にアレし合おうぞ!」何かの構成員「てめぇやんのかコラ!俺はなんとかのなんとかだぞ!やっちまうぞ!」ってことだったのか・・・おとろしいでずぞ、こわいですぞ
しかも、やあやあ我こそを馬鹿にされ、ブチギレましたからね。
@@FREEDOM-vv3wu ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル コワイデスゾ
追記日本だけでなく当時ヨーロッパやアラビアすら、一騎打ち(名乗り?)が常識でした。
「こいつブッ◯すのは、この俺やから承認よろしく!念のために名札付けとくね♪」が近いかな。恩賞貰うには証言が必要だったし。だから敵将用の矢には目印が付いてた。
若元彌々矢には自分の家紋または名前を彫り込んでいたそうですね。
ベトナムとかいう大体の覇権国の軍隊の墓場
鎌倉に土建屋とドカタがタイムスリップしたらえらいことなるな。鎌倉武士「これは、ダンプという戦グルマか…」
田畑を開墾したり堤防や水路を整備するのに役立つな。偉いさん以外の鎌倉武士は基本的に農業経営者だから。
和弓が長弓で、かつ世界的に珍しい7対3の部分を握る弓だったのは、弥生時代後期の頃を書いた魏志倭人伝(だったと思う)に記述がある古代の梓弓なんかは単一素材の単弓だが、後世の和弓は複数の部材で構成された合成弓京都の三十三間堂の通し矢軒下を天井に当てずに的まで通す和弓の張力は半端ない(勿論、力自慢が使う剛弓だけど)金属の鎧すら貫通し、最大射程は600m前後まで届くモンゴルの短弓じゃ、最大射程は200mくらい有効射程は三分の一くらいだけど、そら弓矢の撃ち合いじゃモンゴルが日本に勝てない道理
ジンギスの弟は遠矢で800m飛ばしたという言い伝えがある。日本でも600m越えの言い伝えがある。400mクラスなら日本にごろごろいたらしい。しかし両軍とも、実戦では100m前後で雨あられと矢を降らしたのだろう。矢が何本も刺さり、ハリネズミの様な姿でモンゴル軍に突撃し切り込む武士が何人もいたらしい。
ほぼアサルトライフルやんけ
アイヌは蒙古に追いやられて北海道に南下してきたんだよな
本来なら来ていないはずの岩手県にさえ、蒙古の言い伝えがありますね(あんもじいこ)。
戦闘に関しては、日本の恥晒しってくらい惰弱だからね、アイヌは。ま、大和民族ではない土●だから仕方がないってのもあるし。
確かアイヌが大陸沿岸荒らしまくったらモンゴル召喚されて撃退されたんだっけ?
重装甲・長射程で、再考証で評価が上がる…Sd.Kfz.184みたいです
鎌倉武士とモンゴル騎馬本隊、スパルタ戦士が三ツ巴バトルしたら、もう地獄の地上再現です⚔⚔⚔
モンゴルの騎乗弓の射程80メートル。鎧は軽いなめし革。鎌倉武士団の長弓の射程200メートル。鎧は対弓矢特化の大鎧。アウトレンジ攻撃戦で勝てるわけない。
大鎧の肩から下がる長方形の鎧は、騎乗して前方に弓射する時に敵の矢を防ぐ楯の役割をする。だから日本の武者は楯も持たないのだ。
大河ドラマ「平清盛」最近見たからどんな時代だったかなんとなく想像できちゃう
スゲぇなあ…本も読まず歪曲されたエンタメでしか無い「大河ドラマ」観ただけで歴史を理解した気になれちゃうんだね…?(まぁある種の書籍やこういったスレも、相当歪曲した情報しか無いが)
捕虜を盾に…とか当時に武士道があったか知らないが仲間に生き恥を晒させるとは!て発想で逆に武士の士気上げそうだな。
和弓現代の競技用はかなり軽く引ける張度と聴いたことありますね。
そりゃ、弓道は的に当てる競技で、的を破壊する競技ではないからな。届くだけでは何の意味もない戦とはちがう。
よく、北条泰時はこんな奴等に御成敗式目を設けたと思う。
昨今では神風撃退説より、鎌倉武士による撃退説の方が有力視されてるんだよ確か
ちゃんと対価を払って犯しましょうはわろた
和姦だね
鎌倉武士の猛々しさを今ひとたび!
そういう殺伐とした世の風潮を変えるために、生類哀れみの令が施行されたって話もあるよね。
11:30 アウトレイジ攻撃は草
和弓の飛距離はわからんけど、威力は『もののけ姫』のアシタカの弓みたいなもので、当たれば腕や頭が吹き飛ぶくらいの剛弓だったらしい。
重装弓騎兵怖すぎ😅
弓道部の練習を見ると、矢の貫通力と空気を切り裂いて飛ぶ音に命の危険を感じる。
バケモンで草。祟り神ブーストなくても即死やんけ。
鉄は余裕で貫通します。
あんなヤバイ弓矢類、中国の弩(中国のボウガン)か古代ローマのバリスタくらいしか該当しないんじゃないんですかね。
日本最古の「人の嫌なことを進んでします」を実行する恐ろしい鎌倉武士
後三年の役で数えの15歳だった鎌倉権五郎景正は敵方の鳥海弥三郎に片目を射抜かれたが、景正は目に矢が刺さったまま答の矢を返し鳥海を討ち取った。自陣に帰ってきた景正の目に矢が刺さったままのをみた味方が矢を抜いてやろうと景正の顔に足をかけて矢を引き抜こうとすると景正は「武士の面体に泥脛をかけおったな!」といって味方に斬りつけようとした。それをみていた大将八幡太郎源義家は「それでこそ坂東武者だ。」といって景正を褒め称えた・・・登場人物全員気は確かか?
明日の敵ですから。
なんやこいつら‥‥
軽く夏侯惇超えてて…怖い…
サイヤ人が紳士に見える件
鎌倉権五郎景正って歌舞伎「暫」の主人公のモデルになった武将ですね。
流石の豪傑ぶり!
蛮族なのに戦闘IQは高いのまさに戦闘民族って感じで好き
倫理観が著しく欠落してるのと引き換えに有り得ない強さを手に入れた集団。
ゲンスルー「いかに冷静でイカれてるか相手に理解させるのがコツだ」
まさにコレ
モンゴル軍「自分の仲間攻撃しようとは思わないし捕虜盾にしたろw」
鎌倉武士「捕虜なんて可哀想だから殺してあげよう」
捕虜の鎌倉武士「手間かけてすまんなあ助かったわ(絶命)」
邦人がISISに捕まった時身代金でなくクソコラで対抗したの見たら
確かに渡航者の自己責任って面は強いが
鎌倉武士の血脈も感じずにいられなかったw
しかもそれに対し肯定的に感じる自分も…
@@user-tk9nb7mc9y 人質作戦が有効だと分かったらまたやられるから仕方ない
@@user-tk9nb7mc9y
人質が有効だと思ってるのなら
向こうにとっても人質は有効だろうと
イスラム教徒を人質に、としなかっただけ
現代日本人は理性的。
大日本帝国時代ならまだわからない。
人質作戦は恐喝と同じで通用すると思われたら繰り返してきやがるからこれが大正解
結論からすると鎌倉武士いて良かった。
以下は司馬遼太郎のエッセイに書かれてた内容だけど、明治以降、近代的自我が確立するにつれ日本人は激しい感情を表出しなくなったが、幕末の侍たちなどは些細なこと(現代人から見れば)で感動しては実によく涙を流しており、これが中世となると武士も庶民も現代人が想像つかぬレベルで感情の起伏が激しく、悲しみや感動に接しては号泣し、ひとたび怒れば狂ったように凶暴化していたらしい。
ちなみに大航海時代の船乗りたちの噂で、「日本人と出会ったら絶対に笑うな。奴らは笑われると怒ってカタンナという剣で襲いかかってくる」てのがあったらしい笑
昔の日本人、やはり獰猛ですわw
戦国武将とかの喜怒哀楽感情がハチャメチャなエピソードって殆ど史実なんだろうな…
確か室町時代の記録でもやっぱり笑われると下は農民町人から上は武士や僧侶まで皆切りかかって殺し合いしてた記録があるからなあ。
いや司馬遼太郎の内容間に受けちゃあかんよ。自分の創作をあたかも本当の史料から引用したかのように語るからな。
学生時代に元寇は神風によって助けられた。鎌倉武士はろくに活躍しなかったのに、褒美だけ貰おうとしたせいで世情が荒れて戦国時代へって教わってたけど、アレかなり違ってたんだな。
日本の教育てかなりやべーな。
嘘つき教育
神風で敵を倒せるなら苦労はしない
根本的な事だが、鎌倉武士の最大の奉公とは戦争に参加して戦死(負傷)することで、功績は二の次。
教科書に載ってる元寇の絵も後から反撃してるモンゴル軍が書き出されたヤツですからね。
実際は一方的に逃げまどうモンゴル軍が書かれている絵ですからね。
@@sousou3427
後からと言うか、そんなに後ではなく竹崎さん本人が生きていた頃とも云われてるがな。
@@user-zt6yw4rb1s
あのさぁ
なんで上陸に成功した侵攻側が海上で全滅するわけ?
陸戦で負けて追い落とされた結果だよな?
鎌倉時代の矢ってよくある三角形の鏃じゃなくて両刃のダガーナイフみたいなクソでかい鏃だったから直撃すれば首や腕が飛ぶ代物
アシタカクラスがそこら中にゴロゴロしている時代
鏑矢の様な形で刃先を研いだ大きなU字型の矢じりは本当に腕を切断したり顔面を半分削ぎ取ったり首を切断できたそうです。以前、youtubeの動画で人間を模した人形の首を、そんな矢で切断するのを見たことがあります。恐ろしいですね。
上総広常さんが「だって老けたっていったんだもん」でブシューっていっちゃうのもおおげさじゃないんだ
昔の矢の実物見るとこれがボカスカ刺さるの!?ヤバすぎでは!?ってなるよね。
でも戦後は時宗はちゃんとお寺を建立して戦死した日本兵や元軍兵士達を弔ってますからねー
戦国や江戸時代の武士は「鎌倉武士の様ですね」って言われるのが褒め言葉だったんだよね確か
ヒント
御成敗式目
根拠はなんですか?
9:13 逆らったら滅ぼす、からの
逆らうンゴで大草原
人の話マジで聞かないのおもろすぎる
昔の研究「グワグワ攻めて来る」
今の研究「グワグワ攻めて来る!!!!!!」
研究の結果、思った以上に勢いが違ったってことですね。
わかりやすいですw
ワイルドな鎌倉武士にも一応ルールブックとして御成敗式目があるが侵略者には適用されない模様
まぁ、一応程度のルールブックですから。
それにそのルールブックに諸外国の人物にも適用なんて
書いてなかったんだろうし…。
@@user-rf5kb3kr6o
そもそも、一応侵略者相手だから....
コイツらを武力で統一した秀吉と首輪付けて縛った家康からの徳川三代はマジで凄いし、その後にコイツらを文武両道と孝行を旨とした規則正しく情に厚い官僚戦士にした綱吉は超絶ファインプレーなんよ。
まあ、戦国時代になる頃には武士の地位も上がった影響で、メンツを重視して仏教を信仰したり、教養を身に着けたりしておとなしくなってたから…
「文武両道」と「孝行」は、綱吉の側用人柳沢吉保のブレーンで有る荻生徂徠の提案した儒教的倫理で、まぁ綱吉時代の一つの副産物に過ぎず、綱吉が前代の価値観を根こそぎ転換させる為に取った政策は、仏教的な『放生』(生類をとき放つ)と神道に根ざした『穢多』(服忌令)ですね…?
@@user-nr9dk8do7uその戦国時代でも世界最強の戦闘力と武装物質あるんですがそれは…
船上での戦闘中
元兵士「どや、武士を海に落としてやったで。鎧着とるし溺れ死ぬやろ…」
鎌倉武士そのまま泳いで自軍に戻って行く スイー
元兵士「なんなんアイツら…もういやや!」
川よりは海の方が浮力が高いからな。川で泳げるなら波が弱い湾内なんて楽勝よ。
鎌倉武士「甲冑水泳やっといて良かった。そしてあいつら絶対やり返す。10倍の数海に落としたる。もちろん死体にしてからな」
水泳は武芸十八般に堂々と入るくらい、武士にとっては当たり前のスキルだからな。
立場が逆なら海に落とした後間髪入れずに打ってきそう
放り落としても水中から船に穴開けられるぐらいは普通にしそうなの草
冷静に考えたら、先進国ですら基本的人権やら命の価値がとか言う考えって、ここ100年そこそこの考えなんだよなぁ…
よし! 自衛隊でも鎌倉武士の戦術を一部採用しよう(ネタ)
よし! 自衛隊でも鎌倉武士の戦術を一部採用しよう(ネタ)
アメリカ「日本がなかなか降伏しないな。せや!原爆と大空襲で一般人を大虐殺したろ」 78年前の事です
鎌倉武士というのは当時最高の武具で武装し、高度に訓練された首狩り族。
例えるならプレデターみたいなもの。
最初の上陸の時、モンゴルは弓で敵を削ってから突撃が主体やったのに
鎌倉武士が弓攻撃に全く怯まないせいで矢が無くなって陸地追い出されたって聞いたわ
つまりゴーストオブツシマの仁さんは鎌倉武士の鏡だったということか
ぶっちゃけサブキャラみんな壊れてたから叔父上だけが時代を先取りしすぎてた。てか下手したら安達殿がホントに奴らの意気を挫きかねんの草なんだ。
誉は浜(というか初めからない)で死にました
石川まじ嫌い。
サブストーリーで後ろ着いて行く時、ずっと矢でヘッドショットしまくってたわ。
@ 知能実験中ゴリラ
俺は石川先生が父ちゃんに似てたから好きだったわwそれはそれとして石川ディスるのも好きだったわw
ちなみに本人は石川大嫌いw
誉持ってる奴が稀で本土の全員が仁さんみたいな兵士って考えると草生える
江戸武士「戦国武士やべー」
戦国武士「室町武士やべー」
室町武士「鎌倉武士やべー」
鎌倉武士「平家やべー」
???「平家にあらずんば人にあらず」
平 時 忠
最強は平家
@@user-rf5kb3kr6oそしてそんなやつらをボコった源義経、木曽義仲
やられる前にやったろの精神
日本の重装備というけど
対して重くないし
鎌倉武士の体力はハンパなし
江戸時代の飛脚もそうだけど
日本人の持久力は抜群
今でも陸上のフルマラソンでもメダル獲得者が出る
金剛力士像のくだり好き
和弓も構造的には複合弓です。
大まかに3層構造になっていて中打ちを内竹と外竹で挟み込んでます。
威力は射手の腕によっても大きく変わります。私は高校時代に弓道部にいて何とか初段まで取りました。当時は引くのにおよそ15kg必要な弓を使ってました。部内では軽くはないですが、大して重い弓ではなく私より強い弓を引く部員もいました。
私が射形に目覚めて力で引くことを考えなくなってから威力は大きく上がりました。
水で固めた土塁に新品の的の上から1m位ある矢が羽の根本付近まで埋まるようになりました。
高校生で弓道歴1年か2年そこらのガキがそこまで打てるのだから、当時の熟達した武士が放った矢はとんでもない威力なのは想像に難くないですね。
基本、弓を引く力Fと矢の長さSで発射のエネルギー「ジュール」が決まり、そのエネルギーをいかに短時間Tで発射するかで矢の初速が決まります。FS/Tです。
@@crowold3025
理屈で説明すればそうなるんでしょうね。
その発生した力を正しく伝え、最大限利用するために射型があり、射手の腕が問われます。
単純に理屈を抑えた所で強い弓は引けませんし、力任せで引いたところで無駄なく最大限パワーを利用できません。
@@user-uo6le9cc8j そうですね。また弓は矢を放ち元の形に戻るとき振動するので、これはエネルギーのロスになります。また弦の振動も同様です。面白いのは矢を放つと弓手の中で弓が反転することです。矢は放つとウナギやヘビのようにクネクネして飛翔します。これは矢の弾性のため振動
してるからです。
@@crowold3025
弓が反転するのは手の内が関係してます。
弓を握ってるようにみえて実は親指の根元と小指にテンションをかけて保持してます。力を込めて握ってる訳ではありません。また反転させるのは弓は左側に人体という壁があるという構成上、何もしなければ射手からみてやや右側に飛ぶように出来てます。故に的を狙う際にそのズレを考慮して操作する必要があり、手の内で弓を反転させる事で着弾位置を補正してます。
どの程度の操作になるかは射手の癖や好みで変わります。
矢のブレについてですが、矢を引くときに射手は腕力で引くのではなく、肩甲骨から生じたエネルギーを二の腕の下から親指の根本まで真っ直ぐに伝えます。これがきちんと作用し、無駄なく真っ直ぐなエネルギーを保持したまま離れを行うと矢はブレずに真っ直ぐに飛びます。
矢が蛇行するのは射手が未熟で力の出力の方向や力の出力自体が一定ではなく、また射型が安定していないため蛇行してしまうのです。
「話が違う」狂おしいほどにすこ
ベトナムに壊滅させられてるのにジャワ島制圧してる不思議
アメリカ「話が違う、ドイツ機の60%程度の性能しかなくて
1機撃墜につき200ドルのボーナスステージだったはずやんけ…」
フィリピン奪還の際34名のエースパイロットが終結したが
当時トップ争いしてたトーマス・マグガイア、
P-47Dに乗りスコアを伸ばしてたニール・カービィを含め
半数が落とされる結果に…
マジ戦闘民族
ベトナムは元の上陸軍全滅させた後に、返す刃で慌てて撤退してた陸路の別動隊9万を補足してこれも壊滅させてるから、ベトナムが強すぎるだけやと思う……
海バフある日本
ジャングルバフあるベトナム
バフなしで勝ったマムルーク←こいつかっこよすぎ
@@user-lf5xo8td8z 戦闘能力や戦術云々よりも地理ですね。
結局ベトナム攻略出来ずにそのはるか南のジャワ島に行ってるので。
通る必要性は全くありませんが
@@user-er7ve6eh1z 砂漠・荒れ地バフじゃない?
なんか鎌倉(佐助)育ちだからこういうところで鎌倉を取り上げてくれるのなんか嬉しい
対馬は見捨てていない。
東北・北陸に鎌倉時代に対馬から移住させられた集落がいくつもある。
この時代の人間だったら人間にもう一度生まれ変わりたいと考えるのか…ってレベルですごすぎる、怖い
武士のひとりが捕まったとき、上皇より武士団の頭領の方がおっかねえということを朝廷の使者に言ったとかなんとか
(亀山)上皇はヘナヘナでしたよ。
うちの先祖はどうやってこんな地獄みたいな世を生き抜いて現代まで血を繋いできたんやろか…
聞いた話によると商人やってたらしいが…
日本の武士は、5歳頃から武芸に励むので、二十歳頃にはもの凄い腕前になっていると中国の記録にあるようです。徴兵された兵士をアマとすれば武士はプロ。
学校で先生がものすごい情熱を持って
「元寇で日本が勝ったのは運が良かっただけ!日本の武士は為す術無くやられてた!!」
ってずっと言ってたのすごく印象深く覚えてる。
いつもゆるい感じのトークする先生なのに。
うちは逆だったな
左寄りで且つ同和問題も担当してる人だったけど
元寇はお侍さんがめちゃくちゃ頑張ったから勝てたんですよ?
台風でやられるって海の上にいるわけですからねって
理にかなった説明してたわ
元軍の騎馬兵はめちゃくちゃに強かったらしいからなー 船旅に馬が耐えられなかったのもあるし、そもそも元寇の兵員は主に支配した南宋や高句麗で構成されてたから士気もそこまで高くなかったんだろなー
日教組はほぼ反日組織ですから
@@morimori0524当時のモンゴル人はモンゴル人以外の指揮下に入ることはない。
そして元寇の指揮官は朝鮮を裏切りモンゴルに投降した朝鮮人だから、そもそもモンゴル人はほぼいない。
鎌倉武士団「誉れは浜で死んだンゴwww」
平安末期から江戸までの500年間ガチの世紀末やってたわけで、そんな時代の再来はごめん被るけどモンゴルが来たのがそのタイミングだったのは幸運やったね
九州の御家人だけで元軍をボコボコにしたという衝撃事実。。。
たしかフロイスが書き残した文書の中にも、「日本人は朝早くから仕事を始め昼には終わり、午後は武芸をやっている。武士だけではなく農民も、上から下まで皆武芸を磨いている」みたいなこと書いてあったような…室町末期だけど、鎌倉期もこんな感じだったのかなぁ
平時武芸を磨いていた農民達が、すわ戦になったら兵卒として徴兵されるってシステムだからなぁ。長曾我部の『一領具足(一揃いの武具の意味)』なんかも有名。
大変勉強になりました、鎌倉武士団はヒョットして戦国時代の武士より体格よくて体力あるのなら、当時の武士は歴史上最強ですね❗
戦国時代も当時日本にいた宣教師(斥候兼)だったかが本国に
日本の武士は死を恐れず強くてやばいみたいなの送っているので
たぶんあまり変わってない
有名なイギリスの長弓も、日本の鎌倉時代の和弓も、詰まる所は素人では扱えないとんでもない力技で高威力を発揮している点ですね。
イギリスの長弓の実物が沈没船から発見されて、それまでの想定より頭おかしいレベルの強弓であったが明らかになりましたが、鎌倉武士の弓もそうの類と言われています。
英国の長弓の射手達は日頃から特殊な訓練を受けていたそうですが、鎌倉時代の武士達は英国兵より矢を遠くに飛ばせたようです。
ロングボウを扱う兵士を養成するためにヨーマンに給金を支払って長い時間をかけて養成していましたから。そして軍事的にも集団戦法で、まずは雁行の陣形で曲射を行い矢の弾幕を張り(この場合の有効射程は500メートル)、そこを潜り抜けてきた敵兵に対しては直射で狙撃を行っていました。この直射の威力は17世紀の火器(マスケット銃)と比較しても圧倒的に強力で騎士の装備する鎧の背面部分にも穴が開いているものがあるほどです。つまり前面の比較的厚い装甲を貫通し、胴を貫通し、裏側の装甲を突き抜けているわけです。当時の医療技術だとこれ程の深手を負うとその1射で即死しなくとも出血多量で短時間の後に死亡しただろうと言われています。
長弓兵の用いる矢の先端も鋼で作られており、この殺傷能力が驚異的で、イングランド国内ですら平時においてこの矢を持っているだけで絞首刑になるという法律があったぐらいです。
@@cleaner9773 育成に20年かかるとかそんな話を聞いたことがあります@_@;
元々ロングボウはウェールズの兵士が使っていた武器で
イングランドがウェールズを征服した時に編入したらしいね
その後フランスとの百年戦争でロングボウはその恐るべき威力を発揮した
今まで騎士が参戦する戦いでは兵士たちが適当に戦っていずれかが負けて捕虜にされ
身代金をゲットするまでが様式美だったのに
ロングボウは騎士の金属鎧をいとも簡単に貫通するから、捕虜になる前に死亡するのが当たり前となった
そして百年戦争は次第に総力戦の様相を呈するようになってきた
農民「暖かくなってきたな、隣の村襲うか」
農民「そろそろ収穫期だな、隣の村襲うか」
領主「畑仕事終わったな?戦争するぞ」
農民「はい」
無関係な農民「おっ!あいつら敗走してるぞ!追いかけてって身ぐるみ剥いだろw抵抗したら殺すし、生け捕りにしたら奴隷として売っぱらうやで~wwwwwwww」
農民「冬場は食料が不安だな、隣の村襲うか」
農繁期以外はずっと略奪してる畜生集団に文明人が勝てるわけ無いだろ!
戦国時代でも落武者狩りがふつうにあったから農民はだいたいがこんなだったんだよな…恐ろしいわw
@@user-wu6jh4iq9i
落武者はほっとくと野盗になって襲って来るから仕方ないね。一人も逃すな。
ていうか鎌倉からの本隊が来る前に現地兵だけでケリつけたってな
つまり鎌倉武士じゃなく九州武士団が恐ろしいと……
ううむ、さすがは「まつろわぬ民」、「隼人民族」末裔どもよwww
当時大軍を補給出来る大都市が西日本に博多くらいしかないので、博多を狙うしかなかったらしいぞ。
百人かそこらで海岸を荒らすならともかく、万単位で朝鮮から来るなら博多以外の選択肢はない。
あと博多を避けても海上戦力(舟と人がいればok)と港(基地)が博多にあるので放置すれば大陸からの兵站線を寸断されかねない。
その鎌倉、、、今、媚中甚だしいヤツに乗っ取られた
なさけない
絵巻では竹崎季長1人で敵3人に囲まれて立ち向かってる様子を描いてる様に見えるけど、実際は逃げてる敵を追撃して敵に矢を放った様子を描いた場面何だよね。しかもその放った矢が敵の目に当ててるからホント凄いわ!
よく見ると「てつはう」も竹崎側から敵の方に飛んでる
和弓
現代の競技用はかなり軽く引ける張度と聴いたことありますね。そんな競技者の和弓でも、動きを教わらないと引けなかったです。
現代弓道のは張力16〜18kg
鎌倉当時の和弓は50kgとか言われてるからまじおかしい。弓張るのに5人必要って記述もあるし。
ちな精度抜群
@@user-sv1yj3ps3t 縦と横、弓から放たれた矢は、波打ちながら跳ぶのを和弓の研究で略図を見ました。
単純な放物線の動きでも距離に合わせ縦軸の照準と横風修正大変なのに、上記の複雑な動きで流鏑馬やら騎射するって、凄まじい修練ですよね…。
鎮西八郎為朝の弓は100kg相当だったらしいです。
大規模な軍隊である蒙古軍とひとつの軍隊ではなく各地域でそれぞれ作り上げた特殊部隊の集まりみたいな鎌倉武士団とでは練度も違うのよね。
それこそ1人育成するのにかかってるコストが段違い過ぎて体格、装備、練度(訓練時間)で圧倒的に勝る鎌倉武士側はエリート兵科とユニークキャラで全ユニットが構成されてるようなもの、それに加えて平坦地域に強い軽装騎兵メインの蒙古と山岳地帯特化の鎌倉武士で地の利もあればまぁ蒙古側は勝てんわな。
和弓に関しては、モンゴル側の資料には威力はあるけど射程が短いて書いてあるけど。
最近の研究で武士は鎧を射抜くために確実に殺せる距離で撃ってただけで射速と携帯性以外は基本的に和弓の方が上だったらしい。
鎌倉武士にとって、矢とは相手の体のどこかではなく、急所に当てるものだからな。頭を上げていたら顔面に矢が突き刺さる世界。
弓よりも矢の質だなぁ
モンゴルの短弓は馬上で使う事を想定した作りで、上陸作戦に不向きなだけでは?それぞれの設計思想抜きに単純な比較はあまり意味ない。
@@st1338 和弓も馬上で使う事を想定した世にも珍しい長弓ですよ?
歩兵戦が主流の古代中国が使ってた弓もモンゴル弓と同じ作りですので乗馬状態でも下馬状態でも性能は変わりませんよ(なんなら下馬状態の方が使いやすいはず)。
@@st1338
単純に、モンゴルには長い素材がないからデカイ弓を作る伝統がないだけ。デカイ弓は竹や木(梓など)が必要。
しかも京都や鎌倉のガチ勢がまだ到着してなかったんだよな…
???「鎌倉に帰りたい」
元寇とは・・・
「元軍(南宋・朝鮮・元)」VS「九州軍(×日本)」
鎌倉武士「え?もう終わったの?遅れてスマンカッタ」「それはそれとして帰りの糧秣工面してくれん?」やぞ
@@user-ls2gn3xd1s 戦功を求めた一部の血気盛んな連中が先走ったけど、幕府や朝廷が組織するガチ本隊はまだ集結中だったような。
正確に言うと執権時宗によって出兵命令が下されたのは九州に所領を持つ御家人のみだったから京都や鎌倉のガチ勢はそもそも出させる気なかったんよw ガチエグいw
こういう砕きつつリアルな歴史が聞けるのは楽しいンゴね
学校の授業は固すぎてつまらんかったもの
歴史にちゃんと正しく興味を持つ人の話は小ネタ満載でニッコリよ
教科書よりも理解が深まるのが2ちゃんねるw
日本国政府の教育終わっとるな。
@@user-rf5kb3kr6oそらGHQのクソみてえな歪曲歴史拡散を長年解消しようとしてない時点でお察しよ…教科書なんてゴミクズに比べたらマジでネットのほうが正しい歴史すぐ見れる時代だ(情報の見極めは大事だが)
弓について。
他の似た動画でも書きましたが、実物大の和弓(長弓)を見た時は想像以上の大きさに驚きました。
当時の武士の体格でこんなの引けたのか疑問でしたが、戦国時代よりも体格良かったという説で納得できました。
また、いただいたコメントでも長弓の性能について驚くようなものばかりでした。
ただ、弦の張替え等、人手が必要だったり、確かに局地仕様の兵科だったようにも感じますね。
弓はどんだけ強い張りでも骨に乗せて引くから引けるよ。和弓は矢の初速が遅いんだわ。どんだけ強い弓を引いても長い弦が空気抵抗を生むからね。短弓は矢の初速度は速い。ただし、それと威力は別。古流という昔の弓の引き方があって、それで引くと信じられないくらいに矢が「重く」なる。的を何枚もぶち抜く威力と当てる精度を出したいなら古流でやるしかないんだけれど、この間ネット検索しても当時やってた引き方は出てこないんだよなぁ。今のスポーツ弓道にそぐわないからかな。きっとどこかでは受け継がれていると思いたい。
江戸時代の話ではありますが
京都の三十三間堂の裏廊下にて矢を射続けるっていう行事?競技?がありまして
そこに化け物のような記録が残ってますね
江戸時代は体格小さくなってますが、飛脚に剛力など今よりもある意味能力高そうだなーと思ってます
@@mind-craft ちょっと違うかもだけど、より実戦に近かかった頃の引き方を継いだ流派があるらしい、兵庫の方の大学の弓道部の流派にあるんだったかな
@@mind-craft様
日置流や小笠原流で受け継がれているのでは?。
今の弓道の元を作った人も殆ど化け物だけどね。
何が怖いって夜になって船や岸で野営しているところに抜け駆けで野戦を仕掛けて、船を燃やして糧食を強奪するくせに退却する時はあっさりと土地に固執することなく退いて迎え撃つとかいう戦法をほぼ無秩序な鎌倉武士団がことも無さげにやってる事よ。
だって、海岸は自分の土地じゃないからな。自分の土地だったら屋敷に立て込もって誰かが玉砕するぞ。
御成敗式目で書かれた禁止事項って結局、禁止されるような内容が横行したからなんだよな
それはたぶん違うよ
御成敗式目の内容って土地に関する訴訟や権利相続、現代でいうところの刑法なんだけど...まとめサイトのあの捏造具合ってどっから始まったんだろうな。
加えて、三代執権北条泰時がルールまたは世間常識が好きなタイプで、特に「道理」が好きな余り道理道理を連呼し涙まで流したとすら言われています。当然無法に近い鎌倉にも何かしからルールを作らなければならないと思ったのは容易に想像が付きます。
@@FREEDOM-vv3wu 全く調べていないので分かりませんが、そこらは無法ではなく治外法権だろうね 横行していたというよりは他の領地の御家人を裁けないとかのたぶん司法行政じゃないかなと思います これは時代はあまり関係なくどこの国や地域でも定番の問題ですからね
英博 木村
泰時自身、御成敗式目が(都や朝廷なら)どのように見られるか不安だったようです(あずまえびすが公家の真似事をするかなど)。
当時の武士の常識としては一番強いのは関東(坂東武者の楽園・幕府)か畿内(まともに治められる時点で天下人)で戦国辺りでもその認識はあまり変わってないというね
どんだけ最強国家であろうが「上陸作戦」ってのは恐ろしい被害が出るものよ 圧倒的優勢だったWW2終盤アメリカですら万単位の死人出すくらい命がけだったし
大河ドラマ(北条時宗)では鏑矢を蒙古が嘲笑っていました。確かにそうかもしれませんが、後々後悔したでしょうね。
サイパン島の戦いはそこまでじゃなかった、日本兵30000名に対し米兵戦死3500名
日本陸軍「艦砲射撃と空襲で一掃されるな…せや!地下陣地作って隠れたろ」
アメリカ「キルレ1:10笑うわwwwバンザイアタックでどうにかなると思ってんのかwww
この分なら硫黄島とか3日、悪くても1週間やwwww」
硫黄島戦後
日本陸軍「だいぶうまく行ったけれど要塞の上陣取られるとアカンな、反斜面陣地で相互支援可能にしたろ」
沖縄戦後
アメリカ「もういやだ(精神病患者多発)沖縄でこれとか九州や本土とか無理じゃん」
アメリカはそもそも見積もり甘かったから…
硫黄島も日本兵が頑張ってくれたのもあって攻略大幅に遅れてる
たぶんだけど、その恨みもあって日本兵の死体ごと滑走路に埋めたんだと思ってる
ダウンフォールでは50万の死者を想定してましたからね
少し毛色は違うけれど要塞攻略戦だと
英仏土連合軍「ハァハァ…12万の犠牲出して1年費やし何とか占領…」
ロシア「じゃあこの要塞改良して旅順に置くか」
日本「15000の死者出しました」
世界「あーwwwまぁ頑張った方じゃね?w
15万の犠牲者出しても3か月ちょいで終えたんだしさ
・・・ん?死者いちまんごせん・・・?」
世界で唯一の重装弓騎兵と言うチート部隊
近接命知らず、流鏑馬長距和弓五から7人の師団の連隊夜撃ち朝駆けのクレージーソルジャー部隊のいる修羅の国、元寇は阿吽の金剛力士像見て欲しかった
日本とヴェトナムってホントに歴史的に強かったんだね
あとエジプトもね!
個人的にはアッバース朝滅ぼして勢に乗るモンゴルを撃退したバイバルスの方が凄いと思う。勿論あの戦いはモンゴルも主力投入してたわけではないけど。戦術的な駆け引きが超ハイレベルな戦いだったしね
@@MarceRonald712 あとインドのデリー王朝もモンゴルと騎兵戦を30年やり撃退している。バイバルスはシリア各地で何度もモンゴルと戦い撃退している。しかし、モンゴルが最も力をいれ最大の兵力で多額の費用をかけた侵攻は、あの「元寇」だった。
勉強になりました🙇♂️
戦闘民族 鎌倉サイヤ人
昔は「何で大河ドラマ以外は元寇の事をドラマや映画、漫画でやらないんだろ?」って思ってたけど、鎌倉武士団を知れば知るほど「これはお茶の間に流しちゃいかん奴らや」って思うようになった。
誉は浜に当の昔から捨てました!(キリッ)
お侍さんの戦い方じゃねぇ…
バーサーカー集団「何をいうか!」
先祖が武士の本家筋の者ですが、代々「要は人頃し。」と後継ぎは聴かされていたらしいです。今はただのサラリーマンなこともあり、全くピンときません。
やべえ戦闘民族ってスパルタ兵と鎌倉武士位しか知らないから色々調べるともっとたくさんいそうで楽しそう
やべえ戦闘民族って戦前の日本に大勢いたのですよ。舩坂弘という日本兵最強といわれた人物が実は私の級友の伯父さんだったのを後で知り、驚いたことがありました。当時、世界最強といわれたグルカ兵も日本兵には脱帽し敬意をもったそうです。4千人以上が飛行機の特攻で戦死するなんて、もう人類史上ありえないことです。
ズールー族
ククリナイフで有名なグルカ兵も強いね
スパルタ兵鎌倉武士薩摩武士とかそんなのも話しにならないくらいで粉砕しそうなフサリア君
やべぇ戦闘民族というよりやべぇ戦闘狂なら
世界大戦時はゴロゴロいたみたいですよ。
フィンランドの白い悪魔とか
ドイツの赤い彗星とか
何度死にかけても生き残った不死身の日本兵とか
めちゃつよ女性スナイパーとか。
世界大戦時はやべぇ奴らのオンパレードです。
ほ…誉れある戦いを忘れるな(震え声)
志村殿…………
同じ鎌倉武士相手ならそのとうりなんですが、異民族相手なら主人公のやり方の方が正解という。😅
誉れは浜で4んだのでセーフ
な、何を申す…
@@user-lt5dm5fy1l お侍様の戦い方じゃない
日元の弓の違いについて、確か運用上の違いもあった気がする…
日本のほうが理論上射程は長いけど、毒も何もついてないシンプルなデカい矢を近づいて撃つ
元は理論上は射程短いけど、軽い毒矢を最大射程で撃ってくる
ってきいたことある
狩猟民俗にありがちなやり方だが、戦では獣と違って鎧兜を付けてるから、いくら毒が塗ってあっても、刺さらずに表面で弾かれたら何の意味もないんだよな。
宮脇信子先生が言っておられましたが矢毒を使うのは遊牧民じゃなくて女真や扶余などツングース系狩猟民らしいですね。
中華のろくに鎧も纏っていない雑兵あいてなら有効なんでしょうが、馬上射撃戦に特化し矢に対する耐性SSのような大鎧には効きづらかったんでしょうね。
私も、大河ドラマでモンゴルが毒?とは思いましたが、毒矢は恐らくモンゴル以外の民族から取り入れたでしょうね。後の朝鮮出兵でも日本側は李氏朝鮮側から毒矢を受けています。
16:55 鎌倉武士に落馬事故死の話をあまり聞かないってことは←こいつらの大元のボスでさえ落馬にやられてるやんけ!!
ま、頼朝さんの死因には諸説有りますが…
鎌倉武士と元軍の武装の違い(現代風)
元 軍:ガトリングと手榴弾(武装改修済み輸送船・揚陸艇配備)
鎌倉武士:戦車とロケラン(トーチカ・特攻隊配備済み)
そんなにレベルが違ったのか...
分かりやすい
元軍がガトリング(手回し)なら、鎌倉武士はバルカン(電動高速回転イメージとしてゴールキーパー)と比較すると分かり安い
手榴弾は、携帯用自爆ドローンになるのか?それとも、ジャベリン?
重装のおかげでやっとこ届いた敵矢も弾かれる
そんで長弓は1射で貫通して2~3人を…
装備不十分のテロリストと
準備万端戦争バッチコイ状態の軍隊
ARMY無知な私としては
このような解釈になりましたが
どうでしょうか?
ジャイアニズム極まってんなぁ…
「てつはう」と書かれてる物は鉄砲では無く炸裂弾だからなぁ、しかも音だけ激しい見掛け倒し兵器で射程も短いから和弓からしたら何したいんだコイツら状態だったんだろうな
アレは今で言う炸裂弾、破裂と同時に小石や古釘が飛び出すんや
なお鎌倉武士「なんやあれ?音と威力は凄いが手投げやん、弓で射殺したろ」と射程外から持ち手狙って和弓で集中砲火
てつはう持ってると狙われると兵士が使うのを嫌がる
去年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、鎌倉幕府団を「広域暴力団源組」と揶揄してたなぁw
神職のテキトーな書物のおかげで、約約600年後の日本人どれだけ苦労したことか、、
だって幕府が公式記録を「続吾妻鑑」とかで出す前に滅亡して、史料も灰になったからな。参加した家(大友家など)の文章にしかまとまった記録は残っていない。
フビライが不憫でたまらん
16:50「武士は気性が荒々しい暴れ馬ほど名馬として好んだらしい」
モンゴルサイド「なんか馬も乗ってる奴もキ○ガイじみてるんですけどぉ!」
日本人以外で騎馬に長けた定住民は古代ペルシャや古代マケドニアくらいしか無いのでは
@@FREEDOM-vv3wu ヌミディアもあるね
鎌倉武士と当時のベトナム軍戦わせたら世界が滅ぶんじゃね?
まじで修羅の国
九州の武士だけでフルボッコにしてるのに本体の大援軍山口まで行ってたらしいしな(笑
九州武士団の強さに尽きる。その猛勇さは戦国時代も続き、九州では戦での戦死率が高い。
お侍様の......戦い方です(ニッコリ)
全員、虎眼流並かそれ以上ってことか…
「モンゴル兵、伊達にして帰すべし」
指揮官
「隊列組め!え、おい!誰や数十人で勝手に突撃するな!」
部下「敵が撤退してます!」
好き
飛距離は大差ないけど、鎌倉武士は重装備でそれを砕くための和弓、大して重装備じゃない装備に撃つための複合弓。威力に大きな差があります。飛距離が相違ない理由は複合弓は矢が軽いからです。単に飛距離だけじゃ弓の優劣は測れないです
ベトナムに勝った孔明はやっぱすげえのか
最高すぎてもう😇😇😇
鎌倉武士は、まるで初代護廷十三隊の面々みたいだな。敵対者は徹底して殲滅するところなんて特に。
バーサーカー鎌倉武士の話が
最強ベトコン軍団の話に😂
当時、鎌倉武士もめちゃくちゃ強かった模様。対馬藩の武士だけでちょこちょこやって来る高麗軍を殲退治して鎌倉幕府に報告すらしなかった事もあったとか…。
昔の戦闘民族「やぁやぁ我こそは、どこそこの誰彼!尋常にアレし合おうぞ!」
何かの構成員「てめぇやんのかコラ!俺はなんとかのなんとかだぞ!やっちまうぞ!」
ってことだったのか・・・おとろしいでずぞ、こわいですぞ
しかも、やあやあ我こそを馬鹿にされ、ブチギレましたからね。
@@FREEDOM-vv3wu
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル コワイデスゾ
追記
日本だけでなく当時ヨーロッパやアラビアすら、一騎打ち(名乗り?)が常識でした。
「こいつブッ◯すのは、この俺やから承認よろしく!念のために名札付けとくね♪」が近いかな。恩賞貰うには証言が必要だったし。だから敵将用の矢には目印が付いてた。
若元彌々
矢には自分の家紋または名前を彫り込んでいたそうですね。
ベトナムとかいう大体の覇権国の軍隊の墓場
鎌倉に土建屋とドカタがタイムスリップしたらえらいことなるな。鎌倉武士「これは、ダンプという戦グルマか…」
田畑を開墾したり堤防や水路を整備するのに役立つな。偉いさん以外の鎌倉武士は基本的に農業経営者だから。
和弓が長弓で、かつ世界的に珍しい7対3の部分を握る弓だったのは、弥生時代後期の頃を書いた魏志倭人伝(だったと思う)に記述がある
古代の梓弓なんかは単一素材の単弓だが、後世の和弓は複数の部材で構成された合成弓
京都の三十三間堂の通し矢
軒下を天井に当てずに的まで通す和弓の張力は半端ない(勿論、力自慢が使う剛弓だけど)
金属の鎧すら貫通し、最大射程は600m前後まで届く
モンゴルの短弓じゃ、最大射程は200mくらい
有効射程は三分の一くらいだけど、そら弓矢の撃ち合いじゃモンゴルが日本に勝てない道理
ジンギスの弟は遠矢で800m飛ばしたという言い伝えがある。日本でも600m越えの言い伝えがある。400mクラスなら日本にごろごろいたらしい。しかし両軍とも、実戦では100m前後で雨あられと矢を降らしたのだろう。矢が何本も刺さり、ハリネズミの様な姿でモンゴル軍に突撃し切り込む武士が何人もいたらしい。
ほぼアサルトライフルやんけ
アイヌは蒙古に追いやられて北海道に南下してきたんだよな
本来なら来ていないはずの岩手県にさえ、蒙古の言い伝えがありますね(あんもじいこ)。
戦闘に関しては、日本の恥晒しってくらい惰弱だからね、アイヌは。
ま、大和民族ではない土●だから仕方がないってのもあるし。
確かアイヌが大陸沿岸荒らしまくったらモンゴル召喚されて撃退されたんだっけ?
重装甲・長射程で、再考証で評価が上がる…Sd.Kfz.184みたいです
鎌倉武士とモンゴル騎馬本隊、スパルタ戦士が三ツ巴バトルしたら、もう地獄の地上再現です⚔⚔⚔
モンゴルの騎乗弓の射程80メートル。鎧は軽いなめし革。
鎌倉武士団の長弓の射程200メートル。鎧は対弓矢特化の大鎧。
アウトレンジ攻撃戦で勝てるわけない。
大鎧の肩から下がる長方形の鎧は、騎乗して前方に弓射する時に敵の矢を防ぐ楯の役割をする。だから日本の武者は楯も持たないのだ。
大河ドラマ「平清盛」最近見たからどんな時代だったかなんとなく想像できちゃう
スゲぇなあ…本も読まず歪曲されたエンタメでしか無い「大河ドラマ」観ただけで歴史を理解した気になれちゃうんだね…?(まぁある種の書籍やこういったスレも、相当歪曲した情報しか無いが)
捕虜を盾に…とか当時に武士道があったか知らないが仲間に生き恥を晒させるとは!て発想で逆に武士の士気上げそうだな。
和弓
現代の競技用はかなり軽く引ける張度と聴いたことありますね。
そりゃ、弓道は的に当てる競技で、的を破壊する競技ではないからな。届くだけでは何の意味もない戦とはちがう。
よく、北条泰時はこんな奴等に御成敗式目を設けたと思う。
昨今では神風撃退説より、鎌倉武士による撃退説の方が有力視されてるんだよ確か
ちゃんと対価を払って犯しましょうはわろた
和姦だね
鎌倉武士の猛々しさを今ひとたび!
そういう殺伐とした世の風潮を変えるために、生類哀れみの令が施行されたって話もあるよね。
11:30 アウトレイジ攻撃は草