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お坊さんがビートボックスやりながら般若心経してる動画めっちゃ好きすげーかっこいいから見た事ない人見てみて
これだけ丁寧でわかりやすい解説は珍しい。
色即是空は「(何かを見たりしたもの)によってあなたの心に想起されたもの=色は、条件反射に過ぎない(空)」でかなりの部分を説明できると思います。ここから派生して、空は「思いこみ」「勘違い」「誤解」「トラウマ」「過去の経験」なども言えると思います。色を物質、空は物質がなくなってしまってエネルギーだけの状態、として「色即是空」=「E=mc²」とも言えそうですし他の分野の言葉が適する説明になることもあろうかと思います。時代が下るに従い語彙は増えますので、言い換えてみると判りやすくなると思います。
この内容を大分前に知ってから、過剰に宗教や有名人の名言、論理というものに過剰な肩入れをしなくなって、いい意味で一歩だけ奥に入れた気がする。まだ、一歩なのでまだ進まないといけないけど、〇〇の亡者と言われる人たちが追い求めているのは「絶対に不変のもの」一点である事も理解できた。
メタ的な考え方になりますが、「絶対に変わらないもの」とは「この世は変化する。不変のものは無い」という法則かと。
二千年以上前にも「量子力学」に気付いた人が居た
科学でなく瞑想で真理に達する
空は、「実態がない」んじゃなくて「常態がない」と言う意味。この世の全てのものは、幻ではないが、すべて一時的な状態でしかない。仏教の基本のはずだが。
無常だからね
全ては幻であるという教えは一ミリも納得感なかったが、このコメントの内容なら理解できる。
色即是空=あなたの心に想起されたもの(思考とか感情とか)=色は、条件反射(や学習結果)に過ぎない=空で、かなりの部分を説明できると思います。(条件反射以外の現代語解釈もあろう)であれば、空は実体がないという解釈でもいいかと思います。
双極性障害で休職してたとき藁にも縋る気持ちで般若心経を写経してました。一月ほどですが…毎日1枚書いてたので…文字飛ばしてしまったり間違えたのも多かったですが…瞑想に近い感覚になってきて、鬱的な気持ちが少し和らぎました。未だに記念にとってあります。左利きで習字など下手くそなので酷いものですが…復職祈願を込めて書いていたら…ほんとに1年でちゃんと復職することができました。障害者雇用に変更したことで無理なく働けるようにもなり、神や仏を信じてるような人間ではないのですが…信じて続ける気持ちが良かったのかなぁと思いました。宗教も究極は信じるかどうかですからね。ただ、当時は意味も知らず書いてたので、この動画大変興味深く拝見させていただきました。
ギャートルズの歌詞で既に解説されていた
確かエンディングの歌でしたね。
解釈によるのかもしれないが、現代でみんな苦しんでる部分に対して昔から解をだしてるのがすごい。
釈迦如来の教えが通じなくなってしまう、という末法の世、末法思想が平安時代に広まりました。西暦1057年(永承7年)が末法の最初の年、という具合です。当たっているのかも知れませんね。
空は空想、色は実体化とすると理解しやすいと思います。想うことはすべて実体化できるけど、それは空想から生まれた儚いものという感じでしょうか? アニメやテーマパークなんかが身近ですね。そこに夢は確かにあると想い惑うのは人間のみ。
一般人には実体験として会得できない空虚な内容だけど、社会的にリスペクトされる人がこれを唱えることで人々の中で実になる、不思議な教え。
クッッッソ雑にまとめると、気のせい気のせい大丈夫。全ては気の持ちようよ!って事か。有るけど無い。全ては幻。だから悩みなんて幻なんだけど、悩むよね〜。そんな時は大丈夫って自分に言い聞かせたら心もなんだか楽になって偉い人も心が救われたんだって〜。マジ、オススメ〜。って事か。
この世はバーチャルだ、でもいいかも。
色即是空が有名だが、空即是色ともいう。意味のないようなことでも意味を持たせることができる。ゴールに何回ボールが入ったか、のような、意味の無いようなことでも、楽しみや苦しみを生むのが人生。
「空即是色」を「意味がないことに意味を持たせる」と解釈したんですね。それは正解だと思います。自分は「色即是空=あなたが思ったこと(色)は条件反射に過ぎない(空)」でかなり説明が出来そうだと思うので、「空即是色=あなたの身に付いた条件反射や学習内容・文化・教育などによって、あなたが感じるものが異なってくる」という解釈をしました。
イチコメ!自分般若心経を空で言えます。
同じく。但し、我が家は真宗大谷派だった模様。なので、本来白骨の御文を唱えないといけないんだよなぁ。
うおおおお、すげー😆👍👍👍です😳
私は漢文として覚えました
@@やまこていのっちさん、わたしは東本願寺派です。毎日読むのは正信偈でした。我が家では白骨の御文さんは葬儀の時にのみ読むと聞きました。
とどまる事を知らない時間の中でいくつもの移りゆく〜ってミスチルが歌ってたけどこれが色即是空をわかりやすく言い換えたもの。だから真理を歌ったあの曲は大ヒットした
かなり前にトリビアの泉という番組で、カラオケで般若心経を歌うことが出来るというネタがあったことを思い出した。
「(得)阿耨多羅三藐三菩提」って子供の頃に見ていたレインボーマンの変身呪文じゃないですか。般若心経を唱えてたなんてぜんぜん知りませんでした。勉強なりました。
主題歌の『行けレインボーマン』の歌詞に ♪インドの山奥で修行して ダイバダッタの魂やどし〜てあるんですよ。ダイバダッタさん、ブッダの弟子だったのに何度もブッダをコ⚪︎そうとした人だから、なんで?って感じなのですが…仏教界の武闘派って事かな?聖⭐︎お兄さんではディーバダッタさんとして登場する方です。
変心の呪文にいいんじゃない?
チャー定 チャー定 ハラショー チャー定❗ チャーハン定食に感動したロシア人
現代のVR技術が進みすぎて現実と区別つかないレベルになって来てるの見ると、「これが色即是空?」と思うことがある。
シミュレーション仮説なんかは特に、共通性がありますね
VRしている奴がVRゴーグルつけてVR二重体験という傑作。
@@太郎甘えん坊 さんこの世は仮想現実、という説を説明してた別チャンネルでは、ゲーム内ゲームみたいなものって言ってました。
スピリチュアルな高揚は、時に人生最高の思い出となるので宗教に
もあると思う。
猫さんを見ていると過去を懐かしんだり悔やんだりする事はないし、未来を憂う事もない。健やかなる時も病める時もただこの瞬間を全力で全うし続ける生き方をしている。人間以外の生物は多分全部そうなんだろうと思う。人間は人間にのみ備わった煩悩の悩みから逃れようとひたすら四苦八苦しているのだから皮肉なものだ。なぜ人間は悟りを開かなかったら畜生にも劣る存在なのか。ネコと和解せよ。
答えになってるかどうか自信はありませんが、自分の答えです。仏教では、輪廻転生する世界を上から 天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界 と分けています。ホモ・サピエンスはその知能故実は餓鬼界に堕ちている個体が多いのでは?という気がしています。言い換えると「知らぬが仏」でもあるし、アダムとイブがリンゴ(正確には善悪(の知識)を知る木の実)を食べたことは原罪、というあたりにも通じるかと思います。ちなみに犬猿の仲という言葉がありますが、犬(恩を忘れない)は修羅界の流儀、猿(実利最優先)は畜生界の流儀ではないかと思います。
お経の本を見ると、インドサンスクリット?で作られた時代のものと、中国語で作られた時代のものと、日本で作られたものがあるよね。考古学的に面白い部分がある。
なんか映画マトリックスの世界観な感じですね。
玄奘(げんじょう、602年 - 664年3月7日)玄奘三蔵が7世紀の人なのに、玄奘が訳した大般若経を更に要約した般若心経が5~6世紀にすでに存在しているのおかしくないですか?
コメ主さん、自分もそれちょっと引っかかりました唐の時代の僧って覚えてたんで「あれ?玄奘って七世紀の人だよね」って思ったまあ、仏教はその前から伝わって来てたと言われればそれまでなんだけど…さらに時代を遡れば法顕とか鳩摩羅什とかいますしねでも、ちょっと「あれ?」ってなったんです
玄奘より前に鳩摩羅什も大般若経を翻訳していて、羅什訳では大品般若経という。ちなみにサンスクリットの原題はカタカナで書くと「マハー・プラジュニャー・パーラミター・スートラム」スートラムは漢字で修多羅(しゅたら)と音写され経のこと。マハーは大、プラジュニャー(パーリ語ではパンニャー、音写して般若、意味は智慧)パーラミターは音写して波羅密多、又は波羅蜜とも。意味は完成。漢訳では到彼岸(悟りに至る)とか度(=渡。迷いの此岸から悟りの彼岸に渡ること)と訳される。羅什は本経と合わせて竜樹による注釈書も訳しており、それを「大智度論」または原題を音写して摩訶般若波羅蜜多論という。論は経の解釈書のこと。ちなみに空は動画では実体のない幻と解釈されており、一般的な解釈ではあるが、空の意味については諸説あり、非常に難解である。自分が一番納得したのは故・上田義文博士の解釈で、上田博士は初期唯識説の無分別智の文脈で空を解釈している。つまり空は有無の分別を超越した絶対無であり、絶対無は有ると無いとを分別しない。だから五蘊=存在(有)は空(無)であり、空は五蘊である。無(無分別)は悟り、涅槃で有(分別)は迷い、生死を意味する。この二者は一方であれば他方ではないという否定的対立の関係にあるが、同時に一方より他に他方はない。煩悩より他に菩提=悟りはなく、菩提より他に煩悩はない。苦の解決を求めるのは煩悩だが、その煩悩より他に悟りはないというものだ。だから私達はどんな苦難の時にも真剣に、かつ前向きに幸せになろうと努力すべきなのだ。自他の人生を神聖なものとして尊重すべきなのだ。
大般若経も般若心経も玄奘が訳すずっと前にサンスクリットだかパーリ語だか知らんがすでに存在していたんですよ。何にもおかしくない。
空の考え方については井筒俊彦『意識と本質』で他の宗教の“本質”への考え方と対比されて論じられているのが面白かった。
空とは全ての概念や物資などの分化して捉えられる存在と捉えられない存在そのものであってそれらは等質の空の現れだ。つまりあらゆる存在を空が成立させていて一連托生のように地続きであるが、成立させられる存在こそ成立させている等質の空そのものである。成立させられている存在が変化しても成立させている空は等質である。一切の分化が存在しない空の状態では分化がないのだから全ての概念や存在がない。しかし無ではない。有も無も包含した等質の空の状態だ。そこから分化した現れの世界も空が成立させているが同化していて対立するものではない。この世界は現れだから不変ではないが、等質の空が同化して支えている。一切皆空。現象は変化してもその現象そのものも等質な空であるということ。この世は幻と言ってもその幻も空そのものである以上決してどうでも良くはない。空は不滅。虚しくなるのではなく、良い幻にするのが人の努め。
> 空は不滅。虚しくなるのではなく、良い幻にするのが人の努め。ここには痛く同感します。
空諦、仮諦、中諦の三諦についても教えて欲しいです~
今風にわかりやすく簡単に言うと、この世界はヴァーチャルだ、ってことですよね、信じるか否かは別として。
色とは容有るモノ、空とは容の無いモノ。 色即是空 空即是色、は 色=空 と云う名詞的な意味で無く副詞的な意味、よって容有るモノは容無いモノの性質を含む、容無いモノは容有るモノの性質を含む、だから全ては諸行無常、変化しないモノは無い。 変化するモノに 執着 をするから其の不条理から苦しみが産まれる。 全ては変化するのだから 執着 を無くせば 苦しみ から解き放たれる。
その解釈も正解だと思います。万物は流転するとか、形あるものは壊れ生きているものはタヒぬ、とも言われます。
「みんなで悟るぜ、ワッショイ!」これでしょうね。インド人ぽさがよく出ているまさに真言です。
期待するな、執着するな、天国も地獄もない、全てはただの幻である。
般若心経は初音ミクで覚えたポップだよね般若心経
自分もそれで覚えた。お寺に御朱印もらいに行く時のBGMや心霊スポット行く時の魔除けとして、今でも般若心経ロックの方を流してるw
この世は仮想現実である説みたいな内容なんですねびっくり
そうじゃないがな
いや、違うけど
現実から一歩ひいて考える、て意味です。
この世が仮想現実だったとして、その外にはその「仮想」を設定した「現実」の誰かがいて、その「現実」は「仮想」より重要なものだと我々は思いがちだけど、般若心経はそうじゃない。この世だろうが、その外だろうが、「全て等しく無価値」。逆に言うと、我々の側から見たゲームの中や本の中の世界も、外の現実と同じ。入れ子構造がどうなっていようと実際に我々がどの位置にいようと関係なく、どの世界もどの空間も全て幻で無意味でこだわる意味のない物、と、説いている。
お経の意味はわからずとも舎利弗が弟子の名前である事は漫画で知っていたので、読経中に舎利弗が出てくる度に「舎利弗!舎利弗きた!」って心の中でテンション上がってた
仏教なので菩薩や如来は仏様様かと…神様とはまた違いますよね。それにしても…漢語に訳して600巻、それをギュっとして300文字程。チベットやネパールとかにある摩尼車やタルチョ?旗もそうだが、回すと経を読んだのと同じ、風になびかせ読経したのと同じ意味とか…結局は人間の都合というか、勝手な考え。そういうの結構好きwでも古今東西の宗教なんてそんなもの。要は人間都合。同じ宗教なのに分裂して内戦したり、他宗教への攻撃、大事にするべき人間、女性を拷問したり…神様達がいたとして…「おい、私はそんなこと指示した?どう解釈したらそうなるの?マジでやめてくれないかな?」と向こうの世界から怒ってると思うよwそれに比べて日本神話の神達はのほほんとしているというか、島国の日本人だからか、殺伐としたものはあまりないと思いますけどね。般若心経も難しい言い方をしているが、要するに…「生きている時には色々大変なこともあるけど、つまらない事を気にせず気楽に過ごせばいいじゃね?その方が楽しいだろ」って事ですよねw
観自在菩薩とは物事の実相、あるがままをしっかり見据える修行者のことで、インチキ仏教が言う悟り段階の身分制度ではありません。この文脈でこの修行者は釈迦牟尼世尊のこと。瞑想三昧の当時を回想して弟子の舎利子に説明している形式。苫米地君は秀才だけど、ただの修行者が高位の舎利子に説明するなんておかしいと言ってたが大間違いですわ。
般若心経の「色即是空」は、「あなたの心に浮かんだ考えや感情(色)は、条件反射に過ぎない(空)」でかなり説明できるとも思います。コメ主のように「気楽に。その方が楽しいだろう」という解釈もできると思いますし、レスを付けてる川原さんの別コメには「 空は不滅。虚しくなるのではなく、良い幻にするのが人の努め。」というコメントもあり、これも正解だと思います。
『とらわれない』ことにとらわれすぎたやつが、とあるマンガで大変なことになってた記憶が…
浄土真宗では般若心経を積極的に唱えません。これは「空の思想を体得せねば、と煮詰まるのもよくない」とそういう考えであるように「私は」思います。
なぜ、サンスクリット語の大般若心経から直接日本語訳の般若心経の日本語訳を作らないのかなぁ。法華経については最近サンスクリット語から日本語訳をしたところかなり漢訳の法華経が翻訳ミスをしていたと話題になっていますが。
河口慧海が明治時代にチベットに密入国したのもまさにそういうのが理由じゃなかったっけ。慧海は、仏教の中でもかなり中国ナイズドされた黄檗宗の僧だったというのも興味深い。
少なくとも般若心経だけは、サンスクリット語のものが正倉院に眠ってるそうです。誤訳と話題になったのかなあ?
「色即是空 空即是色 この世は全て夢幻よ 目を覚ませば全て解決! 喝!」というアレですね。
あれはパフォーマンスだ。幻だぞ気にすんなで収まるもんかい。首を鋸挽きされても幻だからいいじゃん?じゃあ通り魔やったって幻だからいいじゃん?原爆落として地獄絵図にしても幻だからいいじゃん?冗談じゃない、色即是空だから色という世界を良くせにゃならん。その世界は空という永遠そのものとイコールだぞ。色即是空だから、色である悪い世の中を幻だからいいじゃんなんてやってたら、空という永遠なるものとイコールだから永遠の地獄になっちゃうぞ。ドラマで和尚がカーッツやれば、ああ目が覚めましたなんて安っぽいよな。
悟るということもないから、悟れない。
悟った、と言ってる人は、全員現実逃避家か教祖様になる。
禅宗では「すでに悟っている。何故気づかないのだ」という禅問答も見られる。
23:15…何故このお経に幽霊が寄って来るのかがちょっとわかりました💡👻
つまり映画マトリクスは、結構宗教家な話だったのですね!
その解釈も可能だと思います。優れた作品は、いろんな解釈ができるものだとも思います。
般若波羅蜜多ってファンクションパラメーターとかギャーテーギャーテーってGotoGotoとか
英語もサンスクリット語もどちらもインド・ヨーロッパ語族だし、意外に祖語は同じだったりして・・・w
人生のファンクションパラメーター!❤
宇宙の起源を科学的に探究していくとお釈迦さんの境地に近づいていくのが面白い
あのくたらさんみゃくさんぼだいレインボーマンが唱えてたよ
全人類がこの境地に至れば戦争は無くなるのだ。
量子物理学や分子生物学と親和性が高いと感じます。生物の持つ感情や感覚も、すべては物質レベルに還元される。世の中の物質の総量は不変であるので、生物であったものが死んで物質に変わり物質であったものが生物に変わる。世の中はその繰り返しである。
魂とは現在の言葉で言うと、炭素のことではないか(輪廻転生=炭素の循環をするし)と思っています。ついでに言うと、命とは水で、キリスト教で言う「神」はDNA、天使はウイルス、神の国の住人は微生物(と植物も?)ではないかと。ここは根拠はありません。単にそう感じるだけです。え、それは色即是空だって。そうかも知れません。
凝縮の妥当性?
じつはうちは日蓮宗なので般若心経を唱えることはないのだが、ある時これを聞く機会があって、その時わしが感じたのは「レインボーマンの変身呪文じゃねえかww」だったww
日蓮宗は「法華経だけ知っていればいい。他の経を知ると迷うから知らない方がいい」という考えのようです。
@ そのとおり。日蓮は『数ある経典の中でも法華経こそが至高! その他は邪教!』と思い至り,時の将軍(北条ナントカだっけ?)に『この法華経を日本の国教にして,その他の宗派は邪教として取り締まってください!』とまで進言した。まぁ将軍様もさすがに『何だこいつ,頭ヤバすぎだろ💧』ってドン引きして,日蓮を島流しにしたんだけどなww
とりあえずイチ❗
あんたハラミを焼いて〜焼いて〜。
吹き出してしまった!❤
一つ前の動画がキリスト教で今回が仏教なのでトリビアを一つ。実はお釈迦様は、聖ヨサファトという名前でキリスト教の聖人に加えられてたことがある。カトリックでは「あれ?どうもこいつブッダっぽくね?😱」ということで19世紀に聖人から外されたそうだが、正教会では今でも健在だとか。
もう一つ。聖書の一部が仏教経典として伝わった「世尊布施論」というのものがある。内容はマタイ福音書やルカ福音書に出てくる山上の垂訓そのもの。中国まで進出してたネストリウス派キリスト教により伝えられたもので、親鸞聖人も読んだらしい。
キリストは仏教徒だった説、をどこかで見たことがある。(出典を忘れたので大きくは言えませんが)
神様じゃなて仏様ね。
これ理解すると死ぬことも怖くないし便利やでおすすめ😂
精神的に病んでいた頃に般若心経や仏教に救いを求めましたが、まるで役に立ちませんでした。人生の教えというよりは、この世の真理を追究する感じでハードコアなんですよね。
空は全てを成立させる永遠なるものであって色即是空、空即是色だからあなたも永遠なる空そのもの。悩もうが悩むまいが空は不生不滅でご安泰。なら悩むが損損。
@@川原伸夫-p8f さんそういう理論は全く通じないのが、精神を病んでいる状態なのです。男性脳は理性脳・理論脳、女性脳は感情脳・共感脳、という話を聞いたことは無いでしょうか?女性はまず共感を求める生き物、という事です。しかし、男性でも「誰でもいいから自分に共感してくれ」という心理状態になることがあります。それが精神を病んでる時です。私も精神を病んで入院していたこともありますから、よくわかります。脳科学的に見れば、おそらくセロトニンやノルアドレナリン、ドーパミンといった伝達物質の不足と、コルチゾールといったストレス物質が蓄積した状態です。
超現代語意訳の般若心経を思い出した。動画最後に言ってるやつ。「心配すんな。大丈夫だ」
色即是空は合ってるらしいが空即是色は間違ってるらしい。
空即是色は「実体がないものであるのに、人は心にいろいろと思い描いてしまってるんだよ」と解釈ています。
みんなで悟ろうぜ!ワッショイ!って煩悩の塊のような気がしますw
ばあちゃんの葬式の時に聞いた 妙鉢の 音が込み上げて来た
三蔵法師…三冠王みたいなものか
色即是空とは、物質はエネルギーと等価でE = mc2ということ
違う、現実に執着し過ぎるな、て意味です。
@@高田修次-k1f だから、そうやって正答に囚われちゃダメなんだって…
エネルギーは空ではありません。空は概念、物質、現象、時間、次元などを成立させる永遠なるものです。それらが未分化の状態の空においては全てがないし、全てがないということもない。有無を包含した永遠の空です。分化してさまざまなことが成立しますが、それらを成立させている等質の空と同化していて対立しているどころかそのものだということです。空はものではありませんが、全ては空という同じ材質でできていていると例えます。あくまで例えです。実際には空という概念も空ですから。
@@高田修次-k1f いろんな解釈ができると思うよ。E=mc²という解釈もできると思う。量子力学が仏教の世界観に似てきた、という事も言われている。もちろん他の解釈もできる、心に想起されたもの(色)は条件反射に過ぎない(空)とか。ただ、これ以外の正解は無い、という事は無いと思う。
話に挙がってる玄奘三蔵法師の旅路、ググってみるとどう控えめに見積もっても現在と当時含めた上澄みも上澄みな肉体じゃないと到底成し得ない難易度で逆に笑えてくるというねちなみに当時の大陸では外国に行くの禁止よって厳しく定められてたらしいんだけど「うるせぇ!そんな事より経典だ!」とブッチして旅立ったロックな精神の持ち主でもあったりする
何も怖いものがないと勇気づけられる
こち亀と比較してるの草。こち亀200巻、大般若経600巻。大谷翔平11冠、藤井聡太7冠みたいな感じに比較が行われるな。ちなみに宇佐八幡宮で買った、神道の経典みたいなのの中にも般若心経は収録されている。すげー。
神仏習合の時代は僧侶が神前で誦経するのも普通だった。八幡神は、八幡大菩薩という別名があるように神仏習合の名残りが強い。
こち亀は逆に煩悩だらけ…😂
お経は、鎮魂歌。現代版なら、平井堅の「瞳を閉じて」という歌が、意味合い的にはかなり近いはず。寺によっては、無料で(大抵が、小中学生限定)寝泊まり出来て、現代訳された経典が貰える。
読経するのに集中しますからケチな悩みなど吹っ飛びますよ。本気ならね。ナマグサ坊主は色とカネ。
漢和辞典あれば、日本語訳は可能です。高校時代に試みて、以降、あだ名は日蓮となりました
日蓮は般若心経よまないのに?
日蓮は法華経一筋の押し付け他は方弁邪教らしいですよ‼️
物理学を文学的に理解していくと何故か、仏教的になる。文学を物理的に理解していくと何故か仏教的になる。と思った。ただし、人間は唯の哺乳類の一種であり元から備わっている本能は欲望ではなく、それも自然な姿であり恥じる様なものでは無いと思う。僧侶さん達はリスペクトはあるがなろうとするべきではないと思う。その線引きはその方の個性に委ねられている。
仏教では、輪廻転生する世界を上から「天界」「人間界」「修羅界」「畜生界」「餓鬼界」「地獄界」としています。本能に身を任せるのは、畜生界の所業という感覚ではないでしょうか?それでは同じことを繰り返してしまいます。本能は自然な姿とは言え、それに執着してしまうことを脱しなさい、という事ではないでしょうか?
いくら教えたってダメなやつはダメ。仏道にかろうじて縁ができただけでその人は良かった。それ以上は本人が発願しない限りムリ。レベルアップはその人なりの時期があると思う。
@@川原伸夫-p8f さん仏教では輪廻転生する世界を上から、天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界 と分けています。本能に従うだけでは、畜生界あたりから抜け出せないホモ・サピエンスで終わってしまうのでは、という気がします。
映画ルーシーのラストが仏教哲学的なのでおすすめです
色は、身体。空は、精神とか、性質だね。中とは、身体と、精神とか、性質が一体って事だね。だから、般若心経は、真理だけど、宇宙の物質面と、目に見えない精神とか、性質を説いた御経だよ。真理だけど、全てでは無い!
さらに要約すると色即是空にまとまる、ということですかね
空即是色
仏教もキリスト教も全ての欲を捨てよ、そうすれば悟りが開ける、神の御許に行ける、楽になれると言ってますね。おんなじなのですね。
全ての欲を捨てたら何枚だーになります。トドメを刺してラクにしてやれ。
そんな簡単に悟りに至る真言なんてないんだけどね。
おぼえらんねぇからマニ車回すね…
TH-camに現在言葉で唱えているのがあるのでわかりやすいですよ☝️
舎利子にダイの大冒険読ませてあげたいwww
ハドラーはその散り際に「お前らそれでもアバンの使徒か? どんなときにも希望を捨てぬことこそアバンの使徒最大の武器ではなかったのか? 俺を、偽物を倒すためにタヒんだ道化にしないでくれ」と言ったが、さしずめハドラーは悟りを開いていたのかも知れませんね。
成立の時代おかしくない?玄奘三蔵は7世紀中期の人のはずだが。
玄奘三蔵が漢語訳したのは600巻ある「大般若経」で、般若心経(要約)は紀元前から12世紀に掛けて存在する般若経典群の中の一つなので成立時期はよく判ってないそうです。
般若心経は昔、スマナ老が翻訳と内容説明してる新書で内容知った。なんか、サーリプッタ尊者を批判してる内容ってくらいしか覚えてないけど。
舎利子って、他の国でいう「チャールズ」なのかな?アメリカのジョージが、どこかで「ゲオルグ」みたいな
般若波羅蜜多 は ファンクションパラメーター に通じて、羯諦羯諦波羅羯諦 は Goto Gotoに通じそう、というコメがあって「英語もサンスクリット語も、もともとは同一の言語体系に属するから、関係あるかも」というレスが付いていました。舎利子=チャールズも、案外的を射ているのかも知れません(そういう発想はありませんでしたけど)
「投影された宇宙」という本は面白いですよ。
色即是空 拉麺悟空
玄奘三蔵法師、一休さんの名前も同じ漢字が存在しますか?はい!😂😂😂
21:10 ずんだもんようやく
つまり…恵まれた天才イケメンが虚しくなったときに、おんなじように感じた王族の「悟り」を聞いて救われた「ええじゃないか、ええじゃないか!って言ってれば、完全に理解した感じになる!」みんなでハッピーになろうぜ!(暴論
真言の日本語は言霊、言霊思想は声に出した事は成就される、だから良い言葉だけ話していれば人生に苦は無いということ?わざわざお経を唱えなくとも日本語(訳した日本語)で唱えても良くない?意味も分かりやすいし覚えやすいし伝え教え易い
サンジャヤさーーん!!
うーんサンスクリット語で書かれた原典と漢訳されたもの、日本語訳にすると原典の意味することが変わりませんか?
仏教の捉え方って好きになれないんだよな…
人生は苦なり?ここが間違ってる。
勉強はやめて坐禅を組もう単純労働反復も同じ「登校拒否」児童労働解禁
有名な話だから別に言わなくてもいいけど、あえて補足。クレヨンしんちゃんのみさえの座右の銘が『色即是空』
サンジャヤさんかわいそう
丸暗記暗唱でもわからないわかることとは違う禅宗
俗物な自分にゃよく解らんです…
知らない人に説明するためだろうけど菩薩を神様はちょっと違和感感じるな
菩薩は仏道修行者だから神様は大袈裟だな。でも人間も八百万の神の一人だから間違いとも言えない。私は菩薩を坊さんと訳している。
般若心経で重要なのって色即是空空即是色じゃなくて照見五蘊皆空じゃね?
五蘊イコール色 でいいと思う。どっちも正解だと思います。
ま~ぼ~ろ~し~~👆
餃子の王将に行ってる気分になるのはダメなんだろうな。
色即是ックス!色即是ックス!!
実際には税金上がって無いけどね
般若心経は「薬の効能書き」のような物で読み解いたところで効力は無いという(´・ω・`)「ぎゃーてー」の部分は「おまじない」みたいなものでそれ以上の意味はないともいう(´・ω・`)では、その心は?
馬の耳に念仏。空海さんだって相当に評価してます。分かる人には分かります。
悩みない。さとりない。全部ないもういい?
電気信号というバーチャルデータしか認識できない脳みそのくせに、実体が有るとか無いとか片腹痛いわ、てことか
観自在菩薩よりシャーリープトラの方が上位です。観自在菩薩は神ではなく修行者です。問答で修行者の観自在菩薩に悟りを開いている舎利子が問いかけ指導している場面です。
違います。この修行者は釈迦牟尼世尊です。瞑想三昧で得た悟りを回想形式で弟子に説明してるのです。問答ではありません。苫米地も大間違い。
観自在菩薩が修行して五蘊は皆空である(色即是空)と悟って全ての苦役から逃れた。(観自在菩薩=釈迦の事 曰く)舎利子よ、色即是空なのだよ。こういう文脈だと思います。
お坊さんがビートボックスやりながら般若心経してる動画めっちゃ好き
すげーかっこいいから見た事ない人見てみて
これだけ丁寧でわかりやすい解説は珍しい。
色即是空は「(何かを見たりしたもの)によってあなたの心に想起されたもの=色は、条件反射に過ぎない(空)」で
かなりの部分を説明できると思います。
ここから派生して、空は「思いこみ」「勘違い」「誤解」「トラウマ」「過去の経験」なども言えると思います。
色を物質、空は物質がなくなってしまってエネルギーだけの状態、として「色即是空」=「E=mc²」とも言えそうですし
他の分野の言葉が適する説明になることもあろうかと思います。
時代が下るに従い語彙は増えますので、言い換えてみると判りやすくなると思います。
この内容を大分前に知ってから、過剰に宗教や有名人の名言、論理というものに
過剰な肩入れをしなくなって、いい意味で一歩だけ奥に入れた気がする。
まだ、一歩なのでまだ進まないといけないけど、〇〇の亡者と言われる人たちが
追い求めているのは「絶対に不変のもの」一点である事も理解できた。
メタ的な考え方になりますが、「絶対に変わらないもの」とは「この世は変化する。不変のものは無い」という法則かと。
二千年以上前にも「量子力学」に気付いた人が居た
科学でなく瞑想で真理に達する
空は、「実態がない」んじゃなくて「常態がない」と言う意味。この世の全てのものは、幻ではないが、すべて一時的な状態でしかない。仏教の基本のはずだが。
無常だからね
全ては幻であるという教えは一ミリも納得感なかったが、このコメントの内容なら理解できる。
色即是空=あなたの心に想起されたもの(思考とか感情とか)=色は、条件反射(や学習結果)に過ぎない=空
で、かなりの部分を説明できると思います。(条件反射以外の現代語解釈もあろう)
であれば、空は実体がないという解釈でもいいかと思います。
双極性障害で休職してたとき藁にも縋る気持ちで般若心経を写経してました。一月ほどですが…毎日1枚書いてたので…文字飛ばしてしまったり間違えたのも多かったですが…
瞑想に近い感覚になってきて、鬱的な気持ちが少し和らぎました。未だに記念にとってあります。左利きで習字など下手くそなので酷いものですが…復職祈願を込めて書いていたら…
ほんとに1年でちゃんと復職することができました。障害者雇用に変更したことで無理なく働けるようにもなり、神や仏を信じてるような人間ではないのですが…信じて続ける気持ちが良かったのかなぁと思いました。
宗教も究極は信じるかどうかですからね。
ただ、当時は意味も知らず書いてたので、この動画大変興味深く拝見させていただきました。
ギャートルズの歌詞で既に解説されていた
確かエンディングの歌でしたね。
解釈によるのかもしれないが、現代でみんな苦しんでる部分に対して
昔から解をだしてるのがすごい。
釈迦如来の教えが通じなくなってしまう、という末法の世、末法思想が平安時代に広まりました。
西暦1057年(永承7年)が末法の最初の年、という具合です。
当たっているのかも知れませんね。
空は空想、色は実体化とすると理解しやすいと思います。想うことはすべて実体化できるけど、それは空想から生まれた儚いものという感じでしょうか? アニメやテーマパークなんかが身近ですね。そこに夢は確かにあると想い惑うのは人間のみ。
一般人には実体験として会得できない空虚な内容だけど、社会的にリスペクトされる人がこれを唱えることで人々の中で実になる、不思議な教え。
クッッッソ雑にまとめると、気のせい気のせい大丈夫。全ては気の持ちようよ!って事か。
有るけど無い。全ては幻。だから悩みなんて幻なんだけど、悩むよね〜。
そんな時は大丈夫って自分に言い聞かせたら心もなんだか楽になって偉い人も心が救われたんだって〜。マジ、オススメ〜。って事か。
この世はバーチャルだ、でもいいかも。
色即是空が有名だが、空即是色ともいう。意味のないようなことでも意味を持たせることができる。ゴールに何回ボールが入ったか、のような、意味の無いようなことでも、楽しみや苦しみを生むのが人生。
「空即是色」を「意味がないことに意味を持たせる」と解釈したんですね。それは正解だと思います。
自分は「色即是空=あなたが思ったこと(色)は条件反射に過ぎない(空)」でかなり説明が出来そうだと思うので、
「空即是色=あなたの身に付いた条件反射や学習内容・文化・教育などによって、あなたが感じるものが異なってくる」
という解釈をしました。
イチコメ!自分般若心経を空で言えます。
同じく。但し、我が家は真宗大谷派だった模様。
なので、本来白骨の御文を唱えないといけないんだよなぁ。
うおおおお、すげー😆👍👍👍です😳
私は漢文として覚えました
@@やまこていのっちさん、わたしは東本願寺派です。毎日読むのは正信偈でした。我が家では白骨の御文さんは葬儀の時にのみ読むと聞きました。
とどまる事を知らない時間の中でいくつもの移りゆく〜ってミスチルが歌ってたけどこれが色即是空をわかりやすく言い換えたもの。だから真理を歌ったあの曲は大ヒットした
かなり前にトリビアの泉という番組で、
カラオケで般若心経を歌うことが出来るというネタがあったことを思い出した。
「(得)阿耨多羅三藐三菩提」って子供の頃に見ていたレインボーマンの変身呪文じゃないですか。般若心経を唱えてたなんてぜんぜん知りませんでした。勉強なりました。
主題歌の『行けレインボーマン』の歌詞に
♪インドの山奥で修行して
ダイバダッタの魂やどし〜
てあるんですよ。
ダイバダッタさん、ブッダの弟子だったのに何度もブッダをコ⚪︎そうとした人だから、なんで?って感じなのですが…
仏教界の武闘派って事かな?
聖⭐︎お兄さんではディーバダッタさんとして登場する方です。
変心の呪文にいいんじゃない?
チャー定 チャー定 ハラショー チャー定❗ チャーハン定食に感動したロシア人
現代のVR技術が進みすぎて現実と区別つかないレベルになって来てるの見ると、「これが色即是空?」と思うことがある。
シミュレーション仮説なんかは特に、共通性がありますね
VRしている奴がVRゴーグルつけてVR二重体験という傑作。
@@太郎甘えん坊 さん
この世は仮想現実、という説を説明してた別チャンネルでは、ゲーム内ゲームみたいなものって言ってました。
スピリチュアルな高揚は、時に人生最高の思い出となるので宗教に
もあると思う。
猫さんを見ていると過去を懐かしんだり悔やんだりする事はないし、未来を憂う事もない。健やかなる時も病める時もただこの瞬間を全力で全うし続ける生き方をしている。人間以外の生物は多分全部そうなんだろうと思う。
人間は人間にのみ備わった煩悩の悩みから逃れようとひたすら四苦八苦しているのだから皮肉なものだ。なぜ人間は悟りを開かなかったら畜生にも劣る存在なのか。
ネコと和解せよ。
答えになってるかどうか自信はありませんが、自分の答えです。
仏教では、輪廻転生する世界を上から 天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界 と分けています。
ホモ・サピエンスはその知能故実は餓鬼界に堕ちている個体が多いのでは?という気がしています。
言い換えると「知らぬが仏」でもあるし、アダムとイブがリンゴ(正確には善悪(の知識)を知る木の実)を食べたことは原罪、
というあたりにも通じるかと思います。
ちなみに犬猿の仲という言葉がありますが、犬(恩を忘れない)は修羅界の流儀、猿(実利最優先)は畜生界の流儀ではないかと思います。
お経の本を見ると、インドサンスクリット?で作られた時代のものと、中国語で作られた時代のものと、日本で作られたものがあるよね。考古学的に面白い部分がある。
なんか映画マトリックスの世界観な感じですね。
玄奘(げんじょう、602年 - 664年3月7日)
玄奘三蔵が7世紀の人なのに、玄奘が訳した大般若経を更に要約した般若心経が5~6世紀にすでに存在しているのおかしくないですか?
コメ主さん、自分もそれちょっと引っかかりました
唐の時代の僧って覚えてたんで「あれ?玄奘って七世紀の人だよね」って思った
まあ、仏教はその前から伝わって来てたと言われればそれまでなんだけど…
さらに時代を遡れば法顕とか鳩摩羅什とかいますしね
でも、ちょっと「あれ?」ってなったんです
玄奘より前に鳩摩羅什も大般若経を翻訳していて、羅什訳では大品般若経という。
ちなみにサンスクリットの原題はカタカナで書くと「マハー・プラジュニャー・パーラミター・スートラム」
スートラムは漢字で修多羅(しゅたら)と音写され経のこと。
マハーは大、プラジュニャー(パーリ語ではパンニャー、音写して般若、意味は智慧)
パーラミターは音写して波羅密多、又は波羅蜜とも。意味は完成。漢訳では到彼岸(悟りに至る)とか度(=渡。迷いの此岸から悟りの彼岸に渡ること)と訳される。
羅什は本経と合わせて竜樹による注釈書も訳しており、それを「大智度論」または原題を音写して摩訶般若波羅蜜多論という。
論は経の解釈書のこと。
ちなみに空は動画では実体のない幻と解釈されており、一般的な解釈ではあるが、空の意味については諸説あり、非常に難解である。
自分が一番納得したのは故・上田義文博士の解釈で、上田博士は初期唯識説の無分別智の文脈で空を解釈している。
つまり空は有無の分別を超越した絶対無であり、絶対無は有ると無いとを分別しない。
だから五蘊=存在(有)は空(無)であり、空は五蘊である。
無(無分別)は悟り、涅槃で有(分別)は迷い、生死を意味する。
この二者は一方であれば他方ではないという否定的対立の関係にあるが、同時に一方より他に他方はない。
煩悩より他に菩提=悟りはなく、菩提より他に煩悩はない。
苦の解決を求めるのは煩悩だが、その煩悩より他に悟りはないというものだ。
だから私達はどんな苦難の時にも真剣に、かつ前向きに幸せになろうと努力すべきなのだ。
自他の人生を神聖なものとして尊重すべきなのだ。
大般若経も般若心経も玄奘が訳すずっと前にサンスクリットだかパーリ語だか知らんがすでに存在していたんですよ。何にもおかしくない。
空の考え方については井筒俊彦『意識と本質』で他の宗教の“本質”への考え方と対比されて論じられているのが面白かった。
空とは全ての概念や物資などの分化して捉えられる存在と捉えられない存在そのものであってそれらは等質の空の現れだ。つまりあらゆる存在を空が成立させていて一連托生のように地続きであるが、成立させられる存在こそ成立させている等質の空そのものである。成立させられている存在が変化しても成立させている空は等質である。一切の分化が存在しない空の状態では分化がないのだから全ての概念や存在がない。しかし無ではない。有も無も包含した等質の空の状態だ。そこから分化した現れの世界も空が成立させているが同化していて対立するものではない。この世界は現れだから不変ではないが、等質の空が同化して支えている。一切皆空。現象は変化してもその現象そのものも等質な空であるということ。この世は幻と言ってもその幻も空そのものである以上決してどうでも良くはない。空は不滅。虚しくなるのではなく、良い幻にするのが人の努め。
> 空は不滅。虚しくなるのではなく、良い幻にするのが人の努め。
ここには痛く同感します。
空諦、仮諦、中諦の三諦についても教えて欲しいです~
今風にわかりやすく簡単に言うと、この世界はヴァーチャルだ、ってことですよね、信じるか否かは別として。
色とは容有るモノ、空とは容の無いモノ。
色即是空 空即是色、は 色=空 と云う名詞的な意味で無く
副詞的な意味、よって容有るモノは容無いモノの性質を含む、
容無いモノは容有るモノの性質を含む、だから全ては
諸行無常、変化しないモノは無い。
変化するモノに 執着 をするから其の不条理から苦しみが産まれる。
全ては変化するのだから 執着 を無くせば 苦しみ から解き放たれる。
その解釈も正解だと思います。万物は流転するとか、形あるものは壊れ生きているものはタヒぬ、とも言われます。
「みんなで悟るぜ、ワッショイ!」これでしょうね。インド人ぽさがよく出ているまさに真言です。
期待するな、執着するな、天国も地獄もない、全てはただの幻である。
般若心経は初音ミクで覚えた
ポップだよね般若心経
自分もそれで覚えた。
お寺に御朱印もらいに行く時のBGMや心霊スポット行く時の魔除けとして、今でも般若心経ロックの方を流してるw
この世は仮想現実である説みたいな内容なんですねびっくり
そうじゃないがな
いや、違うけど
現実から一歩ひいて考える、て意味です。
この世が仮想現実だったとして、その外にはその「仮想」を設定した「現実」の誰かがいて、その「現実」は「仮想」より重要なものだと我々は思いがちだけど、般若心経はそうじゃない。この世だろうが、その外だろうが、「全て等しく無価値」。逆に言うと、我々の側から見たゲームの中や本の中の世界も、外の現実と同じ。入れ子構造がどうなっていようと実際に我々がどの位置にいようと関係なく、どの世界もどの空間も全て幻で無意味でこだわる意味のない物、と、説いている。
お経の意味はわからずとも舎利弗が弟子の名前である事は漫画で知っていたので、
読経中に舎利弗が出てくる度に「舎利弗!舎利弗きた!」って心の中でテンション上がってた
仏教なので菩薩や如来は仏様様かと…
神様とはまた違いますよね。
それにしても…
漢語に訳して600巻、それをギュっとして300文字程。
チベットやネパールとかにある摩尼車やタルチョ?旗もそうだが、
回すと経を読んだのと同じ、風になびかせ読経したのと同じ意味とか…
結局は人間の都合というか、勝手な考え。
そういうの結構好きw
でも古今東西の宗教なんてそんなもの。
要は人間都合。
同じ宗教なのに分裂して内戦したり、他宗教への攻撃、大事にするべき人間、女性を拷問したり…
神様達がいたとして…
「おい、私はそんなこと指示した?どう解釈したらそうなるの?マジでやめてくれないかな?」
と向こうの世界から怒ってると思うよw
それに比べて日本神話の神達はのほほんとしているというか、島国の日本人だからか、
殺伐としたものはあまりないと思いますけどね。
般若心経も難しい言い方をしているが、要するに…
「生きている時には色々大変なこともあるけど、つまらない事を気にせず気楽に過ごせばいいじゃね?その方が楽しいだろ」
って事ですよねw
観自在菩薩とは物事の実相、あるがままをしっかり見据える修行者のことで、インチキ仏教が言う悟り段階の身分制度ではありません。この文脈でこの修行者は釈迦牟尼世尊のこと。瞑想三昧の当時を回想して弟子の舎利子に説明している形式。苫米地君は秀才だけど、ただの修行者が高位の舎利子に説明するなんておかしいと言ってたが大間違いですわ。
般若心経の「色即是空」は、「あなたの心に浮かんだ考えや感情(色)は、条件反射に過ぎない(空)」で
かなり説明できるとも思います。
コメ主のように「気楽に。その方が楽しいだろう」という解釈もできると思いますし、レスを付けてる川原さんの別コメには
「 空は不滅。虚しくなるのではなく、良い幻にするのが人の努め。」というコメントもあり、これも正解だと思います。
『とらわれない』ことにとらわれすぎたやつが、とあるマンガで大変なことになってた記憶が…
浄土真宗では般若心経を積極的に唱えません。これは「空の思想を体得せねば、と煮詰まるのもよくない」と
そういう考えであるように「私は」思います。
なぜ、サンスクリット語の大般若心経から直接日本語訳の般若心経の日本語訳を作らないのかなぁ。法華経については最近サンスクリット語から日本語訳をしたところかなり漢訳の法華経が翻訳ミスをしていたと話題になっていますが。
河口慧海が明治時代にチベットに密入国したのもまさにそういうのが理由じゃなかったっけ。
慧海は、仏教の中でもかなり中国ナイズドされた黄檗宗の僧だったというのも興味深い。
少なくとも般若心経だけは、サンスクリット語のものが正倉院に眠ってるそうです。
誤訳と話題になったのかなあ?
「色即是空 空即是色 この世は全て夢幻よ 目を覚ませば全て解決! 喝!」というアレですね。
あれはパフォーマンスだ。幻だぞ気にすんなで収まるもんかい。首を鋸挽きされても幻だからいいじゃん?じゃあ通り魔やったって幻だからいいじゃん?原爆落として地獄絵図にしても幻だからいいじゃん?冗談じゃない、色即是空だから色という世界を良くせにゃならん。その世界は空という永遠そのものとイコールだぞ。色即是空だから、色である悪い世の中を幻だからいいじゃんなんてやってたら、空という永遠なるものとイコールだから永遠の地獄になっちゃうぞ。ドラマで和尚がカーッツやれば、ああ目が覚めましたなんて安っぽいよな。
悟るということもないから、悟れない。
悟った、と言ってる人は、全員現実逃避家か教祖様になる。
禅宗では「すでに悟っている。何故気づかないのだ」という禅問答も見られる。
23:15…
何故このお経に幽霊が寄って来るのかがちょっとわかりました💡👻
つまり映画マトリクスは、結構宗教家な話だったのですね!
その解釈も可能だと思います。
優れた作品は、いろんな解釈ができるものだとも思います。
般若波羅蜜多って
ファンクションパラメーターとか
ギャーテーギャーテーってGotoGotoとか
英語もサンスクリット語もどちらもインド・ヨーロッパ語族だし、意外に祖語は同じだったりして・・・w
人生のファンクションパラメーター!❤
宇宙の起源を科学的に探究していくとお釈迦さんの境地に近づいていくのが面白い
あのくたらさんみゃくさんぼだい
レインボーマンが唱えてたよ
全人類がこの境地に至れば戦争は無くなるのだ。
量子物理学や分子生物学と親和性が高いと感じます。生物の持つ感情や感覚も、すべては物質レベルに還元される。世の中の物質の総量は不変であるので、生物であったものが死んで物質に変わり物質であったものが生物に変わる。世の中はその繰り返しである。
魂とは現在の言葉で言うと、炭素のことではないか(輪廻転生=炭素の循環をするし)と思っています。
ついでに言うと、命とは水で、キリスト教で言う「神」はDNA、天使はウイルス、神の国の住人は微生物(と植物も?)ではないかと。
ここは根拠はありません。単にそう感じるだけです。
え、それは色即是空だって。そうかも知れません。
凝縮の妥当性?
じつはうちは日蓮宗なので般若心経を唱えることはないのだが、ある時これを聞く機会があって、その時わしが感じたのは「レインボーマンの変身呪文じゃねえかww」だったww
日蓮宗は「法華経だけ知っていればいい。他の経を知ると迷うから知らない方がいい」という考えのようです。
@
そのとおり。日蓮は『数ある経典の中でも法華経こそが至高! その他は邪教!』と思い至り,時の将軍(北条ナントカだっけ?)に『この法華経を日本の国教にして,その他の宗派は邪教として取り締まってください!』とまで進言した。まぁ将軍様もさすがに『何だこいつ,頭ヤバすぎだろ💧』ってドン引きして,日蓮を島流しにしたんだけどなww
とりあえずイチ❗
あんたハラミを焼いて〜焼いて〜。
吹き出してしまった!❤
一つ前の動画がキリスト教で今回が仏教なのでトリビアを一つ。
実はお釈迦様は、聖ヨサファトという名前でキリスト教の聖人に加えられてたことがある。
カトリックでは「あれ?どうもこいつブッダっぽくね?😱」ということで19世紀に聖人から外されたそうだが、正教会では今でも健在だとか。
もう一つ。
聖書の一部が仏教経典として伝わった「世尊布施論」というのものがある。
内容はマタイ福音書やルカ福音書に出てくる山上の垂訓そのもの。
中国まで進出してたネストリウス派キリスト教により伝えられたもので、親鸞聖人も読んだらしい。
キリストは仏教徒だった説、をどこかで見たことがある。(出典を忘れたので大きくは言えませんが)
神様じゃなて仏様ね。
これ理解すると
死ぬことも怖くないし
便利やで
おすすめ😂
精神的に病んでいた頃に般若心経や仏教に救いを求めましたが、まるで役に立ちませんでした。人生の教えというよりは、この世の真理を追究する感じでハードコアなんですよね。
空は全てを成立させる永遠なるものであって色即是空、空即是色だからあなたも永遠なる空そのもの。悩もうが悩むまいが空は不生不滅でご安泰。なら悩むが損損。
@@川原伸夫-p8f さん
そういう理論は全く通じないのが、精神を病んでいる状態なのです。
男性脳は理性脳・理論脳、女性脳は感情脳・共感脳、という話を聞いたことは無いでしょうか?
女性はまず共感を求める生き物、という事です。
しかし、男性でも「誰でもいいから自分に共感してくれ」という心理状態になることがあります。
それが精神を病んでる時です。
私も精神を病んで入院していたこともありますから、よくわかります。
脳科学的に見れば、おそらくセロトニンやノルアドレナリン、ドーパミンといった伝達物質の不足と、
コルチゾールといったストレス物質が蓄積した状態です。
超現代語意訳の般若心経を思い出した。動画最後に言ってるやつ。
「心配すんな。大丈夫だ」
色即是空は合ってるらしいが空即是色は間違ってるらしい。
空即是色は「実体がないものであるのに、人は心にいろいろと思い描いてしまってるんだよ」と解釈ています。
みんなで悟ろうぜ!ワッショイ!って煩悩の塊のような気がしますw
ばあちゃんの葬式の時に聞いた 妙鉢の 音が込み上げて来た
三蔵法師…三冠王みたいなものか
色即是空とは、物質はエネルギーと等価でE = mc2ということ
違う、現実に執着し過ぎるな、て意味です。
@@高田修次-k1f だから、そうやって正答に囚われちゃダメなんだって…
エネルギーは空ではありません。空は概念、物質、現象、時間、次元などを成立させる永遠なるものです。それらが未分化の状態の空においては全てがないし、全てがないということもない。有無を包含した永遠の空です。分化してさまざまなことが成立しますが、それらを成立させている等質の空と同化していて対立しているどころかそのものだということです。空はものではありませんが、全ては空という同じ材質でできていていると例えます。あくまで例えです。実際には空という概念も空ですから。
@@高田修次-k1f
いろんな解釈ができると思うよ。E=mc²という解釈もできると思う。
量子力学が仏教の世界観に似てきた、という事も言われている。
もちろん他の解釈もできる、心に想起されたもの(色)は条件反射に過ぎない(空)とか。
ただ、これ以外の正解は無い、という事は無いと思う。
話に挙がってる玄奘三蔵法師の旅路、ググってみるとどう控えめに見積もっても現在と当時含めた上澄みも上澄みな肉体じゃないと到底成し得ない難易度で逆に笑えてくるというね
ちなみに当時の大陸では外国に行くの禁止よって厳しく定められてたらしいんだけど「うるせぇ!そんな事より経典だ!」とブッチして旅立ったロックな精神の持ち主でもあったりする
何も怖いものがないと勇気づけられる
こち亀と比較してるの草。
こち亀200巻、大般若経600巻。大谷翔平11冠、藤井聡太7冠みたいな感じに比較が行われるな。
ちなみに宇佐八幡宮で買った、神道の経典みたいなのの中にも般若心経は収録されている。すげー。
神仏習合の時代は僧侶が神前で誦経するのも普通だった。
八幡神は、八幡大菩薩という別名があるように神仏習合の名残りが強い。
こち亀は逆に煩悩だらけ…😂
お経は、鎮魂歌。
現代版なら、平井堅の「瞳を閉じて」という歌が、意味合い的にはかなり近いはず。
寺によっては、無料で(大抵が、小中学生限定)寝泊まり出来て、現代訳された経典が貰える。
読経するのに集中しますからケチな悩みなど吹っ飛びますよ。本気ならね。ナマグサ坊主は色とカネ。
漢和辞典あれば、日本語訳は可能です。
高校時代に試みて、以降、あだ名は日蓮となりました
日蓮は般若心経よまないのに?
日蓮は法華経一筋の押し付け他は方弁邪教らしいですよ‼️
物理学を文学的に理解していくと何故か、仏教的になる。文学を物理的に理解していくと何故か仏教的になる。と思った。ただし、人間は唯の哺乳類の一種であり元から備わっている本能は欲望ではなく、それも自然な姿であり恥じる様なものでは無いと思う。僧侶さん達はリスペクトはあるがなろうとするべきではないと思う。その線引きはその方の個性に委ねられている。
仏教では、輪廻転生する世界を上から「天界」「人間界」「修羅界」「畜生界」「餓鬼界」「地獄界」としています。
本能に身を任せるのは、畜生界の所業という感覚ではないでしょうか?
それでは同じことを繰り返してしまいます。
本能は自然な姿とは言え、それに執着してしまうことを脱しなさい、という事ではないでしょうか?
いくら教えたってダメなやつはダメ。仏道にかろうじて縁ができただけでその人は良かった。それ以上は本人が発願しない限りムリ。レベルアップはその人なりの時期があると思う。
@@川原伸夫-p8f さん
仏教では輪廻転生する世界を上から、天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界 と分けています。
本能に従うだけでは、畜生界あたりから抜け出せないホモ・サピエンスで終わってしまうのでは、という気がします。
映画ルーシーのラストが仏教哲学的なのでおすすめです
色は、身体。空は、精神とか、性質だね。中とは、身体と、精神とか、性質が一体って事だね。
だから、般若心経は、真理だけど、宇宙の物質面と、目に見えない精神とか、性質を説いた御経だよ。真理だけど、全てでは無い!
さらに要約すると色即是空にまとまる、ということですかね
空即是色
仏教もキリスト教も全ての欲を捨てよ、そうすれば悟りが開ける、神の御許に行ける、楽になれると言ってますね。
おんなじなのですね。
全ての欲を捨てたら何枚だーになります。トドメを刺してラクにしてやれ。
そんな簡単に悟りに至る真言なんてないんだけどね。
おぼえらんねぇからマニ車回すね…
TH-camに現在言葉で唱えているのがあるのでわかりやすいですよ☝️
舎利子にダイの大冒険読ませてあげたいwww
ハドラーはその散り際に
「お前らそれでもアバンの使徒か? どんなときにも希望を捨てぬことこそアバンの使徒最大の武器ではなかったのか?
俺を、偽物を倒すためにタヒんだ道化にしないでくれ」
と言ったが、さしずめハドラーは悟りを開いていたのかも知れませんね。
成立の時代おかしくない?玄奘三蔵は7世紀中期の人のはずだが。
玄奘三蔵が漢語訳したのは600巻ある「大般若経」で、般若心経(要約)は紀元前から12世紀に掛けて存在する般若経典群の中の一つなので成立時期はよく判ってないそうです。
般若心経は昔、スマナ老が翻訳と内容説明してる新書で内容知った。なんか、サーリプッタ尊者を批判してる内容ってくらいしか覚えてないけど。
舎利子って、他の国でいう「チャールズ」なのかな?
アメリカのジョージが、どこかで「ゲオルグ」みたいな
般若波羅蜜多 は ファンクションパラメーター に通じて、羯諦羯諦波羅羯諦 は Goto Gotoに通じそう、というコメがあって
「英語もサンスクリット語も、もともとは同一の言語体系に属するから、関係あるかも」というレスが付いていました。
舎利子=チャールズも、案外的を射ているのかも知れません(そういう発想はありませんでしたけど)
「投影された宇宙」という本は面白いですよ。
色即是空 拉麺悟空
玄奘三蔵法師、一休さんの名前も同じ漢字が存在しますか?はい!😂😂😂
21:10 ずんだもんようやく
つまり…
恵まれた天才イケメンが虚しくなったときに、おんなじように感じた王族の「悟り」を聞いて救われた
「ええじゃないか、ええじゃないか!って言ってれば、完全に理解した感じになる!」
みんなでハッピーになろうぜ!
(暴論
真言の日本語は言霊、言霊思想は声に出した事は成就される、だから良い言葉だけ話していれば人生に苦は無いということ?
わざわざお経を唱えなくとも日本語(訳した日本語)で唱えても良くない?意味も分かりやすいし覚えやすいし伝え教え易い
サンジャヤさーーん!!
うーんサンスクリット語で書かれた原典と漢訳されたもの、日本語訳にすると原典の意味することが変わりませんか?
仏教の捉え方って好きになれないんだよな…
人生は苦なり?ここが間違ってる。
勉強はやめて坐禅を組もう単純労働反復も同じ「登校拒否」児童労働解禁
有名な話だから別に言わなくてもいいけど、あえて補足。
クレヨンしんちゃんのみさえの座右の銘が
『色即是空』
サンジャヤさんかわいそう
丸暗記暗唱でもわからないわかることとは違う禅宗
俗物な自分にゃよく解らんです…
知らない人に説明するためだろうけど菩薩を神様はちょっと違和感感じるな
菩薩は仏道修行者だから神様は大袈裟だな。でも人間も八百万の神の一人だから間違いとも言えない。私は菩薩を坊さんと訳している。
般若心経で重要なのって色即是空空即是色じゃなくて照見五蘊皆空じゃね?
五蘊イコール色 でいいと思う。どっちも正解だと思います。
ま~ぼ~ろ~し~~👆
餃子の王将に行ってる気分になるのはダメなんだろうな。
色即是ックス!
色即是ックス!!
実際には税金上がって無いけどね
般若心経は「薬の効能書き」のような物で読み解いたところで効力は無いという(´・ω・`)「ぎゃーてー」の部分は「おまじない」みたいなものでそれ以上の意味はないともいう(´・ω・`)では、その心は?
馬の耳に念仏。空海さんだって相当に評価してます。分かる人には分かります。
悩みない。さとりない。全部ないもういい?
電気信号というバーチャルデータしか認識できない脳みそのくせに、実体が有るとか無いとか片腹痛いわ、てことか
観自在菩薩よりシャーリープトラの方が上位です。観自在菩薩は神ではなく修行者です。問答で修行者の観自在菩薩に悟りを開いている舎利子が問いかけ指導している場面です。
違います。この修行者は釈迦牟尼世尊です。瞑想三昧で得た悟りを回想形式で弟子に説明してるのです。問答ではありません。苫米地も大間違い。
観自在菩薩が修行して五蘊は皆空である(色即是空)と悟って全ての苦役から逃れた。
(観自在菩薩=釈迦の事 曰く)舎利子よ、色即是空なのだよ。
こういう文脈だと思います。