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素晴らしい動画でした。感銘を受けました。ありがとうございます。
これは面白かったです。娯楽小説の三国志を読んでるだけでは絶対にわからない真実ですね。小説内では「名士」って出てきても、あー名士ねって感じでそんなに重要なキーワードだとは思えないのですが、名実上の魏国の支配者だったのですね。娯楽小説もゲームの三国志も、前線を担当する武将にばかりスポットを当てるので勘違いしてしまいますが、実際に国家内で決定権や支配力を発揮していたのは文官や官僚なんでしょうね。
三國志は大好きなのでこのような説明はすごいわかりやすいです。これからもいろいろ教えて下さい。
三国無双にハマって世界史が好きになり、世界史が出来ることで他の教科にも自信を持って取り組めるようになった自分にとって、勉強の楽しみの原点を追体験出来るこのチャンネルは最高過ぎます。感謝。
試験に出る三国志ゆっくり赤壁ちゃんねる‐学べる三國志‐鳥人間 中国史三昧個人的にはこのチャンネルも結構よかったな
史実に基づきしっかりと分析されている実に素晴らしい動画だと思いました。
卑弥呼さんが使いを出した239年はそんな混乱の時期だったんですね
かなりの力作、作るの大変だろうなぁ動画も上手いし話しも面白い
曹一族は一族を遠ざけた結果、司馬一族に乗っ取りを許した。そして晋王朝が鼎立して今度は司馬一族で固めたら、八王の乱が起こった。身内を遠ざけるのも固めるのも良くないことを三国志で学んだ。
ほどほどが難しい
官渡の戦いで豊かな華北を曹操が手に入れたのはいいんだけど、この時既に曹操が45歳で、袁一族の支配地域を併呑したことによる急拡大での統制の低下と、トップの加齢が噛み合っちゃった印象がありますね。やはり、一代ですべてを手に入れるには広すぎた時代なんでしょう。
三国志 Three Kingdomsの司馬懿がクーデター起こすあたりの描写は集大成って感じで正直好き
曹一族夏侯一族が当時失政続きでこのままだと魏が崩壊してしまうという思いからのクーデターですよね。あくまで司馬懿は魏の臣下としての行動で、簒奪の意思は無かったと考えられてもいます。
素晴らしい解説をありがとうございます。個人的に高平陵の変は好き。熱き三国時代に引導を渡した晋だが、それも呆気なく終わるところが中国の歴史のハチャメチャさと儚さが感じられる。ところで、何故司馬師や司馬昭のイラストがないのだろう。個人的に郭淮将軍や陳羣も欲しい。
魏を滅亡に追いやった司馬氏の晋も結局すぐに滅亡してしまうから、三国志の時代には結局勝者なんていなかったのではって思ってしまうなぁ
まぁ、強いて言えば鮮卑や匈奴などの異民族。
そして司馬一族は身内で血で血を洗って自ら滅ぶ
所謂八王の乱。
夢中で43分が過ぎました。素晴らしい動画ありがとうございます!
曹魏の権威を確立できないまま曹丕曹叡が死んじゃったのがね名士国家らしい最期かなと
三国志とかまったく詳しくもないのですが 語りが速くて面白く 長尺なのに最後まで観てしまいました
曹植と曹丕の対立を曹操が支配する漢と魏の対立という切り口から見る考察は目から鱗でした。
呉で言う二宮の変の魏バージョン。
まあ曹操が長男曹丕を後継者に推したのも当時はまだ蜀の劉備や呉の孫権も居たし魏の周りはまだまだ敵だらけだったので文に寄りすぎた弟の曹植よりかは文武に優れていた曹丕の力に期待していたのもあっただろう。
実際には曹植も従軍してたし後の曹丕の戦下手っぷりを考えればなんとも
そもそも三国志に文武なんて括りはなく、全員頭使って軍動かしてたからな将同士の一騎打ちなんて無いし、将が戦うってことはよっぽど切迫した状況でしかない
これだけ病死が多かったら毒殺もあったんじゃないかと思うな
とてもわかりやすい説明有難う御座います!曹操という乱世の英雄の下で虎視眈々と権力をも狙っていた司馬懿とも読み取れました。曹操の偉大さがよりわかりました
同姓なだけで関係ないのは分かってるけど、重職に司馬懿を置いて魏が乗っ取られるきっかけになった進言をした人物が、劉氏と孫氏なの面白すぎる
22:25 本当ですね!面白いです。劉放と孫資。
分かりやさと面白さが両立していて、見ていてとても楽しかったです😳出来事の裏に潜むそれぞれの思惑なども細かく拾われていてお気に入りの動画の一つになりました。これからも活動応援しております。
曹丕時代になってからはよくある歴史の一幕に感じてしまうあたり、曹操時代にとても魅力を感じますね。
司馬氏は晋統一するも一族に権力与えた結果八王の乱が起き、やがて永嘉の乱からの五胡十六国時代へ進んでいった。
しかも一族に強い権力を与えた理由がかつて自分達が滅ぼした魏(曹一族)に権力者がいなかったため、権力者になった司馬一族に対抗できる者がなく滅んだためっていうのもなんとも、、、🤔
曹丕と曹植の後継者問題ってよく言われるけど兄の曹丕が25歳の時、副丞相に任命され、曹植が25の時には留守を守る諸侯と同程度の扱いでだから、正直迷っていたとは言い難いと思う。曹植が26の時には曹丕は太子に指名されてるし、かなり早い段階で評価は定まっていたようにみえる。
なのに内密で重臣らに曹植どう?って聞く曹操さんよ…
いい解説
日本は卑弥呼が居た時代だろ?組織力あまりにも高すぎるし頭いい人間多すぎるね文字や文献もそうだけど
軍師かくの助言がターニングポイントでしたね。他にも相談できる優秀な軍師が大勢いたのに。
よく理解出来ていないところでした。ありがとうございました😊
三國無双でもはやくこの時代周辺をやってほしい
その晋もあっさり衰退して滅亡、三国志の最終的な勝者というだけで、その後はお察しレベル。司馬懿の息子二人は有能でしたが、その後は論外。上手くいかんものですね
唯一超有能だった司馬乂が浮かばれない😔
最高です
あっという間の40分間でした。
曹操も荀彧を始めとする名士を厚遇しとるよなぁ。曹丕も三曹と言われるほど超文学者なんやけどな。曹丕の四友(陳羣、司馬懿、呉質、朱鑠)からみても文学重視よな。司馬懿は防衛的な権力掌握で、曹操と同じく簒奪をしたくはなかったんやろなぁと思わせる。曹丕か曹叡が長生きなら忠臣として終わったやろなと思わせる。名士だし。
わかる。曹操は(献帝に敵視されたからっていうのも大きいけど)割と野心的に動いてるけど、司馬懿は結果的に権力者になっただけで基本的に魏のために行動してるよね。曹爽の件も自分の身が危ういからクーデター起こした訳だし。
@@rappecoda7073 あの状態で権力奪取せずに生き残るのは困難よな。諸葛亮がいかに稀有な存在かわかる
魏は、曹丕が一族をなぞに弾圧しまくったのも痛い。曹丕の死時に、曹丕以外の曹家に強い力が残ってなかった
日本の源頼朝と同じ
戦国時代に軍功を上げまくった曹一族夏侯一族の権威が大きすぎて、曹丕の皇帝としての権威が脅かされてるし軍権すらなかったから、このムーブはしゃーない
そして曹爽も魏滅亡の戦犯だな。権力欲しさに曹叡の遺言に背いたのだからな。😅
いつも楽しい動画ありがとうございますただ、曹操は漢を 司馬懿は魏を 滅ぼそうとは思ってなかったのでは
一族でも夏侯玄は元々司馬師と近く、曹叡時代には共に曹叡の不興買ってますからね……。魏は司馬懿関係無く名士層と新規層で腐敗が始まってましたし、司馬懿は孫礼と共に魏の立て直しに奔走してもいますし。
同意です。司馬懿は晩年になって魏に失望はしてもまだ忠誠心があり滅ぼそうとはしてなかったように感じますし、用心深い曹操は少なくとも劉備と孫権を滅ぼすまでは漢を滅ぼすというハイリスクな行動は取らなかったと思います
曹操は自分がそうだったからか、司馬懿に野心があることには気がついてて、司馬懿に要職を与えなかったらしい。曹丕は曹植の一件もあり司馬懿に恩義が出来てしまったから全権を与え過ぎてしまって曹魏が滅ぶきっかけを与えてしまった。でも、そうやってクーデターで起こした王朝だったからか苦労して中国全土を統一した晋も子孫は傀儡にされてすぐに滅んでいる。
曹植という呼び名は「そうち」とも「そうしょく」とも言われているそうです。最初間違ってるのかと思いましたが、どっちとも呼ばれる(中国の呼び名と日本の呼び名との違い)とのご指摘があったので、修正しました。ありがとうございました。
そうちとも。
@@ゆっくりさん-j5i あー、そうだったんですネ。( ˙꒳˙ )
@@rantaro-fl9yl1pn6c自分も興味あって調べてみたら、中国での呼び名と日本での呼び方で参考書等でそれぞれの呼び方で使われてるので両方間違いじゃないみたいです!
@@ルーク-m2q なるほどですねw。後で修正します。
じゃあ、中国語呼びでも曹は『そう』なんですね
即位6年で早世した曹丕があまりにも悪い…。あの世で魏臣全員にボコられていいレベル。司馬懿だって曹丕の下でなら幸せで平和な老後を過ごして逝けたと思う
その後の曹叡も早世したのであの世でフルボッコよw
曹丕が身内を冷遇したのよ!😅身内を大切にしていれば魏は反映出来て天下統一出来た筈。😅確実にね!😅
劉備と孫権は勝ち残った後のビジョンあったのだろうか?劉備は漢存続だろうけど、孫権は?
三国志で争った国がどこも統一出来ずってオチが面白いし虚しい
もっと虚しいのは統一した司馬炎がいきなり暗愚になって290年で死去すると身内争いに明け暮れて外部の侵入を許して統一から36年後に分裂崩壊約300年、再び統一を待たなくてはならなくなったことだな。
そして統一した晋もすぐ滅ぶという
有利な状況になると相手を侮って大逆転、結果80年誰も統一出来なかった。まず兵力、人材の数ともno1の袁紹が曹操に破れ、曹操は周瑜にしてやられ、かつ劉備の台頭を許す。劉備が曹操への生涯ただ一度の大勝利で一瞬だけ魏と戦える状況になったら関羽が呂蒙、陸遜を侮って台無しにし、再び魏が一人勝ちになりそうになったら、曹否はなぜか弱った蜀でなく呉を攻めて大敗北、これだけ有利な陣営が下手を打ち続ければこうなる
司馬一族は陰険な策略で簒奪を勝ち取ったのでぼろぼろになって滅んでいった。のち東晋として生き残ったのは司馬懿が何度も魏を救った功徳のお陰だろう。
張飛将軍の妻は夏侯氏=曹操との親戚その娘は蜀の2代目の妻であり男子を産んだ
魏略の話。ですが魏略は現代の週刊誌や、スポーツ新聞レベルの話なので、夏侯氏の話は怪しいです。蜀の正史の記録に張飛の妻の記録ありませんし。劉禅の皇太子。劉センの母親は敬哀皇后の侍女の王貴人なので。もし皇后である張飛の娘が男子を産んでいたら、兄弟順が、関係無く皇太子になります。
ありがとう
「くらいじんしん」だと思います。
やっぱ向こうはすごいな。司馬氏は復讐されないように相手一族をきっちり処分してるし・・・
逆に儒教を奨励していなかったから、百官の帝室曹氏への忠誠心が薄くなり、司馬氏の帝位簒奪を高平陵の政変から10数年の短さで許してしまった側面もあり得ると思います。さて、曹操の命令で後漢最後の皇帝献帝に嫁いだ娘の曹節は、夫が帝位を禅譲して山陽へ移った後もついていった。そして実家の曹氏が力を失い、司馬昭を討とうとした皇帝が逆に討ち取られた260年に亡くなった。曹節の心情はどうだったのか興味があります。
曹操は儒教という価値観を否定していた!という考えは現代の価値観が入りすぎていると思う。曹操は儒教について理解していたと思うし、帝王学的な徳のある政治として儒教は知識階級の共通認識という意味はあったと思う。曹操は儒教的な人材の採用制度否定しただけで儒教そのものを否定したわけではない、昨今の成果主義をもてはやす現代の価値観が入りすぎている。
曹操が荀彧をやったのは儒家とのバランスもありますし。曹操は法家の思想もあります。ついでに宦官の孫なので儒家からは低く観られています。儒教は宗教であり詩文学も宗教である。曹操は宗教戦争もしていた。これは劉備や孫権も同じ。
全くもって同意。儒教を否定してたっていうよりは戦乱の時代の中で生き残るために一族関係なしに優秀な人材を重用してたんだと思う。事実儒教どうこうとか関係なしに曹仁とか曹洪・曹休、息子の曹彰だったり従兄弟の夏侯惇・夏侯淵はみんな優秀だったから重用されてた。
曹操って何でもできるし何でも取り入れるイメージだよね
賈詡がいなければ曹丕は皇帝になれなかったそれは曹丕・曹植の後継者争い以前に、宛城の戦いで曹操の長男・曹昂を死なせてくれたからこれがなければ曹昂が魏皇帝になっていた
元々司馬家は名門中の名門だったらしいから 本当に頭の良い一族は虎視眈々と反旗のタイミングを狙ってたんだろうな。
魏は因果応報で滅びたと言えば簡単ですが、九品官人法による影響が出始めた時に司馬懿、司馬師、司馬昭が権力を掌握。魏が滅亡した最大の原因は司馬一族たちより強い人間がこの時代から消えてしまったことだと思います。
もし、晋が出来立ての頃に秀吉が遠征してきたら歴史は変わっていた?
@@Terry.I-w7gどのみち兵站が無理すぎる。
冒頭から曹植のことを“そうち“と 発音してるけど″そうしょく“じゃないの?
国を治めるって大変ですね🥺💦前漢の建国時、劉邦は無茶苦茶を行なって前漢が安定ですが魏の曹操の時に三国志統一出来れば良かったのですが戦乱時に 軍師司馬懿の警戒は出来ても権力の剥奪は出来なく他武将、文官が戦果を挙げれば良かったですが結果司馬懿が活躍ですね🥺司馬懿は長生きして子育ても立派なので晋建国ですね🥺 劉邦の前漢の建国時の無茶苦茶が理解?出来ます?🥺💦動画ありがとうございました😊🇯🇵
しかし司馬一族の西晋もわずか30年で滅んでいる。
晋どころか異民族になだれ込まれてこれまで漢民族の国家であった中華がそのものがここで一度滅亡してますね。
暗愚な司馬衷でね。彼が確りしていれば八王の乱なんて絶対に起こらなかったよ!😅
曹操は司馬懿の才能は評価していたのだろうけど、それ以上に野心を恐れていたのかも。権力与えたら何処までも昇りつめるのではないかと。
司馬懿に野心はなかったと言われていますけどね、曹叡死後は一族を守るために権力を掌握するしかなかったわけで
曹丕の統一前の皇帝禅譲も駄目な失点。これで天(皇帝)が無能なら引きずり下ろしても良いんだよな~の御墨付きをあたえちゃったし、司馬派がスムーズに進められちゃった。
所謂、易姓革命というやつですな。
この時代、皇帝じゃなかった人が下から引きずり下ろされることは皆無だったの?
別に統一後であっても、司馬氏の専横は止められなかった。無関係を無理矢理繋げている感じ
@@user-ug2wj5sp2k皇帝は天子であり、天命を受けて天下を治める立場。雲上の人で人臣とは立場が隔絶しており、下々の地位争いとはレベルが違う。更に、日本の天皇が今までその地位を奪われなかったのは、アマテラスの系図につながる神の一族と信奉されてるから。天に認められた代理人は、その資格が失われたら取って代われても、神に取って代わるという発想は恐ろしくて誰もやらない。
中原を制した時点で統一は完結してる。あとは蛮族レベルやで。
漢も魏も呉も蜀も名士(儒教)勢力とのゴタゴタが国家運営に影響してるところが三国志の面白さよ
しかし何で毌丘倹や諸葛誕など親夏侯玄派を次々と寿春防衛につかせたんだろう?分かる人います?
毌丘倹はそこそこ有能な武将でした。公孫淵の乱では最初に討伐に行ったもののうまくいかず司馬懿に合流、そして朝鮮にまで進軍しました。呉への侵攻では敗北したものの、呉からの防衛では勝利しています。防衛したのは合肥新城で寿春の隣です。諸葛誕は元々魏帝・曹叡の不興を買い罷免されました。しかし娘が司馬懿の四男司馬伷に嫁ぎその縁で復帰しました。毌丘倹の乱では寿春各地を占拠し逃げ道を封じ、直後に侵攻してきた呉軍を撃退しています。そのまま寿春にいるのは自然かと。
楊修って曹操の考え方を熟知していて質問を全て曹植に答えを教えていたんだよな それを気に食わない曹操が楊修を処刑したんだっけか曹丕、曹叡短命だったのが魏の終焉の始まり・・・ 身内の専横が始まり司馬一族がって感じだもんな
劉表、孫権、袁紹でも後継者争いがあったからな。😅父親が優柔不断だったのが全ての元凶!😡
"そうち"って読むんだ…ずっとそうしょくだと思ってた。
一般的にはそうしょく。そうち読みはごくごく少数。そもそも中国語は1音しかないからどっちでもいいんだけどね
曹操が司馬懿を重用しなかったのは、その野望心を見抜いていたとも言えますね。そしてその君主にスキが出来たときに、こうした事件が起こりますね。🤔正直魏は曹操以降は、司馬一族等の名士たちを扱えるだけの器量が無かったとも言えますね。そして蜀討伐で、鄧艾、鍾会、姜維らが亡くなり、司馬昭としては対抗組織が無くなった。でも結局は司馬炎も統一したらアホになった。結局この繰り返しですね😅
曹丕が曹操の死後僅か7年、まさか40歳で死去、曹叡も36歳という若さで亡くなったことも大きい。曹休、曹真も亡くなってるし
実は司馬懿を重用しようとしたけど、司馬懿が何度も断ったんよんで、自分に仕えないならお前の兄(司馬朗、司馬孚はこの時曹操に仕えて居た)がどうなるか分かってんの?という書面をもらって、漸く曹操に仕えただから、そんな経緯あるので曹操時代はそんなに位が高いというわけではなかった野望を見抜いたではなく、俺に従うつもりは無いんだな?ってのを見抜いてただけ曹丕と曹叡が長命なら、司馬懿や司馬師司馬翔も魏の重臣として全うしたと思うよ?
@@猫のダヤン当時の平均寿命は40才だから36才で亡くなっても特別若くはないですよ。
曹芳は曹彰の孫(曹操のひ孫)曹宇は曹操の息子曹奐は曹宇の息子曹髦は曹丕の孫(父は曹霖)曹肇は曹休の息子
凄い関係ないですが夏候惇も読みが世代によって分かれそうですよね
横山三国志だと「じゅん」だったよね。
@@greatnamegn9602 そうですよね、わたしはずっとじゅんだと思ってました
@@greatnamegn9602 えわかる笑 「とん」が当たり前だったから横山三国志のアニメ見た時の「かこうじゅん」がすんごい違和感あった笑
三国志の後も長いんだなぁ、あまり話題にならんけど
曹操が「三頭の馬が草を食べる」夢を見たエピソードは後世の創作なんだろうか?
3頭の馬をまとめてへし折るのは難しいからな
織田信長死後の羽柴秀吉が似たような感じがする。
曹植はソウキですか?ソウショクでは無くて?
ソウチと読まれてますが、ソウショクが一般的です😂
すごい話や〜。魏は内部闘争すご😅
ミスター鶏肋、楊修
「そうち」?、「曹植=そうしょく」じゃないの?
特に日本の詩文学界では「そうち」と読まれる傾向にある。なお、唐代の詩人李賀の詩「許公子鄭姫歌」末四句は「曹植」で終わっており、七言絶句の押韻法則から「そうしょく」と読ませていることがうかがえる。植の字音と字義の関係は、中国の歴代字書・韻書によって解釈にバラつきがあり、正確には定義できない。
魏は豪族の力が強すぎて安定しませんでしたね、軍事も遊牧民傭兵頼り、国家として弱点があっから三国鼎立が続いたのでしょう
曹髦が「曹操の再来」、孫皓が「孫権の再来」って言われてるの阪神の「バースの再来」を感じる
7:40 逆に諸葛亮なんかは儒教に取り憑かれて自爆した面もあるんよな。魏延とか馬謖なんかはそれな気がする
栄枯盛衰。現代にも通じる社会問題で、三国は滅びたか・・・・。
皮肉にも魏の明帝の臣下だって時に絶大な権力があったかも!
しかしその晋の司馬炎が10年で亡くなりそこから本当の地獄がまっているなんて。
曹操の後継者問題が拗れに拗れて、そこを司馬氏に衝かれた!って解釈でいいのかな?
北魏率いる北朝に正統性を与えた魏。皇帝即位は能力があれば漢民族以外の出自でもなれると。間接的に日本大王の皇帝化にも影響を与えた。
鄴ってキングダムでやってる鄴かキングダムだと結構北のイメージだけど三国志だともっと中央寄りのイメージだわ
曹丕と司馬懿。豊臣秀吉と徳川家康に重なる。
日本での読み方なんか日本語で読み替えてるだけだからどっちが正解ってワケでもないんだろうけど、昔から「曹植」は「そうしょく」って読んできたから「そうち」には違和感しかない
蒼天航路では何晏が曹植のことをちーちゃんって呼んどったねえ
遼東半島の乱の鎮圧に司馬懿を派遣したのは、名声ある司馬懿を中央から遠ざけたい皇帝の意思によるものだが、あっさりと司馬懿が鎮圧したので、皇帝にとって肩透かしになったという説には疑問です。まず司馬懿は呉や蜀と戦ってきた名将で、当時の魏の将軍で司馬懿を越える実績を有する名将はいないと思います。司馬懿なら遼東半島の乱を、難なく鎮圧できると大方予測できますし、司馬懿が遼東半島を鎮圧できなかったら、誰が鎮圧できるのかという位でしょう。そのうえで、魏で一番の名将の司馬懿を遼東半島に派遣した理由ですが、ただの推測ですが、皇帝が病気で自分の目が黒いうちに遼東半島の反乱を速やかに急いで鎮圧したかったのかもしれません。
司馬懿は油断ならんやつじゃな。
28宿 尾宿は最強
賈充など庇うから娘の、賈南風に、滅茶苦茶にされて笑う。
(曹丕はメチャクチャ性格悪いし曹植はいい加減だしどうしよう…)
司馬一族のクーデターは、棚からぼた餅みたいなもん司馬懿の性格等を考え見るに、時代の波に押された結果の帰結だと思うそう、豊臣秀吉のように最初から漢や魏を滅ぼそうと思って無かったはず最初から曹操に仕えるつもり無かったからな、司馬懿人材マニアの曹操が、兄の出世がなくなるぞ?と示唆して、漸く出仕したからね曹操時代は曹丕の1家臣だから発言力はない、曹丕時代は側近かつ、仲も良かったから重臣になる曹叡時代は後見人の1人で、軍政の両方出来る稀有な人材だから位人臣を極める曹叡時代の末期から、後の曹家の専横に司馬家の危機を覚えて、クーデターをするクーデターするにしても、ちゃんと下準備は完璧にして、皆から納得行くようにする司馬懿自体は皇位を奪うつもりはない姿勢のまま死ぬ息子たちに後事を任せられるってのは大きい結果、曹家、夏侯家等の力が消失して禅譲させられた、後漢王朝のように因果報応と言えるさて、曹操と曹植、この二人は詩仙李白と詩聖杜甫が出てくるまで、中国文学の歴史でも頂点に位置する程、優れていたそうです現在でも李白と杜甫が現れても中国文学の十本指に入ると評判ですねもし曹植が後継者なら、また歴史は変わっていたでしょうなただ、長兄相続や末子相続ではないから、魏が分裂する恐れもあったから、簡単には行かないでしょうな、曹丕が優れていたのはそういう芽を摘んで、磐石な体制をキチンとしたってのがかなり大きいだから曹丕も二世としては、稀有な人材ってことになります後、儒教云々だけど、漢王朝創始者の劉邦のゲスエピソード見ると、儒教の教えが漢王朝に浸透するのは中々面白いゲスエピソードのいくつか劉邦は儒家大嫌いで、見つけたら罵倒しまくり、冠引っ剥がしてその中に小便ぶちまける等などそんな事やってるから、名士層や王族等から蛇蝎のごとく嫌われ、一発当てようという山師がクソみたいに集まる(代表格が韓信、彭越、英布)そんな連中も400年経てば貴族として儒教の教えが染みつくんだろうなぁと思った
曹魏には何一つ正当性ないから衰えれば取って代わられるよ、かえりみる臣下もいなかったとか後漢より哀れ
官吏として出仕しないなら、お前、死刑、斬首。と面前で宣告されて、緊張に耐えかねた刑吏が刃物を振り下ろそうとすると、首をぐるりと後ろに向けて(狼虎の相というそうな)「指示なくして刑を執行するは違反である」と制して自分の首を守るような人間を使うから、子孫が絶える。
曹丕の早逝から始まった曹一族の衰退
質問です三国志のIF考えるの好きですか?
曹植って、なんで読むの?
そうしょくと読まれる方が多いですが、そうちでも間違いではないです。夏侯惇も、かこうとんと読まれる方が多いですが、横山三国志しか知らない人は、かこうじゅんでしょうからね。
曹植…「そうしょく」ではないのね…
そうち?そうしょくじゃ無いん?
曹丕・曹叡の死後に。皇族たちと宦官の専横等で弱体化して
曹丕が長生きしてれば司馬懿も裏切らなかったのに。
(-⊙ω⊙-)ゞそもそも曹操も名士であり、漢の皇族を打倒して(死後)皇帝になったわけだから、司馬懿は曹操を真似してるだけなんだよなー
泉鏡花の作品を連想する
劉放&孫資はひょっとしたら曹一族をつぶしたくて反対したのかもなあ。劉放は劉の字から後漢の末裔っぽいし、孫資ももしかしたら呉と関係あるかもしれんし。
劉も孫も中国史では非常にメジャーな姓だからさすがにそんな事はないと思う(曹操を暗殺しようとした董承みたく直接的に魏を滅ぼそうとしたわけでもないし)実際劉曄や孫礼みたいに魏の建国やその勢力拡大のために奔走した優秀な官僚も多いし
11:07 の袁紹と劉表の絵逆やろw
素晴らしい動画でした。
感銘を受けました。
ありがとうございます。
これは面白かったです。娯楽小説の三国志を読んでるだけでは絶対にわからない真実ですね。小説内では「名士」って出てきても、あー名士ねって感じでそんなに重要なキーワードだとは思えないのですが、名実上の魏国の支配者だったのですね。
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鳥人間 中国史三昧
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そして晋王朝が鼎立して今度は司馬一族で固めたら、八王の乱が起こった。
身内を遠ざけるのも固めるのも良くないことを三国志で学んだ。
ほどほどが難しい
ほどほどが難しい
ほどほどが難しい
官渡の戦いで豊かな華北を曹操が手に入れたのはいいんだけど、この時既に曹操が45歳で、袁一族の支配地域を併呑したことによる急拡大での統制の低下と、トップの加齢が噛み合っちゃった印象がありますね。やはり、一代ですべてを手に入れるには広すぎた時代なんでしょう。
三国志 Three Kingdomsの司馬懿がクーデター起こすあたりの描写は集大成って感じで正直好き
曹一族夏侯一族が当時失政続きでこのままだと魏が崩壊してしまうという思いからのクーデターですよね。あくまで司馬懿は魏の臣下としての行動で、簒奪の意思は無かったと考えられてもいます。
素晴らしい解説をありがとうございます。
個人的に高平陵の変は好き。熱き三国時代に引導を渡した晋だが、それも呆気なく終わるところが中国の歴史のハチャメチャさと儚さが感じられる。
ところで、何故司馬師や司馬昭のイラストがないのだろう。個人的に郭淮将軍や陳羣も欲しい。
魏を滅亡に追いやった司馬氏の晋も結局すぐに滅亡してしまうから、三国志の時代には結局勝者なんていなかったのではって思ってしまうなぁ
まぁ、強いて言えば鮮卑や匈奴などの異民族。
そして司馬一族は身内で血で血を洗って
自ら滅ぶ
所謂八王の乱。
夢中で43分が過ぎました。素晴らしい動画ありがとうございます!
曹魏の権威を確立できないまま曹丕曹叡が死んじゃったのがね
名士国家らしい最期かなと
三国志とかまったく詳しくもないのですが 語りが速くて面白く 長尺なのに最後まで観てしまいました
曹植と曹丕の対立を曹操が支配する漢と魏の対立という切り口から見る考察は目から鱗でした。
呉で言う二宮の変の魏バージョン。
まあ曹操が長男曹丕を後継者に推したのも当時はまだ蜀の劉備や呉の孫権も居たし魏の周りはまだまだ敵だらけだったので文に寄りすぎた弟の曹植よりかは文武に優れていた曹丕の力に期待していたのもあっただろう。
実際には曹植も従軍してたし後の曹丕の戦下手っぷりを考えればなんとも
そもそも三国志に文武なんて括りはなく、全員頭使って軍動かしてたからな
将同士の一騎打ちなんて無いし、将が戦うってことはよっぽど切迫した状況でしかない
これだけ病死が多かったら毒殺もあったんじゃないかと思うな
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曹操という乱世の英雄の下で虎視眈々と権力をも狙っていた司馬懿とも読み取れました。
曹操の偉大さがよりわかりました
同姓なだけで関係ないのは分かってるけど、重職に司馬懿を置いて魏が乗っ取られるきっかけになった進言をした人物が、劉氏と孫氏なの面白すぎる
22:25 本当ですね!面白いです。劉放と孫資。
分かりやさと面白さが両立していて、見ていてとても楽しかったです😳
出来事の裏に潜むそれぞれの思惑なども細かく拾われていてお気に入りの動画の一つになりました。これからも活動応援しております。
曹丕時代になってからはよくある歴史の一幕に感じてしまうあたり、曹操時代にとても魅力を感じますね。
司馬氏は晋統一するも一族に権力与えた結果八王の乱が起き、やがて永嘉の乱からの五胡十六国時代へ進んでいった。
しかも一族に強い権力を与えた理由がかつて自分達が滅ぼした魏(曹一族)に権力者がいなかったため、権力者になった司馬一族に対抗できる者がなく滅んだためっていうのもなんとも、、、🤔
曹丕と曹植の後継者問題ってよく言われるけど
兄の曹丕が25歳の時、副丞相に任命され、曹植が25の時には留守を守る諸侯と同程度の扱いでだから、正直迷っていたとは言い難いと思う。曹植が26の時には曹丕は太子に指名されてるし、かなり早い段階で評価は定まっていたようにみえる。
なのに内密で重臣らに曹植どう?って聞く曹操さんよ…
いい解説
日本は卑弥呼が居た時代だろ?組織力あまりにも高すぎるし頭いい人間多すぎるね文字や文献もそうだけど
軍師かくの助言がターニングポイントでしたね。他にも相談できる優秀な軍師が大勢いたのに。
よく理解出来ていないところでした。
ありがとうございました😊
三國無双でもはやくこの時代周辺をやってほしい
その晋もあっさり衰退して滅亡、三国志の最終的な勝者というだけで、その後はお察しレベル。
司馬懿の息子二人は有能でしたが、その後は論外。
上手くいかんものですね
唯一超有能だった司馬乂が浮かばれない😔
最高です
あっという間の40分間でした。
曹操も荀彧を始めとする名士を厚遇しとるよなぁ。曹丕も三曹と言われるほど超文学者なんやけどな。曹丕の四友(陳羣、司馬懿、呉質、朱鑠)からみても文学重視よな。司馬懿は防衛的な権力掌握で、曹操と同じく簒奪をしたくはなかったんやろなぁと思わせる。曹丕か曹叡が長生きなら忠臣として終わったやろなと思わせる。名士だし。
わかる。曹操は(献帝に敵視されたからっていうのも大きいけど)割と野心的に動いてるけど、司馬懿は結果的に権力者になっただけで基本的に魏のために行動してるよね。曹爽の件も自分の身が危ういからクーデター起こした訳だし。
@@rappecoda7073 あの状態で権力奪取せずに生き残るのは困難よな。諸葛亮がいかに稀有な存在かわかる
魏は、曹丕が一族をなぞに弾圧しまくったのも痛い。曹丕の死時に、曹丕以外の曹家に強い力が残ってなかった
日本の源頼朝と同じ
日本の源頼朝と同じ
戦国時代に軍功を上げまくった曹一族夏侯一族の権威が大きすぎて、曹丕の皇帝としての権威が脅かされてるし軍権すらなかったから、このムーブはしゃーない
そして曹爽も魏滅亡の戦犯だな。権力欲しさに曹叡の遺言に背いたのだからな。😅
いつも楽しい動画ありがとうございます
ただ、曹操は漢を 司馬懿は魏を 滅ぼそうとは思ってなかったのでは
一族でも夏侯玄は元々司馬師と近く、曹叡時代には共に曹叡の不興買ってますからね……。
魏は司馬懿関係無く名士層と新規層で腐敗が始まってましたし、司馬懿は孫礼と共に魏の立て直しに奔走してもいますし。
同意です。司馬懿は晩年になって魏に失望はしてもまだ忠誠心があり滅ぼそうとはしてなかったように感じますし、用心深い曹操は少なくとも劉備と孫権を滅ぼすまでは漢を滅ぼすというハイリスクな行動は取らなかったと思います
曹操は自分がそうだったからか、司馬懿に野心があることには気がついてて、司馬懿に要職を与えなかったらしい。曹丕は曹植の一件もあり司馬懿に恩義が出来てしまったから全権を与え過ぎてしまって曹魏が滅ぶきっかけを与えてしまった。でも、そうやってクーデターで起こした王朝だったからか苦労して中国全土を統一した晋も子孫は傀儡にされてすぐに滅んでいる。
曹植という呼び名は「そうち」とも「そうしょく」とも言われているそうです。最初間違ってるのかと思いましたが、どっちとも呼ばれる(中国の呼び名と日本の呼び名との違い)とのご指摘があったので、修正しました。ありがとうございました。
そうちとも。
@@ゆっくりさん-j5i あー、そうだったんですネ。( ˙꒳˙ )
@@rantaro-fl9yl1pn6c自分も興味あって調べてみたら、中国での呼び名と日本での呼び方で参考書等でそれぞれの呼び方で使われてるので両方間違いじゃないみたいです!
@@ルーク-m2q なるほどですねw。後で修正します。
じゃあ、中国語呼びでも曹は『そう』なんですね
即位6年で早世した曹丕があまりにも悪い…。あの世で魏臣全員にボコられていいレベル。
司馬懿だって曹丕の下でなら幸せで平和な老後を過ごして逝けたと思う
その後の曹叡も早世したのであの世でフルボッコよw
曹丕が身内を冷遇したのよ!😅身内を大切にしていれば魏は反映出来て天下統一出来た筈。😅確実にね!😅
劉備と孫権は勝ち残った後のビジョンあったのだろうか?劉備は漢存続だろうけど、孫権は?
三国志で争った国がどこも統一出来ずってオチが面白いし虚しい
もっと虚しいのは統一した司馬炎が
いきなり暗愚になって290年で死去すると
身内争いに明け暮れて外部の侵入を許して
統一から36年後に分裂崩壊
約300年、再び統一を待たなくては
ならなくなったことだな。
そして統一した晋もすぐ滅ぶという
有利な状況になると相手を侮って大逆転、結果80年誰も統一出来なかった。
まず兵力、人材の数ともno1の袁紹が曹操に破れ、曹操は周瑜にしてやられ、かつ劉備の台頭を許す。
劉備が曹操への生涯ただ一度の大勝利で一瞬だけ魏と戦える状況になったら関羽が呂蒙、陸遜を侮って台無しにし、再び魏が一人勝ちになりそうになったら、曹否はなぜか弱った蜀でなく呉を攻めて大敗北、これだけ有利な陣営が下手を打ち続ければこうなる
司馬一族は陰険な策略で簒奪を勝ち取ったのでぼろぼろになって滅んでいった。のち東晋として生き残ったのは司馬懿が何度も魏を救った功徳のお陰だろう。
張飛将軍の妻は夏侯氏=曹操との親戚
その娘は蜀の2代目の妻であり男子を産んだ
魏略の話。ですが魏略は現代の週刊誌や、スポーツ新聞レベルの話なので、夏侯氏の話は怪しいです。蜀の正史の記録に張飛の妻の記録ありませんし。劉禅の皇太子。劉センの母親は敬哀皇后の侍女の王貴人なので。もし皇后である張飛の娘が男子を産んでいたら、兄弟順が、関係無く皇太子になります。
ありがとう
「くらいじんしん」だと思います。
やっぱ向こうはすごいな。司馬氏は復讐されないように相手一族をきっちり処分してるし・・・
逆に儒教を奨励していなかったから、百官の帝室曹氏への忠誠心が薄くなり、司馬氏の帝位簒奪を高平陵の政変から10数年の短さで許してしまった側面もあり得ると思います。
さて、曹操の命令で後漢最後の皇帝献帝に嫁いだ娘の曹節は、夫が帝位を禅譲して山陽へ移った後もついていった。そして実家の曹氏が力を失い、司馬昭を討とうとした皇帝が逆に討ち取られた260年に亡くなった。曹節の心情はどうだったのか興味があります。
曹操は儒教という価値観を否定していた!という考えは現代の価値観が入りすぎていると思う。
曹操は儒教について理解していたと思うし、帝王学的な徳のある政治として儒教は知識階級の共通認識という意味はあったと思う。曹操は儒教的な人材の採用制度否定しただけで儒教そのものを否定したわけではない、昨今の成果主義をもてはやす現代の価値観が入りすぎている。
曹操が荀彧をやったのは儒家とのバランスもありますし。曹操は法家の思想もあります。ついでに宦官の孫なので儒家からは低く観られています。儒教は宗教であり詩文学も宗教である。曹操は宗教戦争もしていた。これは劉備や孫権も同じ。
全くもって同意。儒教を否定してたっていうよりは戦乱の時代の中で生き残るために一族関係なしに優秀な人材を重用してたんだと思う。
事実儒教どうこうとか関係なしに曹仁とか曹洪・曹休、息子の曹彰だったり従兄弟の夏侯惇・夏侯淵はみんな優秀だったから重用されてた。
曹操って何でもできるし何でも取り入れるイメージだよね
賈詡がいなければ曹丕は皇帝になれなかった
それは曹丕・曹植の後継者争い以前に、宛城の戦いで曹操の長男・曹昂を死なせてくれたから
これがなければ曹昂が魏皇帝になっていた
元々司馬家は名門中の名門だったらしいから 本当に頭の良い一族は虎視眈々と反旗のタイミングを狙ってたんだろうな。
魏は因果応報で滅びたと言えば簡単ですが、九品官人法による影響が出始めた時に司馬懿、司馬師、司馬昭が権力を掌握。
魏が滅亡した最大の原因は司馬一族たちより強い人間がこの時代から消えてしまったことだと思います。
もし、晋が出来立ての頃に秀吉が遠征してきたら歴史は変わっていた?
@@Terry.I-w7gどのみち兵站が無理すぎる。
冒頭から曹植のことを“そうち“と 発音してるけど″そうしょく“じゃないの?
国を治めるって大変ですね🥺💦前漢の建国時、劉邦は無茶苦茶を行なって前漢が安定ですが魏の曹操の時に三国志統一出来れば良かったのですが戦乱時に 軍師司馬懿の警戒は出来ても権力の剥奪は出来なく他武将、文官が戦果を挙げれば良かったですが結果司馬懿が活躍ですね🥺司馬懿は長生きして子育ても立派なので晋建国ですね🥺 劉邦の前漢の建国時の無茶苦茶が理解?出来ます?🥺💦動画ありがとうございました😊🇯🇵
しかし司馬一族の西晋もわずか30年で滅んでいる。
晋どころか異民族になだれ込まれてこれまで漢民族の国家であった中華がそのものがここで一度滅亡してますね。
暗愚な司馬衷でね。彼が確りしていれば八王の乱なんて絶対に起こらなかったよ!😅
曹操は司馬懿の才能は評価していたのだろうけど、それ以上に野心を恐れていたのかも。権力与えたら何処までも昇りつめるのではないかと。
司馬懿に野心はなかったと言われていますけどね、曹叡死後は一族を守るために権力を掌握するしかなかったわけで
曹丕の統一前の皇帝禅譲も駄目な失点。これで天(皇帝)が無能なら引きずり下ろしても良いんだよな~の御墨付きをあたえちゃったし、司馬派がスムーズに進められちゃった。
所謂、易姓革命というやつですな。
この時代、皇帝じゃなかった人が下から引きずり下ろされることは皆無だったの?
別に統一後であっても、司馬氏の専横は止められなかった。
無関係を無理矢理繋げている感じ
@@user-ug2wj5sp2k
皇帝は天子であり、天命を受けて天下を治める立場。
雲上の人で人臣とは立場が隔絶しており、下々の地位争いとはレベルが違う。
更に、日本の天皇が今までその地位を奪われなかったのは、アマテラスの系図につながる神の一族と信奉されてるから。
天に認められた代理人は、その資格が失われたら取って代われても、神に取って代わるという発想は恐ろしくて誰もやらない。
中原を制した時点で統一は完結してる。あとは蛮族レベルやで。
漢も魏も呉も蜀も名士(儒教)勢力とのゴタゴタが国家運営に影響してるところが三国志の面白さよ
しかし何で毌丘倹や諸葛誕など親夏侯玄派を次々と寿春防衛につかせたんだろう?
分かる人います?
毌丘倹はそこそこ有能な武将でした。公孫淵の乱では最初に討伐に行ったもののうまくいかず司馬懿に合流、そして朝鮮にまで進軍しました。呉への侵攻では敗北したものの、呉からの防衛では勝利しています。防衛したのは合肥新城で寿春の隣です。
諸葛誕は元々魏帝・曹叡の不興を買い罷免されました。しかし娘が司馬懿の四男司馬伷に嫁ぎその縁で復帰しました。毌丘倹の乱では寿春各地を占拠し逃げ道を封じ、直後に侵攻してきた呉軍を撃退しています。そのまま寿春にいるのは自然かと。
楊修って曹操の考え方を熟知していて質問を全て曹植に答えを教えていたんだよな それを気に食わない曹操が楊修を処刑したんだっけか
曹丕、曹叡短命だったのが魏の終焉の始まり・・・ 身内の専横が始まり司馬一族がって感じだもんな
劉表、孫権、袁紹でも後継者争いがあったからな。😅父親が優柔不断だったのが全ての元凶!😡
"そうち"って読むんだ…ずっとそうしょくだと思ってた。
一般的にはそうしょく。そうち読みはごくごく少数。そもそも中国語は1音しかないからどっちでもいいんだけどね
曹操が司馬懿を重用しなかったのは、その野望心を見抜いていたとも言えますね。そしてその君主にスキが出来たときに、こうした事件が起こりますね。🤔
正直魏は曹操以降は、司馬一族等の名士たちを扱えるだけの器量が無かったとも言えますね。
そして蜀討伐で、鄧艾、鍾会、姜維らが亡くなり、司馬昭としては対抗組織が無くなった。
でも結局は司馬炎も統一したらアホになった。結局この繰り返しですね😅
曹丕が曹操の死後僅か7年、
まさか40歳で死去、曹叡も36歳という若さで亡くなったことも大きい。
曹休、曹真も亡くなってるし
実は司馬懿を重用しようとしたけど、司馬懿が何度も断ったんよ
んで、自分に仕えないならお前の兄(司馬朗、司馬孚はこの時曹操に仕えて居た)がどうなるか分かってんの?という書面をもらって、漸く曹操に仕えた
だから、そんな経緯あるので曹操時代はそんなに位が高いというわけではなかった
野望を見抜いたではなく、俺に従うつもりは無いんだな?ってのを見抜いてただけ
曹丕と曹叡が長命なら、司馬懿や司馬師司馬翔も魏の重臣として全うしたと思うよ?
@@猫のダヤン
当時の平均寿命は40才だから36才で亡くなっても特別若くはないですよ。
曹芳は曹彰の孫(曹操のひ孫)
曹宇は曹操の息子
曹奐は曹宇の息子
曹髦は曹丕の孫(父は曹霖)
曹肇は曹休の息子
凄い関係ないですが夏候惇も読みが世代によって分かれそうですよね
横山三国志だと「じゅん」だったよね。
@@greatnamegn9602 そうですよね、わたしはずっとじゅんだと思ってました
@@greatnamegn9602 えわかる笑 「とん」が当たり前だったから横山三国志のアニメ見た時の「かこうじゅん」がすんごい違和感あった笑
三国志の後も長いんだなぁ、あまり話題にならんけど
曹操が「三頭の馬が草を食べる」夢を見たエピソードは後世の創作なんだろうか?
3頭の馬をまとめてへし折るのは難しいからな
織田信長死後の羽柴秀吉が似たような感じがする。
曹植はソウキですか?ソウショクでは無くて?
ソウチと読まれてますが、ソウショクが一般的です😂
すごい話や〜。魏は内部闘争すご😅
ミスター鶏肋、楊修
「そうち」?、「曹植=そうしょく」じゃないの?
特に日本の詩文学界では「そうち」と読まれる傾向にある。なお、唐代の詩人李賀の詩「許公子鄭姫歌」末四句は「曹植」で終わっており、七言絶句の押韻法則から「そうしょく」と読ませていることがうかがえる。植の字音と字義の関係は、中国の歴代字書・韻書によって解釈にバラつきがあり、正確には定義できない。
魏は豪族の力が強すぎて安定しませんでしたね、軍事も遊牧民傭兵頼り、国家として弱点があっから三国鼎立が続いたのでしょう
曹髦が「曹操の再来」、孫皓が「孫権の再来」って言われてるの
阪神の「バースの再来」を感じる
7:40
逆に諸葛亮なんかは儒教に取り憑かれて自爆した面もあるんよな。
魏延とか馬謖なんかはそれな気がする
栄枯盛衰。
現代にも通じる社会問題で、三国は滅びたか・・・・。
皮肉にも魏の明帝の臣下だって時に絶大な権力があったかも!
しかしその晋の司馬炎が10年で亡くなり
そこから本当の地獄がまっているなんて。
曹操の後継者問題が拗れに拗れて、そこを司馬氏に衝かれた!って解釈でいいのかな?
北魏率いる北朝に正統性を与えた魏。皇帝即位は能力があれば漢民族以外の出自でもなれると。間接的に日本大王の皇帝化にも影響を与えた。
鄴ってキングダムでやってる鄴か
キングダムだと結構北のイメージだけど三国志だともっと中央寄りのイメージだわ
曹丕と司馬懿。豊臣秀吉と徳川家康に重なる。
日本での読み方なんか日本語で読み替えてるだけだからどっちが正解ってワケでもないんだろうけど、昔から「曹植」は「そうしょく」って読んできたから「そうち」には違和感しかない
蒼天航路では何晏が曹植のことをちーちゃんって呼んどったねえ
遼東半島の乱の鎮圧に司馬懿を派遣したのは、名声ある司馬懿を中央から遠ざけたい皇帝の意思によるものだが、あっさりと司馬懿が鎮圧したので、皇帝にとって肩透かしになったという説には疑問です。
まず司馬懿は呉や蜀と戦ってきた名将で、当時の魏の将軍で司馬懿を越える実績を有する名将はいないと思います。司馬懿なら遼東半島の乱を、難なく鎮圧できると大方予測できますし、司馬懿が遼東半島を鎮圧できなかったら、誰が鎮圧できるのかという位でしょう。そのうえで、魏で一番の名将の司馬懿を遼東半島に派遣した理由ですが、ただの推測ですが、皇帝が病気で自分の目が黒いうちに遼東半島の反乱を速やかに急いで鎮圧したかったのかもしれません。
司馬懿は油断ならんやつじゃな。
28宿 尾宿は最強
賈充など庇うから娘の、賈南風に、滅茶苦茶にされて笑う。
(曹丕はメチャクチャ性格悪いし曹植はいい加減だしどうしよう…)
司馬一族のクーデターは、棚からぼた餅みたいなもん
司馬懿の性格等を考え見るに、時代の波に押された結果の帰結だと思う
そう、豊臣秀吉のように
最初から漢や魏を滅ぼそうと思って無かったはず
最初から曹操に仕えるつもり無かったからな、司馬懿
人材マニアの曹操が、兄の出世がなくなるぞ?と示唆して、漸く出仕したからね
曹操時代は曹丕の1家臣だから発言力はない、曹丕時代は側近かつ、仲も良かったから重臣になる
曹叡時代は後見人の1人で、軍政の両方出来る稀有な人材だから位人臣を極める
曹叡時代の末期から、後の曹家の専横に司馬家の危機を覚えて、クーデターをする
クーデターするにしても、ちゃんと下準備は完璧にして、皆から納得行くようにする
司馬懿自体は皇位を奪うつもりはない姿勢のまま死ぬ
息子たちに後事を任せられるってのは大きい
結果、曹家、夏侯家等の力が消失して禅譲させられた、後漢王朝のように
因果報応と言える
さて、曹操と曹植、この二人は詩仙李白と詩聖杜甫が出てくるまで、中国文学の歴史でも頂点に位置する程、優れていたそうです
現在でも李白と杜甫が現れても中国文学の十本指に入ると評判ですね
もし曹植が後継者なら、また歴史は変わっていたでしょうな
ただ、長兄相続や末子相続ではないから、魏が分裂する恐れもあったから、簡単には行かないでしょうな、曹丕が優れていたのはそういう芽を摘んで、磐石な体制をキチンとしたってのがかなり大きい
だから曹丕も二世としては、稀有な人材ってことになります
後、儒教云々だけど、漢王朝創始者の劉邦のゲスエピソード見ると、儒教の教えが漢王朝に浸透するのは中々面白い
ゲスエピソードのいくつか
劉邦は儒家大嫌いで、見つけたら罵倒しまくり、冠引っ剥がしてその中に小便ぶちまける等など
そんな事やってるから、名士層や王族等から蛇蝎のごとく嫌われ、一発当てようという山師がクソみたいに集まる(代表格が韓信、彭越、英布)
そんな連中も400年経てば貴族として儒教の教えが染みつくんだろうなぁと思った
曹魏には何一つ正当性ないから衰えれば取って代わられるよ、かえりみる臣下もいなかったとか後漢より哀れ
官吏として出仕しないなら、お前、死刑、斬首。と面前で宣告されて、緊張に耐えかねた刑吏が刃物を振り下ろそうとすると、首をぐるりと後ろに向けて(狼虎の相というそうな)「指示なくして刑を執行するは違反である」と制して自分の首を守るような人間を使うから、子孫が絶える。
曹丕の早逝から始まった曹一族の衰退
質問です
三国志のIF考えるの好きですか?
曹植って、なんで読むの?
そうしょく
と読まれる方が多いですが、
そうち
でも間違いではないです。
夏侯惇も、
かこうとん
と読まれる方が多いですが、
横山三国志しか知らない人は、
かこうじゅん
でしょうからね。
曹植…
「そうしょく」ではないのね…
そうち?そうしょくじゃ無いん?
曹丕・曹叡の死後に。皇族たちと宦官の専横等で弱体化して
曹丕が長生きしてれば司馬懿も裏切らなかったのに。
(-⊙ω⊙-)ゞそもそも曹操も名士であり、漢の皇族を打倒して(死後)皇帝になったわけだから、司馬懿は曹操を真似してるだけなんだよなー
泉鏡花の作品を連想する
劉放&孫資はひょっとしたら曹一族をつぶしたくて反対したのかもなあ。
劉放は劉の字から後漢の末裔っぽいし、孫資ももしかしたら呉と関係あるかもしれんし。
劉も孫も中国史では非常にメジャーな姓だからさすがにそんな事はないと思う(曹操を暗殺しようとした董承みたく直接的に魏を滅ぼそうとしたわけでもないし)
実際劉曄や孫礼みたいに魏の建国やその勢力拡大のために奔走した優秀な官僚も多いし
11:07 の袁紹と劉表の絵逆やろw