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現代疫学の発展に感謝江戸時代でも老年まで生き残った人は100歳近くまで生きてるので最高齢はそれほど差がないんですね平均寿命も結局は子供の数と乳幼児死亡率の差が大きいか都市部より農村の方が寿命が長かったのは、人が少なくて流行り病にかかりづらかったのか、もしくは食生活や労働環境の差かしら
今回も面白かったです。あと毎回感心するんですが、内容に合った丁度いい浮世絵等を沢山用意できるのがなにげに凄い・・・
子どもが赤ちゃんの頃こんなにたくさん予防接種があるの!?と驚き、副作用の説明に不安を抱きました。でも、そのたびに予防接種や医療が無かった時代の乳幼児死亡率を思い出し、あたりまえに医療が受けられることをありがたく思いました。
江戸は、武家地が68% 寺社地が16%江戸人口の半分である町人は16%の土地に住んでいた。その人口密度は1平方kmあたりおよそ6万人2015年の東京都の最も人口密度の高い豊島区でさえ、1平方kmあたり2.2万人。しかも、現代のような高層住宅はなく多くは平屋。町人の住む下町は人口密度が高く、表通りには商店が並び、路地裏にも長屋がびっしり建っていた。人口密度の高さも伝染病が蔓延する理由だろう。
高祖父(江戸〜明治頃)が医者だったらしいのですが、同時に弁護士もやってたそうで。「兼務できるの⁉︎」と不思議だったのですが、当時の医者は誰でもなれたからだったのか(笑)今回もおもしろくてあっという間でした。配信ありがとうございます🙏
江戸時代の医療とても解りやすくて勉強になりました🏯江戸時代はまずは乳幼児期でいかに流行病から乗り切るかのサバイバルだったんですね🐆それに医者にかかる医療費もべらぼうに高かったのは意外でしたね🐁神仏も医療の一翼を担ってたのも、当時の医学薬学レベルでは自然な事だったのでしょう👺現代の我々が適切な医療を受けられるのも、先人の多くの症例の積み重ねで医療が進歩し、🏨国民皆保険制度のお陰ですね🕊️
うちの先祖は獣医だったけどついでにと言うか人間も診察していたそうです。
日常生活の中で生き残るって言葉は考えさせられますよね家の近くの商店街や、長屋の中に昔ながらの漢方薬局が残ってます窓先に瓶に入った高麗人参ありますよ淀川沿いの人気のない古い開業医の事なんか思い出しながらナレーションを聞いてました江戸時代ってそんなに遠い時代じゃないですね
ずっと投稿を楽しみにしていました!ありがとうございます!
農村と都市部の死亡年齢に驚きました。都市部は過密している分、流行病で命を落としたのかな? 女性の死亡年齢、私も帝王切開がなければ母子ともに助からなかった身です。予防接種外来で働いていたので自分の息子の頃より増えていて正直こんなに必要なのかとも思いましだが、子供の命を守るため公費つまり無料で接種出来ることに感謝ですね。
いつも面白い動画ありがとうございます😊私は藤沢周平が好きで、特に『獄医立花登手控え』シリーズがお気に入りです!今回の動画はそれとリンクして本当に面白かったです!次回作も期待してます😌
江戸時代にあった病気に恋煩いが病気の内に入ってましたが落語(紺屋高尾)の中でもお医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬという草津節の一節が出て来ます。
jinを見たくなってきた
感染症で3万人もコロッと死んでた時代と現代がたった200年かそこらで繋がってるという衝撃
麻疹や疱瘡といった江戸時代の伝染病の話を見ていて、ここ何年かの新型コロナの恐ろしさを思い起こしましたそして現代との比較でも、医者選びの重要性やドラッグストア(薬種屋)が多かったことなど面白かったです💊
今も、医者行くまでもない(めんどいとか)頭痛ハライタくらいなら市販薬飲むしあんまり変わらないんだな(;^ω^)むかしのひともバファリン的なお手軽丸薬のんでたんだろうなあww
自分が幼い頃から散々時代劇で見た「もし、娘さんどうしなすった!?」「じ、持病の癪が…(-_-;)」の意味が今日やっと分かった(笑)←調べろよ😅富山の薬売りさんは何故民間薬に詳しかったんでしょうかね。薬草が多かった…?軽い風邪でも、薄い壁の長屋だと寒くて中々治らなかったでしょうね。藪じゃないお医者さんに感謝です(_ _)
とても興味深かったです。動画いつも楽しみにしています。
前野良沢が杉田玄白らと医学書「ターヘル・アナトミア」を苦労して翻訳し、「解体新書」を発行したことによって、日本の医学はかなり進歩したのでしょうね。
めちゃくちゃ面白かった!
とても勉強になりました。ありがとうございます。
衣食住や医療の状況がよくないのに乳幼児を過ぎてしまえば結構長生きな江戸時代の村に驚きました
この環境でも命を繋いでくれたご先祖様のおかげで今、俺は生きてる!
長崎コロリがひと月で江戸で流行するのは知らなかった。当時は江戸長崎間は徒歩1か月だったから伝染病の恐ろしさは今も変わらない。
当時の文献とイラストを交えて、嘘のないデータからの考察、御見事です! 今回も楽しまさせて頂きました七五三などの風習も、あまりに夭逝が多かったからなんですよね無事に3歳・5歳を迎えられておめでとう、7歳になれば大体死なずに済む、という…なので3~7歳までを1つの風習にして、危険な年齢をまとめて越えられるように想う願掛けでもあった訳です
グラフでみるとわかりやすいなぁ
よく纏まった動画だと思いますが、参考文献に海原亮『江戸時代の医師修業: 学問・学統・遊学』吉川弘文館、が入ってないのが惜しい。本書では10万石以上の藩は何らかの医学教育制度があったが、実際の医者修行は「学統」にあったとしています。医者になるには、寺子屋で基礎教養を学んだあと、近所の医者に弟子入して市の推薦で近隣都市のの医学塾へ進学し、その後江戸・京阪・長崎などの医学先進地域へ修行の旅に出て、有名医師の学統に連なることで一人前として認められる過程を描写しており、決して「誰でも医師になれた」わけでは有りません。
当時の薬はどのくらい効果があったんだろう。
下手な町医者にかかるより、薬草に詳しいお年寄りの見立ての方が安心。
当時は病気になったら手の施しようがなかったんですね。江戸時代に生まれても良いがこれだけは勘弁。
この時代は医者と言っても、薬を処方するだけだろう。それも効くか効かないか分からない薬だ。
半分くらいは そのへんの雑草煎じたやつを薬って言ったりとか、そーいうプラシーボで治ってたのかもしれないな…(;^ω^)石田散薬みたいに←
地元の神社(八幡宮)にも、石をなでて病気平癒の祈願する石仏あるわ。
やぶ医者は現代でもいるよね
インチキお医者でも診療に来る患者には高慢ちきに威張れた時代何をしても患者から訴えられることもなかった今のお医者は患者に対して強気に出れない
都市のほうがまんべんなく死んでるのは意外でした。人が集まると感染しやすいのかも?
江戸時代の私なら、私の持病と似た患者さんになら薬をコーディネートして処方できるかも。
17:50~鍼灸医は医者と同じ扱いです~これは誤解。鍼灸医が医者でした。また1900年代に至るまで西洋医学が外科を除いて東洋医学に勝るところは全くありませんでした。だから当時の欧州人医師が上から目線でものを言っているのは滑稽です。
この時代だと蘭方医ですらあんまり効果のある治療しなさそう。
うちのばあちゃんは6人産んだので国から表彰受けたかその直後逝った
厳しい
性病とか歯痛もあるだろうね。
現代疫学の発展に感謝
江戸時代でも老年まで生き残った人は100歳近くまで生きてるので最高齢はそれほど差がないんですね
平均寿命も結局は子供の数と乳幼児死亡率の差が大きいか
都市部より農村の方が寿命が長かったのは、人が少なくて流行り病にかかりづらかったのか、もしくは食生活や労働環境の差かしら
今回も面白かったです。あと毎回感心するんですが、内容に合った丁度いい浮世絵等を沢山用意できるのがなにげに凄い・・・
子どもが赤ちゃんの頃こんなにたくさん予防接種があるの!?と驚き、副作用の説明に不安を抱きました。
でも、そのたびに予防接種や医療が無かった時代の乳幼児死亡率を思い出し、あたりまえに医療が受けられることをありがたく思いました。
江戸は、武家地が68% 寺社地が16%
江戸人口の半分である町人は16%の土地に住んでいた。
その人口密度は1平方kmあたりおよそ6万人
2015年の東京都の最も人口密度の高い豊島区でさえ、1平方kmあたり2.2万人。
しかも、現代のような高層住宅はなく多くは平屋。
町人の住む下町は人口密度が高く、表通りには商店が並び、路地裏にも長屋がびっしり建っていた。
人口密度の高さも伝染病が蔓延する理由だろう。
高祖父(江戸〜明治頃)が医者だったらしいのですが、同時に弁護士もやってたそうで。「兼務できるの⁉︎」と不思議だったのですが、当時の医者は誰でもなれたからだったのか(笑)
今回もおもしろくてあっという間でした。配信ありがとうございます🙏
江戸時代の医療とても解りやすくて勉強になりました🏯
江戸時代はまずは乳幼児期でいかに流行病から乗り切るかのサバイバルだったんですね🐆
それに医者にかかる医療費もべらぼうに高かったのは意外でしたね🐁
神仏も医療の一翼を担ってたのも、当時の医学薬学レベルでは自然な事だったのでしょう👺
現代の我々が適切な医療を受けられるのも、先人の多くの症例の積み重ねで医療が進歩し、🏨国民皆保険制度のお陰ですね🕊️
うちの先祖は獣医だったけどついでにと言うか人間も診察していたそうです。
日常生活の中で生き残るって言葉は考えさせられますよね
家の近くの商店街や、長屋の中に昔ながらの漢方薬局が残ってます
窓先に瓶に入った高麗人参ありますよ
淀川沿いの人気のない古い開業医の事なんか思い出しながらナレーションを聞いてました
江戸時代ってそんなに遠い時代じゃないですね
ずっと投稿を楽しみにしていました!
ありがとうございます!
農村と都市部の死亡年齢に驚きました。都市部は過密している分、流行病で命を落としたのかな? 女性の死亡年齢、私も帝王切開がなければ母子ともに助からなかった身です。予防接種外来で働いていたので自分の息子の頃より増えていて正直こんなに必要なのかとも思いましだが、子供の命を守るため公費つまり無料で接種出来ることに感謝ですね。
いつも面白い動画ありがとうございます😊
私は藤沢周平が好きで、特に『獄医立花登手控え』シリーズがお気に入りです!
今回の動画はそれとリンクして本当に面白かったです!
次回作も期待してます😌
江戸時代にあった病気に恋煩いが病気の内に入ってましたが落語(紺屋高尾)の中でもお医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬという草津節の一節が出て来ます。
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感染症で3万人もコロッと死んでた時代と現代がたった200年かそこらで繋がってるという衝撃
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自分が幼い頃から散々時代劇で見た「もし、娘さんどうしなすった!?」「じ、持病の癪が…(-_-;)」の意味が今日やっと分かった(笑)←調べろよ😅
富山の薬売りさんは何故民間薬に詳しかったんでしょうかね。薬草が多かった…?
軽い風邪でも、薄い壁の長屋だと寒くて中々治らなかったでしょうね。藪じゃないお医者さんに感謝です(_ _)
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とても勉強になりました。ありがとうございます。
衣食住や医療の状況がよくないのに乳幼児を過ぎてしまえば結構長生きな江戸時代の村に驚きました
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長崎コロリがひと月で江戸で流行するのは知らなかった。当時は江戸長崎間は徒歩1か月だったから伝染病の恐ろしさは今も変わらない。
当時の文献とイラストを交えて、嘘のないデータからの考察、御見事です! 今回も楽しまさせて頂きました
七五三などの風習も、あまりに夭逝が多かったからなんですよね
無事に3歳・5歳を迎えられておめでとう、7歳になれば大体死なずに済む、という…
なので3~7歳までを1つの風習にして、危険な年齢をまとめて越えられるように想う願掛けでもあった訳です
グラフでみるとわかりやすいなぁ
よく纏まった動画だと思いますが、参考文献に海原亮『江戸時代の医師修業: 学問・学統・遊学』吉川弘文館、が入ってないのが惜しい。本書では10万石以上の藩は何らかの医学教育制度があったが、実際の医者修行は「学統」にあったとしています。医者になるには、寺子屋で基礎教養を学んだあと、近所の医者に弟子入して市の推薦で近隣都市のの医学塾へ進学し、その後江戸・京阪・長崎などの医学先進地域へ修行の旅に出て、有名医師の学統に連なることで一人前として認められる過程を描写しており、決して「誰でも医師になれた」わけでは有りません。
当時の薬はどのくらい効果があったんだろう。
下手な町医者にかかるより、薬草に詳しいお年寄りの見立ての方が安心。
当時は病気になったら手の施しようがなかったんですね。江戸時代に生まれても良いがこれだけは勘弁。
この時代は医者と言っても、薬を処方するだけだろう。
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やぶ医者は現代でもいるよね
インチキお医者でも診療に来る患者には高慢ちきに威張れた時代
何をしても患者から訴えられることもなかった
今のお医者は患者に対して強気に出れない
都市のほうがまんべんなく死んでるのは意外でした。人が集まると感染しやすいのかも?
江戸時代の私なら、私の持病と似た患者さんになら薬をコーディネートして処方できるかも。
17:50~鍼灸医は医者と同じ扱いです~これは誤解。鍼灸医が医者でした。また1900年代に至るまで西洋医学が外科を除いて東洋医学に勝るところは全くありませんでした。だから当時の欧州人医師が上から目線でものを言っているのは滑稽です。
この時代だと蘭方医ですらあんまり効果のある治療しなさそう。
うちのばあちゃんは6人産んだので国から表彰受けたかその直後逝った
厳しい
性病とか歯痛もあるだろうね。